燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第十三話/竜伐祭前夜

 兄花島観光地区には、海沿いの広場がある。

 広場とは言っても、ロビンの中央広場のように美観が良いものではない。

 ただ単に何も物が置かれていないだけの広場で、日頃は観光客が馬を繋ぐ為に用いているスペースだ。

 そんな殺風景な広場が、この島のどこよりも活気に溢れるのが明日。

 すなわち、竜伐祭の日である。

 

 

 

「最後のテント設営急げよ。もうすぐ竜が来るぞ!」

 海沿い広場でテントを組み立てている設営班に、設営班リーダーのゴウが檄を飛ばす。

 普段の気だるそうな喋り方とは異なり、今日のゴウの声は常に張りがあった。

 

 そんなゴウの指示を受けて設営班が立てているテントは、六本の柱と布張りの天幕からなる大型で、一つのテントの下にテナントが二つ入る事が出来た。

 この柱が、見た目が細い割には意外と重い。

 また、テントが何かの拍子に倒れないように、地面に杭を打ち込んで、杭と天幕をロープで結ばなければならない。

 それなりの力仕事となる為、設営班の男性のみが担当する事となり、ヒロを含む男性陣は、もう一時間以上テント設営に取り組んでいた。

 

 

 

「うう、力入らない……」

 だらりと腕を下げて、ヒロは最後のテントへと向かう。

 大して体力のない彼にとって、この労働はなかなかに過酷であった。

 明日が祭りの本番だというのに、筋肉痛確定コースである。

 

「おい、ヒロ!」

 そこへ、背後から声をかけられた。

 振り返ると、ヒロよりも一回り年上の設営班の短髪の男性がいた。

 まだ名前と顔が一致していないが、がっしりとした体付きなので、内心ではマッチョさんとあだ名をつけている。

 

「はは! どうやら大分疲れているみたいだな」

 マッチョさんは笑いながら、ヒロの背中を平手で元気付けるように叩いてきた。

「いや、これ位まだまだ大丈夫ですよ」

「そう無理をするな。最後のテントに全員で取り掛かる必要もないし、ヒロは先に休んでいて良いぞ」

「……ありがとうございます」

 にこりと笑いながら礼を言う。

「はは! お前の笑顔は相変わらず怖いなあ!」

 マッチョさんはまたヒロを笑い飛ばし、最後のテントへと向かっていった。

 

 その背中を見送っていると、代わりに向かいからゴウが近づいてくる。

 タオルをバンダナのように頭に巻いていて、タオルからパーマは、汗でぐっしょりと濡れていた。

 指示に限らず、設営作業も担っている為に相当疲れているはずなのだが、瞳は爛々としていて覇気に満ちている。

 どうやら、相当気合が入っているようである。

 

 

 

 

 

「お疲れ。テントはあと一つだから、お前は休んでろよ」

「さっき、そう言われたよ」

「そうか。最後に大仕事があるから、宜しく頼むぞ」

「了解」

「よし」

 ゴウは満足そうに頷くと、ズボンの後ろに差し込んでいた団扇を取り出して自身を扇いだ。

 小刻みに顔へ風を送りながら、彼はまた口を開く。

 

「そうだ。お前、明日はどうなりそうなんだ?」

「あ、それなんだけれど」

 ヒロは両手を打つ。

「明日は、僕もセンダンさんも、お祭りの手伝いができそうだよ」

「店はどうするんだ? 宿の飯の時間に丸被りだろ」

「それなんだけれど……予約してくれたお客様に事情を説明したら、夕食無しのプランで良いって言ってくれたんだ。

 全員お祭りに来るから、夕食はお祭りの出店で済ませてくれるんだって」

「全員か。そりゃありがてえが、本当に良いって言われたのか? 無理して貰わなかったか?」

 ゴウは少し不安そうな声で言う。

「本当に大丈夫だよ。予約してくれたお客様の殆どが友人だから」

「なるほど……」

「そういうわけで、明日は僕もセンダンさんも、何でも仕事振ってくれて良いよ」

「ふむ」

 ゴウが団扇を止めて考え込む。

「……分かった。多分、二人とも受付に入ってもらうと思う。

 他の人を割り当ててはいるんだが、何分少数でな」

「分かった」

「具体的な仕事は、明日、他の担当者に聞いてくれ。急で悪いが宜しく頼むぞ」

 ゴウが会釈程度に頭を下げる。

 それから、彼は広場の入り口の方へと歩いていった。

 

