燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第十五話/祭りの終わりに……

「ではでは!

 この兄花島、昔は花街だった、とご存知の方はどれくらいいらっしゃいますでしょうか。

 宜しければ、手を上げてみてくれますか? はい、そうです、そうです。照れずにビシッと!

 はい、ありがとうございますー! 二割、三割という所でしょうか。結構いらっしゃいますね。

 

 それでは……ご存知の方には恐縮ですが、まずはこの兄花島の過去の話をしたいと思います。

 今からおよそ二百年前、この国は二つに分かれていました。

 精霊を信仰する人々と、精霊の存在を信じずに人の力だけで生きようとした人々。

 それらが、国の覇権を争っていた内乱時代……別名、精霊戦争があった事は、皆さんもご存知ですよね。

 

 精霊戦争の勝者は……これもご存知かとは思いますが、現王族エクリプス家の祖先、エクリプス一世率いる精霊信仰側です。

 戦争末期ともなれば、殆どの都市は精霊信仰側が治めており、このヒノモトも同様でした。

 戦争もようやく終結の気配を見せると、生活も安定し始めます。

 兄花島の人は、その安定に伴い、新たな産業に手を出し始めました。

 それが、特別なお宿の経営……すなわち、兄花島の花街化です。

 花街って何の事か分からない子いたら、帰ってからお父さんに聞いてねー。帰ってからよ、帰ってから!

 

 

 

 さて、兄花島のお宿は、どこも大いに繁盛したそうですよ。

 当時の兄花島には、漁業で生計を立てる男が多くいましたが、

 当時の漁業はそれは過酷だったもので、仕事を終えて島に帰ってきた男達は、こぞってお宿に向かったそうです。

 

 お宿の方も、そのような精神的疲労を抱えたお客様を相手にするのですから、サービスには気を配りました。

 本来のお仕事の他にも、長い航海で汚れた服を洗濯したり、破れていれば繕ったり。

 他にも、お食事の用意をしたり、愚痴を聞いてくれたりと、それはもう妻のような仕事をこなしたそうです。

 その為に、お宿の女性達は『船後家』と呼ばれるようになりました。

 そこのお客様ー、ご想像の後家さんとはちょっと違いましたか? あははー、また怒られてますね。

 

 この船後家さん、多い時期では百名以上在籍していたそうです。

 船後家さんの多くは、口減らしの為に売られたり、戦争で孤児となった子供です。

 あとは、こういうお仕事だからなんでしょうねえ。

 変化の術でお客様のご要望にお応えできる狐亜人等は、重宝がられていたそうですよ。

 

 そういうわけで、船後家さんの殆どは、望んで船後家になったわけではありませんでした。

 だというのに、心身共に過酷なお仕事です。特に心労は相当のものがあった事でしょう。

 当時は、島と島の間を結ぶ橋はなく、兄花島は孤島の監獄のようなものでしたので、そういう意味でも辛いお仕事でした。

 

 船後家さん達には、二つの気晴らしがありました。

 一つは、精霊への祈りです。

 精霊戦争が終結しかけていた事もあって、当時の人々は信心深かったそうです。

 船後家さん達もその例に漏れず、休日には連れ添って海岸に出かけ、

 このフタナノ海のどこかにいる精霊に祈りを捧げたそうです。

 おそらくは、皆、自由を祈り願ったのでしょうね。

 一応、一定額を稼げば自由の身になれたそうですが、自由になれた者はそう多くないと聞きます。

 

 そして、もう一つがこの竜伐祭。

 竜伐祭は内乱時代よりも昔から行われていたお祭りで、当時ももちろん開かれていました。

 このお祭りの費用ですが……実は、彼女達が勤めるお宿が殆ど提供していたそうですよ。

 その様なわけで、島民達は船後家さんには頭が上がりませんでした。

 竜伐祭の日は、船後家さん達も仕事はお休みです。

 なんせ、彼女達がこのお祭りのスポンサーのようなものですからね。

 皆、この日は自分の為に自分を着飾り、お祭りを大いに楽しんだそうです。

 そんな、一夜限りのうたかたの夢の翌日には、また船後家としての日々が待ち受けていたわけです。

 

 

 

 あはは、なんだかしんみりしちゃうお話ですよねえ。

 ええ、これは実話ですから、ハッピーエンドにしたくても、出来ないんですよ。

 ……では、何故このようなお話をしたのか。

 はい、そこの船後家父さん、答えて下さい!

