燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

18 / 27
第十八話/蜜柑と少女

「うー寒い……」

「だから、もっと厚着した方が良いって言ったんですよ」

 

 冬も近づく十一月の正午過ぎ。

 木枯らしの冷たい兄花島観光地区に、今日も海桶屋の二人の声が響く。

 この日、ヒロとセンダンは、観光地区の裏手に位置しているギルドへと向かっていた。

 

 

 

「だってだってえ。まだ十一月なんだよ? こんなに寒いとは……」

 センダンが腕を交差させて、自身の両肩を掴みながら呟く。

 この日のセンダンは、深緑色を基調としたヒノモト衣装しか纏っていなかった。

 ヒノモト文化は、衣服の着心地については少々荒い所がある。

 というのも、夏は薄着、冬は重ね着で凌ぐというのが基本的な考え方で、

 衣服自体に特別な工夫が施してあるわけではない。

 すなわち、この日のセンダンは寒くて当然なのである。

 

 

「むう……」

 センダンが、隣を歩くヒロをちらと見る。

 ヒロは、普段着の上にコートを纏っていた。

 ヒノモトとは何の関係もないコーデだが、暖かく着心地も良い。

 

「……どうしました?」

「ねえヒロ君、良い事思いついたんだけれど……」

「コートは貸しませんよ」

「ぶうー!」

 センダンが口を尖らせるが、なだめる気さえ起きなかった。

 

「そもそもセンダンさん、狐亜人でしょう?

 狐って、寒さに強いものじゃないんですか?」

「なんだか偏見を持ってるわね、ヒロ君は。

 そんなの品種次第よ。品種次第!

 それにそもそも、本物の狐と狐亜人は別の生き物なんですー」

 

 センダンは、そう言いながら尾をぶんぶんと振ってみせた。

 なんともモコモコしていて、暖かそうな尾である。

 そういえば昨年の冬に、センダンがフロントで丸くなって居眠りをしていた時に、この尾で体を覆っていた事を思い出す。

 変な意味ではなく、一度触ってみたいと思っているのだが、なかなか言い出せないヒロであった。

 

 

 

 

 

「ほら。そんな事より到着よ」

 センダンが前を指差しながら言った。

 木造建築の立ち並ぶ観光地区に遠慮するように、他の建物から少し離れた所に建っているギルドへの到着である。

 ギルド玄関口には、猫亜人のベラミの姿があった。

 ベラミは、ヒロらの姿を見つけると、のんびりと手を振った。

 

 

「やあやあこれはお二人さんー」

「ベラミン、おまたせー!」

 センダンが元気良く出会いの挨拶をする。

「今日はお揃いで、僕のお餅でも買いに来てくれたんですかー」

「ベラミン、じゃあねー!」

 センダンが元気良く別れの挨拶をする。

 

 

「ちょっとちょっと、ちょっとー。

 いやだなー。少しふざけただけじゃないのさー」

 ベラミは小走りでセンダンに近づくと、なだめるように両手を掲げてみせる。

 とはいえ、相変わらずの間延びした口調で、本気でなだめようとしているのかは窺わしい。

 

「そんな事言って、ベラミーン、私達が今日来た理由忘れちゃってるんじゃないの?」

「嫌だなあ。ちゃんと覚えてるよー。準備も済んでるしねえー」

「準備というと、収穫の事ですか?」

 ヒロが口を挟むと、ベラミはこくりと頷いた。

 

「そうそうー。収穫した蜜柑は箱詰めにしてあるよー。

 あとはこれを、下級アカデミーの子供達に届けて、蜜柑を配る子供達を引率するだけー」

「へえ、ベラミンにしては、しっかりしてるじゃないの」

「そりゃあもちろんねえー。

 ……でも、今更だけれど、引率なんて僕一人いれば大丈夫だよ?

 そりゃ歓迎はするけれど、どうして着いてきたいのさー?」

「それなんですけれど……」

 その問いには、ヒロが答える。

 

 

「センダンさん、島に観光客として来た時に、当時の子供達から蜜柑を貰った事があるんですよ。

 それが凄く嬉しかったそうで。なので、子供達を手伝ってあげたいんだと思います」

「ちょ! ヒ、ヒロ君!!」

 暴露話をされたセンダンが慌ててヒロの口を抑えこむが、もう遅い。

 話を全て聞いてしまったベラミがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべだした。

 

 

 

「むう……そんな事より、早く蜜柑がある所に案内しなさいよ!

