燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第二十一話/新年初『良い事』

 新年の朝を迎えた。

 この日の海桶屋は、流石に少しばかり忙しい。

 

 そのもっともたる理由は、やはり食事の用意である。

 ヒノモトの伝統行事として、この日の夕食には縁起物を詰めた重箱を出す事になっているのだが、これがとにかく品数が多い。

 黒豆、数の子、栗金団。

 鰤、鯛、海老に、昆布巻き、金柑、八ツ頭。

 その他にも計三十品程の料理が詰まっている重箱を、今年は計10人となった新年の宿泊客に出さなくてはならないのである。

 昨日のうちから下準備できるものもあるが、それを差し引いてもまだ忙しい。

 その為に、昨日からヘルプに入っているウメエは、この日も海桶屋で調理を手伝ってくれていた。

 

 

 

「ふぁ~あ……ああ……」

「ヒロ、なに欠伸しとるか!」

「いや、だって朝が早かったし……」

「昨日お前が出かけた分を取り返さないかんのじゃから、当然じゃ。

 それより、そろそろ海老の下準備はじめてまえ」

「はーい。ええと、四匹でいいんだよね?」

「当たり前じゃろ。四室分だから四匹じゃ。ああ、鍋煮立っとるぞ!?」

「わ、わわっ!!」

 

 厨房から聞こえてくる二人の声は、フロントにまで響いている。

 新年早々、なんとも騒がしいものである。

 その騒がしさを聞きつけてか、厨房の入り口付近に人影が現れた。

 人影の正体は、この日の宿泊客であるミクリ・トプハムである。

 

 

「お婆ちゃん、焜炉空いたから使って良いよ」

「おう。とりあえず水沸騰させといてくれ」

「了解ー……っと。あれ?」

 

 ウメエに返事をして身を翻したヒロの視界に、ミクリが入った。

 彼女もまた自分の方を見ているのに気がつくと、ミクリにニコリと笑いかける。

 

 

 

「やあ、ミクリちゃん。明けましておめでとうございます」

「うん、おめでとう」

 ミクリは無表情で小さく頭を下げる。

 新年だろうがなんだろうが、彼女の表情に笑顔はない。

 

「……なかなか、忙しそうだな」

 ミクリが厨房全体を眺めながら言う。

「まあ、たまにはこういう日もあるよ。ところで、どうかしたの?」

「ああ……いや、な。ヒノモトには初詣なる、精霊に新年の祈りを捧げる行事があると聞いて、

 その案内を頼もうと思っていたのだが……」

「ああ……」

 ヒロが申し訳なさそうな声を出す。

 

 山頂銭湯に向かう為の道を登ると、すぐに小さな脇道がある。

 その脇道の先には、小さな広場と社があり、神事の際に用いられる事が多い場所であった。

 ミクリの言う通り、その社と広場にて、精霊に祈りを捧げる行事がある。

 あるのだが……今のヒロには、そこまで案内する余裕は全くなかった。

 

 

 

「ええ、ええ」

 背後からウメエの声が聞こえた。

 首だけで振り返ると、ウメエが頭の上で手をひらひらと振っている。

 

「お婆ちゃん?」

「ええよ。案内してあげなさい」

「でも重箱が……」

「今のうちにできる事は限られとる。本格的に忙しいのは夕方からの調理じゃ。

 それに、お客さんを持て成すのも仕事じゃ。せっかくだから、センダンも連れて行ってきい」

 ウメエはカラカラと笑ってみせた。

 留守番をしてくれた昨日といい、珍しく親切なものである。

 本当に良いのだろうかと少々申し訳ない気持ちにはなる。

 と同時に、何か裏があるのではないかという気持ちにもなる。

 

 ただ、ウメエの言う通り、ミクリを社まで案内する事も大切な仕事ではあるわけで……

 結局、ヒロは申し訳なさそうに眉を下げながら頷いた。

 

 

 

「分かった。それじゃあ行ってくるよ」

「おう。そうせい」

「昨日の留守番といい、ごめんね」

「構やぁせん。お前が来る前までは一人で厨房切り盛りしとったんじゃ」

 ヒロにそう告げたウメエは、ミクリの前まで歩いてきた。

 ミクリとは面識があり、単なる客ではないと知っているウメエは、皺だらけの大きな手を突き出し、ミクリの頭の上に軽く乗せる。

 

