るろうに使い魔‐ハルケギニア剣客浪漫譚‐   作:お団子

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第三十四幕『人斬り抜刀斎』

「ふうっ…やっと出来た…しっかし苦労したわ…」

 トリステイン魔法学校、その女子寮にて、モンモランシーが精根尽き果てたかのように、大きく椅子の背もたれに体をあずけた。

 テーブルの上には、今しがた完成した解除薬が置いてある。

「これでこの悪夢もようやく終わるのね…」

 隣のルイズと剣心も、やっと一安心したように胸をなでおろす。勿論、油断は最後まで厳禁なのだが。

「とにかく、ホラ、飲みなさいよギーシュ」

 そう言って、モンモランシーは解除薬の入った壜をギーシュに渡す。しかしギーシュは不思議そうな顔をして尋ねたのだった。

 

 

 

 

 

第三十四幕『人斬り抜刀斎』

 

 

 

 

 

「…何でそんなもの飲まなくちゃいけないんだい? 得体の知れないものは飲みたくないんだが」

 それを聞いて、ビシリ、とモンモランシーの額に青筋が立った。壜を持つ手は震え始めている。

 何やら嫌な予感がしたルイズは、それとなく解除薬をモンモランシーから掠め取った。

「こんな臭い薬を作って、一体何をしたいのかよく分からないけど、これがきみの趣味ということだけは分かった―――ぶるぁ!!!」

「アンタっ…マジっ…ホントっ…後悔するんじゃないわよっ…!!」

 解除薬を持っていた手で、躊躇いなくギーシュの顔面目掛け渾身のストレートをぶち込んだモンモランシーは、息も絶え絶えにそうまくし立てた。

 もしルイズが取ってなかったら、今頃薬はギーシュの顔面に派手に飛び散っていたことだろう。

 やっぱり油断しちゃいけない。ルイズは改めてそう思った。

 

「いいから飲みなさいよ!! あんたの病気を治す薬よ!!」

 ルイズはそう言ってギーシュに薬を突き出した。口から出まかせだったが、そうでも言わないとコイツは飲みそうもない。

 しかしそれでもギーシュはまだ渋っている様だった。

「分からないなあ。ぼくの何処に病気があると言うんだい? ぼくはこのとおり至って健康そのものさ。ぼくは気付いたんだ…真の愛情というものは、分け隔てない、あのラグドリアン湖のように大きな存在であることを。それを悟ったぼくの、一体どこがびょうき―――」

「「いいから飲めやぁぁぁあああ!!!!」」

 シンクロした叫びを上げたルイズとモンモランシーの、巧みなコンビネーションにより、ギーシュは有無を言わさず解除薬を口の中に放り込まれた。

 ゴクン、と確かに薬が喉を通っていく音を聞き届けたルイズ達は、それでも油断なくギーシュの動向を監視していた。

 やがて、ひっく…と一つのしゃっくりをした。それから憑き物がとれたかのように、ギーシュはフラフラした表情で辺りを見回した。

 

 

「あれ…ここは…ぼくは…何を…」

 

 

 そうして見ているうちに、まず視線が剣心へと移り、そして悪魔を見たかのような驚愕の表情をした。

「そっ…そうだ…ぼくは…」

 ヨロヨロと立ち上がり、今度はおぼつかない足取りで少し歩いた後、そしてモンモランシーの方を振り向いた。

 すると先程の剣心の時より、恐ろしいものを見たかのように、顔が恐怖で歪む。

 

「あ……あっ…」

『惚れ薬』の効果は確かに消えた。だが、その時にした記憶まで都合良く消してはくれない。ちゃんと、自分のしたこと言ったことはハッキリと覚えているのだ。

 剣心への痴態ともいえる恥ずべき行為。更には恋人であるモンモランシーに放った罵詈雑言の数々。

 耐えきれなくなったギーシュは遂に、その精神が限界へと達した。

 

「ぎいいやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 はち切れんばかりの金切り声を上げた後、ギーシュは白目をむいたまま、ぽっくりとそのまま倒れ込んだ。

 全くどこまでも騒がしい男である。

 

「終わったわね…」

 色んな意味を含めながら、ルイズはふうっ、と安堵のため息をつく。あの反応を見る限り、まず間違いなく戻ったことだろう。

 流石にその後の精神状況までは面倒見切れないが。

「…もういいわ…。わたしも…何か疲れた…」

 モンモランシーは遣る瀬無さそうな視線をギーシュに向けながらも、それでも仕方なさそうに杖を振り、ギーシュをベッドに運んで寝かせてあげた。

「ホラ、これで終わったからいいでしょ? 少し一人にさせて頂戴」

 ぐったりと椅子に寄りかかりながら、疲れた目でルイズ達にそう言った。ルイズ達も留まる理由が無かったので、そそくさとその場を後にするのだった。

 

 

 

「はぁ…わたしも疲れたわぁ…」

 部屋を出て早々、ルイズも深いため息をついた。剣心もはは…と乾いた笑いをする。

「まあ、無事元に戻ったようだし、これで一件落着でござるよ」

「でもホント、笑える話よね。ケンシンには悪いけどさ」

 そう言ってキュルケは未だに思い出しては面白そうに笑いながら、真っ赤な髪をかき揚げる。

 言ったら殺すわよ…。とルイズが殺意の視線を送った。

 彼女のそれを気にする様子はなかったが、キュルケはまだ何か引っかかりがあるのか、ここでうーんと首をかしげた。

「でもまあ、相変わらず綺麗だったなぁ…ラグドリアン湖…」

 と、ふと思い出すかのようにルイズが呟いた。

「前に行ったことあるでござるか?」

「うん、十三の頃、姫さまのお供で行ったことあってね。とっても盛大な園遊会が開かれてて…すっごく賑やかで、華やかで、楽しかったなあ」

 昔を懐かしむ様子で、ルイズは続けた。

「実はあのラグドリアン湖はね、ウェールズ皇太子と姫さまが初めて出会った場所なんだって。夜中に姫さまに頼まれて、身代わりになって欲しいって言われて。今考えると、二人はその時逢引でもしてたのかなぁ…」

 切なそうな表情をして語るルイズを他所に、ここで何か思いついたようにキュルケは叫んだ。

 

「あっ…そうよ!! ウェールズ皇太子よ!!」

「な、なによ急に!」

 折角の余韻を邪魔されてルイズは口を尖らせたが、それに構わずキュルケは続ける。

 なんでも、ラグドリアン湖に向かう道中、ウェールズそっくりの男を見かけたというのだ。

「そうよそう!! あぁやっと思い出せたわ! あの色男はウェールズ皇太子さまじゃないの!」

「……どういうことでござる?」

 剣心が、伺うような視線でキュルケに尋ねた。

「…ウェールズ殿は、確かにあの時亡くなったでござる。それはキュルケ殿も見てたでござろう?」

「ええ、見てたわ。今まで全然思い出せなかったけど…でもあれは確かにウェールズ皇太子よ。わたしがあんな色男、見間違えるわけないわ」

 今まで忘れていたのに、断言するかのような口調でキュルケは言い切った。それを聞いて、剣心の中で嫌な予感が膨れ上がる。

 

(『アンドバリの指輪』…死者に偽りの生命…レコン・キスタ…)

 

