――嫌な場所だ。
まず何より先に、そんな風に俺は思った。向かう先、迷宮の入り口は二週間ほど前に見たままで、自分がエリィの前でやらかした事を思い出せて嫌な気分になるからだ。
なら来なければいいと思うかもしれないけれど、それは無理で、まぁ、無茶ではなかったけど。
「あ、ほら、エリィがこっちに気付いたよ」
「そうですねー」
テンション低めの俺とは逆に、フードを目深に被った彼女――エリザヴェータはなんとも機嫌良さ気だ。あぁそりゃそうだろうさ。本当なら自分で持つ筈だった荷物とリュック全部俺に持たせて、本人は手ぶらだ。
いや、左手だけは塞がっている。
「なんだ、見送りに来てくれたのか?」
そう言って、ジュディアともう一人の仲間である名前も知らない少女を置いてこっちに小走りで寄ってきたエリィは、俺とエリザヴェータを見た後、俺たちの真ん中で目をとめた。その視線の先には、俺の右手と、それを握るエリザヴェータの左手がある。
「途中で出会ってね。買出しの途中だと伝えたら、手伝ってくれると言ってくれてね、彼の優しさに甘えたんだよ」
盛大な嘘をさらっと口にするエリザヴェータには、エリィの目がどこで留まっているのか見えていないのかもしれない。そんな筈はないんだろうけど。なんというか、居心地が悪いってのとは違う座りの悪さを感じた俺は、強引に右手を引き抜いた。
案外簡単に離れた右手をなんとなく二度三度と開き、握り、もっと早くにこうすれば良かったんだと思わせる。人の温もりが恋しいなんて思いたくは無い。いくらなんでも、自分より年下にしか見えない小柄な少女に甘えたくは無いんだ。
……逞しいのは、彼女達ではあるんだけれどさ。
「そっか、友達が増えたんだな。私も嬉しいな」
「……あぁ、うん、まぁ」
含む物の無いエリィの笑顔が、俺とエリザヴェータに向けられる。なんだろうか、このぼっちな弟に初めて友達が出来ました、的な空気は。
あれか、これは死亡フラグか。俺の。不幸なキャラはいきなり幸せになったら危ないんだよな、確か。
……いや、俺別に今幸せにはなっちゃいねぇよ。意味不明な不幸の最中ではあるけども。
「あ、ほら」
「え?」
エリィが俺に近づいてくる。手にはハンカチが一つ。さて、それで何をするつもりなんだろうか。
「目やにがちょっと残ってんじゃないか。こっち向けって。ほら」
「いや、おま、ちょッ」
いつか、子供の頃、母親にされた様にハンカチで目やにを取られている俺を、エリザヴェータはにやにやと眺めていた。いや、もうフード越しだろうが実際には見てなかろうが、こいつの性格はある程度把握できてる。あいつはこんな俺の姿を見て、嫌らしく笑う奴だ。
「お前、ちゃんとご飯食べたか? ここからの帰り道分かるか? 私が送っていこうか?」
「いや、エリィ。もう迷宮にもぐるんだから、送っていったら駄目だろう」
「ちょっと待ってて」
「あんた馬鹿でしょ」
実際馬鹿みたいな会話に入り込んできたジュディアが、エリィの頭を軽く叩いた。剣の柄で。
「……ってぇなぁ! 何するんだよ! 割れたらどうすんだ!」
「あんたの石頭がこの程度で割れるなら、もっと簡単にモンスター倒せるっての」
ふん、といった感じでエリィを睨んだジュディアは、その後俺を見て、
「これから私達は仕事だから、あんたも早く店に戻りなさいよ? それと……荷物、ありがとう」
「あ、うん」
言われた礼の言葉に、ちょっとだけ意外だなんて思って、俺は頷いた。
「じゃあ、迷宮から上がったら、また」
「あぁ、エリザヴェータも気をつけてな」