 

 

 一人残ったヒロは、近くにあったベンチに腰掛ける。

 大きく息を吐いて、ようやく訪れた休息を味わいながら、周囲を見回した。

 長方形状の海沿い広場には、外周に合わせてテントが立ち並んでいる。

 海側の面にはイベントステージが設置されていて、明日はナポリが、楽隊を引き連れてそこで歌う事になっていた。

 それ以外のスペースには、イベント観覧用の椅子や、飲食用のテーブルが並んでいるが、広場の中央には何も置かれていない。

 聞いた所によると、祭りの最後に予定している焚き火は、この中央スペースで行うらしい。

 

 

「いよいよか……」

 感慨深そうに呟き、空を見上げる。

 

 九月末ともなれば、陽が落ちるのは大分早くなっており、まだ午後六時前だというのに空は茜色になっている。

 祭りの話を持ちかけられたのは、四月末だった。あれからもう五ヶ月が経っている。

 あまり感慨深い気持ちは沸いてこない。

 前日であるこの日こそ忙しいが、それまでの準備はそれ程でもなかったからだろう。

 それよりは、祭りを楽しみに思う気持ちの方が強い。

 これだけ疲れたのに、今晩は寝つき難いかもしれない。

 

 

 

 

 

「おおい、竜が来たぞぉ~。竜が来たぞぉ~!!」

 海沿い広場入口の方から、誰かの声が聞こえる。

 そちらに視線を移せば、複数の馬が荷台を引いており、ちょうど広場の入口に差し掛かろうとしている所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十三話/竜伐祭前夜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが竜かあ」

 海沿い広場の海側に運ばれた藁製の竜を前にして、ヒロのテンションは上がった。

 話に聞いていた通り、全長十メートル程の藁製の竜で、横になっていても迫力は十分に伝わってくる。

 人が抱きついても手が回りきらない位太い鉄製の柱に、収穫を終えたばかりの藁が巻き付けられており、竜はその柱を蛇行するようにして括りつけられていた。

 竜の頭部には、花火が仕込まれた竜の顔飾りが付いている。

 金色で塗られた目玉がぎょろぎょろとしていて、子供が見たら怖がりそうな顔つきだ。

 

 

 

「どうだ、なかなかのものだろ?」

 ゴウがそう言いながら、竜の胴を軽く叩く。

「今からこいつを、海の方を向けて起こすんだ」

「そっか。明日は花火をするんだから、危なくないようにしなきゃね」

「おう。俺は声をかけるから、お前はしっかり押し上げてくれよ」

「なかなか重そうだあ……」

「全員でかかりゃあ、どうって事ないさ。よーし、始めるぞ」

 ゴウがそう言いながら手を振って合図をすると、設営班男性陣が一斉に動き出した。

 

 まずゴウが、柱を起こす為のロープを、柱の頂点に速やかに四本結びつける。

 そのロープを手にした体格の良い四名が海の方に歩き、それとは別に若干名が柱の付け根の所で構えた。

 ゴウはロープを持った四名よりも更に海側に立ち、全員を見渡せるようにしている。

 残されたヒロを含む他の設営班は、柱を掲げる為に均等に並んだ。

 

 

 

 

 

「ロープぅ、引けぇ!」

 ゴウが腹の底から声を出す。

 それに反応して、ロープを持った男達が海側にロープを引くと、柱が頂点からゆっくりと持ちあがった。

 同時に柱は海側にスライドするのだが、根元には細長い穴が掘られていて、柱の根元はその穴に埋まるようになっている。

 根元に構えた者達が柱を抑え、柱は正確に穴に入り込んだ。

 

