るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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外伝1 ~タバサの冒険~
外伝其の一『タバサと人形』


 

 春風が吹く季節も徐々に移り変わり、夏の匂いが頬を撫でるこの頃。ここトリステイン魔法学院も、遂に『夏休み』が来ようとしていた。

 殆どの学生たちは、久しぶりの実家帰りや企画を持ち込んでの大冒険を模索し賑わせる中、一人の少女は変わらない無表情で廊下を歩いていた。

 少女の名はタバサ。その昔、大国ガリアの正統なる王女の血筋を引く者だったのだが、『不慮の事故』で父を亡くし、その上たたみかけるように母親も心を奪われ、自身は日々、生き死にをかける人生を送っていた。

 幼い頃は明るかったその顔も、今はすっかり人形のようなものへと変貌してしまい、常に突き放すかな様な雰囲気をその身に纏わせていた。

 これは、そんな彼女に起こった、ある一つの物語である。

 

 

 

 

 

外伝其の一『タバサと人形』

 

 

 

 

 

 タバサは廊下を抜け、外庭へと出ると、いつもの場所へと向かっていった。

 そこはヴェストリの広場。かつてギーシュとルイズの使い魔である彼……緋村剣心が決闘をした場所でもあった。

 思えば、これが最初だった。彼の実力を目の当たりにしたのは。

 タバサは目を閉じ、静かに一人瞑想する。ギーシュの作り出した青銅の人形を、余すことなく回避していた彼を、頭に浮かべていた。

 次に出てくるのは、フーケの時の戦い。彼女とは二度に渡って戦ったことがあったが、その両方において、彼はフーケを圧倒していた。その時の動き、飛天御剣流の動きを正確に思い起こす。

 そして、最後にアルビオンでの戦い。スクウェアクラスのワルドが呼び出す『偏在』を、彼は全然ものともしなかった。後から聞けば、あれで手加減をしていたというのだから驚きしかない。

 そして記憶をさらに深堀していく。ワルドに止めを刺したあの技、抜刀術の構え。それを鮮明に思い描きながら、タバサは杖を構え――。

 

 

「こんなところで一人で、一体何やってんのね」

 

 

 その言葉を聞いて、タバサは瞑想を中断する。ふと顔を上げれば、そこには彼女の使い魔、風竜のシルフィードが呆れた様子でタバサを見つめていた。

「お姉さま最近ヘンなのね。前は本ばっかり読んでいたのに、近頃は外に出てそんな寂しいところで一人馬鹿なことして……正直言って見てらんないのね!」

 子供のように怒りながら、シルフィードはきゅいきゅい喚いた。当たり前のように人語を話していることから分かるとおり、この使い魔も只の風竜ではなかった。

 タバサの使い魔、シルフィードは竜達の中でも高度な能力を持った珍しい『韻竜』の幼生である。

 高い知能を持ち、人語を解し先住魔法をも操れる韻竜は、この世界では滅多に見ない幻の存在でもあった。

 故に、その正体を知るのは今のところはタバサ一人。もしこの事が明るみに出たら、色んな機関の連中に狙われるかもしれない。だからこそタバサはシルフィードとの会話も徹底していた。

 今は誰も周りにいる気配がないので、特に問題はなさそうなのではあるが。

 

「ねえ聞いてるの? おいこらちびすけ、お前のことなのね。そんな独り遊びをこれ以上続ける気なら、もう思い切って使い魔をやめることも辞さないのね」

 そう言ってシルフィードはタバサの頭をカプカプ噛んだ。噛むといっても甘噛み程度なのだが、端から見れば本当に食われているようにも見えた。

「今日はちょっと違う」

 シルフィードの甘噛みから逃れたタバサが、そう言いながら懐から何かを取り出す。

 それを見たシルフィードは、疑問符を浮かべてタバサに尋ねた。

「それって、『スキルニル』?」

 タバサが手に持っているのは、小さな人形を象ったマジックアイテム『スキルニル』だった。

 この人形に血を吸わせると、吸わせた人間と瓜二つの姿に変化することができる。その者の能力や特技も正確に、である。

「この前の任務の時に、そのまま持ってきた」

「ああ、あれね。あの時も大変だったのね」

 シルフィードはそう言いながら、遠い目で空を見た。

 とある引きこもりの坊やを引きずり出して欲しい。そう依頼された時のことを思い出したのだ。

 結果的に、この『スキルニル』を使って見事任務達成と相成ったのではあるが、どうやらタバサはそのまま拝借して使っているようだった。

「アネットさんとわがまま坊や、今頃元気してるのかなぁ……ってお姉さま!! 何してるのね!!?」

 ふとタバサの方を見たシルフィードが、慌てて叫んだ。

 何とタバサは、小さなナイフで自分の指を傷つけ、溢れた血をスキルニルに一滴垂らしたのだ。

「お馬鹿!! それ使ったらどうなるか、お姉さまだって知ってるはずじゃ……――」

 

