燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第十七話/魔法省の少女

「全部空振りか……」

 

 ロビン西部地区の地下街から地上に上がってきたヒロは、そう呟きながら頭を掻いた。

 この日彼は、一人でロビンに来ている。

 それも、仕事ではなく、私用である。

 理由は一つ。

 先日、ウィグがくれた虹の卵の件である。

 

 虹の卵は、ウィグの説明通り全く孵る様子が無かった。

 とりあえずフロントに飾ってはみたものの、一体何の卵なのかはヒロもセンダンも気になる所で、

 予約客がいないこの日、ヒロは店番をセンダンに任せて、ロビンに出かけた。

 向かったのは、ロビンの西部地区は地下街に存在する、古書店群である。

 

 

 

 ――西部地区地下街は、西部地区の中でも中央地区寄りに広がっている、古い地下通路である。

 元々は、市場通りが混雑する為、それを避けて移動できるように作られた歩行用の通路なのだが、想定外の利用者が多かった。

 市場通りに店を構える事ができず、代わりに地下通路に露天を開く者が多数現れたのである。

 結果、地下通路は地下街へと変貌を遂げるのであった。

 

 古書店群は、その地下街の一角に立ち並んでいた。

 細かい事に構う余裕のない経営者が多いのか、本を乱雑に積み上げ、水漏れや埃で本が傷むのも厭わないような、杜撰な店が多い。

 だが、読む事ができれば、それは本に代わりはない。

 学生時代のヒロを含む貧乏学生達は、よくここで本を立ち読みしていた。

 なかなかどうして、掘り出し物が見つかる事が多いのである。

 この日もその可能性に期待していたのだが……その結果、収穫はなし。

 幾つかの専門書は見つかったが、どの本にも虹色の卵に関する記述は無かった。

 

 

「帰って『卵の事は何も分かりませんでした』なんて報告したら、センダンさん、へそ曲げるだろうなあ」

 ゲンナリとしながら、帰宅後の光景を想像する。

 センダンも来たがったのだが、二人で来ても仕方がないと、どうにか説得して来たのである。

 その分だけセンダンがすねるのは、火を見るよりも明らかだった。

 帰るのが少しばかり億劫になり、港の方に向かう足取りは、自然と重いものになった。

 

 

 

 

 

 ……ヒロは溜息をつきながら、港に通じるスラムに入る。

 今日は、馬ではなく客船でロビンに来ていた。

 用事があるのは西地区のみの時は、船で移動した方が、馬を借りるよりも安上がりな為である。

 十月ともなれば、陽が暮れるのは早い。

 まだ夕方ではあるものの、辺りには明かりを点けている建物が多かった。

 治安が心配になり、早めにスラムを抜けてしまおうと、小走りで移動するヒロの視界に、ふと一つの看板が入った。

 

 

 

「マナ勉強堂だ……」

 看板に書かれた文字を読み上げる。

 看板の傍には二階に続く階段があり、その先にはマナの販売店がある。

 以前、ナポリと一緒に来た事がある、無愛想な老人が店主の店である。

 そう言えば、最近仕事が忙しくて、マナで遊んでいない事をヒロは思い出す。

 

 考える事、数秒。

 

 ヒロの頭の中で、小さなヒロがグッと親指を突き立てた。

 行っちゃえ! である。

 

 

 

 

 

「……ち、ちょっとだけ。まだ船が出るまでには時間あるし」

 確かに、船が出るのに時間はある。

 とはいえ、陽が暮れるのは待ってくれない。

 先程まで案じていた治安の問題はどこへやら。

 ヒロは小走りで、マナ勉強堂に続く階段を上がって店の扉を開けた。

 

 外はもう陽が沈みつつあるというのに、店内には明かりがともっていない。

 その為に、店の様子が良く見えなかった。

 ごめん下さい、と声を出すと、店の奥から物音が聞こえた。

 

 

「はい」

 物音から遅れて、小さい声も聞こえてきた。

 明らかに、老人の声ではない。

 少女の声のようだが、抑揚が利いている。

 

(あれ……店主さんの声じゃない。バイトさんかな)

 ヒロは目を凝らして、声の聞こえた方を凝視する。

 同時に声の主も、店の暗さに今更気がついたのか、卓上ランプをつけた。

 ぽぉっ、と明かりが球状に広がり、声の主が明らかになる。

 

 

 

 

 そこにいたのは、まだ十五歳前後と思われる少女だった。

 肌の色は白く、銀髪を一本縛りにしていて、顔立ちは整っている。

 肌や髪の淡い色とは異なり、衣装は緑を基調とした濃い色をしていた。

 

