燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

16 / 27
虹の卵編
第十六話/人形使いの音


 十二ヶ月の中で、ヒロが最も好む十月がやってきた。

 

 この月は、なんといっても過ごし易い。

 夏の残り香というには少々過酷な残暑も完全に姿を消しており、外を歩いても日差しに苦しめられる事がない。

 また、冬の厳しい寒さにもまだまだ至らない、気候の挟間となるオアシスのような月である。

 木々も、色とりどりの葉や花、実を纏い、兄花島では特に、特産物である蜜柑の色どりが美しい。

 緑一色であった島の自然が、にわかに艶やかさを帯びてくる季節でもあるのだ。

 

 インドア派のヒロでも、その様な気持ちの良い環境ともあれば、散歩の一つや二つ、やってみようという気にもなる。

 だが、この日のヒロには、散歩を楽しむような時間はなかった。

 もっとも、それは本来、好ましい事なのである。

 

 

 

 

 

「フン~、フンフフフン~、っと♪」

 ヒロの鼻歌が海桶屋の厨房に響く。

 それはすなわち、ヒロが包丁を握っている事を意味していた。

 鼻歌に混じって、まな板がリズミカルに叩かれる音も聞こえている。

 

 なんと、この日の海桶屋には二組の予約客が入っている。

 いずれもロビン在住の家族連れで、初めて海桶屋を利用する客だ。

 予約は今日に限った話ではなく、この所ほぼ連日、客室が複数埋まっている。

 先日の竜伐祭が良いアピールになったのか、あれ以来、兄花島への観光客が多いのだ。

 となれば、当然海桶屋の利用客も増えるという仕組みである。

 料理の最中には鼻歌を歌うのが癖になっているヒロであるが、

 最近の彼の鼻歌には、商売繁盛による機嫌の良さも幾分含まれていた。

 

 

 

「ヒロ君、ご機嫌さんねえ」

 厨房の入口からセンダンが顔を覗かせた。

 この時間の彼女はフロントで待機しているのだが、

 厨房とフロントは隣接している事もあり、暇な時にはよくヒロの様子を見に来ている。

 

「ん、なにがですか?」

 ヒロは振り返らず、料理を進めながら返事をした。

「鼻歌。フロントまで聞こえてきてるわよ」

「いやあ、だって、ですよ」

「うんうん。その気持ちは分かるわあ。

 そのヒロ君お待ちかねの大道芸人さん、もうすぐ来る時間よ」

「あれっ、もうそんな時間でしたっけか」

 センダンの言葉に、ヒロはとぼけた声を出す。

 同時に、初めて見る事になる大道芸というものに、胸が踊るのが自覚できた。

 

 

 

 事の始まりは、やはりセンダンの『良い事』であった。

 この所増えている新規客にリピーターになってもらうべく、

 従来のサービスに加えて、何らかの余興を披露する事を、センダンが提案したのである。

 

 今回のセンダンの提案にはヒロも同意した。

 ただし、それならそれで、決めなくてはならない事がある。

 余興を披露するとして、具体的には何を披露するのかという点である。

 

 ナポリが宿泊した時に躍った舞ではどうか、とセンダンは主張したが、今回は子供も見る可能性がある。

 ともすれば、もっと分かりやすいものが良いかもしれない。

 センダンの舞を却下し、不満げな彼女をなだめつつ弾きだした答えは『餅は餅屋』だった。

 すなわち、大道芸協会に所属するプロの大道芸人を呼ぶ事にしたのである。

 

 

 

 

 

「センダンさん、芸人さんの選択は譲ってくれませんでしたよね」

 ヒロはセンダンをジト目で見ながら言う。

「当たり前じゃない。私の代わりにお客様を楽しませてくれる人なんだから、私が選ぶわ」

「予算内の人選だから構いませんけれど……で、どんな人でしたっけか」

「ウィグ・キーシさん。パンフレットによると、男性の人形使いさんよ」

「人形、ですか?」

「うん。大陸全土を旅して、各地の人形を使った劇を学んでいる最中なんだって。

 凄いよね。全土だよ、全土!」

 センダンがぴょんぴょん飛び跳ねながら言う。

 相変わらずの派手な仕草だが、彼女の言う事が本当であれば、凄い大道芸人なのかもしれない。

 