 そう言うシルフィードを他所に、スキルニルは徐々に形を変えていく。

 やがて変化が止まると、タバサの前にはもう一人の『人形のタバサ』が向き合うように並んだ。

 スキルニルのタバサは、ゆっくりと杖を構える。シルフィードも見慣れた、魔法詠唱に特化したいつものタバサの構えだった。

 対する本物のタバサも、杖をスキルニルに向ける。だがこうして見ると本物の方は随分と型が違っていた。

 まるで居合を放つかのように、腰をため、一気に襲いかかるような姿勢で構えているのだった。

 

「お姉さま、一体何を……?」

 

 訳が分からない、そういう目でシルフィードは訴えるが、タバサの視線は既に、目の前の人形以外見えていないようだった。

 

 一瞬の拮抗、動いたのは同時だった。

 

 何度も瞑想して、思い起こした抜刀術を、タバサは人形目掛けて放つ。対する人形のタバサは、それを後ろに飛ぶことで回避し、素早く呪文を唱える。

 『ウインディ・アイシクル』。あまねく氷の矢が、タバサに向かって殺到していく。タバサは、素早く杖を振りながら呪文を唱える。

 『エア・ハンマー』の呪文が、視界に映る氷の軍勢を全て叩き落とした。

 その強力な風は、思わずシルフィードも目をつむってしまう程強かった。

 

(お姉さま、本当に何がしたいのね……?)

 

 シルフィードも召喚されてから、まだそこまで日が経ってないとはいえ、それでもタバサがどういった人間なのかは大体分かっていた。

 無口で無愛想で根暗で本の虫で時々食事を忘れたりもする薄情者だけど、本当の心は優しくって強くって、それでいて格好いい。シルフィードもタバサの事を本物の姉妹のように親しく、とても気に入っていた。

 

 ただ、時々だけど……それでも彼女の事が一瞬分からなくなる時がある。

 

 その時の彼女の目は、本当に…本当に怖くって、二つ名の『雪風』が可愛く思えるような、鋭く、深く、恐ろしいものになるのだ。

 思わずシルフィードもゾクリと背筋が凍るような、あの視線。

 今戦っているタバサは、徐々に、だが確実に、あの目へと変貌していった。

 

 

 タバサは素早く自身の風の魔法を回避する。だが完全に避けきれなかったのか頬に軽く傷がついた。

 それに構わず、タバサは自身に風の魔法をかける事で疾走し、そこから杖を刀のように振り回しながら、風の魔法を撃っていた。

 人形の取っている行動は、あくまでもタバサのそれまでの戦い方だった。隙を見つけて風や氷で牽制しながら、大きく距離を保ち魔法で攻める。隙を見つけて相手の出方を伺う、暗殺者のような動きだ。

 それと比べると、本物のタバサの動きはまるで違っていた。こちらはひたすら詰めて戦う。いうなれば接近戦を挑んでいるのだった。

 人形が飛び退いて距離をとったかと思えば、それを機と見てタバサもすかさず懐へと潜りこむ。そして追撃するように魔法を放つ。

 それは、タバサがずっと頭の中で思い描いた、『彼等』の動きそのものだった。

 

(なあお嬢さん、『北花壇騎士』って知ってるか? お前達花壇騎士とは違って陽の当たらねえ場所を歩く、騎士とは言えねえ騎士さ……。その中で最近『化物』が現れたそうだぜ)

 

 タバサは冷静に、人形の唱える氷の矢を絶妙な体捌きで回避する。そして冷淡な瞳で、人形の隙を伺った。

 

(俺も元、その北花壇騎士の一人だったさ。けどよ、俺なんか弱い方だぜ。噂じゃ最近入ったその化物は、俺みたいな炎の使い手でな、阻むもの全て跡形もなく焼き尽くしてきたみたいだったぜ)

 

 吹き荒れる風や舞い散っていく氷の破片をもろともせず、タバサは突っ込んでいく。虚をつかれたことに反応が鈍ったのか、一瞬人形の動きが止まる。

 

(しかも笑っちまうことによ。噂じゃそいつ、メイジじゃねえらしいんだ。可笑しいだろ? 只の平民が『シュヴァリエ』で化物と来たもんだ。北花壇騎士ってのは、そういう奴らばっかりさ、それに比べればお前なんて……―――)

