「……これはどうでござろうか?」
「いきなりは無謀だと思うぜ? 相棒」
魔法世界ハルケギニアの、トリステイン魔法学院。
そこの図書室にて。剣心は本を手に取りながら読んでみては、ウンウンと頭を悩ませていた。
「しかし、会話はできるのに、何故字は読めないのでござろうなあ?」
異世界の文字の羅列を見て、心底どうしようかと考えていた剣心は、ふとそんなことを口走った。
あの激闘…アンリエッタ女王陛下が拐かされた事件から、更に数日が流れた。
一時は世間を賑わうほどの大騒ぎとなっていたが、それも段々と落ち着きを見せ、収拾の目処が立っていた頃であった。
本格的に夏が迫りつつある昨今、剣心は何とか文字の読み書きを習得できないか、挑戦中であったのだ。
「ま、仕方ねえさ相棒。こればっかりは俺もお手上げだからなあ」
ここハルケギニアへ召喚されてから、結構な月日が流れた。
今まで、会話自体は何故か通じるからこそ、読み書きが出来ずとも特に不便を感じていなかった。しかしこれから志々雄一派と戦うにあたって、長くここに留まることになるだろうと感じた剣心としては、最低でも文字は読めた方が良いと判断したのだ。
既にオールド・オスマンから許可を取っていた剣心は、丁度昼休みの鐘が鳴るのを聞きながら、図書室へと足を運んでいた。
そして早速本をとってはみたものの、当然というか、いきなりページをめくったって理解できる筈もない。
意味の分からない文字の羅列は、それだけで剣心のやる気を削いでいった。
「どうしたものでござるかな……」
誰かに教えてもらおうか? そう考えはしたものの、コルベールは気球に夢中で声をかけづらく、他の教師は妬ましい目で剣心を見ている。平民なのに周囲からの評価が高いのが疎ましいのだろう。
一応、ミセス・シュヴルーズ等、好意的な先生もいなくはないが、そういう人に限って用事だとかでいなかったり断られたりした。
だからといって独学では現状、無理があるように感じていた。せめて日本語訳した辞書でもあれば……と落胆していた、その時だった。
「タバサぁ~~~~。どこいったの――」
そう言って図書室に入ってきたのは、悩ましいボディラインを持つゲルマニアからの留学生、キュルケであった。
キュルケは、剣心の姿を見るなり驚いたような口調で声をかける。
「あらダーリン!! 珍しいわね、こんなとこにいるなんて!!」
「おろ、キュルケ殿。どうしたでござるか?」
「タバサを探してたんだけどさ。あの子が見つからなくて。ここにいるかなぁって来たんだけど……ダーリンこそどうしたの?」
キュルケは、脇に抱えている本を見て尋ねる。剣心は困ったような口調で、
「読み書きを覚えようとしてたのでござるが、なかなか上手くいかず、どうしようかなと考えていたところでござるよ」
と言った。
それを聞いたキュルケ。ここぞとばかりにニヤッとした笑みを浮かべる。
「へぇぇぇ、そう。ちなみにルイズにこのことは?」
「言ってないでござるよ」
これは自分の問題。だからルイズの手を煩わせたくはない。そう考えていたから彼女には特に何も言わずにここへ来たのだった。
決して、ルイズに教わると面倒そうだから、という理由ではない。多分。いやホントに。
「成程ねぇ。へぇぇぇ」
キュルケは更に面白そうに笑みを浮かべると、ここぞとばかりに剣心に対して前かがみになり、その豊満な胸を強調するように見せつけてきた。
「ねえケンシン……あたしが、文字を教えてア・ゲ・よ・う・か?」
「タバサ殿ならここにはいないでござるよ」
剣心は胸の谷間を見向きもせず、本を元の位置に戻していく。
しかし、伊達に数ヶ月も学院で一緒にいるわけではない。彼のお堅い性格も、キュルケはよく知っていた。
「それなら大丈夫よ。あの子に宿題を教えてもらおうと思っただけだから。今はあなたにイロイロと教えてあげたいし、あたしもあなたにイロイロと教わりたいわ――」
「やっぱり、同じ文字の紋様から意味を読み取っていくしかないでござろうかな?」
「それって七面倒くさくねえか? 相棒」
悩殺ポーズをかますキュルケを置いて、デルフと淡々とした会話をしながら別の本を探しに行こうとする。
その背中をキュルケは思い切り抱きしめた。それは傍から見れば、イチャつくカップルのように見えなくもなかった。
「あぁん、無視しないでよぉ。どう? 今夜一緒に勉強会でも開かない? 色んなことをあたしが教えてア・ゲ・――――」
ガシャアン!!
