小池メンマのラーメン日誌   作:◯岳◯

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その4

「くっ!」

 

菊夜は辺りにただ気配と匂いを感知し、舌打ちをした。その横では、菊夜の主である紫苑が不安げな表情を浮かべていた。暗い夜、森の中だからまだ年端のいかない少女でもあるから無理もない。その上で、別の理由があった。

 

「何処へいくのじゃ。何故………」

 

「………大丈夫です。必ず、守りますから」

 

言いながら、声は優れない。菊世は想定外の事態に焦っていた。あの囮の忍びを始末するため、最も手練である忍びは近くにはいないはずと考えていたからだ。

その隙をついて逃げたが、国境を越えないうちに回り込まれてしまったのは完全な誤算だった。両腕に紫苑を抱えているため、全速では逃げられない。菊世はそれでも何とかなると思っていたのだが、見通しが甘かったことw知った。

 

包囲は徐々に完成していく。迎撃と哨戒に放った菊夜の忍犬達は、敵の忍びにいとも容易く葬られた。これが木の葉の暗部の力か、と菊夜は歯噛みしながらなおも走る。ここで捕まる訳にはいけないのだ。

 

だが、その時、菊夜の前方に影が降り立った。菊夜は目の前に接近されるまで、その影の気配を全く感知できなかった。

 

「っ、貴様が根の!」

 

「悪あがきもそこまでだ。周囲の匂いも読み取れぬわけではないだろう。もう逃げられん、諦めろ」

 

「っ………何故、貴様がここにいる。あちらの方はどうした」

 

「お前にはもう、どうでもいいことだろう。あからさまにこちらへ情報を流し、囮を使い逃げようとは随分と考えたものだが……肝心の囮があの様ではな」

 

「………死んだ、のか」

 

「逆に聞こう。生かしておく必要がどこにある」

 

「……何の話をしておる」

 

抱えられている紫苑が、二人の会話に口を挟む。

 

「知らないのか。こいつは、あのイワオとかいう忍びを囮にしたのだ」

 

「……イワオを……囮に?」

 

理解できないのだろう。紫苑は訝しげに言われたことを反芻するだけだった。

 

「……黙れ!」

 

「黙らぬさ――――動くなよ」

 

影の忍びが腕から鋼糸を繰り出す。だが腕に垂らすだけで、菊夜に向けては放たない。動けばやる、という牽制をしているのだ。菊夜は言葉を差し込むことをやめ、悔しそうに黙り込んだ。

 

「イワオは網という組織の一員でな。鬼の国内部を調査するという役割を背負っていた」

「……それは知っておる。妾の聞いておるのは囮という言葉の意味じゃ」

 

「何、簡単だ……」

 

男はそこで口笛を吹いた。その後、藪に潜んでいる者に告げる。

 

「シン。サイ。出て来い」

 

男の呼びかけに、近くの藪が動く。そして、人影が現れた。小さな人影、その影は二つ。金色と黒色の兄弟だ。

 

「真蔵、才蔵……!?」

 

どうやら気付かなかったようだな、と影の男は笑う。

 

「やはり、自分のこと以外にはその勘もにぶるのか」

 

「それは………どういうことじゃ? 真蔵、才蔵、お主達……」

 

「こいつらはイワオを見張っていたのさ。俺達の、命でな」

 

「そう………なのか? 二人とも……」

 

言葉を向けられた二人は、紫苑の訴えかけるような声に耐えきれず視線を逸らした。

 

「………囮、イワオ………お主ら、まさか!」

 

紫苑は先程の菊夜と男の会話の意味を理解したのだろう。怒鳴り声を上げ、男に詰め寄ろうとした。だがその動きは背後の菊夜に止められる。だが、声は止まらず。高ぶった感情は叫びへと変わる。

 

「イワオをどうした!?」

 

「殺した」

 

哀れみも侮蔑さえもない。男は何の感情も浮かべないまま、淡々と答えた。

 

「高いところから、岩場へたたき落としてやった。その後崖下に落ちていったが、まず、生きてはいまい。全身打撲に頭蓋骨骨折、しかもあの河の流れだ。今頃は河の底で朽ち果てている頃か」

 

「うっ、嘘だ! イワオが死ぬはずがない!」

 

紫苑は悲痛な声を上げながら、両腕を下に振った。そのまま自分の両の拳を握り締める

 