お互いに軽く手を上げて離れていく。エリィとジュディアが何かぎょっとした顔で俺を見ていたけれど、多分エリザヴェータと俺の事で何か驚くような事が在ったんだろう。俺自身驚いてるし。
「終わったらすぐ行くから、待ってろよー! お腹壊すなよ! 変なモン食べんなよー!」
「……へいへい」
ジュディアに引き摺られて迷宮へと消えてゆくエリィの姿を視界におさめて……それから、最後に残った人影に気付いた。
皆が迷宮の中に消えていくのに、一人残った少女は、俺をなんとも言えない様な表情で眺めた後、ぺこりと一礼してから逃げるように迷宮の入り口へと駆け込んでいった。
「……過保護に、美少女に、同類の観察者で、最後がおっかなびっくり、かよ」
ぽつりと呟いて、空を仰いだ。
やっぱり、言えない。ここまで来て、ここまで近づいて、それでも、無理だ。連れて行ってくれなんて、迷惑だろうし、でもそれ以上に、怖くて言えない。
俺は剣だってろくに振れない弱者なんだから。
○ ○ ○
薄暗い迷宮に、カンテラの光が差し込む。
狭い視界はこの地下世界を歩く事を許しても、知る事を許さない。日々位置の変わるトラップとモンスターの生息範囲が、冒険者達に余裕を与える事はない。事実、エリィ達は迷宮に入ってまだ下層のフロアで、ここでは出会わない筈のモンスターと遭遇した。
「こ……のぉ!」
集団から離れて飛び掛るリッパーマンティスを、エリィは得物で迎え撃つ。自身の体を軸にして、巨大な両手剣を遠心力で振り抜き、両断したという確かな感触を覚えてから、床に剣先を叩きつけてバランスを取る。
そのまま回せば振り抜いた後に隙が生じるからだ。しかし、集団戦を得意とするリッパーマンティスが一匹、羽を広げて彼女の脇をすり抜け、後衛へとその鎌を振りかぶった。
どす黒く変色した鎌は、そうなるまでに一体どれだけの血を吸ったのか。
「ジュディア!」
「駄目! エリー! 行ける!?」
エリィに後衛の援護を願われたジュディアも、しかし今はリッパーマンティス三匹を相手に両手の双剣を縦に横にと走らせている最中だ。額に浮かぶ汗もそのままに、余裕の無い声でジュディアはエリーと呼んだ少女、エリザヴェータに目も向けることなく、叫ぶ。
「十分だよ」
後衛――つまりは自身に向かって飛んでくる中型犬並みの大きさを持つ蟷螂に、手にしたロッドを突きつけてエリザヴェータは笑った。男や仲間達に見せる、にやりとした笑いではない。もっと残酷な、処分者の笑みだ。
「切り――裂けッ!」
魔力を有した言葉が、迷宮の中を走る。一瞬ハウリング音を発したロッドが僅かに発光し、ローブがはためきフードが翻った。二つの刃が交差する様にエリザヴェータの前で停滞し、そして消えた。何事であろうか。
そんな不可思議な現象の後、羽を広げて飛び掛り、鎌を振り落とさんとするリッパーマンティスが四つに分かれたのだ。そしてそれは、呆気なく地に落ちた。
その切り口は、鋭利な刃物で分断された物だった。
マジックユーザー。大別してそう呼ばれる者達は現在三職ある。
キャスター。詠唱魔術師。世界に散らばる不可視にして魔力の欠片、エーテルを呪言、詠唱によって集め、大火力の魔法を行使するマジックユーザー最強の名も高い者達。中には歌う様に詠唱を唱える者達も在り、その者達はシンガーとも呼ばれる。
リーダー。図式魔術師。感知できるエーテルを前もって自身の肉体に取り込み、それを読み込み必要に応じて使い分ける一般的なマジックユーザーだ。
そして。
今や数も少ない、正規のマジックユーザー達からは邪術使いとまで呼ばれ忌み嫌われる、プリズナー。