 そして、ワルドが言った『ウェールズを亡き者にする』という真相…。

 全てが、剣心の脳裏で繋がっていく。まるでパズルのピースをはめ込むかのように…。それはルイズ達も同様だった。

 そして、そこから答えを導き出すのに、さして時間は掛からなかった。

「しくった、奴らの狙いは姫殿だ!!」

「…――!!?」

 その叫びと共に、ルイズ達も弾けるように反応する。剣心達は急いで学院の外に出ると、タバサに向かって言った。

「タバサ殿、シルフィードを呼んでもらっても―――」

「もう呼んだ」

 阿吽の呼吸が如く、既にタバサは口笛を吹いていた。ひと足遅れて、シルフィードがばっさばっさと翼を羽ばたかせて飛んでくる。一行は素早く風竜の背中へ乗り込んだ。

「トリステイン王宮、急いで」

 タバサはそれだけをシルフィードに告げた。その声の様子から尋常でないことを察したシルフィードは、急いで飛び上がり全速力で空を駆けた。

 

 

 

 夜の風が静かに吹くトリステイン王国。しかしその王宮は、喧騒や怒号で昼間より騒がしかった。

 剣心の読み通り、事はもうすでに起こっている…いや、起こってしまったと表現するのがいいだろう。

 王宮の中庭で慌ただしく動いている護衛隊らしき一団は、降り立とうとしているその風竜の姿を見て、再び混乱が巻き起こった。

「こんな夜更けに一体何だ!!」

 王宮預かるマンティコア魔法隊の隊長、ド・ゼッサールは、大声で怒鳴り込んだ。

「何奴!! 現在王宮は立入禁止だ、下がれ!!」

 しかし風竜は下がろうとせず、そのまま着陸して来た。隊長は、その風竜と背中に乗る一団に見覚えがあった。

 数日前、白昼堂々と王宮に乗り込んできた一行だ。アンリエッタ女王の友達と言ってはいたが、今は非常事態。

 

「またお前たちか! 面倒なときに限って姿をあらわしおって!!」

「姫さまは…いえ、女王陛下はご無事ですか!?」

 風竜の背中から桃髪の少女――ルイズが飛び降りると、せきを切って隊長に詰め寄った。隊長は、鬱陶しそうな顔を隠そうともせず言った。

「お前たちに話すことはなにもない。ただちに立ち去りなさい」

 それを聞いたルイズは、怒りで顔を真っ赤にすると、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、それを隊長に見せつけた。

「わたしは女王陛下直属の女官です!! この通り陛下直筆の許可証もあるわ! わたしには陛下の権利を行使する権利があります! ただちに事情の説明を求めるわ!!」

 

 これには、流石の隊長も目を丸くした。成程、確かにルイズが持っているのは、アンリエッタの執筆による許可証だ。

 なぜこんな少女が女王のお墨付きを…そう思ったが、彼も軍人。上司だと分かった以上、無粋な対応をするわけにもいかない。敬礼をして、隊長は経緯を説明した。

「今から二時間程前、女王陛下が何者かによってかどわかされたのです。警護のものを蹴散らし、馬で駆け去りました。現在ヒポグリフ隊がその行方を追っています。我々は何か証拠がないかと、この辺りを捜索しておりました」

 やっぱり…ルイズは呟いた。こうしている内にも、段々と嫌な予感は膨れつつある。

「それで、一体どこへ向かったの?」

「賊は街道を南下しております。どうやらラ・ロシェールの方面に向かっているようです。間違いなくアルビオンの手のものかと…」

 不安は嫌な程的中していく。こうしてはいられない。ルイズはそれだけ聞くと、素早くシルフィードの上に乗った。

 

「低く飛んで、敵は馬に跨っているわ!! でも速くお願い。時間は無いわ!! 行動は迅速に。翔ぶが如く!!」

 翔ぶが如く。それに反応するようにシルフィードは、翼を羽ばたかせ急加速した。

 

 

 森の中、その一つの生い茂る広い草原―――そこは燃えていた。

 そこここに飛び散る血と、死体と、ヒポグリフ達幻獣の死骸と一緒に……。

 彼らは麗しき女王を取り返そうと躍起になっていたヒポグリフ隊の連中だった。

 奸賊を見つけ、その一向に容赦なく制裁を与えるべく魔法を放った彼等だったが、突然の事態により形勢は逆転。

 あっという間に全ての隊員達が薙ぎ倒され、鮮血が辺り一面に巻き散っていった。

その中心に立っていたのは、常人なら死んでもおかしくないほどの傷を追ったウェールズと、生気の無い目で立ち上がる奸賊の面々だった。

 