 

「うおおおし、いくぞお!」

「「「「「おおおおおおお!!!」」」」」

 ゴウの号令を受けて、男達の低い声が響き渡る。

「お、おおお?」

 息の合ったその反応に、ヒロは思わず面食らってしまう。

 反射的に自分も声を上げたのだが、ワンテンポ遅れた上に裏返り気味の声になった。

 周囲の男達が苦笑するのを感じ、ヒロの顔は赤く染まってしまう。

 

「ぉおおおおお、れえっ!!」

「「「「「せいっ!!!」」」」」

 その次のゴウの声と共に、男達は一斉に柱を持ち上げた。

 頂点の方を持ち上げる者はすぐに手が届かなくなるので、ロープの方に回って一緒にロープを引いている。

 ヒロは比較的根元の方を持ち上げていた為に、すぐに柱を離すわけにはいかなかった。

 太く長い柱は見た目通りの重さがあり、疲労困憊の腕には負担が大きかった。

 汗が滴る。

 腕に力が入らない。

 顔を振りながら持ち上げるものだから、視点も定まらなかった。

 

 

 

「ぐ、ぬぬう……」

「ヒロ、腕で押すな、肩差し込め! 身体で持ち上げろ!」

 顔を見る余裕もないが、ゴウの声が聞こえる。

「ふぬぬうう!!」

「おぉし! 他の奴らも気合入れろ!!」

「ぬおおおお!!」

「息抜くな、一気に押し上げろ! そらあっ!!」

「「「「「おああああああああ!!!!」」」」」

 

 それは、もう掛け声という類のものではない。

 皆顔を引きつらせ、全身を使って柱を持ち上げるのだから、まともな掛け声の出し様がなかった。

 だが、その余裕のなさは、それだけ柱に力を注いでいる証でもある。

 そして……柱は、男達の泥臭い声に押し上げられるようにして、ゆっくりと彼らの手から離れていった。

 

 

 

 

 

「おし、よくやった!」

 ゴウが片腕を力強く掲げて、労いの言葉を掛ける。

 だがヒロは、持ち上げるのに必死だった為に、その言葉を受けてもよく事態が飲み込めない。

 何がどうなったのだろう、と考えながら、手を膝に付いてゆっくりと顔を上げる。

 

 

「……おお」

 感嘆の声が漏れた。

 

 

 そこには、まっすぐにそびえ立った柱をうねりながら、夕焼けの天に昇る竜がいた。

 大きく、赤く、そして雄雄しい。

 荒れる息を整えるのも忘れて、ヒロは竜に見入ってしまう。

 

 竜が絶滅したのは、およそ千年程前の事だと聞いている。

 本物の竜も、この様に千年前の空に君臨していたのだろうか。

 人々は、その竜の獣害に苦しんでいたと聞いている。

 竜の獣害に抗う日々とは、どのようなものだったのだろうか。

 

 

 

「上がった上がった!」

「竜だ! 竜伐祭だ!!」

「いやあでけえ、いつ見てもでけえ!」

 

 各々の思い思いの喚声と共に、拍手が聞こえた。

 その拍手はすぐに、男達全てに伝播する。

 

 ヒロも想いを巡らせるのを止めると、疲れきった両手を力強く叩く。

 相変わらず腕は重いが、気分は悪くない。

 喜びの音を乗せて吹き抜けていく風は、とても心地良いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 竜が上がって暫くすると、ウメエがやってきた。

 

「おお、やっと上がったかね」

 待ち侘びたと言わんばかりの口調でそう言いながら、ウメエは大股で竜の根元まで来る。

 この日のウメエは、赤い袴と白い着物からなる、ヒノモトの伝統衣装を纏っていた。

 ウメエがその恰好をするのを見るのは、ヒロは初めてだった。

 

 

 