捧げし者、供物代償者、ブーストスペルジャンキー、監獄契約魔術師。自身の何かを邪術を用い供物とし、代償としてエーテル感知、行使能力を大幅に引き上げた異端の魔術師だ。彼ら、彼女らはその代償の上に、更に死後、永久に抜け出せない監獄にとらえられ、世界が終わるまで苦しみ続けなればならない。と言われている。誰も死後の世界など知らないのだから、これはただの風評だ。邪術を用いるな、という戒めでもあるのだろう。
ロッドを下げ、小さく息を吐くエリザヴェータは、当然その異端の監獄契約魔術師だ。煌いた一瞬の刃の風によってずり落ちたフードを被りなおし、彼女は、殲滅を終えモンスターの死体を剥ぐエリィとジュディアの傍まで歩いていく。
その後を、カンテラを持った少女が続く。
「……リッパーって、ここで出たっけ?」
「出ないわね。大分生息域広げてきたわね、こいつも……今度ギルドに頼んで討伐の仕事出してもらう?」
「あんま金でなさそうだから、パス」
「……よねぇ」
言葉を交わす少女達の姿は、街中で世間話をする街娘達の顔と大差無い。だが、その手が休むことなく今しがた仕留めた獲物達を解体している姿は、冒険者そのものだ。
鎌を切り取り、羽をむしり、それからジュディアは解体用のナイフをリッパーマンティスの腹部へと突き刺した。肉に刃物が食い込む、生々しい音とは別に、金属同士のぶつかり合った音がフロアに響く。
「やった、こいつ当たりだ!」
「へぇ、どれくらいだい?」
「えーっとね……うん、結構食ってる」
覗き込むエリザヴェータに、ジュディアは満面の笑みで返す。
リッパーマンティス。モンスターレベル6。単体対単体撃破難易度6。集団対単体撃破難易度4。集団体対集団撃破難易度8。
ゴミ漁りでは少々厳しいモンスターであり、中堅の冒険者なら相手に回して戦うのに特に注意も警戒も必要ない相手だ。そして、こうした蟲系モンスターは雑食である。
迷宮にあるモノなら何でも口にするこの生物達は、共食いもすれば、倒した冒険者、ゴミ漁りを食い散らす。身に着けた小さな貴金属を気にもせず、だ。そうなれば当たり前の事だが、彼らの持っていた硬貨もろとも、となる。
「んー……指輪一個、あとは……30ゴールドくらいね。でもこれ、溶けてるから実質20くらいかしら……」
「はー。前みたいに古代硬貨とか出てきたらなぁ」
また稀にではあるが、フロアや通路に落ちている硬貨まで飲み込み、それが胃袋から出てくる事も少なくない。しかも古代硬貨はどうした訳か胃酸で解ける事もないので、冒険者からすれば素材を剥ぎ終わった死体さえも一種の宝箱なのだ。
ジュディアは、すっと立ち上がり剥ぎ取り用のナイフを携帯袋に戻して手を叩いた。
「ま、この調子でどんどん行けばいいんじゃないかしら。幸先はそう悪くないわ、きっと」
その言葉に、皆が真剣な相で頷き、歩き出す。目指すはここ、南東部迷宮の踏破だ。
ヴァスゲルドに全部で九つある迷宮の、下から数えて四つ目程度の難易度でしかない迷宮で、いつまでもまごついてはいられないのだから。が。だがしかし。彼女達はうら若き乙女達である。 その迷宮の探索が静々と行われる訳も無く、話題は尽きない。
「そう言えばエリー。あんた名前教えたの?」
「つい先程だけれどね。いや、彼は中々キているよ」
「キてるって……あんた」
エリザヴェータの言葉に、ジュディアは嫌な汗が額に浮かびあがったのを感じた。この少女は、魔術を底上げする為に目さえ捧げたような少女だ。ジュディアから見ても、エリザヴェータは美少女だった。
肌は白く、貌は小さく可憐で、鼻筋は通って高く、唇は柔らかげで艶やかに、眉は細く美しい。しかし、目が無いというその一点が全てを壊している。目さえ在れば自身と並んでもなんら遜色ないと思わせる少女が、魔術一つの為にそこまでやったのである。まともな神経をしているとは、ジュディアには思えない。
