燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第十四話/竜伐祭

 九月も末になり、季節はもう完全な秋に移り変わった。

 

 風にはほのかな冷たさが宿っており、その先に待ち受ける冬を暗示するようだ。

 木々にはじわじわと黄色いものが混じり、日差しも大分穏やかになってきている。

 その様な気候の中、雲一つない夜空の下でこの日を迎えられたのは、実に好ましい。

 

 今日はいよいよ、待ちに待った竜伐祭。

 島の人々が楽しみにしていた日。

 年に一度だけの、祭りの夜なのだ。

 

 

 

 

「それにしても、随分人が来てくれたなあ」

 ヒロはそう呟きながら、買ってきたばかりの焼きそばを、受付裏のテーブルに置いた。

 受付の仕事をこなしていた時から感じていた事だが、

 休憩時間を迎えて、緊張から開放された状態で眺めると、改めてその人の入りに驚かされる。

 

 島の者も島外の者も、今日は大勢がこの海沿い広場に訪れている。

 人数こそ数えていないが、地面よりも人の方がよく見えるという程度に人が押しかけており、

 祭事委員用のテーブルがなければ、座って食事をする事はまず困難だったと思われる。

 特に、海沿い広場の奥にあるステージ周辺の密集具合は凄まじい。

 タイムスケジュールによれば、いつだったかセンダンが踊った精霊に奉げる舞を、地元の子供達が披露しているはずである。

 見た目だけではなく、聞こえてくる賑やかな声からも、人の多さを察する事はできた。

 

 

 

「やっぱりナポリさんの影響だろうな」

 同じく休憩時間を迎えたゴウが、祭りの参加者を眺めながらヒロの向かいに座る。

 ヒロとは異なり、ゴウ食事を用意せずに煙管を取り出して噴かした。

 煙と一緒に出てきた重い嘆息が、彼の疲労を表しているようだった。

 

「そっかあ。ナポリさん、やっぱり凄い人なんだね」

「ロビンの都で一番人気の精霊歌歌手だからな」

「そんな人が来てくれるなんてびっくりだよね」

「びっくりって、お前が呼んだんだろ? すげえコネ持ってたなあ」

「いやあ、たまたま縁があっただけだよ」

 苦笑しながら、照れ隠しで焼きそばを掻きこもうとする。

 が、そばを箸で持ち上げた所で、口の前に邪魔なものがある事に気がついた。

 

「あっ……」

「お前、飯の時位はそのお面外せよ」

 ゴウが苦笑しながら突っ込む。

「あ、あはは……すっかり慣れちゃって、忘れてたよ」

「しかし、面を付けるとは考えたな。大方、センダンさんの発案だろ?」

「当たりー」

 頷きながら面を取り、今度こそ焼きそばを頬張る。

 ちとせのブースで買ってきた、サヨコと彼女の父が作る、しょぶり肉入りの焼きそばだ。

 噛む毎に、しょぶり肉の肉汁が濃厚なソースと絡まって、うまい。

 顔が綻ぶのをなんとか抑えながら、二口、三口と次々焼きそばを口に入れていく。

 こうして、祭りの空気の中で食べる焼きそばは、特に美味しく感じられた。

 

 

 

「早く食っちまえよ。食ったら友達を会場案内するんだろ?」

「うん。よく覚えてくれてるね」

 ヒロは感心したような口調で言う。

 今日の予約客の一組であるナナとカナに、休憩時間を利用して会場を案内する約束をしていた。

 案内といっても、二十分もあれば一通りは終えられそうなものだが、

 念を入れて、ゴウには事前にその事を報告していた。

 

「今朝聞いた事を忘れるかよ。遅れないように戻って来いよ。

 ナポリさんの歌に花火、まだまだメインイベントは控えてるんだからな」

「了解。ところでナポリさんは、今どこにいるの?」

 焼きそばの箸を置いてゴウに尋ねる。

 日中に海桶屋のチェックインを済ませたナポリは、休む間もなく会場の下見に向かっていた。

 歌う前に、自分が歌を捧げる精霊がいる海を見たい、との事である。

 その後は、海桶屋に戻らずに祭事実行委員の総務班と打ち合わせをしに行ったので、ヒロはチェックイン以来、ナポリの顔を見ていなかった。

 

