燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

20 / 27
第二十話/オズマの女神

 この日のロビンの雑踏は相当たるものであった。

 西も東も中央も関係なく、全ての地区に人がひしめき合っているのだが、

 その中でも特に活気に満ちているのは商店周りである。

 店員は声高らかに商品をアピールし、それを受ける買い物客達も、楽しそうな表情で商品を物色している。

 

 それもそのはず。

 今日は、今年最後の日。

 沢山の事があった今年に別れを告げ、また沢山の事がある新年の準備をする為の、最後の日なのである。

 その為に商店が賑わうのは当然の事であったが、もう一ヶ所、ロビンでも特に賑わっている一帯がある。

 そして、ヒロとセンダンは、周囲の熱気に気圧されながら、その一帯を歩いているのであった。

 

 

 

 

 

「いやあ、凄いわ。皆盛り上がってるわね」

 センダンがきょろきょろと周囲を見回しながら呟く。

 二人が歩く剣術競技場の周囲では、剣術興行団のファンと思わしき集団が幾つもできていた。

 

 皆、声量を抑えようとせずに、今日の応援の段取りなり、意気込みなりを語り合っている。

 ここに突然放り込まれようものなら、耳を覆いたくなるような騒々しさではある。

 だが、今のヒロはそれを騒がしいとは思わない。

 むしろ同じように、心中に宿る熱気を吐き出したい気持ちでさえいる。

 それも、無理のない事なのだ。

 

 

「そりゃそうですよ。今日の最終戦で、ロビンが優勝するかもしれないんですから」

「その上、オズマさんから招待されちゃ、行かないわけにはいかないわよね。

 ……この忙しい時期にお店をお願いしたウメエさんとダイゴローさんには申し訳ないけれど」

 センダンが珍しく声を曇らせる。

 実際申し訳ないと思っているのだろうし、宿の仕事を生きがいにしている彼女にとっては、

 知人の応援という事情があるとはいえ、掻き入れ時の休日には抵抗があるのだろう。

 

「この所休みの日も少なかったから気にするな、って言ってくれてましたし、あまり気にしないようにしましょう。

 その分、お土産買って行きましょうよ」

「……うん、そうだね。今日はロビンの応援に集中しよっか!」

 彼女の声は、すぐに明るくなった。

 

 

 

 

 話も落ち着いた所で、二人は観客用入口を迂回して、裏にある関係者用エリアに向かう。

 オズマから関係者用パスを貰っており、試合前の面会を求められていた為である。

 この付近にいる者は、ガードマンやマスコミ関係者、それに選手と思われる体格の良い男が主だった。

 皆、仕事でこの場にいる。

 それだけに、観客側とは一転してピリピリとした空気が漂っているのを、ヒロは感じ取った。

 だが、前を行くセンダンは、相変わらずのあっけらかんとした様子で、軽い足取りで関係者用入口に入ろうとしていた。

 

 

「ああ、駄目だよ。お客さんは向こう」

 当然、付近にいたガードマンがセンダンの前に立ちはだかる。

 この大一番に乗じて、不法な侵入を試みる者もいるのだろうか。

 ガードマンの声は荒く、特に張り詰めているように感じられた。

 

「そっか。パス出すの忘れてたわ。ヒロ君ー」

「はいはい。えっと、これパスです」

 小走りでセンダンに追いつき、パスを提示する。

「……これ、本物?」

 だが、ガードマンはいぶかしむようにパスとヒロらを交互に見るだけで、まだ二人を通そうとはしてくれない。

「本物ですよ。オズマさんから貰ったんです」

「君達オズマさんの家族?」

「いえ、ただの知り合いですが……」

「本当にオズマさんから貰ったの?」

 どうにも、第一印象が良くなかったようである。

 面倒な事になりそうだ、とヒロは口の中で嘆息する。

 

 ……さわやかな声が聞こえてきたのは、その時であった。

 

 

 

 

 

「その二人は本当にオズマからパスを貰っているよ」

 

 声の主は、関係者用入口の奥にいた。

 オズマ並に体格が良く、薄水色の綺麗な長髪をした男である。

 おそらくは、選手なのだろう。

 どこかで見たような気はするが、ヒロは思い出せなかった。

 

「ペレイラさん!」

 ガードマンは居住まいを正し、その男に一礼する。

 そう言われれば、そのような名前の選手がいたような気がした。

 