そんなエリザヴェータが、キているとまで言ったのだ。それは相当な物である筈だ。
ふとジュディアが前を見てみると、一番前を歩くエリィがフルフェイスヘルムの前面部を上げ、聞き耳を立てている姿が見えた。そう言えば、とジュディアは胸中で呟く。あの男があの宿で働くようになってから、エリィと自身の小さな諍いの回数は大分減ったな、と。エリィの意識がジュディアよりも男に向いた事による恩恵だろう。
では、あの男には何かあるのだろうか。少しばかり興味を覚えたジュディアは、エリザヴェータに問うてみた。
「えーっと、あいつが何をしたの?」
「私の顔を見て、綺麗だと言ったよ」
「あいたッ!?」
前から二人目の少女が、小さな悲鳴を上げた。ジュディアは何事かと腰に在る二振りの剣に手を伸ばし、前へと注意を向ける。そこにはただ立ち止まったエリィと、その後ろで自身の額をさする仲間が居るだけだ。
「なんで立ち止まってるのよ、あんた」
「いや、だって、え、えぇええええ? これ、私が悪いか?」
なんとも言えない表情で返すエリィに、ジュディアは、確かにそうかも、と思わないでもない。自身が最前列を歩いていれば、先程のエリザヴェータの言葉で思わず立ち止まってしまうだろう。
「んー……そりゃ、これは仕方ないだろうけど」
「だろ? あ、ごめんな、ごめんな?」
「いえ、大丈夫です」
背、とは言っても鎧を着込んだそこに額をぶつけた仲間に謝りながら、エリィはまたカンテラで通路を照らして歩き出す。
「あー……で、あいつが、エリザヴェータの何を綺麗って?」
「顔だよ」
「あぁ、唇とか顎のラインとかよね?」
「顔だよ」
聞き出せ、と語るエリィの雄弁な背に押され、ジュディアがエリザヴェータから聴いた言葉は、常識の範疇にはない物だった。
――き、綺麗? また、綺麗?
ジュディアからすれば、また、だ。自身を差し置いて、エリィがそう称され、今またエリザヴェータが男にそう称えられたらしい。ジュディアの脳裏では、エリザヴェータを抱きしめ、気障な顔を耳元に寄せ綺麗だ、と囁く男の姿が再生された。
周囲には薔薇やら食虫花が咲き誇っていた。何故かエリザヴェータも頬を染め、そ、そんな、エリィに悪いわ……とか呟いていた。
なんという破壊力の高い映像だろうか。頭を強く振り、ジュディアはその脳内映像を脳内ドーンスターで粉砕していく。
「それはなんというか、確かにキてるわね……」
「だろう?」
疲れきった相と声も隠さず、げんなりと呟くジュディアに、エリザヴェータは笑い声交りで応える。少女だ。何をしてみても結局自分達は乙女だ。綺麗だと言われれば、それが意中にない異性であっても嬉しいのはジュディアにも良く分かる。
ましてそれが、純粋な物であれば尚の事だ。無垢な言葉は華を咲かせる水だ。
だが、華に泥水の詰まった如雨露を傾ける人間が居る事を、ジュディアはよく理解していた。
――うるさい、うるさい。
思考の片隅に、ちらりとジュディアの過ごしたそれが映る。田舎の、寒村の、親や、近しい者達。舐めるような視線で自身を見つめ、何事かを呟き、囁き、腐った笑いを上げる者達。
ジュディアは、もう一度強く頭を振った。だが、こびり付いた映像は中々消えてはくれない。
『この子は金になる。この子は金になる。この子は金になる。このこは金になるこのこは金になるかねになる』
死ねと、ジュディアは思った。
○ ○ ○
歩き、殲滅し、進み。歩み、潰し、進む。そうやって少女達がたどり着いた先は、そう広くもないフロアだった。