「お婆ちゃん、その恰好はどうしたの?」

「どうしたもこうしたもあるかい。お祈りに決まっとるじゃろ」

「お祈り?」

「なんじゃい、ゴダイゴの倅から聞いとらんかったのか?」

「何の事だか分からないけど、今日は忙しかったから……」

「はあ……大事な事なのに、あいつも抜けとるのお」

 ウメエは面倒臭そうに溜息を付くが、言葉を続けた。

「ヒロ。竜伐祭は元々どういう祭りなのかは分かるか?」

「それはセンダンさんから聞いたよ。田畑を荒らす竜を討伐するという意味のお祭りだよね?」

「左様」

「左様、なんて言葉、本当に言う人いるんだ……」

「いちいち突っ込まんでええ。

 ……竜を討伐するからには、必勝を祈願せにゃならん。

 それを現代に照らし合わせれば、祭りの成功祈願という事じゃな」

「なるほど。祈願というと、やっぱり精霊に?」

「うむ。海におわす精霊に祈るんじゃよ」

「へえ……」

「分かったか。よし、全員整列!」

 

 ウメエのしゃがれた声を受けた男達は、海側を向いて四列に整列し始めた。

 皆疲れきっているはずなのにキビキビとした動きで、ヒロはまた出遅れてしまう。

 一番右の列の最後尾にいたマッチョさんが手招きしてくれたので、誘われるがままにそこに滑り込む。

 

「よし」

 迅速な行動に、ウメエは満足げに頷く。

 それから、ウメエも海の方を向く。

 背筋を真っ直ぐに伸ばした彼女は、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

「二名に神留座す、海精霊神の命を以ちて……」

 厳かな口調。

 普段の言動からは想像も付かない落ち着きぶりで、ウメエは祝詞を口にする。

 その雰囲気は男達にも伝わり、皆一同に口を一文字に結び、海を直視している。

 ウメエの言葉の中には『フタナノ』『巫女』『精霊』といった知っている名詞もあったが、

 それ以外の多くは何を意味するのか分らない言葉だった。

 

 

 ヒロは黙ってそれを聞きながら、海を眺める。

 今この瞬間、フタナノ海のどこかで、水の精霊が祖母の言葉を聞いているのだろうか。

 精霊について確実な事は、マナを生み出しているという事と、精霊歌によって分泌量が増えるという二点だけである。

 人間が勝手に行っているこの祈りが、精霊に届いている保証はないのだが……その分析は野暮である、とも思う。

 ウメエの祈りには、何かがあると思わせるような神秘性が宿っていた。

 それに、こうして気持ちを伝えようとする事こそが大事なのかもしれない。

 

 

「……所聞食と白す」

 ウメエの祝詞が止まった。

 あらかじめ打ち合わせをしていたのか、それに合わせてゴウが列から離れる。

 ゴウは、近くに置いてあった箱から、三方に乗せられた白磁の酒瓶を取り出した。

 どうやら、献供用のようである。

 それをウメエの前方に置くと、ウメエは深々と海に向かって頭を下げ、一同もそれに続いて頭を下げた。

 

 

 

 

 

「よし、終わりじゃ!」

 頭を上げるのと同時に、ウメエがまた元の調子に戻って祈願の終了を告げた。

 

「おおおおお!!」

 ウメエの宣言に、男達は皆湧き上がる。

 声だけでなく、皆、表情は歓喜に満ちていた。

 設営と祈願の終了を喜ぶにしては、派手すぎる湧き上がりのように感じられる。

 

「ウメエさん、早速!」

「早く飲みましょう。俺喉カラカラです!」

「ゴウ、ちゃんと冷えてるよな?」

 そんな声が聞こえてくる。

 それだけで、ここまで騒ぐ理由に大方の察しは付いた。

 それは、ヒロも嫌いではない。

 

「あれ……ですよね?」

 前にいたマッチョさんに尋ねる。

 マッチョさんは温和な笑みを浮かべて、頷いてくれた。

 

 