 ……ふむふむ。『海桶屋の宣伝の為』……あっ、それいい!

 もうそれ正解と言いたい!! 言いたいのですが……一応、はずれです。

 ううん、でも一部正解と言えるかな? 正解は『私達の兄花島の事を知って頂きたいから』です。

 

 兄花島は、今ではヒノモトの古い町並みくらいしか見るべき所のない、閑静な島です。

 でも、その古い町並みには、何百年もの歴史が篭っています。

 船後家さんと精霊歌の話以外にも、多くの民話が伝わっています。

 その一部を、皆様に知って頂きたかったのです。

 

 今日お話した事や、竜伐祭というお祭りそのもの。

 それらをきっかけに、皆様に少しでも兄花島を好きになってもらい、

 また兄花島に来て頂き……そして、あわよくば、私が勤める海桶屋に泊まって頂ければな、と!

 あはは、ありがとうございます。熱い拍手、ありがとうございますー!

 

 ……実は、私も元々この島の者ではないのですよ。

 数年前、この島にふらりと立ち寄ったその日が、竜伐祭の日だったんです。

 その日も、お祭りがもう楽しくて楽しくて!

 ステージイベントに飛び入り参加して歌い踊ったり、もうパパラパッパラ、大フィーバーだったんですよ!

 

 ところが、はしゃぎ過ぎたのがいけませんでした。お財布、落としちゃいまして。

 飢えに飢えてしまった所、島の人々がご飯を食べさせてくれたり、お宿に泊めてくれたり、一緒に財布を探してくれたり。

 ちなみに、結局財布は見つかりませんでした。もしかしたら皆様のお足元に落ちているかも?

 とまあ、そのようなわけで、島の人々の暖かさに触れて、いつの間にかこの島に居つくようになったんです。

 

 ……あはは、ごめんなさい。最後のお話はちょっと蛇足気味でしたね!

 さてさて、皆様お待ちかねの、ナポリ・フィアンマによる精霊歌!!

 それを始める前に……ええと……むう……えっ?

 あ、もういい? もういいの? 本当に?

 ……あ、ごめんなさい、こっちの事です。こっちの事。

 

 大変長らくお待たせしました! いよいよ精霊歌のお時間です。

 ロビンの大人気精霊歌歌手、ナポリさんにご入場して頂きましょう!

 皆様、盛大な拍手でお迎え下さいー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十五話/祭りの終わりに……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前もって拍手を頼む必要はなかった。

 センダンと入れ違いでステージ裏からナポリが登場すると、観衆は拍手と歓声を持ってナポリを迎え入れた。

 その歓迎も、ナポリにとっては日常的なものなのだろう。

 彼は歓迎に臆する事無く、観客席を見回しながら、ゆるやかな動きで観衆に手を振ってみせる。

 その動きの最中に、ステージ照明がナポリの歯に当たった。

 ステージ前列に、お約束の輝きが生まれる。

 

「キャーッ!!」

「ナポリー! ナポリ様ー!!」

 

 最前列に陣取った女性の観衆の声は凄まじかった。

 ナポリはその歓声に目礼で軽く答えたが、それ以上何かをしようとはしなかった。

 ナポリの反応が薄い事に、静まるのを待っているのだと悟った観衆から順に口をつぐむ。

 沈黙とは不思議なもので、あれだけの歓声が上がっていたのに、静けさは瞬く間に伝染する。

 最前列の女性観衆が最後に静まった所で、ナポリは遠くまでよく通る声で喋りだした。

 

 

 

 

 

「やあ皆、こんばんは。今日は良い天気だね。

 星もマナも綺麗だ。精霊に歌を捧げるにはもってこいの日だね」

 