「で、毎度これを見ると、なるほどなぁ、って思うわけよね」
「だよなぁ」
そのフロアの中心に、彫像が在った。カンテラに照らされた彫像は竜を模し、その色は薄い黒に塗られている。
「で、ここがナイトシェイドか?」
「でしょうね。影竜ナイトシェイドの迷宮、でしょ、これ?」
問うエリィに応えては見たが、いまいち自身の言葉に自信を持てないジュディアは、隣で竜の彫像を眺める少女に聞いてみた。
少女はゆっくりと頷き、口を開く。
「この黒の薄さから、影竜ナイトシェイドだと思います。闇竜ハーデスは真っ黒だと聞いた事がありますし、もう一尾の黒竜……魔王の翼は、紅の混じった黒だと、神話では語っていますから」
その言葉に、フロアを眺めていたエリザヴェータが肩をすくめた。
「9匹の竜、九つの迷宮。ならば、もう一つどこかに迷宮が在る筈だ。だったかな?」
ジュディアが頷き、エリィが目を細め、少女が顎に手を当て俯く。
誰が言い出したのかは分からない。だが、この都市で仕事をする冒険者達の噂話に、そんな話があるのだ。迷宮一つ一つの最深部に置かれた竜の彫像と、その色。
そこから導き出された物は、隠された迷宮の存在だ、と。居ないはずの十番目の竜。魔王の翼を冠した迷宮が、どこかに。
「私たちの職業って、夢が必要って事かしら」
「夢って言うか、あれじゃないか。ほら、もう一個くらい稼げる場所欲しいって」
「あはははは、言えてる。エリィあんた言うわねー」
朗らかに笑いあうジュディアとエリィから、前まで在ったお互いへの堅さが抜け落ちていた。それを眺める少女とエリザヴェータもまた、穏やかな顔だ。
迷宮踏破。特に事件もなく、事故もなく無事に済んだ事による気の緩みもあっただろう。
そんな彼女達の背後で、音が響いた。
「――ッ!」
咄嗟に、全員が戦闘状態へと切り替わる。冒険者として見事と言えるほどではないが、生き抜いてきたという事実を感じさせる素早い切り替えだった。
竜の彫像が置かれたこのフロアは行き止まりだ。この先に道はない。
ならば、見つめる場所は唯一つ。自身達が入ってきた通路だけだ。ジュディアは息を殺し、サーチスキルを発動させる。エリィが感知出来なかった以上、アンチサーチ系の、或いは非生命体だ。命の灯火を持たない物はエリィのサーチスキルには引っかからない。そして彼女は自身のスキルに掛かった、脳の奥で灯る赤い光に鼻の奥がつんと痛み――目を見開き、叫んだ。
「やばい! ゴーレム系! しかもこれ……多分亜種かレアよ!!」
その逼迫したジュディアの声に、全員が体を強張らせた。
亜種、レア、どちらも既存のモンスターの突然変異体であり、その能力は完全に固体によって左右される。しかもその中でも、ゴーレム種はデータが判然としていない個体だ。逃げ道がない以上、得物を手に戦うしかない事はわかっているが、ジュディアは自分の二振りの剣が酷く頼りなく見え、奥歯をかみ締めた。
彼女は一発の攻撃力よりも、手数で押し切り相手を翻弄し追い込むタイプだ。その一撃は非常に軽い。堅い装甲を持つ相手には、双剣使いは無力になる。相性が悪すぎるのだ。
こうなると、頼みはエリィの両手剣だけだ。エリザヴェータの魔法も、最悪耐魔術コーティング装甲で削がれる。
冒険者を潰す事を目的としたようなゴーレム系は、だからこうも嫌われ恐れられる。
彼女達の視線の先にある、薄暗いその向こうから、徐々にゴーレムの足音がはっきりと聞こえてくる。だがそれは、だとしたらそれは、酷く場違いで、残酷な物だった。
ごろ、ごろ。ごろごろ、ごろ。ごろ、ごろろろ、ごろろごろごろ。
