「おじいちゃんは言ってました。『ニホン』という御国のため、海を渡って、あの『竜の空袋』の勉強をしていたって」
剣心は今、シエスタに誘われて、草が生い茂る壮大な平原へとやって来た。
視界一辺を、見渡せるほどの雄大さと、陽の光が照りつける美しさが、そこにはあった。
「そして帰国して…自作した『空袋』の試乗をしていたら…風に煽られて流れて流れて…気が付けばここタルブにやってきて…そしてわたしのおばあちゃんと結婚したって」
隣では、私服姿のシエスタが、思いを馳せるような目で平原を見ていた。
「それにしても驚きました。ケンシンさんとうちのおじいちゃんが、同じ『ニホン』という国から来たなんて…」
あの後、剣心はタルブの墓標跡地へと赴き、そしてシエスタの祖父の墓を見た。
刻まれている文字は、ハルケギニアではさっぱりわからない字体だったが、剣心は何とかそれが読めた。
「佐々木武雄 異界ニ眠ル」
それは間違いなく、日本語で書かれていた。
シエスタの祖父もまた、自分と同じ日本から来た人間なのだ。
同時に、シエスタの雰囲気にも納得が行った。彼女も祖国の血を引いているから、通りで懐かしいと思えるわけなのだ。
元々、先代の比古清十郎も、この地を訪れていたのだから、いつか必ず手掛かりは見つかるだろうとは思ってはいたが、それがこんな形になるとは思ってもみなかった。
そして、その後にシエスタから見せたいものがある、と言われてこの草原へとやって来たのだ。
「本当に、あれは貰ってもいいでござるか?」
「はい。そう遺書にも綴られていましたし」
何でも、シエスタの曽祖父は、「墓標が読める者に、『竜の空袋』を授ける」と書き残していたようだった。
そして、同時に「どうかこれを、再び飛ばせるようにしてほしい」との願いも書かれていた。
「そうでござるか……」
剣心は、空を見上げた。
西洋諸国では今、飛行技術の発展が目覚ましいとは聞いてはいるが…どうやらシエスタの祖父もまた、その技術に早くから目を付けていたようだ。
彼の年で海外に渡るのは…そして技術を学べるほどの信頼を向こうで勝ち取るのは…普通に考えて並大抵のことではなかったことだろう。
もしかしたら、後世で名を刻める偉人だったのかもしれない。
そんな彼が、このハルケギニアに来ることになったのは…はたしてどういう心境だったのだろうか…。
ただ、こうやって家族を作っているあたり、幸せに逝ったと思いたい。すみわたる草原の空を見上げながら、そんなことに思いを馳せた。
「あの、ケンシンさん」
「何でござる?」
シエスタが、はにかんだ様子で口を開く。
「父が言ってました。祖父と同じ国から来た人に会えたのも、何かのめぐり合わせだろうって…」
顔を赤らめて、草原を見上げながら、シエスタは言葉を紡ぐ。剣心は、何も言わずに彼女の言葉を待った。
「あの、もしよろしければ…わたしと一緒に…ここで住みませんか? そうすれば、わたしもご奉仕をやめて、二人で…」
それは、紛れもない『告白』だった。今度はシエスタが、恐る恐る剣心の返答を待った。
剣心は、少し影のある様な、優しい笑顔をすると、彼女にこう言った。
「気持ちは嬉しいでござるよ。けど、拙者には向こうで待っている人がいるでござる」
その言葉に、シエスタは何かを深く刺し込まれるような感覚に襲われた。胸が動悸で高鳴っていく。身体が固まり、何も言えなくなる。
か細い声で、シエスタは再び尋ねる。
「…恋人…さん、ですか…?」
「…そうでござるな」
シエスタは、今度は刺し込まれた何かが、抉るように暴れだすのを感じた。息が苦し
くなって、立つ足は震え始めていた。
それでも、シエスタは諦めきれずに、剣心に聞いた。
「やっぱり…帰っちゃうんですか…元の世界に…」
シエスタは、剣心がこの世界で言う『東方』とは違う、全く別の『異世界』から来たと、先程本人から聞いたのだ。
それは、もう簡単に会えるような場所じゃない。どこか遠く、本当に遠くの世界。そうとも教えられた。
剣心がいなくなる。そんな事態を認めたくないかのように、シエスタは言った。
そのシエスタの、若干涙声を含んだ言葉に、剣心はゆっくりと告げる。