 その言葉を受けて、多くの観衆が空を見上げる。

 土地柄、兄花島で観測できるマナの多くは、水のマナである。

 ナポリが言う通り、空には星とマナを遮るものが何もなく、綺麗な光が散らばっていた。

 星の白く明るい光と、水のマナの青白く幻想的な輝き。

 観衆達は、暫しそれらの輝きに目を奪われた。

 

 

「……さて。歌の前に、一つ話をしよう」

 ナポリが言葉を続けた。

 また観衆がナポリに視線を向ける。

 

「皆も知っての通り、精霊歌に楽隊の存在は欠かせないものだ。

 楽隊の楽器に篭ったマナの力で、精霊により強く精霊歌を捧げる事ができるからね。

 ……ところで、皆に、この場を借りて謝らなくてはならない事がある。

 今日、ちょっとしたハプニングが起こったんだ。

 その大事な楽隊のうち、コルネットの担当が、急病で今日はどうしても来る事ができなかった」

 

 その言葉に、客席が少々ざわついた。

 ナポリが入場した時とは異なる、困惑のざわつきである。

 そのざわつきが止むのを待たず、ナポリはなおも喋り続ける。

 

 

 

「……精霊歌歌手は、皆の応援のお陰で成り立っている職業だ。

 皆の為に、そしてもちろん歌を捧げる精霊の為に、私達は歌っている。

 今日は、それに加えて、ある二人の為に歌いたいと思っていたんだ。

 今日、この場に僕を招いてくれた二人の友人の為に。

 だというのに、万全の歌を捧げる事ができないのは、この上なく申し訳がない」

 

 ナポリの表情に、微かに悲哀の色が篭る。

 観客席からは、ナポリを励ます声が幾つか飛んだ。

 

「ありがとう、皆。

 ……私はステージが始まるまでの間、精霊に祈ったよ。

 精霊よ、私は大切な人々がいるのだ。

 まずは何よりも、大いなる精霊。

 そしてファン、家族……更には友人達。

 貴方も含まれているのに、貴方に頼むというのも妙な話だが、

 この窮地を救ってはくれないだろうか……とね。

 するとね。私には聞こえたんだよ。精霊の返事が。

 精霊はこう言ったのだ……」

 

 

 大方の者は、最後の一言が作り話だと分かる。

 精霊とコミュニケーションを取れた者は、まだいないのである。

 だというのに、あえてナポリがそういう事を言う事には、何か意味があるのだろう。

 

 観衆は、再び静まり返った。

 

 その先に続くナポリの真意を聞き逃すまいと、口を開かずにじっとナポリを見つめる。

 口や視線だけではなく、凍ってしまったかのように身動きをせず、ナポリに意識を集める。

 だが、ナポリはすぐには言葉を続けない。

 その静けさに耐え切れなくなったのだろう。

 観客席から、ぼそりと『なんと?』という言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

「か弱き子よ、愛し合いなさい」

 

 

 

 

 

 ナポリが、ようやく口を開く。

 心臓を直接震動させるような美しい声。

 その声を受けた観客席が、一瞬で沸騰した。

 喜びや笑いといった、様々な肯定的感情の混じった声が飛び交った。

 

 ナポリの一言は、ただの言葉ではなく、歌声だったのである。

 彼が得意とする曲の歌い出しだったのである。

 つまり、事前のトークは、この歌い出しの為の演出だった。

 

 だが、一つだけ問題がある。

 この歌の前半は、精霊と人間との対話で作られたデュエット曲だった。

 だというのに、ステージに立っているのはナポリ一人だけだ。

 

 

 

 

 

「か弱きからこそ、愛し合い、歩まなくてはならない」

 

「精霊よ、仰せの通りに」

 

 

 

 

 

 ナポリがさらに、精霊パートの続きを歌う。

 人間パートまで来た所で、間を作る事なく、続きの歌声が観客席から洩れた。

 歌声の主は、サヨコであった。

 顔を真っ赤にしながらも、はっきりとした声でサヨコは歌った。

 予想外のその合いの手に、観衆はまた湧き上がる。

 拍手をする者さえもいた。

 

 

 

 

 

「か弱き子よ、マナと共にありなさい。

 か弱きからこそ、マナは、あなた達の力となる」

 