「あっ……」

「お嬢ちゃん、島の新年、楽しんできぃ」

「……そうさせてもらう」

 困惑した様子で頭上の手を見上げながら、ミクリは返事をする。

 その返事を受けて、ウメエは満足げに頷いた。

 それから、頭の上に乗せた手で親指を突きたて、今度はそれをヒロに向ける。

 

 

 

「社の前の広場にゃ出店も出とるじゃろうから、土産に甘いもんをどっさり買ってこい。

 もちろん、お前の奢りでな」

 

 案の定、である。

 思わず苦笑が零れるヒロであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第二十一話/新年初『良い事』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒロとセンダンは、ミクリを連れて徒歩で社へと向かった。

 山頂銭湯まで行くのならともかく、社ならば徒歩でも十分に行ける所である。

 

 外を吹く風は、いよいよ冬本番ともいえる鋭い冷たさを帯びていた。

 無論、寒い。

 しかし、その寒さをそれ程意識せずに、ヒロは雑談をかわしながら歩いた。

 普段よりも大分饒舌になっている、と自分でも分かる。

 寒さを意識しない事も、饒舌になるのも、やはり新年特有の気持ちの高揚によるものなのだろう。

 朝早くからの労働で体は疲れていたが、気持ちは充実していた。

 

 

 

「……それでは、初詣はヒノモト諸島のどこでも行われている行事なんだな」

「うん、そうね。他の島でもやっていたはずよ」

「ふむ……ロビンにはない行事だな」

「私も元々島の外で暮らしてたんだけれど、そうね、ロビン以外の都市でも聞いた事がないわ。

 やっぱりヒノモト特有の行事なんでしょうね」

 

 今は、センダンとミクリが初詣について話している。

 実は、学生時代のヒロは新年に帰省した事がない為に、初詣についてはそれ程詳しく知らない。

 一方、先程自ら説明した通り、センダンも元々は島の外の者であるのだが、

 それでもヒロよりは地元の風習には通じていて、この話題に関してはセンダンが中心になっていた。

 

 

 

 

 

「そだ。三社参りはどうしよっか?」

「三社参り……?」

 センダンの言葉に反応したのは、ヒロだった。

 

「あれ、ヒロ君は三社参り知らない?」

「ええ、恥ずかしながら」

「そっか。ふっふーん、ではセンダン先生が教えて進ぜよう」

 センダンが無駄に胸を張る。

 投げやりに拍手を送ると、彼女は両手を掲げて拍手を静めるような仕草をしてみせた。

 

 

「うむ、うむうむ! ありがとーう」

「はいはい……で、なんなんですか?」

「ま、簡単な事よ。その名の通り、新年に三つの社にお参りするのよ。

 確か居住地区側にも社が二つあったはずよ。

 そこまで行くとなると、さすがに馬車が必要にはなるわね」

 

「なぜ、わざわざ三つも参るのだ?」

 その問いを口にしたのはミクリだった。

「おおう、ミクリちゃんナイスクエスチョンよ! それにもちゃんと理由があるの」

「ふむ」

 ミクリは無表情でポケットからペンとメモ帳を取り出す。

 ペンを持つ手に一度息を吹きかけてから、彼女はセンダンを見た。

 

 

「準備オッケーね。んで、三社参りなんだけれど……これは、お参りする対象が違うのよ」

 センダンが指を三本突き立てながら説明をはじめる。

 

「一つは、先祖代々の精霊に。

 もう一つは、この土地の近辺の精霊に。

 そして最後の一つが、出身地の精霊に……ってね。

 ま、人によっちゃ重複する所もあるけれど」

「出身地の精霊に祈るのに、出身地ではない社で祈っても良いのか?」

 ペンを走らせながら、ミクリが問う。

 

「そこん所は私も気になっているのよね。でも答えはわからないんだ」

「ふむ」

「ま、どこで祈っても、気持ちは届くって事よ! 深く考えない、考えない!」

「センダンさん、随分あっさりと片付けましたけど、本当に気になってるんですか?」

 ヒロが突っ込みを入れる。

「むむうー、なになにヒロ君、なにか文句あるのー!?」

「あ、あたっ! 背中叩かないでください! 文句ありません!」

 

 気分を害したセンダンが、口を尖らせながらヒロの背中を平手で叩いてくる。

 それから逃れようと小走りになると、センダンは追いかけながらなおも叩いてきた。

 なんとも子供っぽいやり取りではあるとは思うのだが、痛いのだから逃げる他はない。

 

 

 

