チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~ 作:被る幸
ご了承ください。
時系列はまだ5話中くらいです。
どうも、私を見ているであろう皆さま。
CDデビューを巡るシンデレラ・プロジェクトの不和を未然に防ぎ、新田さんの抱える不安を多少なりとも解消することができ、いろいろと安心しました。
これで全ての問題が片付いたわけではなく、まだまだ問題は山積みであり、これからも新たなものが生まれるでしょう。
今回は私が介入することで事態を鎮静化することはできましたが、武内Pがアイドル達との信頼関係を構築しない限り、同じようなトラブルは再び発生するでしょうね。
そのためには武内Pが少なくても、しっかりとコミュニケーションをとる必要があるのですが、もともとの性格に加えて未だにトラウマとして根付いているあの1件がありますから難しいかもしれません。
人のトラウマというものは克服するには年単位の時間か、それを一気に拭い去るような衝撃的な出来事が必要でしょう。
前者はともかく、後者は何をもって衝撃的と判断するかは本人の感性によりますから、意図的に起こすことは難しいですね。
まあ、私とちひろでサポートできるところはしていきますから、今は時間をかけて一歩ずつゆっくりと克服に向けて進んでいってもらいましょうか。
「うわぁ~~、すっごい量の生地だにぃ!」
「これが
本日、私は346本社から少々離れた場所にある生地屋に来ていました。
その理由は、直談判も空しく私のMVのコンセプトは虚刀流をメインとした『仮想戦国演武』になってしまいましたので、ならば服装はせめてあの最終決戦仕様にしたいと思い自作することにしたからです。
虚刀流をメインのMVなら、あの衣装以外のものはあり得ないでしょう。
ここ
最近、衣装管理等の仕事を主に務めている慶さんが、生地を買うならこの店が良いと教えてくれました。
おすすめされるだけあって、そこまで広くない店内に所狭しと和洋中にアラビア系や民族系と様々な種類の生地が積まれており、デザイナーやパタンナーといった職業の人間や洋裁、和裁に興味がなくてもテンションが上がりますね。
そういったことに興味のある人にとっては、ここは天国のような場所なのかもしれません。
付き添いでやってきた諸星さんは、にょわにょわ言いながら目を輝かせて神崎さんと一緒に店内をあちこちと移動して様々な生地を手に取っています。
あまり高すぎるものは無理ですが、気に入ったものがあるなら服1着分くらいは買ってあげましょう。
「見ない顔ね。何をお探しかしら」
店の奥から店主と思われる少女が現れました。
どう見ても小学生くらいにしか見えない幼い外見をしていますが、その佇まいはこの店の雰囲気に見事に調和しており、彼女がこの店の主であると理解させられます。
いったい何歳なのでしょうか。外見詐欺は346プロにも何人かいますが、この店主も確実にその類であることはわかります。
「MVに使う衣装の生地を探しに来ました」
「アイドル関係ね。ということは美城さんのところかしら」
「はい」
どうやら、この名店の存在を他のプロダクションは知らないようですね。
いずれは知られてしまうかもしれませんが、それまでは346プロがこの店を独占させてもらいましょう。
店主への挨拶と軽い世間話を済ませて、私の方も生地選びに入ります。
MVの撮影予定日まではあまり猶予がないので、有限な時間を最大限に有効に活用しなければならないので、あまり拘っている暇はありません。
目利きスキルは見稽古済みなので最適な生地を選ぶことはできるでしょうが、色々と心惹かれる色合いや模様が多くて拘るつもりがなくても、つい厳選してしまいそうです。
「七実さんは和服を作るんですかにぃ?」
「はい、私のソロ曲は和風さが強いので。十二単と袴を組み合わせた感じのものを作るつもりです」
元ネタ知識として明確な完成形は頭に浮かんでいるのですが、それを言葉で説明するのは難しいですね。
まあ、こんなこともあろうかとチート全開で書き上げたデザイン案と私の体型に合わせた型紙を用意しておきましたから、それを諸星さんにデザインの方を見せてあげます。
今西部長や武内P、衣装部門の人達にも絶賛されましたから、問題はないでしょう。
「うきゃ~~~、上の十二単のきゃわいい感じでキラキラしてるのに、下の袴がシュッて引き締めてて、すっごく、すっごく大人っぽくてカッコいいゅ!
