燦燦さんぽ日和   作:加藤泰幸

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第十話/ギルド裏庭の蜜柑

 兄花通りは、兄花島観光地区を北から南に縦断するように伸びている。

 観光地区の古い建造物の多くは、その兄花通り沿いか、もしくは沿岸沿いに建っており、

 比較的近代になって建てられた建造物は、兄花通りの東側、海から離れた地帯に建っている。

 観光地区唯一のコンクリート建築、兄花島ギルド支部が建っているのは、その地帯だった。

 

 

 

「ええっとー、確か出店希望リストは、この引き出しにー……」

「ベラミさん、その引き出しもう三回は探しましたよ」

「そうだっけー? にゃっはっはー」

 先程から、机という机の引き出しをひっくり返しているのは、ギルド職員の猫亜人ベラミ・イスナットである。

 祭事実行委員の総務班として出店希望者を管理している彼から、出店希望者リストを貰いにきたヒロとゴウは、

 もうかれこれ五分以上は、ベラミがリストを探す姿をカウンター越しに眺めている。

 

 だが、どうにも雲行きは怪しい。

 何度も同じ場所を探しては、ゴウが突っ込みを入れているのだが、

 ベラミは毎度、半分閉じられている眠そうな猫目を更に平たくして、にへらと気の抜けた笑いを浮かべるだけである。

 

 ヒロとゴウは、その都度、互いの顔を見合った。

 言葉にせずとも、それだけで互いの考えは伝わる。

 これは、紛失しているのではなかろうか……である。

 

 

 

 

「ベラミさん、ポケットとか探しましたよね?」

 不安そうな口ぶりを抑えずにヒロが尋ねる。

 まさか、今更ポケットにあるとも思えなかったが、それでも一応聞いてみた。

 

「んん? どれどれー?」

 言われるがままに、ベラミがポケットに手を突っ込む。

「……あれ?」

「あれ、って、ベラミさん……?」

「あー! あった、あったー」

 表情と同じく、間の抜けた語尾でベラミが言う。

 彼がポケットから手を引き抜くと、手には折り畳まれた用紙が握られていた。

 

「まさか、本当にポケットにあったとは……」

「ポケットくらい最初に調べておいて下さいよ……」

 あまりにも安直な場所からの発見に、ヒロとゴウが呆れきった口調で突っ込む。

「いやー、ごめんごめん。はいこれー」

「ども」

 反省の色を表さずに謝るベラミから、ゴウが用紙を受け取る。

 ゴウが用紙を開いた所でヒロが覗き込むと、十数名の氏名と連絡先、希望出店内容、使用ブース数が記載されていた。

 間違いなく、出店希望者リストのようである。

 

 

「これがリストなんだ」

「おう。総務の確認が済んでいる最終リストだから、これを元にブース設営の準備をするんだ。

 今年も希望者数は例年通りって所か……」

「あ、サヨちゃんのお店も載ってるね」

「ちとせだな。毎年鉄板焼き系の飲食ブースを出しているんだが、なかなか評判が良いぞ」

「へえ、楽しみだなあ。できれば当日参加したいけれど……」

「お前は店もあるからな。あまり無理はするなよ?」

 諭すように言うと、ゴウはリストを再び折り畳んで自分のポケットにしまいこむ。

 それから、相変わらずへらへらと笑っているベラミに一礼した。

 

 

 

「それじゃあ、俺達はこれで」

「ええ、もう行っちゃうのー? せっかくだから、兄花島ギルド支部名物の兄花餅買ってかなーい?」

「俺達観光客じゃないんだから、変なセールスしないで下さい」

「そんな事言わないでさー。カツカツなんだよー」

「兄花島ギルド支部って、国からの予算の割り当てじゃ足りてないんですか?」

「いーや、それなりにあるよー。これは僕が個人的に仕入れたのー」

 ベラミはさも当たり前のように言う。

 

「小遣い稼ぎじゃないですか……」

「あーあー、違うぞー! この稼ぎは恵まれない子供達にだなー!」

 ベラミが言い訳をする。

 胡散臭い言い訳ランキングがあれば、間違いなく上位に食い込むであろう言い訳である。

 