 

 

「面白いと良いですね」

「安心して! 絶対面白い!」

 力強い言葉である。

 そう言い放った後で、彼女は耳をピクピクと動かすと、首だけで振り返った。

 

「ん。足音がした。来たみたいよ」

「地獄耳ですね」

「狐耳と言って欲しいわ」

 

 そんな掛け合いを交わしながら、二人してフロントに出る。

 センダンの言う通り、フロントの向かいにある土間に、男性らしき人物が立っていた。

 背丈や体格は成人男性のそれなのだが、顔まで隠れる黒頭巾を被っていて、服装も黒一色である。

 顔つきや衣装では、性別が判断できなかったのだ。

 この特異な格好は仕事絡みなのだろうか、とヒロは思う。

 黒尽くめは、バンド付きの大きな木製の箱を背負っていたが、これは傷や汚れが目立っていた。

 この箱の中に、仕事道具を入れているのかもしれない。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ! ウィグさんですよね?」

 センダンが元気良く尋ねる。

 

 黒頭巾は、恐縮そうにちょこんと頭を下げた。

 だが、それだけである。

 彼は口を開かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十六話/人形使いの音

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィグが、背負っていた箱を下ろした。

 箱は観音開きになっていたが、開かれた面は土間の方を向いていて、中は見えない。

 急にどうしたのだろうと、ヒロらが様子を見守っていると、ウィグは二体のマリオネットを取り出した。

 派手な衣装を纏った老人のマリオネットと、若く精悍な顔つきのマリオネットの二体である。

 糸の先には、マリオネットを操る為の操作板が付いていて、ウィグがそこを握って少し指を動かすと、

 二体は流暢な動作で、ヒロらに向かってお辞儀をした。

 

 

「わあ、凄い! 滑らかな動きね!」

「生きてるみたいですね……挨拶代わりに、何か見せてくれるんでしょうかね?」

 突然の挨拶に、二人は思わず感嘆の声を漏らす。

 ヒロの言葉には、マリオネットが頷いて返事を返してくれた。

 

「おお! なんだろなんだろ!」

 センダンが声を躍らせながら腰を下ろす。

 それにヒロも続いた所で、マリオネットの足が床に下りる。

 まず活発に動き出したのは、派手なマリオネットだった。

 周囲に向かってステッキを振り回したり、胸を張ったりといった仕草を行っている。

 なんとも偉そうな事この上ない。

 その上、着ている物も派手ときては、どうしても連想してしまう身分がある。

 

 

「ふむ……この人は貴族かなにか、なんですかね?」

「じゃないかな。凄い偉そうだもん」

 センダンも似た考えだったようで、同意してくれた。

 

 一度貴族だと連想すると、そのマリオネットの周辺が、自動的に浮かび上がってきた。

 ふんぞり返ってまっすぐに歩く様からは、王城の廊下を闊歩している光景が見えてくる。

 怒鳴るように身を乗り出すと、彼に怒鳴られる部下達の姿が見えてくる。

 ただ人形が動いているだけなのに、周辺がみるみるうちに彩られていく。

 二人はあっという間に、何もないはずなのに鮮やかな、不思議な世界に引き込まれていった。

 

 

 

 そして、貴族のマリオネットが散々威張っている最中、精悍な顔つきのマリオネットは、大人しくその後ろに付いて回っていた。

 こちらも、貴族のマリオネット程ではないものの、それなりに良い衣服を纏っている。

 おそらくは、このマリオネットも貴族なのだろう。

 だが、時折振り返る老貴族に頭を下げている辺り、どうも上下関係があるように見受けられた。

 

 老貴族は時折、頭を下げている若貴族をステッキで小突いている。

 それが二度、三度と続くだけで、貴族は貴族でも、老貴族には『悪い』の肩書きが付くのだとヒロは察した。

 老貴族の動きは、段々とエスカレートする。

 若貴族を蹴り飛ばし、小突くの域を超えてステッキを打ち据えて、散々な目に遭わせる。

 どこまで若貴族をいびるのだろうか……そうヒロが考えた瞬間に、二人の行動は逆転した。

 またいびられた若貴族が右腕を一回転させると、どの様に仕込んでいたのか、その手には小刀が握られていた。

 