と、何かを落とすような音が図書室中に響き渡った。
剣心とキュルケが慌てて振り向けば、そこにはひっそりと後をつけてきたシエスタが、たくさんのティーカップを足元に散乱させて棒立ちしていた。
「なに……しているんですか? ケンシンさん……」
若干涙声で、シエスタは剣心達を見つめる。というより既に泣いていた。
「ああ、シエスタ殿。これは……」
「なにしているんですかぁぁぁぁ!!!」
そう言うなやシエスタは、落ちているカップを拾っては投げ拾っては投げつけた。どうやら相当ショックだったらしい。一応、カップには『固定化』がかかっているため割れこそしなかったが……。
それはもう、頭のネジが数本弾け飛んだ様相で、シエスタは暴れ狂った。
「もう!! 何なんですか? ここは図書室ですよ!! こんな淫らな光景があっていいはずありません!!」
「ちょ、ちょっと落ち着くでござるよ、シエスタ殿!!」
「やるんだったら、せ、せめてわたしとやってください!!」
変なことを喚きながら数十分。一回司書に怒鳴られた剣心達は、ようやく誤解だと分かったシエスタと一緒に本を探すこととなった。
「ホントにごめんなさい!! だって余りにも二人がその……くっつきすぎていたから」
「あら、悪いかしら? ねぇダーリ――」
「ダメですダメです!! それ以上はいけません!!」
そう言って、キュルケが抱きつこうとするのをシエスタが阻んだ。平民が貴族にこうやって歯向かうのは、普通ならありえないのであろうが、キュルケはむしろ楽しそうな感じでシエスタを茶化す。
「あぁらぁ。随分とご執心なのねぇ。でも決めるのはダーリンなのよ」
「それはっ。そう、です…けど……」
急に歯切れが悪くなったシエスタを見て、キュルケは疑問符を浮かべた。シュンとしおらしくなって、顔をうつむかせているのだ。
(どうしたのかしら? ことダーリンに関しては貴族にも突っかかっていくこの子が、こんな表情をするなんて……)
ふとキュルケは、タルブで剣心と二人で何やら話し合っていたことを思い出す。
「そう言えばダーリン達さ、タルブで何話し合ってたの? シエスタなんか途中逃げ出してたわよね?」
それを聞いて、シエスタは更にしょんぼりとした。剣心も少し、ばつが悪そうに頬を掻く。
そんな二人の反応を見て、俄然興味を示したのだろう。あれこれ詮索を始めてきたのだ。
またキュルケの声で騒がしくなる中、再び怒号が三人に向かって飛んできた。
「うるさいわね、静かにしなさいよ!! ここがどこだかわかってるの!?」
そう叫んでこっちに来るのは、なんとルイズであった。
「おろ? ルイズ殿!!」
「ってケンシン!! それに……キュルケにメイドも!!?」
「シエスタです!!」
余りに突飛な遭遇に、思わずルイズ達は目を丸くする。
「何しているの? ルイズ」
「何って、今日出た課題『韻竜の生態と歴史』について調べてただけよ。……それよりさぁ……ケンシンはここで何をしているの?」
と、努めて冷静にと、ルイズは剣心を睨んだ。どっちかというと図書室という場所より、この女性二人がくっついている今の状況に対して、目がいっているようだった。
「いや、どうやったら文字を読めるか、それを調べに来たでござるよ」
「へぇ、わたしじゃなくてその二人に……?」
ルイズは、静かな……静かな声色で剣心にそう尋ねる。顔は笑っているが、口元は笑ってはいなかった。
そんな雰囲気に気付いたのか、剣心の口調は若干言い訳するかのように続ける。
「ああ、違うでござるよ。二人とはさっき出会――」
「あたしと約束したわよねぇ!! 一緒に文字を教え合おうって!!」
と、ここぞとばかりにキュルケは、そんなことを言いながら抱きついてきた。
ルイズの眉がピクン、と上がった。……身体から強烈な魔力を迸り始める。
「へえ、そうなんだ。ほぉ……ふぅ~ん……」
やばい。これはやばい。ルイズから放たれる強烈な殺気に、剣心は思いっきり嫌な汗をかき始めた。
慌てて剣心は、キュルケの言葉を必死に否定した。
「いや違うでござるよ!! 拙者はただ文字を覚えようと――」
「ならなぁんでわたしに声をかけなかったのかしらぁ!? おかしいわねぇ!!? わたしはこれでもタバサを除けば学院一勉強ができますのよぉ!!?」
それは間違ってはいなかった。魔法ができなかった頃は、それを補うかのように必死に勉強していたおかげで、ルイズの学力はこの学院でも一、二を争う。
それなのに主人である自分にではなく、ツェルプストーやただのメイドに頼むというなら、それはおかしいでしょう?
