チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~   作:被る幸

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前話では本編とあまり関係のない話で、期待をされていた皆様の思いを裏切る行為をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
この場を借りまして、改めて謝罪をさせていただきます。


番外編11 おいしいものは人を幸せにする

(55話以降)

 

 

どうも、私を見ているであろう皆様。

普段でしたらアイドル活動や係長としての仕事やら諸々を語る所でしょうが、本日は割愛させていただきます。

今日は武内Pや昼行燈、部下達の暗躍によって強制的に1日オフを取らされてしまったので、1日中趣味の食べ歩きに没頭させてもらいましょう。

現在時刻は午前8時を少し過ぎた所であり、この時間帯から開いている飲食店は少ないでしょうが、そんな時間帯に出会えたお店にふらりと立ち寄るのも一興ですね。

流石に食べ歩きにスーツという訳にはいきませんので、適当に買っておいたパーカーとジーンズというラフな格好でいいでしょう。

今回の食べ歩きは水すらお金を請求されたり、星が付いていたりする高級志向ではなく、基本的な料理が野口さん以下で楽しめる大衆料理店の開拓を目的としていますから、あまり気取った格好は必要ありません。

ファッションセンス系のチートは習得済みですが、別にそういった方面に進みたいとは思いませんし、正直TPOに即した服装であれば良いと思っているので向いていないのでしょう。

成人女性として必要最低限の化粧を済ませ、出勤用としては少々厳つくて使用できませんが、私用では私がチートを発揮してもいかれないその頑丈さから愛用している時計○ッドマスターを装着し、部屋を出ます。

今日の天気は快晴という言葉が似合うくらいの、雲一つなくて清々しい絶好の食べ歩き日和ですね。

扉をロックし、鍵をショルダーバッグにしまうと同時に財布やスマートフォン、完璧とは言い難いですがトラブルに巻き込まれた際に最低限使える応急処置キットやサバイバルキットを今一度確認しておきます。

こんな物を用意して、いったい何をしにいくのだとちひろ達に突っ込まれたことがありますが、備えあれば患いなしという諺もありますので、無くて後悔するよりはましでしょう。

 

 

「さて、最初はどの辺を攻めましょうか」

 

 

今日は朝食も抜いていますから、手ごろなチェーン店で朝食と洒落込むのもいいかもしれませんね。

コンビニに寄って片手で食べられるものを買って、お店の探索と同時進行というのも悪くありません。

まあ、部屋の前で考え込んでも仕方ないので、とりあえず歩きながら考えるとしましょう。

何を食べるか思案しながら階段を降り、マンションの外へと出ました。

世間一般では普通に仕事や学校がある平日なので、視線を動かして周囲を見れば通学中の学生や焦って出勤する若者等の姿があり、こうして休みをもらってのんびりしていることが申し訳なく感じてしまいますね。

しかし、だからと言って出勤しようものなら確実にお説教が待っているので、その選択肢が選ばれることはありません。

歩行者の中には私のように休日を満喫しているような方の姿もありますし、気にし過ぎても仕方ないでしょう。

とりあえず、気の向くままに街を歩きます。

夏も近づく暑い日差しに少しだけ目を細めながら、飲食店を捜し歩きます。

アイマス世界というだけあって、視線を動かせばアイドルが写った広告が多数見受けられました。

割合から考えるとやはりトップアイドル集団である765プロの割合が多いですが、企業や伝統芸能とのタイアップによる方向性の多様性では我が346プロが圧倒的ですね。

幸いなことに、346プロに所属するアイドルにはそういった一芸に特化していることが多く、話がトントン拍子に進んでくれることが多いのです。

今は業界トップ5に名を連ねる程度に甘んじていますが、新人アイドルの育成状況や大企業としての影響力や資金力、それらをサポートする部門の質の向上を加味すれば、数年でトップの座を奪うことができるでしょう。

765プロもオールスターズと呼ばれる13人のメンバーだけでなく、数十人の新人アイドル達の育成に努めています。

ですが、小さい事務所から始まったことが災いしてかアイドル達をサポートする後方スタッフが充実しておらず、またオールスターズを導いた敏腕プロデューサーが海外留学をしておりその差は歴然ですね。

つまり、時代は我々346に向いているのです。この絶好の好機を味方につけ、芸能界に覇を唱えてみせましょう。

 

