ペインの宣言の後。幻術は途切れ、メンマ達は元の場所へと戻っていた。
「………」
一度は今の遺言を見たであろうイタチを含めた、その場にいる全員が沈黙する。
衝撃のあまり、誰も言葉を発せない。メンマも、あまりに巨大な敵の正体を知ったせいで、頭の中が混乱の極地に達していた。
六道仙人と、十尾。考えうる限り、最悪の組み合わせ。メンマは、“実は嘘でした”と言って欲しかった。思いをこめて、イタチの方を見やる。
イタチは、黙って首を横に振った。
「嘘はない。全て本当だ」
「………まあ、そうだろうね」
メンマは冷静に判断した。今この場でイタチが自分達に対して嘘をつく理由がないし、またその必要もない。
「………マダラ死の間際、最後の力を振り絞って、俺へ向けこの遺言を飛ばした。そこで、俺は全てを知ったんだ」
特殊な術式が用いられているらしく、写輪眼を持つ者にしか理解できないようになっているらしい。送る先も写輪眼限定だろうか。
「写輪眼による特殊術式。ということはマダラが作ったのは確定となるね。カカシ君も写輪眼を使えるけど、こんな芸当ができる程使いこなせる訳じゃない。まあ、そんなことをする必要もないからね」
だから本物だろう、とマダオが首を横に振る。その手を見れば珍しく、かたかたとわずかに震えていた。
「俺がこの遺言を持っているということは、未だペインには悟られていません」
「知られれば口封じに殺されるかもしれない、か。紫苑はペインの正体については知っていたのか」
「………眼が見えぬのでな。先の幻術は妾には見えぬ。だが先の遺言の内容については、イタチから口頭で説明をうけておる」
「あ………ごめん」
失言だった、と頭を下げる。
「………謝らずともよい。それよりもペインのことじゃ」
途中で、紫苑が言葉を濁した。
「……そういえば、ペインは紫苑の現状について知っているようだったけど」
「ああ、知っておるよ。お主らと別れてから、ちょうど4年程経った時………木の葉崩しとやらが起きた時より、一年前ほど前となるか。あやつが現れたのは」
周囲に張り巡らされている結界………普通の人間や、上忍クラスの忍びでも気付けないであろう、この結界を完全に無視して、この隠れ家にやってきたという。流石は六道仙人の記憶を持っているというべきか、とメンマは舌打ちした。
「あの時は本当に驚きましたよ。遠出の買い物から帰ってきて家を見たら、見知らぬ不審人物が紫苑様の目の前にいたんですから」
菊夜が溜息をひとつ。そりゃ驚くよなあ、とメンマは頷き、思った。その状況で戦いにはならなかったのだろうかと。
「なりましたよ。2秒で気絶させられましたが」
首筋を手刀で一打ち、それで終わった。メンマは仮にも上忍レベルの相手を封殺するペインの実力に、化物じみているなと嫌な顔をした。
「手強いにも程があるだろ………あと、ペインは紫苑に対して何か言っていた?」
「盲た妾の眼に触れた後に、の。“すまない”と一言だけ言っておった」
触れた手は震えていたらしい。いったいどういう思いで紫苑を見ていたのだろうか。どういう気持で、その言葉を吐き出したのだろうか。あの巫女を巡る戦い、六道仙人にも責任の一端はある。他ならぬ仙術を遺したのは六道仙人本人なのだから。
後悔、悔恨か、あるいはそれすらも越えた何かか。娘の変わり果てた姿を見て、六道仙人の記憶を持つ彼は一体何を思ったのだろうか。“忍び滅ぶべし”の決意をさせる程に、怒り狂ったのだろうか。
「………彼の気持ち、分からないでもないかな」
マダオが呟く。キリハのことを考えたのか、はたまた失った息子の事を考えたのか。どちらを思って発した言葉なのか、メンマには分からなかったが。
「菊夜さんは、ペインと話をしたの?」
「はい。あの戦いから今にいたるまで、その経緯については説明しました。ですが貴方のことは話していません。彼がどういう行動にでるか分からなかったので。その、紫苑さまの眼に触れた後、ほんの一瞬でしたけど………尋常じゃない殺気とチャクラを感じましたから」
死を幻視しました、と菊夜さんが自分の肩を抱え、震える。上忍クラスの忍びに殺気だけで死を幻視させるか。
(いや、するだろうな)