「……元気なものだ」

 そんな二人を眺めるミクリは、小さく肩を竦めながら呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 社の前の広場はなかなか賑わっていた。

 特に人が密集しているのは入り口付近である。

 そこでは、大きめのテントが設置されていて、豚汁が無料で振舞われていた。

 机椅子はない為に、お参りに来た者は、皆そのテントの付近で豚汁を食べながら雑談に興じているのである。

 そのテントから更に進んだ所にも、林檎飴や綿菓子といった軽食の出店が立ち並んでいる。

 ちょっとした祭りのような様相と賑わいなのであった。

 

 

「ねね。豚汁貰っていこうよ! こういうのって普通の豚汁よりも美味しい気がするのよね」

 センダンが耳をパタパタさせながら提案する。

 そう言われて、ヒロは急に空腹を自覚した。

 考えてみれば、今朝は余った食材を摘む程度にしか食べていなかった。

 

「ミクリちゃん、まだお腹空いてる?」

 ヒロがミクリに確認する。

「空いてはいないが、食べられるぞ」

「じゃあ、貰っていこっか」

「貰えるのか?」

「貰えるの」

「そうか」

 

 ミクリが頷いて返事をしたのを受けて、豚汁のテントへと向かった。

 豚汁を作っているのは観光地区婦人会で、殆どがヒロやセンダンと面識のある年配の女性であった。

 彼女達と新年の挨拶をかわしながら、豚汁を貰う。

 器は木製で、豚汁の暖かさは器越しに手へと伝わってきた。

 その暖かさに誘われるように豚汁をかき込むと、豚や野菜の暖かな旨みが口内に広がる。

 思わず、ほぅ、とため息が零れてしまった。

 センダンもうまいうまいと、ひたすらに同じ言葉を連呼している。

 ミクリは特に何も感想を述べはしなかったが、食はしっかりと進んでいた。

 

 

 

 

「あら、ヒロちゃん?」

 そこで、声を掛けられた。

 辺りを見回すと、同じく豚汁を食べている人の中にサヨコの姿を見つけた。

 

「やあ、サヨちゃん。あけましておめでとう」

「あけましておめでとうございます。

 あ、センダンさんとミクリちゃんも、おめでとうございます」

 センダンとミクリに気がついたサヨコは、続けて二人にも挨拶を交わす。

 

「ふが、ふがががも、もぐぐぐもが」

「センダンさん、食べてしまってから喋りましょうよ……」

「もぐも、ふがが」

 センダンも挨拶をするにはしたのだが、何と言っているのか分からない。

 彼女が大急ぎで咀嚼をしている間に、ミクリが少し前へ出てきた。

 

 

 

「サヨコ……だったか。私の事を、どうして覚えてくれているのだ?」

「どうしてって、ミクリちゃんだって私の名前、覚えてくれているじゃない」

「私は……いや、確かにそうかもしれんが……」

 ミクリが小さく首を捻る。

 どこか釈然としないようであった。

 

「ふふ、変な子。ミクリちゃん、今日も島に遊びに来ているのね」

「研究でな。今日は精霊に関する特別な行事もあるようだし、何か発見があるかもしれない」

「魔法の研究よね。精霊さんと魔法、関係があるの?」

「そこを調べている所なのだ。精霊が生み出すマナの力を考慮すれば、接点があるかもしれない」

「そうなんだ。凄い事を考えているのね」

「……そうだろうか?」

 ミクリが首を傾げる。

「凄いと思うわ。……そうだ。良かったら少し精霊さんのお話でもしない?」

「ふむ?」

 今度は反対方向に首を傾げて、大きくまばたきをした。

 

「単に精霊さんに関する事だったら、私も少しは詳しいんだ。ね、ヒロちゃん」

 サヨコから話を振られて、ヒロは頷く。

 彼女には、精霊と思わしき存在に助けられた過去がある。

 それから、独学で精霊について学んでいる……以前にそう聞いた事があった。

 

「……それでは、悪いが聞かせてもらえるだろうか?」

「うん。でも悪い事なんてないわ。友達だから当然じゃない」

「友達……?」

 ミクリは小さな声でサヨコの言葉を繰り返した。

 切れ長の目を、じっとサヨコに向ける。

 何かを考えているように見受けられた。

 

 

(……そういえばこの前『サヨちゃん達も、ミクリちゃんの事を友達だと思っているはず』って言ったな)