 

 

「はいはい……やっぱりヒロにも来てもらって正解だったよ。

 俺、どうにもこの人とは波長が合わん」

 ベラミに聞かれる事も厭わず、ゴウが肩を落としながら言う。

 確かにゴウの言う通り、ベラミは掴み処がなく、何を考えているのか分からない所がある。

 だが、さすがにこれはベラミが怒るのではないかと、ヒロはちらとベラミを一瞥した。

 

 

「そんなに褒めないでよー」

 褒めていない。

 だというのに、ベラミは胸を張っている。

 不安は杞憂であった。

 

 

「あはは……心配性のゴウ君とじゃ、確かに合わないのかもね」

「はあ……さ。帰ろうぜ」

「あ、ごめん。先に帰っててもらっても良いかな」

 ヒロは思い出したようにそう言う。

「あん?」

「僕、ギルドでもうちょっと用事があってさ」

「そうか。じゃあ先に帰るぞ」

 ゴウは深く理由を聞くことなく頷いた。

 

「ずばり、お餅を買う用事だね!」

「違います」

 会話に入ってきたベラミの言葉は、即座に否定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燦燦さんぽ日和

 

 第十話/ギルド裏庭の蜜柑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドを出たゴウの姿が見えなくなると、ベラミは素早く首を回してヒロの方を見た。

 

「で、用事ってー?」

「実は、ギルドに置いて欲しい物がありまして……」

 そう言いながら、手にしていた袋の中から数十枚のチラシを取り出す。

「ふむ?」

「海桶屋の宣伝チラシです」

「へえ。拝見拝見ー」

 ベラミはチラシを受け取ってカウンターの上に置くと、一番上の一枚を手にする。

 海桶屋の外観や、特徴的な朱塗りの内装の写真が大部分を占めるチラシで、

 サービスの内容に関する説明も書かれているのだが、写真を邪魔しない適切な配置となっていた。

 目を引き、海桶屋の特徴が掴みやすく、情報の不足もない、良い出来である。

 

 

 

「なかなか上手じゃないか。ヒロ君かセンダンさんが作ったのー?」

「いえ、友達の妹が絵の勉強をしているので、その子に頼みました」

「へえー。絵の勉強をしていたら、デザインセンスも良くなるものなのー?」

「どうなんでしょうかね……個人差はあるでしょうけれど、少なくとも素人よりは良いんじゃないんでしょうか」

 ヒロは肩を竦めて答える。

「なーる。餅は餅屋なんだねえ……」

 ベラミは関心した様子で、手にしたチラシを山に戻そうとする。

 だが、その手の動きは途中で止まった。

 

「……ねえ、お餅」

「買いません」

 即答する。

 突飛な提案への突っ込みなら、常日頃から鍛えられている。

「それは残念」

 ベラミは猫耳を畳んでしょげた。

 

 

 

 

 

「ところでベラミさん、昨日、ギルドロビン支部に出かけてたんですよね?」

 ベラミの言う事の大半は冗談である。

 本気で落ち込んでいるわけではないと分かっているヒロは、特に気を使わずに話を変えた。

「うん、そうだけどー?」

 ベラミもすぐに元の緩い喋り方で返事をする。

「……でしたら、あれ、買ってきてくれました?」

 周囲をきょろきょろと見まわしながら尋ねる。

 

 ギルド兄花島支部は、総面積も部屋数も海桶屋と大差ない小さなギルドだが、職員はベラミ以外にもいる。

 雑談程度なら許容される、雰囲気の緩い所ではあるのだが、なんとなく、他の職員には聞かれたくない話だった。

 

 

 

「あれー?」

「あれです。ほら、あの本……」

 恥ずかしそうに言う。

「ああ。あれね、あの本ねー」

 何の事だかようやく思い出したベラミが、ピンと尻尾を突き立てながら言う。

 

