チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~ 作:被る幸
七実視点で進む為、ほぼオリジナルな話となっています。
どうも、私を見ているであろう皆様。
最近、シンデレラ・プロジェクトや係長業務で忙しかったのですが、本日は久々にアイドルとしてちひろとは別ですが営業に精を出しています。
本日の仕事は346系列の会社が出した新商品の宣伝で、そこそこの知名度が出てきているためか、小さめの会場には満員手前と判断できるくらいの人が集まっているそうです。
しかし、紹介する商品のためか客層がある分野の人たちに偏ってしまい、私の衣装も商品アピールを最大限にするため露出量も多いですし。
確かに346プロに所属するアイドルの中では今回の商品に私以上の適任者はいないでしょうが、それでも溜息をつきたくなってしまいます。
勿論、仕事として請け負った以上は真剣に一切手を抜くつもりはありませんが、久しぶりのアイドル業なのですから、もっとこう華やかな仕事を回してくれてもよかったのではないかと思わずにはいられません。
仕事としてちゃんと割り切れる私だったからよいものの、これをアイドルに大きな夢と希望をもってやってきたシンデレラ・プロジェクトの娘達だったら、裏切られたとか騙されたとか思って最初から関係に大きな亀裂が入ってしまうところでしたよ。
まあ、その辺の匙加減は把握済みで武内Pは私にこの仕事を回したのでしょうが。
いや、この裏にはきっとあの昼行灯がいるに違いありません。撮影された映像を見て笑っている昼行灯の姿が容易に浮かびます。
「渡さん、準備お願いします」
「はい、わかりました」
鏡で衣装や髪型に崩れがないかを素早く確認し、タオルを持ってスタッフの後を追いました。
露出度が普段より多いためか、すれ違うスタッフや子会社の社員の方の視線がもの凄く集まってきているような気がしますが、気のせいだと思いたいです。
一部の人は興奮して顔が赤いですが、それは色気的な意味ではないと理解しているので、嬉しさよりも虚しさの方が強く感じられます。
「‥‥キレてるな」
「ああ、凄いキレてる。ヤバイな」
スタッフ同士の密やかな話し声も耳に入りますが、無視しましょう。
此処で反応してしまったら、何と言おうと認めてしまっていることになりかねませんから。
こういった手合いは、一切動じず、自信たっぷりに前だけを見て歩いていれば気にならないものです。
私はキレてなんていませんし、そう見えるのだとするのなら一度眼科に行くか本職の人の姿を見てみることをお薦めしますよ。
そうしてスタッフの人の後に続いているとステージの上手側に到着しました。
「本日は、この仕事を請けていただき‥‥本当に、本当にありがとうございます!」
そこで待っていたのは私の姿を認めるなり深々と最敬礼をしてくる筋骨隆々の壮年男性でした。
この人が今回新商品を出した子会社の営業部長さんであり、この仕事に是非私を起用したいと熱烈なラブコールを送ってきた張本人でもあります。
「そこまで、改まらなくて結構ですよ。私こそ、仕事をさせていただく側なんですから。
こちらこそ、よろしくお願いします」
いくらうちの系列会社とはいえクライアントにばかり頭を下げさせるわけいにはいきませんから、すぐさま私も頭を下げます。
この世界ではアイドルの社会的地位は結構高いのですが、小市民的な感性しか持ち合わせていない私にはその上に胡坐をかいて威張るなんて出来ません。
それに、そういった態度をとって大成したアイドルなんていませんし、何事も謙虚で臆病者くらいが丁度良いという事でしょう。
「いやいや、そちらの今西さんから聞いていましたが、素敵な女性だ。
私は、元々アイドルなんて全く興味はなかったのですが、貴女を見て価値観が一変しました。今では貴女のファンの1人です。
これからも応援していきます、頑張ってください」
「はい、ありがとうございます」
やっぱり昼行灯が裏で手を引いていたかと心で悪態をつきながらも、精一杯の笑顔を浮かべ営業部長さんと握手を交わします。
その筋の人にしか見えない強面をデレデレに崩していたとしても、掛け替えのないファンであることは変わりませんから大切にしていきましょう。