きらりもこんなの着てみたいにぃ!」
「我にも、閲覧させよ!(私にも見せてぇ~~!)」
厨二言語ともまた違う不思議な日本語で何やらテンションが上がっている諸星さんとその手に持たれたデザイン案を覗き込もうとピョンピョンはねている神崎さんの姿は和みます。
諸星語(暫定名称)に対しては副音声がないので、見稽古が適応されていないのでしょうか。
副音声が無くても、何となく言わんとすることはわかりますので特に問題ないのですが、最初聞いた時は少々面食らいました。
今は慣れたので何とも思いませんが、営業先等に1人で先行させたりすることがないように気をつけてはいます。
標準的な言葉遣いができない訳ではないとは思いますが、神崎さんのようにその言葉遣いを個性として生かす方針をとっているので矯正させるようなことはさせたくありません。
勿論、ある程度経って単独の仕事も増えるようになったら何かしらの対策をとる必要はありますが、今はアイドルとしての活動を心底楽しんでほしいですから。
最初からいろいろな世知辛い部分を考慮しながら活動をするのは、私たちくらいで十分です。
溜息をつきながら衣装に最適と思われる生地に当たりをつけ、必要最低限の必要量をメモに書き込みます。
予算には限りがありますし、何より無駄は省くに限りますから。
「へぇ、いいデザインね。悪くないわ」
「ありがとうございます」
いつの間にかデザイン案の紙は店主に渡っており、とても真剣な顔でデザイン案をまとめた用紙を何度も見返していました。
生地屋をしているだけあって、それらを使った仕立ての方の腕も一流なのでしょうか。
「貴女、デザイナー?これを型紙に起こすのは結構かかるわよ」
「問題ありません。既に製作済みです」
「なんですって?」
私の能力を舐めてもらっては困るので、持ってきておいた型紙の方も店主に渡します。
そちらも用意してあるとは思わなかったであろう店主は、差し出した型紙を奪い取るように受け取ると店の奥にある作業台に戻りました。
デザイン案と型紙を作業台に広げ、自身の手元に走り書き用のメモパッドを置き、何やらもの凄い集中力を発揮してメモパッドに書き込み、時に丸めて捨てたりして何かに没頭して始めます。
どうやら、チート全開で作った私の再現作は本職の職人魂に火をつけてしまったようですね。
こうなった職人気質の人間に何を言っても無駄なので、とりあえず材料選定を再開します。
幸いにもチートのおかげで型紙の正確な内容を記憶していますので、原本が手元になくても問題ありません。
それから20分ほどの時間をかけて生地選び終え、別行動状態になっていた神崎さんと諸星さんと合流します。
先に見つかったのは諸星さんでした。やはり、あの高身長は見つけやすくてこういった時に助かりますね。
本人に言ってしまうと傷つけてしまいそうなので言ったりはしませんが。
「諸星さん、何かいいものは見つかりましたか」
「あっ‥‥うん、いいなぁ~~って思うのは見つかったんだけどぉ‥‥きらりのお財布じゃ、ちょぉ~~っと厳しいかなぁ~~って」
そう言いながら諸星さんが見ている先には、角度によって2色の濃淡が楽しめるシャンブレーのシフォンジョーゼットがありました。
明るいオレンジ色の生地は、笑顔の絶えない諸星さんによく似あいそうですね。
触った感じもかなり良く、これでドレスとかを作ったり、飾りとして使ってみたりするのもいいかもしれません。