「オズマから、強面の青年と狐亜人の女性を招待した、と聞いていてね。

 多分、その二人の事だろう」

「そうですか。ペレイラさんがそう言われるのであれば」

 そう言うと、ガードマンは素直に体を横にどかした。

 奥では、ペレイラが笑顔でヒロらに向かって手招きしている。

 二人は、招かれるがままにペレイラの前まで進んだ。

 

 

 

「どうも、ありがとうございます」

「気にする事はない。事実を証明しただけだよ」

 ヒロが礼を言うと、ペレイラは小さく手を横に振った。

 体格だけでなく、雰囲気にも大人の貫禄がある男だった。

 

「ペレイラさん……と呼ばれてましたよね。

 ペレイラさんは、オズマさんのお知り合いなんですか?」

 センダンが疑問を口にする。

 それはヒロも気になる所だった。

「うん。実はオズマとは同期でね」

「そうだったんですか。ごめんなさい、私達剣術興行はあまり詳しくなくて、知りませんでした……」

「いやいや、詳しくないのならしょうがないさ」

 ペレイラはまた手を横に振る。

「それに同期と言っても……」

「おい、ペレイラ!!」

 ペレイラの言葉は、大声にかき消された。

 今度は、聞き覚えのある声である。

 横に広がる通路の右側を見ると、そこにはオズマの姿があった。

 

 

 

「……ここまでにしておこう。優勝決定戦前に敵味方が雑談するのも考えものだ」

 ペレイラは苦笑交じりでそう呟いた。

 それから、オズマやヒロらに目礼をすると、オズマとは反対側の方の通路へと駆けていった。

 そこは、今日の対戦相手であるゼダ剣術興行団員用のエリアに通じる通路だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第二十話/オズマの女神

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 関係者用入り口の先では、表以上に人々が慌しく動いていた。

 特に選手達の忙しさと緊張感は相当たるもので、声を掛けるのも躊躇われるような雰囲気を醸し出している。

 しかしながら、マスコミ関係者の胆も座っており、そんな選手達に次々に食らいついてはコメントを求めている。

 そんな異様な雰囲気に満ちた通路のど真ん中を、オズマは堂々と闊歩した。

 彼もまた時折マスコミから声を掛けられるのだが、サラリと笑顔で「後でな」と返す。

 そんなオズマに連れられ、ヒロらは前回同様に食堂へと足を踏み入れた。

 

 

 

「あいつとは、同期なんだ」

 他に客のいない食堂で、どっしりと腰を下ろしたオズマは、まずそう切り出した。

 

「あ、ペレイラさんからも聞きましたよ。同期の選手、まだいるんですね」

 センダンがそう言う。

「もう、俺とペレイラの二人だけだけれどな。

 エース候補として期待されながら入団したあいつと、お情けで入団させてもらった俺。

 なんとも対照的な二人だけが残っちまったもんだ」

「でも、ペレイラさんは他所に移ったんですね」

「移ったというか、移された、だな。トレードだ」

 そう言うオズマの声色は暗くはない。

 むしろ、どこか当時を懐かしむような穏やかさがある。

 

 

「あれは入団五年目だったか……俺もあいつも、お前達くらいの歳の頃だな。

 俺はともかく、ペレイラはその頃には、もうバリバリのエースとして戦ってたんだ。

 それに目をつけたのが、盟主のゼダさんだ」

「首都ゼダの興行団ですよね?」

「そうそう。今日の対戦相手でもある所だ。

 いつもスター選手を抱えているチームなんだが、当時はちょうど谷間の時期でな。

 で、若く将来有望、その上甘いマスクで人気もあるペレイラに移籍を持ちかけたんだよ」

 そこまで語った所で、店員の女性が注文を取りに来た。

 オズマが「ちょっと席を借りているだけだ」と返事をすると、

 女性はオズマに激励の言葉を掛けて、奥へと戻っていった。

 

 

「で……どこまで話したっけ?」

「ペレイラさんに移籍の話が来た、という所までですよ」

 センダンが返事をする。

「そうだそうだ。一方のウチ、ロビンは貧乏興行団でな。

 この先更に成績を伸ばし、年俸高騰が確実だったペレイラを長く抱えられない事情もあった。

 んで、ゼダの移籍話を受けて、ペレイラは金銭トレードされたってわけだよ。

 ま、貧乏興行団ならどこでもある話だ。ビジネス、ビジネス」

「そっか。期待されてたんですね、ペレイラさん」

「そうだな。移籍後も期待に応え続けて、三十六歳になる今年でもゼダのエースなんだから大したもんだ。

 ゼダどころか、剣術界全体の大エースだよ。ちくしょうめ」

 オズマが悪態を付いてみせる。

 だが、どこか嬉しそうな悪態だった。

 

 

 

「ところでオズマさん、この後は優勝決定戦なのに、のんびりしていて良いんですか?