今回は私が出ることになりましたが、ここで好感触を残しておけば今後開発される商品の発表会の仕事が私以外にも数多く回ってくるかもしれませんし。
この業界では伝というものは数多く持っておくことに越したことはありませんし、仕事先や分野が増えることで新たな可能性が生まれ、想像を超えた結果が生まれるかもしれませんから。
「今回の新商品は、我が社の一押しなんです。どうか、御力をお貸しください」
「お任せください。この渡 七実、仕事として引き受けた以上は最善を尽くします」
「頼もしい限りです」
本当は自信なんて一切ありませんが、アイドルは自分自身が商品のようなものですから、自分に自信が無いような発言はそのまま346の名を貶める事に繋がるでしょうから、下手な発言は出来ません。
全米が大注目と称される映画とアメリカでそこそこのヒットと称される映画、何の事前知識等も一切ない状態でどちらが見たいかといわれるなら断然前者が多いでしょう。
なので虚勢でもいいので張っておくことで、印象を更に良いものにしようと努めます。
「時間です。準備の程を」
「おっと、もうそんな時間ですか。では、よろしくお願いします」
「はい」
どうやら、新商品の発表会が始まるようですね。
この本番開始秒読み段階の異常なまでの緊張感は、いつまで経っても慣れることがありません。
いざ始まってしまえば開き直っていつも通りにアイドルとして振舞えるのですが、何故でしょうか。
緊張で口のなかが酸っぱくなってきた気がしますが、表情は一切変えずに、さも仕事が出来る人間オーラを漂わせます。
袖幕前のスタッフがカウントダウンで1つずつ折っていく指の動きがまるでスーパースローカメラで撮影したようにひどくゆっくりに見えました。
ゆっくり、ゆっくり、1つ、また1つと指が折られ、そして全てが折られ舞台へと促された瞬間に駆け出し、袖幕を跳ね上げるようにして舞台へと飛び出します。
最初に感じたのは室内にしては異常な熱気でした。
空調は十二分に利かせてある筈なのですが、それでもじんわりと汗ばんでしまいそうな熱気が会場に溢れていました。
次に感じたのは独特な臭いです。
男臭いというのでしょうか、汗の臭いとは微妙に違うその臭いは、今生を一応性別:女として過ごしてきた私には無縁だったその香りは、なんともいえない不思議な感じのする臭いでした。
男性の体臭や汗の香りに異常な興奮を覚える女性も世の中に入るようですが、どうやら私はそんな性癖は無いようで安心しました。
私の異常な部分は見稽古というチートスキルだけで、もうお腹いっぱいです。
素早く舞台の真ん中に移動し、改めて客席を正面から見ると圧巻でした。
「アネキッ!アネキッ!」
「七実のアネキィィィーーーッ!愛してるゥゥゥーーー!!」
筋肉、筋肉、筋肉と客席の何処を見ても鍛え上げられた筋肉達で埋め尽くされており、さながら筋肉の大地と言ったところでしょうか。
私の人類の到達点であるチートボディを前にしても勝るとも劣らない、筋肉界の精鋭を選りすぐって集めた筋肉博覧会かもしれません。
そんな視覚への暴力ともいえる光景を前にして私が心の中で叫んだのは。
『どうして、こうなった』
その一言のみです。
「お待たせしました。只今より美城スポーツの新商品発表会を開始します。
今回ご紹介する新商品は、コレ!女性でも飲みやすい美味しさと偏りがちな栄養バランスを追求し、尚且つプロテインとしての質も極限まで高めた、正にプロテイン・オブ・プロテイン『346プロテイン セブンフルーツ』です!!」
司会の進行に合わせて用意されていたテーブルの幕を取り、新商品を手に取り、軽いポージングをしながらチートボディと新商品をアピールしていきます。
このためにわざわざ用意された筋肉の線がくっきり浮かび上がる特別製フィットネススーツを着ているため、羞恥心がかなり刺激されるのですが、仕事ですから顔には一切出さずに、寧ろどうだと誇らしげな表情を作ります。
とりあえず、昼行灯は一度しばきましょう。そうしましょう。
「「「うおおぉぉぉ~~~~~!!」」」
「キレてるゥッ!キレてるゥッ!」
「ナイスカット!!ナイスバルク!!!」
筋肉の大地から湧き上がる歓声は、その質量と正比例し会場を震わさんばかりの咆哮とも呼べる轟きでした。
