小池メンマのラーメン日誌   作:◯岳◯

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15話 : 多由也

紫苑の経絡系の傷に関しては、怪我ではなく病気と言った方が適しているかもしれない。それは世界でも有数の医療知識を持つ綱手の腕を持ってしても、如何ともし難い難病であった。

 

チャクラを扱えないものでも、経絡系は存在する。血液と同じ、呼吸の動きに連動し、経絡系を伝って身体中のチャクラを循環させているのだ。そうして、体内の陰のチャクラと陽のチャクラのバランスを保っているのだと、秘伝書には書かれていた。

 

そのあたりはマダオ師も白も知っていた。少し経絡系に詳しいものならば、誰もが知っている知識だ。だが、経絡系を治療する方法は確立されていない。

 

他者がその者の経絡系に干渉する、ということは非常に難しいからだ。まずは経絡系を把握する必要がある。見えなければ治療もなにもできないが故に。だが、経絡系は普通、人には見えない。それこそ白眼や写輪眼などの瞳術が使えなければ見ることは困難となる。その経絡系を把握した上で常時チャクラが流れている経絡に、自分のチャクラを上乗せしなければならない。

 

それが可能か、と医療忍者に聞いてみたが、誰もが不可能だと答えた。精緻極まるチャクラコントロールが必要となる医療忍術―――他者のチャクラの流れまで考えた上で、行使が可能となる程、容易い術ではなかった。それに、紫苑のチャクラは膨大も膨大。

 

その大河の如きチャクラの流れを全て把握し、そのまた上に誰かのチャクラを載せて治療を行うなど、およそ現実的な案ではないのだ。つまり、他者からの干渉では、治療は不可能ということ。

 

ならばどうすればいいのか。結論としては、自らのチャクラを使って治す以外になかった。受継がれた仙術、巫女の血に流れる知識の中に、医療忍術に関するものもあった。

通常ならば、治療は可能だっただろう―――だが現状では、不可能だった。

 

チャクラを練ろうとしても経絡系が傷ついているため上手く練れなかったのだ。チャクラを発すると同時、傷口に塩を塗るが如き激痛が襲ってくるせいで、集中もできない。

 

激痛の中、自らの経絡系を治療する―――この方法も不可能だ。幻術を使い、紫苑のチャクラを外からコントロールしながら治療を施すという案もあった。だが、この方法も却下された。巫女の血が成せる業だろう、紫苑のチャクラは幻術によって起きる強引なチャクラ流の制動に対し、無意識で抗ってしまうのだった。

 

強引なチャクラ流の制動は不可能―――ならば、と。

一人、別の方法を考えついたものが居た。

 

「意識的な干渉は不可だけど、音ならばあるいは可能となるかもれないね。人の無意識にも干渉出来る音ならば、紫苑のチャクラの流れを整えることができるかもしれない。

 それに、多由也ちゃんの笛には苦痛を和らげる効果がある」

 

そして、治療時の必要項目、もう一つある条件として五感の刺激というものがある。

 

味覚、触覚、嗅覚―――そして視覚と聴覚。

 

舌、肌、鼻、眼、耳の全てを刺激し、かつて恒常的に働いていた五感の動きも思い出させなければならないと、秘伝書には書かれていた。

 

 

「味覚は俺、触覚は菊夜さん、嗅覚はザンゲツに香を借りて賄う。そして最重要となる視覚は――――聴覚、多由也の笛の奏でと相乗させる」

 

 

一晩考え、出た結論はそのひとつだけだった。

 

 

 

 

 

~ 多由也 ~

 

 

だからこその今、この場所を選んだ。光ヶ池。蛍が多く出る場所。ウチは夜の帳が降りた森の中の池のほとりで、ゆっくりと笛を持ち―――口に添える。

 

辺りには香の香りが漂っていた。ナルトがザンゲツから借りた、最高級の香の香りだ。隣には紫苑。着物を着崩し、その背中を菊夜さんに触れられている。

 