「もちろん、さっきまで海で冷やしてたぞ。ほれ、誰か手伝えよ」

 ゴウも口の端を緩んでいる。

 献供の箱の横に置いていたもう一つの箱から、予想通り、ビール瓶と紙コップが出てきた。

 皆で手分けすると、ビールの注がれた紙コップはすぐに全員に行き渡ってしまう。

 早く飲みたいのは男達に限らずウメエも同様だったようで、ウメエはすぐに紙コップを掲げてみせた。

 

 

 

「よおし、乾杯っ!!」

「かんぱーい!!!」

 ビールを求める男達の声が重なる。

 皆、申し訳程度に紙コップを当てあうと、黄金色の液体を早速喉に流し込んだ。

 ぐびりぐびりと、ビールが生々しく喉を踊る音がする。

 

「うひいうひゃあ!」

「くあーっ!!」

「はぁーー」

 幸福の声が炸裂する。

 ヒロも、似たような声を漏らして天を仰いだ。

 彼らの声は、暫く収まる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「ヒロ君、おにぎりだよーう!」

 陽も大分暮れかけた時刻になって、大きな盆を持ったセンダンが顔を覗かせた。

 センダンら設営班女性陣は、ベンチや照明の設置を担当していたのだが、

 そう言えば、センダンの姿がいつの間にか消えていた事を、ヒロは思い出す。

 

 

「センダンさん、どこでなにしてたんですか?」

「ん? 海桶屋帰ってたの」

「なんでまた」

「ゴウ君から『軽食を用意してくれ』って言われたから、用意してきたのよ」

「軽食……?」

 ヒロの表情が曇る。

 センダンが持っている盆には、大量のおにぎりが乗った皿があった。

 例えおにぎりとはいえ、家事の苦手なセンダンに、まともなものが作れるとは思えない。

 猛烈に嫌な予感に駆られ、思わず瞼がひくついてしまう。

 

 

「……ヒロ君。その顔は何か言いたそうね」

 センダンは不機嫌そうだ。

「何か言っちゃいけませんか?」

「あーら、そんな態度とって良いのかしら。ヒロ君にはあげないわよ?」

「別にいりません」

「そう? サーヨコちゃーん! ヒロ君は軽食いらないんだってー!」

 センダンが振り返って大きな声を出す。

「サヨちゃん……?」

 予想外の名前に首を傾げながら、センダンと同じ方を見る。

 暗くなりはじめていてよく見えなかったが、センダンから二十メートル程離れた所に、同じく盆を手にして近づいてくるサヨコがいた。

 

 

 

「センダンさん、歩くの速いです……」

「えへへー、ごめんごめん。私達が作ったおにぎり、早く皆に食べて貰いたくてさ」

 センダンが後頭部を掻きながら、舌を出す。

 それから、またヒロの方を向いた彼女は、にやりと口の端を上げてみせた。

 

 

「……あっ、あの、センダンさん」

 ヒロはおずおずと口を開く。

「なぁに、ヒロ君?」

「おにぎりって、センダンさんだけが作ったんじゃないんです?」

「うん。私とサヨコちゃんの二人で作ったの。

 祭事実行委員じゃないけれど、手伝いに来てくれたのよ」

「……えっと、僕、お腹が空いていたりするんですが……」

「ふふん。じゃあ、家に帰るまで空腹のままねえ。

 みんなー、食べ物用意したから早く集まれー!」

 センダンはヒロを鼻で笑い、設営班男性陣に向かって声を掛けた。

 その声は海沿い広場によく通り、腹を空かせた男性陣がわらわらと集まってくる。

 

 

「おおー、うまそうじゃないの」

「腹がペコペコだったんだよ……」

「センダンちゃん、好きなの取っていいの?」

 一仕事を終えた男達の胃袋は猛々しい。

 センダンがベンチの上に置いた盆の前に、我先にと半円状になって詰め寄せる。

 

 ヒロはそこからやや離れて、ぽつんと立ち尽くしていた。

 センダンが、ちらちらとヒロの方を見ては睨んでくるのだ。

 輪に入っていこうものなら容赦はしない、とでも言いたげな目付きだった。

 

 

「はい、食べてオッケーよ!」

 ヒロが近づかない事を感じたセンダンは、そう言って指を鳴らした。

 それを合図に、男達は次々とおにぎりに手を伸ばす。

 