 他の選手さんは誰も休んでいないみたいですけれど……」

 ヒロが、ここに来てずっと気になっていた事を尋ねる。

「ああ。今更ジタバタしてもしょうがあるめえ。リラックスして挑むのも一つの調整だよ」

「さすがベテラン、落ち着いてますね」

「開き直り、とも言えるな」

 オズマは苦笑する。

 

「なんとか今日のスコア次第で、ゼダを逆転できる所までは漕ぎ着けた。

 だが、ウチは今日の相手のゼダとは相性が悪いんだよ。

 その上、俺なんかを起用せにゃならん状態ときたもんだからな」

「あ、という事はやっぱりオズマさん、今日は出るんですね!?」

 センダンが身を乗り出して、嬉しそうな声を出す。

 

「おうよ。連戦で主力が皆疲れきっててな。

 ま、それでも主力は主力だ。

 本来はそれだけで、この大一番に俺が起用される事はない。

 だがな……」

 オズマも同じように身を乗り出した。

 ヒロとセンダンの顔を交互に見ると、内緒話でも打ち明けるかのように声を潜める。

 

 

「ここにペレイラが絡むんだ。

 あいつもウチには滅法強いんだが、どうした事か、俺とは相性が悪いんだよ。

 俺の泥臭い戦い方に、うまく噛み合っていないんだろうな。過去の成績は五十勝五十敗のイーブンだ。

 イーブンとはいえ、三十戦以上戦った他の相手には全員勝ち越しているんだから、こりゃもう苦手も良い所よ」

「という事は……」

「おう。今日もペレイラキラーとしての起用予定だ。

 多分、十戦目の一番ポイントがでかい所で出る事になるな」

「すっごーい! かっこいい!」

 センダンが目を輝かせて小さく拍手をする。

「それなら、オズマさんの試合結果で優勝が決まるかもしれませんね」

 ヒロも同意するように頷きながらそう言った。

 

 

「いやいやいや、そう持ち上げてくれるなって。

 戦略上そうなっただけだよ。俺は相変わらずのロートルだ」

 オズマはまた背中を背もたれに預けながら笑ってみせる。

 だが、彼の目は大きく見開かれていた。

 瞳は爛々と輝いている。

 この一戦に燃えているのが、それだけで伝わってきた。

 

 

 

「センダンさん、試合前にあまり長々とお邪魔するわけにもいきませんから、そろそろ」

「あ、そうね。行きましょうか」

 ヒロがそう持ちかけると、センダンは素直に頷いた。

 

「それじゃあ、私達はそろそろ客席に行きますね」

「関係者用席まで抑えて下さってありがとうございます」

「いやいや、いいって事よ。俺の嫁と娘もいるから、宜しくな」

 オズマの言葉に頷いて返事をすると、二人は立ち上がる。

 

「それじゃあ、応援よろしくな! 熱烈な奴を頼むぜ!」

 大一番を控えた剣士は、親指を突きたてて二人を送り出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 関係者用席はなかなかの作りだった。

 観客席の真上にせり出すようにして作られている席で、完全な個室となっている為に、リラックスして観戦する事が出来る。

 その部屋が競技場を囲うように幾つも備わっていて、ヒロ達にあてがわれたのは、その中の一室である四人用の部屋だった。

 床には、チームカラーである青の鮮やかなカーペットが敷かれていて、その上には質の良さそうな木製の椅子とテーブルが備えられていた。

 壁こそ石造りなのだが、むしろ洗練された印象を受ける空間である。

 

 

 

「あら、お久しぶりです」

 先に部屋に入っていたオズマの妻、サリー・ダッタンは、柔らかな物腰で声を掛けてくれた。

 彼女とは竜討祭の時に面識があったのだが、あの時は何かとオズマが窓口になっていて、彼女とは殆ど話す機会がなかった。

 奔放なオズマとは対照的な印象の女性だが、こういう人だからこそ、オズマを支えられるのかもしれない、とヒロは思う。

 