「ねえ、どうして!? このわたしが、納得できる言い訳を述べなさいな! さあ、どうなの!!? さあ、さあ、さあ、さあ、さあ!!!!」
グイグイと詰め寄ってくるルイズに対し、剣心は…ついに開き直った。
「いやだって、るいずどのだと、うるさそう」
剣心、心の俳句。季語は無し。
それを聞いたルイズは、にっこりと微笑んだ。
剣心もつられてにっこり笑う。しばらく二人は笑い合いながら……おもむろにルイズは杖を向けた。
「十点」
「おろろ、そりゃあ残念でござブッ!!!?」
ドゴォン!! と、部屋全体を巻き込むような『爆発』が、図書室全体に響き渡っていった。
「……おろろぉ」
盛大に打っ放したおかげで、ルイズの頭は冷えてきていた。改めて目を回して黒焦げになった剣心を見て、呆れたように口を開く。
「もう、言ってくれれば文字くらいちゃんと教えてあげるわよ。そんな胸に栄養が偏ったツェルプストーや脳なしメイドなんかに頼まなくてもさ」
「……脳なしメイドなんか?」
キュルケと一緒に爆発を逃げ延びたシエスタが、ぴくりと眉を上げた。そしてゆらりと立ち上がってルイズを見る。
「わたしだって、文字の読み書きくらいならできますわ。それに勉強ができても教えるのに向くかは、また別の話ではありませんこと?」
一気にそれだけまくし立てると、献身的な姿勢で剣心を抱き起こす。
「ちょっとあんた!! 誰の使い魔に手を触れてると思ってんのよ!?」
「非道いご主人様もいるものですわね。こんな血も涙もない人に勉強を教えさせたら、ケンシンさんは死んでしまいます! それはわたしも放っては置けませんわ!」
と、先ほど暴れた事を棚上げにして、更に剣心を抱き寄せる。脱いだら凄いシエスタの谷間が、丁度顔に当たっていた。
それがまた、ルイズの逆鱗をビンビン刺激する。
「なっ何よぉぉぉ!! あんた、平民の癖に生意気すぎるわよ!!?」
「その平民に目くじらを立てるということは、自分に自信がない証拠なのでは?」
ぐぬぬぬ、と拳を握り締めるルイズに対し、余裕そうにシエスタは口元に手の甲を当てる。
しばし二人の間に花火が迸っていたが、やがてそれを見ていたキュルケは、ここぞとばかりに折衷案を切り出した。
「それじゃあさ。今夜皆で勉強会でもしない? なぁんか面白そうだしね!」
今の状況を心底楽しんでいるキュルケであったが、その案にはルイズ達も素直に賛成する。
「いいわよ!! じゃあどっちが多くケンシンに教えられるか、競争ね!!」
「望むところですわ!!」
もはや花火どころか、炎を燃やす三人を見て、目を覚ました剣心はどうしてこうなったか、嘆くようにため息をついた。
「ただ文字が知りたいだけだったのでござるがなぁ……」
「ま、しょうがねえさ。諦めな、相棒」
「それじゃあ、勉強会を始めるわよぉ~~~!!」
その日の夜、女子寮のキュルケの部屋にて。そこで剣心の勉強会が開かれることとなった。
「あらあ、こんな夜更けまで起きてて、明日の仕事に差支えはないのかしら!?」
「大丈夫ですわ。ちゃんとスケジュールの管理はできていますから」
隣ではルイズとシエスタが、これでもかとばかりに火花を散らしている。それを遠目でキュルケが楽しそうに見つめていた。
剣心は半分萎縮半分やれやれといった様子で、目の前に山積みにされている本を一冊、手にとった。
「やっぱり読めないでござるなぁ……」
試しにパラパラとめくってみたが、やはり書かれている内容は全然頭に入ってこない。
それを見たキュルケは、ここぞとばかりに擦り寄ってくる。
「ねえだ~りん。文字は眺めてたって覚えられるものじゃないでしょう? ここはあたしが手とり足とり……」
「あんたは何勝手に、人の使い魔誘惑してるわけ?」
「そうですよ! これはわたしとミス・ヴァリエールの問題です!」
キュルケの後ろでは、ここぞとばかりに息の合ったルイズとシエスタの二人が、怒りを滾らせた目で見下ろしていた。
「さあ始めるわよケンシン!! 今日は寝かせないからね!! 覚悟は出来たでしょうね!!?」