「おっ、いけるいける」

「腹が減ってると特にうめえなあ」

「ごほっ、ぶえふっ、ぐえっ! 砂糖……?」

 男達がおにぎりを味わう。

 味わっていない者もいるようだが、とにかく味わう。

 腹が減っているからこそ、単純に炭水化物を摂取するのが美味しく感じられるようである。

 

 

 

「……むう」

 取り残されたヒロは、その光景を見ながら唸る他なかった。

 うらやましい。

 何ともうらやましい。

 腹が唸りをあげて、おにぎりをうらやましがる。

 

 

「……あの、ヒロちゃん……」

 そこへ、ようやく追いついたサヨコが声を掛けてきた。

 盆をちょこんとヒロの方に突き出してくる。

 センダンの持っていた盆と同じく、おにぎりの皿が乗っていた。

 

「ヒロちゃんもどうぞ」

 サヨコが小さく微笑む。

「え……でも、僕、いらないとか言っちゃって……」

 ヒロは思わずうろたえてしまう。

 確かに腹は減っているのだが、いざ食べて良いと言われれば、少々の罪悪感を感じてしまう。

 

「センダンさんとふざけあっただけでしょ?

 分かってるから大丈夫。ね。どうぞ」

 サヨコは穏やかな口調で言った。

 

 天使は、ここにいる。

 ヒロの表情は大いにほころんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「あら、もう準備は終わったのね」

 そこへ、また女性の声が聞こえた。

 おにぎりに伸ばした手を止めてそちらを見ると、赤ん坊を抱えた小柄な女性がいた。

 やはり顔と名前が一致しないのだが、マッチョさんの奥さんである事は覚えている。

 赤ん坊の世話に忙しい身で、祭事実行委員のメンバーではないのだが、打ち合わせの際に時折差し入れを持ってきてくれた事があった。

 マッチョさんと並ぶと、大人と子供のような身長差になるのだが、勝気な人でマッチョさんは頭が上がらないようである。

 

 

 

「わわ! 赤ちゃんだ!」

 センダンが真っ先にマッチョ夫人に近づいた。

 マッチョさんもそれに続くのだが、彼の表情は涙目であった。

 どうやら、センダンが作ったと思われる砂糖入りおにぎりを食べたのは、マッチョさんのようだ。

 

「かわいいー! 何ヶ月なんですか?」

「九ヶ月よ。まだまだ手間がかかる時期なの」

「ママも大変なんですねえ」

「でも、この子の笑顔を見たら、なんでも頑張れちゃうかも」

「うんうん、分かります。凄くかわいいもん。あ、笑った」

 

 センダンとマッチョ夫人が、赤ん坊を覗き込みながら会話を交わしている。

 時折、会話の中に赤ん坊の笑い声が混じり、その様子は微笑ましく感じられた。

 そうしてセンダンらを遠くから眺めていると、センダンが顔をこちらへと向けた。

 

 

 

「ねえ、ヒロ君とサヨコちゃんもこっちにきなよ。凄くかわいいんだから」

 流石に赤ん坊に気をつかってか、センダンが声を抑えてヒロ達を呼んだ。

 ヒロとサヨコは顔を見合わせたが、どちらからともなく笑顔で頷き、誘われるがままに近づく。

 マッチョ夫人に軽く会釈をすると、夫人は赤ん坊を抱える腕を少し上下させつつ会釈を返してきた。

 赤ん坊からも挨拶、という事なのだろう。

 

「ね? かわいいでしょ?」

 センダンがニコニコしながら言う。

 近くで見る赤ん坊は、頭も瞳もクリクリとしていて非常に愛らしい。

 何が嬉しいのかは分からないが、目を三日月の様に細めて微笑んでいる。

 ……のだが、それは、その瞬間までの事であった。

 

「うん、かわいいなあ」

 ヒロはそう言いながら、もっとよく赤ん坊を見ようと顔を寄せる。

 それがいけなかった。

 赤ん坊の表情から、一瞬にして笑顔が消え去る。

 