「どうも、ご無沙汰しています」

「お久しぶりですー!」

 ヒロとセンダンが返事をする。

 早速センダンが先程オズマと会ってきた事を報告しはじめたので、ヒロは荷物を部屋の隅に纏めようとする。

 そこで、部屋にもう一人少女がいるのに気が付いた。

 

 

 

「あっと……メイちゃん、だっけ?」

 ヒロが声を掛けると、オズマの娘であるメイ・ダッタンは頷く事で返事をした。

 だが、言葉は発さずに、すぐに俯いてヒロから視線を逸らしてしまう。

 

(これは、もしかするとまた怖がらせたかな……)

 思わずよぎる嫌な予感に、ヒロは表情を微かに曇らせる。

 とはいえ、ダッタン一家が海桶屋に泊まりに来た時には、怖がられた記憶はなかった。

「メイ、ちゃんと挨拶なさい」

 サリーが穏やかな、しかし芯の通った声でサリーに注意する。

 母から注意された事で、サリーはようやく小声で挨拶してくれたが、やはり視線は逸らされたままだった。

 

「ごめんなさい。普段はこんな事ないのに、今日はずっと拗ねていて」

 サリーがヒロに頭を下げる。

 とりあえず、ヒロの顔のせいではないようだった。

 

「あ、いえいえ、全然大丈夫です。でも、なんで……」

「今日の試合を観に来たくなかったようなんです」

「え? 優勝がかかった試合なのに?」

 サリーの言葉に反応したのはセンダンだった。

 小走りでメイに近づき、真正面に立って顔を覗き込もうとする。

 

 

 

「ねねね、メイちゃん、なんで?」

「………」

 メイはなおも顔を逸らそうとする。

 だが、センダンの視線はそれを追いかけた。

「メイちゃん、私に教えてくれないかな……?」

「……だって」

 根負けしたメイが小さな声を捻り出す。

 

「だって?」

「パパが試合に出ると言っても、必ず勝つわけじゃないんだもん」

「……それは、そうね」

 センダンが頷く。

 意表をつかれたようで、やや気の抜けた声だった。

 

 ヒロとしても、メイの言葉は寝耳に水である。

 仮にペレイラと戦う事になっても、勝率は五割。二回に一度は負ける。

 言うまでもなく、当り前の事ではある。

 だが、それを意識する事は殆どなかった。

 優勝がかかった熱気に当てられて、勝つ事ばかりを考えていたのかもしれない。

 

 

 

「それに、もしもパパのせいで優勝できなかったら、パパがかわいそうだよ……」

「うむむ。確かにその気持ちは分からなくもないわ」

「せ、センダンさん、元気付けてあげないと!」

 メイの言葉に呑まれてしまうセンダンを慌てて嗜める。

 しかし、そう言いながらも、自分でもどう元気付けたものかは分からない。

 さて、どうしたものだろうか。

 突然の難問に、ヒロが側頭部をぽりぽりと掻いた時であった。

 

 

 

 

 

『御来場のお客様、本日はロビン剣術興行団対ゼダ剣術興行団の試合にお越し頂き、誠にありがとうございます。

 なお、本日の試合は今シーズン最終戦となります。皆様、心ゆくまで試合をお楽しみ下さいませ』

 

 

 

 

 

 拡声器から、女性アナウンサーの試合開始を告げる声が聞こえてきた。

 その声に背中を押されるように、メイを含む全員が部屋の奥にある席に着く。

 席の向かい側の壁はガラス張りになっていて、フィールドは当然の事、向かいの観客席の様子も見る事ができた。

 観客席からは、声の塊がうねったような歓声が聞こえてくる。

 その塊からは、強い熱気が感じられる。

 これから始まるかもしれない世紀の瞬間に、ホームであるロビンのファンは燃え上がっていた。

 

 

 

 そして、このような特別な日でもショーパートは開催された。

 肝心の点取り試合を待ち望む客にはじれったい時間になるのではないか、とヒロは思っていたが、そのような事はなかった。

 ショーパートの参加選手も、今日の試合が特別である事は重々理解しているようで、その動きからは張り詰めた緊張感が伝わってくる。

 ファンもその演舞に応えて熱烈な声援を送り、結果としてショーパートは、会場の熱気を高めるのにちょうど良いウォームアップとなった。

 