 

「う、ん………」

 アンリエッタは目を覚ました。ふと起き上がれば、そこは血と煙が燻る世界。周りを見れば、見知ったヒポグリフ隊の死体がいたるとこれで倒れており、立っている連中も、全員死人のような表情をしていた。

 そして目の前には…これほどの事態が起こっているというのに、相変わらず笑っているウェールズがいた。

「ウェールズさま…あなた…一体なんてこと…」

「やあ、驚かせてしまったようだね」

 いつもの様な屈託の無い笑顔。それに怖気を感じたアンリエッタは、本能的に杖をウェールズに向ける。

「あなたは…誰なの…?」

 震える声で、アンリエッタは問うた。未だに信じられないといった目で。

「何を言っているんだい? ぼくはウェールズだよ」

「嘘よ! よくも魔法衛士隊の隊員達を…」

 アンリエッタは叫んだ。声だけでなく杖を突きつける腕も震えてくる。容姿は確かにウェールズなのに…まるで別人のようだった。

「仇を取りたいかい? いいとも。きみはぼくを殺す権利がある。さあ、きみの魔法でぼくをえぐってくれたまえ。きみの手で殺されるなら本望さ」

 仰々しく手を広げながら、ウェールズは言った。アンリエッタは震える手で杖を突きつけたまま固まっていた。

 

 

 出来るわけない…あれほど好きだった皇太子を…傷つけることなんて…。

 

 

 アンリエッタは崩れ落ちた。涙を流し、子供のようにただうずくまった。

「何で…こんなことに…」

「今はぼくを信じてほしい。それだけさ」

「でも…でも…」

 ウェールズの声を、アンリエッタの僅かばかりの理性が押し止める。違う…彼はこんなこと…わたしが望んでいたのは…こんな…。

 しかし、今の彼女の心にはウェールズの言葉はよく響く。

「覚えているかい? ラグドリアンの湖畔で交したあの約束を。君が口にしたあの誓約の言葉を」

「…忘れるわけありませんわ。それだけを頼りに、今日まで生きて参りましたもの」

「言ってくれ。アンリエッタ」

 まるで悪魔のような甘い囁き。しかし、アンリエッタの精神は、徐々に彼を受け入れつつあった。そうしないと…自分が保てなくなりそうだったから…。

 

「トリステイン王国王女アンリエッタは、水の精霊の御許で誓約いたします。ウェールズさまを…永久に愛すると…」

 

 一言一句、間違えることなくアンリエッタは誓約の言葉を口にすると、ウェールズは満足そうな笑みを見せた。

「その誓約で以前と変わったことがあるとすればただ一つ。きみは今では女王ということさ。でも、ほかの全ては変わらないだろう? 変わるわけがないだろう?」

 ウェールズの熱弁に、アンリエッタはうんうんと頷く。もう止まらない、この気持ち。

 ずっと今まで、こうやって抱かれたかったと夢見て来た自分だったのだから。

「どんな事があろうとも、水の精霊の前でなされた誓約がたがえられる事はない。きみは己のその言葉だけを信じていればいいのさ。後は全部ぼくに任せてくれ」

 優しく思えるウェールズの言葉、その一つ一つがアンリエッタの心を刺激する。今の彼女はただの無垢な少女だった。

 アンリエッタは何度も頷いた。まるで自分に言い聞かせるかのように…。

 

 

 