 さっさと運んでしまいましょ!」

 

 センダンが頬を膨らませながら、一人でギルドの中に歩いていく。

 そんな彼女の背中を眺めていたヒロとベラミは、どちらからともなく笑いあうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十八話/蜜柑と少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄花島下級アカデミーの蜜柑配りは、公式なアカデミー行事ではない。

 十数年前の学生が、教師の許可を得て、自分で学校の庭に植えた蜜柑を収穫し、

 兄花島に訪れる観光客に、自主的に配りだしたのが始まりである。

 

 それ以来、学生有志によって、蜜柑の配布行事は細々と受け継がれてきた。

 その事は教師も承知しており、良い社会経験になると認可はしている。

 だが、万が一トラブルに巻き込まれる事がないよう、教師や関係者が私的に引率するのが決まりとなっていた。

 ベラミ・イスナットはその関係者の一人である。

 仕事柄、下級アカデミーの学生達の努力を耳にした彼は、

 ささやかながら、自分が栽培している蜜柑の寄付を毎年行っている。

 その縁あって、近年では、ベラミが引率を求められる例も増えてきたのである。

 

 

(……とはいえ、ベラミさんで引率が勤まってたのかな……)

 蜜柑の箱を積んだ台車を後ろから押しながら、ヒロはそう思う。

 前で台車を引くベラミの背中は、なんとも頼り難く見える。

 

 正直な所、彼に勤まっているとは思い難い。

 ベラミはどうにも掴み処がない男である。

 同じおちゃらけた者でも、センダンの場合は、自身の好奇心に忠実だという行動原理がある。

 その点ベラミは、何を考えているのか分からない言動が目立つのである。

 そういう彼だから、どうにも不安を感じてしまう。

 

 

 

 

 

「はーい、ここ右に曲がりますー」

 そのベラミが、前から声をかけてきた。

 同時に台車を減速させてくるので、後ろから台車を押すヒロとセンダンは、それに合わせて動く。

 

 一行が通過しているのは狭い路地裏である。

 兄花島観光地区は海と山の間が短く、平地が少ない為に、家々は密集している。

 その密集した家々の間を縫うように細い路地が伸びており、兄花島下級アカデミーは路地の先にある。

 その為、どうしてもこの道を通らなくてはならない。

 直進であれば問題ないのだが、曲がる時には周囲に気をつける必要があった。 

 

 

 

「兄花島の下級アカデミーかあ。私、行くの始めてかも」

 隣で台車を押すセンダンが、声を弾ませながらそう言った。

「島育ちじゃありませんし、僕も初めてですよ」

「そっか。そうだよね。子供はどれ位いるのかな?」

「人数は知りませんが、クラスは一学年一クラスしかないそうです。

 兄花島の下級アカデミーはここしかないんで、居住地区の子供も通ってきますけど、

 居住地区とは言っても、住んでいるのは年配の方々ばかりですからね」

「やっぱり過疎ってるよねえ。皆、普段はどういう事して遊んでるのかなあ」

 センダンの声は、なおも嬉しそうである。

 

「センダンさん、なんだかわくわくしてますね」

「うん? んー……うん、そうかも」

 ヒロの言葉に、センダンは照れたような笑みを浮かべる。

 

「ヒロ君が暴露しちゃったけれど、昔、蜜柑を貰った時は本当に嬉しかったんだ。

 子供達と触れ合えるってのは純粋に楽しいわよ。

 それに加えて、あの嬉しさの手伝いを出来るんだからね」

「そっか。納得です」

「うむうむ。そんな事よりヒロ君、子供泣かせないようにね?」

「ぐむう」

 思わず唸り声を漏らす。

 

 正直な所、大丈夫だとは思っている。

 確かに初対面では怖がられるが、見知った島の子供達に怖がられる事は、それほどないのである。

 それほど、である。

 たまには怖がられる事もある。

 