 それから休憩を挟んで、いよいよ点取り試合である。

 追う側であるロビンにとっては、緒戦から一試合たりとも落としたくはない。

 勝負を分けるのは、最終的な勝敗数ではなく、ポイント数なのである。

 

 現時点のシーズン総合得点では、ゼダがロビンを10ポイント上回っていた。

 一方、この試合で両チームが得られる得点の総数は55。

 最低でも、九試合目までのポイントをイーブン以上とした上で、10ポイントがかかる十試合目に繋がなくてはならない。

 10ポイント差は、小さいようで、その実大きな差であった。

 

 

「メイちゃん、始まったよ。こうなったらもう応援しよう!?」

「はい……」

 メイは一応は頷く。

 だが、その声に力はない。

 そんなメイの消沈振りとは対照的に、華々しいファンファーレと共に選手が入場する。

 先頭から順に第一試合の出場者となっていて……そして、ロビンの監督の采配は的中した。

 ロビン側の最後尾、すなわち十戦目の選手はオズマ。

 一方のゼダ側は、ペレイラなのである。

 無論、ファンもその相性の事は重々承知している。

 オズマとペレイラが同列で入場する様子に、観客席は大いに沸き立った。

 

 

 

 

 

 ……試合が始まった。

 

 対戦成績では分が悪いゼダが相手とあって、苦戦が予想されていたのだが、勝負とは蓋を開けるまでは分からないものだった。

 というのも、一戦目、二戦目、そして三戦目と、ロビン側の選手が三連勝を挙げてしまったのである。

 

 総獲得ポイントは6で、まだゼダには4ポイントの差をつけられている。

 だが、流れは確実にロビンに来ている。

 一試合毎に観客達の歓声は大きくなり、どよめきさえも聞こえるようになった。

 本当に、掴むかもしれないのである。

 二十年以上優勝していないロビンが、久々の優勝を掴むのかもしれないのである。

 

 その空気は、関係者用席にも出来上がっていた。

 特にセンダンは一勝する毎に、サリーとメイの肩を叩いてはしゃいでいる。

 このままオズマの出番が来る前に優勝を決めてしまえば、メイとしても悩みは払拭される。

 メイの表情にも、少しずつ活気が戻りだした。 

 

 

 

 だが、やはりそう簡単にはいかなかった。

 それからは逆に、四戦目から七戦目、計四試合をゼダが取り返してしまったのである。

 

 特に七戦目は圧倒的であった。

 ロビンは、オズマ以外は実力者から順に後半へと回した。

 すなわち、ロビン七戦目の選手は、チームNo.3という事になる。

 

 それに対して、ゼダはチームNo.2の選手を当ててきた。

 六戦目にはNo.3、五戦目にはNo.4……

 すなわち、ペレイラ以外の有力選手を中盤に固めてきたのである。

 常に格上の選手を相手にする事となったロビンは、敗戦を積み重ねる結果となった。

 

 結果、ここまでのポイントはロビンが6、ゼダが22。

 16ポイント差をつけられており、元々の差である10ポイントを加えれば26ポイント差となる。

 そして、今日の試合で得られる残りのポイント数は27。

 ロビンに残された道は、三連勝のみだった。

 

 

 

 

 だが、ロビン応援団の声援は止まない。

 まだ、ロビンには優勝の可能性が残されている。

 絶望的な可能性かもしれないが、残されている。

 皆、それを信じて一心に声援を送っていた。

 その声援に後押しされるように、まずは八戦目をロビンが制する。

 

 そして――

 

 

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 それは、決して容易い試合ではなかった。

 しかし、最後にはロビン剣術興行団のエース、チョーの模擬刀の切っ先が相手の胴を捉えた。

 チョーの雄叫びがフィールドに響き渡る。

 それを掻き消すように、観客席は熱気の坩堝と化した。

 

 

「やった、チョーが決めた! 繋いだ!」

「あと一つだ。あと一つで優勝だ!!」

「オズマー! うぉーっ、オズマーっ!!」

 

 歓声は濁流のように競技場の中を駆け回る。

 当然ながら、それは関係者用席にまで届いている。

 メイの顔色は、もう見るのも気の毒なほどに青く染まっていた。

 