賞賛の声の対象は新商品ではなく、主に私のチートボディに向けられているような気がしますが、私の役目はこのプロテインを客席の人達に強く印象付ける事ですから役目は十分果たせているといえるでしょう。
だから、そこまで私の筋肉はボディビルダーみたくキレてませんし、カットも入っていません。
「さて、このセブンフルーツですが、名前の通り7種の果物を特別な配合でブレンドしており水、牛乳どちらに溶かしていただいてもだまにならず、そして美味しく飲むことが出来ます。
今回、新商品の紹介に来ていただきましたアイドル渡 七実さんに実際飲んでいただいて感想をお聞きしてみたいと思います」
舞台下手の方からプロテインを溶いたと思われる飲み物が運ばれてきました。
商品の袋をテーブルの上に戻し、運ばれた飲み物を受け取り、飲む前に客席に掲げて見せてアピールを重ねておきます。
色はミックスジュースとかに近い薄めの黄色をしており、香りも薬品のような嫌なにおいは一切せずセール販売されている安っぽいフルーツジュースに近いですね。
客席に対するアピールが終わったら、コップに口を付けます。飲みの時のように一気に飲んでしまわず、ゆっくりと喉を鳴らすように飲んでいきます。
牛乳に溶かれているためか味の方もプロテインという感じはせず、昔実家の近所の銭湯でお風呂上りに飲んだフルーツ牛乳を更に美味しくした感じでした。
「いかがでしょうか?」
飲み干したコップをテーブルの上に置くと隣で控えていた司会役の人が私にマイクを向けてきます。
さて、感想を述べなければならないのですが、ここで馬鹿正直に思ったままに言うのもアウトですが、通販番組みたいにわざとらしさが強すぎてもいけないと匙加減が難しいですね。
今この瞬間だけは、数多くの食レポをこなしてきている楓の事を尊敬します。
「もっとフルーツの味が主張してくるのかと思いましたが、程好いバランスでまとまっているのでとても美味しくて飲みやすかったですね。
脂質等も抑えられていますから、筋肉増強だけでなくダイエット食品としても使えそうです」
「はい、ありがとうございました」
ちょっとくどかったような気もしますが、初めてにしては上出来な方だと思いましょう。
今度食レポをするのならプロテインとか色物じゃなく、普通の美味しい食事がいいですね。なるべくなら、私1人ではなくちひろと一緒に。
武内Pにお願いしたら叶えてくれるでしょうか。
「では、商品の詳細についてご説明します。この商品は‥‥」
商品の説明が始まったので、私は再びプロテインの袋を持ちポージングしながらアピールを続けます。
とりあえず、今は目の前の仕事に集中するとしましょう。
今日の私のアイドル活動は、筋肉の大地から平和にお届けしています。
○
夕方、また黒歴史を重ねてしまったことに大きな溜息をつきながら、愛機達で部長業務を私の判断で裁許して良いものを処理しています。
346プロに帰ったその足で部長室に向かい、のほほんとお茶を啜りながら悪巧みをしていたであろう昼行灯にデコピンをくらわせたら気絶してしまったためです。
むしゃくしゃしてやりました。今は深く反省していますが、一切の後悔はありません。
手加減はしていたのですが、それでも威力がありすぎたみたいです。
初撃を見事に回避されてしまったので、ついむきになってしまったのもいけなかったのでしょう。
学生時代はフェンシングをしていたといっていましたし、あの見事な回避も昔取った杵柄という奴でしょうか。
その動きは見稽古させてもらいましたので、今度は回避すらさせません。
勝手に部長業務に手を出しておいて今更なのですが、誰も止めようとしないのはこの会社の危機管理体制は大丈夫なのかと不安になります。
勿論私に346プロを裏切るつもりはありませんが、それでもただのお飾り係長がアイドル部門の部長業務を処理しようとしていたら普通は誰か待ったをかけるのが普通でしょう。
なのに、断りを入れると私が処理して構わない仕事を選別して渡してくれました。
これは私に対する信頼感の表れととるべきか、それとも厄介事を押し付けられてだけなのか判断に困るところです。
そんなことを考えていると扉がノックされました。
「どうぞ」
「‥‥失礼します」
やってきたのは武内Pでした。
予想通りというか、浮かない顔をしています。