「…非道いわ」

 街道を飛んでいく道すがら、ルイズは眼下にある無残な死体の山を見て思わずそう呟いた。

 血の臭い、煙の臭い。そして悪臭を放つ人間『だった』モノの数々。その中には最早原型を留めていないものも幾つかあった。

 シルフィードを着陸させ、ルイズ達は地に降り立つ。何か手がかりになるものはないか、探していると、幸運なことに生存者がいた。

「生きてる人がいるわ!!」

 キュルケの声に、皆が一斉に反応する。

 駆け付けて様子を見れば、腕に深い怪我を負っていながらも、確かに生きながらえている人間がいた。

「大丈夫でござるか?」

「ああ…あんたたちは…?」

「わたしたちも、あなた達と同じ、女王を誘拐した一味を追ってきたのよ。一体何があったの?」

 味方だと知って少し安心したのか。その騎士は不可解、といった感じながらも話してくれた。

 

「分からないんだ…けど、あいつら…確かに致命傷を負わせた筈だったのに…」

 

「…それは一体?」

 しかし、騎士の言葉はそれきりだった。安心感が極限にまで達したのか、そのまま眠るように気絶してしまった。

「どういう意味…?」

 疑問符を浮かべて考えるルイズ達だったが、そうさせる暇はもうないようだった。

 それに真っ先に気づいたのは剣心だった。彼の反応でピンと来たように、次いでタバサも勘付く。

 囲まれている…いや、最初から待ち伏せのつもりだったようだ。剣心は、ゆっくりとデルフの柄を手にかけた。

 刹那、魔法が四方八方から飛んでくる。剣心は素早くデルフを抜刀すると、振り向きざまに横一閃。その沿線上に入った全ての魔法をかき消した。

 

「おお、久しぶりのこの感触!! テンション上がってくるぜ相棒!!」

 漸くまともな出番が来て嬉しかったのか、デルフが半狂乱になって叫ぶ。それに構わず剣心は、返すひと振りで遅れて飛んでくる第二波目を完全に防ぎきった。

 

 遅れてタバサが反撃の呪文を唱える。氷の矢や風の槌が、先程飛んできた魔法の場所へと向かっていった。

 着弾と同時に、何人かが吹き飛んで行き、氷の矢で串刺しになる。

 だが何より驚いたのは、そんな状態になりながらも平然としている彼等の姿だった。

「…『アンドバリの指輪』とやらの効力でござるか」

 タバサの攻撃を受ける前から既にボロボロだった彼等を見て、剣心は瞬時にそう考察した。あの様子で生きてるなんて普通じゃ考えられない。

 剣心達は油断なく構えた。しかし、何故か敵はそれ以上攻撃をしてはこない。何かを伺っているのだろうか…それとも…。

 そう考えていた剣心達の前に、ふとその影は現れた。生気のない人間の群れを押し分けて、悠然とやってくるその人影…。

 それは間違いなく、剣心達が知っている、そしてもう会うこともないだろうと思っていた人物だった。

 

「…ウェールズ…殿…」

「やあ、また会えて嬉しいよ。『ガンダールヴ』…いや、ここは『人斬り抜刀斎』と呼んだほうがいいのかな?」

 

 ウェールズは、邪悪な笑みを隠そうともせずに、そしてそれを剣心に向けてそう言った。

 

 

 

「流石は伝説の人斬り様だ。噂通り…いや、噂以上だ。ぼくの思考をこうも的確に読んで、追ってくるなんてね」

 月夜が照らす森の中、ウェールズは不気味に笑って剣心にそう言った。

 人斬り…そう言われた剣心は、ピクリと眉をつり上げる。

「『人斬り』…?」

「そう言えば、ワルドも言ってたわね…人斬りなんとやらって…」

 キュルケとタバサが疑問符を浮かべる中、ルイズはハッとしたような表情をした。

 

 刹那蘇るのは…封印したかったあの夢の記憶。ルイズにとってトラウマにもなった彼のもう一つの顔…。

 