 

 

 

「メイちゃん」

 センダンが声を掛ける。

 メイは目尻に涙を溜めながら、ゆっくりとセンダンの方を見た。

「センダンさん、ど、どうしよう……」

「応援するのよ」

 センダンがメイの両手を掴みながら言う。

 真剣な表情で、真っ直ぐにメイを見つめる。

 観客席のテンションとは対照的に、彼女の声は落ち着き払っていた。

 

 

「で、でも……」

「もちろん、勝つか負けるかは分からないわ。

 でも、勝ち負けと同じくらい大切なことがある。

 ……この一試合は、オズマさんの二十年間の集大成になるわ」

「あ……」

 メイが息を呑む。

 

「だから、見届けてあげないと。

 貴方と、貴方のお母さんが」

「………」

 

 メイはまだすぐに返事ができない。

 だが、彼女の瞳にはほのかに光が差している。

 目尻に溜まった涙は、零れる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――観客席のように、興奮を明確に示している者は、フィールド内にはいない。

 フィールド内ではプレイヤー以外の私語が禁止されているからであり、これまで試合に出た選手は、壁際で身動ぎ一つせずに直立していた。

 だが、興奮を外に出そうとしないだけであり、選手達は皆、強い胸の高鳴りと共にフィールド中央を見守っている。

 そこには、優勝の行方を決める二人の男が立っている。

 そのうちの一人、オズマ・ダッタンは、自分でも不思議なほどにリラックスができていた。

 

 

 

「よう」

「ああ」

 オズマとペレイラが短く声を掛け合う。

 

 近年ではオズマの出番が減少している為に、剣を交えあうのは随分と久しぶりだった。

 昔は、よくオズマが軽口を叩き、ペレイラがそれに呆れながら試合を始めていたものである。

 それは、一体何年前の事だろうか。

 そのような事を思い出そうとした所で、今はそれどころではない事に気がついたオズマは、口の中で苦笑した。

 

 

(長かったなあ、二十年間。なあ、ペレイラよ)

 

 対峙する男の目を睨み付けながら、心中で語りかける。

 ゆったりとした動きで剣を構える。

 ペレイラも同様に剣を下段に構えた。

 これまで幾度となく見てきた、隙のない綺麗なフォームである。

 

 

 

 

 

「はじめっ!」

 審判の低い声が炸裂した。

 同時に、オズマは足を前に踏み出す。

 二十代後半に差し掛かった頃から、オズマは技術よりも勢いで相手を押し切るケースが増えていた。

 いなされてしまえば呆気なく負けてしまうのだが、その術を持たない若い選手や、

 ペレイラのように理詰めで戦う選手の理を強引に押し破るには、有効な戦術である。

 

 だが……

 

 

 

「はあああっ!!」

「うへっ?」

 

 

 オズマが剣を振るうよりも先に、ペレイラの剣が閃いた。

 攻勢に出ようとしたオズマは、慌ててペレイラの剣を捌く。

 

 下段四連続の、オーソドックスではあるが、それだけに素早い連撃。

 一つ一つを捌きながら、この一セットでは終わらないと直感する。

 その直感は的中しており、ペレイラの剣は上段、中段、下段の三連撃へと移行してきた。

 なおも捌くオズマ。

 更に二セット目の三連撃を繰り出すペレイラ。

 自力は圧倒的にペレイラの方が高い。

 防戦となれば、オズマの形成は一気に不利となる。

 

 すなわち……

 

 

「貰ったぞ、オズマッ!!」

「むぐっ!?」

 ペレイラの剣が、とうとうオズマの剣を潜り抜けた。

 渾身の一撃が、オズマの胸当てを突いてしまう。

 見事という他ない、綺麗な一本である。

 

「ペレイラーっ!!」

「あと一つだ、ペレイラー!」

 観客席の一角に陣取ったゼダのファンが喝采した。

 王者ゼダにはファンが多く、アウェイの試合でも比較的多くのファンが応援に駆けつけている。

 その上、今日はゼダ側にとっても優勝がかかった試合なのである。

 数こそ少ないものの、ロビン側に負けない迫力の篭った声援だった。

 

 

 

 

 

(おお、いてて……普段は押し切っている所を、逆に同じ手で攻められちまった。

 しっかり対策されていたって事かよ……)

