るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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外伝其の四『タバサと自分』

 

 あれは…いつだったっけ…。

 

 

「ファンガスの森へ行って『キメラドラゴン』を退治してきな」

 

 

 わたしが……大きく変わったと思ったあの日は……。

 

 

「只死にたいなんて、結局あんたは逃げてるだけさ。どうせ死ぬならやるだけやってから死んでみなよ。あんたには私よりも何倍も強い『矢』があるじゃないの」

 

 

「貴族だの何だの関係無ぇ。『お前が弱いから悪いんだ』」

 

 

 いつだったかははっきりしなくても、あの日交わした会話の数々は、今でもはっきりと覚えている。

 それが頭の中で何度も何度も反響しては、あの日にあった記憶をさらに鮮明にさせていく。

 やがて、あの時……大きな激闘を経て、そして彼から貰ったあの『真実』へと辿り着く。

 あの言葉と、あの焔だけは、今でも鮮明に、わたしの脳裏に焼き付いていた。

 

 

 

『所詮この世は弱肉強食』

 

 

 

「シャルロット……あんたはもう、立派な狩人だよ……」

 

 

 

『強ければ生きられ―――』

 

 

 

「泣いているのか?」

 

 

 

『弱ければ……弱ければ――』

 

 

 

「――――……いいえ」

 

 

 

 

 

『シ』

 

 

 

 

 

「お姉さま!!!」

 その言葉とともに、タバサの意識は再び戻ってきたのだった。

 

 

 

 

 

外伝其の四『タバサと自分』

 

 

 

 

 

「ここは……――」

 激痛をその身に感じながら、タバサはゆっくりと体を起こす。

 隣を見れば、目に涙を溜めたシルフィードが、感極まった表情でタバサに抱きつく。

「お姉さまぁあああああああああ!! 無事で……よかったのね!」

 我慢できずに涙をポロポロと流しながら、シルフィードは何度もそう呟いた。

 それと同時に、ここで何があったか、その記憶が光の速さで蘇ってきた。

「っ――そうだ!」

 慌てた様子で、タバサは振り向き……そして少し驚愕する。

 彼女の前には、先程まで猛威を振るっていたミノタウロスが、大の字で倒れ込んでいたのだ。

「――これは?」

 タバサは、横のシルフィードにそう尋ねる。

「お姉さま、気づかなかったのね? あの後、ラルカスさんが口から血がどばぁ! って出て、そのまま倒れたのね!」

 まだ少し涙ぐんだ声で、シルフィードは説明した。ラルカスの隣には血に塗れた節榑の愛杖が落ちている。杖を引き抜くと同時に絶命したようだった。

「じゃ、あ……わたし……」

 ここでタバサは、ようやく一つの結果に至る。あれほどの悪条件下で…わたしは……。

「勝った、の……?」

 そして無意識に、タバサは志々雄の方を向いたのだった。

 

 

 

(成程、顔つきも様変わりしたが、ここまで腕を上げたとはな)

 煙管に火を燻らせながら、志々雄は先程の戦闘を見てそう考え、そして改めて戦い終わって呆然としているタバサを見た。

 最初に会った頃は、どうしようもない泣き虫でワガママで甘ったれだったというのに……。そう思うと中々どうして、感慨深いものがある。

 そんな彼女は今、怪物によって受けた傷跡が目立ち、杖に寄りかかることで何とか立てる状態であった。

(正直、いつ殺されたっておかしくは無かった。それほどまでに実力差はあった)

 だがそれを、咄嗟の機転と寸分の狂いもない体捌き、それに何より『勝つ』という気概と、生への執着を最大限に生かして勝利をもぎ取ったのだ。

 これなら、今に強大な戦士へと成長することだろう。かつての『天剣』に変わる新たな修羅の誕生だった。

『あいつ』には悪いが、この逸材を捨てるには余りにも惜しい。

 無意識に口元を悦びで歪めながら……志々雄はゆっくりと腰を上げた。

 

 

「……………」

 うつ伏せで倒れたまま、動こうとしないミノタウロスを見ながら、タバサは自分が勝利したこと。それに気づきようやく安堵の表情を浮かべた。

 まだドクン、ドクンと心臓の鼓動音が聞こえる。頭の中は真っ白で、思考をするという事をしばし放棄していた。

(倒した……? ミノタウロスを一人で……?)