「取り敢えず、東方と呼ばれるところへすぐに向かうわけではござらんよ。…何よりもまず、『竜の空袋』…いや、気球でござるな。あれを飛ばせてあげたい」
確かに、いずれは元居た世界へ帰る。自分には待っている人がいるからだ。
ただ、せっかくあの気球を贈呈されたのだ。ならばまず、きちんと飛ばす姿を見せてあげるのが、筋というもの。
それにルイズの事も思い出す。彼女と約束をした以上、あまり勝手なマネをして心配させるのもどうかと考えていた。
帰る手段を見つけるにしても、暫くは当分先になるかな…そんな風に思案していると、シエスタが決断するように言った。
「じゃあ…もし…帰る手段が見つからなかったら…そしたら…その時は…」
「…シエスタ殿…」
「わたし…待ってますから。いつまでも…」
そして、涙を見せないようにシエスタは、その場を走り去っていった。
剣心は、その後ろ姿を、切なそうに見ていた。
さて、この一部始終を、遠巻きに見つめていた連中がいた。ルイズ達である。
「ふぅん、面白いことになってるじゃないの」
「へぇ、彼もスミにおけないなぁ。あんな可愛い子を…」
そんな風に、キュルケとギーシュが呟いた。剣心に気付かれないように、かなり遠くで見守っていたため、声までは聞こえなかったが、雰囲気から察するにかなり良いムードであるのは確かだ。
隣では、ルイズが燃えるようなオーラを滾らせながら、歯を食いしばって見ていた。
もしキスの一つでもする気配を見せていたら、即刻消し飛ばそうと杖を構えていたのだったが、どうやらそんな事はないようなのが救いだった。
暫くして、おもむろにシエスタが小走りに何処かへと行ってしまったので、キュルケ達は何があったのかと議論し始める。
「フラれた、とか?」
「案外告ったんじゃないかしら。それで恥ずかしくなって逃げたとか……」
と、キュルケはここで、言葉を切った。隣のルイズが、急に立ち上がって駆け出そうとしたからだ。
「お、落ち着きなさいって! まだそうと決まったわけじゃ…」
「うう、うるさいわね!!! ききき、今日という今日はアイツにたた、立場ってものをおお教えてやるわよ!!」
震える声で、ルイズは杖を振ろうと身構えた。彼女は怒りが頂点に達すると声が震えるのである。
あのバカ犬に制裁を…と呪文を唱えようとするが、寸前でキュルケに止められた。
「全くもう、好きじゃないとか言ってたくせに、完全に嫉妬じゃないの」
「だだだ誰が、あああんなバカ犬、すすす好きなもんですか!!」
完全に敵意をむき出しにしながら叫ぶルイズに対し、キュルケは呆れたようにため息をついた。
「あんた、あんなにダーリンに助けられた事、もう忘れたの?」
その言葉に、ルイズはハッとした。確かにそうだ。アルビオンでの任務では、彼がいなかったら最悪命を落としていたかもしれないのだった。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いは無い筈だ。
そう思うと、自然と杖を持つ手から力が抜ける。
でも…とルイズはイヤイヤと首を振る。キュルケは、ルイズが何に葛藤してるのか良く分かっていた。
「ま、理屈じゃないんでしょうけど、確証もないのにいちいち目くじら立てたってしょうがないでしょ? 主人を名乗るならもう少し余裕を持ちなさいな」
「でも…」
「ケンシンは、あんたの玩具じゃないのよ」
反論の余地を与えないようなキュルケの言葉に、ルイズは言葉を詰まらせた。
うん……自分でもワガママだっていうのは分かっている。
剣心はわたしの使い魔なんだから、自分だけを見て欲しい。内心そう思っているのだが、同時に貴族としてのプライド故に、そんなことを堂々と言えるはずもなかった。
だから、シエスタと仲良くするのを見ていると、すぐ制裁を与えることしか考えられなくなってしまうのだ。
「取り敢えず、後でちゃんと話を聞いてからにしなさいな。でないと本気であんた、いつかケンシンに見捨てられるわよ?」
ルイズは、顔を俯かせた。悔しいが、キュルケの言っていることは正しい。まだ『告白』と決まったわけじゃないのだ。