反当たりの値段は約3万円するので、確かにまだデビューしていなくて自由に使えるお金が少ない諸星さんには厳しいでしょう。
「きらりねぇ、普通の女の子より大きいから‥‥いっぱい使っちゃうんだよぉ」
そう寂しそうに呟く、諸星さんの笑顔は太陽に雲がかかってしまったかのように明るさを失った力ないものでした。
今まで接点がなくてあまり話したことがなかったのですが、とても純真で可愛らしい女の子だと改めて思います。
さて、もう付き合いの長い皆様であれば、この後の私の行動は手に取るようにわかると思われます。
「お任せあれ、私が自費で購入しましょう」
5反くらいあれば、様々なことに使えるでしょう。
最近アイドル業も順調で、ライ○ー主演によって給料アップも確定していますし、ここで多少の出費をしたところで懐に痛手は負いません。
寧ろ、これくらいの出費で諸星さんの笑顔を守れるのならば、安過ぎて心配になるくらいです。
「えっ、きらりはそんなつもりで言ったわけじゃないんだよぉ!それにこれ以外にも可愛くて、キラキラ、ふわふわしてるのもいっぱいあるから、それでじゅ~~ぶんだにぃ!」
私の言葉に慌てて両手を大きく振って遠慮しますが、もう確定事項なので覆す気はありません。
一度こうと決めた鋼鉄の意思を覆すつもりなら、核ミサイル級の衝撃を与えなければ不可能だと言わせてもらいます。
手を伸ばして諸星さんの頭に置き、そこから乱暴に撫でてあげます。
諸星さんのふんわりと広がる髪は極めて細く、砂糖菓子のように柔らかで手の動きに合わせて形を変えていき、気持ち良いというよりも飽きない面白さがありました。
その身長から頭を撫でられることが少なかったのでしょうね。とても気持ち良さそうに目を細められてしまわれるといつまでも撫でてあげたくなってしまいます。
「子供は、大人に素直に甘えなさい」
「‥‥はい」
強引で、卑怯な方法かもしれませんが、私にはこんな生き方しかできないのです。
オリ主と称されるご都合主義をひっさげた、ハーレム体質で、最強過ぎる存在達であれば、ここで大人という卑怯な手段ではなく気の利いた一言でフラグ立てをしたりするのでしょうね。
「美城のデザイナー兼パタンナー!」
店の奥の方から店主の声が響いてきます。
私はデザイナーでもパタンナーでもなく、一応そこそこ活躍しているアイドルなのですが。
最近メディアへの露出が多くなってきて、良くも悪くも幅広く顔を知られるようになっていたので少し調子に乗っていたようです。
やはり、私もまだまだ駆け出しのアイドルなのですから、しっかりと気を引き締めて地道に足場を固めていかねばなりませんね。
とりあえず、呼ばれているようなので店の奥にいる店主の元へと向かいます。
「型紙の方も見せてもらったけど、非の打ち所がないくらい完璧だったわ」
「ありがとうございます」
見稽古で一流のスキルを習得しているので当然なのですが、それでもこういった本職の人間に褒められると嬉しいですね。
「で、生地はどれを使うつもりなの?」
「予算の関係もありますから、これにしようと思っています」
まとめておいた生地の購入予定量を記載した紙を店主に渡したのですが、一瞥した後に真っ二つに引き裂かれました。
「何をするんですか」
「貴女のデザイナーやパタンナーとしての腕は認めるわ。だけど、生地選びが全くなってないわ!