「「精霊よ、仰せの通りに」」

 

 

 

 

 

 また、サヨコが続きを歌う。

 今度は、サヨコだけの声ではなかった。

 近くに座っていたカナも続きを歌っていた。

 面識はない二人だったが、互いに顔を見合わせる。

 カナが先にニヤリと口の端を上げて見せ、サヨコも首を傾けながら微笑んだ。

 

 

 

 

 

「人よ、生ある限り愛し合おう!」

 

 

 

 

 歌はサビに入る。

 一人、そして二人がナポリ続けば、もう観衆を遮るものはない。

 ナポリ、サヨコ、カナ、その他にも多くの観衆が声を揃えてサビを歌い出す。

 大人も、子供も、男も、女も、島の者も、島外の者も。

 皆、隣の知らぬ人々と笑い合いながら、共に歌う喜びを顔に出す。

 観客席は、文字通りのお祭り騒ぎの歌声で溢れかえった。

 

 

 

 

「私はここに誓おう!」

「隣人に、そして自然に奉げる!」

「私の愛を!」

「生ある限り捧げ続ける!」

 

「だから歌おう……!」

 

 

 

 

 

 ナポリが一番の最後の一節を歌った。

 それと同時に、ナポリの後方から楽隊が現れる。

 

 フルート。

 クラリネット。

 トロンボーン。

 ホルン。

 スネアドラム。

 そして……コルネットを手にしたナナ。

 

 一人だけ、楽隊の衣装を纏っていない者がいる楽隊。

 いびつではあるが、だからこそ観衆は、状況を察した。

 欠員は、なんとか埋められたのである。

 地鳴りのような拍手が、観客席から巻き起こった。

 

 

 

 

 

「か弱き子よ、争いを止めなさい。

 か弱きからこそ、競わず、力を合わせなくてはならない」

 

「精霊よ、仰せの通りに」

 

「か弱き子よ、マナを大切になさい。

 か弱きからこそ、マナを、貴方達の為に作ろう」

 

「精霊よ、仰せの通りに」

 

「私はここに誓おう!」

 

「隣人に、そして自然に奉げる!」

 

「私の愛を!」

 

「生ある限り捧げ続ける!」

 

 

 

「だから歌おう!!」

 

 

 

 

 

 ナポリが歌う。

 

 観客達も歌う。

 

 割れんばかりの手拍子が生まれる。

 

 そして、楽隊が音を奏でる。

 

 会場が一体となり、精霊への祈りと感謝を綴る。

 意図せずして巨大な塊となった歌声の刺激は、相当強かったのだろう。

 いつしか夜空には、まるで帯のようなおびただしいマナが輝いていた。

 それは、人々の笑顔がそのまま光となったような、暖かく幸福な輝きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 精霊歌歌唱が終わっても、観客達の熱はなかなか引かなかった。

 それは、観客に限らず、祭事実行委員の面々も同様である。

 意図せず生まれた大合唱に、皆、心を揺さぶられていた。

 

 だが、彼らにはまだ最後の大仕事、竜の花火が残っている。

 昂ぶりを抑えつつ、彼らは各々の持ち位置についたのだが、その中で二人、仕事を免除された者がいた。

 夢見島まで往復して疲労困憊の為、受付内で休んでいるヒロと、引き延ばしに奮闘したセンダンの二人である。

 

 

 

 

 

「へーい、お疲れー!」

 

 受付の中に入ってきたセンダンは、椅子に深々と腰掛けるヒロの姿を見かけるなり、何かを放り投げてきた。

 ヒロは反射的に受け取ろうとするが、上手く掴めずにお手玉のように弾いてしまう。

 それでも落とす事はなく、ようやく掴んでみれば、その手がひんやりと冷たくなる。

 センダンが投げたのは、袋に入れられたアイスキャンディだった。

 

「お疲れ様です。アイスありがとうございます」

「うむ。よく味わって食べるが良いぞ」

 無駄に威張りながら、センダンも同じアイスキャンディを取り出して袋を開けた。

 遅れてヒロも袋を開けると、オレンジ味のアイスキャンディである。

 おそらくは、ヒノモト諸島で作られているものだろう。

 早速口に含むと、頭を刺すような痛烈な冷気が押し寄せてきた。

 