 勝ちに喜ぶより、優越感に浸るより……今はただ生きていることを、強く実感していた。

 命を懸けた戦いは、幾度となくこなしてはきたが、ここまでギリギリの戦いは久しぶりだった。

 だから今は、生への実感でぼーっとしていたタバサだったが、その背中から声が聞こえた。

 

「満身創痍ってとこだな。まあお前にしちゃよく頑張ったほうだ」

 志々雄はそうとだけ言うと、改めてふらついた状態のタバサを見やった。

「シシオ……さん。でも、まだ……」

 あなたや彼に追いついてない……そう言おうとするが、痛みで思わず顔をしかめる。

 志々雄の方は、彼女の言いたいことが何となく分かったのか、フッと笑った。

「なあに、くたばってねえだけ上出来だ。ほれ、とっととこっち来な」

 そう言って志々雄はタバサ達を下がらせると、倒れたまま動かないラルカスに近付いていった。

 暫くそうして時間が流れる。……その瞬間、ラルカスはいきなり上体を起こした。

 

 

「――――――!!?」

 

 

 余りに一瞬だったので、タバサとシルフィードは同時に唖然とした状態になった。

 ただ一人、志々雄だけが獰猛な笑みを浮かべてラルカスを見上げる。

「ミノタウロスはタフだと聞いていたが、喉抉られてまだ生きているとはな」

「うぐ、うがああああ……」

 しかし、ラルカスの様子はどうにもおかしい。そのまま立ち上がったかと思うと、急に頭を抱えて唸り始めたのだ。

 時折上げる声は、人のそれじゃない、獣のような叫び声だった。

 

「お、オマエ……。うマそゥ。タベ、ル……オデ」

 

 獣が必死に人語を喋るかのような感じで、ラルカスはタバサ達の方を向いた。今のラルカスは、食欲でしかタバサを見ていなかった。

「お、おおお姉さま、逃げるのね!!」

 食べられる危機に気付いたシルフィードが、一早くタバサを抱き上げて必死に逃げようとする。余りに恐ろしかったので、変化を解くことも忘れていた。

 人の状態で、ただ引っ張るだけで逃げきれるはずもなく。大股で寄ってきたラルカスが涎を垂らして襲いかかってきた。

 

「グオああああああああああああぁぁァァァァァァァァァ!!!!!!」 

「いやあああああああああああああああ!!!」

 

 ラルカスは拾ってきた斧を振り上げ、それをタバサ達目掛けて打ち下ろす。

 再び土を巻き上げるような轟音に、一瞬目を瞑ったシルフィードは、恐る恐る目を開けて…、そして愕然とした。

 そこには…刀で斧を隣に逸したかのような格好で、志々雄が立っていたからだ。

 

「オイオイ、俺はお前を討伐しに来たんだぜ。こっから先は俺が相手だ」

 

 まるでこれを楽しみにしていたかのような口調で、志々雄は言い放った。

 既に強力な『固定化』に『硬化』までかかった志々雄の愛刀は、斧を横に逸らしただけでは傷一つついてはいなかった。

 志々雄のその言葉に反応したのか、野獣となったラルカスははち切れんばかりの大声を上げて叫んだ。

「ジゃまヲ、スルナァァァアアアああああアアアアアアアアア!!!!!」

 再び斧を振り上げ、今度は志々雄目掛けて打ち放った。

 志々雄はそれを避ける。どうやら狙いを完全に彼へと定めたらしい。

 今の内に、と安全なところまで避難したシルフィードとタバサは、その戦いの様子を見守ることにした。

 

 

「ウグァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 そう唸り声を上げながら、ラルカスは力任せに斧を振り回す。その勢いは、いつの間にか洞窟の外へと戦いの場が移す程凄惨なものだった。