「広場の入り口辺りにいたはずだが、今はどうかな……」

「広場の入り口? なんでまたそんな所に?」

「総務班から聞いた話だが、今日は楽隊が遅れて合流するらしい。

 祭りが始まって暫くした頃に着く予定らしいから、多分、もう合流完了しているだろ。

 今は、別の所で打ち合わせでもやってるのかもな」

「そっかあ。ステージの前に応援しようと思ったんだけれど」

 

「やあやあ、応援とはなんともありがたいものだね」

 唐突に、トーンの高い声が聞こえてきた。

 反射的に振り返ると、男がいる。

 闇夜に輝くような亜麻色の長髪と、眉目秀麗な顔付き。

 だというのに、全く似合っておらず、装着する意味もないサングラスを掛けた男性。

 他に誰がいようものか。ナポリである。

 

「ナポリさん、またその変装ですか……」

「うむ。似合っているかね?」

「全然似合ってませんよ」

「そうかね。それは残念だ」

 ナポリは全く惜しくなさそうに言う。

 

「お疲れ様です。楽隊の方々は着いたのですか?」

 ゴウが煙管を伏せながら尋ねる。

「そう……。その事でちょっと話があって来たのだよ」

 ナポリは人差し指を眉間に当てながらそう言った。

 彼にしては珍しい、曇った声。

 

 なんとなく、嫌な予感がするヒロであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十四話/竜伐祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受付裏にある本部テントには、ウメエが常時待機している。

 ナポリから話を聞かされたヒロは、そのウメエがあるテントへと向かった。

 ゴウとナポリ、それから途中で合流したセンダンも一緒である。

 ウメエはテントの中でビールをかっくらっていたが、ナポリが改めてウメエにも話を始めると、

 話の途中でウメエは飲むのを止め、片方の眉だけをひそめながら報告を聞いた。

 

 

 

「ふむ……楽隊が一人これん、か……」

 話を聞かされたウメエは、唸るようにそう呟く。

 

「本当に申し訳ない。急病との事です」

 本部テントにて変装をしなくてもよくなったからか、

 サングラスを外したナポリは神妙な面持ちで頭を下げた。

「こんなもん、どうしようもないわい。あんたは気にせんでええ」

「いや、私が先乗りせずに、楽隊と一緒に来ていれば……」

「終わった事じゃ。それより、他の楽隊員は?」

「います。一名急病の報告は、到着した他の楽隊員から受けましたもので」

「欠席者の楽器は?」

「コルネットですね」

「ふむう、コルネットか……」

 

「あ、ちょっと良いかな?」

 ウメエの言葉が一度切れたところで、センダンが高々と手を上げる。

「楽器が一つ足りないと、そんなに問題になるの?

 そりゃ、もちろん想定していた音楽にはならないだろうけれど、

 最悪、ナポリさんの歌声だけでも、十分に成立するものじゃないのかな?」

「確かにその通りですけれど、精霊歌の効果を最大限に引き出すには欠かせないものなんです」

 センダンの問いには、ヒロが答える。

 

「精霊歌の効果?」

「ええ。精霊歌の楽隊が使う楽器には風のマナの力が篭められているんです。

 その力のお陰で、精霊歌は風に乗り、より強く精霊を刺激する事ができるんですよ」

「でも、前にナポリさんが泊まった時は……」

「もちろん精霊歌だけでも効果はあります。

 あくまでも最大限に引き出す為……という事です」

「なるほどねえ」

 合点がいったようで、センダンは深く頷いた。

「楽隊員もいないし、そんな特殊な楽器も無いなら、難しい事態ねえ」

 

「いや、楽器はなんとかなるかもしれん」

 そう言ったのはウメエだった。

「隣の夢見島に、昔精霊歌の楽隊をやっていた知り合いがおってな。

 確かコルネットを担当していたはずじゃ。そこで借りてくればええ」

「おっ! もしかしてなんとかなりそうです?」

「いや、あと二つ問題があってな……」

 ウメエはわしゃわしゃと髪を掻いて口を尖らせる。

「一つは、楽隊員の代わりじゃな。コルネットを吹ける者がおらん。

 更にもう一つ。精霊歌の歌唱が始まるのは、もう間もなくじゃ。

 夢見島まで往復する時間が無い。馬を飛ばしても、時間が少々足りんはずじゃ」

「むう……」

 センダンが狐耳をたたみながら唸る。

 ない袖ばかりは振り様がない。

 人と、時間。

 残された二つの問題は大きい。

 テントの中に、重苦しい空気が出来上がる。

 

 

 

 

 

「あの……」

 不意に沈黙が破られた。

 だが、意外にもその声はテントの外から聞こえてきたものだった。

 全員が反射的に振り返る。

 テントの入り口付近にいたのは、予想外の人物だった。

 