こんなのじゃ、折角のいいデザインが台無しになるじゃない!そんなの天と地が許しても、私が許さない!」
落ち着いてくださいと言いたい気持ちを抑えながら、店主の言葉に耳を傾け続けます。
この部分にはこの生地の方が適しているだとか、これとこれの組み合わせは見た感じは良いが実際に組み合わせるとくどくなってしまうだとか、生地選びのいろはを教えてくれているのですが、見稽古した方が早いでしょう。
後、言いそびれてしまいましたが、私がアイドルであることもちゃんと訂正しておかねば。
「ちゃんと聞いてるの!そんなのじゃ、この業界で生きていけないわよ!」
「はい」
どうして平和に終われないのかとも思いますが、衣装は最高のものができそうなので良しとしましょうか。
○
結局、衣装の方は巫女治屋の店主に依頼することになりました。
虚刀流最終決戦仕様は、仕立屋としての何かを大きく擽るものだったようで、自作すると言ったのですが押し切られるような形で依頼という流れになりました。解せぬ。
因みに製作交渉の結果、諸星さんや神崎さんに買ってあげた生地の値段を割り引いてもらいました。
それでも10万円以上の出費となりましたが、2人が笑顔になったならそれ以上の価値は十二分にあったと言い切れます。
「七実さん、チョコ食べます?」
「今、運転中なので遠慮しておきます」
「
現在は美城本社に戻るべく社用車を運転中なのですが、先程から隣にいる楓がちょっかいをかけてきて困っていました。
何故ここに楓がいるかというと、巫女治屋の近くにある出版社で雑誌のインタビューを受けていたらしく、帰るついでに拾ってきてほしいと昼行燈に頼まれたからです。
最近は、シンデレラ・プロジェクトに付きっきりになることも多かったですし、飲み会を開いても5人全員がそろうことも少なくなってきていますから、人一倍寂しがりやな楓は拗ねてしまったのかもしれません。
ですが、断っているのに無理やりチョコレートを口に押し込もうとする蛮行は許されざることでしょう。
別にこれくらいのことで影響が出るような運転スキルではありませんが、それでも気は散ってしまうものです。
特に今は、買ってあげた生地にはしゃぎ過ぎて車内で何に使うか色々と
諸星さんが看ていてくれているので、何かしらの変化が現れればすぐに報告してくれるとは思いますが、ただ酔っただけのようなので揺らさないように気を付ければ嘔吐の可能性は低いでしょう。
流石に社用車を吐瀉物で汚してしまうことは避けたいですからね。まあ、自分の車でも避けたいことではありですが。
「まったく‥‥」
このままちょっかいをかけ続けられても困りますから、諦めて押し込まれようとするチョコを口の中に受け入れます。
濃厚なチョコの甘みの中に、塩の粒によるしょっぱさが同時に存在しており、独特のあまじょっぱさがチョコの風味をより際立たせてくれているようです。
いわゆる、塩チョコというものですね。私はこの味があまり好きではありません。
不味いと感じるわけではないのですが、チョコとして食べるのなら塩なんか足さない普通の物の方がおいしいと思いますし、塩だって何もチョコにかけなくても魚等にかければいいのにと思ってしまうのです。
これは、あくまで私個人の味覚の問題であり、楓のように塩チョコを美味しいと感じている人を貶しているわけではありません。
しかしながら、そこそこ付き合いも長くなって互いの好みというものも凡そ把握している間柄のはずなのに、わざわざこれを選択するあたり、今回の拗ねは長くなるかもしれません。
「どうしました?」
「‥‥わざとでしょう」
「
「絶対にわざとですね」
相変わらず駄洒落の方も上手くありませんし。
口の中で溶けだしているチョコを吐き出すわけにもいきませんので、噛み砕いて飲み込みます。
「今晩は、とことん付き合いますから」
「絶対ですよ」
今夜はメンバーが壊滅状態になりそうですね。