 ひらりひらりと、紙一重で回避する志々雄の体捌きは、シルフィードが見ても凄い、と思うような動きだった。

 対するラルカスは喉をえぐられたせいか、魔法を使ってはこれなかった。

 その代わり、怒りと覚醒により力任せに振るうようになった斧の速さは、先程の比ではないくらいに上がっていた。

 周りの木々は、触れるだけでなぎ倒され、音を立てて崩れていく。

 どうやら死の淵に瀕したことで、今まで抑えていた野獣の本能が、完全に蘇ってしまったようである。

 今戦っているのは、もはやラルカスという人間ではない。身も心も獣になったただの『ミノタウロス』であった。

 

 

「ねえ、お姉さま……アイツどうするのね?」

 一方的な攻勢を見ながら、シルフィードは不安げな声でタバサに尋ねる。

 あの攻撃をくぐり抜けて反撃を入れるのは、一流のメイジでも至難の業だろう。よしんば出来たとしても、鋼のような皮膚にあの刀で傷をつけられるのだろうか。

 あれだけ自信満々な態度だから任せっきりにしているが、これは加勢した方がいいのでは? もしあのミイラ男がやられたら、今度はこちらを狙ってくるのは明白だったからだ。

 しかし、タバサはあの頃……彼に出会った頃を思い出しながら、心配など無用と言わんばかりの口調で言った。

「シシオさんは、絶対に負けない」

「いやでも、あの武器でミノタウロスの皮膚は相性が悪いって、お姉さまも分かってるはずなのね……」

 そうこうする内に、ミノタウロスがさらに仕掛けてきた。斧を回避した先を狙って、志々雄を掴まえようと、空いた手を振りかざした。

 巨大な手が逃げ道を塞ぐ。それすらかわした志々雄だったが、次の瞬間飛んできた斧の振り上げが辺りの土砂を大きく巻き上げていった。

「うわっ!!」

 思わずシルフィード達が目を覆うような砂嵐の中、二人は対峙する。そして次の瞬間……二人のすれ違いざまの剣閃が飛び交った。方や巨大な大斧。方や細身の日本刀で……。

 

「ルオォアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 ドゴォォン!! と、轟音が辺り一帯に鳴り響く。シルフィードとタバサは思わず目を瞑ってしまった。

 そして再び、辺りに静寂が漂う瞬間、タバサ達はゆっくりと目を開ける。

 そこには、交差したまま静止する二人の姿があった。

「……? どうなったのね――」

 何があったのか、分からずに思わず首をかしげたシルフィードは、そこで志々雄ら二人の間に『焼け焦げた』何かが唐突に落ちてきたのに気付く。

 

 

 それは、真っ黒焦げな『爪』の一部だった。

 

 

「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 痛みでひたすらミノタウロスは呻き声を上げる。爪が剥がれた指をかばい、ひたすら抑えた。

「え、何? 何したのね!?」

「……指」

「え?」

 シルフィードが、訳が分からずに疑問符を浮かべる、その傍らでタバサは冷静に一連の動きを分析した。

「指の間。それを狙ったんだと思う」

 ミノタウロスの肌が刃を通さないように、爪そのものだって鋼鉄のように硬い。だが、その『間』ならば話は別である。

 志々雄は、指と爪の間を綺麗に切り裂いたのだ。あの木々を薙ぎ倒すような速度の中を、難なく見切って……。

「そ、そんなことって……――?」

 そして更に、シルフィードが呆気にとられる。驚くべきことが起こった。

 

 

 剥がした指から、急に炎が燃え広がりだしたのだ。

 

 

 

「ぐぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

 まるで意思があるように、指は炎によって埋め尽くされる。それを振り払おうとするも、それに抗うかのように傷口から炎熱が湧き出ていた。

 そして志々雄はこの機を逃さない。

「ッシャアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 再び接近してくる志々雄を見て、ミノタウロスは慌てたように斧を振り回す。

 それを躱し、いなし、地面に突き刺さった斧を、タバサと同じように踏み台にして駆け上がる。そこから容赦なくタバサがつけた傷口――口の中を狙い、そして突き刺した。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 最早断末魔に等しい悲鳴を上げて、ミノタウロスは暴れもがく。突き刺した刀の周りからは、炎がチロチロと飛び交っている。