(――――……知ってる)

 

 その先をかき消すかのように、タバサは『ウィンド・ブレイク』を唱える。

 防御の間に合わなかった人形は、そのまま吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。その隙を逃さず、タバサは畳み掛けた。

 腰を落とし、杖を後ろにして座す『抜刀術』の構え。準備が整うと、タバサは素早く地面を蹴って駆けた。

 

 

(所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ……―――-)

 

 

 タバサは杖に『ブレイド』を唱え、そこから一閃を放つ。剣心との決闘からさらに研ぎ澄まされ、洗練された一撃だった。

 人形は、後退する場所がないため、やむなく杖で攻撃を受ける。杖で防がれた攻撃は、暫く鍔迫り合いとなって激しく拮抗した。

 だが、それを狙うかのようにタバサは第二撃を放つ。

 振り抜いた杖に隠れた氷の刃――『ジャベリン』で創り研ぎ澄ませた鋭い刀を左手で引っ掴み放った一撃は、杖での防御を貫通し人形を横から真っ二つにした。

 

 

「――――……死ぬ」

 

 

「お姉さま……」

 魔力が尽き、元の人形の姿に戻ったスキルニルを拾い上げるタバサを見て、シルフィードはぽつりと呟いた。

 本当に時々……お姉さまが分からなくなる。何をそんなに生き急いでいるのか。理由は知っているつもりだけど、最近特にそう思うようになった。

 スキルニルを懐にしまいこみながら、タバサはゆっくりとこちらにやって来る。その目は、やっぱりシルフィードにとっても少し怖い目をしていた。

「お姉さま、あのね……」

 何か言おうとして、シルフィードは口を開いた。その時。

 突然、場違いな腹の音がシルフィードの耳に届いた。タバサは自分のお腹をさすりながら呟いた。

 

「お腹すいた」

 

 どうやら過度な練習ですっかり空腹になってしまったようだった。

 その様子を見たシルフィードは、ぷっと吹き出す。余りにも可笑しくて無意識に体を震わせていた。

「……これから大事なことを言おうとした矢先に、空気読めなのね」

「何か言った?」

「何でもないのね!! シルフィもお腹すいたのね! だから一緒に食べに行くのね!!」

 怒りとも笑い。両方含んだような声で、シルフィードは叫んだ。タバサは杖でそんなシルフィードを軽く叩く。

「痛い、痛いのね」

「うるさい。静かに」

 いつもの表情、いつもの無愛想な声で、タバサはそう言った。それだけでシルフィードは少し安心するのだ。やっぱりお姉さまはこっちの方がいい。

 シルフィードはそのままタバサを乗せると、大空へ向けて飛び出した。心地よい風をその身に受けながら、本を読むタバサに向かって声をかける。

 

 

「ねえ、お姉さま」

 返事はなく、ただ本をめくる音だけをタバサは返す。別にこれ自体はいつものことなのでシルフィードは構わず続けた。

「お姉さまは、これ以上変わったりしないよね?」

「……どう言う意味?」

 本に視線を移しながらも、今度はタバサもシルフィードに聞き返す。

 シルフィードは、しどろもどろな口調ながらもタバサに言った。

 

「何ていうか……お姉さま、時々怖い目をするのね。気づいてるのか分からないけど、それがシルフィすっごい嫌なのね。本当に、わたしの知っているお姉さまが、どっか遠くへいなくなっちゃうようで。だから改善して欲しいのね」

 

 ここでタバサは、本から視線を外してシルフィードの方を向いた。

 怖い? いつそんな目をしたのだろう……? タバサは全然覚えがなかった。

 でもシルフィードがそう言うのなら、恐らくそんな、周囲を威圧するかのような目をしているのだろう。タバサはそう思った。

「善処する」

 取り敢えず、シルフィードにはそのように返しておいた。

「そう、ならいいのね!! きゅいきゅいきゅきゅ~~!!」

 それですっかり安心して上機嫌になったのか、シルフィードは鼻歌交じりで街へと飛んでいった。

 しかしそれは、これから始まる戦いの序章に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 ガリア王国――――。

 トリステインから南西に位置する、ハルケギニア一と言われる魔法大国。

 その首都リュティスの郊外に築かれたヴェルサルテイル宮殿――その一角にあるプチ・トロワと呼ばれる宮殿内にて。

 この館の主、現ガリア国王の娘である王女イザベラは、随分鬱屈そうな表情で一人玉座に腰掛けていた。

「イザベラ様があんな表情をするなんて……」

「一体何かあったのかしら?」

 普段のイザベラを知る使用人や侍女は、今の彼女の様子に尋常じゃない雰囲気を覚えた。

 いつもはこんなものではない。何かにつけて呼び出したかと思うと、酷薄そうな笑みを浮かべては怯える侍女達をいじり倒してきた。

 そんな彼女が、今回はどういう訳か大人しい。というより、何かを恐れているかのようなものを感じさせた。

 

 一体何が起こるのだろう……? 