「ふぇ……」

「ふぇ……?」

「ふぇええええええええええん!!」

「わ、わわ!」

 驚いて顔を離すが、もう遅い。

 

「うええええええええ!! びええええええええ!!」

「ご、ごめん、ごめんね……」

「ふああああああああ!! びぃいいいいいいい!!」

 赤ん坊が、ありったけの声で泣き叫ぶ。

 その小さな体のどこに、それだけ泣けるエネルギーがあるのかと思いたくなる、凄まじい泣き声である。

 

「あらあら、この子ったら急にどうしたの? おお、よーしよしよし」

 マッチョ夫人は首を傾げながら赤ん坊をあやす。

 どうやら、マッチョ夫人は赤ん坊が泣き出した理由が分かっていないようである。

 だが、ヒロは違った。

 

 

 

 

「………」

 申し訳なさでいっぱいになりながら、下を向く。

 赤ん坊に怖がられるのは、ヒロにとってはそう珍しい事ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 前日設営は終了し、一同は解散した。

 特に他の用事がないヒロは、まっすぐに帰宅の途へと就いた。

 もう完全に陽は落ち、海沿いに並んでいる家々の明かりの下をとぼとぼと力ない足取りで歩く。

 大仕事を終えたというのに、気分は陰鬱も良い所である。

 その気分の理由は一つしかない。

 

 

 

「ヒロ、おいヒロ! ちょっと待て!」

 後ろから名前を呼ばれた。

 振り返ると、ゴウが小走りで駆け寄っている。

 それからやや遅れて、サヨコの姿も見受けられた。

 

「ゴウ君、サヨちゃん。どうしたの?」

 言われた通りに立ち止まる。

 それでようやく追いついた二人は、少し息を整えてから、ヒロの左右に並んだ。

 

「ふぅ……ま、とりあえず歩こうぜ」

 ゴウがヒロの肩を叩く。

「あはは。待てと言ったり歩けと言ったり、どっちなのさ」

 ヒロは笑いながら、また歩き始める。

 だが、その笑い声に力はない。

 自分でも、それは感じられた。

 これではいけない、と思う。

 

 

 

「……ヒロちゃん。元気、だして?」

 同じくヒロと一緒に歩き出したサヨコが心配そうな声で言う。

 

 やはり、二人の目的は先程の件に関する事のようである。

 大方、ゴウはサヨコから事の顛末を聞いたのだろう。

 自分の顔が怖い事が悪いのに、余計な心配をかけては申し訳ない。

 ヒロは、勤めて明るい声を出した。

 

「大丈夫大丈夫。怖がられるのには慣れてるし、どうって事ないよ」

「………」

「赤ん坊にまで怖がられるのも初めてじゃないしさ。

 自分じゃ分からないけれど、どれだけ怖いんだろうね。あはは……」

 なんとか笑い声を出す。

 だが、ゴウもサヨコも表情は晴れない。

 

 

 

「……なあ、ヒロ」

 今度はゴウが声をかけてきた。

「明日の仕事、なんだが……」

「ああ、あれ?」

 設営の最中にゴウと話した事を思い出す。

 受付の人手が足りないのでそちらに回ってもらうという件だ。

 その話を持ちかけられた時に、自覚し、断っておくべきだったかもしれない。

 自分の顔で勤まる仕事ではないのだ。

 

 

「あれ、僕は辞めておくよ。その分センダンさんに頑張ってもらわなきゃね」

「別に、お前じゃ駄目だとか、そういう事じゃ……」

「気を遣ってくれなくても大丈夫だよ。ありがとう」

 明るい声で礼を言う。

 

 おそらくゴウは、受付を担当した自分が、またショックを受けるような事がないかと心配してくれているのだろう。

 その気持ちは嬉しいし、素直に受け取りたい。

 それと同時に、皆に迷惑をかけるわけにも行かない、とも思う。

 参加者を泣かせるような事があっては、逆に迷惑になるのだ。

 

 