失敗すれば二度目はない。一度使えば、音による干渉の耐性がついてしまうかもしれない、と言っていた。経絡系の傷も徐々に広がっていると聞く。この機を逃せば後はない。そして治せなければ、あと数年で命が尽きる。紫苑は陰のチャクラに全身を犯され、死ぬだろう。

 

あまりにも残酷な現実。ウチは治療の前にそのことを聞かされたが、震えることはしない。

 

(失敗すれば、ウチも一緒に死んでやる)

 

それだけの覚悟をもって、今この場に立った。逃げることは考えすらしない。望んだ場がここにあるのに、立ち向かわない道理がない。眼が見えなくなる程の重症―――それを治すのはウチの笛しかない、ということ。

 

かつての夢を思い出してからこの時この場に立つまでの事を思い返す。

 

手を抜いた覚えはない。必死で練習を重ねてきた。これ以上ないと言える程に頑張ったことを、あの隠れ家での修行の日々と共に誓う。あとは、自分の腕が足りるかどうかだ。

 

その時、視線の端に仲間の姿が見えた。

 

メンマとマダオ師、九那実さんは紫苑の隣、サスケは兄と一緒に。白と再不斬さんは池の向こう側。みな、親指を上げていた。

 

“大丈夫だ”、とその笑みで告げてくる。

 

ウチは眼を閉じて、深呼吸をした。

 

 

 

演奏を、はじめよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ 波風キリハ ~

 

 

眼を閉じた赤髪の、元音の忍び。中忍試験の時に会ったこともある。抜け忍である、と兄に聞かされた。呪印の呪縛を自らの意志だけで振りほどいたと言っていた。そんな事が可能なのか、と私が思っていたが、成程確かにあの眼を見ればうなずけるものだ。

 

だけど、笛の音で本当に治せるのだろうか。紫苑という女の子について、一通りは聞かされた。兄のかつての知り合いそしてシン君とサイ君と一緒で7年来の友達だと聞かされた。大事な部分は隠しているようだったが、追求はしなかった。

 

本心では細部まで聞きたかったのだが、それは勘弁してくれと言われたので止めた。病状については教えれくれた。経絡系の損傷――――サクラちゃんにも確認したが、普通ならば治せない、不治の病と同じようなものらしい。

 

それを、笛の音だけで治療できるのか。疑わしい、というのが正直な感想だった。

 

幻術は五感を媒介にして、その術中に陥れることができる。代表的なものは視覚で、写輪眼の瞳術や指の動きで相手を幻の中に引きずり込むのだ。その中でも聴覚を利用した幻術は、その効果範囲もあいまって最高位と言える程に難度が高くなる。自来也のおじちゃんでも、仙人モードにならなければ使えないと言っていた。十年以上の修行が必要だろう。だから、無理なんじゃないかと、そう思っていた。

 

―――その笛の音を聞くまでは。

 

最初の一つ音は、ゆっくりと、でも寄せ付けるものが無いように、甲高く。

 

心の底が抉られるようだった。全身に鳥肌が走るのが分かった。

 

そこからもまた、ゆっくりと奏でられる旋律。夜の森の中、静寂の中で鳴り響いた笛の音は、一瞬で私の心を鷲掴みにした。音が鳴る。笛の音一つ、またひとつ。指の動きと連動し、清廉な音が光ヶ池を包み込む。別に、特別難しいことをしている訳じゃない。難解なフレーズもない。ただ単純な曲調で繰り出される音の羅列。

 

だけど、どういうことだろうか。

 

何故、こんなにも胸が締め付けられるのだろう。

 

 

「蛍が………」

 

 

周囲の草薮に潜んでいた蛍が、光を纏いながら飛翔した。

 

 

「――――――」

 

 

誰も、一言も発せない。お伽話か何かの中に紛れ込んだと錯覚しているのだろう。

 

美しい旋律を背景に、闇の中光の粒が飛び回っている。

 

僅かに見える池は、綺麗な青色に染まっていた。

 

 

―――笛の音がより一層、高くなった。

 

 

耳の奥、頭の中、心の臓に染み入るように美しく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――」

 