「………」

 少女はじっとヒロを見てくる。

 ヒロの知っている店主とは色々と正反対であったが、一つだけ共通点があった。

 笑わないのである。

 接客用の笑顔を浮かべずに、無表情でこちらを見てくるのである。

 どことなく、歓迎されていないような印象さえ受けた。

 

(い、いや……外見で判断するなんて、酷い事だよね。

 ごめんね、本当にごめんね)

 

 だが、ヒロはすぐに首を横に振る。

 第一印象を打ち消しつつ、心中で彼女に謝る。

 外見で判断される悲しみは、彼が最も良く理解している事だった。

 

 

 

 

 

「……あ」

 少女がぽつりと呟く。

 

 

 

 

「君は、元・上級アカデミーの学生だね?」

 相変わらず落ち着いた調子で、少女は言葉を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十七話/魔法省の少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええと……なんで僕の事を知ってるの?」

 ヒロは思ったままの事を尋ねながら、少女を凝視する。

 瞳は切れ長で、それに沿うように眉も細く長い。

 美形の類である事は間違いない。

 明らかに年下に見えるが、可愛いというよりは綺麗という言葉が適切であるように感じられた。

 

 

「祖父から聞いたのだよ」

 少女は淡々と答える。

「祖父……?」

「ここの店主の事だ」

「ああ、あの」

 ナポリと来た時に、老人の店主に、上級アカデミーで勉強していた事を話していた。

 あの店主の孫と考えれば、年齢は合致する。

 おそらくは、何らかの理由があって不在である店主の代わりに、店番を務めているのだろう。

 

「でも、聞いたって何を……」

「酷く恐ろしい目付きの、上級アカデミー卒の男が来たと聞いたんだよ」

「あ、なるほど」

 かっくりと肩を落とすが、同時に納得する。

 なるほど、見分けられるはずである。

 

 

 

「………」

 少女は、それ以上は何も言わずにまじまじとヒロを見つめていた。

 物珍しさというよりも、観察といった感じだろうか。

 怖がられる事には慣れていても、その様に見られるのは初めてで、ヒロは視線を外してしまう。

 

「……何か?」

「いや……その目つき、怒っていないのだな?」

「うん。これが素だよ」

「そうか。なら良かった。私は人を怒らせる事がよくあるのでな」

 少女が一人でうんうんと頷く。

 相変わらず、不躾な物言いである。

 人を怒らせる理由にはそういう所もあるのかもしれないが、ヒロはあまり気にしなかった。

 

「で……特に御用が無ければ、品物を見たいんだけれど、良いかな?」

「駄目」

 淡々と言う。

「駄目って……」

「その前に、マナの話をさせて欲しいのだよ」

「……ふむ」

 思わず脱力したヒロだったが、すぐに回復してしまう。

 元々、眺める位の気持ちで入店していて目的はなかったし、

 マナの話ができるのなら、それはそれで良い。

 

 

 

「まあ、構わないけれど……その前に、まだ自己紹介してなかったよね」

「そう言えば、そうか」

 少女は小さく頷く。

「僕はヒロ。兄花島の海桶屋って古民宿で働いてるんだ」

「ミクリ・トプハムだ」

「ミクリちゃん……で良いかな?」

「好きに呼んでくれて構わないぞ」

「じゃあ、ミクリちゃん。マナの話というと……?」

 ヒロはミクリとの距離を詰めながら聞く。

「うん。ヒロは上級アカデミーに通っていたのだろう」

「そうだけど」

「学科は?」

「精霊学」

「精霊学か。よし」

 ミクリが勝手に頷いた。

 何が良いのだろうか。

 それを尋ねようとする前に、ミクリは話を始めた。

 

「では聞きたいのだが、精霊戦争において、精霊弾圧側が提唱した人間独立論が知っているな?