 しかし、剣心は気にする風な様子は見せずに、まず一歩前へ出る。

「姫殿は、どうしたでござる?」

 その問いに、ウェールズはガウンを着た人影の方を招き入れた。ガウンを脱いで露わになったその影は、確かにアンリエッタその人だった。

 ここでルイズは気が戻ったのか、アンリエッタを見るなり叫ぶ。

「姫さま!! こちらにいらしてくださいな! その御方はウェールズさまではありません! 『アンドバリの指輪』で蘇った亡霊なのです!!」

 ルイズは悲しみを抑えながらも叫び続ける。こうなった事態を作り出したのは、元はといえば自分の過ち。

 それが今、敬愛なる姫を苦しませていることになっているなんて…ルイズにとってこれ以上ない辛さだった。

 しかし、アンリエッタはウェールズに寄り添い、ただ首を振るばかり。ここでウェールズがおどけるように言った。

「おかしなこと言うね。彼女がついてくるのは、他ならぬ彼女の意思そのものさ。それ以上でも以下でもない。さて、それが分かったなら早速取引といこうじゃないか」

「…取引だと?」

「そうさ。ここできみ達とやりあってもいいが、ぼく等は馬を失ったからね。明日まで馬を調達しておきたいし、魔法もなるべき温存した――――」

 話している途中、不意にタバサの『ウィンディ・アイシクル』が、ウェールズの全身を余すところなく貫いた。

 しかし、先程の兵士達と同じくウェールズは倒れない。どころか、みるみる内に傷口まで塞がっていった。

 

「無駄さ。きみたちの攻撃じゃあ、ぼくには傷一つつけられない」

 その様子を見たルイズが、再びアンリエッタに向かって叫んだ。

「見たでしょう! それは最早王子さまではありません! 別の何かですよ、姫さま!」

 ただひたすら必死にアンリエッタに訴えかけるルイズだったが、それでもアンリエッタはルイズの言葉に耳を貸さない、貸したくないようだった。

「…お願いよ、ルイズ。杖をおさめて、わたしたちを行かせて頂戴」

「何を仰るのですか! それはもうウェールズ皇太子ではないのですよ! 姫さまは騙されているのよ!!」

 しかし、アンリエッタはニッコリと笑うだけだった。その笑みには鬼気迫るものがあった。

「ええ…分かっているわ。唇を合わせた時から、そんな事は百も承知よ。でも、それでもわたしは構わない」

 そして、今度は毅然とした表情をしてこう続ける。

 

「ルイズ、あなたは人を好きになったことがないのね。本気で好きになったら、何もかも捨ててでも、ついて行きたいと思うものよ。世の中の全てに嘘をついてでも、これだけは…この気持ちにだけは嘘はつけないの」

 

「姫さま…」

「これは最後の命令よ、ルイズ・フランソワーズ。道を、開けてちょうだい」

 アンリエッタの気迫ある声に、ルイズはすっかり萎縮してしまった。もう、彼女は止められない…。

 自分の声はもう、届かない。

 ただ呆然としているルイズ達を見たアンリエッタは、ウェールズと一緒にゆっくりと先に進もうとした、その時だった。

 その目の前を、剣心が立ち塞がったのだ。

 

「姫殿には本当に済まないと思う。だが、このまま行かせるわけにはいかないでござるよ」

 憮然としてそう言い放つ剣心に、アンリエッタは精一杯の威厳を振り絞るかのように口を開く。

「どきなさい。これは命令よ」

「相すまぬが、この国に忠誠を誓ったわけではござらん。拙者はルイズ殿の使い魔ではあるが、その前にただの『流浪人』でござるからな」

 なおも淡々と告げる剣心を見て、アンリエッタはわなわなと震え、そして叫んだ。

「どうして…どうして邪魔をするの!! 忠誠を誓わないあなたが、わたしの気持ちを知る由もないあなたが、どうして立ち塞がろうとするの、何で行かせてくれないの!!?」

 遣り場のない怒りをぶつけるかのように、アンリエッタはただ叫んでいた。それを見て、剣心は…ルイズ達が初めて見る、どこか物憂げな表情をした。

 