「そんなスパルタな仕打ちなんて酷いです! まずは文字の発音からゆっくり覚えさせていくべきです!!」
そして再びぎゃあぎゃあ喚き始める二人を見て、改めて剣心はため息をついた。
(だから普通に、文字を習いたいだけなんだって……)
「ちがぁぁう!! これはそう読むんじゃないの!! ってかどうやったらそう読めるの!?」
「だから頭ごなしに怒鳴ってはいけませんって!! ケンシンさんだって頑張っているんですよ!」
とまあ、時に怒号が飛び、喚き声が響きながらも、勉強会自体はそれなりの進捗を見せていた。
まずは平民の間でも浸透している、読み書きの教科書や辞書などを使い、単語を覚えていく。その文字にどんな意味があるのか、ルイズ達が指摘することで一つ一つ頭に叩き込んでいく。
ここで不思議に思ったのは、その意味が直ぐ『自分の言葉』として変換されていくことであった。初めて知った単語の筈なのに、まるで昔から使っていたかのように馴染んでいくのだ。
するとどうだろう。ある程度語句を覚えた今の状態で再度読み返すと、さっきまで意味不明だった文字の連なりが、スラスラと読み解けるのだった。
しかし、ここで一つの齟齬が生じていた。
「あぁもう!! だからそれは『皿の上のミルクをこぼしてしまった』って読むのよ。『とり返しのつかないことをしてしまった』なんて読まないの!」
と、ルイズは本の一文を指差して剣心を睨む。
読めるには読めるのだが、それがどうやら書いてある一文とどうも違う風に解釈するのだった。意味は間違っていないのだが、とにかく正確に読ませたいルイズは声を荒げていた。
すると今度はキュルケが、何かに気づいたように本に顔を近づける。
「な、何よツェルプストー」
「ねえ、ずっと思ってたんだけどさ。ダーリンの読み方って要約の方を捉えてるんじゃない?」
そう言って、本の下部分に小さく書かれている『要約』の部分をルイズに指差す。成程確かにその文は剣心がさっき読んだ文と同じだった。
「あっ。ホントだ」
「実はわたしも気になってたんですよねぇ。なんていうかケンシンさん、覚える速さが尋常じゃないっていうか……だってまだ三十分も経ってませんよ?」
シエスタも、うーん、と首をかしげる。ルイズも不思議そうな目で剣心を見た。
しかし、こればっかりは剣心も分からない。とりあえず思ったことを口にする。
「……実を言うと拙者、文字を覚えて読んでいたっていうより、書いてあることをそのまま頭で訳しているっていうか……」
しかしルイズ達は、その剣心の説明にも疑問符を浮かべるばかり。というより剣心自体も何言っているのか分からないようだった。
すると、今まで沈黙してきたデルフが口を開く。
「もしかしたらよ、相棒のいた世界と何か関係があるんじゃないか? 例えばくぐったゲートとかにその効果があるとかさ」
「ああ! 拙者とルイズ殿達の世界と訳が違うのは、そこに微妙な違いが出ているからか。それなら辻褄は合うでござるな!!」
「……??」
と、一人納得したようにうんうん頷く剣心を見て、益々不思議そうに顔を見合わせるルイズ達。
「本の場合は、いったん拙者の頭の中で翻訳されて、口に出す時にまた、こっちの言葉に翻訳される。要はそんな感じなのでござるよ」
日本語で書かれた文章を英文にする。その英文を翻訳して再び日本語の文章にすると、最初の文章とは微妙に変わってしまう。本を読む場合はそれが起こってるんだろうと、剣心は考えたのだ。
……そんな説明をされても、今一つ理解できなさそうに首をかしげる女性陣だったが、事実コツをつかんだ後の勉強は、それはもう簡潔に進んでいったのだった。
実際に書かれた本文とは微妙に外してはいるものの、少なくとも間違ってはいないと判断できる程度に、長文も読めるようになってきたのだ。
「良い感じじゃない? よくは分からないけど、大体読めてきているじゃないの」
大雑把なキュルケ辺りはもう、そんなことを言い出し始めていた。
「まだよ。ちゃんと本文を読めてないわ」