 ヒロは黙って二人を見守る。

 ヒロが考えていた通りの言葉をサヨコが口にしてくれたのは、嬉しかった。

 同時に、ミクリがどういう反応を示すのか、少し怖い気持ちもあった。

 

 だが……

 

 

 

 

 

「……うむ。そうだな」

 暫しの間の後、ミクリはそう返事を返した。

 それは間違いなく、否定の言葉ではない。

 だが、それでもなおミクリは笑ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ミクリとサヨコが話し込んでいるうちに、ヒロらは先に初詣を済ませる事にした。

 社の前まで向かう途中、両側に立ち並んでいる出店を一瞥すれば、料金表には相場よりも高い金額が記されている。

 祭りの出店とはそのようなものではあると理解はしているのだが、土産の事を考えると少々気が滅入った。

 

 

「どったのヒロ君、まだお腹空いてる?」

「あ、いえいえ。お婆ちゃんにお土産を頼まれていたもので……」

「そっか。じゃあ帰りに二人分買ってね」

「二人分?」

「ウメエさんと、私の分」

「却下します」

 センダンの提案をスッパリと切り落とす。

 だというのに、センダンは笑いながら悪態をついていた。

 

 ヒロもヒロで、彼女の軽口に突っ込むのにもいい加減慣れてきた。

 むしろ、それが自然にさえ感じつつある。

 今年の四月になれば、彼女と仕事をするようになって三年目に突入するのである。

 自然に感じるのも、当然の事かもしれない。

 

 

 

 

 

 社の前にやってきた。

 木製で全長一メートル程の、小さな作りである。

 社には扉が付いていて、中には空想上の精霊を模した木彫りの神体があるそうなのだが、ヒロは見た事はなかった。

 社の前には、同じく木製の年季が入った賽銭箱が置かれている。

 ここに賽銭を入れてから、精霊への感謝の気持ちを祈り、そして願掛けをするのがヒノモトのお参りの流れである。

 

 

「ところで、ヒロ君は何をお願いするの?」

「あ……っと……」

 そう言われてみれば、考えていなかった。

 この所、特に困ったり悩んだりしている事はない。

 強面の事は……どうしようもないので、対象外である。

 結局、良い答えはすぐに浮かび上がってこなかった。

 

 

「世界平和、とか」

「ふふん、悪い意味で期待を裏切らないわよね」

 センダンが鼻で笑い飛ばしてくる。

 手で口を覆いながら上半身を引いていて、なんとも悔しくなる仕草である。

「む、むう……良いじゃないですか」

「だって分かりやす過ぎよ。どうせ何も考えてなかったんでしょ」

「ぐう」

 ぐうの音が漏れた。

 

 

「それに、せっかくなんだから、自分の事をお願いしなさいよねー」

「それじゃ、センダンさんは何をお願いするつもりなんですか?」

「おぉう、よくぞ聞いてくれました!

 それはもちろん、今年一年楽しい事がありますように……ってね!」

 そう言いながら、センダンは指を勢い良く鳴らしてみせた。

「センダンさんこそ分かりやす過ぎです」

 ボケられたのか天然なのかは分からない。

 おそらくは、天然だろう。

 どちらにせよ、一応の突っ込みは入れた。

 

 

 

 それから二人して、社の前で頭を垂れて祈る。

 祈り終わって頭を上げると、先に頭を上げていたセンダンが、ヒロの顔を覗き込んでいた。

 

「なにか?」

「んっとさ」

 センダンが一度言葉を切る。

 

「今年も良い一年になると良いね」

「……そですね」

 二人は、歯を見せて笑い合った。

 顔の作りは違うのに、鏡写しのような笑みが、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 その後、ミクリも初詣を済ませて、三人は寄り道をせずに帰宅する事にした。

 時刻は正午が近づいていて、気持ち分ではあるが、気温が上がったような気はする。

 それでも吹き付ける風が冷たい事に変わりはなく、ヒロはコートのポケットに手を入れて歩いた。

 

 会話の最中に、ふと空を見上げる。

 その冷たい風に吹かれたマナが、ささやかに空を流れていた。

 ミクリは、精霊が生み出したこのマナに、魔法の秘密が隠されていると睨んでいる。

 その研究は容易なものではない。

 はたして、彼女の研究に答えが出る日は、くるのだろうか。

 彼女は、その日が来るまで研究を続けるのだろうか……。

 

 

 

 

「ねねね、ミクリちゃん!」

 思案に耽っている所に、センダンの明るい声が聞こえてきた。

 ととと、と小走りで二人よりも前に出てくると、後ろ歩きをしながらミクリに笑いかける。

 