「帰ってくると言った! 死なないって言ったのじゃ! 妾と、妾達と……約束を、したのじゃ!」

 

だが男は紫苑の叫びを意に介さない。

 

「約束など関係がない。死なない人間などいない。あいつは俺がこの手で殺した。それだけが事実だ……まあ、しかしな」

 

男は菊夜を見ながら、言う。

 

「この事実、知らされておらぬとは、これまた滑稽ではないか。よりにもよって、死地に向かわせる相手を約束などとは。お主の護衛はほんとうに酷いことをするなあ」

 

「………っ」

 

そう言われた菊夜は、だがそれを否定しない。事実だからだ。網という組織の実態と力が分からない以上、下手に頼ることはできない。そう考えた菊夜は、報告に戻るというイワオを囮として、紫苑を連れ他国へ逃げようとした。

 

網に知られるというのは、この忍び達の正体が外に流れる可能性が出てくるということ。それを防ぐため、『情報を渡したフリ』をすれば、こいつらは必ずイワオを消しに来るだろうと見ていた。そのために菊夜はイワオを裏へ呼び出し、話を持ちかけた。見張りである、真蔵と才蔵の前で。二人がこいつらの見張りだということは、忍犬の報告から知っていた。知っていて、万が一の時に使えると考えて放置したのだった。

 

「菊夜………それは、真なのか?」

 

「はい、ですがこれも紫苑様を守るため。あなたを守るため、仕方がなかったのです」

 

「っ、何故じゃ! 何故知らせなかった!」

 

「紫苑さ……!?」

 

紫苑に叫ばれ、詰め寄られた菊夜。そこに、一瞬の隙が生また。影は隙間を逃さず、刹那の間隙に入り込む。男は菊夜が紫苑の方に意識を集中させた、一瞬の間に印を組む。

秒に届か術は完成し、瞬身の術は発動する。影と菊夜の距離が零となった。

 

「しまっ!?」

 

後悔の言葉も出せぬまま、菊夜は男が放った掌打で胴を打たれ、そのまま後方へと吹き飛ばされた。

 

「眠れ」

 

男の手刀が紫苑の首筋に当たる。紫苑は動くこともできないまま、気を失いその場に倒れ込んだ。

 

「くっ、紫苑様!?」

 

菊夜は叫びと共に印を組む、周辺に伏せているはずの忍犬を動かそうとする。だが、忍犬は現れなかった。

 

「まっ、まさか………今のも時間稼ぎだったのか!?」

 

悔しそうに叫ぶ菊夜。やがて、忍犬の始末を終えた残りの忍び達が現れた。

 

「さて………どうする?」

 

男は紫苑の傍にしゃがみこみながら、菊夜に問いかけた。

 

「………」

 

 

菊夜はその問いに答えられない。

 

答えなど、もう決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――夢を見た。

 

薄ぼんやりとした世界の中、少女が一人膝を抱えたまま泣いていた。目の前には女性。事切れているのか、ぴくりともしない。

 

『母上、母上!』

 

少女は事切れた女性へと、必死に呼びかける。だが動かない。呼びかけても呼びかけても、変わらない。目を閉じただ地面に横たわるだけ。娘の必死の叫びは、届かないのだ。

 

『ひっ……!』

 

そこに、黒いもやが現れた。霧のようで形のない、でも悪しきものだとは分かる。醜悪な気配を放つ黒い霧は、少女へと襲いかかった。少女は必死にそれを振り払おうとするが、黒い霧は堪えたようすがなく、やがて少女を覆い隠した。

 

その時、倒れている女性が光を発した。全身から強力な光を放ち、黒いもやを掻き消す。それが最後の力だったのだろう。生命の灯火が消える気配を感じた。命と引き換えに娘の生命を救った母親は、笑みを浮かべながら消えていった。

 

 

――――それでも、終わらなかった。

 

 

『っ!?』

 

立ち尽くす少女の足元から、今度は蔦が伸びてきた。灰色の蔦だ。先程の黒いもやは見るだけで胸がしめつけられ、辛い気持ちになるほどに邪悪だった。この蔦は臭うだけで嘔吐してしまうほど、醜悪な気配を放っていた。

 

それが少女の全身を絡めとる。しめつける。少女がうめき声を上がるが、蔦は構わず少女を束縛し続ける。

 

―――待て。

 

叫んだつもりだったが、声にならない。

 