それでも完璧を求めたルイズは、そんなことを言っていたが。
「まあまあ、この後は筆記もありますし、ここで一息つきましょう」
シエスタが休憩にと紅茶とお菓子を持ってきたので、ルイズも「それもそうね」と頷いた。
しばし休憩している間。
「そう言えば、ケンシンさんの世界って、どんなところなんですか?」
ここでシエスタが、おずおずといった感じで話を切り出した。先祖が剣心の世界出身と聞いて、まだそういった話を聞いてないことを思い出したのだ。
「えっ? 何々ダーリンのいた国って。気になる~」
「わたしも聞いてなかったわね。ねえ、どんなとこよ?」
すっかり勉強会のことなど忘れてしまったのか、女子たちは興味津々といった目を剣心に向けた。
「どんなとこ……って言われてもなぁ」
剣心は少し困ったように顔を見上げた。それから、思い出すように語り始めた。この世界と自分の居た世界とを比較しながら、ルイズ達に話して聞かせ始める。
魔法がないこと、それだけでもかなり驚きであったのだが、さらに驚いたのは、剣心の世界には、『封建制度』が存在しない…というよりそれが滅んでしまった、というものだったからだ。
「『
「そう、上が全てを取り仕切るのではない。貴族も平民も平等。全ての者の意見や考えを取り入れ国を動かす、というものでござるよ」
かつてその夢を追いかけていたかの者…大久保利通の顔を思い浮かべながら、剣心は言った。
その話を聞いて、ルイズは信じられないといった顔をした。王族が全てを決めるハルケギニアからしてみれば、何とも相容れなさそうな内容であった。
「まあ勿論、それで全ての景気が良くなったわけではないが……拙者は『明治』という時代を変えたコトに、後悔はござらんよ」
「ということはケンシンはさ、昔あったその『王権』と対立してたってことでしょ?」
一連の話を聞いてたキュルケが、そう質問する。
王政以外に社会の仕組みが分からない彼女たちは、何故剣心が其処までして今のシステムを潰して別のものに据えたのか、よく分からないのであった。
「まあ、そこは色々あった。という他ないでござるよ」
事実、剣心もそう言うしかなかった。魔法の有無や時代もある。自分がやってきたことがここで通用しないということは、弁えているつもりだった。
「ただ、これだけは言える」
紅茶のカップを置き、微笑みながらも真剣な目して、ルイズ、キュルケ、シエスタの三人を見据えてこう続けた。
「あの頃は、大なり小なり、皆が皆それぞれの『想い』や『正義』を掲げて、日々争う時代だった。結果や行為はどうあれ、多くの志士や剣士は、その想いとともに突き進んでいった。拙者が言うのも何だが、あれは大きな『時代の移り目』だったのではないかって思うのでござるよ」
「ふぅん、そうなの」
ルイズはただ、そんな気の抜けた返事をすることしかできなかった。
剣心が命がけで、何かを変えようとしたことだけは分かる。
でも、まだ学生身分でお嬢様のルイズからすれば、そういった世間の情勢というものが、未だによくつかめないでいるのだった。
「ま、ケンシンはケンシンで頑張った。ってことでいいんじゃないかしら?」
同じように今一つ剣心の言葉を掴めなかったキュルケが、髪を掻き上げそう呟く。シエスタも同じような様子であった。
「まあ、つまりは」
そう言って、剣心は、
「えっ!?」
ルイズと、
「あら!」
キュルケと、
「あっ……」
シエスタの手を同時に取ると、
「みんな仲良く国を良くしよう。それが『民主国家』であり、新時代『明治』なのでござるよ」
にこやかな顔で、三人の手を同時に重ね合わせた。
「――っ冗談じゃないわよ!!! 誰がこんなツェルプストーなんかと!!」
当然、ルイズはばっと手を離しキュルケを睨みつける。
「……あたしこそ、なんでこんなヴァリエールなんかと」
キュルケは優雅な動きで同じように手をどけ、懐のハンカチで手を拭き始める。
「わたしが、貴族の皆さまと……?」
がるる……、と彼女の様子を見て唸るルイズを尻目に、シエスタはひたすら困惑していた。