 

紫苑の眼が開かれる。ということは、痛みも感じているはずだ。だが、紫苑は眼を開け続ける。眼前の光景から、眼を離せないでいる。

 

「紫苑………あとは、お前次第だ」

 

「――――分かった」

 

痛みはある。だけど、それを忘れさせる程の光景が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ ウタカタ ~

 

 

着物を肌けた巫女の娘が、チャクラを練り始める。

だけど俺は、それを気にしてはいられなかった

 

音―――綺麗な音。

 

一体これは何の冗談だろうか。こんな光景があるなどと想像したこともない。

 

何より、音が――――美しすぎた。

 

素朴な旋律が、最近は思い出しもしなかった故郷を思い出させる。過去の日、目の前で死んだ師匠の顔が浮かんだ。

 

「ウタカタさん………泣いているんですか」

 

隣にいるホタルが何事かを呟いたが、聞こえなかった。胸中にあふれるのは、師匠との修行の日々。忍者として、そして人として生き方を教えられたあの日々が浮かんでは消え、胸の中に温もりを残して行く。

 

笑っていた。怒っていた。真剣に、向きあってくれた。

 

どうしてだろうか―――あれが、偽りだと思ったのは。あの笑顔を偽りのものだと思ってしまったのは。

 

『その力と共に生きろ』

 

 

声を聞いたような気がして、笑った。

 

 

「そうだな………師匠。アンタ、笑って――――逝ったよな」

 

 

拳を握り締める。裏切ったと思い込んだ過去の自分を殴ってやりたい衝動に駆られた。

だけど今は、悔いるのとはまた別に―――やれることがあると気づいた。

 

「ウタカタさん………?」

 

 

ホタルの声を背後に。

 

俺は池に近づき、懐から愛用のキセルを取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ フウ ~

 

 

 

想起したのは温もり。新しく知った、家族の。暖かい灯火。

 

気づけばアタシは、池に向かい歩き始めていた。

 

「…………」

 

池のちょうど向こう側にいる、水色の着物を羽織った男と視線が合う。

アタシと同じ人柱力で、ウタカタという男だ。

 

「…………」

 

互いに無言のまま、頷いた。それだけで、何をするつもりなのかをお互いに悟れた。

 

心に直接訴えかけてくる、この夢のような旋律のお陰だろうか。打ち合わせることもなく、言葉を交わすこともなく、互いの視線を合わすだけで理解した。不思議な感覚だった。目の前の誰も彼もと、心が通じているかのような感覚を覚える。例え錯覚だとしても、今は疑うことはしまい。アタシは目的の場所を目指して、更に歩いた。

 

「………フウちゃん?」

 

すれ違うキリハの声に振り返ることなく、アタシはそのまま池の横にある草むらの前に立つ。辺りはまだほの暗い。池の上にある森の傘によって月光が遮られているせいだろう。乱舞する光の粒達―――蛍の灯りに照らされていても、まだ闇は深かった。夜目がきくアタシ達忍びでもなければ、何も見えないほどの夜の闇の中。

 

だけど、それでも音は、鳴り響いている。

 

「――――」

 

誰かが息を飲む気配を感じた。ウタカタとやらが始めたようだ。

 

ならば、アタシも始めようか。

 

例え無窮の闇を以てしても、消すことなどできない謳うが如く。鳴り響く音は暗闇の中にあってなお、その深みを増していく。

 

ならば、と思ったのはなぜだろうか。この血塗られた七尾―――巨大な羽根をもつ、かつては“蟲の王”とも呼ばれていた尾獣。その力を今この時だけ使おうと思ったのは、何故なのだろう。夢幻の光景に、更に彩りを加えようと思ったのは何故なのだろうか。

 

明確な理由はなかった。きっと、こうした方が良いと思っただけだった。

 

 

そして今は、それだけで十分だと思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ 再不斬 ~

 

根暗野郎は何を思ったのか、池に向かいシャボン玉を吹きつけた。六尾の人柱力特有の忍術――――霧で聞いた覚えがあるそのシャボン玉は、池に入っても割れることなく、そのまま沈んでいった。