「ヒロちゃん、あんたも好きねえー」

「止めて下さい、誤解されます」

 ベラミを睨みながら突っ込む。

「ははー。冗談冗談。怖い顔がいっそう怖くなってるよー」

 ベラミは笑いながら、先程散々ひっくり返した引き出しから、雑誌を一発で取り出した。

 表紙には、週刊スピリット、の文字が印刷されている。

 ヒロ愛読のマナ情報誌である。

 

 

「これです。いつもありがとうございます」

 ヒロは素直に礼を言うと、財布から小銭を取り出して雑誌と引き換えた。

「なーに。仕事のついでに買ってる本だし、心付けも貰ってるし、どーって事ないのよー。にゃっはっはっ!」

「いやあ、そうは言いましても……何かお礼が出来れば良いんですけれど……」

「本当に大丈夫だってばー。ヒロ君は真面目だねえー」

 両手を頭の後ろで組みながら、ベラミが目を細めて言う。

「そうでしょうか?」

「そうだよ、そうだよー。特にお礼なんか……あっ!」

 ベラミの言葉が不意に途切れた。

 

「どうかしました?」

「……実は仕事がひとつあったのよねー」

「あ、でしたら……」

「うん。時間があったら、お言葉に甘えて一働きしてくれるかなー?」

「はい、もちろんです」

 威勢良く返事をする。

 今日は夕方から予約客が来るのだが、まだ時刻は正午を過ぎたばかりで、時間は十分にあった。

 

「おお、ありがとねー。……仕事、ガッツリ溜まってるんだよねえー」

 ベラミの笑みが、緩いものから不敵なものに変わる。

 

「む、むう……」

 礼を返せるという意気込みはどこへやら。

 突然沸いて出た嫌な予感に困惑するヒロであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ――ギルドの歴史は長い。

 

 精霊戦争よりも更に遡る事約千年前、まだ国内で小規模な戦争が頻発していた時代に、

 旅人の一時的な止まり木として、食糧や短期的な宿泊スペースを国が提供し始めたのが、ギルドの始まりである。

 移動手段も地理も発達していない当時は、旅人にとってギルドは欠かせないもので、利用者は多かった。

 その利用者数をあてにして、比較的ゆとりのある旅をしている者でも、情報交換を目的としてギルドに足を運んでいた。

 

 だが、近代において旅は困難なものではない。

 ギルドの有用性は次第に薄れ、扶助機能も失われていったのだが、大いに隆盛したその看板まで失うのは勿体ない話である。

 そこで国はギルドに、地域の名所・名店案内や、土地の歴史を説明する機能を新たに持たせ、ギルドの再生を図った。

 その狙いは当たり、旅人……改め観光者達には観光の際には、まずその都市のギルドを訪れる習慣が生まれる事となった。

 

 国営観光案内所。

 一言で言えば、それが現在のギルドである。

 その運営には然程人手を必要としない。

 地方ともなれば尚更だ。

 ギルド兄花島支部もその例に漏れず、職員の数はベラミを含めて四名。そのうち一名は老齢で、二名は女性である。

 よって、力仕事の類は、若い男性のベラミに寄せられていたのだが、ベラミはベラミで力仕事を嫌っていた。

 

 ……つまり、この日のヒロの仕事は、なかなかに過酷なものだったのである。

 

 

 

 

 

「ベラミさーん、この箱はどこですかー?」

「あー、そっちそっちー」

「了解ですー」

「いやー、あっちあっちー?」

「どっちですかー!」

 

 七月下旬の猛暑の中、ヒロはギルド裏口と倉庫の間を何度も行き来していた。

 

 ベラミは荷物の運搬を相当にサボっており、倉庫には両手で抱える程の箱が十数個溜まっていた。

 無地の箱もあれば、中身が記載された箱もあるが、いずれにしてもこれが重いのである。

 手の力だけで支えるには不安があり、胸板に箱を預けながら、一つ一つをギルド裏口まで運ぶ。

 場合によっては、ギルドの中の奥深い所まで運ばなくてはならないのである。

 

(……これ、明日は筋肉痛確定かなあ)