「また、ですか?」
「‥‥はい。私としては、こちらの誠意を見せ続けるしかないと思っているのですが」
「これ以上の遅れは、プロジェクト全体の進行に関わります」
「それは、重々承知しています。ですが‥‥」
現在武内Pは、瑞樹達を欠員にした分のシンデレラ・プロジェクトの補充メンバーを選定するため色々奔走しているのですが、その際たまたまであった少女にアイドルの素質を見出したそうです。
しかし、その件の少女はアイドルに興味が無いと言っており、営業用の資料はおろか名刺すら受け取ってもらえないようなのです。
私はその少女をこの目で見ていないため、どんな素質や才能を秘めた可能性かはわかりません。
武内Pのスカウトとしての目は一流ですから、きっとアイドルになればかなり高ランクまでいける逸材なのでしょう。
ですが、一応アイドル部門の係長でシンデレラ・プロジェクトのサポートを請け負ったものとして言わせて貰うのなら、そのアイドルを希望していない可能性よりも、メンバーとして確定している候補生達に時間を割いたほうが遥かに有意義だと言わざるを得ません。
2次オーディションも近々開催されますし、やる気溢れるそちらから選んだ方がいいのではないでしょうか。
「残酷な事を言うようかもしれませんが、この新規プロジェクトは武内さんだけのものではありません。
その娘をアイドルにしたいという気持ちは十分伝わりましたが、それでも夏までの大まかな進行スケジュールが決まっている以上遅延はプロジェクトに綻びを生じさせかねません。
サポート役、そしてアイドル部門の一係長として、それを見過ごすわけにはいきません。私には、その少女よりも既に決まったメンバー達のほうが大切なのです」
「‥‥はい」
私が否定的な発言をする度に武内Pの表情が苦しそうになりますが、最後まで言い切ります。
ようやく立ち直りつつある武内Pにこんな事は言いたくないのですが、それでもこれは誰かが言わなければならないことでしょう。
淡い恋心を抱いているちひろであればついつい甘やかしてしまうから無理でしょうし、昼行灯は現在医務室の方でお休み中ですし、そうなると私が言うしかないのです。
アイドルを大切にしようとするその真っ直ぐな姿勢は、人柄が全面に出ていて好ましいものではありますが、世の中すべて正道を進めば上手くいくとは限りません。
全く嫌な役が回ってきたものですね。
「それに島村さんをいつまで待機状態にしておくつもりですか?
養成所でレッスンをしているそうですが、うちほどの設備は整っていないでしょうから武内さんが迷っている間にも実力が引き離される可能性もありますよ」
「‥‥」
とうとう黙り込んでしまいました。
私も重箱の隅を突くように言われたくない事ばかりを口にしていましたから、当然の結果かもしれません。
しかし、この言葉でもっとシンデレラ・プロジェクト全体の事を気にするように意識が変わるのであれば、例え嫌われたとしても意味はあるでしょう。
だから、この言葉を無駄にするわけにはいかないので、私は甘やかしてはならない。そう思うのですが。
「‥‥」
雨の日にダンボールに詰められて飼い主に置き去りにされた子犬のような寂しそうな目をされると、その決意が揺らいでしまいそうになります。
感情で仕事をするようになってしまったら終わりです。強く、厳しく、冷静に、冷酷に判断を下せないようでは管理職なんて勤まりません。
だからお願いです。そんな目で私を見ないでください。
「‥‥2次オーディション選考決定日」
「‥‥えっ?」
「だから、2次オーディションの合格が決まるまでにその娘を口説き落としてください。後は、私が何とかしてあげますから」
武内Pは一瞬私の言った言葉が理解できなかったようですが、数秒かけて理解すると絶望的だった表情が一気に希望に満ち溢れました。
つくづく甘いとは自覚していますが、その代償は自分で払いますので勘弁してもらいましょう。
「それでは、渡さんの負担が‥‥」
「なら、その娘を今すぐ諦めますか?」
「‥‥」
世界というものは私達人間にいつも選択を迫ってきます。
どちらかを選んでしまえば、もう片方の可能性は失われてしまう。小説等であれば、そこから無数の