対峙した時の事を思い出す。あの威圧感と殺気は、人間の範疇には収まりきらないのではなかろうか。
(それはまた、後回しにするか)
自分達が考えてどうこうなる問題じゃない。メンマはそう判断した。再不斬や白、あるいは自来也や綱手の力を借りなければならなくなる。詰めるのはその時でいいと。
まず聞かなければならないこととして、メンマは紫苑の容態を聞いた。紫苑のチャクラの流れは、7年前の最後に見たあの時より、ほんの少しだが和らいだように見えたからだ。
「ああ、これはペインが処置してくれたのじゃ。最も、傷ついた経絡系だけは輪廻眼でもどうしようもないので、完全には治せないと言われたがの」
「………俺も試したみたがな。経絡系そのものが酷く傷ついている。幼少期に受けた傷というのも大きい。身体の成長に伴ない、裂けた傷口が広がり続けているようだ」
経絡系に受けた傷は治癒が非常に困難で、熟練の忍びをもってしても、完治はもほぼ不可能だといわれている。
「それに加え、紫苑が本来持っている膨大なチャクラが治癒のチャクラの働きを邪魔しているんだ。薬の副作用もあって、外から入ってくるチャクラに対し過敏に反応しているのも厄介だ」
つまりは幻術も使えないということ。敵意が無いとは分かっていても、紫苑の内部で燻っているチャクラは自動的に反応する仕組みだという。抗体に似た役割………外部から干渉しようとするチャクラの力は全て排除しようと動くらしい。
「自分のチャクラを使って治すことは………無理か。ただでさえ痛むもんな」
「一度試してみたが、痛みのせいで集中力が途切れてしまう」
「………ということは、綱手様の医療忍術をもってしても、治癒は見込めないか」
もっと別の角度からのアプローチが必要になる。
「………ちょっと待てよ? いや、もしも………あれを、こうすれば」
そう言いながら、マダオは頭を悩ませている。
「まあ、痛みは幾分和らいだからの。ペインとイタチの処置が無ければ、妾は今頃は死んでいたかもしれんし………命があるだけでめっけ物じゃ」
そう言いながら、紫苑は笑顔を見せる。
「紫苑………」
笑顔にしても痛々しい。刺されるかのような胸の痛みを覚える。
「何か他に手はあるはずだ。探すから、待っていてくれ」
今ならば綱手の協力も得られる。木の葉に戻って資料を取ってくるということもできる。
「ありがとう………じゃが、妾のことは後回しで良い。それよりも今は、話すべきものがあるのではないか?」
「………いや。今日のところは一先ず終りにしよう。明日、また情報を整理してから、対策案を練らなきゃならないけど」
だから少し休んでくれ、とメンマは紫苑に向けて告げた。
紫苑は、嬉しそうに答えた。
「ふむ、久しぶりだというのに、妾の体調が分かるのか?」
「分かる。眼が見えない分、普通より疲れやすいってことは分かるよ」
それに他のことも色々と話したい。そう言うと、紫苑は分かったと笑って頷いた。その横から、先の言葉にひっかかるものを感じたのだろう。イタチはメンマの眼を見ながら、不思議そうに問いかけた。
「予想外だな。お前は、今の話を聞いても、どこかに逃げようとは思わないのか」
「逃げるって………何で?」
心底分からない。メンマが答えると、イタチは不思議そうな表情を浮かべた。
「六道仙人に十尾。お前の思っている通り、相手は間違いなく最強の存在だろう。お前なら、紫苑を助けたことや、お前の持つ事情をペインに話せば、殺されずにすむかもしれない」
「…………ひとつだけ、選ぶとして」
一本、指をたてながら、メンマはその問いに対しての回答を返した。
「うちはイタチ。あんたは弟を見捨て、自分だけ生き残る道を選べるのか」
「それは………」
イタチが言葉に詰まる。その問いの答えは否なはずだ。例え夢があるとして、自分の命が大切だとしても。今までに出会った全てを捨てて、人との繋がりを無視してまで生き延びて。だが果たして、それは本当に生きているのだと言えるのか。
「俺だって戦うのは嫌だ。できるなら殺し合いなんて御免被る。今回は特に相手が相手だし、逃げ出したくなる気持ちも、無いといえば嘘になる」
メンマは風の砲弾に肋をへし折られ、吹き飛ばされた時には死をも覚悟していた。