 また箱を一つ運び終え、両腕を揺らして、気持ち分ほぐしながら裏口を出る。

 日差しの下に一歩踏み出すと、途端にうだるような暑さが全身に降り注いでくる。

 

 

 

 

 

「いやー、暑いねー。こりゃ暑いねー」

 倉庫に背中を預けながら、ヒロが戻るのを待っていたベラミが、のんきに言った。

 団扇でパタパタと自身の顔を扇いでいて、青いくせっ毛の単発が風に揺れている。

 

 彼の傍には倉庫内冷蔵室があり、冷蔵室内にも三つ程の箱が溜まっていた。

 それらはいずれも『濃厚ヒノモトオレンジジュース』と印刷された箱である。

 同じ箱を先程運んだのだが、箱が揺れると、中からガラスが軽く触れ合うような音がしていた。

 おそらくは記載の通り、オレンジジュースの瓶が入っているのだろう。

 

 

「この箱、やっぱりオレンジジュースが入っているんですか?」

 倉庫の軒下まで戻ってきたヒロが、汗をぬぐいながら聞く。

「うん、そうだよ。島で採れた奴を、隣の夢見島の工場で加工した奴ー。

 昨年からずーっと保存してたんだけど、やっとカウンターで売ってる分が切れたんでねー」

「って事は、今運んでいる分も、ギルドで売るんですか?」

「そういう事ー」

「ふむ……」

 ヒロは片方の目を細めながらベラミを見る。

 どうにも、胡散臭さを感じる品である。

 もしや……といぶかしんでしまう。

 

 

「あーあー、そーの目は疑ってるねー!」

 さすがのベラミも、ヒロの目つきが意味する所に気がついた。

 背中を跳ね上げると、口を尖らせ、手を振り上げながらヒロに抗議する。

「今回は違うぞー! お餅と違ってお小遣い稼ぎじゃないぞー」

 つまり、お餅の方はやはり小遣い稼ぎなのである。

 とはいえ、あまりにもあからさまだったので、ヒロは突っ込む気も起きない。

 

「分かりました、分かりました……お小遣い稼ぎじゃないなら、なんで売ってるんです?」

「おお、よくぞ聞いてくれましたー」

 ベラミはあっさりと振り上げた手を下ろすと、自慢げに語りだす。

「これはもちろん、観光案内を受けに来た人達に売るんだよ。

 でも、売るだけなら、小売店でも大丈夫なんだよねー。

 ギルドでも売るのは、島の名産物を強くアピールして、リピーターになってもらう為さー」

「へえ……」

「せっかくだから、休憩がてらに一つ飲んでみるー?」

「あ、もちろん!」

 今日は真夏日、炎天下。

 オレンジジュースに限らず、冷たい飲み物が飲めるのはありがたい事だった。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、こっちー」

 ベラミがギルド裏口へと向かった。

 ヒロもそれに続いて歩く。

 

 ベラミは、先程ヒロが搬入したギルド内冷蔵庫の前まで歩いた。

 近くの棚にある試飲用のコップを取り出すと、冷蔵庫の中からオレンジジュースを一本取り出し、蓋を開けてコップに注ぐ。

 そのコップを受け取ると、指先に冷気が伝わってくる。

 元々、倉庫内冷蔵庫で十分に冷やされていたジュースなのだから、当然の冷たさである。

 

「はい、どーぞー」

「頂きます」

 頭を下げて、まずは一口飲む。

「……むう」

 思わずヒロは唸る。

 うまいのである。

 喉にガシガシ来るのである。

 海桶屋で出しているオレンジジュースよりも、味が凝縮していてコクがあるのである。

 

 

 