(大丈夫だよなあ。……多分)

 どうしても自信が持てないヒロであった。

 

 

 

 

 

 そうこうするうちに、下級アカデミーに着いた。

 校舎は他の民家と変わらない木造建築なのだが、大きい分手入れが行き届いていないのか、ペンキが剥げている部分が目立つ。

 校庭に並んでいる遊具の数は少なく、やはりこれも古さからかペンキが剥げている。

 いかにも過疎島の学校、といった所である。

 

「ええと、あっちだねー」

 ベラミが校舎の横を指差した。

 それに従って進むと、校舎横に蜜柑の木が三本見えた。

 そのいずれにも、濃い橙色をした立派なヒノモト蜜柑が成っている。

 蜜柑の木の下には、四人の少女がいた。

 下級アカデミーには、六歳から十二歳、六学級が存在している。

 さすがに見た目だけでは、少女達の年齢が幾つなのかピタリとは分からなかったが、

 いずれも、上級生であるようには見受けられた。

 

 

 

「やーやー、皆元気かーい?」

 ベラミが台車を止めて、大きく手を振りながら声を掛けた。

 すると、少女達は顔を太陽のように輝かせて、ベラミに駆け寄ってくる。

 

「わあ、ベラミだ!」

「いらっしゃい、ベラミー!」

「ベラミ、終わったら一緒に遊ぼうよ!」

 瞬く間にベラミを囲んだ少女達が、わいわいと声を掛ける。

 意外にも、ベラミは子供達から好かれているようだった。

 考えてみれば、見ようによっては面白いお兄さんなのかもしれない。

 なんとも微笑ましい光景である。

 

「ベラミ、お餅売れたよ!」

「エリちゃんの家は喫茶店してるから、お土産に買っていく人多いんだよ!」

 ……微笑ましい光景……のはずである。

 

 

 

「……今のは、聞かなかった方が良いんでしょうか」

「どうかしらね……」

 ヒロとセンダンが、ベラミをジト目で見ながら言う。

 そのベラミは、少女達と同じような笑顔を浮かべて、掛けられる言葉一つ一つに返事をしていた。

 少々怪しい所はあるが……多分問題はないだろう、とヒロは思う事にした。

 

 

 

 

 

「いやー、皆今日も元気だねえー。

 ところで、蜜柑の収穫は終わったのかいー?」

「ううん、まだ残ってる」

 先程『餅が売れた』と発言した、エリという黒髪長髪の少女が返事をする。

 他の子よりも背が高く、ベラミにも真っ先に駆け寄ってきている。

 エリの両親が開いている喫茶店にはヒロも何度か行った事があり、エリとも面識があった。

 ヒロの知る限りでは活発な子で、どうやら少女達の中心人物のようである。

 

「高い所のは手が届かないの。ベラミ、手伝ってよ」

「なるほど。そういう事か。それなら任せておきなさーい!」

 ベラミが力強く胸を叩く。

「このヒロお兄さんが、ばっちり手伝ってくれるから!」

 投げやりである。

 

 

「べ、ベラミさん?」

 突然話を振られたヒロは、思わずベラミの名を口にする。

「だってヒロ君、背が高いじゃないのさー」

「あ、そうか。確かにヒロ君適任かもね」

 隣のセンダンも、ベラミに同意した。

「む、むう……」

 ヒロがまた唸る。

 

 手伝うのは、やぶさかではない。

 問題なのは少女達の反応である。

 エリの他に、もう一人面識がある少女がいたが、残りの二人とは初対面である。

 一応センダンには『怖がられていない』とは言ったが、子供に接する役は、なるべくベラミとセンダンに任せたかった。

 

 

 ベラミの言葉を受けた子供達は、じっとヒロの顔を見つめている。

 この顔が、数秒後にどう変化するのだろうか。

 どうしても、最悪のケースが脳裏に浮かんでしまう。

 それを振り払うように、ヒロは精一杯の微笑みを浮かべてみせた。

 

 

 

「そ……それじゃあ、蜜柑を収穫しちゃおうか」

「「「「………」」」」

 