そんな事を考えながら歩いていると、見慣れたオレンジ色の看板が目に入りました。

吉○家、お手頃価格で牛丼が食べられる学生やサラリーマンの強い味方ですね。

朝から牛丼というのは女性には重いかもしれませんが、チートボディでカロリーを気にしなくて良く、食べようと思えばいくらでも食べられる健啖家である私には全く問題ありません。

女性お一人様で牛丼屋というのは気が引けると言う方もいるでしょうが、食べたいものを食べようとすることにいったい何を恥じらう必要があるでしょうか。

牛丼という文字が目に入ってしまい、私のお腹はすっかり牛丼の気分になってしまったので吉○家に入ります。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

程良く空調の利いた店内は、時間も時間なので客も少なく、これならすぐに食べることができそうですね。

このような朝の内から女性客が訪れることなどめったにない所為か、私が入った瞬間にちょっとした緊張が店内に走った気がしますが、気にしません。

私は牛丼を食べに来ているのです。それを咎める権利等、何人たりともないのですから。

カウンター席に座り、メニューを眺めます。

既にお腹の気持ちは決まっているのですが、私のお腹は結構な浮気性なので期間限定メニューやらをちゃんと確認してから注文しましょう。

オーソドックスな牛丼だけでなく、牛丼よりも少し安くてバリエーションに富む豚丼、がっつりとした肉の旨味を味わえそうな牛カルビ丼、女性に嬉しいヘルシーな野菜たっぷりのべ○丼、そしてお値段お高めになりますが鰻丼というのもあります。

丼ものだけでなく、定食メニューやカレー、朝食専用メニューにメインに彩を添えるサイドメニューと私のお腹を魅惑する文字でいっぱいですね。

複数頼むという手もありますが、今回の目的は開拓ですので1店1品くらいで抑えておきたいです。

そんな悩みを思考を高速化させて数秒で巡らせるというチート能力の盛大な無駄遣いをして時間短縮しますが、なかなか結論がでません。

これ以上考えると思考の海に沈みそうなので、こういった時は初志貫徹でオーソドックスな牛丼にしましょう。

 

 

「すみません、牛丼の大盛りと半熟卵ください」

 

 

あまり注文を聞き返されるのは好きではないので、相手に聞き取りやすいはっきりとした口調で注文をします。

注文を受けたスタッフは笑顔で復唱して、注文を調理スペースにいる他のスタッフに伝えに行きました。

待つ間にお手拭きで手を拭いて、水を少し飲んで喉を潤します。

人によっては食事を待つこの時間を苦痛に感じる人もいるようですが、私はわりと好きですね。

自分が頼んだものが今作られているのだろうなという期待と、それをどう美味しく食べようかと様々な考えを巡らせるだけで楽しくなってきます。

そんな事を考えていると3分もしない内に牛丼は届き、そのおいしそうな香りで私のお腹のエンジンに火をつけました。

 

牛丼大盛り&半熟卵 

 

合掌し心の中でいただきますと感謝の意を示してから、箸を取ります。

まず初めに半熟卵を牛丼に落とし、見苦しさを感じさせない優雅且つ静かな箸使いで崩して混ぜていきます。

つゆを吸ってうっすらと茶色く染まったご飯に白身や黄身がコーティングしていき、早く口に含んでしまって味わいたいとお腹が訴えかけてきますが理性で抑え込みました。

確かにこのまま食べても十分に美味しいでしょうが、全てのお米に均一に半熟卵のコーティングが成された美味しさとは天と地の差があるのです。

一般人であれば、つゆを吸い粘着力の高まったご飯に空気を含ませるようにほぐしながら半熟卵を絡めるという、原料から糸を作りながら織物を作るくらいの絶技は不可能でしょうね。

ですが、数多のチートを見稽古してき、架空の技術すら劣化再現した私であればそれができるのです。

ならば、やらないという選択肢はあり得ません。

 

 

「~~♪」

 

 