 胸当て越しでも、衝撃はしっかりと伝わっている。

 オズマは胸当ての隙間に手を入れて、打たれた所を軽く撫でながら規定の位置に戻る。

 

 この一本は、非常に苦しい。

 

 もうオズマに残されているのは、二本を連取する事のみである。

 自力で劣るのであれば、相手の隙を突かなくては勝てない。

 オズマとて、その為の引き出しに持ち合わせはある。

 うまくすれば、一本は取れるだろう。

 だが、二本目は困難である。

 

 相手はペレイラである。

 互いの技量を知り尽くしている、最大の難敵なのである。

 

 さて、どうしたものか……

 

 

 

 

「オズマーっ!!!」

 ふと、名前を呼ばれた。

 顔を上げるのと同時に、それが観客席から聞こえてくる声だと気がつく。

 

「オズマ、あと二つだ! あと二つで優勝なんだ!」

「お前ならペレイラに勝てる!」

「信じてるぞ、オズマーっ!!」

 

 なおも歓声が飛び交う。

 聞こえてくるのは、全てオズマを応援する声だった。

 誰一人として、この苦境を嘆き、野次る者はいなかった。

 観客達の気持ちは、一つになっていたのである。

 

 

 

(……! そうだよな。すまねえ皆。俺が諦めてどうするのよ……!)

 オズマの胸が強く高鳴る。

 

 この高鳴りは、過去にも経験した事があった。

 二十年も前の事なのに、あの試合だけは未だに鮮明に記憶している。

 ルーキーイヤーの冬、初めて抜き勝負に出場した時の事だ。

 周りは皆、年長の剣士ばかり。

 気後れするオズマの背中を押してくれたのは、ファンの声援だった。

 いや、二十年前だけではない。

 強く意識したのが二十年前というだけで、この声援は二十年間、ずっとオズマを支えていてくれたのだ。

 

 

 

 

 

 再び二人が対峙し、二セット目が始まる。

 二セット目も、やはり開始と同時にペレイラが踏み込んでくる。

 だが、さすがにこれは想定済みだった。

 

「くぬぁぁぁぁっ!!」

 オズマは、守らない。

 逆に足を前へ踏み出す。

 オズマは、打ち込まない。

 躍り出た身体を、地面の上で転がす。

 

 

「!?」

「とっておきで、勝負だっ!」

 オズマの身体がペレイラの前で転がったと思いきや、次の瞬間にはそこから剣が鋭く突き出された。

 華麗にそれを捌くペレイラだが、オズマの身体はすぐに真横へと転がる。

 そこから、また剣が突き出される。

 

 捌く。

 転がる。

 突き出す。

 捌く。

 転がる。

 突き出す。

 

 一撃一撃は、決して重いものではない。

 しかし、トリッキーなオズマの動きは、ペレイラをもってしても捉えるのは困難であった。

 

「これは……!」

「秘剣、八卦っ!!」

 オズマが吼える。

 剣が風を切り裂き、閃く。

 そして……とうとう、オズマの一撃はペレイラのグリーブを捉えた。

 鈍い金属音が響き、審判がオズマの一本を宣告する。

 

 

 

「オズマ……!」

「へへっ、俺らしい一本だろ?」

 

 八卦は、これまで一度も使った事がない技だった。

 それもそのはず、この技を作り上げたのはつい先月の事なのである。

 この歳にして初めての技を見せられ、ペレイラは絶句する。

 そんな彼に、なんとか口の端だけで笑いかけながら、オズマは立ち上がった。

 技による消耗は激しく、無駄なリアクションを取れる程の体力は、オズマには残っていなかった。

 

 それから、二人はまたフィールドの中央へと足を進める。

 シャワーのように降り注ぐ歓声は、もはやどちらに向けられたものと判別する事も困難だった。

 身体も、心も、歓声も凄まじく熱い。

 ささやかに吹いている冬の風だけが冷たく、この熱狂の中においては心地良い冷たさだった。

 

 

 

 

 

「はじめっ!」

 審判はやや緊張した様子で、高い声で三本目の開始を告げた。

 

 いよいよ、正真正銘、最後の一本である。

 前二本とは違い、どちらも踏み込もうとはしない。

 ペレイラは、相手を警戒しての事だろう。

 だが、オズマは違う。

 もうオズマの引き出しには、ペレイラに通用する戦術は一つも残っていない。

 