 子供達は無言である。

 やっぱり、怖がられているのだろうか。

 汗が流れ落ちる。

 

 

「うん、ヒロお兄ちゃん、頑張って!」

 だが、違った。

 エリが口火を切ってそう言い、破顔する。

 それに続くかのように、他の少女達もヒロに笑いかけながら、収穫を促すような言葉を掛けてきた。

 

 

 

 

 

(お、おお、おおおっ……)

 内心、狼狽の声を漏らす。

 

 少女達の笑顔と反応が、ただただ眩しかった。

 怖がられなかった。

 むしろ、歓迎されたのである。

 ヒロ・タカナが、である。

 

「くくくっ……」

 そんなヒロの心中が読み取れるのか、隣のセンダンが口に手を当てて、笑いを押し殺していた。

 だが、そんなセンダンの笑いも気にならない程、ヒロは感動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 蜜柑の収穫はすぐに終わってしまった。

 子供達が収穫できる位置のものは、既に収穫し終えていた上に、

 蜜柑の木も三本しかないのだから、それほど時間がかかるものではない。

 収穫後は、ベラミが持ってきた蜜柑も加えて、全て袋詰めにしてしまう。

 これを、基本一人一袋として配るのだ。

 

 一袋の中身は三つ程と、ささやかな数である。

 だが、それだけでも、貰うと嬉しいものでもある。

 その経験者のセンダンは、早々に少女達と打ち解け、雑談に興じながら蜜柑を詰めていた。

 ヒロも同様に蜜柑を詰めつつ、そんなセンダンを見ては、内心感心する。

 

 この少女達は自分を怖がりはしなかったが、

 それでも、やはり人と打ち解ける事に関しては、センダンが上手である。

 三人の少女も、センダンを気の良いお姉さんと捉えているのか、

 じゃれついたり、プライベートな質問を投げかけたりと、センダンと親しく交流している。

 

 

 

(あれ……三人?)

 ふと、首を傾げる。

 そう、センダンの付近には三人しかいない。

 きょろきょろと周囲を見回すと、その少女達から少し離れた所にもう一人の少女がいた。

 エリの他に面識があったツインテールの少女で、名はコヨリと言う。

 

 コヨリは、やや消沈した様子で蜜柑を詰めているように見受けられた。

 どうしたものか、とヒロは一瞬躊躇する。

 だが、元々面識がある事が背中を押して、ヒロはコヨリに近づいた。

 

 

 

「やあ、コヨリちゃん」

 努めて明るい声を出す。

 声をかけられたコヨリはハッとして顔を上げた。

「あ……ヒロお兄ちゃん」

「なんだか元気ないね。どうかしたの?」

「……うん」

 返事をしながら、エリは蜜柑の袋を強く握り締める。

 

「……袋詰めが終わったら、蜜柑を配りに行くんだよね」

「うん。そういう予定らしいね」

「それが怖いの」

 コヨリが小さな声で言う。

 泣いてはいないようだったが、声には明らかに覇気がない。

 

「怖い?」

「うん。だって、知らない人に声を掛けるんだよ?

 もしも怖い人だったら……って思ったら、凄く怖いの」

「ありゃあ……」

「皆が頑張るから、私もお手伝いはするよ。

 だけど……本当は行きたくないんだ」

「……ふむ」

 ヒロは、どうしたものかと言わんばかりに声を漏らす。

 良い助言は即座に浮かんでこなかった。

 だが、この少女を放っておくわけにもいかない。

 ならば何と言ったものか……と考えた所で、背後から肩を叩かれた。

 

 

 

「あ……」

 振り返ると、そこにはベラミがいた。

 いつも通りの緩い表情である。

 だが、口の端だけは引き締まっているように見えた。

 

「あとで」

 ベラミは、ただそれだけ呟くと、ヒロの肩に掛けた手を僅かに引いた。

 

(今は何も言うな、って事……?)

