燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第十一話/質問は紙飛行機で

 その日、ヒロは久々に書店ロレーヌを訪れていた。

 ロレーヌの玄関の前には、ライルの丘を見渡せるようにパラソルが設置されている。

 その下で昼食休憩を取っていたナナ・ナバテアは、ヒロの話に乗り気だった。

 

 

 

「お祭り……良いなあ。大人になってからは行く機会って減っちゃって」

 ナナはそう言いながら微笑み、胸の前で両手を合わせる。

 落ち着いた女性であるナナが行うと、絵になる仕草だった。

 

「僕も上級アカデミーに上がってからは、街の収穫祭に行く事はなくなったなあ」

 ヒロも懐かしそうにそう言う。

 思い出せる限りで、最後に祭りの類に参加したのは中級アカデミーの頃である。

 ロビン中央広場で秋に開かれる収穫祭で、今眼前にいるナナから誘われ、クラスメート十数人で行ったものだった。

 

「中級の頃は、友達皆で行ったわね」

「そうだね。僕もちょうどそれを思い出してた」

「……ふふっ」

 ナナが突然含み笑いをする。

「どうかしたの、ナナちゃん?」

「あの頃のヒロ君、お祭りに誘ったら『僕も行って良いの?』って戸惑っていたのを思い出したの」

「む、むう……」

 恥ずかしい思い出に返す言葉もなく唸る。

 

 今でも多くはないが、当時は輪をかけて友達が少なかった。

 多くのクラスメートに、人相だけでこの上なく怖がられていた為だ。

 そんな自分が参加したら、空気を微妙なものにしてしまうのではと、当時のヒロは参加を躊躇した。

 結局はナナに強引に誘われて参加したのだが、案の定、クラスメートが連れてきた弟が泣き出して一騒動となった、苦い思い出である。

 

 

 

「……そんな事より、どうするの?」

 ヒロが眉をひそめながら聞く。

「兄花島のお祭りの事? こんな楽しそうなお誘い、断るわけがないじゃない。

 もちろん遊びに行かせてもらうわ。海桶屋さんにお世話になります」

「本当!? ああ、良かったあ。これで三室埋まったよ」

 ナナの回答に、ヒロは安堵の息を零した。

 

 

 

 

 

 ――八月も、もう終わりに近づこうとしている。

 だが、まだまだ蒸し暑い日は続いており、インドア派のヒロは、できる限りは海桶屋から出ないように過ごしている。

 そんな彼が、この暑さの中わざわざロビンを訪れた本来の目的は、祭りの誘いではない。

 祭りのメインイベントである竜の花火を実施する為には、花火に用いる火薬が必要になる。

 しかし、火薬というものは需要が薄いのである。

 兄花島では、当然の如く火薬を取り扱っている店がない。

 そこで、設営班の中でも暇をしているヒロに白羽の矢が当たり、彼は火薬の買い付けにロビンを訪れていた。

 

 だが、せっかくロビンに来たのだから、おつかいだけ済ませて帰るのも勿体無い。

 そう考えたヒロは、火薬店を訪れる前に、自分の用事を済ませる事にした。

 それが、ナナにした提案……竜伐祭の誘いと、当日の海桶屋への宿泊案内である。

 

 対象の人選が良かったのか、ヒロが声をかけた者は、皆宿泊予約してくれた。

 当日はステージで精霊歌も披露する予定となっているナポリ。

 家族サービスを怠っていたので良い機会だと喜んだオズマ。

 そして先程快諾してくれたナナ。

 海桶屋の全四室のうち三室が、一ヶ月前に埋まるのは、これが始めての事であった。

 

 

 

 

 

「さて……用件だけで悪いんだけれど、僕、そろそろ行くね」

 ヒロはそう言って立ち上がると、ズボンをはたく。

 彼の用事は、祭りと宿の案内だけではなかった。

 その為、今日はかなり早い時間に兄花島を出たが、それでも現時点で既に正午を過ぎてしまっている。

 

「あらら。今日も忙しいの?」

「うん。今日は元々お使いでロビンに来たんだけれど、その他にもちょっとね」

「乙会……?」

 ナナが首を傾げる。

 どの様な解釈をしたのかヒロには分からないのだが、変な勘違いをしているという事だけは伝わってきた。

「ナナちゃん、多分、また何か勘違いしてるよね……買い物の事だよ」

「ああ。そっちのお使いなのね。皆が労いあう会合を想像しちゃった」

 ポヤヤンと言ってのける。

 一度、何故そのような光景に辿り着くのかジックリと聞いてみたい所だったが、今日はそのような余裕はない。

 