 

「うう、冷た」

「あはは。でも、一仕事した後だと美味しいよね」

「そですね。いやあ、本当に疲れました……」

 アイスキャンディーを咥えながら、ヒロは一層深く背中を椅子に預ける。

 

「そうよねえ。ヒロ君、よく間に合わせたわよね」

「橋の料金所で、ちょっと手間取りましたけれどね。後で料金払いに行かなきゃ」

「それは私が行くわ。ヒロ君はウチのお客様のお世話をお願い」

「あ、そっか。海桶屋の仕事もありますよねえ」

 ヒロはそう言うと、重々しく嘆息を零した。

 そんなヒロを励ますように、センダンはガッツポーズを取ってみせた。

 センダンもそれなりに疲れているはずなのに、相変わらずのメンタルである。

 ヒロは、それに少しだけ元気付けられる。

 

 

 

「あ……そろそろ花火が始まるみたいよ」

「おっ。これは見たかったんですよ」

 ヒロはよろよろと立ち上がると、受付の最前列まで進んだ。

 適度に距離が離れていて、花火を満喫出来る位置である。

 だが、見る事が出来るのは花火だけだ。

 花火の前に、竜の下でちょっとした演出があると聞いていたのだが、人垣ができていて、それを見る事は出来ない。

 

 

「竜の下で、何かやってるんでしたっけか」

「うん。竜を退治する演出があるの」

 センダンも、ヒロと同じく竜の方を見ながら答える。

「何人かが槍を持って竜の下に立つのよ。で、合図と同時に竜に槍をブスリ!

 それで絶命した竜が最後の炎を吐く……つまりは花火開始の合図ってわけ」

「なるほど。近くで見たかったなあ」

「ぎゅうぎゅう詰めだから、槍の合図を見る事が出来ても、肝心の花火は落ち着いて見れないわよ。

 本末転倒。それよりは、この特等席で花火の方を見物しましょ!」

「そですね」

 素直に頷き、竜を見る。

 

 それほど待たずして、導火線に火がつけられた。

 竜の背中に沿うようにして火花が飛び散ったかと思うと、その火花が頂点……すなわち竜の口に達した瞬間、口から花火が吹き上がる。

 花火は打ち上げ式ではなく、射出口から直接吹き上がるタイプのものだった。

 橙色が基本色となっていて、青や紫、黄色といった他色がそこに混じっている。

 それらが、口から数メートル先まで勢い良く吹き上がっていた。

 

 どわあ、と観客席は沸きあがっていた。

 その観客の声に応えるように、竜は長く火を噴き続けたが、数十秒続いてから、花火はようやくその寿命を終えた。

 だが、それと同時に、また竜の背中を火花が走る。

 竜の口には複数の花火が仕掛けられていて、それらが一つ一つ点火される流れとなっていた。

 

 

 

「おお……」

 ヒロは、ただそれだけの言葉を漏らす。

 

 考えてみれば、本物の火薬を使った花火を見るのは、これが初めてであった。

 火薬の弾ける音が空気を震わせ、幾多もの火花が一瞬の輝きを見せる。

 十分に心が震えるものを感じる事ができたが、それだけではない。

 

 花火の輝きで、竜の輪郭だけが浮かび上がって見えた。

 それがシルエットのように見えるだからだろうか。

 日中の明かりの下で見るよりも、一層竜にリアリティがあるように感じられる。

 豪快な花火も美しかったが、ヒロはそれ以上に、現代に蘇った竜の姿に心を奪われていた。

 

 

 

「凄いよね。本物みたい」

 センダンがしみじみと呟く。

「ええ。お客様も、皆喜んでいるみたいですね」

「頑張った甲斐があったね」

 

 それだけ言うと、あとは二人とも黙って花火を見上げ続けた。

 花火が咲き誇り、そして消えては新たな花火が生まれる。

 観客席からは、その新しい誕生のたびに歓声が湧き上がる。

 