 やがて機を見ると、志々雄は刀を抜いて地面へと降り立つ。その眼前では苦しみもがいているミノタウロスの姿があった。

 今頃口の中は炎で焼け上がっているのだろう。それを想像したシルフィードは、思わず吐そうになった。

 

 周囲に炎を纏わせ、未だに悠然とした様子でミノタウロスを見上げる志々雄は、まるでこの世の者とは思えない。『悪鬼』とも言うべき雰囲気を醸し出していた。

 

 そしてその光景を、シルフィードは唖然とした様子で観戦していた。

「あ、あれなんなのね……! あの剣からどうして炎が……!?」

 そしてシルフィードは気付いた。あの刀から放つ、強烈な異臭に。

 そう、血の匂い……。それも人間だけじゃない。亜人、怪物、果ては自分と同じ竜の血の匂いまで――――。

 

 

 そして気付いた。あの炎は。その血にこびり着いた『脂』で巻き起こっていることにも。

 

 

 恐らく、今対峙しているミノタウロスと同じような怪物たち…‥‥吸血鬼やコボルト、そんな奴等を相手にあの剣で切り伏せてきたのだろう。

 でも、それをどれだけ斬ってきたのか? どれだけ血を染み込ませてきたのか……? それはシルフィードですら想像できなかった。

 

(また、炎が強くなっている……)

 同じく、シルフィードとは別の形で呆然としていたタバサは、彼の纏う炎の威力が、最初に会った時とはまるで比べ物にならない程に強くなっているのを感じていた。

 初めての頃はまだ、相手に火傷を負わせるくらいの力が精々のような気がした。でも、今使っている炎は、相手を骨まで焼き尽くすこともできそうな強大で、そして規模の大きい焔へと成長している。

 

 

 それこそ水の精霊ですら焼き滅ぼしそうな、見るも禍々しい地獄の焔。猛る勢いの音は、まるで斬られた者達の怨嗟の声が聞こえてきそうだ。

 

 

 それ程までに、彼の力が上がっている。『弱肉強食』の下、そういった連中を糧にし、さらに昇華させていく。その強さは未だ限界を知らないようだった。

 そして今、こびり着いたミノタウロスの血が、志々雄の愛刀こと、最終殺人奇剣『無限刃』に、更なる進化を与えようとしていた。

「む、来たか」

 志々雄の持つ無限刃から、振ってもいないのに突如炎が栄え始めたのだ。まるで刀を包み込むように、火柱となって舞い上がる。

 志々雄は再びニヤリと笑みを浮かべた。ミノタウロスの血に限らず、亜人や竜等の怪物は、人間の血とは作りが違うのか、より強力な『脂』を提供してくれる。

 それが、より強大な焔を呼び起こす一因になっているようだった。

「やはりな、どうやらコイツの血も相性が良かったようだ」

 

 そして今、ミノタウロスの血に流れる特別な成分が、無限刃にこびりついた脂に反応したのだろう。今までこの世界で斬ってきた怪物たちの血と結合し、より高い焔を呼び起こす「脂」へと昇華したようだった。

 弱者の肉を糧に、より強くなっていく焔。ミノタウロスという怪物を斬ったことで、その力が更に上がったのである。

「何にせよ、ここに来たのも無駄ではなかったようだ」

 志々雄は無限刃を眺めながらそう呟く。

 そして荒れ狂う焔のうねりを、志々雄は目にもとまらぬ速さでひと振りした。それだけでまとわりついた焔は掻き消え、ただの抜き身の刀へと戻った。

 

「さて、めでたくてめえも俺の糧になったところで……」

 そうして志々雄は、改めてミノタウロスの方を向く。涎を垂らし、ただひたすらに苦しんでいる怪物を見て、容赦なく言い放つ。

「そろそろくたばれ。いい加減苦しいだろ?」

「ウゴぉあぁぁああ……」

 本能と殺意からか、ミノタウロスは斧を構える。もう意識もないだろうに、それでもやるつもりのようだった。

「うがぁあああああああああああああああ!!!」

 志々雄のいる方向めがけて、斧を振り上げる。生まれたての小鹿のように震える足でもなお構えるその姿は、志々雄にとってこれ以上なく滑稽に映った。

「やれやれ……惨めだな。てめえも」

 どこか虚しそうにそう呟きながら、無限刃を一旦納刀する。

「うっごぁああああああああああああ!!!」

「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 怪物に負けないくらいの怒号を放ちながら、志々雄は壱の秘剣、『焔霊』で抜刀術を仕掛けた。

