化け物との戦いが終わり、今回はその後です。
では、どうぞ。
Side シノン
時の庭園を貫いた憤怒の雷撃は化け物の巨体を掻き消し、拡散した極光と衝撃によって爆煙の1つも確認できなかった。
だが、極光は数秒で勢いを失い、腕を盾にして光を防いだ視界は徐々に回復していく。
そして、ハッキリと見えるようになった視界が部屋の中を映し、数秒前まで化け物がいた場所を捉える。
先程まで存在していた巨体は完全に消滅しており、そこにいたのはプレシアただ一人。抱き締めていたアリシアの肉体は、何処にも見当たらなかった。
フラフラの足取りで立っているプレシアの表情は目に見えて衰弱しており、このまま放っておけば死ぬのではないかと思えた。
しかし、プレシアの容態になどまったく興味を示さず、薄く開いた両目で周囲に拡散している負を見つめている。
「……私は、こんなものにまで縋っていたのね」
近付いてくるオレに気付いたのかプレシアが呟く。プレシアの顔は重りを外したような、何かが吹っ切れたような顔をしていた。
「あなたは今までも……私のような人間を見てきたの?」
「負によって自分を見失った人間、と指しているならYESだ。もっとも、“死人を生き返らせる”などと負に頼ったのはお前くらいだったがな」
“負”によって自分を見失ったのはプレシアだけではない。ゲーデ、ナディの人間、セシル、アニス、ファラ、さらには精霊のセルシウスまでもその一人である。
しかし、その殆どは自身の心の傷を負に刺激されたからだ。しかもセルシウスなどは完全にただの被害者。プレシアのように自身から負を望んだ者など一人もいない。
オレに言わせれば、プレシアの結末は自業自得の一言に尽きる。その過程と目的はどうだろうが、プレシアは間違っていた。
誰かが思ったのではない、“世界”という一つの意思が間違いだと判断したのだ。
オレ自身が世界そのものに生み出された存在なので、世界が下す時に冷酷で時に温厚な判断は本能の部分でよく理解している。
「オレの見てきた人間はみんな負を受け入れ、決して負けなかった。お前は娘への愛よりも心が弱過ぎた」
「そう……なのでしょうね。でも……気付くのが、遅過ぎた。“過去”も“今”も受け入れられなかった私には、似合いの最後だわ」
プレシアの閉じた瞳から一筋の涙が流れる。その時のプレシアの顔は叶わぬ願いを求める狂者の顔ではなく一人の母としての顔だった。
「1つ聞かせて頂戴。なぜあの化け物と戦ったの? 戦わずに逃げることも、アナタなら難しくはないでしょう」
「個人的な事情で負を放っておけない、というのが一番の理由だな。それに、近々地球に移住する予定なんだ。お前のはた迷惑な暴走で消されたら適わん」
普段と変わらぬ口調で本心の言葉を教える。
これでも10年以上傭兵をやってきた身だ。生憎と先程まで殺し合っていた相手に気を利かせる優しさは持ち合わせていない。
「そう……でも、ありがとう。おかげで最後は、人として死ねるわ……早く逃げなさい。駆動炉もジュエルシードの暴走も止まった。此処はもう少しで崩壊を始めるわ」
そう言われてみると、両足から僅かな振動が伝わってくる。止まることなく続いているのを見ると、すでに崩壊が始まっているのだろう。
この下に広がるのは魔導師にとって死に等しい虚数空間。落ちれば脱出の術は無い。
ならば、すぐに逃げるのが吉なのだが……その前に一つ言っておきたいことがある。
「この期に及んで、まだ逃げ出すのか」
「…………なんですって?」
オレの言葉に、沈んでいたプレシアの顔がゆっくりと持ち上がる。
「まだ世界から……“今”から目を背けるのかと言ったんだ。お前が生きることを放棄しようとオレにはどうでもいい。だが、その前に付けるべきケジメがあるだろう」
そこまで言ったところで、オレとプレシアの間に1つの人影が頭上から割り込んできた。
同じように降りてきた2つの人影、高町とユーノはゆっくりとオレの背後に降り立ち、その行く末を見守る。
「フェイト……」
「母さん、話をしに来ました」
決意を固めた表情で言うフェイトに対し、プレシアは動揺を隠せていなかった。
時の庭園に殴り込み、立ちはだかる傀儡兵を打ち砕き、さらには負によって変異した化け物と戦い、ようやくテスタロッサの親子が向き合えた。
「今さら、何を話そうというの……」
「私はアリシア・テスタロッサじゃありません。あなたが作った、ただの人形なのかもしれません。だけど、私は……フェイト・テスタロッサは、あなたに生み出してもらって、あなたに育ててもらった……あなたの娘です」
その言葉に、プレシアの瞳が揺らいだ。
すぐにでも否定の言葉を口に出来るはずなのに、プレシアの中で変わった何かがソレを止めている。そして、フェイトの言葉は続く。
「私は自分を、フェイト・テスタロッサという存在を認めました。だから、あなたに選んで欲しい。これからあなたが、何を望むのか……」
何を望む、という問いに、フェイトは明確な選択肢を出さなかった。