 あの理論では触れる程度にしか述べられていなかった『マナによる人間の堕落』だが、

 やはりあれは、それ以前の人間の歴史において、堕落と挙げ連ねる事ができる失点が少ない為に、

 人間独立論においては、軽視されているのだろうか」

「!!?」

 ヒロは思わず目を白黒させる。

 とんでもなく専門性の高い質問なのである。

 中級アカデミーでも、そのような提唱があったという事しか習わず、中身まで学ぶのは上級アカデミーレベルだ。

 その中身についての解釈を求めている。

 ミクリのような少女の口から出るとは到底思えない事なのだ。

 

「どうなのだ? ヒロの思う範疇で話してくれれば良いんだ」

 淡々と聞かれる。

「……ああ、えっと」

 ヒロは、言葉を濁しながら時間を稼ぐ。

 同時に、彼女の言葉を反芻しながら、自分なりの見解を組み立てた。

 

 なんとかそれを口にすると、ミクリは矢継ぎ早に次の話を投げかけてきた。

 これまた難しい話で、思った事をぽんと口にできず、話すのに一苦労である。

 何故この少女が、そうもマナに詳しいのかという疑問について考える余裕もない。

 そして、その様な会話が五分程続くと、ミクリはおもむろにノートを取り出し、会話の内容を書き留めだした。

 

 

 

 

 

「あの……ちょっと、良いかな?」

「なにかな」

 彼女の意図が分からなくなり、ヒロは頭を掻きながら尋ねる。

 一方のミクリは、ペンを走らせ続けながら返事をした。

 

「マナの話を聞いて、メモまで取って、それをどうするの?」

「仕事なんだ」

「仕事というと、マナ勉強堂さんの?」

「いや、そっちではない。

 ……ああ、そうか。すまない、話していなかったな」

 ミクリは顔を上げ、それから立ち上がった。

 その立ち姿を見ても、やはり十五歳位にしか見えなかった。

 

 

 

「私は魔法省の研究員なんだ。先程の質問は、研究に関するものでね」

「魔法省?」

 ヒロは思わず顎に手をあてがう。

「……あそこに入るには、上級アカデミーを卒業していないといけないよね?」

「その通りだよ。加えて言えば、高度な学力が求められる」

「だよね。だけれど……失礼だったらごめんね。その、君は……」

「ああ、年齢は先月、十六になったばかりだ」

 ヒロの見立ては間違っていなかった。

 十六歳なら、まだ上級アカデミー一年のはずである。

 

 

「飛び級だよ」

 ミクリがなおも言葉を続けた。

 その一言に、ヒロはようやく合点がいく。

 五つも飛んでいるのには度肝を抜かれたが、その点に目を瞑れば辻褄があっている。

 しかし、五年分である。

 飛び級なのに、とんでもない飛びっぷりである。

 

 

(……天才って、こういう子の事を言うんだろうか)

 そんな事を考える。

 確かに、どこか神秘的で、特殊な雰囲気の少女ではある。

 物言いからも、その様なイメージを持ってしまうのかもしれない。

 

 

 

「……まだ分からない事が?」

 ミクリが発言する。

 その言葉を受けて、知らず知らずのうちに彼女を見つめていた事に気がつき、ヒロはばつが悪そうに頭を左右に振る。

 

「いや……凄いな、って思って」

「………」

「その歳で魔法省に入れる事も凄いし、研究職に就いている事も尊敬するよ」

「……そうか」

 ミクリが目を伏せた。

 本音を口にしたつもりだったが、気分を悪くさせただろうか。

 どうにも、分からない所がある少女である。

 船の時間もあるし、長居は無用かもしれない。

 

 

 

 

 

「さて……そろそろ帰るね」

「帰る? マナを見に来たのではなかったのか?」

 ミクリが顔を上げる。

「そうだけれど、特に目的があったわけじゃないんだ」

「ふむ」

「それに、これ以上遅れると船に間に合わないかもしれないから」

「……私と話し込んだせいだな」

「いやいや、違う違う。そういう事じゃないよ」

 ヒロは慌ててミクリの言葉を否定する。

「違わないぞ。私と話し込んで時間が掛かったのは事実だ」

 ミクリは淡々とそう言った。

 それから、すくっと立ち上がり、ノートを閉じてしまう。

 

 

 

「港まで送ろう。近道を知っている」

「そんな……悪いよ。お店だってあるでしょ?」

「どうせ客はこないよ」

 どこか、シンパシーを感じる返答である。

 

「でも……」

「気にするな。話し込んでいなかったら、私も送らない。

 借りを返しておくだけだ」

 

 そう言い放つと、ミクリは店の出入口の方へスタスタと歩き出した。

 ミクリが歩き出してしまっては、止めようが無い。

 彼女に流されるように、ヒロも慌てて店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 マナ勉強堂を出たミクリは、大通りを横断して向かいの路地へと入っていった。

 ずいずいと足を進める彼女に対し、さすがにヒロは少々の躊躇いを覚えてしまう。

 近道を知っていると言っていたから、この路地がそうなのだろう。

 