 それまではミノタウロスにとって、只の目くらまし程度だった火が、怪物の血を吸い更に強大と化したためか、大斧を軽々と「溶かし斬る」焔へと昇華し、真っ二つに断ち割った。

 志々雄はすかさず動き出す。まず高々と跳び上がりミノタウロスの眼前まで来ると、右手の黒手袋を外して牛の形をした口にそれを押し込んだ。

 喉元まで詰めると怪物は息が出来なくなったのか、慌てて吐き出そうとする。すると今度は両の目を斬りつけることで注意を逸らした。

「ぎゃあああああああああ!!」

 と叫び声を上げて、ミノタウロスは両手で目を覆う。ジュウウと眼球が焼き焦げるような音を立てている。

 その隙に志々雄は、息を確保するために大口を開けたミノタウロスに向かって、その中の大きな牙の一つを、左手で引っ掴み、ぶら下がる形をとった。

 志々雄が今掴んでいる手には、まだ黒手袋がはめられている。そして口の中には先ほど押し入れた同じ黒手袋が詰まっていた。

 これが何を意味するのか……それは志々雄のみが知る。

 

「……あばよ」

 

 志々雄は最後にそう言い放つと、無限刃を、牙を掴んでいる手袋に押し当て、そして摩擦を起こすかのように引き上げた。

 刹那巻き上がる火花は、黒手袋の中に仕込まれた『火薬』に反応して、強大な爆発を引き起こす。

 

 

「弐の秘剣『紅蓮腕(ぐれんかいな)』!!!」

 

 

 ドゴォォォン!!! と。

 ルイズの『爆発』にも引けを取らぬ大爆発が、ミノタウロスの顔面一帯に巻き起こった。

「ぐぉおおおあぁ……!!」

 モロに食らったミノタウロスは、そのあまりの衝撃にグラリと身体を傾かせ、膝をつく。

 だが事態はそれだけでは収まらない。爆発による炎の息を吸い込んでしまったミノタウロスは、当然中の内臓を焼く結果にもなった。

 そして、その中には予め志々雄が押し込んだ「もう一つの火薬手袋」が……。

 

 

 ……ドゴォオン!!!!!

 

 

「ぐぅあああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 あらゆる臓腑を粉微塵に吹き飛ばすような轟音を、腹の辺りで響かせながら、ミノタウロスは遂に力尽きた。

 タバサの時と同じように、音を立てて崩れ落ちるが、今度はもう、起き上がってくることはなかった。

 

 

「シシオさん!!」

 決着がつき、改めて無限刃を鞘に納めると同時に、タバサ達も姿を現した。

「怪我は……?」

「それを俺に言うか?」

 志々雄は皮肉そうな笑みを浮かべて言った。確かに全身火傷だらけの身体じゃ、どこに傷を負ったかなんて分からない。

 それに、志々雄が手傷を負うタマでは無いだろう。それは見ていた自分がよく知っている筈なのに……と、少しタバサは俯いて顔を赤くした。

 その時――。

 

「あ……う……」

 死んだと思われたミノタウロスの身体が、ピクリと動き出した。

 慌てて警戒態勢を取るタバサだったが、彼はもう、命が消える一歩手前の状態だった。

「ゴホッ。見事だ……まさかこの身体で、こうも清々しく敗北するなんてな……」

 潰れた目をこちらに向けながら、人間に戻ったラルカスは呟いた。

「お前もタフだな。内臓に『紅蓮腕』二発食らってまだ死なねえか」

 志々雄も流石に呆れた様子でラルカスを見下ろした。それを聞いたラルカスはフゴゴゴ、と苦笑しながらゆっくりと語り始めた。

 