でも…とルイズは思う。もし本当に、シエスタは剣心に告白したらどうすれば良いのかと、それを剣心が受け入れた時、自分はどんな反応をしたらいいのか、と。
その夜、シエスタの家で一泊してから、朝一番で学院に帰ることになった。さすがにこれ以上は休暇を認めるわけにはいかないと、学院から手紙が来たからだ。
シエスタは、そのまま残ることとなった。どうせ結婚式でお暇をもらえるので、このまま帰省することにしたのだ。
ただ、彼女の表情は、どこか暗く、そして寂しそうだった。
剣心とも中々顔を合わせようとはせず。と言うより…何をどう切り出していいか迷っているようだったのだ。
そんなギクシャクした二人を見て、ルイズは怒るより悲しくなった。
夕食も済んで、就寝する前、ルイズは剣心に聞いた。
「ねえ、これからどうするの?」
直接的に言えば、昼間のシエスタとの会話の事を聞きたかったのだが、どうしても遠回りするような調子になってしまった。
剣心は、そんなルイズを見ながら、こう言った。
「とりあえず気球を、飛ばして見せようかなと思っている途中でござる」
剣心はそのまま続けて、タルブの墓でのこと、シエスタの先祖の事、そして頼まれたことをルイズに話す。
ルイズはそれを聞いて、他人のために考え動く剣心は優しいなあと思いながらも、その優しさが今は自分ではなく、別の人に向けているのがちょっと悔しいという気持ちに駆られた。
わがままというか…独占的な思考をしてしまう自分に、軽い自己嫌悪を覚えながらも再び尋ねる。
「でも、あれは飛ばないって言ってたじゃん…」
しかし、剣心には考えがあった。
「コルベール殿なら、何か思いつくかもしれないでござるよ」
あの授業の時、魔法に頼らない科学を見出そうとするコルベールの熱心さを見て、彼なら何とかなるんじゃないか、と剣心は思っていたのだ。多分、喜んで手を貸してくれるだろう。
それに『ガンダールヴ』の能力のおかげで、あの気球を動かすには、どうすればいいのか等は大体分かっていた。
実際、目立った外傷や破損箇所は無かった。後は風船を浮かせる『浮力』。それさえ何とか確保できれば、上手くいくはず。
それを聞いたルイズは、再び尋ねる。
「もし浮かせたら…それを使って『東方』に行くの…?」
言っていて嫌になってくる。剣心が遠くに出かけてしまうのでは…? 結局そればっかり考えてしまう。
手掛かりを探すと言ったくせに、いざその手段が見つかりそうになると、どうしても否定的な意見ばっかり口に出てしまうのだ。
剣心は、今にも泣き出しそうにするルイズを見て、安心させるように頭を撫でた。
「気球を使って『東方』へ向かうことは考えてはござらぬよ。貰ったとはいえ、あれはシエスタ殿のご家族のものでござるし」
そう言ってくれるが、ふと舞踏会で剣心が言ってたことを、ルイズは思い出した。
『拙者には、確かに帰るべき場所がある。だけどそれだけが理由じゃない。向こうには、
何も告げずに置いてきてしまった人がいる。だから連絡だけでも取りたいのでござるよ』
そうだ、剣心にも帰るべき場所がある。待っている人だっている。それを無理やり召喚させてきて、危険な目にも遭わせておいて、それでも剣心は優しく接してくれる。
でも…とルイズは思うのだ。いつかは別れなきゃならない。その時この悲しみを、わたしは堪えることができるのかと…。
「そう…なら、いいわ」
結局そんな言葉しか出せない自分を内心恥じながら、ルイズは部屋を出た。
一夜明けて次の朝、快晴の中をシルフィードと何体かの竜たちが、空を飛んでいた。勿論竜が運んでいるのは気球だった。
最初それが学院に来たとき、生徒たちは怪訝な顔持ちをしていたが、コルベールだけは興味津々といった風でそれを見ていた。
「何と、これが空を飛ぶというのかね!!?」
「まあ、理論上は…そうでござるな」
そう言いながら、広場で畳まれた気球の風船内部を指さした。
「具体的に言うと、この風船に当たる布に『空気よりも軽いガス』を入れることで、宙に浮く…といった塩梅でござる」
左手を翳しながら、剣心はそう答える。
気球を見るのは初めてではない。かの人誅で…義弟がこれを使い上空から攻めてきたことは今でも鮮明に思い出せる。