うちの食料の備蓄は少なくなっていますが、明日分は残っていたはずですから問題ないでしょう。
明日はアイドル業や係長業務において特段急ぐものはありませんでしたから、全員が痛飲するのでしょうね。
「ええ」
「嘘ついたら、怒りますよ」
「わかってます」
「瑞樹さん達にも伝えていいですか?」
「どうぞ」
「七実さん、獺祭の磨きを奢ってください」
「お断りします」
「‥‥むぅ」
最後の最後に数万円もするお酒を奢らせようとしてくるとは、油断も隙もあったものじゃないですね。
今日は散財したばかりなので、これ以上お金を使うのは避けたいところではありますから。
というか、楓の方がCMの出演料とかで私より稼いでいるのですから奢ってもらおうとせずに自分で頼めばいいのではないでしょうか。
人の奢りで飲むお酒が美味しいのは否定しませんが、たまには自腹を切るということも大切です。
「七実さんのケチ!」
「獺祭とかお高いものを要求してくるからでしょう」
「私の獺祭が他の誰かに取られたらどうするんですか?」
「まだ誰のものでもないと思いますよ」
注文すらしていない品を自分のもののようにふるまうのはいかがなものと思いますよ。
楓の中では今晩に獺祭を飲むことが確定しているようですから、これは梃子でも動かないつもりでしょう。
「いいじゃないですか。最近、みんな忙しくてろくに集まれていないんですから」
「そうですけど」
それは私達がアイドルとして売れるようになったということの裏返しであり、一概に悪いことばかりではありません。
特に菜々なんてずっと貫いてきたウサミン星人というキャラクターが世間にも受け入れられるようになり、今度新規開発されるソーシャルゲームでウサミン星人をモチーフとしたキャラクターが作られることになったと嬉しそうに報告してきましたから。
仲間が着々と夢をかなえていく姿はとてもまぶしくて、最近黒歴史を刺激することばかり起こる私には直視できないほどでした。
これも、全てあの昼行燈の所為でしょう。
「だから‥‥ね?」
可愛らしく小首をかしげておねだりする楓の姿は、きっと異性であれば抗う気持ちすら湧き起らずに何でも言うことを聞いてしまうであろうと確信できるくらいの破壊力がありましたが、これまでの付き合いで慣れている私には効果が薄いと言わざるを得ません。
2週間に1回のペースで、こんな風におねだりされれば嫌でも慣れて、甘えん坊な娘を相手しているような気分になれます。
「‥‥割り勘、それが妥協点です」
「七実さん、大好き」
こうして最終的に甘やかしてしまう私も悪いのでしょうが、余程の理由がない限り非情になることなんてできません。
過去に私が楓に対して非情になったことは一度しかなく、それは私が離れている間にレミーマルタンのルイ13世という飲み会何回分になるかわからない値段をする最高級のコニャックを頼んでいた時のみです。
たった一口飲んだだけでわかる、今まで飲んできたものとは一線を画する複雑で豊満な味わいと繊細な花を思わせる薫り、高いアルコール度数を一切感じさせることなくシルクのように喉を滑り落ちてくるあの感覚は、確かに最高でした。
ですが、それを勝手に頼むという暴挙は私を怒らせるに十分でした。
全員飲んだので最終的には割り勘にしましたが、その後数回は楓の奢りとなり私たちの遠慮のない暴飲暴食にあわあわとしていましたね。
「席を離れている間に、頼まれたらかないませんからね」
「‥‥モウ、ソンナコトシマセンヨ?」
「せめて、もっと感情がこもった声で言いましょうか」
アイドルなのですから、もう少し演技するくらいの賢しさを発揮できないのでしょうか。
これは反省はすれど、懲りてはいないようですね。
「次やったら‥‥どうなるか、わかってますね?」
まあ、楓もそこまでおバカさんではないので同じことを繰り返すことはないでしょうが、釘を刺しておかなければならないでしょう。
少し威圧感を出した笑顔でそういうと、楓は無言でこくこくと頷きました。