「三年程前だ。子供を襲う夢を見た。獣のように……私は子供に食らいついていた……。それから何度もそんな夢を見るようになった。最初は、虚構の事だと思ったさ……。だが意識が戻ってきて……これは現実なんだなと、打ちのめされた」

 誰に言うわけでもなく、ラルカスは話す。弱々しい声で……それでも話を続けた。

「それから段々と、自分の精神が……ミノタウロスに近付いていくのが分かった。人間を食べたいという衝動に駆られたのも……一度や二度じゃない……。理性で抗っても……薬で抑えつけても……、湧き上がるように、獣の本能が私である部分を食い荒らしていった――」

 そこでラルカスは大きく吐血した。シルフィードが慌てた様子を見せるが、それでもラルカスは話を止めなかった。

「……死のうとも考えた。だが、私にはその勇気がなかった。日に日に私が「わたし」で無くなっていくのに……、もう耐えられなかった……。だから、これで良かったんだ……」

「…………」

 彼の苦悩を聞いたタバサやシルフィードは、何ともいたたまれない気持ちになった。

 ただ一人、志々雄だけが彼を見て憮然と言い放った。

 

「――惨めだな」

「……何?」

「アンタは「ミノタウロス」という化け物を倒したとき、取って代わろうと思わず素直に身を引くべきだった。それを惰弱な野心と好奇心で、無様に生きながらえちまったのが、そもそもの間違いだ」

 その余りに無茶苦茶な言動に、シルフィードは思わず反論した。

「な……何言ってんのね! それが今のラルカスさんに向かっていう言葉なのね!?」

「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ。弱い奴は自然と淘汰されていくこの世界に、怪物でありながら弱い心を持とうとしたのが失敗だったんだよ」

 それでも志々雄は全く容赦の無い言葉を吐きながら、最後につまらなさそうな視線をラルカスに向けて、何かを思うような風で呟く。

 

 

「虚しいものだぜ。テメェの生き様一つ決められねぇ人生なんてのは。死んでも生きてても惨めなものだ」

 

 

「お前は、本当にどこまでも……容赦を知らん男だな……」

 どこか可笑しそうにラルカスは言った。志々雄も同じような笑みを浮かべる。

「悪いが、慰めの言葉というのを知らんものでな」

「そうか……期待は、してないがな。フゴゴ……」

 どこか他人事のような口調でそう呟くと、恐らくタバサと志々雄の方を向いているのだろう。そんな感じの声でラルカスは尋ねた。

「私を、倒したお前達の……名を教えてはくれぬか?」

 タバサは思わず、自分の本当の名前を告げた。

「シャルロット」

「志々雄だ」

「シャルロットにシシオか。良い名だ……」

 ラルカスはそう言うと、その顔を空へと向けた。弱々しくなる声で、それでも何か言いたそうに言葉を続ける。

 

 

 

「ああ、自分が……自分でなくなるのは。嫌なものだな……。本当に嫌なものだ……」

 

 

 そして最後に、まるで問いかけるような言葉でラルカスは言った。

「お前達は、この世界で……一辺の淀みなく……どこまで自分の生き様を、信念を、見失わずに貫けること、かな……」

 次の瞬間、ゴボッ、とラルカスは大きな血の塊を吐いた。そして大口を開けたまま、動かなくなっていった。

 完全に事切れたラルカスに向かって、志々雄は悠然と言い放った。

 

 

 

 

 

「無論、死ぬまで」

 

 

 

 

 

 

 長い長い夜が明け、空は微かな日の光が差し込み始めていた。

 ラルカスの遺体は、研究所と一緒に火葬することにした。その後は一旦攫われた娘達を元の場所へ返すために、村へと戻る運びとなった。

 その途中、タバサと志々雄は別れることになる。

「もう行くの……?」

 少し名残惜しそうにタバサは志々雄を見上げる。出来ればもうちょっとでいいから居て欲しい。そんな事を伺わせるような表情だった。

「別に今生の別れってわけじゃねえんだ。そんな悲しい顔すんな」

 志々雄はそう言ってタバサの頭を軽く手で叩くと、そのまま翻して道を歩き始めた。

 元々志々雄は、ミノタウロスの討伐に来ただけなのだ。それが済んだ今、もうここには用はない。

 分かっている筈だった。志々雄は終わったことにはとことん興味を持たない。でも、それでももう少し位……。

 だが、それも我侭だっていうのは分かっている。だからタバサは何も言わずにただ見送っていた。志々雄の背中が……見えなくなるまで。

 