「死ぬのは怖いさ。めっちゃ怖いよ。だけど、ここでは退けねえ」
「何故だ?」
「思い出した、忘れていた記憶と共に蘇った気持ち………戦う理由があるからだよ」
最悪最強の敵だとして、意地を放り出してまで生き延びても、後には何も残らない。
今までであってきた人達、ほぼ全てが死に絶えると聞き、どうして逃げられるはずがあろうか。
「既に気持ちは決まっている。突拍子もない事態だけど、方針は変わらない………問題となるのは、“どう勝つか”だ」
「勝つ、だと? 本当に勝てると思っているのか。相手は古代の英雄に、世界が生み出した最強の化物だというのに」
「ああ。そいつをぶっ倒せばいいんだろ?」
「………それだけではない。相手は世界の意志を背負っている。忍びの神とも呼ばれた存在も、傍にある。いわば世界の意志そのものを敵に回すんだぞ」
「だから、そいつをぶっ倒せば全ては終わるんだろ?」
「………簡単に、言ってくれるな」
「いや、簡単じゃない。全力を尽くしても勝てるかどうか分からないから。だけど、まあ………ペインの言動には、色々と納得できない部分が多々あるし。だから俺は逃げないよ」
立ち向かい戦った上で死んでも、それは自分が選んだ道の上でのこと。最後だとしても、道外れ堕ちた底での終焉ではない。
だから、笑って死ねるだろうと、メンマは笑った。
「敵は分かった。世界ってやつだ。だけれども死にたくないのであれば、抗うしかないよな」
決定事項のように、告げる。
「とはいえ夢の旅路は途中。ここで死ぬのは嫌だから、全力を尽くそうぜみんな」
爺さんとの約束もある。マダオの想いもある。何より、木の葉には死なせたくないやつらがいる。だから戦おうとメンマは指の骨を鳴らした。これで正真正銘、最後の戦ってやつだと。
「――――返答は?」
メンマは黙り込んだサスケ達に対して聞いた。
戦うか、それとも逃げるのか。
答えは、すぐに返ってきた。
「戦うよ。当たり前だろうが」
何をいまさら、とサスケが言う。例え誰が相手でも、退くつもりはないようだ。
「ま、いつもと変わらんしの」
今までも確たる勝算があったわけでもなし。同じくどうにかすればよいのじゃ、とキューちゃんは男前な笑顔を浮かべる。
「ウチも、まだ夢の途中だからな。意地でも死んでやらねえ。逃げるのもごめんだ」
笛を握り締め、多由也。ここで死んでたまるか、と気合を入れている。
「…………」
マダオはメンマを凝視しているだけ。その顔色はいつもとは比じゃないぐらいに悪い。何か気になることがあるのだろうか、言葉を発さずメンマの様子を伺っていた。
「どうした?」
「いや………何も無いよ」
眼を閉じた後、マダオは首を横に振る。何故か口元には微笑を携えていた。
「実に我侭な、理想だ………全てをその手からこぼさないですむと、本気でそう思っているのか?」
仲間、友達、知り合い。その誰をも死なせないで、道を通せると思っているのかと聞いてくる。
まさか、とメンマは額から流れる汗を拭い、言う。
「戦いってのは、そんなに甘くない――――だけれども。だから死んでも構わないし仕方ないって、割り切れるハズもない」
相手は強い。考えるだけで怖い。それで、相手が弱くなってくれる訳でもない。
「なら、もうさ。死んでから後悔しないように、来るべき時に向けて全力で備え、最後まで抗うだけだ」
どうにかなるのではなく、どうにかする。死にたくないのであれば、そうするしかない。戦いというのは、危機に対して備えることなのだから。
「そうか………ならば、最早何もいうまい」
メンマ達の答えを聞いたイタチは、唇の端だけ、だが確かに笑みを浮かべていた。
「ん、何か可笑しいことを言ったか?」
「ああ、とてもな。だが、その信念は嫌いじゃない――――俺も、果たすべき責務を果たそうか。何か、他に聞いておきたいことはあるか?」
決意を秘めた眼差しと………その言動。メンマは少しひっかかるものを感じたが、取りあえず聞いておきたいことは聞いておいた。
「ペインの正体について、新・雨隠れの長になるまでの経緯については、何か心当たりがあるか」
「いや、ペインという名前しかしらないな。そちらは何か心当たりが?」