 それは良い。

 問題は、治安である。

 

 この一帯がスラムと言われる理由は二つある。

 一つは、身分不明な者が、この辺りの兵舎跡に不法に住み着いているという事。

 そしてもう一つが、彼らの中には物取りも少なくないという事である。

 

 

 

(大丈夫……なのかなあ)

 不安な気持ちを抱きながらも、前を歩く少女に続く。

 スラムの店で店番を勤める位だから、その辺りの事情は自分よりも詳しいはずである。

 そんなミクリが、こうして路地に入っているのである。

 同じ路地でも治安が良い路地なのか、それとも噂が先行していて実際にはそう危険ではないのか。

 いずれにしても、問題ないという確信があるのだろう。

 

 そう考えると少し気持ちが落ち着き、周囲を見回す余裕も出る。

 立ち並んでいるのは、大通りから見た時と同じく、縦方向への無理矢理な増築を重ねた兵舎跡ばかりである。

 上を見上げてみるが、建物が視界を大きく遮っていて、夕焼け空はあまりよく見えない。

 その高い兵舎跡の間を縫うように、路地は伸びている。

 そんな道なので、妙な圧迫感を感じてしまうヒロだった。

 

 

 

 

 

「よお、ミクリちゃんじゃないの」

 不意に、低い声が聞こえてきた。

 

 反射的に背筋を伸ばして奥を見ると、路地の交差点から若い男が姿を現していた。

 シワでよれている衣服を纏っていて、更にそれを着崩している。

 肌は浅黒く、額には傷跡のようなものも見える。

 格好を見る限りでは、チンピラである。

 だが、彼らは歯を見せてニコニコと笑いかけていた。

 声をかけられたミクリにも、身構えたりする様子は見受けられない。

 

 

 

「と……もう一人いるな。後ろの怖い顔したお兄さんは新入りかい?」

 男がヒロを見ながらそう言う。

 思わず会釈をすると、きししししっ、と子供のような笑みを返された。

 

「いや、この人はうちの客だよ。ちょっと港まで案内をね」

「なるほど。近道を通ってるってわけか。俺も一緒に行こうか?」

「不要だ」

「わはははっ! そうか、いらねえかあ!」

 男が豪快に笑って見せた。

 なんとも、気の良い男である。

 

「それじゃあ俺は行くから。陽も暮れるし、気をつけろよー」

 男はそうミクリに忠告すると、ヒロ達とすれ違って去って行った。

 

 

 

 

 

「……あの人、知り合いなの?」

 ミクリにそう尋ねる。

「知り合いだ。色々と阿漕な仕事をしているらしい。いわゆるゴロツキという奴だな」

「ゴロツキ……の割には、優しかったけどね」

「知り合いだからな」

 ミクリがまた歩き出した。

 ヒロもそれに続くと、ミクリは話を続ける。

 

「スラムに住む人々は、皆はみ出し者だ。

 そして、互いの生活環境を知っているからこそ、協力し合っている。

 だから、さっきの彼も友好的なのだろう」

「なるほど」

「家族のようなもの……と、祖父は言っていたな。

 ……だが、私には一つ分からない事がある」

 ミクリは、なおも振り返らずに話し続ける。

 

 

「生活上、助け合うのは理解できる。

 だが彼らは、私が魔法省の人間である事を知っても、蔑まないのだよ」

「……それって、当然の事じゃないの?」

「いや。魔法とは蔑まれるものだ」

 

 ミクリが振り返った。

 ヒロは思わず息を呑む。

 瞳が僅かに憂いを帯びているような気がした。

 だが、口ぶりには何の変化もない。

 もう一度よく見れば、瞳は元に戻っている。

 陽が暮れかけていて、見間違えたのだろうか。

 

 

 

「ヒロも、魔法が未だに再現できていない事は知っているだろう?」

「うん。それくらいは」

「だから、公務員である魔法省の人間は、税金の無駄なのだよ」

「い、いや、そんな事は……」

「そんな事はある。研究の結果、少々の副産物が産まれようと、魔法自体を再現できない限りは無駄だ」

「………」

 瞬時にフォローの言葉が見つからない。

 彼女の理屈は、確かに筋が通っているかもしれない。

 

「……そういうわけで、スラムの皆が私を嫌わない理由が、理解できないのだよ」

「………」

「社交辞令かもしれない。だが、それにしては悪意を綺麗に包みすぎているしな」

「………」

「君は、どうなのだ?」

「えっ?」

 ミクリが、一歩近づいてきた。

 ヒロを見上げるように、顎を上げている。

 ヒロの背が高いせいで、顎だけではなく、背を反らすような格好になっていた。

 