とはいえ、原理自体を詳しく知っているわけでは無い。そこは「触れた武器の性質が詳しく分かる」この『ガンダールヴ』の力を頼りにしていた。
「ガス? そう言えばきみ、授業で言っていたね。わたしが作った『光る小箱』のことを…」
「そうでござるな。あれを流用すればあるいは…」
後から聞けば、あの『光る小箱』は石炭を魔法で高温乾留してガスに変え、それを細い管で送って熱源としていたらしい。
まずはそれを試してみるのが良いだろう。
「ほう!! 戯れに作ったあのガスとやらが、この『キキュウ』にも使えるのかね!! それは何とも、是非試してみようじゃないか!!」
案の定、コルベールは二つ返事で受け入れてくれた。というか、ダメと言われても彼はやる気だろう。
気球をコルベールの研究所近くの建物内に安置する。コルベールは風船内にどうやってガスを注入するかとか、浮かせる際耐久性や持続性、風周りのことも色々熟考しつつ、研究を始めていた。
剣心もまた、彼を手伝うようにアレコレ走り回った。
コルベールが考えたのは、剣心の世界で言う『ガス気球』であった、原料は石炭ガスを用いて、風船…ネット内を充満させる。
何回か試運転して、ちょっとだけ浮かせたかとはできた。ガスが十分じゃなかったり、調整が甘かったりして何回か落下してしまったが、そこは強力な『固定化』の呪文がかかっているおかげで無傷で何とかすんでいた。
やがて…そういった実験を何度も乗り越え、ついに『行ける』と思える段階まで、遂に二人は進める段階まで来ていたのだ。
「やったな、ケンシン君!!」
「コルベール殿のおかげでござるよ」
ようやくシエスタたちにお披露目できそうだ。剣心はコルベールと熱い握手を交わした。
気付けば、かなりの日数剣心達は研究に没頭していた。コルベールは、授業の合間合間を縫ってすぐ自室に籠り、ガスの生成や気球の研究を続けていたのだ。
剣心も剣心で、暇を見てはコルベールと共に研究の成果を見守ってきたのだ。
そんな彼等だったからこそ、完成した時の喜びもひとしおだった。
「で、ええと…これをそのメイドくんに見せてあげるってことかね?」
これはシエスタからのもらい物だという事は、既に聞いている。コルベールは改めて尋ねた。
「そうでござるな。この気球の乗り手からも、『飛んでいる所を皆に見せてやれなかったのが残念』と、遺書に綴っていたでござる。なればこそ、まず真っ先に見せてあげたいのでござるよ」
優し気な顔でそう言う剣心に、コルベールは若干の眩しさを覚えた。
一瞬、『なぜそんなに明るくふるまえるのだろう』と…同じ『影』を見てきた者だからこそ感じた疑問を…コルベールはこの時はまだ、聞かずにそっと飲み込んだ。
「で、コルベール殿にお願いがるのでござるが…」
「えッ? あっ、ああ!! そうだね!! 是非ともその飛行に、わたしも立ち会わせてもらうよ!!」
剣心の言いたいことを素早く察したコルベールは、任せてくれとばかりに胸を叩いた。
(シエスタ殿も、これで少しは元気になって貰えればいいでござるがなあ…)
彼女の告白をきっぱりと断って以降、何処か元気がなさそうなシエスタの事を思い浮かべながら、剣心は手紙を足に括り付けた鳩が飛んでいくのを、見やっていた。
数日後。剣心達の知らないところで事件は起きた。
それは、トリステインとゲルマニアによる、結婚披露宴でのこと。
新アルビオンの誇る巨大戦艦『レキシントン』号の上で、志々雄は感慨深げに眼下の船の軍団を見下ろしていた。
トリステインの並べ立てる空軍戦艦は、『レキシントン』号とは比べ物にならないほど小さく、吹けば飛びそうなくらいだった。
今頃奴等は、これから何が起こるのか想像もつかないのだろうな。と、そう思いながら志々雄は煙管の煙を燻らせていた。
やがて、志々雄の後ろへと、ワルドが膝をついて現れた。
「シシオ様。艦長より、手筈が整ったとの知らせが」
「良し、始めろ」
それと同時に、ドンドンと轟くような音がトリステイン側から飛んできた。無論それは只の礼砲であり、実弾はない。