「エロ仙人………自来也に聞いたんだけど、あの人20年以上前に雨隠れの里の近くで、3人の弟子を取ったらしくて。そんで、そのうちの一人が輪廻眼を保持していたって言ってた」
「かなり昔の話だな………雨隠れの半蔵が表に姿を出さなくなったのが、それより少し後だったか。いや、待てよ………?」
イタチは顔を少し下に傾け、考え込む。
「………一度ペインとやりあったと聞くが、その時ヤツの顔は見たか?」
その問いに対し、メンマはああ、と頷いた。
「歳はいくつに見えた?」
「え、20代前半か、もしくは………ああ、そうか!」
ぽん、と手をたたく。
「その通りだ。年齢と容姿が合致しない………だが、五代目火影の例もあるしな。やつも容姿を自在に変えられるのかもしれないが………」
「ああ、それもそうだなあ。容姿・偽名については、俺も人のこと言えないし」
得意技・年齢不詳。影に隠れて10数年、うずまきナルトの小池メンマです、とは心の中だけの呟きで。
「かといってそうそう輪廻眼を持つ人間が現れるわけもない。エロ仙人が今、かつての弟子と輪廻眼について情報を集めているらしいからな。少し時間が経てば何か分かるかもしれないけど」
ペインが六道仙人の記憶を持つに至った理由が分かるかもしれない。メンマの言葉に、イタチは頷いた。
「組織の力は大きいな………分かった。暁のことに関して、何か聞きたいことはあるか」
「………そういえば、デイダラとサソリはペインの正体について知らなかったみたいだけど、他の面々はどうなんだ?」
「ゼツは知っているだろう。マダラ亡き後でも、未だ暁に残っているところを見ても間違いはないだろう。信念の薄い、好奇心の塊みたいなやつだからな………」
面白いものが見れるとして、ペインに付き従っている可能性は大いにあり得るらしい。
「角都と飛段については、俺も会う機会が少なくてな。話しても聞く奴らじゃないから、言ってもいない」
「小南は?」
「………誰だ、それは?」
「え、暁の紅一点、紙を使うくのいちの事だけど………」
「知らないな。聞いたこともない」
不思議そうに、イタチは首を傾げる。
「そうか………偽の情報だったか」
メンマはそこで誤魔化し、話題を次に移した。内心の焦りを悟られないように。
「水影時代から繋がりがあると思われる、干柿鬼鮫は………知っているだろうな」
「ああ。マダラの事も含め、俺が直接話した。その時に伝言を託したんだ。紫苑から、うずまきナルトについての話は聞かされていたからな」
まさかサスケまで連れてくるとは思わなかったが。イタチは苦笑を混じえ、そう言った。
「他の里には………」
「いや、何も話してはいない。そもそも抜け忍………それも一族を虐殺した俺の口から出る言葉など、どの里にも信用されないだろうからな。暁の一員だということも知れ渡っている。偽情報による内部撹乱の計略とみなされ、その場で殺される可能性が高かった故、今まで沈黙を保つしかなかった」
信頼に足る誰かに託すまでは、と思ったらしい。疑念すべきは罰せよの理屈を持つ忍びだ。迂闊な行動に出ないという言を聞き、メンマは素直に凄えと思っていた。仮にも世界を揺るがす事態を前にして、この冷静さと。伊達に独りで修羅場をくぐり抜けてきていないと、尊敬の念すら覚えいた。
「ペインから頼まれた任務………紫苑の護衛もあるしな。ここから動けずにいたが、おまえらが此処に来た。結果的に吉と出たと言える」
これも巡り合わせかもしれないが、とイタチが苦笑する。
「しかし、五影には知らせるべきか………でも、正直に話したとしてもなあ」
信じてもらえるかどうか分からないのだ。
「“死んだと思われていた、齢80を越えるうちはマダラ。実は生きていたけど、存在さえ疑われている六道仙人の記憶を持つペインという忍びが、彼を殺しました。その忍びは十尾と呼ばれる怪物を操り、世界を滅ぼそうとしています”、かあ………」
「………雷影殿あたりには一笑に付されて、それで終りだね。最も本人はペインと直に会っているので分からないけど」
そう言うと、マダオは肩を竦めた。
「俺も、雷影云々の情報については把握している。ペインが各里の忍びの死体を使って、襲撃を仕掛けたのもな。その際の死体や手引きその他、大蛇丸とダンゾウに色々と協力を要請しているようだが………知っていたか?」