 

 

「じゃあね、ナナちゃん。カナちゃんにも宜しくね」

「うん、分かったわ~」

 

 ナナと手を振り合って、ロレーヌを離れる。

 一段飛ばしでライルの丘の石段を降りながら、ヒロは次の目的地……ロビン上級アカデミーへの道順を考えていた。

 

 

「たまには顔を見せておかないとね……」

 ぽつりと呟きながら、なおも石段を降る。

 ヒロのもう一つの用事……それは、両親への顔見せであった。

 別に、両親に話しておくような事があるわけではない。

 昨年の春にロビンを離れて以来、彼は両親と顔を合わせていなかった。

 たまには顔でも出しておこう、というだけのものである。

 

 父は、採取に出かけていなければ上級アカデミーにいるはずだ。

 母は、間違いなく上級アカデミーに隣接する職員社宅にいる。買い物に出かけるのはいつも夕方だ。

 久々に会う二人に、何か土産でも買っていった方が良いだろうか。

 いや、かえって気を使わせるだけかもしれない。

 ……その様な事を考えいたものだから、どうしても注意力は散漫になっていた。

 

 

 

 

 

「おっと……ごめんなさい!」

 不意に前方下部に人影を感じ、つんのめる。

 

 

「うわっ! また悪魔だ、逃げろ!!」

「……またあの人」

 ヒロの顔を見るなり逃げ出した前方の人影は、いつぞやの絵描きであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十一話/質問は紙飛行機で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビン上級アカデミーは、広葉樹が立ち並んだ緩やかな坂道の上に位置している。

 上級アカデミー周辺は、学生街という事もあって飲食店が多く、ヒロが学生時代によく通っていたパン屋も営業中だった。

 店主と簡単な挨拶をかわしてサンドイッチを購入してから、ようやく上級アカデミーの門を潜る。

 繋ぎ場に馬を停めながら、大学名が大々的に刻まれた無粋な時計塔を見上げると、時刻は間もなく午後二時になる所だった。

 

 

「ちょっと遅れちゃったな……」

 ラボ棟まで伸びている歩道を歩きながら、周囲を見渡す。

 

 卒業してから一年半。その短期間では当然かもしれないが、古煉瓦の校舎は何も変わっていない。

 歩道の周囲に敷き詰められている芝生は、今も昔も深い緑色が美しかった。

 校舎を出入りする学生達の表情は、ヒロの在学中と同様に活気に満ちている。

 要するに、母校は何も変わっていない。

 

 

「……強いて言えば、違うのは学生かな」

 自分よりも幾つか若い学生を眺めながら、少し寂しそうに呟く。

 もう自分も同級生達も、殆どはこのアカデミーの生徒ではないのである。

 アカデミーの見た目は何も変わっていないというのに、その一点の違いだけで、全く違う空間のように感じられた。

 

 それが、どことなく寂しい。

 思えば、下級、中級を含めて、卒業後にアカデミーを訪れるのはこれが初めてである。

 

 ノスタルジックな感情に浸りながら歩道を歩くうちに、前方に見知った老年の教授の姿を見つけた。

 マナ学部の最大学科であるマナ学科の教授で、学部のボスと言っても差し支えのない老人である。

 当然、マナ学部精霊学科卒のヒロも、在学中は世話になっていた。

 

 

 

 

 

「やあ、ヒロ君じゃないか」

 教授が先に声を掛けてくる。

 髪は真っ白だが、背筋は曲がっておらず、声にも力が籠っている。

 精気を感じさせる教授である。

 

「先生、ご無沙汰しています」

「うんうん。卒業して以来だねえ」

「はい。よく僕の事覚えていてくれましたね」

「当然じゃないか。ヒロ君の顔は忘れようとしても忘れられんよ」

 教授は茶目っ気交じりのウインクを飛ばしてくる。

 

「むう……やっぱり、そんなに怖い顔ですか……」

「ほほほっ、冗談じゃよ、冗談。

 勉強熱心な良い子だし、ダイスケ君の息子じゃ。忘れるわけがなかろうて」

 教授は愉快そうにヒロの前でおどけてみせる。

 学会における評価は凄まじく、上級アカデミーへの貢献も高い大人物なのだが、それでいて子供らしい所がある。

 相変わらず、なんとも憎めない人だ、とヒロは思う。

 