しかしアルビオン側は、まるでさもその砲撃で撃ち落とされたかのように、一隻の船を炎上させた。予め火薬と爆薬を乗せていたその船は、ドゴンと大きな衝撃音を響かせながら墜落していった。
戦争が始まった。と言っても、それは一方的な虐殺に過ぎなかった。
仕返しと言わんばかりに、『レキシントン』号の大砲から実弾を込めて装填していく。
「撃っ!!!!!」
志々雄の命令と共に、『レキシントン』号の大砲から一斉掃射が開始される。
キィィン…と弾丸が飛んでいく音を響かせながら、弾はトリステイン側の『メルカトール』号に着弾、爆発した。
直ぐ様、相手側から返信が届いた。
「『砲撃ヲ中止セヨ。我ニ交戦ノ意思アラズ』」
「構わん、続けろ」
志々雄の無慈悲な言葉と共に、再び『レキシントン』号による砲撃。轟音と共に命中。
「『繰リ返ス。砲撃ヲ中止セヨ!! 我ニ交戦ノ意思アラズ!!』」
「うるせぇよ、続けろ」
三度目の砲撃。『メルカトール』号だけでなく、あちこちの船から火の手が上がり始めた。
ここまで来ると、ようやく相手側もこちらの意図を理解したのか、反撃に映るが、所詮は焼け石に水の状態だ。
一隻、また一隻と確実に沈められ、もはやトリステイン側は風前の灯。勝敗は火を見るより明らかだった。
「シシオ様、新たな歴史が今刻まれましたな」
「らしくねぇな、ワルド。戦争が始まっただけじゃねえか」
しかし、志々雄の顔は、まるで宴を楽しむかのように狂喜の笑みを浮かべていた。
アルビオンによる宣戦布告、トリステイン空軍の壊滅の報が王国に届いたのは、それからすぐ後だった。
上層部による、終わりを見せない話し合いの末、トリステイン側も徹底抗戦すべく、アンリエッタを筆頭に出陣。アルビオン側が侵入を始めたタルブで迎え撃つこととなった。
一方その頃。
休暇を取っていたシエスタは、学院…正確には剣心から届いた手紙を見て、すぐに出発する準備をしていた。
何でも、タルブのあの草原で、かの『竜の空袋』を実際に飛ばして見せるという事だ。
「ねーお姉ちゃん、あれって本当に飛ぶの?」
「むりだよー、おじいちゃんそう言ってずっと飛ばせられなかったじゃーん」
下の弟妹を引き連れながら、シエスタは草原で一番見晴らしのいいところまで足を運んだ。
「もう、そんなこと言わないの。ケンシンさんが言うんだから、きっと飛ぶのよあれは」
たしなめながら、シエスタは空を見上げる。
結局、振られてしまった。あれ以降、まともに剣心の顔は見ていない。
でも…やはり、好きという思いだけは…燻ぶることなくドンドンと燃えていくのを感じるのである。
待っている人がいるといわれても、恋人がいるといわれても、それでも、なお…と。
(落ち込むのはやめよう。ケンシンさんに、嫌われたくないし…)
やがて、シエスタの上空に竜籠と、それとは別に一匹の竜の影が見える。
それはシエスタ達の目の前に現れ、そこから剣心、ルイズ、コルベールが姿を現した。
別の竜の正体はシルフィードで、乗っていたのはタバサとキュルケだった。
「本当に飛ぶのか、興味があるじゃない? ねえタバサ」
キュルケの問いに、青い髪が少し上下にこくりと揺れる。
ちなみにギーシュはケティ・モンモランシー問題に未だ解決の糸口が見いだせず、それどころではなかったようだ。
なので、この二人が付き添いという形でついてきた格好だ。勿論、コルベールよりこれは「課外授業」という名目にしてあるので、無断で抜け出してきたというワケではない。
「えーではみなさん。ここでこの『竜の空袋』…こと、キキュウの飛行実験について、ここで軽くおさらいしましょうかね!!」
と、教鞭を取った人間らしくコルベールははきはきとした口調で、説明を始める。
「簡単に追えば…このネット、布の部分だね。これに空気よりも軽い物質…ここでは石炭ガスだね、これを満たすことで浮かせることができるのだよ。今回やるのはロープで地面をつなぐ係留型。これにより風に流されることなく安全に―――」
「ねー先生、言うよりやって見せた方が分かりやすいんじゃないかしら?」
キュルケが気ダルそうにコルベールの説明を遮った。それもそうだな、と納得したコルベールは、籠から取り出した気球に目をやった。