だが、それが正解なのだろう。右か左、白か黒……そんな選定基準を押し付けて決めた結果が、親子として正しいとは思えない。
オレに家族はいないが、記憶の中で笑い合うカノンノとパニールがそう思わせてくれる。
「望み、ね……確かに、私にはソレがあったはず。でも、もう分からない。何がしたかったのか……これから何がしたいのか……何も……」
俯きながらそう言ったプレシアは、疲れ切った笑みを浮かべていた。
その原因は恐らく、アリシアの体が消失しただけではないのだろう。ただひたすらに全力疾走を続けて、目指していたゴールが道ごと消滅して突き当たりにぶち当たった。コレはその結果だ。
誰だって走り続ければ何時かは力尽きる。プレシアは、走り続ける為に多くのものを犠牲にし過ぎた。その上で今の今まで止まらなかった。
「だけど……そうね……ケジメは、付けなければいけないわね」
プレシアの顔が持ち上がり、改めてフェイトと向き合う。
「フェイト……私は、あなたの問いに今すぐ答えることは出来ない。だけど、あなたという存在を生み出した者として、これだけは言っておくわ……」
プレシアの言葉に、全員の視線が集まる。
「あなたは……」
だが、視線が集まると同時に、オレは一瞬凄まじい殺気と重圧を感じた。
腰の大太刀に手を伸ばし、慌てて後ろを振り向く。だが、遅かった。
後ろに向いたオレの視線と入れ替わるように、一本の黒い影が凄まじい速度で側面を通り過ぎた。その影が向かう先は、恐らく現状でただ一つ。
ドスッ!!
風が髪を揺らす中、背後から聞き慣れた……肉を貫く音が聞こえた。
振り向くと、そこに見えたのはプレシアの腹部に突き刺さった赤黒い短剣。そしてプレシアの目の前には、フードを深く被った黒い人影があった。
外見から身体的特徴はまったく分からないが、体のガタイと経験則から男だというのがすぐに分かった。そして、そいつの左手には同じ短剣が握られている。
「ちっ……!」
すぐさま背狼の加速と共に地面を蹴り、フェイトの隣を突っ切ってフード男の背後から大太刀を抜刀する。だが、またしても一呼吸遅い。
フード男の左手に握られた短剣が振るわれ、プレシアの体が左袈裟に斬り裂かれる。同時に、フード男は右手で腹部に突き刺さった短剣を引き抜き、背後から迫るオレの斬撃を受け止めた。
(こいつ、片手で……!)
「あ……ああぁ……」
背後からの打ち込みを片手で止められた事実に驚くが、プレシアの口から零れた短い声の方に意識が向いた。
オレは大太刀を引き戻し、膝を狙って右薙ぎに打ち込む。フード男は身を翻し、両手に握る短剣を交差させて受け止めた。
オレはそのまま刀身を右へと滑らせ、即座に刀身を返して手首を狙って左薙ぎに打ち込む。フード男は無理に受け止めることはせず、オレから見て左へと大きく飛び退いた。
それを追撃はせず、フード男を警戒しながら倒れたプレシアの容態を確かめる。首筋に左手を当ててみると、まだ僅かに脈がある。
(まだ生きてるか……だが、こんな状況で治療など不可能だ……)
三度しか打ち込んでいないが、あのフード男は相当の実力者だ。そんな奴を前にして治療など出来るわけが無い。背を向けた瞬間に切り刻まれる。
だが、このままではプレシアは確実に死ぬ。この場で治療することは出来なくとも、どうにか隙を作って運び出さなくては。
「貴様ああああァァ!!!!!」
思考を回転させる中で、怒りに満ちた叫び声が部屋の中に響いた。
見ると、金色の魔力光と雷を迸らせたフェイトが持ち前の高速移動でフード男に突っ込む。振り下ろされた斧は、背後からフード男の頭蓋をかち割ろうと迫る。
「よせ、バカ!!」
速度自体は大したものだと思うが、キレが無さ過ぎる。あのフード男は、速いだけで仕留められるような相手じゃない。
案の定、フード男はフェイトの攻撃を振り向くと共に片手で弾き返し、右の回し蹴りでフェイトの体をぶっ飛ばした。直撃の寸前に障壁を割り込ませたようだが、衝撃を完全に殺し切れていない。
言わんこっちゃない、と思いながら舌打ちするが、これはチャンスでもある。
うつ伏せに倒れるプレシアの体を仰向けにして、出血が一番酷い腹部の刺し傷に右腕のブースを加えた全力のキュアを施す。それにより、傷口は塞がらないまでも出血は止まる。
「ユーノ! クロノ! こいつをさっさとアースラに運べ! 高町は帰りの道中の護衛だ!」
「でも、シノン君……フェイトちゃんが……!」
高町が躊躇いがちに目を向けた方向では、先程と変わらず、仕掛けているはずのフェイトが攻撃の度にダメージを蓄積させている。
一撃打ち込む度に難なく弾かれ、カウンターの餌食となっているのだ。アレではもうサンドバックと何ら変わりない。
「あっちはオレが何とかする!……アルフ、手伝え!」
大太刀を抜刀し、今にもフェイトの元に向かおうとしていたアルフに声を飛ばして走る。
(フードの男はオレが抑える。お前はフェイトを回収してアースラに行け)
(了解だよ!)