 ヒロは、ベラミをコヨリを交互に見る。

 この少女が困っているのは、いくらベラミでも分かるはずである。

 とすると、おそらくはベラミに何か考えがあるのだろう。

 正直な所、心配ではある。

 心配ではあるが……少女との交流については、ベラミに一日の長があるのも事実である。

 暫し躊躇したが、ヒロは黙ってベラミに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 袋詰めにした蜜柑をまた台車に載せて、一行は下級アカデミーを発った。

 発ったとは行っても、向かうのは数百メートル先にある兄花通りである。

 

 一番景観が良い事と、観光するのに都合が良い事から、観光客が最も多く通るのはこの兄花通りだった。

 民家と民家の間に台車を止め、それらの家を訪問して、軒先で迷惑を掛けている事を事前に謝る。

 とはいえ、蜜柑配りは恒例行事であり、私利の為に行うものでもない。

 事情を理解している住民達は、快い返事をしてくれた。

 それを終えれば、ようやく蜜柑配りである。

 

 ……はずであった。

 

 

 

 

 

「……来ませんね」

 ヒロがぼそりと呟く。

 二十分程立ち続けたが、観光客がやってこないのである。

 

「意外と暇なんだよねえ、これ。ふぁ~あ」

 ベラミが欠伸をしながら相槌を打つ。

「もうちょっと来るものかと思っていましたよ。

 それに、いざ観光客が来ても、待ち構えていたように声を掛けるのは気が引けますね」

「ヒロ君が待ち構えてたら恐ろしいしねえー」

「分かってます。はい」

 がっくりと肩を落としながら返事をするヒロであった。

 

 

 

「あっ、来たよ!」

 そこでエリが声を挟んだ。

 声に反応して通りを見回すと、奥から若い男女のカップルが歩いて来ている。

 じゃあ誰か行こうか、と声を掛ける前に、カップルを見つけたエリが蜜柑袋を手にしていた。

 

「私、行ってくる!」

 エリは物怖じせず、一直線にカップルの下へと走っていった。

 うまく渡せるのか心配になるヒロであったが、元々子供だけで渡す予定のものである。

 追いかけるわけにもいかず、様子を遠くから見守る他ない。

 

 そんなヒロの心配はどこ吹く風、エリはカップル達の前まで来ると、早速声を掛けた。

 一言二言会話を交わした後、エリが蜜柑袋を差し出す。

 

 果たして、受け取ってもらえるのだろうか。

 拒否されたら、エリをどうフォローしたものだろうか。

 無意識のうちに唾を飲み込んでしまう。

 だが、全ては杞憂だった。

 カップルはエリに一礼した後、蜜柑の袋を受け取ってくれた。

 

 

 

 

「わ! エリちゃんやったあ!」

「次は私! 私が行くね!」

 コヨリ以外の少女が歓声を上げる。

 コヨリも声にこそ出さなかったが、エリが蜜柑を渡せた事は好ましく思っているようで、笑顔を浮かべている。

「良かったあー。第一号さん、ちゃんと受け取ってくれたね!」

 センダンも子供達同様に、歯を見せて笑った。

 ヒロも、数回短く頷いてその言葉に応じる。

 

 だが、その歓喜の輪に加わらず、メモ帳にペンを走らせている者が一人だけいた。

 案の定、ベラミである。

 

 

 

「ベラミさん、何してるんですか?」

「うん? メモ」

 それは分かる。

 

「じゃなくて、何メモしてるの?」

 今度はセンダンが尋ねる。

「あの人達の容姿だよ。後で出くわしたら餅をセールスするのー」

 

 あじゃあー、と崩れ落ちる一行であった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 不思議なもので、観光客が一組やってくると、それを合図としたかのように次々と他の観光客が姿を見せた。

 少女達は順番に、観光客に蜜柑を渡しに走る。

 嬉しい事に、声を掛けられた観光客は、誰一人嫌な顔をせずに蜜柑を受け取ってくれた。

 

 そうして蜜柑を渡し終えた少女達は、緊張しただの上手く喋れただのと、感想を述べ合っている。

 ちょうど今も、女性観光客に蜜柑袋を渡してきたエリが、お礼を言われて嬉しかった、と友人達に語っている。

 

 ヒロら大人達は、その光景を見守るだけである。

 観光客と少女達の交流は、見ているだけでも心が温まるものである。

 だからこそ、その光景の中に入っていない少女が一人いる事は、嫌でも目に付いた。

 見知らぬ観光客を怖がっているコヨリである。

 