 

 尋常じゃないイザベラの様子だからこそ、使用人たちもまた、得も言われぬ不安を感じたのだった。

 重い空気が部屋を満たす中、それを打ち砕くように一人の召使が姿を現した、こう告げる。

 

「北花壇騎士。シシオ様が、参られました」

「……通しな」

 かつて無い真剣な表情……従妹のシャルロットには決して見せないような固い顔で、イザベラは言った。

 

「なっ……」

 やがてやってきたのは、一人の男だった。その姿を初めて見た使用人は唖然とする。

 その男は、全身にくまなく火傷を負った包帯男だった。……ただそれを、口に出して指摘する者は誰一人としていなかった。

 純粋に恐ろしいからであった。包帯から覗くあの視線、それは貴族とかの階級とか関係ない、生物として根源的な恐怖を煽ってくるからだ。

 その男……志々雄真実は、『シュヴァリエ』にしか着用できないマントを肩に担ぐように手に持ち、イザベラに対しぞんざいな口調で言った。

 

「んで、俺を呼ぶ程の依頼ってのは何だ?」

 

 イザベラはギリッと口を噛んだ。王女に対してこの振る舞い……とことん腹が立つ男だ。

 だが、冷静に頭の血圧を下げる。ここで怒ってもどうしようもない。自分の短絡さを露呈するだけだ。

 この男に、弱みというものを見せたくない。だからこそイザベラは、すぐ爆発しそうな沸点を下げて、あくまで平然を装うかのような対応を取った。

 

「ミノタウロスって奴を、あんたは知っているかい?」

 

 それを聞いた侍女達は、ひっ! と恐れるような声を上げた。

 ミノタウロス……それはハルケギニアに数いる亜人の中でも、エルフやドラゴンに次いで厄介だと言われる怪物だった。

 首をはねてもしばらく動き回る生命力、巨大ゴーレムに劣らない腕力。剣や弾丸をもろともしない硬い皮膚、そして人の肉を喰らうその凶暴性。

 一流のメイジであっても、ミノタウロス討伐を渋る者がいるくらい、この世界では恐ろしい怪物なのであった。

 そして、このハルケギニアに来て、結構な時を過ごした志々雄も、その存在くらいは知っていた。

「まぁ、それなりには聞いてるぜ」

「なら話は早い。あんたにはその討伐に出向いて欲しいのよ」

 これだけ聞けば、並のメイジは震え上がり、直ぐに辞退を宣言することだろう。

 しかし志々雄は、臆した風も怯えた様子すらなく、ただ凶悪な笑みを浮かべてイザベラを見るのみ。

 その目がたまらなく気に入らないイザベラは、更に追い討ちをかけるかのように続けた。

「言っとくけど、支援や援軍は一切ないわよ。元々この依頼がきた村は貧しいところでね、まともな依頼金すら用意できてないのよ。普段ならこんな依頼は聞き流すところなんだけど、ほら……メンツってのがあるじゃない? わたしにもさ」

 嘘だ。単にこの男が気に入らない。だからたまたま耳に入ったミノタウロスという餌を使って、こいつがどんな反応をするか見てみたかったのだ。

「てなわけで、あんた一人で行くわけ。報酬はそこの村に言いなさいな」

 報奨金一つ出せない村に対してこの物言い。これが本当なら只の骨折り損である。まともな神経なら、まず断ってくるはずだ。

 これくらい言っとけば、流石にコイツも……とイザベラが、内心ほくそ笑んだ矢先だった。

 

「強ぇのかそいつ」

「……はぁ?」

「だから、俺が束の間の『余興』として楽しめるくらいには、そいつは強いのかって聞いてんだ」

 凄惨な笑みと強大な剣気を、ここぞとばかりにイザベラに向けて、志々雄は言い放った。

「……っ!!」

 イザベラは、一瞬頭の中が真っ白になった。気絶し倒れる一歩手前だ。

「あっ、ああ……」

 何とも言えないような声を出して、イザベラは答える。

「そうかい」

 そう言うと、もう用はないとばかりに志々雄は身を翻した。

「場所を教えてくれ。俺は何時でもいいぜ。『暇潰し』程度にはなりそうだ」

 ミノタウロス討伐を『暇潰し』と称しながら、只々楽しそうに嗤う志々雄を見て、部屋にいる誰一人、言葉にすることは出来なかった。

 志々雄が悠々去ったあと、緊張の糸が切れたかのようにイザベラはぐったりとした。

「イ、イザベラさま……具合の方は……」

 使用人の一人が恐る恐る尋ねるが、当の本人は返事をしなかった。

 只々、恐ろしいものを見るかのような目で、志々雄が出て言った扉の方を見つめていたのだ。

 