球が、道を転がるその音を。球が、道を転がるだけのその音に、ジュディアは、エリィは、エリザヴェータは、少女は、自身の死を理解した。
「お、おかしいだろ……! ありえないだろ!!」
「黙ってよ! 黙りなさいよ!」
前衛二人は武器を構えたまま取り乱し、
「……参ったね」
「……」
後衛二人は諦めを相に浮かべ佇む。
やがて、音を引き連れてそれは彼女達に姿を見せた。フロアの前、通路で立ち止まったそれは、ゴーレムと聞いて想像するような、大型の人形ではなく。
「――キャノン、ボール」
巨大な球体だった。
足など無い。腕などない。首などない。唯一つ、丸い球体が在る。
誰がそんな物を作り出したのだろう。
間接部をなくし、駆動部へのダメージを消し、完全に守る為の球体。予測できる予備動作を消し、リーチよりも突撃力を求めた、完全に攻める為の球体。
間接部への攻撃を不可能とさせる、あぁその丸い姿。盾による防御さえもつき抜け、一瞬で相手をひき肉へと変える、あぁその丸い姿。
キャノンボール。モンスターレベル不明。単体対単体撃破難易度不明。集団対単体撃破難易度不明。集団体対集団撃破難易度不明。
何もかもが不明で潰されたゴーレム、キャノンボールに関するギルドからのデータには、しかしこうある。
一流の冒険者六チーム、アステリオスを単独撃破できる冒険者三十名以下で出会った場合、諦めてください。
諦めるしかない。
「なんだよ……お前、もっと上の、ムーンシェイドクラスの迷宮のモンスターだろうが!!」
諦めるしかない。それでも、叫ぶ声がある。
「なんだよ、なんだよ! なんだよ!!」
目じりに浮かんだそのエリィの涙に、ジュディアは笑いそうになる。
――聞き分けのない子供みたい。
男の前で姉ぶる彼女は、こちらが本性だ。いや、こちらも、というべきか。では諦めた自身は大人か、と言えばそんな気は全くしない。
綺麗なまま、せめて綺麗なままで死にたい彼女からすれば、伝え聞くキャノンボールの虐殺方法は受け入れられない。あの球体で突っ込んできて、一気に、一瞬で、知覚さえ出来ずひき殺される。
いやだ、ミンチはいやだ。自身は綺麗だからジュディアなのだ。綺麗で居なければ、嫌なのだ。
キャノンボールは、どうした事か、その場でふわりと浮かび回り始めた。ぎゅるぎゅると、ぎゅるぎゅるとそれは早く、鋭くなり、鳴り響く音は迷宮の深層を蹂躙し、全てを飲み込んだ。
エリィの叫びも、ジュディアの、畜生という小さな呟きもそれに潰され、やがて彼女達はあの球体によってミンチにされるのだ。
だが、世界は常に不可思議だ。
例えば、それはここの下層部で出会った男だ。
彼は何の装備もないままここに居た。
例えばこの行き止まりのフロアの、その道など一つしかない、ジュディア達の背後には壁しかないそこから、
「おや、これはこれは」
声があがったとしても。
それは不思議な事なのだから、しょうがないのかもしれない。
全てを飲み込むキャノンボールの回転音の中で、はっきりと聞こえた背後の声に、ジュディアは振り返った。敵が前にあってやって良い行為ではないが、結果の見えた終わりなら許される事だろう。
そしてジュディアが目を向けた先に、白と黒が居た。
「旦那様に会う前に、手荒い歓迎でございますか。どうしますか、姉さん?」
悠然と言葉をつむぐ、未踏の雪山に敷かれた雪の様な肌を持つ美しすぎる女と。
「……」
赤黒い光沢を艶然と煌かせる、褐色の肌を持つ美しすぎる女が。
メイド服に身を包んで、立っていた。
前の前の話のメイド服はこの為のフラグだったんですね分かります。
と本当に分かってた人、挙手。
メイドはね、絶対必要なんだ、うん、絶対だよ。