 

「ところで、今日はアカデミーに何か用事かね?」

「はい。近くまで来たので父に挨拶でもしようかと」

「なるほど。良い事じゃのう」

「父は今どこにいるかご存知です?」

「ラボの自室におったようじゃよ」

 外出はしていなかった。

 どうやら、無駄足にならずに済んだようである。

 

「そうですか。ありがとうございます」

「良い良い。早速行ってきたまえ」

 教授は品のある笑みを浮かべて手を振った。

 ヒロはもう一度会釈をすると、小走りでラボ棟への道を行った。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 タカナラボ教授室の扉には鍵が掛かっていなかった。

 一応扉をノックするが、反応はない。

 研究に没頭するダイスケがノックに気が付かないのは、日常茶飯事である。

 

 

「お父さん、入るよ?」

 一声掛けて扉を開く。

 

 八畳程の教授室の中央には、一応用意したという程度の小さい応接机と椅子があり、その左右は本棚で固められている。

 部屋の奥にはダイスケのデスクがあるのだが、案の定、ダイスケは前屈みでデスクに向かって何やら執筆していた。

 流石に扉が開いた事には気が付いたようで、ヒロの入室に遅れてダイスケは顔を上げる。

 

 

「おや、ヒロ。どうしたんだい?」

「近くまで来たから、ちょっと寄ってみたんだ」

「そうだったのか。前もって言ってくれれば良かったのに」

「ごめんごめん。昨日になって思いついたものだから」

 返事をしながら、手にしていたサンドイッチの紙袋を応接机に置く。

 

「お父さん、その調子じゃ、どうせ昼ご飯は食べていないんでしょ?」

「ああ。よく分かったね」

「そりゃあ、お父さんの子供だもん」

 ヒロは小さく笑う。

「で……少し多めにサンドイッチ買ってきたけれど、食べない?」

「いいね。頂こう」

 ダイスケは席から立ち上がると、脇机に置いていたコーヒーメーカーでコーヒーを二杯作り出した。

 その間に、ヒロは紙袋を破いてサンドイッチを食べやすいように並べ終える。

 コーヒーを二杯持ったダイスケが向かい側に座ると、煎ったピーナッツのような香ばしい香りが漂ってきた。

 

 

 

「さて、何を買ってきたんだい?」

「フルーツ、たまご、ハム、ポテトサラダ、アジ」

 買ってきたサンドイッチの名前を羅列する。

「アジ? アジというと、あのアジかい?」

「うん。魚のアジ」

 正式には、アジのトマトのマリネサンドイッチであった。

 学生時代に、怖いもの食べたさで一度食べた事があったが、

 トマトとマリネの酸味がアジに程良い味付けをしてくれて、美味しかった記憶がある。

 

「へえ、アジのサンドイッチなんかあるのか。知らなかったなあ」

「せっかくだから食べてみる?」

「そうだね。それを貰おうか」

 頷いたダイスケに、固めのパンで包んだサンドイッチを渡す。

 受け取ったダイスケは、はじめの一口こそおそるおそる食べていたが、

 何度か咀嚼すると、満足したように頷いて、あとは一気に食べきってしまった。

 どうやら、満足したようである。

 

 

 

 

 

 他のサンドイッチも食べながら、二人は雑談に興じた。

 雑談とは言っても、同好の士である。

 話題は自然と、マナや精霊に関するものになった。

 

 精霊といえば、ヒロはビッグニュースを抱えている。

 サヨコから、水の精霊に会ったという話を聞いているのだ。

 部屋に入ると同時にでも報告したい話なのだが、サヨコには他言しないと約束している。

 それが、実にもどかしい。

 もどかしいが、絶対に言うわけにはいかない。

 楽しい雑談ではあるのだが、複雑な雑談でもあった。

 

 

 

「――そういえばヒロ、お母さんの所にはもう行ったかい?」

 マナの話がひと段落した所で、ダイスケがコーヒーをすすりながらそう尋ねる。

「ううん、まだ。この後行こうと思って」

「そうかい。じゃあ、今日も遅くなるから夕飯は待たずに食べていて良いと伝えてくれるかい?」

「了解。あまり無理しないようにね」

 言っても無駄だとは分かっていたが、一応忠告する。

 父の顔色はそう悪いものではなかったのだが、ダイスケも、もう今年で四十七歳である。

 そろそろ体の事にも気を使ってほしいと、ヒロは常々思っていた。

 