選ばずに、どっちとも助けるみたいなのは空想世界だからこそ尊く見えるのであり、現実世界では問題を先送りにしているだけの優柔不断さの証明です。
「‥‥申し訳ありません。よろしくお願いします」
「はい、請け負いました」
「渡さんには迷惑を掛けてばかりですね。本当にお恥ずかしい」
「気にしないでください。私が好きでやっていることですから」
深々と頭を下げた後の武内Pの瞳にはやる気に溢れた輝きが灯っていまして。
これなら大丈夫でしょう。
相手の娘がどんなに強情だったとしても、この状態になった武内Pの粘り強さと熱意はすさまじいものがありますから。
落とされた側の私が言うのですから間違いありません。
きっとちひろもこういった不器用だけど真っ直ぐ進み続ける姿とかにほれてしまったのでしょうね。
ちょっとだけ、その気持ちが分かるような気もします。
「武内P、残りの仕事は?」
「簡単な書類業務がいくつか残っていますが」
「私がやっておいてあげますから、今日はさっさと帰って口説き落とす算段でも考えていてください」
チート能力を十全に使えば選考日当日でも間に合わせる自信はありますが、こういったことは早めに処理しておきたいですし、私はさっさと島村さんに再会したいのです。
私利私欲が混じっていますが、それで業務が円滑に進むのなら許される範囲内でしょう。
「それはできません!これ以上、渡さんにご迷惑を掛けるわけには」
「いいですから。このお姉さんにお任せあれ」
「しかし!」
普通の人ならばありがとうございますとか言って、喜んで帰っていくのに武内Pは融通が利きませんね。
選別された部長業務ももうすぐ終わりますし、今から簡単な書類業務が3つや4つくらい増えたところで問題はないのですが。
「なら、今度何か美味しいものでも奢って下さい」
「‥‥ですが」
「はい、決まりです。これ以上の言葉は受け付けません」
「渡さん‥‥わかりました。重ね重ねありがとうございます」
書類のほうは後ほど持ってきますと言って武内Pは部屋から去っていきました。
入ってきたときよりも足取り軽く出て行く様子から、もう大丈夫とは思いますが一応ちひろにもフォローを頼みましょうか。
辛いときに助けられたり、優しく寄り添ってあげたりする行為は男性の心にくるものがあるそうですから、相方の恋路をささやかながら応援しましょう。
楓も武内Pに好意を抱いているようですが、こっちの方は意外に強かに距離を詰めているようですから、別に私の助けは必要ないでしょうね。
ちひろにラインをしておき、再び残りの部長業務の片付けに勤しみます。
アイドルの癖に恋愛とは何事か、といわれてしまいそうですが、アイドルだって夢を与える偶像だったとしても人間ですから誰かを好きになってしまうのは止められないでしょう。
もし、自制をかけられるのならそれは恋にまで昇華されていないだけだと思います。
まあ、今生2X年恋愛のれの字も知らずに生きてきた私が言ったところで説得力の欠片もありませんが。
「‥‥恋ですか」
私も女として生まれた身ですから、恋という物に憧れはあります。
人生経験はそれなりに積んでいますから、恋に恋するような愚かな真似はしませんが。
もういい年齢になるのですから、アイドル業と平行して身を落ち着ける事も考えるべきなのでしょうね。
大人になると柵ばかり増えてしまい自由が圧倒的に少なくなってしまう。前世の幼い頃には自分で何でもできる大人というものに強い憧れを持っていたのですが、いつからこうなってしまったのでしょうか。
ああ、年はとりたくないものです。
「‥‥おやおや、これは、これは」
部長業務を処理していると極めて興味深い書類が出てきました。
またギリギリまで私に隠しておいて驚かそうとしていたのでしょうが、今回は私の勝ちのようですね。
私の手に取った書類には、こう書かれていました。
『サンドリヨン ソロCD計画』
一矢を報いる、温和勤勉、破顔微笑
昼行灯という悪は退けられ、私はそこそこに平和です。
○
「「乾杯!」」
「えと‥‥か、乾杯?」
妖精社、ああ妖精社、妖精社 詠み人知らず
という訳で仕事終わりには、やっぱり此処。我らの憩いの隠れ家、妖精社です。
ちひろは武内Pのフォロー、瑞樹は番組出演、菜々はアニメの撮影メンバーとの飲み会で居ないので、いつものメンバーは私と楓しか集まりませんでした。