 

「ナナちゃん!?」

 ヒロがその人物、ナナ・ナバテアの名を口にする。

「おお、この人がナナちゃんなの? すっごい綺麗な人じゃん!」

 隣のセンダンが、なぜか嬉しそうに飛び跳ねる。

 ヒロは、センダンに頷く事で返事をして、顔を改めてナナに向ける。

 

「あら……驚かせちゃってごめんなさいね。

 ヒロ君が約束の時間になっても来ないから受付で聞いたら、

 本部テントにいるみたいだから入って良いよ、って言われて……」

「あ、そういえば約束あったんだ!」

「うん。でも気にしないで大丈夫よ」

「いや、ごめん……」

 ヒロは沈痛な面持ちで頭を下げる。

「緊急事態みたいだし、本当に気にしないで」

「……さっきの話、聞こえてたんだ」

「ごめんね。聞いちゃった」

 ナナがペコリと頭を下げる。

 だが、すぐに頭を上げた彼女は、相変わらずのおっとりした口調で言葉を続けた。

「でも、もしかしたら私、力になれるかも……」

「うん……?」

「私、コルネットなら吹けるわ。

 練習なしだから、失敗する所もあるかもしれないけれど、

 一応、それなりには扱った経験があるの」

「!!」

 皆、あっと目を丸くする。

「ナ、ナナちゃん! その……」

「うん。私で良いのなら、お手伝いするわ。

 まずは、楽譜があれば読みたいんだけれど……」

「やあやあ、楽譜ならあるよ。楽器を取ってくるまでの間に読んでもらえれば、どうにかなるかもしれないね。

 ……その『取りに行くまでの時間』という、最後の問題が残ってはいるのだが」

 ナポリが腕を組みながら言う。

 

 そう、まだナポリが言う問題がある。

 楽器を取りに行く時間がないのだ。

 だが、三つあった問題のうち、二つが解決できた。

 最後の問題も何かやりようがあるのでは……

 ヒロが、そう口にしようとしたその時だった。

 

 

 

 

 

「よぉし、いい事思いついた!」

 センダンがぐっとガッツポーズを取りながら言った。

 もはや、提案する前から解決した気になっているのだろう。

 だが、不思議と今回は嫌な予感がしない。

 ヒロ自身も、解決の糸口が見え始めていたからかもしれない。

 

 

「時間は私が稼ぐわ! その間に、ヒロ君は楽器を借りてきてよ。

 ウメエさんの知り合いなら、ヒロ君が行った方が話が通りやすいし……」

「それに、受付じゃ僕が一番役に立ちませんからね」

 ヒロは苦笑しながらセンダンの言葉を先取りする。

 

「そういう事~。分かってるじゃないの!

 代わりの受付はゴウ君になんとか手配してもらおうよ」

「でも、時間を稼ぐってどうするんですか?」

「精霊歌の前のステージイベントに上げてもらうわ。

 細かい事考えている余裕なんかないから、あとはその場で考える!

 ねっ、ウメエさん! これでいきましょう!?」

 センダンはウメエに歩み寄りながら聞く。

 

 ウメエは、すぐに返事をしなかった。

 無表情で、この場にいるものの顔を、ひとりひとり、ゆっくりと見回していく。

 

 欠員の急を告げたナポリ。

 その欠員の代役を名乗り出たナナ。

 時間を稼ぐと言ってのけたセンダン。

 人員の調整に当たるゴウ。

 そして、楽器を取ってくるヒロ。

 

 最後のヒロの所で、ウメエの視線は止まる。

 同時に、彼女の顔は一瞬で破顔した。

 

 

 

 

「よぉし、やってみい!」

「「「「「おおおーっ!!」」」」」

 ウメエの号令に、一同は気勢を上げた。

 

 

「センダンさん!」

「ヒロ君!」

 気勢に続いて、センダンとヒロは互いの名前を呼び合った。

 何も申し合わせていないのに、二人とも鏡写しのように片手を上げる。

 すぱぁん、と気持ちの良い音を立てて、二人の手は交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 竜伐祭の後半には目玉となるイベントが多い。

 

 まずは、精霊歌歌手によるナポリの歌唱。

 例年にはなかったこのイベントを楽しみにしている客は多い。

 島外からの参加者の大半、特に女性層は、ナポリが引き連れてきたと言っても過言ではないだろう。

 楽器の調達が間に合い、竜伐祭を平穏に終える事ができれば、今年の竜伐祭が成功した最大の要因となる。

 