 突然現れた刃物に、老貴族の動きが止まる。

 そんな老貴族に、若貴族が一歩歩み寄る。

 その分、老貴族は後退。

 また若貴族が前進。

 その二歩目を合図に、老貴族は一目散に逃げ出した。

 だが、若貴族は逃がさない。

 逃げる老貴族の額目掛けて、小刀を鋭く振り下ろしてみせる。

 

 

 

 

 

「ああっ、分かった!」

 そこで声を張り上げたのは、センダンだった。

「あれよ、あれ! 忠義者! 嫌な上司貴族を切りつけた男が死刑になって、その男の部下が仇を取る話!」

「あ……なるほど!」

 ぽん、とヒロは手を打つ。

 忠義者は、内乱時代の後、すなわち君主制の確立後に発生した実話を基にした、有名な話である。

 部下達の忠義の行動が大いに受け、当時は熱狂的な人気を誇った物語であり、

 現代でも古典的な劇として、こういった人形劇の他、演劇等でも頻繁に題目として用いられているのである。

 言われてみれば、この二体の立ち位置は忠義者と同じようである。

 

 

 

「ね! ウィグさん、忠義者でしょ!?」

 センダンが身を乗り出して尋ねた。

 センダンのみならず、ヒロも答えを求めるような視線をウィグに向けると、ウィグは操作盤を床に置き、小さく拍手をしてくれた。

 

「やった、当たり!」

 センダンが、ふにゃふにゃと嬉しそうに尾を振る。

「凄いですね。音がなくても、ちゃんとお話って伝わるんだ……」

「人形の動きだけで、周囲の風景が伝わってきたわよね」

「うんうん。さすがはプロの大道芸人さんです」

「ウィグさんに来て貰って良かったあ! 今日は宜しくお願いしますね!」

 センダンは立ち上がって、ウィグににっこりと笑いかけた。

 ウィグは、それに深々と頭を下げて応える。

 だが、口は開かない。

 芸は終わったというのに、まだウィグは喋ろうとしない。

 ふと、まだウィグの声を一度も聞いていない事に、ヒロは気づいた。

 

 

 

「あの……ウィグさん?」

 ヒロは首を傾げながらウィグに声をかける。

 そんな、ヒロの不安げな様子が伝わったのか、ウィグは箱から紙とペンを取り出した。

 紙に何やら文字を書き終えると、ウィグは両膝を床に付き、慎ましい動作でその紙を前に突き出す。

 紙には、こう書かれていた。

 

 

 

 

 

『協会のパンフレットにも書いていた通り、私は病で、あまり声が出ません』

 

 

 

 

 

 思わず、ヒロとセンダンは顔を見合わせる。

 

「センダンさん……パンフレットに、そんな事書いてありました?」

「……あー……詳細欄読み飛ばしてたから、分かんない」

 

 センダンの声は、実に気まずそうなものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ウィグ・キーシが芸の道を志したのは、十五歳の頃である。

 友人に誘われて上級アカデミーで演劇クラブに属した彼は、演劇を通じて、そこに本来はない何かを表現する魅力に取り付かれた。

 クラブでの活動のみならず、私生活においても暇さえあれば劇団の劇を観賞し、役者としての心得を学び、生活の全てを演劇に捧げた。

 そんな彼の努力は実る。

 五年後である二十歳の年、上級アカデミーを卒業した彼は、首都ミクリに拠点を構えるこの国で最大の劇団のオーディションに合格した。

 それから数年は、訓練と端役の日々である。

 それでも、演劇を愛していた彼はめげなかった。

 少しずつ実力を身につけた彼の露出は、徐々に増える。

 そして二十五の年……芸の道を歩いて十年目の年に、転機はやってきた。

 ある演目のオーディションで、彼はついに準主役の座を射止めたのである。

 端役からの大きなステップアップ。

 だが……本当の転機は、それではなかった。

 