「うん?」

「良かったね。今日は友達ができたじゃない!」

「サヨコの事?」

「そうそう。精霊の話で盛り上がってたじゃないの」

「あれは……研究も含んだ会話だったが」

「研究『も』って事は、単に友達としての会話でもあった、って事だよね」

 ヒロがミクリの横顔を見ながら会話に加わる。

 

 

「……まあ、そうだな」

「うんうん。よきかな、よきかな! そこの所、ヒロ君は友達少ないわよねえ」

「うるさいですよ、センダンさん」

 センダンを睨みつける。

 だが、今更ヒロの顔に怯むようなセンダンではない。

 

「いやー、だって事実……」

 センダンがなおも笑いながらヒロをからかおうとする。

 だが、その言葉は途中で途切れていった。

 

 センダンの視線がミクリに向いているのに気がつき、ヒロもまたミクリを見る。

 ミクリは微かに顔を伏せ、マフラーの中で冴えない顔つきをしていた。

 

 

 

 

 

「……ミクリちゃん」

 センダンの声が落ち着いたものになる。

「……うん?」

「友達ができるのは、嫌?」

「………」

 ミクリが顔を上げた。

 切れ長の瞳で、じっとセンダンを見つめている。

 普段通り無表情であるその瞳に、今はどこか憂いが混じっているような気がした。

 

「……嫌ではない」

 ミクリがいつも通りの落ち着いた声で返事をする。

「友達……ヒロやセンダン、サヨコと話すのは、嫌な気持ちではないよ」

「それにしちゃ、顔色が冴えないみたいだけれど」

「嫌ではない。が……そういう関係に浸る余裕がないのだ」

 ミクリの声は小さかった。

 

「魔法の研究が優先、って事?」

 ヒロが尋ねる。

「そうだ。なにせ、人類がまだ見つけていない魔法を再現するのだからな。

 時間はいくらあっても足りない」

「ちょっとくらい、息を抜いても良いんじゃないかな」

「……そうもいかない。両親の無念を、少しでも早く晴らしたいからな」

 

 

 

 

 ミクリの足が止まった。

 ヒロとセンダンも、同様に歩みを止める。

 

 少女の動きにつられたのではない。

 言葉に反応して、止まってしまった。

 

 ミクリは、首を上に傾けた。

 空を真っ直ぐに見上げながら、少女は言葉を続けた。

 

 

 

 

「……私の両親も、魔法省で働いていたのだよ。

 どの様な人だったのか、今ではもう殆ど覚えていない。

 私が五歳の頃に、二人とも事故死してしまったからな」

 

 少女は、淡々と言葉を綴る。

 普段通りの喋り方。

 でも、それはとても寂しい語り。

 合いの手を挟む事も、気休めの言葉を掛ける事もできない。

 それだけの孤独な雰囲気を、この十六歳の少女は醸し出していた。

 

 

「それから、ずっと孤児院で暮らしてきた」

「……マナ勉強堂のお爺さんは?」

「祖父と一緒に暮らしだしたのは、つい最近の事だよ。

 やはり、魔法の仕事は周囲から白眼視されていたらしく、両親は祖父から勘当されていた。

 そういうわけで、祖父が事故を知ったのも、私を見つけたのも、つい最近というわけだ」

「………」

「……両親の事で覚えているの一つだけ。

 二人とも、魔法の証明に情熱を注いでいたよ。

 だから、私はその両親の無念を晴らす為に、研究を続けている」

 

 ミクリが顔を下ろした。

 センダンの横をすり抜けて、前を歩く。

 風に吹かれて、髪がそっとなびく。

 その髪に引かれるように、ミクリは首だけで振り返ってみせた。

 

 

 

「……だから私には、暖かい関係に浸る余裕なんかないんだよ」

 

 少女は、とても寂しい瞳をしていた。

 吹き抜ける風は、妙に冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「へい、お疲れちゃーん!」

「お疲れ様です」

 センダンの威勢の良い声と、ヒロの威勢の良くない声が、夜のヒロの部屋に響く。

 続けて、二人が手にしたビール入りのグラスが、気持ちの良い金属音を立てて触れ合った。

 

 