「ははは、分かってるよ。次の講義の資料を纏めるのに時間がかかりそうでね」

「例年と同じものを使えば良いんじゃないの?」

「そういうわけにもいかないんだ。質問熱心な生徒がいるみたいで、それ用の資料がいるんだよ」

「いるみたい……?」

 いまひとつ要領を得ない言葉に首を傾げる。

 そんなヒロの後頭部に、突然何かがぶつかってきた。

 

 

 

「あてっ」

 反射的に言葉を漏らすが、別に痛くはない。

 軽く突かれた程度の衝撃を感じて振り向くが、後ろにはダイスケのデスクと開け放たれた窓があるだけで、誰もいない。

 だが、視界の下部に何かの気配を感じる。

 床を見ると、紙飛行機が一つ落ちていた。

 縦に細長いシンプルな紙飛行機である。

 はっきりとは覚えていないが、先程までは落ちていなかったような気がする。

 

 

 

「おや、噂をすれば……だね」

 ダイスケが落ち着き払った口調で言う。

「よく分からないんだけれど、どういう事?」

「実はだね。今年になって、講義の前日に、窓の外から紙飛行機が投げ込まれる事があるんだよ」

「いたずら?」

「いや、違うんだ。その紙飛行機を開いてごらん」

 

 

「……へえ」

 言われるがままに紙飛行機を開いたヒロは、思わず片眉を上げる。

 

 紙飛行機は横書き用便箋で作られており、中には、マナや精霊に関する質問が綺麗な字でびっしりと書き込まれていた。

 一行目には、いつも質問に答えてくれている礼が書かれている。

 二行目からは質問が書かれていて、それは複数に至っている。

 質問の内容は、ある程度専門的な知識を有していなければ、行き着く事のない疑問が多い。

 書いたのは、少なくとも素人ではない。

 上級アカデミーの学生並か、或いはそれ以上のレベルで精霊に精通している者だとヒロは考えた。

 

 

 

「差出人の名前は書かれていないんだけれど、この質問の答えを講義で出すと、お礼を書いてくるんだよ」

「それで『いるみたい』って事なんだね」

「うん。父さんの講義を聞いている誰かが投げ入れているんだろうね。多分」

「投げ入れている人を探そうとはしたの?」

「一度だけね。投げ込まれた時に窓の外を覗いてみたけれど、それらしき学生は見当たらなかったよ」

「ふうん……」

 もう一度手紙に視線を落としながら、質問者の事を考えてみる。

 

 講義を聞いている学生なら、講義の時間に直接質問すれば良いのである。

 それをしないという事は、極端な恥ずかしがり屋なのだろうか。

 だが、いくらなんでも手が込みすぎている。

 もしくは、何か他に質問できない理由があるのだろうか。

 

 或いは、講義を聞きに来ている学生という前提が違うのかもしれない。

 自分は質問を投げ込むだけで、講義の内容は又聞きしているのかもしれない。

 だとすれば、なぜそのような事をするのだろう。

 

 情報が少ないのだから仕方がないが、どうしても答えは出ない。

 だが、一つだけ気がついた事があった。

 

 

 

「……左利きだ」

「うん?」

「書いた人、多分左利きだよ。左から右にインクが滲んでいる文字が、幾つかある」

 そう言って、便箋を凝視する。

 左手にペンを持って、左から右へ字を書けば、手は文字の上を通る。

 手を浮かせて書こうとしたが、時折、便箋に手が付いてしまったのではなかろうか、とヒロは考えた。

「へえ。左利きかあ」

 だが、ダイスケは他人事のようにヒロの言葉を繰り返した。

 探したのも一度だけという事だし、どうにも父は、質問者にはあまり興味がないようである。

 

 だが、ヒロは違った。

 

 父の話を聞く限り無駄足だとは思ったが、立ち上がって窓際まで歩いた。

 ダイスケの部屋は二階にあり、窓の下には、花壇とベンチがあるだけの、猫の額のような中庭がある。

 やはり、そこには誰もいない。

 今から下に降りて探しても、恐らくは無意味だろう。

 

 

 

 

 

 

 

「なんだいヒロ。そんなに気になるかい?」

「あ、うん」

 父の問いに頷く。

 紙飛行機で尋ねるという変わった行動も気になっていたが、

 何よりも、書かれていた質問の一つがヒロの心を揺さぶっていた。

 

 

 

『人間という生命の可能性を、精霊が広げてくれると、先生は考えられますか?