 

 

 

「……えー、続きを読むわね。その直後、病に倒れたウィグさんは生死の境をさ迷い、

 無事生還はしたものの、声が殆ど出ない体になってしまった、と書いてあるわ」

 センダンが、気まずそうな表情をパンフレットで隠しながらそう言う。

 そんな彼女をもう少し責めようかとも思ったが、それよりも今はウィグの話である。

 

「殆ど……という事は、少しは喋る事ができるんですか?」

 ヒロは居住まいを正し、ウィグにそう尋ねた。

 ウィグはそれに頷いて返事をした。

 それから、慣れた手つきでまた紙の上でペンを走らせる。

 

 

「ふむ……声は出るが擦れているし、不意に出せなくなる事もある……ですか。

 なるほど……それだと、確かに演劇を続けるのは難しかったでしょうね」

「でもヒロ君、そこでウィグさんは新しい道に目覚めるのよ!」

「そうパンフレットに書いてあるんですね」

 さも自慢げに言うセンダンに、ヒロは淡々と事実を確認する。

 

「うっ……パンフレットに書いてあったって良いじゃない!」

「別に駄目とは言ってませんよ。で、新しい道とは?」

「おお、よくぞ聞いてくれました!」

 センダンはそう言って嬉しそうに笑うと、言葉を続ける。

「演劇の道を断念したウィグさんは、新たな表現の道を志したの。

 それがすなわち、人形ね。

 国中を回って、各都市特有の人形劇を学び、人形を収集しているらしいわ。

 マリオネットにギニョール、からくり人形、布袋人形……聞いた事ない人形が沢山あるわね」

 

 

 センダンのその言葉に、ウィグが反応する。

 紙に『布袋人形』と書き殴って、箱からまた一つ人形を取り出してみせた。

 服の中が空洞になっている人間型の人形で、手を差し入れて手や頭を動かすタイプのようである。

 白を基調とした布の服を纏っていて、顔や手は木製のように見受けられた。

 顔の彫刻は細かく、髪はおそらく動物の毛を用いているのだろう、実に鮮やかだ。

 非常に美しい印象を、ヒロは受ける。

 

「名前の由来は、見たまま……ですか?」

 ヒロがそう尋ねると、ウィグはまた頷いて反応した。

 それから、またウィグは文字を書き殴る。

 

 

「ふむ……布袋人形は、大陸西に位置するプノ砂漠の玄関都市、ヘディンで購入したもの……ですか?」

 ヒロがウィグの文字を疑問系で読み上げる。

「その口調は、ヒロ君、ヘディンの事知らないわね」

「聞いた事があるような気はしますが……センダンさんは知ってるんですか?」

「もちろん。ヒロ君ってホント、マナの事以外は常識に疎いわね」

「むう」

「はいはい、ただでさえ怖いんだから、眉間にしわを寄せないの」

 センダンはヒロをなだめてから、説明を開始する。

「ヘディンは、プノ砂漠を渡る為の前線基地のような都市よ。

 土地柄、岩をくりぬいたような家が多くて、一見するとみすぼらしいかもしれないけれど、商売は活発で歴史も深い都市なの。

 近くには失われた都もあったから、その文化も流れているんでしょうね。

 布袋人形の事は私も知らなかったけれど、きっとこれも歴史ある人形じゃないかな」

「ふむ……」

 センダンの言葉には、まだ疑問が残る。

 失われた都とは何なのか詳しく聞いてみたい所だったが、

 またセンダンに優越感を抱かせるのが癪で、ヒロはそれ以上尋ねようとしなかった。

 

 

 

「でも、これは確信したわ。やっぱりウィグさんは大当たりよ!

 本当に大陸全土を旅していたんだもの。凄い人形使いさんに当たったもんだわ」

 センダンが瞳をきらきら輝かせて、ウィグを見やる。

 一方、当のウィグは冴えない様子だった。

 黒頭巾で覆われていて、その表情を読み取る事はできない。

 だが、彼の肩は少々消沈気味で、やや俯いているように見受けられた。

 今度はゆっくりとした手つきで、また筆談を始める。

 

 

「ふむ……そんな事はありません……ですか。

 いえいえ、そんな事あります。ウィグさんのさっきの人形劇、リアルでしたよ。

 ねえ、センダンさん。良かったですよね」

「うんうん! 周囲の光景が浮かんできたんだもの。感動物だったわ!