「ある程度予想はしていた。きな臭い場所には必ずと言っていいほど現れる奴らだからな。でも、やっぱりその二人は繋がっているのか………悪縁の妙、ここに極まれり。こうまで絡んでくるとはな」
ダンゾウに至っては、全ての発端である“うずまきナルト暗殺計画”の一部にも手を伸ばしているはずだ。シスイを殺したと思われるあいつなら、何をしても不思議じゃない。
あるいは、九尾の妖魔の力を写輪眼で操ろうとしていたか。この期に及んでも切れないとは、実に奇妙な因縁だ。メンマにとっても、できれば全力でぶった切りたい類の縁だ。
「………ま、ダンゾウには色々と借りがあるしねえ。いつか一発ぶん殴りたい」
「同感だ。俺の方は一発だけですませる気はないけどな」
「………僕もかな。いくらなんでも、裏で色々こそこそと、やりすぎだからね」
メンマとサスケとマダオが鼻息荒く拳を握り締める。
「気持ちはわかるが、それよりもまずやるべきことがあるだろう」
「そうだろうけど………あ、そういえば兄さんは、シスイさんの死因や、殺した相手とか………何か、知っているのか?」
「………あの時も言った通り、俺はシスイさんは殺してはいない。彼はむしろ俺に協力してくれた。うちはと木の葉との和解、その案を勧めようとしていた三代目と一緒に動いていた。解決に向けて裏で動いていたのだが………ダンゾウがな」
「あいつが、殺ったと?」
「その通りだ。それが、最後の一手となった。うちはと木の葉の決別、それが確定となる決定打となってしまった」
「兄さん………」
「………過ぎたことだ。今は対処すべきコトが、別にある。マダラには言いたいことは色々とあるが………それでも、この手紙を託されたものとして。俺には今、成すべきことがある」
告げるとイタチは立ち上がり、サスケの方へ視線を向けた。
「大切な話がある」
「行ったか」
イタチの提案の後。サスケは頷き、あの兄弟は隠れ家の外へ出た。家の裏庭にある広場へ移動し、二人きりで“話”をするらしい。
「何も言わずに………良かったのか?」
見送るだけで、その場に行こうとしないメンマ達に対し、紫苑が問うた。
だがメンマは、苦笑だけを返した。
「良かった。マダオからは、何かあるかもしれないけど」
「いや………僕からは無いよ。語るべきこと、教えられることは全て、修行の中に詰め込んだから」
「そうなのか………メンマ。お主は何か一言だけ告げておったようじゃが、一体何を?」
「頑張れ。絶対に負けるな、と」
「………随分と簡潔じゃな。簡潔過ぎるような気もするが」
「その一言に色々と込めたつもりだって。全て伝わっているかは分からないけど」
「そうか………しかし、本当に行かぬでよいのか?」
「行かない。というよりは、行けないと言った方が正しいかな」
メンマの言葉に、多由也が同意した。
「そうだな。事情が事情だ。ウチらが口を出せることじゃない」
「そうなのか………?」
「そうだ。助けようったって、拒絶されると思う」
それでも多由也の顔は、不安の色を消せなく。それを見て不安になる紫苑に、メンマは言った。
「今この時にいたるまで。サスケに対して、やれるだけのことは全てやった。ならもう、あとはサスケ次第だ。今更俺達がしゃしゃり出るところじゃない」
「サスケはお主にとって、仲間………友達ではないのか?」
「仲間で、友達だと思ってる。2年、過ごしたからな。今は少し家族に近い感覚だ。だけど、なかよしこよしのべったりというわけでもない。家族にしてもそうだ。身内ヅラして、何にでも口を出すのもまた違う。それに、これはあの兄弟二人だけで決着すべき戦いだと思ってるから」
「メンマの言う通りだ。誰だって、手を貸して欲しくない………テメーの力だけで成し遂げたい戦いがある。ウチもできれば手を貸したいけど………そればっかりは、できない」
多由也が俯き、呟く。
「………だから力足らず、あの二人が死んだとしても、それはそれで仕方ないと。そう、言うのか」
「仕方ないとは思わない。だけど俺とサスケ、互いに交わした約束があるんだ。互いに守るべき意地があるしね。それを破るというのなら、逆に俺の方が殺されてしまう」