 

浮かび上がった時、そのシャボン玉は蒼すぎる程に青い池の水を内包していた。

蛍に照らされ、僅かに蒼く輝いている。

 

「――――」

 

闇の中、僅かに輝く青い光。宙に浮かぶシャボン玉、そのの中に入っている池が蛍の光に照らされているのだ。

 

壮絶に綺麗だった―――らしくないとは分かっているが、そう思ってしまう程に目の前の光景は鮮烈に過ぎた。

 

空の青よりも蒼く、水の青よりも蒼い。青の宝玉が、闇の中を駆け巡っている。

 

やがて数を増やし、群青色のシャボン玉が次々と宙に浮かんでいく。目の前に映る光景との相乗効果だろうか――――多由也の演奏も、いつもより綺麗に思えた。

 

となりに居る白に聞こうと、顔を横に向ける。

 

白は、小さくつぶやいていた。

 

 

「………蛍が?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ 白 ~

 

 

青の光に眼を奪われて、その少し後だった。ばらばらに飛び回っていた蛍が、突如その動きを変えたのは。まるで何かに操られるかのように動きを変え――――統制された動きで、シャボン玉の周りを飛び回っている。

 

その少し後、僕はあることに気づいた。

 

「音に、合わせて………?」

 

この空間を満たす音韻、その一音一音に合わせ、蛍は飛びまわっているのだ。リズムよく跳ね回る鮮やかな青の光と、流れ淀みなく連なる音の色彩が合わさる。

 

 

(母さんに、見せたかったな)

 

 

気づけば、僕は隣にいる再不斬さんの手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ うちはサスケ ~

 

幻視する。幸せな光景を幻視する。思い出すのはある光景。当たり前だった、何でもない日々。

 

朝の食卓、そして修行。

 

昼のおにぎり、そして修行。

 

夜の食卓、そして宿題。

 

任務を挟んで、家族の団欒。

 

父、うちはフガクと母、うちはミコト。

 

特別な光景ではないけど、今は昔となってしまった風景――――もう二度と取り戻せないものが、脳裏に浮かんでは消えていく。それは幻であることには違いなかった。だけど胸の中、記憶の底に確かに残っているものだった。

 

それは確かに、頭の中に残っているもの。思い出して泣ける程に、大切だったもの。

 

前を向いていられない。誰にも見られないように眼を伏せる。

 

横には、兄さんの姿が。自分と同じで、その両目の写輪眼からは静かな涙を流していた。

 

 

―――流れる音色は更に重ねられ、和音となって大気を、世界を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

~ 紅音 ~

 

背を岩に預け、シンとサイを両隣に置きながら、流れるままに涙を止めない。思い出した光景は、孤児院での日々と幼馴染達のこと。

 

網に入って数年、戦い抜いた日々中で失った、3人の親友の馬鹿面を。初めて出会ったのがいつだったか思い出せない。気づけば一緒にいて、馬鹿をやって笑い合っていた。

 

友達というよりは家族だった。志を同じくし、その半ばにして死なせてしまった者たちのことを幻視していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ ~

 

 

「――――――」

 

 

池の外、森の中の暗闇で、気配を殺していた誰かが、息を飲んだ。

 

頭上では、月が輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ 紫苑 ~

 

幻想の中、妾は自らの傷を埋める作業を始めた。傷だらけになった経絡系にチャクラを流しながら、その傷口を塞いでいく。

 

(これは………)

 

そうして、気づく。信じがたい程にチャクラの流れが整えられている。これならばいけるかもしれないと、更にチャクラの流れを強くする。

 

「――――っ」

 

ささくれだった節を、柔らかく包み整えていく。その途中、痛みを感じた。以前試した時程ではないが、その痛みによって集中力を僅かだが乱される。

 

そのせいだろう、チャクラが霧散していく。集中力が途切れたことによって、チャクラが消えてしまったのだ。同時、わらわの視界は再び闇に閉ざされた。

 

浮かんだ言葉は、嫌だということ。あの光景をもっと見たいという想い。

 

再度戻った闇の中、痛みに歪む顔を無視して歯を食いしばり、治療を再開する。再びチャクラを練り、自らの経絡系に流す。

 

当然、先程と変わらぬ痛みはあった。辛い、痛いという想いが胸の中に充満する。だけどわらわには、それ以上に負けたくないという気持ちがあった。

 

(――――だから、どうした!)