ちょっと脅しすぎたかもしれませんが、これだけしておけばこの25歳児も少しは落ち着いてくれるでしょう。
ルームミラーで後部座席の様子を確認すると、ダウンしていた神崎さんは諸星さんの膝枕の上で寝息を立てていました。
その表情は苦しそうではなく、その逆で落ち着いて安心しているようなものでしたからもう大丈夫でしょう。
諸星さんもそんな神崎さんを見て、とても優しく穏やかな母親のような表情を浮かべて、その頭を撫でてあげています。
きっと将来は、いいお母さんになりそうですね。
アイドルをしている間では恋愛事は控えて欲しいところではありますが、それを無理強いしてしまうと強いストレスとなって活動にも影響が出ますから。
ばれなきゃ犯罪じゃないんですよという言葉もありますから、人目につかないようにしてくれるのなら私は何も言いません。
恋愛禁止を強制するのであれば、私の相方や隣にいる楓は真っ先に処罰の対象となりえますからね。
高山流水、信賞必罰、飴と鞭
今日の飲み会は平和に終わらないでしょうが、それもまた一興ではあります。
○
「はい。じゃあ、久しぶりの全員集合を祝してぇ‥‥乾ぱぁ~~い♪」
「「「「乾杯!」」」」
久方ぶりに5つのジョッキが打ち合わされ軽快な音を妖精社に響き渡らせます。
まあ、久方ぶりとは言っていますが、前に全員集合したのは1週間と少し前なので一般的な感覚からするとその範疇には入らないかもしれません。
ですが、私達にとってはそう感じられるのです。
「この1杯の為に、アイドルをしている感じがするわぁ‥‥」
「仕事終わりの疲れた身体に並々と注がれたビール!本当に至福の時間ですよね」
特大ジョッキに注がれていたビールを飲み乾した瑞樹と菜々が、そのようなオヤジ臭い発言をします。
お酒のために頑張るアイドルというのは、ちょっとどうかと思いますが、2人も本気で言っているわけではないのでスルーしておきましょう。
下手に突っ込みを入れるとこちらに飛び火してしまう可能性がありますから。
触らぬ神に祟りなしというように、最初からフルスロットルな酔っ払いと同じテンションを維持するのは、どれだけ飲んでも素面な私にはきついです。
「でも、本当に先週から忙しかったですね」
「そうですね。たくさんのお仕事は
基地祭にMV撮影とメンバーの中でも特に多忙を極めたちひろがそう零すと、ビールを飲み乾して直ぐに獺祭へと移った楓がお猪口片手に駄洒落で返します。
「楓の駄洒落は置いといて、ここからは暴露大会やるわよ♪」
「はい?」
そんな公開処刑的なことを望んでしようとする人間なんていないでしょう。
だとしたら、私にも勘付かせないとは恐ろしい隠蔽技術ですね。
「じゃあ、ちひろちゃん。お願いね」
「はい。これは私の知り合いが聞いた、又聞きの話なんですが‥‥
七実さんは中学生時代に高校生の不良の屯する場所に1人で赴き、全員を叩きのめしたそうです」
「ちょっと待ちましょうか。その知り合いは、飛騨さん?飛騨さんですね!?」
暴露大会とは私に過去について暴露する大会だったようですね。ならば、即刻中止確定です。
恐らくというか、情報提供者は義妹候補ちゃんに違いありませんね。
七花が何かの拍子に口を滑らせたことをメール等のやり取りを通じてちひろへと流れついたのでしょう。
確かに、黒歴史時代には私が通っていた中学の学生からカツアゲをした輩が屯する場所に単身突撃をかけて、少々荒々しくオハナシをさせてもらいましたが、もう時効でしょうに。
「「うわぁ‥‥」」
案の定、瑞樹と菜々が引いたリアクションをとります。
私は黒歴史を暴露してくれたちひろを咎めるように睨みつけますが、涼しい顔して受け流されました。
そっちがそのつもりなら私だって色々と考えがありますよ。今、ここでの局地的な勝利に喜びを噛みしめておくことですね。
人類の到達点を敵に回したことを後悔させてあげますよ。
「七実さんが強いのは知ってましたが‥‥昔からだったんですね」