アルフの突き出した右腕からチェーンバインドが放たれ、それがフェイトの体に巻きつき、引き寄せられる。
フード男はそれを見て両手の短剣を構えるが、すかさず背狼の加速で側面から斬り込み、動きを抑える。
視界の端に部屋の外へと逃げるアルフとフェイトを映し、大太刀を構えてフード男を警戒する。だが、それは長く続かなかった。
フードの男の重心がゆらりと傾き、姿がブレた次の瞬間、オレの目は首筋に迫る短剣の刀身を捉えた。
「うおっ……!」
背狼の魔力噴射で強制的に全身を後退させて回避。そのままバックステップで距離を取ろうとするが、フード男は踏み込んで距離を詰める。
しかし、驚くことは無い。狙い通りではないが、僅かでも確かに距離は開いた。
迫るフード男の斬撃に対して大太刀を右袈裟に打ち込み、そのまま右薙ぎに振るって反対方向から迫るもう片方の短剣を払う。
そこから今度はこちらから踏み込み、右下から左上へと斬り上げる。
フード男は体を半歩下げるだけで避けるが、大太刀を斬り上げから左袈裟に振るって追撃する。しかし、大太刀の刀身は男のフードを僅かに捉えただけで終わる。
フード男が地を蹴り、掻き消えるような速度で左側面から迫る。
大太刀というリーチの長い武器を使うオレに対し、フード男は大した苦も無く距離を詰めてくる。やはり、こいつの体捌きの速度は尋常ではない。
しかし、オレも傭兵生活で長刀や長剣を使い続けた身だ。これくらいの不利は何度も経験している。
鞭のような軌道で迫る斬撃を避けながら大太刀から左手を放し、拳を握る。魔力を纏った左ストレートがフード男の顔面へと迫るが、避けられ距離が開く。
「ッ……!」
すかさず追撃し、大太刀を右薙ぎに打ち込む。フード男は双剣を交差させて防ぐが、そこから左足の蹴りを相手の腕に打ち込み、強引に防御を崩す。
すかさず大太刀を引き寄せ、心臓を狙った刺突を放つ。
しかし、フード男は崩れた姿勢から短剣を割り込ませて大太刀の矛先を逸らした。刀身は確かにフードを貫通しているが、奥に隠れた肉体を貫いた手応えが無い。
しかも、突然大太刀が何かに固定されたように引き抜けなくなる。見ると、短剣を手放したフード男の左手が大太刀の刀身を掴んでいる。
反対に、右手に握られた短剣がオレの首を刎ねようと迫る。相手の斬撃の速度、距離、姿勢、タイミングから見て避けるのは無理だ。
オレは大太刀から左手を放し、迫る短剣に対して闘気を纏った掌底を叩き付ける。
「烈破掌!」
衝突し、闘気が炸裂したことでオレとフード男の間で爆風が吹き荒れる。
お互い大きく後退し、再び武器を構えて睨み合う。
ふと、柄を握る左手に痛みが走る。広げた手の平を見ると、横一文字に深く刻まれた傷から血が溢れている。
刃物を素手で叩いたのだから当たり前だと思ってしまうが、闘気を纏った掌底をただの刃物で斬り裂くなど、ありえないことだ。
それこそ、同質の力をぶつけたりしなければ。
(まさか、こいつ……)
頭の中を1つの可能性が横切るが、再び距離を詰めたフード男を前に思考を中断する。
「魔王炎撃波!」
炎が噴き出す大太刀を横薙ぎに一閃し、傀儡兵を焼き払った大火力の炎がフード男に迫る。だが、奴は避けようとせず、逆に炎へ突っ込んでくる。
真っ直ぐ走りながらフード男が地を蹴り、地面と水平になった体を横に回転させながら突っ込む。両手に持つ双剣も一緒に振るわれ、それは刃の砲弾と化す。
砲弾は真正面から炎を食い破り、真っ直ぐにオレへと迫る。
咄嗟にサイドステップで直線状から離れるが、今のを見て確信した。
(やはりこいつ……オレと同じく術技を使ってる……)
今の動きと威力から見て、まず間違い無かった。アレは『空破特攻弾』の動きだ。