鼻歌交じりに箸を動かして攪拌し、美味しく仕上がっていく牛丼に私の心は高鳴りっぱなしです。

15秒近くかけて丁寧に攪拌した牛丼は、つゆと半熟卵とご飯が絶妙に絡まり合い、お肉と玉ねぎも均等に別れていると完璧な私好みに完成しました。

これ以上待たせると腹部を突き破ってしまいそうな空腹の訴えをなだめるように、早速一口頬張ります。

甘めのつゆと半熟卵の濃厚さ、一口噛むことにご飯のほんのりとした甘みと大鍋でしっかりと煮込まれたお肉と玉ねぎの味が混ざり合い、堪りませんね。

空気を含ませるようにかき混ぜたので半熟卵の絡んだご飯もふわっとした口当たりになり、次の一口がどんどん進みます。

高級素材や手間暇かけた調理によって相応のお値段のする料理と比べたらまずいと言う人もいるでしょう。

しかし、こういった安っぽいファーストフードにはファーストフードなりの味わい方があり、それを最初から切り捨ててしまうのは真の美食と言えるのでしょうか。

少なくとも私はこうして牛丼を美味しく楽しんで頂いています。

アイドルがかき込むような丼飯なんてお行儀が悪いものを食べるなんてと意識が高い人なら言いかねませんが、こういったものはお行儀よく決め込まず食べた方が美味しいに決まっているでしょう。

丼を持ち、女性として最低限見苦しくないように気を付けながら牛丼を食べ進めます。

最近では朝はパンという家庭も増えてきているようですが、こうやって美味しいご飯を食べてほっとするあたり私は農耕民族日本人なのだなと、しみじみ思います。

お米の力は偉大です。毎日食べたとしても決して飽きがこず、大抵のおかずを優しく受け止めてくれるのですから。

いえ、寧ろご飯を食べる為におかずを食べていると言っても良いかもしれません。

転生する時にお米のない世界ではなくて本当に良かったと思います。

こうして時間や社会にとらわれず、そして誰にも邪魔されず気を遣わず自由で幸福に空腹を満たすこの瞬間こそが、現代人に平等に与えられた最高の癒しと言えるでしょう。

 

そんな高尚に聞こえるようなことを考えていると、あっという間に牛丼はご飯粒1つ残さずなくなっていました。

もう少し味わって食べるつもりだったのですが、私の手によって完璧に仕上がった牛丼が美味し過ぎるのがいけないのです。

私のお腹は満たされていませんが、ここで満たしてしまってはこの後で美食に巡り合った際に心から味わうことができないのでしょう。

ショルダーバッグから財布を取り出し、おつりが必要ないようきっちり払って○野家を後にします。

さて、現在の満腹度は2割にも達していませんから何処かコンビニにでもよってホットスナックか何かを購入しましょう。

 

 

「さて、振り切るわよ」

 

 

善は急げと言いますか、牛丼を食べたことで余計に抑えの利かなくなった食欲を宥める為にも足早に近くのコンビニを目指します。

ここから一番近いのは確かロー○ンだったはずなので、か○あげクン(レッド)を食べましょう。

脂肪分が少なく淡白な鶏肉の味に少し辛味がついた衣が良いアクセントになっていて、他の味よりも断然好きですね。

あの一口で食べやすいというお手軽な大きさで箱に入っていますし、持ち歩きながら次のお店を見つけるまでの繋ぎとするのもいいかもしれません。

私の休日は始まったばかりですが、無限という訳ではありませんので精一杯この平和な時間を楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

「快勝、快勝♪」

 

 

指定時間が近づいてきたので、私は鼻歌交じりAIR COMBAT7の筐体を出ます。

本日も全国各地のエース達と心地よい緊張感のある空戦で鎬を削り合い、そしてその戦い全てに勝利という栄光を手にしたとなればご機嫌になるのも当然でしょう。

待機用ベンチに腰掛け、ショルダーバッグに入れておいた本日4つ目になる○らあげクンを取り出します。

 

か○あげクン(レッド)

 