「では早速乗ってみよう。ミス・タバサはもし非常事態に陥った時用に、上空で観察して貰ってもいいかね?」
その言に、タバサは小さく頷いた。
「乗るのはわたし、ミス・シエスタ、ケンシンくんに、ええと…」
コルベールはそこで若干言いよどんだ。
ルイズがこれまたピンとした姿勢で、手を上に突き立てていたのであった。
「乗ります。乗らせてください」
それを見ていたシエスタ、若干黒い笑顔をルイズに向ける。
「…何よその顔は」
見咎めたルイズが、シエスタに尋ねる。
「いいえ、別に」
会話は其処で切れた。だが、どんどんと負のオーラが充満していくのが分かる。
コルベールは困ったように頬をかき、剣心も何を言おうか考えているようであった。
「じゃあいいわ。あたしはタバサと一緒に上空で見てるから」
キュルケのその言葉で、一旦険悪な空気が切れる。キュルケ自身、其方の方が楽しそうだと思った結果なのだが、コルベールは内心彼女に感謝した。
吊り籠の容量的に、四人が限界だ。コルベール、剣心、シエスタ、ルイズ、丁度そろった。
コルベールと剣心は、いそいそと気球の準備を始めた。
ガスを詰め、重りの砂袋(バラスト)を投げる。
すると、段々と吊り篭が浮いていくのが分かった。
「わわっ――!!」
シエスタは思わず、剣心に抱き着いた。これを見ていたルイズも当然、反応する。
「あんた!! 何勝手に引っ付いているのよ!!」
「何ですか! 怖いんですもの!! 良いじゃないですか!!」
「おぉぉぉろぉぉぉ!!」
ガシガシと剣心を取り合う二人。当然、籠はガタガタと揺れ出す。
「おおぉ、落ち着き給え!! 本当に落下するぞ!!」
コルベールのその声に、二人はようやく落ち着きを取り戻す。その様をシルフィードから見ていたキュルケは、それはもう可笑しそうにゲラゲラ笑っていた。
「見たタバサ!! メイドのあの子!! あんなにもダーリンにお熱になってまあ!!」
「…彼も大変」
それを見ていたタバサも、ポツリとそう言った。
そんなことをやりあっている内に、気球はどんどんと高度を上げていく。
ふと真下を見たシエスタは、驚きの声を上げた。
「うわぁ―――!!」
そこにあるのは、綺麗な緑が風にそよぐ光景。眼下では家族が、大きく手を振っているのが見える。
「本当に、おじいちゃんの言っていたことは本当だったのですね…!!」
感慨深そうに、シエスタは言った。
「…ええ、本当にねえ…」
ルイズもまた、この光景には圧倒されていた。魔法を使わずに空を飛ぶ乗り物なんて、考えられなかったからだ。
「コルベール殿、これぐらいの高さで止めた方が」
「そうだね。よっ…と」
コルベールは排気弁を調整し、これ以上高く上げるのをとめる。
「どうでござるか? 二人とも」
剣心はルイズとシエスタに呼びかけた。何とかこれで、シエスタの祖父の念願は果たした。
下では驚きの様子で家から出てくる、タルブの人たちが見える。皆気球を指さし、口々に何か話し合っている。
声は聞こえないが、何の会話をしているかは容易に予想できる。
やがて、下を見ていたシエスタは身体を振るわせ、そしてこちらを向いた。
「ケンシンさん…」
「おろ!?」
剣心は驚いた。シエスタは泣いていたからだ。
「ありがとうございます!! おじいちゃんの願いを、叶えてくれて…」
「シエスタ殿…」
「多分、天国に行ったおじいちゃんも…すごく喜んでいることでしょう…そう思うと…嬉しくって…」
シエスタはぐしぐしと涙を拭く。しかし、それでもまだ止まらないようだった。
「わたし…おじいちゃんの話なんて…話半分にしか信じてなかったんです。家族も…他の村の人もそうでした。でも…ケンシンさんだけは、おじいちゃんの言うことを信じてくれて…こうして叶えてくれて…」
「拙者だけの力ではござらんよ。ここにいるコルベール殿の力が無ければ、これは成しえなかったでござる」
そう言って、剣心はコルベールの方を振り返った。彼もまた、若干こそばゆそうな表情を浮かべていた。
「でも、きっかけはケンシンさんでした。本当に、感謝しかありません」
ありがとうございます。と、シエスタは頭を下げた。
「なれば、良かったでござるよ」