「……美味しい」

「でしょでしょー?」

「うちで出しているオレンジジュースより美味しいですよ、これ。

 同じヒノモト蜜柑のジュースなのに、なんでこんなに美味しいんです?」

「うーん、海桶屋さんで何を出しているのかは、知らないけれど……」

 ベラミは腕を組みながら言葉を続ける。

「とりあえず、これに限っては、糖度が高い良質な蜜柑を厳選して作った、高級なオレンジジュースなんだー。

 だから、美味しいんじゃないのかなー?」

「なるほど……」

 関心しながらもう一口飲む。

 やはり、美味い。

 海桶屋で出すオレンジジュースは、元々お金を取るものではない。

 それに、オレンジジュースとは言っても、どれも大差ないものだとヒロは思っていた。

 だからこれまで拘っていなかったのだが、この味はその考え方を変えるに十分値する味である。

 

 

 

(……良いなあ、これ。うちの店のオレンジジュースも……)

「ヒロ君、今、海桶屋でも同じオレンジジュースを出そうって思ったでしょ?」

「っ!?」

 思わずベラミの顔を見やる。

 指摘は鋭いが、相変わらず顔に締まりはない。

 

 

「な、なんで分かるんです?」

「ヒロ君は真面目だからねー。からかい甲斐がある……あいや、もとい。分かりやすい性格なのよー」

「む、むう……」

 そう言われては、唸るより他ない。

 

 

 

「これだもんねえー。センダンさんも毎日楽しいだろうねー」

「ほっといて下さい」

 ヒロは拗ねたように言う。

「あははあー。……あ、そーだ。オレンジと言えばー」

「?」

「ギルドの裏庭で、個人的に蜜柑を栽培しているんだよー。搬入が終わったら見てみるかいー?」

「へえ……」

 個人的に、という辺りにはまた胡散臭さを感じてしまう。

 だが、せっかくなので見てみたい、とも思う。

 ギルドの掛け時計を見れば、まだ時間に余裕はあった。

 

 

 

「それじゃあ、見せて貰っても良いですか?」

「オーケー、オーケー」

 片手で良いのに、ベラミは両手の親指を突き立ててヒロに答えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 ヒノモト諸島の名産品は蜜柑である。

 『ヒノモト蜜柑』のブランド名で国内全土に出荷されている蜜柑は、温暖な気候によって作られる深い甘味が評判だ。

 また、味のみならず、栽培方法にも特徴がある。

 ヒノモト諸島の島々はいずれも平地が少ない為に、山沿いに石積を築き、階段状に蜜柑畑を設けているのである。

 収穫時期になると、鮮やかな橙色の階段が島中に出来上がり、その光景はなかなかに見応えがあるものであった。

 

 ……だが、今の季節は七月。

 木々に生っている蜜柑はまだ青く、それはベラミの蜜柑も例外ではなかった。

 

 

 

 

「まだ真緑ですね」

「そうだねー。まだまだ、これからさー」

 

 ギルドの裏庭の片隅には、小ぶりな蜜柑の木が一本だけ生えていた。

 だが、小さくとも蜜柑の木に変わりはない。

 緑色の蜜柑が、秘めたる甘さを主張するように枝を大いにしならせている。

 収穫こそまだ先だが、現時点では順調に育っているように見受けられた。

 

 

 

「で、これも小遣い稼ぎになるんですか?」

「んなこたぁないぞ。君は僕を金の亡者だと思っていないかい?」

 何の疑いもなく聞いたヒロに、ベラミは手を振って突っ込みを入れるふりをする。

 

「あれだけお餅を勧められたら疑ってしまいますよ……」

「むう。狼少年ベラミになってしまったようだねー」

 悪びれもせずにそう言うと、ベラミは蜜柑に軽く触れながら言葉を続ける。

 

「この蜜柑は、配るのさー」

「配る、ですか?」

「うん。ヒロ君見た事ないかい? 兄花通りで子供達が蜜柑を配っている光景ー」

「……いえ、ないですね」

 少し考えてから、ヒロは答える。

「そうかー。実は、兄花島下級アカデミーの子供達が、学校で蜜柑を栽培してるんだよー」

「へえ」

「その蜜柑は、収穫しても子供達の胃袋には入らないんだよ。

 袋に詰めて、兄花通りで観光客に無料で配ってるんだー」

「……なんだか、心が温かくなる話ですね」

 ヒロが嬉しそうに言う。

 実際、彼はその話が嬉しかった。

 