 例えば、人が太古に使っていたとされる魔法を、精霊の力を借りる事で使える可能性はありませんでしょうか?』

 

 

 

 流石にその仮定は突飛だ、とヒロは思う。

 魔法の存在は多くの古文書が示しており、おそらくは実在した能力であるというのが世界の常識だ。

 だが、それは昔の話である。

 現在も国が魔法省にて魔法の再現を試みてはいるが、成功はしていない。

 そこへ未知の塊である精霊の力を加えれば、確かに魔法を再現できるのかもしれない。

 ただしそれは『未知だから可能性がある』というだけの話であり、だからヒロはと突飛だと考えた。

 

 ヒロが興味を持ったのは、その前文である『人間という生命の可能性』である。

 それは、父ダイスケの研究のテーマだった。

 ダイスケは、精霊という未知の存在を追いかける事で、生命の新たな可能性を見出す為に、精霊の研究を続けている。

 そして、幼少期からダイスケに影響され続けたヒロにも、その考えは浸透している。

 ヒロはマナや精霊に関わる仕事にこそ就かなかったが、その志に変わりはない。

 

 質問者もヒロ同様に、ダイスケの教えに感化されているのかもしれないが、理由はどうでも良かった。

 ヒロは、ただその一文にシンパシーを感じた。

 顔も名前も知らない相手だが、できる事なら一度精霊談義をしてみたい、とも思う。

 

 

 

 

 

 

 

「そうかね。じゃあ、これまでに届いた質問、持って帰るかい?」

「保存してるの?」

「しているよ。十通位ある。僕が注約を書き込んじゃっているけれど、それでも良いかい?」

「むしろその方が嬉しいなあ」

 ヒロの声は、自然と浮ついた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ロビン上級アカデミーの職員には、アカデミー近くにある職員住宅が割り当てられる。

 職員住宅は組積造の古い家で、時折雨漏りもするのだが、妻帯者が多い職員事情が考慮されており、部屋数だけは多い。

 

 ヒロと両親の三人で暮らすには何の問題もなく、中級アカデミーを卒業するまでの間は、ヒロもここで暮らしていた。

 上級アカデミーに入ってからは、自立目的で一人暮らしをしていたのだが、

 事ある毎に実家に帰っていては一人暮らしをする意味がないと考え、近くに住みながら、当時は殆ど実家に帰らなかった。

 その為、ヒロにとっては上級アカデミーよりも懐かしさを感じる建物だった。

 

 

 

 

 

「……就職相談の時に帰ったきりかあ」

 玄関の前で、古ぼけた煉瓦の壁を眺めながら呟く。

 左右を見渡せば、花壇には色とりどりの花が、夏の日差しの下で咲き乱れている。

 ガーデニングは母の趣味だったが、相変わらず続けているようである。

 

 

「あら、ヒロじゃないの!」

 花壇の奥から声をかけられる。

 顔を上げれば、そこにはヒロの母、キョウコ・タカナの姿があった。

 ウェーブがかかったブラウンヘアーをゴムバンドで一纏めにしており、手には小型のスコップを手にしている。

 どうやら、ちょうどガーデニングの最中だったようだ。

 

「ただいま、お母さん」

「お帰りなさい。あらあら、来るなら言ってくれれば良かったのに」

「ごめんね。急に思い立ったものだから」

 父の時と似たようなやり取りをかわす。

 

「まあ良いわ。晩御飯は食べていくのよね? それとも泊まっていく?」

「いや、用事ついでに立ち寄っただけなんだ」

「それは残念ね。……でも貴方、大分汗をかいているみたいよ。シャワー位は浴びて行きなさいな」

「あ、うん」

「宜しい」

 キョウコはヒロの返事に満足したようで、ヒロの前を歩いて玄関を開ける。

 すれ違った時に近くで見たキョウコの顔は、少し皺が増えているようにも見えた。

 

 

 

 

 

 ――家に入ると、早速シャワーを浴びる。

 朝からずっと、夏の日差しの下で馬に乗り続けていたので、これが実に気持ち良い。

 汗だけではなく、疲れも洗い流されるような感覚を覚えて、まるで浴槽に使った時のような嘆息が零れる。

 存分に堪能して浴室から出ると、隣接する洗面場には新しい衣服が出されていた。

 なんとも、いたせりつくせりである。

 