剣心はふっと微笑みながら、外を見やる。上空から見る景色が、こんなに綺麗だとは…。
軍事利用する気持ちも分かるが、やはりこういった使い方が、正しいのだろうと剣心は思った。
「シエスタ殿、この気球、是非これからのタルブに役立てた方が良いのではないのでござるか?」
「えっ…!?」
その言葉に、シエスタはちょっと驚いた。
「拙者が持ってどうこうするより、これを起点にたくさんの気球を浮かべるのもいい。広い草原だし、良い村の名物になると思うでござる」
この原っぱなら、さぞたくさんの気球が並べられるだろう。そういった出し物を催すのも、良いのではないかと剣心は思案したのだ。
「それは良いね! きっと地上からも上空からも素晴らしい眺めが、平民たちにも見せてあげられるわけだね!!」
コルベールも同調した。この草原いっぱいに気球を並べる光景。思い浮かべるだけでワクワクしてくるのだった。
「でも…これはケンシンさんにもう、お譲りする形で話を進めていまして…」
「なれば、コルベール殿に貸しても良いでござるか? 彼なら、もっと研究を進めて…決して悪いようにはしないでござるよ」
剣心はそう言って再びコルベールを見る。コルベールは嬉しさと動揺が混じった表情をしていた。
シエスタはそんな二人を見つつ、やがて意を決したように頷いた。
「分かりました。ケンシンさんがそう仰るのであれば、ぜひとも、よろしくお願いいたします」
そう言ってシエスタは、今度はコルベールに頭を下げた。
一方のコルベールは動揺したものの…やがて知的好奇心の方が勝ったのか、力強い目をしてこう言った。
「分かった。是非とも任せてくれたまえ。決して悪いようにはしないと、この杖にかけて誓うよ」
「拙者からも、よろしく頼むでござる。コルベール殿」
そんな会話が横で繰り広げている一方で。
「はぁあ…」
ルイズはため息をつきながら、隅で外を見ていた。何て言うか…完全に蚊帳の外にされてしまい、気分を害したのだった。
(もう何よ…さっきから先生やシエスタばかり見てぇ…!!)
再び、ふつふつと沸き上がる嫉妬。こうなるとシエスタだけでなくコルベールにも若干負の感情を向けてしまう。
事実、最近の剣心はずっとコルベールの所で研究ばかりしており、ろくに自分の部屋に帰ってこなかった。
そりゃあ、詔を考えている自分のためにわざとそうしてくれているんだろうけど…もっとこう…構いかたってものがあるでしょう…!?
こういった思いを認識するたび、はっきりと自覚した。剣心は…自分だけを見ててほしい。
『草原が綺麗でゴザルだね』『ほら、あそこで子供たちが手を振ってゴザルヨ』そんなありふれた言葉を隣で並べてくれるだけでも、良いと思っているのに…。
つまんない。ただひたすらにつまんない。
ふと目線を…空飛ぶシルフィードに移す。乗っているキュルケやタバサは、ルイズが此方を見ていることに気付いているらしく、何かジェスチャーみたいなのをしている。何を言いたいのかさっぱり分かってなかったが…。
早く終わんないかな…。そんなことを考えながら、籠に寄りかかり顔を腕に埋める。そんな時だった。
「ねえちょっと!! あれ見なさいよ!!」
キュルケの叫び声に、気球に乗っていた面々は面食らった。
翼の風で煽られてはいけないと、気球にあまり近づかなかったシルフィードだったが、声が聞こえる距離まで近づいてきてそう言ってきたのだ。
そしてその声色で非常事態と素早く悟った剣心とコルベールは、キュルケの指さす方向を見やる。
そこには、タルブへ侵略せんとする…『レキシントン』を筆頭とした艦隊が、此方へ向かってくる異様の光景だった。
これが、これから長きに渡る抗争の始まり。後に確実にハルケギニアの歴史に残る『大戦争』の幕開けだった。
「さあ、始めようぜ抜刀斎。あの闘いの続きをよ」
レキシントンの船上で、志々雄はそう嘯いた。
お久しぶりです。戻 っ て き ま し た。
長らくお待たせした方には申し訳ございませんが、また細々とやらせて頂ければと思います。
また、これに当たりタルブ編の話をかなり改稿しました。
前話二十五幕も少々展開を変えましたので、ご理解いただけますと幸いです。