 それが終われば、すぐに例年行事である花火が開始される。

 昨日、ヒロら設営班が建てた藁の竜が、海に向かって花火を口から吹き出すのだ。

 火薬の量はそう大したものではないのだが、それが夏の残り火のようで、知る者にとってはこれも評価が高い。

 

 そして最後に、廃材や竜の藁を掻き集めての焚き火である。

 これら数々のイベントを目当てにしていたのだろうか、海沿い広場は、時が経つにつれて密度を増していった。

 ナポリの歌唱イベントの前には、イベントステージ前の椅子が埋まるのは当然の事、

 立ち見の客も大勢押しかけ、広場の海側半分は、ほぼ人で埋め尽くされるような状態となっている。

 

 センダンが時間を稼ぐ為に上がったのは、

 その様な、熱気に包まれたステージなのであった。

 

 

 

 

 

「はーい、皆様、お元気ですかー!」

 ステージに上がったセンダンは、観衆に元気良く手を振った。

 現在ステージに上がっているのは、センダン一人である。

 本来予定していた司会者の女性もいたのだが、事情を聞かされた司会者は尻込みした。

 またセンダンも、引き伸ばしをするには一人の方がやりやすかった為に、彼女は一人でこの舞台に立っていた。

 

 

(本当は、一人よりも相方がいた方がやりやすいんだけれど、笑いには間や空気があるからねえ。

 ある程度は知っている人じゃないと、なかなか……ね。

 さて、と……どうしたものかしら……)

 センダンは微かに尾をこわばらせる。

 

 観衆には、島人と思わしき者の姿もぽつぽつと見受けられた。

 見知った彼らだけが相手であれば、引き伸ばすのはそう難しい話ではない。

 普段通り、他愛もない雑談をしていれば良いだけである。

 だが、難しいのは島外から訪れたその他大勢の観衆だ。

 彼らの目当ては、見知らぬ狐亜人のトーク等ではなく、その後に控えるナポリの歌である。

 一対一であれば、まだやりようがあるのだが、広場の半分を埋め尽くさんばかりの観衆が相手では、

 それら全員をセンダンのペースにもっていくのは、そう簡単な事ではなかった。

 

 

 

 

「私、付近の民宿に勤めております、狐亜人のセンダンと申します!

 本日は、これより控えております、皆様ご存知の精霊歌歌手ナポリさんの歌唱の前に、

 少しばかり、お話をさせて頂こうと思いまーす!」

 

 笑顔を振りまいてそう告げる。

 観衆からは、少々の拍手が沸きあがった。

 だが、それだけである。

 事前に予定していなかったものだから、当然といえば当然なのだが、待ちわびていた様子の観衆は一人もいない。

 皆、所在なさげに、特に力の篭っていない視線をセンダンに向けている。

 奥の方からは、ナポリの登場を急かすようなざわめきさえ、かすかに聞こえてきた。

 

 

(これは手ごわいわねえ。

 せめてヒロ君がいれば、弄って盛り上げられるんだけれど……

 むう……)

 このまま話を続けても、観衆は盛り上がりそうにない。

 内心ため息を付くが、相方は馬上の人である。

 二の句をどう繋ごうか……センダンが思案した、その時であった。

 

 

 

 

 

「よっ、待ってましたっ!!!」

 

 

 

 

 

 それは、低く、そして溌剌とした男性の声だった。

 ざわめきの中にあってよく通り、はっきりとセンダンの耳にまで届いてくる。

 観客席の中から聞こえてきたのは間違いないが、正確な場所までは分からない。

 センダンを後押しするその声に、彼女は聴き覚えがあった。

 

「頑張れよ、センダン!」

「あっ……!」

 

 また、声が届いた。

 今度は、正確な場所を特定できた。

 観客席中央に陣取っているオズマ・ダッタンが、口に手を添えて応援してくれていたのである。

 オズマの両隣には、チェックインの時に挨拶をしたオズマの妻と、まだ中級アカデミーくらいのオズマの娘の姿もあった。

 二人は、突然のオズマの一声に狼狽しているようにも見受けられる。

 

 

 

「……応援のお言葉、頂きました! ありがとうございます!」

 オズマの声援に、いつまでも浸るわけにはいかなかった。

 一応は、他の観衆に向けて状況の説明をする。

「おう、で、どんな話を聞かせてくれるんだっ!?」

 オズマはなおも、明朗快活な声で相槌を打ってくれた。

 そんなオズマの雰囲気や、二人のやりとりにつられて、他の観客からも笑い声が沸き起こる。

 会場の雰囲気は、一瞬で様変わりを見せていた。

 

「お客様からご質問も頂いちゃいました! それではまず、ご質問にお答えしましょう。

 お話といいましても、皆様ご存知の事をわざわざご説明する必要もありませんよね。

 どうやら今日は、島外からお見えになっているお客様が多い様子!