 

いつかに聞いた、想い人の言葉を反芻する。痛みも何もかも関係ない、私は自らの傷を今ここで塞いで行くのだ。痛覚が脳天に突き抜けるが、それでも耐えられない程ではない。痛みのせいか、眼からは涙が溢れてくるが、そんなことはどうでもいい

 

以前は痛みのあまり気絶してしまったが、今回はそこまででもない。今この状況ならば、意識を保ったままで治療ができる――――それが分かれば、あとはどうでも良かった。

 

(これが現時点での最善だということ。ならば、わらわが成し遂げなければならぬ)

 

本来ならば、あの薬を飲んだ時点で死んでいた筈だ。だがわらわは奇跡的に生き延びた。光を失いはしたが、大きな力にはリスクが付き物となるのは当たり前――――死なせたくないという望みを成し得た代わりに、その報いを受けたのだと納得していた。

 

しかし今、数奇な縁と運命の果て――――あと一歩進めば治せるかもしれない、という所までたどり着いていた。

 

調べた者、この場を用意したものに感謝を捧ぐ。そして眼前の光景――――聴覚を媒介にした幻術のおかげで戻った、一時だけの視覚に映った光景。

 

美しい音楽に、美しい光景――――2度と、失ってなるものかという想いを生み出させる。

 

挫けぬ心が背中を押してくれる。ならば、出来ることをやらなければいけない。皆が望み、わらわも望む最善の結末を。

 

「――――っ!」

 

チャクラを練り、流し、傷を塞いでいくに連れ、それまでは薄ぼんやりとしていた視界が、徐々に視界が鮮明になっていく。

 

その眼に映る幻想的な光景。それをまたみたいと思ったと同時、わらわはチャクラの流れを強めた。

 

同時、多由也の音色も更に美しさを増した。曲は変わらない。ただ、それまでは単音であった笛の音が、三つの違う音が重なるものになったのだ。

 

彩り豊かな音色の調べが痛みを和らげてくれる。見れば、赤髪の演奏者――――多由也も全身からチャクラを発していた。

 

目に見える程に高まったチャクラが、笛に集中していた。多由也の両目は開かれ、目の前の幻想的な光景に呼応するかのように、更に音色を冴え渡らせる。

 

鋭いのに柔らかいという矛盾――――有り得ない音色が、大気に広がり、その場にいる者全ての心を打っていた。

 

見れば、誰もが一言を発せないようだ。

 

 

『―――紫苑』

 

 

(っ、母上!?)

 

治療を続けながら、心中で叫ぶ。ほんの僅かだが聞こえた声と、幻視した姿

呆然と、呟く。今一瞬、死んだ母の姿が視界に映ったようだった。

 

「………?」

 

そこで、気づいた。

 

 

(視界が―――――)

 

 

チャクラの流れを止めて、確認する。チャクラの流れが、流麗に、滞りなく流れて行く

気づけば、両の眼からは涙が溢れていた。

 

鼻に香るは、花香の香り。嗅いでいるだけで、全身が休まるようだった。先程食べた見事なラーメンの味は、未だ舌に鮮やかに残っている。背中、むき出しになった肌には菊夜の手が添えられていた。護衛に家事に務めたその手は少し荒れていたが、それも全てわらわのため。だからこの手が何よりも好きであった。

 

始めから変わらず、耳に聞こえる―――いつまでも聞いていたいと思える程、美しい和音の奏でが心を揺さぶる。いったいどれだけの練習を重ねれば、こんな音が出せるというのだろうか。

 