なので、本日は私達が悩んでいる時にたまたま通りかかってしまった哀れな生贄、もとい特別ゲストを招いています。
「招いておいて申し訳ありませんが、新田さんはソフトドリンクでお願いします」
「あっ、はい。わかりました、大丈夫です」
現シンデレラ・プロジェクトメンバーの中で最年長である新田 美波さんです。
両サイドを現役アイドルによって固められているためか、いつぞやの拉致されてきた菜々よりも恐縮して堅くなってしまっていました。
レッスンの後、346カフェで大学の講義の予習復習をしていたら遅くなってしまったという、全国の怠けがちな学生さんに聞かせてやりたい勤勉な学生の見本のような理由で、夕食もまだだというので連れてきました。
正直悪い事をしたなとは思っているのですが、いざとなったら私の部屋に泊めてあげますし、明日の朝になってお酒が抜けたら自慢の愛車で送ってあげますから許してもらいましょう。
ビールを飲み干し、チーズの天ぷらを一口。
揚げたての熱さの残るさくっとした衣を突き破った先にあったのは、濃厚で舌に絡み付いてくるとけたチーズ。
チーズだけでも十分なおつまみとなるのに、それを衣を付けて熱々に揚げてしまうなんて、おつまみとしてもちょっと贅沢な気がします。
微かに香る胡椒の風味が、チーズの濃厚さで舌が野暮ったくなってしまうことを防いでくれていますし、熱々のおつまみの後にキンキンに冷えたビールがベストマッチします。
「お猪口に、
「す、すみません。私、未成年ですから」
「楓‥‥次勧めたら、お酒頼ませませんからね?」
「はぁ~~い」
チーズの天ぷらに舌鼓を打っていると、楓が新田さんにお酒を勧めていました。
未成年の飲酒なんて、世の中探せばいくらでも出てくる法令違反ではありますが、私達はアイドルですから、何処に見ている目があるかもわからない以上無用なリスクは避けるに限ります。
もし見つかってしまえばアイドル活動だけでなく、新田さんは大学を退学になるかもしれませんし、
どうせ、後1年くらい我慢すれば合法的に飲めるようになるのですから、今リスクを犯す必要はありません。
「新田さんも、この酔いどれの戯言ははっきり断っていいですよ」
「よ、酔いどれ!」
「酷いです。ちゃんと介抱するから、どれだけ酔っても良い
「はいはい。楓ちゃんはいい子でちゅから、若い子にお酒なんて勧めちゃダメでちゅよ~~」
今度から激寒駄洒落娘って呼んでやりましょうか。
私達のいつもの会話のテンポになかなか付いてこれず困惑して固まってしまっている新田さんの皿にサラダ等を取り分けてあげながら、既に酔いが回りつつある楓に溜息をつきます。
「はぁ~~い、パパ」
「よし、表に出ろ」
この25歳児め。一度ならまだしも、また言いましたね。
これは私に対する明らかな宣戦布告行為と見做しても構わないでしょう。
喧嘩っ早いわけではありませんが、私にも譲れない部分というものはあります。
「渡さん、落ち着いてください!」
「命拾いしましたね、楓」
新田さんの言葉で幾分か落ち着きを取り戻した私は、運ばれてきた特大ジョッキを再び一気に飲み干して頭を冷やします。
いくら店のなかではないとはいえ、近くで騒ぎなんて起こしたら営業妨害になりかねません。
もし、それが原因でまた入店禁止令なんて出てしまったら最悪です。
ここは年上である私が我慢してあげる事にしましょう。まあ、復讐はしないとは言っていませんが。
「助かったわ、美波ちゃん。お礼にお姉さんがキスしてあげましょう」
「えっ、ええっ!?いいです!別にそんなつもりじゃ‥‥嘘、か、顔が近いぃ~~!」
「デコピン」
「はぅあっ!」
唇ではなく頬にでしたが、止めなければ本当にキスをしていたでしょう。
昼行灯にしたものよりも更に手加減をしておいたので、跡が残ったりすることは無いでしょうが、それでも床をのた打ち回るほどの痛みはあったようです。
楓の拘束から逃れた新田さんは、恥ずかしさからか顔がうっすら赤くなっており、自ら逃げ出そうともがいた所為か髪や服が少し乱れていて、その何といいますか、滲み出す色気というものを放っていました。
エロい。本人にはそうしているつもりは一切ないのでしょうが、このエロスは思春期の男子学生達には劇薬レベルですね。