 ふむ……音がない芝居は難しい。さっきの話は大人だから通じた……ですって?

 むう、それは……今日は子供のお客様が多いけれど……ううん」

 

 ウィグの一文に、二人は返す言葉を失う。

 確かに、音のない芝居は、子供に伝わり難いかもしれない。

 パントマイムのような短い表現であれば伝わるかもしれないが、

 人形劇のように詳細なストーリーがあると、なかなか難しいだろう。

 

 三人の間に、気まずい空気が流れかける。

 だが、その空気を払拭したのは、意外にもウィグの口だった。

 

 

 

 

 

「今日は、喋ります」

 この日、ウィグが初めて発した声は、小さくて掠れていた。

 だが、熱意に満ちている声でもあった。

 

「ウ、ウィグさん、喋って大丈夫なの!?」

 センダンが中腰になり、ウィグを気遣うように手を伸ばして尋ねる。

「大丈夫……仮に声が出なくなっても、もう病には影響ありません」

「ウィグさん……」

 ヒロはウィグの名を口にしながら、彼を見つめる。

 

 やはり、黒頭巾に覆われた彼の表情を読み取る事はできない。

 だが、その奥には、声同様に熱意に満ちた顔がある事は、容易に想像できた。

 その熱意の根源は、何なのだろう。

 ウィグを見ながら考えたが、ヒロは結局、その答えは分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 その日の晩、夕食を終えた二組の宿泊客は、一階中央フロアに集まっていた。

 ヒロらがサプライズで人形劇の披露を提案したのだが、

 二組とも家族連れという事もあって、いずれも嬉しそうに、ヒロの話に乗ってくれた。

 子供の数は計四名。

 皆人形劇の開始を待ち侘び、落ち着きなく立ったり座ったりを繰り返している。

 喜びが行動に出ないだけで、世間話を交わしている大人達も、表情は明るい。

 

 どうやら、掴みは良いようである。

 せっかく楽しみにしている子供達を無駄に怖がらせないように、

 司会役のヒロは、先日の竜伐祭で使用した狐面を付けて、客達の前に登場した。

 

 

 

「大変お待たせしました。板前のヒロと申します。

 皆様、今日のお食事はお口に合いましたでしょうか?」

 

「わあ、きつねさんだ!」

「きつねさんがご飯作ってくれたんだ」

「美味しかったよ。ありがとうー!」

 ヒロの登場に、子供達は歓声を上げてくれた。

 林檎のような赤く丸い笑顔を浮かべていて、なんとも愛らしい。

 ここに素顔で登場していたら、こうはいかなかっただろう。

 いつもの事とはいえ、内心では自身の顔に嘆きながら、ヒロは言葉を続けた。

 

 

 

「うん、皆ありがとうね。

 ……さて、人形劇の方ですが、ようやく用意が整いました。

 題目は皆様ご存知の忠義者。演者はウィグ・キーシとなります。

 ちびっこの皆は、忠義者ってお話、知ってるかな?」

 

 ヒロの問いに、子供達は一同に首を横に振った。

 案の定であるが、この反応は計算に入れている。

 

「じゃあ、簡単にお話しておこうか。

 昔々、凄く悪い貴族がいて、いつも威張ってばかりだったんだ。

 優しい貴族もいたんだけれど、悪い貴族にやっつけられちゃってね。

 そこで、その優しい貴族の仲間達が、悪い貴族をやっつけるお話だよ」

 

 実際の物語とは少し違う説明であったが、分かりやすさを重視してヒロはそう話した。

 事前に説明を用意していたのが功を奏し、子供達はそれなりに内容を理解できたようである。

 ヒロは胸を撫で下ろしながら、フロアの隅へと後退した。

 

「それでは、早速縁者に登場して頂きます。どうぞ!」

 