片手で上手く容器を揺すって1つだけ空中に放り出し、計算しつくした軌道で口に入れます。

さっぱりと癖のない鶏肉に程良い辛味と下味のついた○らあげクンは、冷めても美味しく味わえますね。

冷めたことによって、熱で通常味わう間もなくさっさと食べてしまいがちな所をしっかりと味わえ、今までにない発見に出会うことができるでしょう。

噛めば噛むほどに肉の繊維が解れながら、鳥の味と下味が混ざり、子供でも食べられる程度の辛みが全体を引き締めるアクセントとなって次の1個が欲しくなりますね。

しっかりと味わいつつ、食べ終えては容器を揺すって空中に放り出して口に入れるという行為を繰り返します。

このゲームセンターは飲食物の持ち込みは禁止されていないので、こういったことをしても見咎められることはありません。

ですが、こういった油ものは食後にきちんと拭いておかなければ、筐体等を汚してしまい他の利用者に不快な思いをさせたり、最悪トラブルにまで発展するので注意が必要です。

最近では多少顔も売れてきたため、ちょっとした行動がSNS等を通じてすぐに拡散されてしまう危険性がありから。

余程の事ではない限りプライベートの行動くらいは目溢ししてほしいと思わなくもないですが、これも有名税の内であり仕方ないのでしょう。

何の因果かアイドルとして活動しはじめ、何故か変な人気が出てきてしまったのがいけないのでしょうね。

全く、こんなアイドルのファンにならなくても、アイドル戦国時代でありネットアイドル、地下アイドル、スクールアイドル等の存在を含めれば、それこそ星の数に近いほど様々な個性をもった素晴らしいアイドルが存在しているというのに、変な趣味を持った人が多すぎます。

 

 

「あの人がサイファー、鬼神殿か‥‥」

 

「一度、同じ空を飛ばせて戴きたいな」

 

 

聞き耳を立てていたわけではないのですが。私と入れ替わるように筐体に向かってゆく少年達のこそばゆくなるような会話が耳に入ってしまいました。

鬼神殿というのはネット上におけるサイファーとしての私を示す愛称みたいなもので、対戦被撃墜数0というちょっと頑張り過ぎてしまった戦績に畏敬を込めてそう呼ぶそうです。

最初は鬼神だけだったのですが、誰かが殿という敬称をつけたことを切欠にそれは瞬く間に定着してしまい、今では殿を付けない奴はにわかと言われてしまうそうなのですが、本当なのでしょうか。

この世界においては私しか知り得ない『円卓の鬼神』と似た二つ名で呼ばれるのは恐れ多く感じてしまいますが、それと同時にその名を汚してしまわないように、更なる研鑽を積まねばと身が引き締まる思いですね。

ゲームに興味のない人からすれば『たかが、いつかは廃れるゲームなんかに』と切り捨てるでしょうが、されどゲームなのです。

価値観なんて人それぞれであり、自身の興味の琴線に触れないからといって否定してしまうのは悲しいことでしょう。

興味のないことでも知ってしまえば何かしら繋がっていて、そこから新しい世界が開けたりするものです。

まあ、人間齢を多く重ねれば重ねるほどに変化や革新といったことの孕むリスクを避けようと拒絶しようとするというのも理解できなくもないですが。

 

 

「なら、ランクを上げないとな」

 

「ああ、頼むぜ。相棒」

 

「任せとけよ、相棒」

 

 

軽く拳を叩き合わせて別々の筐体へと入っていく学生の背中を私は表情を崩さないように努めつつ見送ります。

若いっていいですね。聞いているだけで背中がぞわぞわしてくる言葉を恥じることなく言えるのですから。

私もアイドルの仕事として演技を求められたり、最近封印がかなり緩んできてしまっている人間讃歌を謳いたい魔王に戻ったりすれば、何ら恥じらう事もなく言えるでしょう。

ですが、素でああいった言動をできるのは10代の特権でしょうね。

この程度の言動であれば黒歴史にまでは至らないでしょうが、願わくば彼らがこれ以上悪化してしまい、将来思い返した際に床を転げまわることにならないで済むとよいのですが。

さて、待ち時間も含めるとお昼時が近づいてきましたね。

からあげ○ンも食べ終えましたし、それでは前々から目を付けていたお店に向かうとしましょうか。

定休日も営業時間も書いてなかったので、もしかしたら無駄足になってしまう可能性があるのですが、最悪のことは考えないようにしておきましょう。

こういった時に最悪の事態を考えてしまうと、何故か未来はそちらに収束されやすくショックも大きくなりますから。

まあ、そうなったとしたら後日出直せばいいだけの話なのですが、今日の私のお腹はあそこの店を所望しておりそれ以外を受け付けてくれそうにないのが困りものです。

食べ終えたからあ○クンの容器を小さく折りたたみ、ショルダーバッグに入れておいたビニール袋に入れて匂いが漏れないように縛りってからバッグにしまいます。

からあげク○は持ち込んだものですから、ゲームセンターのゴミ箱に捨ててしまうのはマナー違反でしょうから。

忘れ物がないかをしっかりと確認してから、私は目的の店を目指す為に出入り口を目指します。

 