いや、ある程度落ち着いてきている大学生でもこの色気にはやられるでしょう。
きっと新田さんは大学の中でも1、2を争うくらいの高嶺の花だったのかもしれません。
売り出す方面としてはグラビア撮影とかの本人の色気を存分に発揮できるものがいいでしょうから、帰ったらその方向で資料を作っておきましょうか。
「悪は滅びましたので、新田さんも気にせず食べちゃってください」
「いいんでしょうか?」
「いいんです。私が許可します」
店員さんものた打ち回る楓を無視して頼んでいたチンジャオロース等を渡してくるあたり、もう慣れ親しんだ光景ともいえるのでしょう。
新田さんはまだ楓の事を気にしているようですが、私は気にせずにチンジャオロースをご飯と一緒に口に含みます。
この外食でしか食べられない複雑な本格的中華の味に、すべてを受け止めて更なる高みへと導く白米の味。
細切りにされたピーマンやたけのこ、そして地味に面倒な調理が加えられた牛肉の食感に噛めば噛むほどに旨味があふれ出してきて最高としか言えない自分の語彙力の低さが恨めしいです。
最近はお酒ばかりになっていた気がしますが、やはり日本人は最終的には白米に帰ってくるのだと強く実感しました。
「ほら、新田さんも食べてみてください。美味しいですよ」
「あ、ありがとうございます」
きっと自らは取りづらいでしょうから、勝手ですが私が取り分けます。
ちょっと多かったような気もしますが、レッスンで日常生活以上にカロリーを消費しているでしょうから大丈夫でしょう。
一応、額を押さえたままうずくまり、私の方をちらちらと見ている25歳児の分も取り分けてあげます。
「ほら、楓も冷めますよ」
「‥‥紹興酒」
「頼んでいいですから、さっさとしなさい」
「七実さん、大好き♪」
お酒が絡むとすぐ機嫌を直すのですから、扱いやすくて楽ですね。
紹興酒を待ちわびながら、満面の笑みでチンジャオロースをちびりちびり食べている楓は流石はトップアイドルと呼ばれるだけの華やかさを漂わせていました。
中身は酒好き、駄洒落好きの25歳児なのに、外見だけはミステリアスで色気漂わせる美女だというのですから詐欺でしょう。
世界中に、この外見に騙されたファンはいったいどのくらいいるでしょうか。
「仲がいいんですね」
「まあ、ほぼ数日に一回は一緒に飲んでますからね」
「私にも、そんな相手ができるでしょうか」
烏龍茶の入ったグラスを眺めながら、新田さんはそう呟きました。
やっぱりアイドル候補生になったばかりで、将来のことが一切わからなくて不安なのでしょう。
その気持ちはわからなくもないですが、元々未来なんて不安だらけなのですから、それに囚われてしまっていては未来への明るい道は見えなくなってしまいます。
私もアイドルになったばかりで、まだ右も左もわかっていない新人ではありますが、先達として助言くらいはできます。
「できますよ」
「‥‥そうでしょうか」
「シンデレラ・プロジェクトのメンバーたちは、新田さんも含め皆良い子ですから。
きっと、貴女はこのプロジェクトで掛け替えのない絆を結ぶことができるはずです」
事実シンデレラ・プロジェクトのメンバーは、皆良い子達ですからきっと大丈夫でしょうし、それに私達が関わる以上このプロジェクトに失敗なんてありえません。
「本当ですか?」
「ええ、私が保証します」
ですから、きっとこのプロジェクトは素晴らしいものとなるでしょう。
全く根拠の無い漠然とした予感でしかありませんが、何故かそう思えて仕方ないのです。
「楽しみです」
そう言ってはにかみながら微笑んだ新田さんは、先程のような滲み出す色気は一切無く、年相応の可愛らしい笑顔でした。
武内Pが笑顔に拘る気持ちもわかるような気がします。
笑顔の持つ力というものは、目には見えませんが相手の心をあたたかく照らす太陽の光のようで、見ているだけで嬉しくなってきます。
そして、その明るい笑顔を守りたいという気持ちも芽生えてきました。
そんな今の気持ちをノーベル文学賞を受賞した英国首相の名言を少し改変して述べさせてもらうのなら。
『決して曇らせない。決して、決して、決して』
その後、2次オーディションギリギリに武内Pが件の少女を口説き落としてきて、言葉通りそのフォローに奔走する事になるのですが、それはまた別の話です。