 その言葉を合図に、フロア裏で待機していたウィグが小箱を手に現れた。

 客の拍手に深々と頭を下げて応えると、今回必要な人形だけを入れた小箱から、老貴族と若貴族の人形を取り出す。

 人形に繋がっている操作盤を手にすると、二体もウィグと同じように頭を下げて挨拶をした。

 実に慣れた手つきで、その人形の動きには不安は感じられない。

 だが、今回の不安は別にある。

 

 

「……大丈夫かな」

 センダンがヒロの近くに来た。

 ヒロにしか聞こえない位の小さな声で、そうぽつりと呟く。

 ヒロも心配ではあったが、始まってしまえば、もうなにもできない。

 二人は固唾を飲んで、ウィグを見守り始めた。

 

 

 

 

 

「昔々のその昔。とっても昔のお話です。

 この国には、サーコンという意地の悪い貴族と、その部下のマタという貴族がおりました」

 

 ウィグの語りが始まった。

 発音がはっきりしていて、喋る速さも適度である。

 さすがは元劇団員と言うべき、落ち着いた語りである。

 だが、小さい。

 やはり声量はどうしようもなく、耳を澄まさねば何と言っているのか聞き取り難い。

 客もそれは同様のようで、怪訝な表情を浮かべたり、前に出て声を聞こうとしたりする者がいた。

 

 

 

「おい、マタ!」

 そんな客の反応を知ってか知らずか、ウィグはありったけの声を出しながら、サーコンを操る。

 ヒロらの前で披露した時と同様に、違和感のない流暢な動きである。

「はっ、いかがされましたかウィグ様?」

「来月は、我が王がパーティーを開く事になっているな?」

「ははっ、その通りでございます」

「そのパーティーを、ワシとお前で準備する事になっていたな?」

「その通りでございます」

「うむ。そこでな……ワシの分まで、お前が準備をするのだ」

「私が二人分……ですか? サーコン様は、どうして準備をされないのです?」

「うるさいっ! ワシはお前より偉い! 黙ってワシの言う事を聞けっ!」

「……ははっ!」

 

 人形達が、くるくると踊るように身体を翻す。

 相変わらず声は聞き取り難かったが、ウィグの操作がそれを何とかカバーした。

 ややオーバーリアクション気味の動きだが、その分、彼らの感情が見る者に伝わってくる。

 子供達は食い入るように人形を見つめ、サーコンに憤り、マタに同情している。

 

 

 

「……まだ聞き取り難いですけれど、何とか伝わっていますね」

「うん。この調子なら……」

 ヒロとセンダンも、まだ不安は残っている。

 それでも人形劇が成立している事については一安心し、なおもウィグを見守った。

 

 話は続く。

 嫌がらせは日に日にエスカレートし、とうとう若き貴族マタは我慢の限界に達する。

 王城廊下でサーコンを切りつけて取り押さえられ、史実では彼は処刑される事となる。

 今日の客層を考慮してか、人形劇の上では、マタは辺境に飛ばされた事になっていた。

 だが、話の大筋に変わりはない。

 主への非礼に憤ったマタの部下達が、サーコンに誅を下す為に決起するのである。

 話に応じて人形が次々と入れ替わり、決起集会の時には、部下筆頭のウチクラという名のマリオネットと、

 その他大勢の部下を表現する、複数の人形が連結されたマリオネットが使われていた。

 

 

 

 

 

「皆の者、この日集まった理由、分かっているな!」

 凛とした動きのウチクラに合わせ、ウィグが低く威厳のある声を出す。

 子供達もウチクラ達部下の憤りはよく承知しているようで、他の部下達よりも先に頷く程であった。

 そして、いよいよウチクラが決起の一言を口にする。

 この一言を境に、物語は後半のサーコン討伐に移る。

 ……はずであった。

 

 

 

「………!」

 

 

 

 ウィグの身体が不意に強張る。

 続きの言葉が聞こえない。

 小さな声さえも聞こえてこないのである。

 

 ヒロとセンダンは、あっと目を見開いた。

 よもや、セリフを忘れたわけでもないだろう。

 考えられる事は一つしかない。

 憂慮していた通り、ウィグの声が出なくなったのである。

 

 

 