 

 

「ねえ、ヒロ君」

 センダンがヒロに声を掛け、コヨリの方を見ながら目配せする。

 

 コヨリは、蜜柑を袋詰めにしている時のように、他の少女達とは少し離れた所で、俯きながら蜜柑の袋を弄っていた。

 ヒロは、コヨリとは面識があるとは言っても、一、二回しか話した程度である。

 その為に、多少内気な子という事しか知らないのだが、少なくともここまで孤立するような事ではなかったはずである。

 それだけ、見知らぬ者が怖くて仕方がないのだろう。

 

 センダンが声を掛けてきた理由は分かっていた。

 ヒロはセンダンに目礼を返して、同意の意を示す。

 二人でコヨリに声を掛けようとした時だった。

 

 

 

 

 

「いやー、コーヨリちゃーん」

 先にベラミが声をかけた。

 ヒロらの前に割って入り、コヨリの前で腰を落として、視線の高さを合わせている。

 声の調子も相変わらず緩いものだった。

 

「……ベラミ」

 コヨリが不安そうにベラミの名を呼ぶ。

「今度はコヨリちゃんが蜜柑を渡しに行ってみるかい?」

「うう……」

 口元を震わせながら、ぶんぶんと顔を横に振る。

「……そっか。やっぱり怖いか」

「うん」

「そうだよねえー。その気持ち、僕も分かるなあー」

 ベラミがどっしりと地面に腰を降ろした。

 胡坐をかいて、うんうんとオーバーリアクションでコヨリに同調している。

 

 

 

「へえ……ベラミン、やるじゃない」

「コヨリちゃんの気持ちを考えて話してますね」

 ヒロとセンダンは、小声でそう言い合う。

 同時に、ヒロはベラミへの評価を改める。

 確かに、相変わらず何を考えているのか分らない男ではある。

 だが、子供達の為に蜜柑を育てたり、親身になって子供と接する事は、簡単には出来る事ではない。

 どうしても、大人としての都合や視線が入ってしまうものである。

 

 

(ベラミさん、本当は良い人なんだな……)

 口の端を緩めながら、そう思う。

 

「でもコヨリちゃん。ヒロお兄ちゃんも無茶苦茶怖い顔してるけど、こっちは平気なのー?」

 

(ベラミさん、本当に良い人なんだろうか……)

 一度緩めた口が、きっと横一文字に結ばれる。

 

 

 

 

 

「……ヒロお兄ちゃんは顔は怖いけれど、優しいから」

 コヨリは、ちらとヒロを見てから返事をする。

 思わぬ一言にむず痒さを感じるが、ヒロは無反応を装って二人を見守り続ける。

 

「なるほどなるほど。優しいと分かっていたら大丈夫なんだねー」

「うん」

「じゃあ、さっきエリちゃんが渡したお姉さんに、もう一袋渡しに行ってみるってのはどうだい?」

「え……?」

 コヨリがはっと顔を上げる。

 ヒロからしても予想外の提案であった。

 だが、確かにそれならば、コヨリの不安を払拭できる理屈である。

 蜜柑袋を渡す数も、必ず一袋でなくてはならないというものではない。

 

 

 

「うん、それが良いよ! ベラミ、あったまいいー!」

 二人の会話を聞いていたエリが、真っ先にベラミの提案に同調した。

 それから、コヨリに駆け寄って、コヨリの両手を掴んでぶんぶんと縦に振る。

 

「ね! コヨリちゃん、そうしなよ!

 さっきのお姉さん、凄く優しい人だったよ!」

「でも、顔覚えてないよ」

「私が覚えてるから大丈夫! まだ遠くには行ってないと思うから、一緒に探しに行こ!