 

「おい、あれって‥‥」

 

「えっ、七実さま?」

 

 

私のファンなのでしょうか、こうして気が付いてくれるのはありがたいことではありますが、今日の私は完全オフモードなのでファンサービスはありません。

カメラで撮られたりしても面倒ですので、ここはステルスを発動させて穏便にやり過ごさせてもらいましょう。

申し訳ないという気持ちもあるのですが、時間を浪費してしまってアレが食べられなかったら明日以降仕事に影響が出てしまいかねません。

そうなると大変な思いをするのは部下や武内Pなので、そんな子供っぽくて感情的な理由で迷惑をかけるなんて社会人の風上にも置けないでしょう。

という訳なので、名も知らぬ私のファンの人。今日は許してください。

顔はちゃんと覚えたので、イベント等で見かけた際には何かしらの形で今回の埋め合わせはしますので。

 

 

「き、消えた!?」

 

「見間違いだったのか?‥‥いや、七実さまは忍者の末裔だからな、もしかすると‥‥」

 

 

違いますと叫びたい所ではありますが、流石にそこまで目立つ行動をしてしまえばステルスを発動した意味がなくなってしまうので、そんな気持ちをぐっと我慢して足音を消して立ち去ります。

確かにチートボディのお蔭で世間一般様が想像するような忍者ムーブもできないことはないですが、ただそれだけで忍者の末裔などと呼ばれては、立派な忍者アイドルを目指している浜口さんに申し訳ありません。

『立派な忍者アイドル』という言葉から感じられる矛盾的な響きが凄いですが、気にしたら負けでしょう。

雄大豪壮、万里一空、三十六計逃げるに如かず

私は平和な昼食をとることができるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

支那そば 嶺上は、美城本社から少し離れた場所の裏路地にありました。

最後に掃除をしたのが何時なのだろかと疑問に思える煤と埃に塗れて黒ずんだ赤いビニール屋根、築50年は優に超えているであろう古く老朽化した様は、入り口に申し訳程度に吊るされた営業中の看板が無ければ潰れて放置されているのだと思い込んでしまうでしょう。

しかも、この店の周囲は雀荘や未成年お断りの少々如何わしいお店が立ち並んでいるので、通る人も少ないでしょうから余計に気付かれることはないと言えます。

それでも潰れていないあたり、この店からは知る人ぞ知るお店感が伝わってきました。

いいじゃないですか、一般人が寄り付かない裏路地にあるラーメン屋ではなく、昔懐かし表現の支那そば屋。実に私好みの店です。

店1つで、こうも冒険しているような気分に浸れるのは食べ歩きの醍醐味ですね。

これは、この店の存在を教えてくれた部下である須賀さんには何かしらのお礼をしなければなりません。

私の部署において雑務のプロフェッショナルとして、さり気無いフォロー等で他の部下達が仕事をしやすいように頑張ってくれていますし、そういった部下にはちゃんと何かしら形で報いてあげなければ鬼畜生にも劣る存在になってしまうでしょう。

そういえば、式はまだのようですが最近幼馴染と入籍したとの報告がありましたね。

結婚すると何かと入用になって貯金も減っていくので、お高い所に外食に行くなんて贅沢もできていないでしょう。

食事の礼は食事で返すという事で、この前営業先で貰った高級レストランのペア優待券をあげましょうか。

ペア優待券だったのでいつものメンバーでは使うことができませんし、かと言ってこういったムードのある場所へと誘う相手もいません。

ならば、毎日愛妻弁当で真壁さんを除いた他の部下達から嫉妬の波動をぶつけられるほどに熱々な新婚さんに使ってもらった方が有意義というものです。

さて、色々と脱線してしまいましたが、今は支那そばを味わうことに集中しましょうか。

取手が錆びた古いガラス製の扉を開き店内に入ります。

 

 

「いらっしゃい」

 

 