 

 

 

「君は店で、魔法省の者である事を褒めた上に、研究職について尊敬もしてくれた。

 あれも、社交辞令なのか?」

「………」

 ヒロは即答せず、眼下の少女を見つめる。

 

 ミクリは、無感情の表情と瞳をしていた。

 ふと、まだ彼女の笑顔を見ていない事に気がつく。

 何故、十五の少女がこのような顔をしなくてはならないのだろうか、と思う。

 魔法を学ぶだけで、そうなってしまいのだろうか。

 それは少々飛躍しているかもしれない。

 所詮は、初対面である。

 答えは、ヒロには分からない。

 ヒロは気を遣わず、思った事を口にする事にした。

 

 

 

「……共感できるんだ」

 ヒロは優しい声を出す。

「共感?」

「うん、そう」

「………」

 ミクリはまだヒロを見上げている。

「……魔法って、言ってみれば人間の可能性みたいなものだよね」

「解釈は人それぞれだが、私は同感だな」

「実は、僕の父が上級アカデミーで精霊学を教えているんだけれど……」

 そう言いながら、父のダイスケの姿を思い出す。

 その次に、ダイスケの言葉を思い出す。

 

「………」

「父は、精霊が、生命の新たな可能性になると信じて、研究に打ち込んでいる」

「ふむ……」

「僕は子供の頃から、そんな父の影響を受けて育ってね。

 だから、精霊と魔法という違いはあっても、ミクリちゃんが『可能性』を追求している事には凄く共感できるんだ」

「……そうか」

 ミクリが顎を引いた。

 一呼吸置いてから、またヒロを見上げてくる。

 

「なあ、ヒロ」

「うん?」

「君の苗字「おおっ、獲物がいるじゃねえの!」」

 

 ミクリの言葉は、突然聞こえてきた男性の声にかき消された。

 その声に反応して二人が首を曲げる。

 視線の先には、先程遭遇した男と似た格好をした男が三人いた。

 だが、内面は先程の男とは全く違うと、ヒロは直感する。

 彼らの言葉遣いや口振りは、明らかに物取りのそれであった。

 

 

 

 

 

「……ねえ、ミクリちゃん」

「なんだ?」

「スラムは家族じゃないの?」

「仲が悪い家族もいる」

 淡々と言ってのける。

 困ったものである。

 

 

「そこのお二人さん、用件は分かってるよな?」

「俺達も面倒は嫌だからさ。素直に頼むよ」

 男達がヘラヘラ笑いながら近づいてくる。

 反射的に、ヒロはミクリの前に出た。

 前に出たは良い……のだが、これからどうしたものか、まだ何も考えていない。

 

 

 

(どうしよ、怖いなあ……。

 いや、ミクリちゃんがいるんだし、怖がっていられない。

 ……とりあえず、逃げるしかないよね。

 それは良いとして、何か武器とか持っていたら、捕まった時に厄介だな……)

 

 ヒロはまず、相手を観察する事にした。

 だが暗さの為に、手先まではハッキリと見えない。

 ヒロは眉間にシワを寄せながら、思いっきり目を凝らす。

 

 ……それによって、ヒロの顔は人間を辞めた。

 

 

 

 

 

「ひ、ひいっ!」

 男達が引きつったような声を上げた。

 発見時には遠目だったが、ヒロが前に出た事で、その顔を目の当たりにしたのである。

 普段のままでも、悪魔と身間違えられる事もあるヒロである。

 その彼が、一層しかめた顔を目の当たりにしたのである。

 

「ひぎゃああっ! 失礼しましたあああっ!!」

 三人とも踵を返し、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。

 俊敏な動きで、すぐに彼らの姿は見えなくなってしまう。

 路地には、ヒロとミクリだけが取り残される。

 突然の事に、二人とも呆気にとられていた。

 

 

 

 

 

「……そういえば、ヒロは怖い顔だったな」

 

 ミクリが、思い出したようにそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 途中でアクシデントがあったものの、ミクリが案内してくれた近道のお陰で、

 この日最後のヒノモト諸島便が出航する前に、ヒロは港に辿り着く事ができた。

 

 陽はもう完全に落ちていて、港は夜闇に包まれている。

 気温はぐっと低くなり、季節はもうすぐ冬に差し掛かる事を感じさせた。

 闇の濃度は秋に比べれば濃く、その分、その中で輝く民家や星やマナの輝きは美しかった。

 