 でも、声を掛けて渡すのはコヨリちゃんのお仕事だからね」

「………」

 コヨリが沈黙する。

 少女の中で、葛藤が生まれているのが分かる。

 皆、固唾を飲んで少女の決断を待った。

 

 そして……

 

 

「……うん。行く」

「決まり! よーし、じゃあ走ろっ!」

「きゃ……!」

 コヨリの決意を聞くや否や、エリはコヨリを引っ張って走り出した。

 思わずたたらを踏むコヨリだったが、立ち止まりはせず、戸惑いながらも懸命にエリについて行く。

 二人は観光客を追って、路地の奥へと瞬く間に消えていってしまった。

 

 

 

 

 

「うんうん、一件落着かなあー」

 二人の姿が見えなくなると、ベラミは飛び上がるような動きで立ち上がった。

 ズボンの汚れを尾で器用に叩き落とし、その尾をくねくねと振ってみせる。

 

「ベラミさん、意外と話し上手なんですね」

「ヒロくーん。意外は余計なんじゃないのぉー?」

 そう言って、にゅっと口の端を丸める。

 まるで本物の猫のような口である。

 

「……まあ、僕が出た事こそが余計だったかもしれないけどねえー。

 本当は子供達で解決して欲しかったから、エリちゃんが名乗り出てくれて良かったよ」

 ベラミは小声でそう続ける。

 近くにいるヒロとセンダンにしか聞き取れない、残る二人には届かない声量だった。

 

「それが理由で、蜜柑を詰めている時に止めたんです?」

「そういう事ー。手を差し伸べるのは簡単だけれど、僕ら大人はいつでも子供の傍にはいられないからねえー。

 できる事なら、子供達の世界で解決して欲しかったんだよー」

「……どうしたのよベラミン、今日はずいぶんマトモじゃない」

 センダンが呆気に取られた声を漏らした。

 ベラミは、笑顔を浮かべたまま、黙って耳を動かして返事をしてみせる。

 

 ベラミ・イスナットは、やはりよく分からない男だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 結局、蜜柑袋は全て配る事はできなかった。

 まだ十数袋は残っていたが、もうすぐ陽が傾く為に、残りは後日という事になったのである。

 

 ベラミの発案で、一行はその場で解散せずに、ささやかな打ち上げを開く事にした。

 打ち上げとは言っても、エリの両親の喫茶店でジュースを飲むだけの、ささやかに過ぎるものである。

 とはいえ、そのようなものでも少女達にとっては嬉しいのだろう。

 エリを筆頭に、少女達は大いにはしゃいでベラミの提案に乗った。

 

 

 

 

 

 エリの両親の喫茶店は、海桶屋から数百メートル離れた海沿いに存在する。

 他の民家同様に木造の古い作りで、畳の上に座して飲食する形式の店である。

 店には二階席とテラス席があるのだが、もう冬も近いこの季節では、テラス席を利用する客は殆どいない。

 喫茶店に着くと、ヒロら大人達は、ベラミの両親と挨拶を交わした上で店内を見回したのだが、

 一階席に二組の客がいるだけで、やはりこの日もテラス席を利用している客はいない。

 

「会計一括でコーヒーを七つ。テラス席でお願いします」

 

 だがヒロは、そのテラス席を希望した。

 正しくは、子供達が望んだのである。

 その希望を叶える事にして、十一月の寒空の下、一行は風に吹かれながらテラス席に座る。

 無論、非常に寒い。

 だが、こういう事もあろうかと、ヒロが私物である火のマナを取り出し、それを蜜柑の皮で包んでみせた。

 マナの効果は、本来は専用の機器を通さなくては発揮できないものである。

 だが、これはそのマナの効果に頼る行為ではなかった。

 火のマナの『暖かい』という単なる物理効果を生かし、即席で懐炉を作ったのである。

 子供達は嬉しそうな顔つきで、蜜柑の懐炉を握り締めた。

 

 

 

 

 

「いやあ、人のお金で飲むコーヒーは美味しいねえー」

 そんな子供達を眺めながら、ベラミはコーヒーをすする。

「子供達の分は僕が出しますけれど、ベラミさんの分は後で出して下さいよ」

 同じくコーヒーをすすりながら、ヒロがジト目で言う。

「現物払いで良いかなー?」

「餅はいりませんよ」

「むむむう。ヒロ君も僕の考えを読むようになったねえー」

 ベラミが唸ってみせる。

 