「ノーコメントで」
「女番長でもやってたの?」
「ノーコメント!」
女番長なんてレベルではなく、人間讃歌を謳いたい魔王をしていたなど口が裂けても言えません。
追及するような数々の質問をノーコメントという返答で乗り切り、口を開かなくても済むように枝豆を口に放り込んで黙ります。
今の私には食事だけが癒しですから。
とりあえずで頼んでしまう枝豆ですが、あまり嫌いという人がいない普遍的な人気と冷めても美味しさが損なわれ難いという素晴らしい食べ物です。
ほのかな塩気とほくほくとした食感が、ビールのお供としてはうってつけであり、一皿で何杯でも飲めてしまいそうですね。
お代わりとして持ってこられた特大ジョッキを一気に飲み干して、持ってきた店員に間髪入れずに再びお代わりを要求します。
「どうして、私の過去を詮索しようとするんですか」
「七実の過去って色々ありそうで面白そうじゃない」
面白半分で黒歴史を再発掘されては、敵いませんよ。
確かにあの黒歴史は書物として編纂したら、出来の悪い学園物のライトノベルくらいのものになるのではないかと思いますが、あれはできることなら未来永劫封印したいものです。
もしそのような動きがあるのなら、私は悪鬼羅刹と化してでも止める所存です。
「ちひろ、これ以上語るのであれば‥‥明日以降、武内Pのお昼は私の特製弁当になると思ってくださいね」
「やめてください!それだけは、本当にやめてください!!」
「それは‥‥私もやめてほしいですね」
私が切り札を出すと、ちひろや楓といった武内Pに懸想している2人がわかりやすい反応を示してくれます。
武内Pというとても分かりやすい弱点を知られているというのに、黒歴史の暴露なんていう特大の地雷を踏むような行為をするからですよ。
どうせ、明日の朝にはメンバー全員分の弁当を作ることになるのですから、そこに1つ分の量が増えたところでかかる手間はさほど違いません。
胃袋をつかむという行為は恋愛的意味をもつと教えられたばかりではありますが、激務で食生活が乱れがちになっている後輩への差し入れという形なら、そのような誤解が生まれることはないでしょう。
『これは、コンビニ弁当ばかりになっている後輩への差し入れです。ちゃんと食べて身体を労わらないと駄目ですよ』
という言葉と一緒に渡せば、誤解を生む余地も一切ないに違いありません。
武内Pも鈍感な部分がありますから、きっと今まで渡していた弁当に対しても恋愛的な意味等の深読みすることなく素直に受け取っていたでしょう。
私もそんなつもりで渡していたわけではありませんから、それでいいですが、どうして周囲の人々は異性間でのこういった行動をすぐに恋愛的な意味に結び付けたがるのでしょうね。
異性間での友情はあり得ないと断じるタイプか、恋バナ好きでその方が面白いかという愉快犯タイプなのでしょうか。
まったく、それで誤解されて気まずくなってしまう人間の気持ちのことも考えてほしいものです。
「なら、これ以上暴露は‥‥」
「しません!もう、しませんから!それだけは!!」
必死に懇願するちひろの姿に、私の中に芽生えつつあった復讐の芽は枯れ果てました。
黒歴史を暴露されたことは精神的にダメージを受けましたが、この世の終わりみたいな顔をさせるほどのものではありませんでしたから、今回は許してあげましょう。
そんな、私の慈悲の気持ちをとあるフランスの聖職者の言葉を借りるなら。
『一瞬だけ幸福になりたいのなら、復讐しなさい。永遠に幸福になりたいなら、許しなさい』
翌朝、酔い潰れるほどに飲んだはずなのに私が武内P分の特製弁当を作らないように監視するちひろと楓の姿に、愛の力の恐ろしさの片鱗を感じることになるのですが、それはまた別の話です。
追記
いつの間にか、UAが60万越え、お気に入り5000越え、総合評価9500越えをしていました。
これら全ては拙作を読んでくださる、皆様のお蔭の他なりません。
本当にありがとうございます。