 

 

「……あれ? でも、ベラミさんの蜜柑も配るって話はどこへ?」

「そうそう。そこで僕の蜜柑の出番なのさー」

 ベラミは自分の胸を叩きながら言う。

「小さな子供達が頑張っているのに、ギルド職員の僕が怠けるわけにはいかないからね。

 こうして自主的に栽培した蜜柑を、子供達が配る分の足しにしてもらっているのさー」

「おお。ベラミさん、見直しましたよ」

 ヒロは小さく拍手をした。

「これで島にはリピーターががっぽがぽ。僕のお餅も売れるって算段だよー」

「ベラミさん、前言撤回しますよ」

 ヒロは拍手を即止めた。

 

 

 

「ははは、まあまあ、そう言わないでおくれよー。

 あくまでも本来の目的は、子供達の手助けなんだからさー」

「……まあ、そうですね」

 確かに、餅という打算があろうと、ベラミが他人の為に蜜柑を栽培している事実は変わらない。

 ヒロは気を取り直して、蜜柑の木を見ながら言葉を続ける。

 

 

 

「皆、島の為に頑張ってるんですね」

「おや? それはヒロ君もじゃないかー」

 さも当然のようにベラミは言う。

「僕が、何か?」

「海桶屋の営業だよー」

「海桶屋が島の為になっているんですか?」

「うん、もちろんー」

 ベラミは笑顔で頷く。

 

「兄花島は何にもない島、小さなコミュニティーだけど、だからこそ大抵の仕事は誰かの為になるものさ。

 ギルドが仕事をすれば、海桶屋に泊るお客様が増えるかもしれない。

 逆に、海桶屋で一泊するお客様が、夜食用にギルドで僕のお餅を買うかもしれない」

「お餅はともかく、言わんとする事は分かります」

「それに、ヒロ君の海桶屋は、ヒノモト文化の存続にも一役買っているから、なおさらだねー」

「ふむ……」

 

 ヒロは、自分の仕事をその様に考えた事はなかった。

 ベラミの言う理屈は分かる。

 おそらくは彼の言う通り、海桶屋の存在は他の誰かの力になっているのだろう。

 

 だが、自分は日々の暮らしで精一杯で、海桶屋に直接関係しない誰かを意識して働いた事はない。

 だというのに、誰かの力になっていると言われては、何だか申し訳がない気がした。

 ベラミや子供達の様に『誰かの為』という目的があったのではなく、結果としてそうなっているだけなのである。

 

 

 

 

 

「そうだったら、良いのですが」

「うん、そうだよそうだよー」

 ベラミの適当な喋り方は、どうにも信用し難い。

 でも、今はそれくらい適当な方がちょうど良かった。

 

「……ありがとうございます」

 ベラミの緩さにつられて、ヒロも穏やかな笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 夜になった。

 さすがに日中とは異なって、気温は下がり、夜風は涼しい。

 客室には空調を配備しているのだが、マナの消費を少しでも抑えるために、

 ヒロとセンダンの部屋では空調をなるべく使わずに、窓を開け放って夜風で涼を取っている。

 この日もヒロの部屋の窓は開いており、中に入ってくる風が室温を下げてくれる。

 のみならず、その風が小振りな風鈴を鳴らす事で、体感的な涼しさも発生していた。

 

 

 

「へえ。じゃあ、これが一仕事したご褒美ってわけ?」

 この日の仕事を全て終え、ヒロの部屋に遊びにきていたセンダンが、物珍しげに箱詰めの餅を摘む。

 搬入作業は、普段雑誌を買ってきてくれている事のお返しだというのに、ベラミはお土産をくれた。

 ただし、お土産とは言っても、ベラミの餅と封を開けたオレンジジュースである。

 ベラミ曰く『ヒロ君達にベラミ餅のリピーターになってもらおう』との事であった。

 

「ええ、ベラミさんの手作りだそうですよ」

「むう……ベラミーンの手作りか。なんだか怖いわね……」

 センダンは餅を指で軽く潰して弄ぶ。 

 大きさは親指と中指で輪を作った位で、中には粒餡が入っている。

 見た目はごく普通の餅なのだが、センダンのいう通り、ベラミの手作りという点に不安を感じる餅だった。

 