お客を歓待しているのか疑わしくなるようなぶっきらぼうな口調で迎えられましたが、この辺は予想通りですね。

昔ながらの頑固爺という言葉がぴたりと当て嵌まるようなほぼ白髪の店主は、未だ衰えを知らない眼光で私を睨みますが、その程度で怖気づいてしまうのなら黒歴史が生まれることはなかったでしょう。

店内はしっかり清掃は行き届いているのですが、普通の掃除では落ち切らないどうしようもない汚れや経年変化による古臭さは今時の綺麗過ぎる店に馴れた若者は拒否感を抱くでしょうね。

カウンター席しかないようなので、僅かながらでも厨房の様子が見えそうな位置に座ります。

椅子も背もたれのないビニール張りの丸椅子というのも何とも心が擽られますね。回転するのが楽しくて、前世では盛大に回ってコップを倒してしまい母親に怒られましたっけ。

若気の至りですが、そういった今思い返すと微笑ましいと思える失敗から子供ながらにお店等で騒いではいけないという社会性を学んだのだと思います。

 

 

「‥‥注文は」

 

 

座ったまま郷愁に浸っていると店主の低く太い声によって現実へと引き戻されました。

飲食店で何も頼まないで別の事を考えているとは、とんだマナー違反でしたね。

 

 

「支那そばとご飯、あと餃子を」

 

「あいよ」

 

 

初めてのお店では、そこの味を知る為にもやはり普通のものを頼むべきでしょう。

チャーシュー麺とかをチャーシューの枚数を増やしただけと思っている人もいるかもしれませんが、店によるとは思いますが普通のものには入らない具材が入っていたり、スープの味付けが変わっていたりするのです。

それに、普通のラーメン、ご飯、餃子の組み合わせはラーメン屋における絶対的に揺らぐことのない最強の組み合わせでしょう。異論は認めますが、私は受け付けません。

ここに更にビールを加える人もいるかもしれませんが、アルコールはどうしても舌を鈍らせてしまいますから食べ歩く際には、最後の店以外では飲まないと決めています。

注文を受けた店主は冷蔵庫にしまわれていた餃子を取り出して、かなり使い込まれた年季を感じさせるフライパンに並べてられていきます。

作り置きではありますが、少しだけ見えた皮の感じからして作られたのは今朝のようですから味に期待ができますね。

しかも、8つ1セットというのは普通の女性だときついでしょうが健啖家である私には喜び以外の何物でもありません。

これは、ご飯のおかわりは確実でしょうね。

ジュウジュウと熱されたフライパンで餃子が焼ける音を耳で楽しみながら、ラーメンもとい支那そばを作り始めた店主の動きを観察します。

決して超一流とは言えないでしょうが、人生の大半を捧げてその流れの中で無駄がゆっくりと削ぎ落とされていった人の動きは人物像を良く表していて素晴らしいの一言に尽きます。

それは長い時間をかけて水流で少しずつ円磨されていった岩のような、ある種の到達点といえるでしょう。

見稽古にかかってしまうとそれすら容易に自分の物にしてしまうのですが、糧とさせてもらったスキルは今後何かしらの形で還元したいですね。

自家製と思われる黄みの強いちぢれ麺をお湯に入れ、その間にスープの準備に取り掛かるようです。

支那そばといえばあっさりとした醤油ベースですが、この店もそうみたいですね。

しっかりと煮込まれ、丁寧に灰汁の取られた鶏ガラと野菜の良い香りだけで、この店が既に私の期待値を大幅に超えていることを示します。

 

ああ、早く食べたい。

 

食欲に頭を支配されつつある私の身体ははしたなく貧乏ゆすりをしかけていましたが、欠片程残った理性によって何とか堪えます。

そのような無作法を働いて店主に不快な思いをさせたくはありません。

ですが、この理性もいつまで持つかはわかりませんので、なるべく早くしてくれると嬉しいですね。

追撃のように耳を刺激して幸せにしてくれる、餃子を蒸し焼きにする音に天国と地獄を感じながらひたすらに耐え続けました。

 

 

「お待ちどう」

 

 

経過時間の倍近くに思えた体感時間でしたが、それからようやく解放される時がきました。

 

支那そば ごはん 餃子

 

圧巻とも言えるその完成された陣形に対して、只食欲に任せて乱暴に食べるのは何か違うと思いますので、待ちから解放され余裕を取り戻したこともありますからゆっくり味わっていきましょう。