 歓声の他に聞こえてくるのは、花火の弾ける音と虫の音だけだ。

 虫の音は、先月に比べれば相当小さな音になっている。

 ヒロはふと、季節はもう秋なのだ、と花火とは関係のない事を考えた。

 祭りの終わり。

 それは、夏の終わりでもあるのだ。

 

 

 

「……お。今ので最後みたいね」

 センダンが不意にそう言った。

 気がつけば、センダンの言う通り、次の花火が吹き上がる兆しがない。

 予定していた花火の数は十発程度だったはずである。

 それから考えても、センダンの言う通り、花火は終わったのだろう。

 

 花火が終われば、当然火花の音は聞こえなくなる。

 それと同時に、観客達も静まった。

 鳴き疲れたのか、虫の音もちょうど聞こえなくなった。

 

 受付周辺に、一時的な静寂が訪れる。

 

 

 

 

 

「……私ね、こう思うんだ」

 センダンが、なおも竜を見上げながら呟いた。

 彼女にしては珍しく、落ち着きのある声である。

 ヒロは黙って、センダンの言葉の続きを待った。

 

 

「お祭りって、人々の繋がりじゃないかな、って」

「繋がり……ですか?」

「そ。繋がり」

 センダンが視線をヒロに向けた。

 にこりと微笑んで、センダンはその先を口にする。

 

「人が、老若男女関係なく協力する事で、祭りは形になるの。

 準備もそうだけれど、今日だって皆の協力があってこそだったじゃない」

 

「……僕がコルネットを取りに走って」

「私が時間を稼いで」

「僕がいない間はゴウ君が受付に入りましたよね」

「コルネットを貸してくれる人を知っていたのは、ウメエさん」

「島の人じゃありませんけど、ナナちゃんの協力も不可欠でしたね」

「事情は知らないんでしょうけれど、オズマさんが、結果的に引き伸ばしに協力してくれたわ」

「歌の最中は、サヨちゃんやカナちゃんも盛り上げてくれたみたいですね」

「そうそう。サプライズよねえ」

 センダンが嬉しそうに言う。

 

 

「……引き伸ばしの時にもちょっと話したんだけれどね。

 私、この島に初めて来たのは、三年前の竜伐祭の日だったんだ」

「初めて聞きますね」

「初めて話すもん」

「ふむ……」

「その時にちょっとヘマしちゃったんだけれど、島の人達に助けられたのよ。

 私がこの島で暮らしたいと思ったのは、それが理由なんだ」

「……つまり、人々の繋がり」

「うん。……三年前は、漠然としか思っていなかったんだけれど、

 今年、こうして皆の協力でお祭りが成功した事を考えると、

 お祭りって人々の繋がりなんだな……と、今更ながらに思ったわけよ」

 センダンはゆっくりと頷く。

 それから、彼女は綺麗に微笑んで見せた。

 

 普段からよく笑うセンダンではあるが、落ち着いた笑みを見せる事は少ない。

 だというのに、今日この日の彼女の笑みには、一片の違和感も感じられなかった。

 

 

 

 

 

「今日、改めて思ったわ。

 ……兄花島に来て良かった。海桶屋で働けて良かった。

 それに……」

「それに?」

「ヒロ君と一緒に働けて良かった、ってね」

 センダンが目を細めながら言う。

「……センダンさん、そんな事言って恥ずかしくないんですか?」

 ヒロは頭を掻きながらそう返した。

 恥ずかしいのは、むしろヒロの方である。

 頭を掻いたのも、照れ隠しの仕草だった。

 好印象をこうも直球でぶつけられては、照れないのが無理な話だ。

 

「全然」

 センダンはあっけらかんと言ってのける。

「むう……」

「お祭りの終わりって、なんだかセンチメンタルになるじゃない。

 ちょっとくらい、饒舌になるものよ」

「センダンさんは、普段から饒舌ですけれどね」

 ぶっきらぼうな口調。

 ヒロは肩を竦めながら立ち上がる。

 気だるそうに肩を回し、重そうな足取りで受付を出て行こうとする。

 

 