 

 

「売る位だから、食べられない事はないと思いますが……食べないでおきます?」

「ううん、食べる」

 結局は食欲が勝るようである。

 手にしていた餅を半分かじり、何度か咀嚼した後で、センダンは指で丸を作った。

 どうやら、味の方は悪くないらしい。

 

 

「美味しいみたいですね」

「んぐ……んぐ……うん、普通のお餅ね。大丈夫大丈夫」

「それじゃあ僕も食べようかな」

「なにそれ、私は実験台だったの?」

 センダンが頬杖をつき、わざとらしく眉をひそめる。

「まあまあ、ジュースもあげますから、機嫌を直してくださいよ」

「直した!」

 即答である。

 ヒロが苦笑しながらオレンジジュースを注いでセンダンに渡すと、センダンは美味しそうに一気に飲んでしまった。

 

「ん、いけるじゃない、これ!」

 センダンは尾を振りながらオレンジジュースを絶賛する。

「ですよね。これうちでも出しません?」

「うんうん、大賛成」

「じゃあ、今度お婆ちゃんの許可を取ってきますね」

「了解。島のアピールって所も付け加えると、許可を貰い易いかもね。

 今でもオレンジジュースは出しているけれど、せっかくだから、より美味しい味でアピールしたいもんね」

 そこまで言って、ふとセンダンはハッとした表情を浮かべる。

 

 

 

「あ。アピールと言えば……」

「?」

「私も、島の子供達から蜜柑を貰った事、あるよ」

「へえ……」

「初めて兄花島に来た時に会ったんだ」

 センダンは腕を組んで懐かしそうに語りだした。

 

 

「兄花通りを歩いていたら、向かい側から、十歳にも満たないような女の子が三人くらい歩いていたのよ。

 私を見かけた女の子達は何か話し込んでいたんだけれど、すぐにそのうちの一人が私の前に小走りで駆けてきたんだ。

 それで、恥ずかしそうに『どうぞ』とだけ言って、蜜柑が入った袋をくれたの」

「へえ。可愛いですね」

「うん、もうすっごく可愛かった! 最高のサプライズよ!」

 センダンが満面の笑みを浮かべながら言う。

 おそらくは、蜜柑を貰った時にも同じような表情をしていたのだろう、とヒロは思う。

 センダンが蜜柑を貰う光景を想像しようとして……ふと、ヒロは思い至った。

 

 

 

(……しかし、島に遊びに来るセンダンさん、ってのは今ひとつ想像し難いな)

 

 首を傾げながら考える。

 センダンは元々島の者ではないのだから、その光景はあってもおかしくはない。

 あくまでも、ヒロが想像し難いのである。

 無理もない話だ。

 ヒロは、海桶屋で働くセンダンしか知らないのである。

 海桶屋で働く以前のセンダンが、どこで何をしていたのかは知らないのである。

 

 

 

 

 

「……センダンさん」

 一度気になると、どうしても聞いてみたくなる。

 良い機会だと考え、ヒロはセンダンに声をかけた。

「ん?」

「その話っていつ頃の事なんです?」

「初めて兄花島に来た時の事? んー……」

 センダンは視線を宙に向けて考え込む。

 その視線は、すぐにヒロの顔の位置まで降りてきた。

「うん! 内緒にする!」

 それで決まりだ、と言わんばかりにセンダンは軽くちゃぶ台を叩く。

 

「ケチ」

「ケチで結構、晩飯食うなー」

「子供ですか……」

 ヒロはそう言って嘆息する。

 だが、その嘆息には少しばかりの笑いが篭っていた。

 

 

 

 

(……まあ、良いか。楽しいし)

 

 

「どったのヒロ君、変な笑顔浮かべちゃって」

「なんでもありませんよ。それより、お餅もっと食べましょう」

 そう言いながら、餅に手を伸ばすヒロであった。


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