「まあまあ。私の分はヒロ君が出してくれるから、それで良いじゃない」

「そんな事言ってません!」

 今度はセンダンがとぼけてみせる。

 どっと疲れが湧き出るヒロであった。

 

 

 

「……ま、私達はともかく、頑張った子供達には、もう少しご褒美あげたかったかな」

 センダンが頬杖を突きながら、横で子供同士雑談に興じている四人を見た。

 その視線につられて、ヒロも子供達を見る。

 

 確かに、今日半日頑張った結果がコーヒー一杯では、少し寂しいものがあるかもしれない。

 だが、当の子供達の表情は朗らかであった。

 心配していたコヨリも含めて、である。

 蜜柑を渡す事ができたコヨリは、戻ってきてから、ずっと笑顔だった。

 足を一歩前に踏み出す事ができて、それだけ充実感に満ちているのだろう。

 そんなコヨリを見ていると、自然とヒロまで笑顔が浮かんでしまった。

 

 

「ヒロ君なぁに? ニヤニヤしちゃってえ」

 センダンが苦笑しながら、手首を振ってヒロを軽く叩いてくる。

「あてっ。いや、その……」

 

 ヒロは慌てて取り繕おうとするが、すぐに言葉が出てこない。

 なんと言い訳したものか必死に考えるヒロの前に、影が差し込んできた。

 それに反応して顔を上げる。

 いつの間に目の前まで来たのだろうか。影の正体は若い女性だった。

 ヒロは、すぐにその女性の事を思い出す。

 

 

 

「あれ……?」

「さっき蜜柑を配られていた皆さん、ですよね?」

 女性が、控え目な口調で尋ねる。

 

「わあ、さっきのお姉ちゃんだ!」

 そう声を上げたのはエリだった。

 コヨリもそれに続いて歓声を上げる。

 他の少女達も、遅れながら歓迎の言葉を口にした。

 

 

「ああ、やっぱりそうね」

 女性はほっと胸を撫で下ろす。

 それから、コヨリに視線を向けて言葉を続けた。

 

「コヨリちゃん……だっけ。さっきは可愛い蜜柑をありがとうね」

「ううん。お姉ちゃんこそ貰ってくれてありがとう」

 エリは子供らしい元気な笑みと共に返事をする。

「ふふっ、良い子ね。エリちゃんや他の皆も頑張っていたのね」

「うん!」

「頑張ったよー!」

「蜜柑、いっぱい食べてね!」

 子供達が次々に返事をする。

 女性はそれら一言一言に頷くと、ヒロら大人達を含めて、全員を見回した。

 

 

 

 

「あの……皆さんご休憩されているのですよね?」

「ええ、そうですよー」

 ベラミが答える。

「やっぱりそうでしたか。宜しければお礼に、お店のクッキーを子供達に振舞わせて頂けませんか?」

「えっ!?」

 思わぬ女性の提案に、ヒロが驚きの声を漏らした。

 他の者も、声こそ出さないものの、突然の提案に目を見開いている。

 サプライズに対する、サプライズのお返しなのである。

 

 自分が貰うわけではないのに、ヒロはなんとも嬉しい気持ちになる。

 だが、いくらなんでも観光客に四人分のクッキーを買ってもらうのは忍びない。

 自分達も出しますから、と提案しようと思った矢先だった。

 

 

 

「お姉ちゃん、ありがとうー!」

 コヨリが立ち上がって女性に抱きいた。

 女性は穏やかな顔つきで、そんなコヨリの頭を優しく撫でてくれた。

 

 

「……お言葉に甘えましょうか」

 苦笑しながら、センダンとベラミにそう提案する。

 ここで自分達も出しては、二人の間に自分達が入ってしまう事になる。

 

「ん。そだね」

「そうしよっかー」

 センダンとベラミも似たような事を考えていたのだろうか。

 特に異を挟まず、ヒロの言葉に同調してくれた。

 

 

 

 

 

「やったぁー、クッキーだーっ!」

 ヒロらの認可を受けて、エリが歓声を上げた。

「やったやった! お姉ちゃん、ありがと!」

「ありがとうございますー!」

 他の少女達も、次々と声を上げる。

 

 十一月の寒空の下は、にわかに暖かくなっていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。