「わかるでござるよ…大切なものをなくした気持ち。返ってきて欲しいと思う気持ち。それが叶わず絶望する気持ち…けど姫殿、いつまでも過去を振り返っても、それじゃ前には進めない」

「だから…あなたに何が…」

「姫殿は、さっき『自分に嘘はつけない』と言ったでござるな。けど拙者には、無理して自分に言い聞かせているだけにしか見えぬ。本当に、その言葉に、嘘偽りはないでござるか?」

 アンリエッタは、言葉を詰まらせた。彼の一言一言が、アンリエッタの心を貫いていく。

 その時、助け舟を出すかのようにウェールズがアンリエッタを抱き寄せた。

「騙されてはいけないよ、アンリエッタ。この男は今、きみを拐かそうとしているんだ。きみはぼくを信じてくれればそれでいい」

「ウェールズ様…」

 その言葉に、アンリエッタはうっとりとしてウェールズに寄りかかる。そこでウェールズは、唐突に可笑しそうな声で言った。

「全く…面白いものだね。かつて冷徹、無情、無慈悲で冷酷な殺人鬼で名の通った『人斬り』様が、まさか情を語らうとは。それも作戦の内かい?」

 ウェールズのその言葉に、とうとう我慢しきれなくなったのか、今度はルイズが食ってかかった。

 

「何よ、さっきから聞いてれば人の使い魔を人斬りだの殺人鬼だの…そんな風に言わないでよ!!」

「おや? きみは本当に知らないのかい? 主人であるくせに?」

 おどけた様子でウェールズは尋ねた。その顔は邪悪で満ち満ちている。

「あっはっは、これは傑作だ! よもや自分が召喚した使い魔の、本当の素性を知らないとは!! …と、そう言えばこの国は人の過去をあまり詮索しないんだっけか」

 愉快に笑うウェールズを見て、ルイズは怒りより先に不安を覚えた。

 あの夢が…また脳裏に蘇ってくる…。

「なら、他国の僕が代わりに話してあげようじゃないか。君の知らない、この男のとんでもない一面というのを…」

 その言葉に、ルイズは嫌でも釘付けになってしまう。キュルケも、タバサも、そしてアンリエッタも、興味深そうに耳を傾けていた。

 ウェールズは、以前変わらぬ表情をしている剣心を見て、一度ニヤリとすると、大げさな身振りで話し始めた。

 

 

「昔々、ここではない『どこか』…我々が『異世界』と呼ぶべき世界では、かつて戦争がありました。二つの勢力が、我こそが正しいと日々争い、殺しあった時代。そこに男は突然現れました。」

 

 

「男は、目に入るもの全ての人を斬り殺しました。闇夜に身を預け、獲物に悟らせず、まるで息をするかの如く人を斬る。それは文字通り鬼のようで修羅とも呼ばれる強さだったといわれてきました。

 そこには平和を夢見る、ただの心優しい人間だっていたはずです。しかし、男はそんな人々にも躊躇いなく剣を振るい続けました」

 

 

「やがて、動乱が終わると男はひっそりと姿を消しました。幾多の斬り殺した人間の怨念から、まるで逃げるかのように…。最終的に斬った数は、百、千…否、それ以上とも云われています。

 その、人を斬っただけで伝説を謳われた男は、後に人々から畏怖と憎悪を込めてこう呼ばれるようになったのです…」

 ウェールズは一旦、ここで止めて、そして吐き出すかのように言った。

 

 

 

 

「『 人 斬 り 抜 刀 斎 』と…それがきみの呼び出した使い魔の、本当の正体さ」

 

 

 

 

 

 話を聞き終えた後、皆一様にして呆然と口を開けていた。その中でルイズは恐る恐る、その視線を剣心へと向けた。

 

 

 じゃあ、やっぱり…あの夢は……。

 