そして7年ぶりに取り戻した視界に映る、この世のものとは思えない程綺麗なそれ。六尾、七尾の力を持つ二人が、打ち合わせもなく即興で生み出した奇跡ともいえる青の光の色彩の乱舞。

 

蛍が踊り、青が煌めき、粒と成って音と共に乱舞する。眼と耳で感じられるそれらは、お伽話の光景そのもの。どれもが鮮明に感じられた。チャクラを流さずとも、消えることはない。

 

 

今まで身体の中に感じていた違和感が、いつの間にか綺麗さっぱり消えていた。

 

 

「やった………」

 

わらわは振り返り、菊夜の顔を見た。

 

「紫苑様、まさか………」

 

呟き、確かめるように掌をわらわの眼前に出してくる。

 

「うん………治った」

 

わらわは笑顔で、頷き、その手を掴み、握りしめた。

 

「――――っ」

 

菊夜は両手を顔に当てながら、静かに泣き始めた。周りに迷惑をかけないよう、声を押し殺し、泣き続ける。私はその両手を掴み、下に降ろさせる。泣くのは後でいい。ただ今は、この奇跡の光景を見ながら感謝をするべきだと思ったのだ。

 

菊夜は静かに頷き、傍らに立つ。

 

 

そして――――もう一人。

 

 

「やったな、紫苑」

 

声がかけられたと同時、頭に手をおかれる。その声だけは聞こえていた。懐かしい気配を感じてはいた。だけど、この眼で見るのは7年ぶりだった。

 

「ああ―――やったぞ、メンマ」

 

鮮やかな金の髪――――湖面に負けないほど、澄んだ青色の瞳。姿形は多少変わったが、その眼に秘められた意志は7年前と変わらず、そこにあった。

 

気づけば、シンとサイも隣にいた。7年も経ったのだ。いくらか大人になり、色々な所は変わっているとは思った。

 

だけど、二人とも背は伸びてもその根にあるものは変わっていないようだった。

 

ナルト、シン、サイ、そして菊夜。

 

7年の時を越えての再会――――本当の意味での再会が、今ここに果たされたのだと知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ 多由也 ~

 

 

(まさか…………)

 

 

ウチは演奏を続けたまま、横にいる5人を見る。5人は笑い合っていた。巫女のチャクラも今は収まっている。だけど、光は取り戻せたようだ―――眼の動きでそれを確信した。

(成功か!)

 

演奏を続けながら、内心で笑う。この2年は無駄では無かったのだ。そしてあの時の選択は無駄ではなかったのだ。心の底からそう思えた瞬間だった。

 

(あと、少し――――)

 

そして演奏の方も終りに差し掛かっていた。最終楽章だ。

目の前い映る素晴らしい光景を見つめながら思う。

 

最高の舞台だったと確信する。

 

誰も彼もが泣いている。誰も彼もが笑っている。そのどれもが素の感情で、意図も含むものも無い、純粋な感情の動きだと分かる。

 

(つまりはウチの奏でた音が、人の感情を動かしたってことだ)

 

それも良い方向にだ。

 

―――人はそれを、“感動”と呼ぶ。

 

芸術を嗜む者達のとっての基本であり、最終目標とも言える。

 

(へっ、奏者冥利に尽きるってやべ、ウチも泣きそうだ)

 

まだ泣いてはいられないと、奮起する。そして、ウチは目の前の二人―――ウタカタとフウと言ったか。二人に視線をあわせ、最後に何をやりたいのかを視線だけで伝える。

 

間もなく、二人は頷きを返してくれた。

 

(どうやら伝わったかようだ………うん、こっちの術も成功したようだな)

 

今まで一度も成功しなかった、音韻術が奥義・五音――――対象の五感を鋭敏にする術に加え、対象のチャクラ流を整える術。

 

そして、今行使しているのは更にその上。

 

奏でる音に術者自らの意志を乗せ、共感させる術だ。

 

(“秘術・七音”―――初成功、だな)

 

曲の中に込めたのは、大切な人との思い出――――死んでしまった母との思い出だった。かつての光景を思い浮かべながら音色に載せ、音色とした。

 