 なので、あまり島外には知られていない、兄花島の昔話『船後家と精霊歌』についてお話しましょう!」

「おお、後家さんかあ。なんだか楽しそうな響きじゃないの!」

「ま! お客様、奥様とお子様の前でそんな事言って良いのですか?」

「う、うえっ!?」

「貴方、ちょっとここを離れてお話しましょうか」

「パパったら、もうやめてよぉ!」

 オズマの妻と娘が、鬼の表情でオズマをたしなめる。

 その光景に、また周囲の観客が沸き上がる。

 

 

 

 

「あははー! お客様が大変な事になっております!

 でも、この様な家族喧嘩も平穏な現代ならではの事。

 今日お話しするのは二百年前。内乱時代のお話です……」

 

 オズマ達に強い感謝を覚えながら、センダンはトークを開始する。

 それと同時に胸を過ぎるのは、本来の相方の姿だった。

 

 

 

 

(ヒロ君、こっちはオズマさんのお陰で、なんとかスタート切れたわよ。

 そっちも急いでよ……!!)

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 その頃ヒロは、暗闇の中で馬を駆っていた。

 周囲に、民家の明かりや街灯は殆どなく、本来であればあまり通りたくはない道だ。

 だが、この日はその様な事を考える余裕等、一切ない。

 ヒロが馬を走らせてから、もう十分以上が経っている。

 その間、ヒロは何度もこの役目を買って出た事を後悔していた。

 

 

(も、腿が……腿がつる……!)

 本来は苦悶に満ちた表情のはずなのだが、顔の皮が風でたるみ、およそ人とは思えないような潰れた顔になる。

 

 馬は、ゆったりと常足で走らせて時速6,7キロ。

 馬本来のペースである速歩ならば、その倍程の速さになる。

 馬は移動には欠かせない生き物であり、その為に人々は滅多な事では酷使しない。

 よって、馬を速歩よりもハイペースで走らせるケースは、なかなかない。

 インドア派のヒロも、当然、その例から漏れた事はなかった。

 

 だが、馬はまだ速く走る事ができる。

 時速20キロ強の駈歩、更には全速力の襲歩という速さで走る事ができるのである。

 一刻を争うこの日、ヒロは可能な限り駈歩・襲歩で駆けていた。

 

 

 これまで殆ど経験した事のない上下左右の運動。

 駈歩ならば、中級アカデミーの体育の授業で経験した記憶があるが、知識も身のこなしも、殆ど忘れたに等しい。

 とりあえずは、振り落とされまいと腿に力を入れているのだが、それが苦しかった。

 その他の体の部位も、昨日の重労働からくる筋肉痛で悲鳴を上げている。

 

 馬は、常に駈歩以上の速さで走る事ができるわけではない。

 時折速度を落としては加速を繰り返しているので、常時腿に力を入れなくても良いのだが、それでも十分すぎる程に辛い。

 だが……ヒロは、馬を降りて休む事はしなかった。

 諦める訳にはいかないのだ。

 皆の協力のお陰で、部外者であるナナさえも協力してくれたお陰で、コルネットを調達できる可能性が出てきたのである。

 それを、自分の体力を原因に諦める事だけは、ヒロには出来なかった。

 

 

 

 

 

「……見えたっ!」

 道の奥に明かりが見える。

 ひときわ強いその明かりの正体に思い当たるものは、一つしかない。

 橋の両側に設置されている、料金場の明かりである。

 明かりに近づくにつれて、その明かりの下がはっきりと見えるようになる。

 八畳程の小さな詰所と、屋外に設置された料金箱、そして料金箱の前に腰掛けている係員。

 やはり、見えていたのは料金場の明かりだった。

 

 

 

「よっ、と!」

 料金場の手前で、飛び降りるように下馬する。

 誰かが近づいてきたのは向こうからも見えていたようである。

 小柄な中年男性の係員も、ヒロが下馬するのと同時に立ち上がって、ヒロの方に視線を向けてきた。

 