「んぐ、んぐ、んぐっ……ぷはぁ~っ! 今日の一杯は、やっぱりうまいわあ」

「ぷふぅ。ええ、一年の中でも特に忙しい日ですからね」

「酒の肴が、重箱料理の余り物ってのも、今日だけの乙なものよねえ」

 センダンが頬に片手を当てて笑いながら、出汁巻き卵を摘んだ。

 ヒロも同調するように頷きながら、他の余り物を摘む。

 

 初詣の後は、今の今まで、夕食を食べる暇もなく働きどおしだった。

 それだけに、酒も肴も消費が早い。

 二人ともすぐにグラスを空にしてしまい、二杯目はじっくりと味わいながら、残る肴を摘んだ。

 だが、酔いが完全に回らないうちに、話しておきたい事がある。

 二杯目を半分程飲んだ所で、ヒロは口を開いた。

 

 

 

 

 

「……ねえ、センダンさん」

「うん、なぁに? ぐびり」

「ミクリちゃんの事なんですが……」

「ん」

 センダンがグラスを口から離した。

 居住まいを正す事はないものの、真剣に話を聞こうとしてくれているようである。

 

 

「あの子、笑いませんよね」

「うん、そうね」

「あれは、笑う余裕がない日々を送った結果、笑い方を忘れてしまったんじゃないかと思うんです」

「………」

 センダンはじっとヒロを見つめてくる。

 その視線に、話の先を求められている気がして、ヒロは話を続ける。

 

 

「両親の無念を晴らしたい一心で勉強して、五つも飛び級して、彼女は魔法省に入った」

「そういう事らしいわね」

「でも、本番はここからなんです」

「うん」

「彼女からしてみれば、本番を迎えた今こそ、確かに友達と笑う余裕なんかないんでしょう」

「……そうかもね」

 センダンが深く嘆息する。

 指先でグラスを弾いて弄びながら、何かを考え込むように、小さく縦に頭を揺らしている。

 

 

「お爺さん……マナ勉強堂の店主さんに引き取られたのも最近じゃあ、情操教育も受けられませんし。

 思えばあの喋り方も、魔法を志す者が安く見られないように、という意図があるのかもしれません」

「うん。それで?」

「それで、ええと……」

「結論は分かっているけれど」

 センダンが結論を求めながら、すぐさまヒロの言葉を遮った。

 アルコールで微かに顔を火照らせながら、人差し指を縦に突き立ててみせる。

 

 

 

 

 

「あのさ。良い事思いついたんだけれどもね。多分これがヒロ君の結論でもあると思うんだ」

「聞きましょう」

「うむ。では顔を寄せよ」

 センダンの言う通りに、彼女に顔を寄せる。

 別に内緒話にする必要はないのに、センダンは小さな声を出した。

 

 

 

「ミクリちゃんを、笑わせない?」

「……ふむ」

 ヒロが大きく頷く。

 センダンの推測通り、それこそが、彼女に提案したい話だった。

 

 

 

「笑えばなんでも良いわ。くだらない事やっても、馬鹿やっても、感動させても、面白がらせても。

 どうにかして、ミクリちゃんを魔法の呪縛から解き放ってあげたいの」

「………」

「もちろん、両親の想いを継ぐという事は尊敬できる事よ。

 でも、あの子はそれに囚われすぎている」

「苦しい戦いになりそうですね」

「でも、私達ならきっとできるわ」

 

 センダンが顔を離した。

 ぐっと親指を突き立て、自信ありげに笑ってみせる。

 不思議と、ヒロまで自信を掻き立てられる笑みだった。

 

 

 

「……新年の抱負が、一つできましたね」

「という事は?」

「ええ。僕から似たような事を提案するつもりですから。やりましょう」

「おぉう! そうこなくっちゃあ!」

 

 センダンの力強い言葉が、アルコールの回りだした脳に響く。

 さて……あの子は、どういう笑い方をするのだろうか。




普段は殆ど書かないのですが、今回はあとがきを。

ご存知の方もおられるとは思いますが、本作は現在、
アルファポリス様にて開催中のファンタジー小説大賞に参加しております。
そちらにて、皆様にご支持頂いております事、心の底から本当に感謝しております。

投票終了後、選考終了後に改めてご挨拶させて頂きたいとは思いますが、
ハーメルンにてご支持頂いていた皆様には、特に救われております。
その気持ちと、お礼をお伝えしたく、あとがきを書かせて頂きました。

皆様、いつもありがとうございます。
引き続き、少しでも穏やかな気持ちを感じて頂けるよう取り組んでまいりますので、
変わらずお引き立て頂ければなによりです。

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