 

 

「着替え、ありがとね」

 礼を述べながらリビングに出る。

 リビングには窓が多く設けられており、大いに明るい。

 床には、おそらくは市場通りで購入したと思われるエキゾチックな絨毯が敷かれており、そのには艶やかな木製のリビングテーブルが置かれている。

 キョウコは、そのリビングテーブルの上に料理を並べている所だった。

 

「……お母さん、何してるの?」

「何って、貴方の食べる物の用意に決まってるでしょう?」

「晩御飯はいらないし、まだ早いと思うけれど……」

 時計を見れば、午後四時である。

「分かってるわよ。でも、ちょっと位なら寛いでいくでしょ?

 ごめんねえ、お母さんのお昼の余りしかないけれど……」

 

 視線をテーブルの上に向ける。

 並んでいるのは、小皿に盛られたビーフシチューと、よく焼けた薄手のパンだ。

 なかなかに豪勢な昼食を堪能していたようである。

 

(むう……)

 ヒロは内心唸る。

 

 少し前にサンドイッチを食べたばかりで、腹は全く減っていない。

 とはいえ、自分の為に用意されたものを無下にするのも気が引けた。

 結局、ヒロは苦笑しながらリビングデーブルの前に腰かけて、パンを手にした。

 ビーフシチューを付けて頬張ると、歯応えの良いパンに濃い目の味が乗ってうまい。

 

 

 

 

「ところでヒロ。お義父さんとお義母さんは元気にしてる?」

 ちまちまとパンをかじるヒロに、キョウコは少し不安そうに尋ねる。

 ヒロも祖父母の所を頻繁に訪れてはいなかったが、たまに店にくる祖母のウメエは元気だ。

 ウメエから聞く限りでは、祖父のダイゴローも、最近は足の調子が良いらしい。

 

「元気だよ。特にお婆ちゃんは」

「良かったわ。最近顔を見に行ってないから心配でねえ」

「何かあれば連絡するから、大丈夫だよ」

「じゃあ、連絡がない事を祈らなきゃね」

 そう言ってキョウコは軽く笑うが、その途中で思い出したように言葉を付け加える。

 

「そうだ。センダンさんには迷惑を掛けていないだろうね?」

 特に自覚はない。

 どちらかといえば迷惑をかけられている方だと思う。

 だが、簿給で頑張ってくれている彼女を悪く言うわけにもいかなかった。

 

「……特にそういう事はないかな」

「本当に?」

「本当に」

「ちゃんとお休みもあげてる?」

「むしろお休みばかり」

「そう。じゃあ、私が宜しく言っていたと、伝えておいてくれるかい?」

「構わないけれど、お母さん、随分センダンさんを気に掛けるんだね」

「そりゃあ、当たり前じゃないの」

 ちょっとアンタ、と言わんばかりにキョウコは手首を曲げる。

 

 

「元々、お義父さんとお義母さんの仕事を手伝っていたわけだし、

 今では貴方の世話まで見てくれているんだから、センダンさんには頭が上がらないわ」

「僕、もう誰かに世話を見てもらうような歳じゃないけれど……」 

「そりゃそうよ。でも、私達の子供である事に変わりはないでしょう?

 親ってものは、幾つになっても子供の事が心配なものよ」

「………」

「そんな貴方のお仕事を手伝ってくれている人がいるだけで、どれだけ安心できる事か……」

 キョウコは目を細めながら言う。

 ヒロはそんな彼女を直視する事ができずに、顔を背けてキョウコは視界の端に置いた。

 

 もう、自分は親元から離れて暮らして六年以上が経っている。

 だというのに、母はそうも心配して、想ってくれていた。

 暖かなものを感じるが、同時に猛烈な気恥しさを感じて、母を見る事が出来なかった。

 

 

 

 

 

「……そういうものなんだ」

 早口で呟く。

「そうよ。貴方もいつか分かるわ」

「うん」

 分かる環境となる予定は、今の所ない。

 けれども、ヒロは素直に返事をした。

 

「ヒロ」

 母の口調が改まったような気がした。

 反射的に顔を上げる。

 母は、優しく微笑んでいた。

 

「たまには、また遊びにおいで」

「うん」

 また、素直に返事をするヒロであった。


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