 

 

 タバサと別れた帰り道の途中、志々雄の隣に突如風が舞い降りた。風は人の形を作り始め、やがて一人の男性へと変貌する。

 その男はワルドだった。

「シシオ様」

「ようワルド。たった今終わったところだ」

 満足そうな口調で、志々雄はワルドにそう言った。

 しかしワルドは、少し困ったかのような感じで志々雄に告げる。

「実は、クロムウェル新皇帝がそろそろ帰ってきて欲しいと泣き言を申されまして……」

「んだよ。留守一つロクにできねえのか」

「それが、どうやら『刺客』がトリステインに無事侵入したとの報せが入り、その後の判断をシシオ様に仰ぎたいとのこと」

 はぁ。と志々雄はため息をついた。この様子だとこの先とても生き残れそうもないだろう。主にクロムウェルが。

 何だかんだ言って、あいつが一番付き合いが長いのだ。こう頼りないのでは困るというものである。

「やっぱりあいつにも『洗礼』が必要か? お前の時にやったようにな」

 それを聞いたワルドは、フッと笑った。そして二つの影は唐突に姿を消した。

 

 

 

 その後、人攫いにあった娘達のその後もまとまった所で、ようやくタバサ達も帰路につくことが出来た。

「ふうっ。やっと帰れるのね……」

 風竜の姿で大空を飛びながら、シルフィードはため息を漏らす。その背中では相変わらずタバサが本を読んでいた。

「自分が自分でなくなる。かぁ……まさにその通りなのね。お姉さま」

 シルフィードは何かを思うような感じでタバサに言った。

「そりゃあ、変わらなきゃならない時だってあるかもしれないのね。主に恋人的な意味で。でも最近のお姉さまは、変わって欲しくないところまで変わってしまうようで怖いのね」

「……それで?」

 最初に言っていたことを思い出したタバサは、本を閉じてシルフィードの言葉に耳を傾けた。

 

 シルフィードは最初、あのミイラ男とは付き合わないで欲しい。と言おうと思っていた。でも、少なくともタバサにとってあの男とは切っても切り離せない関係だということも同時に思い出し、どう言おうか迷いながら口を開いた。

「だから、お姉さまはずっとお姉さまで居て欲しいのね。これから怖い顔は禁止。わかったのね?」

「……わかった」

「わかればよろしいのね! きゅいきゅい!!」

 シルフィードは、子供のように無邪気な声で言った。取り敢えず、あいつのことはあまり考えないことにしよう。そう思うことにして、口笛を吹き始める。

 

「る~るるるる~る~~きょう~も~いいてんき~~~」

 

 タバサは、シルフィードに身体を預けて空を見上げた。歌のとおり綺麗な空が隅々にわたっている。

(変わらないことか……)

 タバサは今、さっきまで起こっていたことを思い返していた。怪物になって我を失ったラルカス。死ぬまで信念を貫くと言った志々雄。わたしは、果たしてどうなのだろう。

 復讐すると決めた自分にブレは無いと思っているが……、シルフィードの言葉から変な違和感が付き始めた。

 自分が自分じゃなくなる。それは一体何なのだろうか……? タバサにはまだ、分かることは無かった。

 けど、分からないことをずっと考えても仕方がない。今はただ貫くだけだ。自分の信念を。

 タバサはそう思って、ゆっくりと目を瞑った。

「まあでも、お姉さまがどんなになっても、シルフィはお姉さまの味方なことに変わりはないから安心して欲しいのね。それよりお腹すいたのね~~~。きゅいきゅい」

 甘えるような声でシルフィードは言ったが、やはり聞き届けてはくれなかった。それに怒ったシルフィードは、より一層きゅいきゅい喚く。

 いつも通りの会話、いつも通りの日常。これがずっと変わらなければいいな。とシルフィードは思った。

 


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