「あれれ?」

「理由は……?」

 沈黙が長くなり、子供達がざわつきはじめる。

 大人達も何が起こったのか分らないようで、口を開きはしなかったが、不思議そうにウィグを見ている。

 一方のウィグは、必死に声を捻り出そうとしているようだが、どうにも出てこない。

 

「センダンさん、これは一度仕切りなおし……あれっ?」

 見かねたヒロが、センダンの方を向く。

 だが、そこにいたはずのセンダンがいない。

 一瞬固まってしまったが、周囲を見回すと、すぐに彼女の姿は見つかった。

 

 

 

 

 

「この日集まった理由! それは! それはそれはそれはっ!!

 ズバリ、マタ様の仇を打つ為の決起だっ!!」

 ウィグの側に躍り出たセンダンの声が響き渡る。

 あじゃー、とヒロは膝が崩れ落ちた。

 まさか、まさかである。

 まさかの人形劇乱入なのである。

 

 

「倒すぞ倒すぞ、サーコンを倒すぞ!

 必ずや、我等の忠義を証明して見せるぞっ!!

 エイエイ、オウオウ! がんがんががん、頑張るぞ、ほいっ!!」

 センダンはなおも啖呵を切る。

 啖呵という割には相当に適当な語りかもしれない。

 

 予想外の乱入に、ウィグも客も、ぽかんとセンダンを見ていた。

 だが、そこはさすがにウィグが、客よりも早く状況を察した。

 少し遅れながらも、センダンの言葉に合わせて人形を操る。

 

 センダンは話の粗筋を知っているだけで、当然、台本を読んでいるわけではない。

 その言葉は台本の内容とは異なる点が多々ある。

 それに加えて、センダンの性格そのままの、奇妙な語りである。

 どうにも違和感は拭えない。

 

「あはは! 変な喋り方ー」

「人形さんかわいいー!」

 だが、子供達は喝采した。

 センダンの語りが逆に受けたのだろうか、先に子供達が劇の世界に戻ってきた。

 それから遅れて、大人達も、好奇心に満ちた視線を人形に戻す。

 急にテンションが上がったこの劇が、これからどうなるのか気になるのだろう。

 

 

 

 

 

「な、なんとかなった……」

 思わず脱力したヒロであったが、柱を掴みながら立ち上がる。

 すると、センダンが手首だけを曲げて手招きしてきた。

 こうなれば、もう、彼女の言いたい事は分かる。

 口にはしていないが『良い事』だ。

 ヒロにも参加を促しているのである。

 

 

 

「……このままセンダンさんだけに喋らせちゃ、怖いしな」

 ふう、と重く嘆息を零す。

 だが、ヒロの口の端はにやりと上がっていた。

 仕方がないと言わんばかりに首を左右に振ると、ヒロもまた、ウィグ達の側へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 翌日早朝。

 さすがに秋の朝ともなれば、少々寒気が厳しく感じられる。

 だがその寒さも厭わず、まだ客が二組とも寝ている間に、ウィグは海桶屋を発とうとしていた。

 

 

 

「昨日は本当に申し訳ありません。そして、ありがとうございました」

 一晩経ち、また復活した声を出しながら、ウィグが頭を下げる。

 会話をかわす程の距離であれば、彼の声を聞き取るのに支障はなかった。

 

「……私は、少々意固地になっていたかもしれません。

 昨日……喋ると言ったのは、お客様の為だけではありませんでした。

 ふと、劇団員だった頃の事を思い出してしまって、あの頃に少しでも近づこうという気持ちがあったんだと思います」

「そういう気持ちになるのは、仕方ありませんよ」

「いえ、それではいけません」

 ヒロの気遣う言葉に、ウィグは弛みない言葉を返す。

 

「お客様達に、ハッキリと声を届ける事ができなかった。

 その上、その声さえも出なくなって、人形劇を台無しにしかけたのですから。

 あれは本当に申し訳ありませんでした」

「………」

「やはり、私の声はもう使い物になりません。

 ……でも、お二人のお陰で、気がつく事ができました

 私には新しい音がある。人形使いとしての音がある」

「人形使いとしての音……?」

 センダンが言葉を繰り返す。

 それに対して、ウィグはこくりと頷いてみせた。

 