まずはスープの方からですね。

琥珀色をした輝きすら感じる透明感のあるスープから漂う美味しさを脳にダイレクトに伝えてくる芳香、蓮華が口に近づくにつれて心臓が期待に高鳴っていくのがわかります。

一口、たった一口を口に含んだ瞬間に、ああという理由もない懐かしさが心の奥から湧き上がってきました。

前世においてもこんな本格的な支那そばを食べた覚えはないのですが、それでも『ああ、これだ。これがいいんだ』という問答無用の説得力があります。

あらゆる醤油ラーメン達の味の起源を辿れば、この味に帰ってくるのではないかと思えるくらいに素朴で飾り気のない素直な味でした。

最近ではフレンチの技術を応用したり、様々な具材の使用やスープを混ぜたりと色々ありますが、これはその正反対の極致ですね。

特に際立つ華はありません。言葉に表すなら本当に美味しいスープの一言で済んでしまいそうですが、それ以上は無粋でしょう。

次に麺という人が大半ですが、私はこういった麺類を食べる場合は上に乗っている具材から先に行く人間です。

乗っているのはネギとチャーシューとメンマだけというシンプル過ぎて寂しくも思えますが、あのスープから考えるとこれ以上の具材は逆に邪魔になるのかもしれません。

箸で持つと微妙に弧を描く厚すぎず、薄すぎないチャーシューも複雑な味のしないいかにもという味のチャーシューでしたが、その分店主の顔に似合わない丁寧な仕事が伝わってきます。

メンマもこの歯ごたえが柔らかいものばかりになりがちな支那そばの中で、しっかりとした歯ごたえがあり、下味にスープの旨味が加わることによって旨味の相乗効果を実現していました。

ネギは噛むと優しい甘味と程良い苦味が口に広がり、スープにアクセントを加えて引き締まります。

 

 

「‥‥ふぅ」

 

 

支那そばをスープと具を味わっただけだというのに、私の心の満足感を示すメーターは既に最高値に到達しようとしていました。

ですが、麺を味わう前に満足してしまうのはこの支那そばに対してあまりにも失礼過ぎるでしょう。

心を落ち着け、水で一度喉を潤すついでに口の中をリセットして、真摯な気持ちで食に対峙できるような状態を作ります。

箸で麺を持ち上げ、空気に熱を奪われてしまう前に口に運び、麺に絡んだスープを周囲に散らしてしまわず尚且つ見苦しくない優雅な所作で啜りました。

気持ち柔らかめな細いちぢれ麺は、素晴らしいスープによく絡んでいながらも麺としても確固たる香りを失わずに完璧に調和しています。

『完成』という二文字はこの支那そばにこそ相応しいでしょう。

気を抜くとわんこそばのように一気に食べてしまいそうになりますが、そんな勿体無い真似をしたくはないので努めて味わいます。

少し食べ進めた所で、一度ご飯を挟みます。

醤油ベースの塩気がご飯によって受け止められ、優しくそそいでいってくれました。

再び支那そばを味わうのもいいですが、もう1人の主役である餃子にもそろそろスポットライトを当ててあげないと拗ねて冷めてしまうでしょう。

小皿にタレを注ぎ、その上を綺麗な狐色の焼き目を私に見せつける餃子を撫でるように通り抜けさせます。

タレを付けすぎては餃子の味を殺してしまいかねませんので、味と風味が程良くなる程度に止めておきました。

パリッと焼き上げられた皮を破った瞬間に肉汁と野菜から出た水分が混ざった美味しいエキスが口に広がります。

ひき肉よりもキャベツやニラの割合が若干多いのか、具がたっぷり詰まっているのに重さは然程なく、これなら胃に負担を感じることなく8つ食べることができるでしょう。

素晴らしき組み合わせを一通り食べましたが、まだまだ残っているというのは心が弾みますね。

そんな至福の一時を過ごす私の気持ちを、とあるドラマの食に関する名言を借りて述べるのなら。

『おいしいものは人を幸せにする』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、撮影現場でこの支那そばとの出会いによる喜びをちひろや武内Pに語ったのですが、それが噂となって違う事務所のラーメン好きな某アイドルが美城を訪れてちょっとした騒動になるのですが、それはまた別の話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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