 

「……ホントなの?」

 震える声で、ルイズは言った。

 出来れば、否定して欲しかった。あの夢は現実じゃないと、そう言って欲しかった。

 けど、剣心はルイズを見ると…悲しそうな表情をして言った。

「否定はしない…。全ては奴が今話した通り、それを否定するには…拙者は余りにも罪を重ねすぎた」

「…どうして、言ってくれなかったの?」

 聞かないと決めたのは自分のはずなのに、なぜかルイズの意思に反してそんな言葉が口から出た。

 それでも剣心は、なお優しそうな、それでいて切なそうな笑みを浮かべて言った。

 

「すまなかったでござるな。拙者は隠す気はなかった。でも…できれば語りたくなかった。それだけでござるよ」

 

 その剣心の笑みを見て、ルイズはハッとした。

 ただ悲しそうで、それでいて優しい目。

 ふとルイズは首にかけたペンダントを見る。そして思い出した。その時のしてくれた彼の表情を…あの時の楽しさを……。

 

「さて、では戯れもここまでにして、そろそろ本格的にどいてはくれないかな?」

「言ったでござろう。通すわけにはいかぬと」

 相変わらず不気味な笑顔で歩み寄るウェールズに振り返り、剣心はどこまでも憮然とした表情で言った。

「なら仕方ないね、力ずくでも退いていただこう」

 ウェールズは、サッと杖を引き抜いた。それに反応するかのように、剣心も動き出す。鞘から逆刃刀を抜き、一閃を放つ。

しかし、偶然かタイミングが良かったのか、その前を巨大な水の壁が覆った。

「ウェールズさまには指一本触れさせはしないわ!!」

 アンリエッタがそう叫んで、ウェールズの前に水の魔法を放ったのだ。

「くっ…」

 剣は水の壁と衝突するが、流石に只の刀に水とは相性が悪い。押し返されそうになるも、剣心は鍔迫り合いに持ち込んで何とか耐える。

 ルイズは、それをしばし呆然と見つめていた。…そして決心したのか、杖を抜き剣心の方へと向けた。

 

「…ルイズ」

 それを見たアンリエッタは、やっと味方してくれた、そんな安堵の表情を浮かべていた。しかし、ルイズが吹き飛ばしたのは、水の壁の方だった。

 ドゴン!! と爆発を起こした水は、飛沫を上げて飛び散っていく。

 それを見たアンリエッタが、表情を一変させて叫んだ。

「どうして、何故あなたまで彼の味方をするの!?」

「…姫さまはご存知ないでしょう…ケンシンに、わたしがどれだけ助けられたか、ケンシンの言葉に、わたしがどれだけ救われたか」

 ポツリポツリと呟くようだったが、そこに確固たる強さを持った声で、ルイズは呟く。

「確かに…昔は人を斬ってきたかもしれない。非情だったのかもしれない…。でもそれはもう過去のことでしょう? わたしの知っているケンシンは、決して、人斬りなんかじゃない」

 アンリエッタに顔を向け、そしてさらに続ける。その目は打って変わって強い輝きを灯していた。

 

 

 

「わたしが召喚したのは、人斬り抜刀斎なんかじゃないわ。優しくて強いわたしの使い魔、ヒムラ・ケンシンよ!!」

 

 

 

 そして、アンリエッタと同じくらい毅然とした様子で、ルイズは杖を、ウェールズ達に突きつけた。

「そして! いくら姫さまといえども、わたしの使い魔には指一本たりとも触れさせることは許しませんわ!!」

 髪の毛を逆立て、ぴりぴりと震える声でルイズは叫ぶ。

「…ルイズ殿……」

 それを見た剣心は、どこか、嬉しそうな表情をした。

 それに頷くかのように、キュルケやタバサも動き出す。それと同時に、周りを囲んでいた死人の兵隊達も魔法を放ち始める。

 戦いが、始まった。

 


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