 

 

「間に合ったようだな」

 まだ港を発っていない小型の客船を眺めながら、ミクリが少し安堵したような声を漏らした。

「うん。ミクリちゃんのお陰だね。ありがとう」

「店を出る時にも言ったが、私は借りを返しているだけだ。

 礼を言われるような事はしていない」

 街灯の下で、ミクリは首を横に振る。

 

 そんな彼女を見ながら、なんとも不思議な少女と知り合ったものだ、と思う。

 ヒロにとっては、好ましい出会いである。

 趣味が近い者というのは、なかなかに出会えるものではない。

 

 ただ、少々無愛想ではある。

 それに加えて、影があるような気もする。

 初対面でそれをどうこうしよう、という程おこがましい事は考えていなかった。

 だが、助力を求められる事があれば、応えたい位には思う。

 

 どうして、それ程彼女に入れ込めるのだろうかと自問すると、答えはすぐに見つかった。

 趣味だけではない。

 もう一つ、同じ事がある。

 志だ。

 父以外で『可能性』を追い求めている者と出会うのは、初めてなのである。

 

 

 

 

 ……いや。

 本当に、初めてだろうか……?

 

 

 

 

「それじゃあ、私はこれで帰る」

 ミクリがそう告げた。

 ヒロは考えるのを止める。

 

「あ、うん。気を付けてね」

「帰りは大通りを歩くから大丈夫だろう。

 ……ところで、帰る前に一つ良いだろうか」

「うん?」

「ヒロは兄花島の海桶屋という民宿で働いているのだったな」

「そうだけれど?」

「うむ……」

 ミクリが右手で左の肘を掴む。

 頬に朱が差した気がする。

 少し言いよどむような様子を見せたが、言葉は途切れなかった。

 

 

「……今度、訪ねても良いだろうか」

「あ……もちろん!」

 予想外の提案だった。

 ヒロは口元を嬉しげに緩めながら頷く。

「観光したかったら、ばっちり案内するから任せてよ」

 一瞬、ベラミの事を思い出したが、すぐに脳裏から蹴飛ばしてしまう。

 彼が絡めばろくな事にはならない。

 

「宜しく頼もう。なんせ、島と君に興味があるものだからな」

「へ……僕にも?」

 思わず、すっとんきょうな声が出た。

「ああ、ヒロにだ。なんせ君は、ダイスケ・タカナ氏の息子なのだろう?」

「そうだけれど……お父さんの名前って話したっけ?」

 

 ミクリの謎めいた興味を一度棚上げして、今日の発言を思い出す。

 父の事は話したが、父の名前は話していないはずだ。

 苗字さえも話していなかった気がする。

 

 

 

 

 

「いや、聞いていないが、知っている」

「どうして……」

「話せば、船が出てしまう。また今度にしよう」

 その言葉を受けて振り返る。

 乗船口の係員が、しきりに腕時計を気にするような仕草をしていた。

 

「ほら、行きたまえ。また会おう」

「あ、うん」

 癖になっている、間の抜けた返事を返す。

 その返事を受けたミクリは、左手を掲げて別れの挨拶をすると、去ってしまった。

 

 

「……むう」

 

 ヒロが唸る。

 一体どういう事なのだろうと考え込みかけたが、そのような事をしている暇はなかった。

 切符は既に購入していたので、受付には立ち寄らず、乗船口で切符を渡して船の一階に乗り込んだ。

 

 一階は馬を載せるスペースになっているのだが、今日は一頭も載っていない。

 二階の客室に上がると、既に乗船している客は五、六名しかいなかった。

 

 船の最大定員は五十名で、その分客席は広く、ほぼ座り放題である。

 ヒロは後列の席に座って、無意識のうちに外を眺めた。

 かぼそい月明かりに照らされて、鳥が滑空しているのが見える。

 滑らかに空を滑っているその様は、まるで紙飛行機のようだ、と思う。

 

 

 

 

 

「……あれ。紙飛行機……?」

 ふと、その言葉に既視感を感じた。

 

 鳥を見たわけではない。

 最近、どこかで紙飛行機を見た気がする。

 ……そう、確か父のラボだ。

 あの紙飛行機に書かれていた質問は、確か……。

 

 

 

 

 

「ああっ!!」

 思わず大きな声を出してしまう。

 一つの仮定が、ヒロの中に浮かび上がった。

 それと同時に、客船がぼぉぉ、と低く重い汽笛を立てる。

 船は、緩慢な動きで港を離れていった。


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