 

「サヨちゃんは出店、ゴウ君と僕は祭りのお仕事。明日は頑張ろうね」

 笑顔でそう言った。

 辛かったが、ヒロはとにかく笑った。

 ゴウとサヨコがそれで安堵してくれたのか、彼には分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「こぁーん! お帰りー!」

「なにやっているんですか、センダンさん……」

 

 海桶屋に帰ると、先に帰っていた狐がフロントで待ち受けていた。

 狐亜人センダンではなく、狐そのものの顔のセンダンである。

 彼女は、なぜか白い狐の面を被っていた。

 写実的なデザインで、どことなく神秘性を感じる面である。

 

 

 

「ねえヒロ君。私、良い事思いついたのよ」

「はあ……」

 

 また『良い事』である。

 突然の事で、今回は何を思いついたのか見当がつかなかった。

 それだけに、ろくでもない提案があるのではないかと、思わず身構えてしまう。

 

「帰る前にゴウ君に聞いたんだけれど、私達、明日は受付予定でしょ?」

「あ、それなんですが……」

「じゃあさ、明日は二人でこれを被ろうよ!」

「はい……?」

 

 一瞬、彼女の提案の意図が理解できなかった。

 狐の面を被って何の意味があるのか。

 顔が隠れてしまっては色々と不便なのでは……

 そこまで考えて、やっとセンダンの提案の目的を悟る。

 狐面で、顔を隠すのが目的なのである。

 

 

 

「どうせヒロ君の事だから『受付担当したら、また誰かを泣かせるんじゃないか』とか考えて、お仕事辞退してきたんでしょー?」

 センダンが先に言葉を続けた。

 しかも図星である。

 そこまで見通されていて惚けるわけにもいかず、ヒロは苦笑しながら頷く。

 

「ええ、まあ……」

「ヒロ君ってば、どうでも良い事に気を遣っちゃうのよねえ」

「どうでも良いって事は……」

「どうでも良いの! 限界突破の強面だからといって、生まれつきじゃどうしようもないでしょ?

 そんな事を、ヒロ君がそんなに気にする必要はないのよ」

「からかっているのか、慰めているのか、どっちですか」

 ヒロはジト目で突っ込む。

 

「慰めてるに決まってるじゃないの!

 でも大丈夫! そこで狐面! この狐面よ!」

 センダンの声は力強い。

「表情は隠せるし、お祭りにフィットしたデザイン!

 その上可愛い可愛い狐ちゃんなんだから、もうこれしか考えられないわよね!!」

 

 訪問販売でも受けているような気分である。

 なんとも、くだらない。

 だが、くだらないからこそ、ヒロは苦笑を抑えられない。

 なんだか、顔の事で悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。

 

 

 

 

「二人で、って事は、センダンさんもそれ被るんですよね?」

「もちろん」

「狐亜人が狐面を被るんですか?」

「その通り。面白いじゃないの!」

「面白いというか、アホらしいというか……」

「はあっ? どこがアホらしいっていうの?

 こん、こぁん、こぁーーん!!」

「ぷくっ……はは……」

 センダンの自信に満ちた口調は、なんとも滑稽である。

 ヒロは湧き上がるおかしさに抗わず、笑い声を漏らした。

 気遣いでも作り笑いでもなんでもない、本心からくる笑いだった。

 

 

 

 

「むう。笑うなあ!」

「ご、ごめんなさい……だっておかしくて……くくくっ……!」

「禁止ー! 狐を笑うの禁止ー!!」

 センダンが両腕を頭上で交差させ、抗議のポーズを取る。

 ヒロに笑われるのが面白くないようで、口調には不満の色が満ちていた。

 だというのに、狐面は真顔なのだから、なおさらおかしく感じられた。

 

 

「わ、分かりました。もう笑いませ……ふは、あははははっ!」

「こぉらあ! ヒロくん!!」

 

 

 センダンの怒りの声さえも、今のヒロにはおかしく感じられる。

 なんだかんだで、今日も海桶屋には笑いは絶えなかった。


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