「ヒロ君、気分悪くしちゃった……?」

 センダンの声に、珍しく不安の色が混じる。

「いえ、そういうわけじゃ……そろそろ行かなきゃいけませんもので」

「どこに?」

「焚き火の準備です。設営班男子総掛かりで竜を倒して、焚き火用に藁をむしらなきゃいけないんです」

「あ、最後のイベントが残っていたわね」

「ええ。さっさと終わらせないと。

 ……帰りが遅くなると、明日に響きますから」

 ヒロの声が、少し小さくなる。

 

「明日? なにか特別な事あったっけ?」

 センダンが首を傾げる。

 ヒロは、そんな彼女を振り返り見る事無く言葉を続けた。

 

 

 

 

「センダンさん島に来て四年目おめでとう祭。

 祭りといっても、少し奮発して美味しいもの食べるだけですけれどね」

「……ヒロ君!!」

 

 センダンが、普段通り口を大きく開けて笑った。

 それと同時に、彼女は力強くヒロの背中を叩いてくる。

 

 

「あいたあっ!」

「あははー! でしょうね。全力で叩いたもん」

「せ、センダンさん……」

「ほらほら、私も手伝うから、ぼさっとしてないで早く終わらせよ!

 明日はきつね納豆! きつね納豆祭りにするからね!」

 

 センダンはそう言い放つと、小走りで受付を出て竜の方へと走っていった。

 ヒロは暫くその背中を眺めていた。

 相棒の背中を、穏やかな表情で眺めていた。

 

 

 

「……明日は、皆も呼ぶか」

 

 楽しそうに、ヒロはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――祭りの最後のイベントである焚き火になると、参加者は大分減ってしまう。

 

 焚き火は、そう悪いものではない。

 火を囲んで祭りの余韻を味わっていると、皆、ぽつぽつと語りだしてしまうものである。

 その語りには、普段人々が見せない一面が隠れている事が多々ある。

 人を深く知る事ができる……そんな、不思議な魔力を秘めた行事が焚き火である。

 

 とはいえ、それは経験してみなければ分からない事だ。

 すなわち、焚き火の魅力を知らない者が多いのが、参加者減少の理由の一つ。

 そして、島外からの参加者は、そろそろ帰宅しなくては帰りが遅くなり過ぎるのが、もう一つの理由だった。 

 

 

 二つ目の理由に、今年も例外はない。

 島外からの参加者は、自身の馬や馬車、もしくは臨時運行している大型馬車に乗り、一人、また一人と島を去って行った。

 

 馬を並べて走りながら語り合うカップル。

 友人同士ではしゃぎながら大型馬車に乗り込む若者達。

 馬車用の馬を操る父と、その馬に引かれる幌の中、母の膝の上で疲れきって眠る子供。

 

 様々な人が、祭りに来てくれた。

 その人々の表情は、皆一様に輝いている。

 祭りに充実感を覚え、その感覚が表情に表れている。

 今年の竜伐祭の成功を示す、嬉しい輝きだった。

 

 

 ……そんな中……

 

 

 

 

 

「……間に合わなかった」

 

 

 

 

 

 去り行く参加者の流れに逆行している少女がいた。

 乗馬して海沿い広場の入り口までやってきた少女だが、広場に残っているのは、祭りの終わりを示す焚き火である。

 少女は顔付きが幼く、背も低い。

 外見年齢は、中級アカデミーの学生であるカナと大差なさそうである。

 髪は闇夜の中で実によく映える銀髪で、前髪ごと後頭部に引き寄せて一本結びにしている。

 切れ長の眼が特徴的な顔立ちをしていて、目鼻はよく整っていた。

 笑顔を浮かべれば、男女関係無くドキリとさせるであろう、端整な顔立ちである。

 

 

 だが、無い。

 少女の顔に、他の参加者のような笑顔は無いのである。

 少女はどこか無念そうな声で呟くと、馬首を返して、海沿い広場の焚き火を背に、来た道を戻っていった。




 竜伐祭編、終了です。
 ここまで読んで頂きましてありがとうございます!
 補充期間として二週間休ませて頂き、8/5(水)より次章「虹の卵編」を開始します。
 相変わらず派手なお話にはなりませんが、引き続きお付き合い頂ければ幸いですー。

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