「すみません、通らせて下さい!」

「はい。通行料か身分証明書ね」

 ヒロが通行したい旨を口にすると、眠そうな目つきの係員が返事をする。

 ヒノモト諸島を結ぶ橋では、この料金場のように通行料を支払わなくてはならない。

 通行料とは言っても、子供の小遣い程度の金額だ。

 また島民であれば、身分証明書を提示する事で、無料で通行できる。

 

 

「ええと、確かここに……」

 当然、その事はヒロも熟知しており、ポケットに手を入れて小銭を取り出そうとする。

 身分証明書は海桶屋に置いていたが、取りに戻る時間が無かった為に、今回は通行料を払う事にしていた。

 

 

 

「………?」

 

 

 

 だが、ない。

 手ごたえがない。

 ポケットに入れた手に、小銭が当たらないのである。

 

「あれ、こっちだったっけ? あれ……?」

 慌てて他のポケットを探る。

 同時に、猛烈に嫌な予感がする。

 小銭は確かに持っていた。

 家を出る前にポケットに入れていた。それは間違いない。

 では、何故見つからないのだろうか。

 その日の行動を一つ一つ思い起こし……答えは見つかった。

 

 

「……あ、焼きそば代……!」

 目を大きく見開き、それだけ呟く。

 小銭は焼きそば代に使っていた。

 すなわち、ここを通る為の持ち合わせがないのだ。

 

 

 

 

 

「お、おじさんっ!」

「悪いけれど、無理だよ」

 ヒロの様子を見ていた係員も、ヒロが何を頼みたいのかは察したようで、首を横に振る。

 係員の態度は当然の事だ。

 ヒロ自身、自分の提案が非常識である事は理解している。

 だが、今回だけは引き下がるわけには行かなかった。

 

 

「お願いします! 必ず後でお金を持ってきます! だから、今回だけ!!」

「ごめんなあ。例外を認めるわけには……」

「お願いします! どうか!! どうかお願いしますっ!!」

 ヒロが係員に詰め寄る。

 そう迫ってくる者を視界から外すわけにもいかず、係員は困った様子で詰め寄るヒロの顔を見る。

 ……係員の眠そうな表情が凍りついたのは、まさしくその瞬間であった。

 

 

「っ!!?」

 青ざめた顔を電流に打たれたように震わせ、身体をびくつかせながら仰け反る。

 

 

 長らく馬を駆っていたヒロの髪は、風の力によって、文字通り怒髪が天を突いたように逆立っていた。

 やはり乗馬が原因で、彼の肌は赤々と火照っている。

 三白眼の目は、その気迫を示すように限界まで見開かれていた。

 長身の彼が詰め寄った事で、小柄な男性を飲み込んでしまいそうな威圧感が生まれている。

 まさしく、鬼。

 強面はここに極まっていた。

 

 

 

 

 

「ど、どどど、どうぞ! あ、ああ、後で持ってこずとも大丈夫です!」

「!! あ、ありがとうございますっ! いえ、必ず後で伺いますっ!!」

 恐怖に支配された係員は、態度を一変させた。

 だが、今のヒロにその変化の理由を考える余裕等ない。

 彼は勢い良く係員に頭を下げると、傍に留めていた馬のもとへと急いで戻った。

 

 

「ほ、本当に結構です! 私が代わりに払いますので!」

「いいえ、必ず来ます! 料金だけじゃありません!! お礼にも伺いますので!!!」

 また、勘違いされそうな言葉を口走りながら、馬に鞭を入れる。

 祭事実行委員が用意していたその馬は、なかなかの体力の持ち主で、

 大した休息を取れていないにも関わらず、恐怖に震える係員の横を風のように駆けていった。

 

 

 

 

 

「間に合わせる……! 必ず、間に合わせる……!!」

 再び馬上の人となったヒロが、言葉を漏らす。

 

 これ程の熱意を持って何かに取り組んだのは、初めてかもしれない。

 一体、何故それ程の熱意が持てるのだろうか。

 おそらくは、皆が頑張っているのに、足を引っ張るわけにはいかないという責任感だろう。

 だが、本当にそれだけなのだろうか。

 彼の中の冷静な彼が、心境の分析を始めようとする。

 

 

 

「くっ……!」

 だが、すぐに腿に痺れのような感覚を覚えて、分析は中断された。

 頭の片隅でさえ、その様な事をする余裕はない。

 ヒロは、馬を操る事に全神経を注ぐ事にした。

 

 夢見島は、もうすぐそこまで迫っている。


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