 

 

「……これで終わりだ、オズマ!」

 

 睨み合っていたのは、せいぜい五秒という所だっただろう。

 先に仕掛けてきたのは、ペレイラである。

 

 基本に立ち返った、下段の四連撃。

 残る気力と体力を振り絞り、オズマはそれを丁寧に払う。

 だが、一度動き出したペレイラの剣は止まらない。

 

 下段、中段、上段の三連撃にシフト。

 一セット目と同じ組み合わせの攻撃である。

 それが分かっていても、ペレイラの剣を防ぐのは容易ではない。

 どこからでも変化をつける事が可能で、それでいてその変化は素早く、重い。

 技術、力、速さ。

 全てにおいてオズマを上回るペレイラにシンプルに攻められるのは、実の所、相当な苦境であった。

 

 

 

(強ええ……やっぱ強ええぜ、お前。何も勝てる所がねえ……)

 

 オズマは全神経を集中させて一撃一撃を捌く。

 とはいえ、それもいつか終わりが来る。

 気持ち悪い位に汗が迸る。

 剣を握る手から、少しずつ握力が落ちる。

 オズマの身体が、フィールドの隅まで押し込まれる。

 

 ……声が聞こえたのは、その瞬間だった。

 

 

 

 

 

「貴方!!」

「パパ、頑張って!!」

 

「!!」

 

 

 オズマが刮目する。

 全身を電流のような衝撃が走る。

 なぜだろうか。

 人の声が判別できない程の喧騒に包まれた競技場にて、その二人の声は、はっきりとオズマの耳に届いていた。

 

 

 

 

 

「ペレイラぁ!!」

「来ると思っていたぞ、オズマ!!」

 

 剣士達が、咆哮した。

 

 

 

 

 

 ――ペレイラの上段を、オズマが勢い良く跳ね上げる。

 その流れで打ち込むオズマだが、ペレイラは跳ね上げられた剣でそれを押さえ込みにかかる。

 だが、それに構わずオズマは強引に剣を突き出す。

 

 

(そうだよ、ペレイラ。俺には、お前に勝るものはねえ……)

 

 

 ペレイラが半歩後退する。

 オズマの剣と身体は、それを追いかけた。

 だが、身体が伸びきった分、動きが大きくなり過ぎている。

 

 

(でも、それは剣術においてだ! 剣術以外なら……)

 

 

 また、ペレイラの剣がオズマの剣を叩いた。

 今度こそ押さえ込まれ、逆にペレイラの剣はオズマの眼前に迫る。

 チェック・メイト。

 皆が、息を呑んだ――

 

 

 

 

 

「悪りぃな、ペレイラ!! 俺には勝利の女神が二人もいるんだよ!!」

 オズマの身体が反転した。

 

 同時に伸びきったペレイラの剣圧が、オズマの頬を微かに撫でる。

 当たってはいない。

 剣を、繰り出せる……!

 

「おおおおおおおおおおおっ!!」

 反転した勢いのままに、オズマが剣を横に薙ぐ。

 ペレイラは、突き出した身体を必死にバックステップで戻そうとする。

 しかし……

 その前に、オズマの剣はペレイラの胸当てを捉えた。

 

 

 

 

 

「い、一本! 勝負あり! 勝者、オズマ・ダッタン!」

 審判が、声を裏返しながら、オズマの勝利を告げた。

 勝者、オズマ・ダッタン。

 10ポイントの獲得。

 すなわち……ロビン剣術興行団の優勝が決まった瞬間である。

 

 だが、不思議な事に誰も反応しない。

 選手も、観客も、二人の剣士も。

 

 たった今まで熱狂していた競技場に、水を打ったような静けさが訪れる。

 試合は完全にペレイラの優勢だった。

 ペレイラが勝つと思っていた者も、オズマが勝つと思っていた者も、そこの認識に違いはない。

 それだけに、この結果を理解するのに間ができてしまっていた。

 

 ただ、それはほんの僅かな時間の事ではある。

 

 

 

 

 

「……はは。勝っちゃったよ、おい」

 オズマが、ひょうきんな表情で呟いた。

 

 それが合図となったかのように、歓声が沸き起こった。

 一瞬できた間を取り返そうとする、大歓声だ。

 オズマが片手を挙げてそれに応える。

 20年分の歓声は、まだ止まない。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。