ここで横槍を入れる自分を、サスケは決して許すまい。
メンマの言葉に、多由也も頷いた。
「心配はいらないよ。あの二人がこれから何をするのか、ある程度は分かっているけど………きっと、大丈夫だから」
隠れ家での毎日を回想する。約3年間、ずっと修行に明け暮れていたサスケ。天与の才と言われるにふさわしいだけの素質を持つあいつは、しかし才能にあぐらをかかなかった。
血反吐を吐きながら自分の身体を苛め続けたのだ。もしもサスケが死んでしまったら、この3年で蓄えた切り札………いくつかは使えなくなり、六道仙人に対する術も損なわれる。だけど、それはここで手を貸しても同じことだ。
「状況が状況ならば、あの二人は戦わなくてもすんだかもしれないけど………」
「――――うちはマダラの遺言、か………思っても見なかったな」
メンマは嫌すぎる誤算だった、と懊悩たる思いに沈んでいた。小南に対してもそうだけど、マダラがまさか死んでいたとは露とも思っていなかったからだ。
「でも、マダラっておっさん………どの面下げてイタチにあの遺言を託したんだ?」
多由也が顔をしかめる。無理もない反応だった。うちは一族を滅ぼした元凶とも言える男が、一体どういうつもりなのだろうか。託されたイタチも、初めてそれを見た時は、さぞ複雑な気持ちになったことだろう。
しかし、彼は動いている。良き方向になるように、動き続けている。
「………“人の将に死なんとする、その言うや善し”、とか」
遺言は綺麗に見えるのか、とメンマは思った。忍びを滅ぼす危険性を持つ相手、その正体を知らせる遺言。こめられたメッセージは、“こいつを止めてくれ”。マダラも何か、この世界に対して手を打とうとしていた。そのメッセージと彼の真意を、不本意ながらも受け取ったからには果たさなければならないと、イタチはそう思ったのかもしれない。
「あるいは………“鳥の将に死なんとするその鳴くや哀し”?」
単純に悲痛な最後を見た故の同情か。うちはマダラ、あの最後の叫びは哀れみを呼ぶだろう。例え因果応報の果ての自業自得だったとしても。
「しかし、因果か………考えてみれば、皮肉だよな」
最初は、鬼の国での一件。あの時、巫女が命を落としたのその発端は、九尾の妖魔の死によるもの。メンマが絡んでいたことなのだ。因果の元となる自分が、あそこに現れたのは偶然か、はたまた必然か。
メンマは更に過去へと思考を巡らせた。千手柱間とうちはマダラについてもそうだ。かつて後継者の座をめぐり争った兄弟が時を越えて殺し合い、その末に滅びの引き金を引くような事態になろうとは。
命を賭けて十尾を封印した、六道仙人。その弟の志と血を受け継いだ里、その四代目が命を賭して九尾を封印し、結果滅びの引き金を引いてしまうことになった。
あの場では仕方なかったと言える。“うずまきナルト”の原型、今は居なくなった幼き少年の心は確かに砕けていたし、どうにかしなければ九尾の妖魔は復活していただろう。
それを止められるのは一人、うちはマダラだけ。その果てには無限月読か。
「あるいは………いや、もしもの話は無駄か」
兄弟で殺しあう悲劇も、奇妙なほどに繰り返されている。
六道仙人の息子である兄弟。
シンと、サイ。
サスケと、イタチ。
まるで見えない誰かが操っているかのようだ。
忍び世界において、弟の役割は兄を殺す運命にあるというのか。
「原初から連なる宿命、とでも言うのかな。優れた力を持つ瞳の一族の末裔、その最後の兄弟………」
因果は深く、業は血に刻まれている。
「だけど、それがどうした――――負けるなよ、サスケ」
隠れ家の裏。森が少し開け、広場となっている場所にイタチはいた。眼を閉じながら懐に腕を入れ、じっとサスケを待っていた。その胸の奥に刻まれているのは決意。抗おうと立ち向かう者たち………その一人、弟に最後の力を託すため、彼はそこで待っていた。
イタチがあの夜を越えてから、7年の時が過ぎていた。弟に生き延びて欲しいという願いをこめたイタチの演技。意図的につなげた、憎しみで編まれた黒い絆は、だがサスケが真実を知ったことで、いまや払拭されていた。