魔法も使えない平民の自分が、貴族と並び立ち意見するなんて夢物語に等しいからであった。
「まあ、お主たちはお主たちの歴史があり、立場があるのは分かる。けど、こうやって一つ屋根の下、様々な事を学び合えるのだから、色々な視点でモノを見ることを覚えるのも、良いと思うでござるよ」
苦笑いしながらも、剣心はここでコルベールのことも話した。彼は、ゆくゆくは歴史に名を刻む著名人になるのでは、とも。
「ふぅん、あのはげ先生がねえ。そんな風にはとても見えないけど……」
キュルケはその言葉に賛同しがたそうな顔をした。タルブでも結局彼は戦に出なかった。戦に向く筈の『火』を、あんな下らぬ発明品に使っていることがどうにも許せないようであった。
「夜に明かりを灯すガス燈は、拙者の国でもつい最近導入された新技術。そのひな形を、魔法も使わず行えるのは間違いなくコルベール殿の才能でござるよ」
「魔法も使わずに、夜でも明かりがつくのですか? ケンシンさんの国って、すごいですねえ」
シエスタがぱぁっと顔を輝かせる。
「ねえねえ、他に何か面白いことない?」
ルイズの質問に、剣心は顎に手をやって考える。
「あぁそうそう、最近では『牛鍋』が民衆の間で流行るようになったでござるな」
「ギューナベ?」
「ヨシェナベの親戚ですか?」
シエスタは思わず身を乗り出す。料理関係だから、というのがあるのかもしれない。
「牛肉や葱、白菜豆腐を混ぜて鍋に入れる。原理は確かに、シエスタ殿の寄せ鍋に近いでござるな」
それを聞いたシエスタ、遂には懐からメモまで取りだす始末。
「ショーユ、は分かりませんが、お酒に水に卵に諸々……と、今度やってみよう」
「あんた、作る気?」
「ええ、是非ケンシンさんに、はい、ケンシンさんに」
重大な事のように、二回言うシエスタ。その顔は笑っていたが、目は異様な力を放っていた。
「わたしの使い魔に、勝手に毒見させないで頂戴」
「毒見なんて、大丈夫ですよ。パンやスープしか渡さない薄情なご主人様と違って、そこは徹底しますから」
「いったいいつの時代の話をしているのかしらぁ! それはもう遠い遠い過去の話よぉ!! 情弱なメイドはこれだからいやあねぇ!」
「これはこれは、失礼いたしましたわ」
怪しげなオーラを浮かべながら会話する二人。笑顔を浮かべているが、妙な気迫が彼女達から漂っていた。
「ま、まあ……楽しみにしているでござるよ。シエスタ殿」
「はい。お任せくださいね!!」
剣心の言葉に、ぱあっと特大の笑みを浮かべるシエスタ。ルイズはしばしうるる……と獣の如く唸っていたが――。
「その時はまた、ルイズ殿やキュルケ殿は勿論、タバサ殿やギーシュ、コルベール殿も誘って、食べたいものでござるな。宝探しの時のように」
「あっ……」
それを聞いて、三人はちょっと呆気にとられたような顔をした。
なんていうか、こういうところに剣心のやさしさを垣間見た事と、己の事しか考えなかった自分自身を、ちょっと恥じたのだった。
「そうですね。皆と一緒に食べた方が、より楽しいですよね!」
やがて、屈託ない笑みを浮かべてそうとりなすシエスタ。ルイズもまた、髪を掻き上げた後にこう言った。
「まあ、その時は御呼ばれさせていただくわ。楽しみにしててあげる」
「そうね。ヨシェナベのシチュー、あんなに美味しかったしね。あんただったら、信頼できるわ」
キュルケもそう言うので、シエスタは嬉しそうな表情をした。ここまで貴族に褒められるなんてこと、生まれてこの方なかったからだ。
なんだか自分の磨き上げてきたことが認められたようで、熱いものがこみ上げてきたのである。
「はい! 頑張らせていただきますね!!」
ちょっと目じりに涙を湛えながらも、力強くシエスタはそう言った。
「じゃあ、勉強の続き、そろそろ始めましょう!」
キュルケの掛け声に、一同は頷いた。
なお、この筆記の授業にて。剣心の字があまりにヘタ過ぎて、結局夜明けまで彼女たちの授業が続いたのは内緒の話である。