だとしたら、こいつの強さにも納得だ。同時に、今のオレでは勝つことは難しいというのも分かる。
戦闘技術の根っこがオレと似たものなら、そこには積み重ねられた鍛錬が欠かせない。この程度が全力のはずはないのだ。恐らく、まだまだ本気を出してはいない。
それに対し、こちらは子供となって弱体化しており、連戦で体力も消耗している。勝ち目が薄いどころか、逃げ切るのも難しいかもしれない。
「いいな、お前」
その時、地面に着地したフード男が始めて口を開いた。
若い男の声。だが、そこからは隠し切れぬ狂気が滲み出しており、直接見ずともフードの中に隠れた口元が歪んだ笑みを浮かべていると分かる。
「今まで殺してきた奴と違う。とことん楽しめそうじゃねぇか!!」
「急に一人でハイテンションになってんじゃねぇよ。今まで一言も喋らず殺しに来たのに、いざ口を開いたらコレか」
呆れたというか、納得というか。まあ、予想の1つではあった。
“こういう”奴は、良くも悪くも、己の行動に迷いが無い。
そして、迷いが無い者は強い。いや、強くなれると言うべきだろうか。迷いという余分な重りが無く、強さに対する渇望が常人よりも遥かに強い。
そして、オレはよく知っている。こういう奴は厄介でしつこく、手強い。
「……だが、今日は此処までだ。あの女はもう助からねぇし、やることはやった。それに、時間切れみたいだしな」
フード男がそう言うと、今までとは比べ物にならない大振動が部屋を襲った。
思わず姿勢を崩しそうになるが、フード男は構わず身を翻し、暴走が収まって空中に浮遊していたジュエルシードを掻っ攫った。
「次はもっと強くなっておけ」
そう言い残すと、フード男は姿を掻き消し、出口へと疾走した。
追うような真似はしない。追いつけるかどうかは知らないが、戦っても勝つのは難しいだろうし、こんな場所であんな奴と心中などごめんだ。
「急いで逃げるか。ヴェルフグリント、回収ポイントまでの最短ルートを出してくれ。ショートカットの方法は飛行魔法から壁破壊まで何でも有りだ」
『いえ、庭園の状態から計算して、恐らく脱出は間に合いません』
「だからと言っておとなしく死ねるか」
『もちろんです。ですから、脱出ルートだけでなく目的地も変更します』
ヴェルフグリントがそう言うと、オレの眼前に光が集まり、上部にスイッチが取り付けられた黒いグリップが姿を現した。
これは確か、アルハザードを旅立つ時に受け取ったデバイスだ。
『一刻の猶予も無いので説明の類は全て省略します。やることは1つ。そのデバイスを持って虚数空間に飛び込んでください』
「なに……?」
あまりに予想外の指示に、眉を顰めて疑問の声を上げた。
全ての魔法がキャンセルされる虚数空間に飛び込めば、重力の続く限り下へと落ちていく。その果てがどうなっているのか知らないが、素晴らしい場所ではないはずだ。
ヴェルフグリントは、そこに飛び込めと言った。
「……信じて良いんだな?」
『無論です』
説明の類は全て省略すると言った相棒に、オレはその一言だけを訊いた。そして、ヴェルフグリントは答えた。
ならば、やってみよう。どの道、他に方法など無いのだから。
インディグネイションによって貫かれた場所へと走り、眼下の先に広がる虚数空間を見詰める。しかし、それも数秒だけ。
「行くぞ」
その言葉を己への合図として、オレは虚数空間の海へと身を投げた。
ご覧いただきありがとうございます。
やっと出せたフード男。現状では、弱体化した主人公よりも強いです。戦っている時も、本気の本気ではありません。
正体については、心当たりある人いるかな?
次回は虚数空間に身投げした主人公の後の話です。
では、また次回。