サスケの胸には、かつてイタチとの間に結ばれていた“兄弟”という絆を取り戻したいという、想いがある。イタチも、それのは気づいていた。できるならば応えたいという気持ちもある。
「だが、それは出来ない…………」
あるいは、状況が許せばその選択肢を選ぶことが出来たかもしれない。だけど、今この時において、イタチはその選択肢を選ぶことができない。
イタチの頬を、風が撫でる。
林を揺らす大気の鳴動。
その音と共に、サスケが現れた。
「――――来たか、サスケ」
「――――来たぜ、兄さん」
広場に到着するなり、二人は互いに言葉を交わす。そして一定の距離を取り、兄弟は対峙する。片や、腰に刀を携えた弟。その瞳に籠められた意志は強く、かつての少年時代の輝きは損なわれていない。片や、雲の衣を纏った兄。艱難辛苦の道を経て、今ここに最後の任を果たそうとしている。
「サスケ………俺の言いたいことは分かるな?」
イタチが眼を見開き、その瞳に刻まれた紋様を顕にする。
「ああ…………」
対するサスケも、眼を見開き、その瞳に刻まれた紋様を顕にする。
「あの夜の出来事………覚えているか?」
「ああ。幼かった俺には、現実味が無く………幻術の中に迷い込んでいるとしか、思えなかったけど………」
だが、それは紛れも無い現実だった。朝、起こしにくる母もいない。居間で食事を取る厳格な父の姿も無く、通りには誰もいない。一日が経ち、一週間が経ち………やがて、夢は覚めた。あの優しかった兄がみんなを殺したのだと。裏切り、全てを奪っていったのだと、悟らざるをえなかった。
だが、あの日………真実を聞かされた少し後。そして、今この時に、サスケは真実がどこにあるのか、理解した。
「………あれは、本当に仕組まれたものだったんだな」
納得するような物言いに、イタチが問いかけた。
「どうしてそう思える? 全ては嘘で、本当は俺が裏切っているのかもしれない。あの遺言も、全て仕組まれたものかもしれないと………そうは、思わないのか」
無表情のままに出された問い。それに対し、サスケは黙って首を横に振った。
「思えない」
「………何故だ」
「この隠れ家に来る途中だ。あの、再会の時――――」
サスケは思い出す。7年会わなかった、兄………その姿を。交わした視線は一瞬。けれど、サスケにはその一瞬で十分だった。
「あの時、眼を見たんだ―――――優しい、兄さんの眼だった」
「―――――っ」
思わぬサスケの言葉を聞いてイタチ。呼吸を忘れ、その動きを止める。
「今の俺の眼は、復讐に囚われていた昔とは違う。何も知らなかったあの日とも違う」
自分の眼に触れながら、サスケは思い返す。色々なものを見たこと。戦いの中、あるいは日常の中。木の葉で、雪の国で、隠れ家に訪れる四季と共に、修行の日々。
新しいことを知り、共に戦ってきた仲間と一緒に、生きてきたこと。
「俺の眼は真実を見抜けるようになった………兄さん、あんたの瞳には、憎しみはない」
―――ー悲しみしか宿っていないと
眼を閉じ、サスケは告げる。
「――――そうか」
イタチは頷き………そして、瞳から涙を流す。血の涙ではなく、透明な。濁りの一切を廃絶された、純粋な涙。だが、それが流れたのは一瞬だった。
緩まった表情は即座に引き締められ、零れ出た涙はぬぐい去られる。
あの日、あの夜と同じ光景。月の下、涙を隠そうとする兄の姿を見たサスケが、まさかと呟いた。
「サスケ………随分と成長したな。仕草からも分かる。余程良い師に巡り合えたようだ。ならば、安心して託せる。最強の敵、それを倒す可能性を秘めた、この眼を」
告げると、イタチは己の眼を指差した。
「通常の方法では、あの化物を倒せないだろう。天狐の力を借りられたとしても、倒しきれるとは言い難い………だからこそ、必要となる」
イタチの眼の紋様が変化する。通常の写輪眼から、万華鏡の模様に。
「っ、それは!」
「そうだ。これこそが、万華鏡写輪眼………開眼条件は、覚えているな? これで、真の万華鏡写輪眼を手に入れられる。木の葉の里も滅びずにすむかもしれない」
だからこそ、と。
笑いながら告げ、己の心臓に指を指し。
「サスケ。お前の手で――――」
――――俺を、殺せ。
イタチは笑いながら、サスケにそう告げた。