 

 

「ええ。私が人形を操り、他の者に声をあてて貰うのです。

 もちろん、言葉と身体を別々に演じるのですから、そこには多少の違和感が出るでしょう。

 ……でも、それが良い」

 ウィグは胸に手を当てながら、しみじみと語る。

 黒頭巾の奥を見ずとも、そこには温和な表情がある事が、ヒロには分かった。

 

「その完全ではない不可思議な雰囲気が、人形劇には合っているような気がします」

「ええ。お客様、凄く盛り上がってくれましたね」

「人形劇って不思議ね。少々の欠落は、むしろ面白みに繋がるんだもん」

 ヒロとセンダンが相槌を打つ。

 二人の反応に、ウィグは微笑んだように首を傾げてみせた。

 それから、少しだけ間をおいて、またウィグが喋る。

 

 

「……私はこれから、また大陸全土を回って、引き続き人形を極めます。

 それと同時に、共に人形劇を作ってくれる、パートナーを探そうと思います。

 その時は、また海桶屋さんにお邪魔しても宜しいでしょうか?」

「「それはもちろん!」」

 ヒロとセンダンの声がハモった。

「ヒロ君、真似しないでくれる?」

「センダンさんこそ」

「私が先に言ったんですー!」

 

 ヒロとセンダンが、またくだらない言い争いを始める。

 和やかな二人に、ウィグは声を立てて笑う。

 彼は愉快そうな声を止めずに、黒装束のポケットに手を入れた。

 すぐにその手を出してみせると、そこには小さな卵が握られていた。

 

 

 

「はははははっ! 二人とも、本当に楽しい人です。

 これは……大したものではありませんが、宜しければ受け取って頂けませんか?」

「卵? 食べられるの?」

 センダンが高いトーンの声を出す。

 

 卵はよく見れば、色がついていた。

 だが、ヒロにはそれが何色と出来なかった。

 見る角度によって、赤や青、緑や黄と、色が変わるのである。

 いずれも淡い色合いで、その控えめな薄さが綺麗だった。

 

 

 

「いえ、多分食べられないでしょうね。

 これはヘディンに立ち寄った時に、布袋人形と一緒に購入した卵です」

「へえー! 昨日話した、プノ砂漠の近くのヘディンよね?」

「ええ。なんでも噂によれば、失われた都から流れてきた卵だそうで」

「おおっ! なんだか凄いんじゃないの、それって!」

「あの……失われた都って?」

 昨日聞き流した言葉が、また出てきた。

 今なら聞いても構わないだろうと、ヒロはおずおずと尋ねる。

 

 

「ヘディンよりも砂漠側に位置する遺跡群の事ですよ」

 ヒロの問いに答えたのは、ウィグだった。

「その昔は、戦略上の重要拠点だった、風と砂の都です。

 精霊戦争後はその価値を失ってしまい、人が離れ、廃れてしまった所なので、失われた都と呼ばれています。

 立地上、砂風で殆どの遺跡は埋もれているのですが、時折歴史の遺物が発掘される事もあるんですよ」

「なるほど……」

「とはいっても、大抵はガラクタで……この卵も、そうして見つかり、ヘディンに流れて売られていたんです。

 いつ頃の卵なのか、何の卵なのか、孵るのか、食べられるのか、何も分かりません。

 ただ分かっているのは、綺麗だという事。それだけですね」

「ふむ……本当に頂いて良いんですか?」

「はい。今回の出会いを記念して」

「……ありがとうございます」

 ヒロは、笑顔で礼を述べた。

 ウィグから卵を受け取ると、その流れでそのまま彼と握手をする。

 センダンとも握手したウィグは、箱を背負い、その箱に負けないように背筋を伸ばした。

 

 

 

 

 

「それでは、これで!

 またいつか、お会いしましょう!」

「ええ、またいつか!」

「ウィグさん、頑張ってね!」

 

 

 

 三人の声が交錯する。

 その声に反応するかのように、ウィグから貰った卵は、ヒロの手の中でキラリと輝いた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。