それを聞いた皆は、各々の心の内に投影したようだった。見るに、それとは別とした思いもよらぬ効果を生み出しているようだ。でもそれも悪いものではなさそうで。

 

(なら――――終幕だ)

 

 

やがて、終曲を迎えた笛の音。音が途切れると同時、ウチは視線で合図を送った。

 

同時にシャボン玉が弾け――――池の水は優しい霧雨となって周辺へ散った。

 

残る蛍は、空へと昇っていく。

 

シャボン玉は池へ落ちて、蛍は空へ――――天上天下に散らばる蒼の雨の光の軌跡。

 

どうやら思い通り、度肝を抜けたようで、皆が呆けた表情を浮かべていた。

 

(さてさて、これにて終幕。一夜の夢も終り…………あれ?)

 

演奏が終わった途端、ウチの全身から力が抜ける。

 

 

(あー、チャクラ切れ寸前か。拙い、このままじゃあ―――)

 

倒れちまうな、と眼を閉じたすぐ後、バカの姿が見えた。

 

「………危うく死んでいたところだぞ。本当に無茶をする」

 

「バカ野郎………ここで命を張らないでどうするんだ」

 

見なくても分かる、サスケだ。このバカはウチのチャクラが少なくなっているのを察知したのだろう、倒れると思ってここまで駆けつけたのだ。

 

「………ありがとよ。それで、感想はどうだ。楽しめたか?」

 

「楽しめたというよりは、泣かされたな。色々と思い出させやがって」

 

ありがとう。サスケは照れくさそうに言った。ウチは礼に言葉を返し、そのまま抱きとめているサスケの肩に顎を置いた。

 

そして、この2年でいくらか厚くなった背中に腕を回して――――思いっきり抱きしめた

 

「多由也………?」

 

「しばらくは、このままでいてくれ………」

 

演奏の最中、思い出した母の笑顔――――演奏中は泣くまいと我慢していたが、どうやら限界のようだ。

 

「―――――」

 

初めて出会った日、別れざるを得なかった、あの日。病床の母の最後の顔を思い出してしまったウチは、声を押し殺して泣いた。

 

「………っ」

 

あの日、ウチを置いて死んでしまったあの人を思い出す。唐突な別れを信じられず、胸にぽっかりと空いた穴をどうにかしようと、無意味に笛を吹き続けたあの日。

 

ヘタクソだった笛の音。あかね色に染まった空を幻視する。

自分にも術の効果が及んでいるのだろう。妙にはっきりと思い出すことができた。

 

『音楽っていうのは色々な感情が含まれているんや。作曲をする者は無数にいて、その想いも様々。星の数程にある。せやけど演奏者は、その多くを由として受け入れて、音色の上に乗せんとあかん―――そう考えたら、あんたは音楽をするために生まれてきたのかもしれへんな』

 

笑い、言う。死んでごめん、と泣いた。

 

『すまんけど……さよならや、多由也――――できれば、その名前を誇れるような生き方を選びや』

 

そう言い残して、死んだ母。血の繋がりは無かったが、一緒に過ごした数年は今でも忘れない。大蛇丸の呪縛から抜け出せたのも、あの日々の思い出があったからだと思う。生きる方法を教えてくれた。笛を教えてくれた。

 

でも、ある日あまりに呆気無く死んでしまった。もっと色々なことを教えて欲しかったのに。どうして死んでしまったのかと、今でも思う時があるほどに、大切だった。

 

だけどもう、口に出しては言わないだろう。母は死んだ。そして今、ウチの中にその遺志は残っている。それに、後ろばかりを見るのは駄目だろう。何より、今のウチを支えてくれているこの温もりに悪いだろうから。

 

この笛と音楽を残してくれたことに感謝をしながら、溢れてくる感情に身を任せて。

 

悲しいという感情を誤魔化さず、思うがままに泣いた。

 

 

慰めるように優しく背中を叩く手が、憎らしくも心地良かった。

 

 

 

 

 


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