 

 あの男が、嫌いだった。

 

 

 イザベラは、ふと最初にあの男に会ったことを思い出した。

 あれはどれくらい前だろうか? 父が気まぐれに起こした召喚術で、奴がやって来たのは覚えている。

 平民ということで、周りからは失笑をかったこともあったが、何より驚いたのは、男は契約を結ぶことを拒否したのだ。

 普通なら、まずありえないことだろうが、男にはそれを押し切るだけの力があった。

 そこから先の詳細は分からない。只あの男の発した凄まじい気迫と殺気が、まだ幼かった私の理性を悉く奪っていった。

 気が付けば、あの男は『使い魔ではなく、一人の友として』認め合った父と意気投合し、北花壇騎士へ入ることが決まっていた。

 ちなみに、わたしを除いて召喚術に立ち会った貴族たちは、皆謎の死を遂げていた。

 

 

 あの男が、嫌いだった。

 

 

 男は強かった。メイジではないのにそれはもう、とてつもなく。

 極楽鳥の卵を要求すれば、卵と共に雌雄揃った極楽鳥そのものも、『ついで』と生け捕ってきたり(無論火竜が活発になる時期に頼んだにも関わらず)、コボルドの殲滅を依頼すれば、数日後には神官であるコボルド・シャーマンの、血に塗れた首飾りと錫杖を持ってくる。

 あの吸血鬼の討伐にさえ、奴はまるで物足りなさそうにするくらいだった。

 後の忌まわしい『人形七号』や、金を積めばどんな任務も成功させる『元素の兄弟』が霞んで見える程、男は凄まじく強かった。

 実際にその強さを目の当たりにしたわけじゃない。けど、『分かる』。そう言い切れるほど、男は強く、そして恐ろしかった。

 しかもその強さは、過酷な任務をこなす度、どんどんと際限なく増していっているようにも思えてきた。

 やがて父から、わたしに北花壇の団長の地位を授けられた。それからというもの、それ以上に奴の凄さを理解した。その時父が楽しげにこういうのを覚えている。

 

「奴は北花壇創設以来……いや、全花壇騎士を含めても奴以上の手練はいないだろう」

 

 こうして奴は、新米でありながら北花壇騎士……いや、あくまでも『裏』の北花壇だから公にこそなってはいないものの、恐らく全花壇騎士『最強』の称号を手にした。

 ありえない平民から貴族への昇進、『シュヴァリエ』の取得。皆あの男の実力が成せる業だった。

 

 

 

 だけどわたしは、この男が嫌いだった。

 

 

 

 北花壇の地位に就き、奴の上司になったからこそ、嫌でもわかる。あの男は、上司であるわたしを見ていない。もっと大きな野望を抱えている。『シュヴァリエ』という地位で満足するような男じゃないのだ。

 男は、与えられた任務を忠実にこなす。誰よりも早く、誰よりも正確に…。失敗なんて言葉は聞いたこともなかった。

 だけどそれは、ある種わたしに対する『見せつけ』にも思えるのだ。自分の実力はこれほどにもあるのだと、知らしめているようにしか感じない。奴を任務で使う度、そういう強迫観念に囚われた。

 

 何度か、父に進言したこともある。貴族昇進の度、シュヴァリエ授与の度、わたしは反対した。気に入らないもあるがそれだけじゃない。奴は遠くない未来、自分たちを脅かす存在になる。それが怖いからこその進言だった。

 しかし父は、それを無下にしてきた。わたしの話など聞いてはくれなかった。その時の父の狂ったような表情は、今でも忘れられない。

 そして今、奴は良からぬことを企んでいる風でもあった。レコン・キスタ結成、アルビオン崩壊、更にトリステイン進撃と、それら全てがこの男に起因しているのではないのかと勘ぐってさえいた。

 父は何か知っている感じではあったが、例によって教えてもらえず、何も分からぬまま……。

 

「……父上は、一体何を考えてあの男に……こんな……」

 イザベラは、返ることのない言葉を空に投げかけた。父は、あの男をどうしたいのだろう。あの男は、何を企んでいるのだろう。

 それが分からない。ただイザベラは、無力な少女のようにそう呟くしかなかった。

 


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