少女のうめき声が聞こえる。

 

―――離れろ。

 

やがて蔦は少女の全身を絡めとる。見えなくなる。何もかもが灰色に覆われてしまう。聞こえるのは少女の悲鳴。

 

―――離せ。

 

手を伸ばす。手を伸ばす。だが届かない。手が消えていたからだ。もぎとられたのか。でも足がある。歩いていけば良い。

 

―――足が。

 

いつの間にかメンマの足は灰色の蔦に絡め取られていた。動かそうとするが、蔦は固くびくともしない。冷たい感触、まるで鉄のようだ。灰色で醜悪な冷たい蔦は、暴れるメンマを離さなかった。

 

――――どけ。

 

必死に走ろうとする。だけど足は宙を泳ぐだけ。前に進んではくれなかった。足を叩き、前に進もうと腕でもがき、這いずってでも前に進もうとする。少女の声がだんだん小さくなっていく。

 

―――後ろ?

 

突如、少年の悲鳴が聞こえた。振り返ると真蔵が倒れていた。明るい金髪は血で赤く染まり、地面には流れた血が溜まって、赤色の池ができていた。その傍では、手を赤に染めた黒髪の少年の姿があった。才蔵だ。だが、はっきりとは分からない。才蔵は身体には、至る所に罅割れが出来ている。そして何より、才蔵の服も髪も肌からも、色が消失していた。その両目には色が無く、流れている涙だけに色がついていた。

 

涙の色は赤。血の涙だった。

 

―――どうして。

 

喪失感が心を満たす。虚脱感に身体を支配される。もう、何もかもが終わってしまった。少し前まではあった、輝いていたあの日々はもう影すら残っていない。何故こうなってしまうのか。誰が望んでこうなったというのか。この光景を心の底から望む誰かがいたのだろうか。あるいは、悪戯好きで性悪の神様とやらが、この結末を定めたのだろうか。

 

 

―――認めない。

 

 

気がつけば、菊夜は叫んでいた。

 

 

その時、光がメンマの目の前に溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

気がつけば、天井を見上げていた。知らない天井だ。

ここ一ヶ月滞在していた商人の家でもない。あのおばちゃんのボロ家でもない。

 

『大丈夫?』

 

考えている最中、声が聞こえた。マダオだ。心配そうな声。メンマようやく頭が覚醒し始め、悟った。どうやら眠っていたようだと。だが、ここは何処だろう。そもそも自分はいつどこで寝たのだろうか、メンマは床に入る前の事が全く思い出せなかった。

 

状況が全く理解できない。このまま考えても答えが出ないだろうと、メンマはベッドから起き上がりながら二人にたずねようとする。

 

「ここは……っ!?」

 

だが、起き上がろうとしたその瞬間、腕に激痛が走った。意識の外で起きた激痛により、メンマは悶絶してしまう。

 

『……落ち着いて。自分の身体がどういう状態になっている、分かる?』

 

「……ああ」

 

マダオの声を聞いて冷静になったメンマは、改めてあたりを見回してみた。どうやら、ここは網が経営する病院のようだった。この部屋は個室のようで、自分以外には誰もいない。メンマはそれを見て、恐らくは忍者が使うという、特別病棟の中にある、特別な個室だろうと考えた。

 

(昔、親方に聞いたことがあった……ような気がする)

 

だけど、なんで自分はここで寝ているのか。首を傾げるメンマに、答える声があった。

 

『今は駄目だよ、急に動いちゃ。腕が折れてるんだから』

 

(……ああ、道理で痛いわけだ)

 

見れば腕には包帯が巻かれていた。腹にも、巻かれているようだ。しかし、腕の痛みが酷い。

 

(肋を折られたのは覚えてるけど……腕はどうしてだ。俺は確かに……って、おい!)

 

思い出したメンマは、マダオに向けて叫んだ。

 

「あれからどうした!? 今日で何日経っている!?」

 

『落ち着いて。えっと、何でここにいるかだけど……蓮華を食らったあとのことは覚えてる?』

 

「レンゲ………ああ、表・蓮華のことか」

 

木の葉流体術の一つで、蹴り上げた相手を回転させながら地面に叩きつける技。メンマは思い出し、また首を傾げた。確かあの時、自分は岩場へと落とされたはずだった。だが、その後はいったいどうしたのか。

 

いくら頑丈でも頭から岩場へと落とされれば死んでしまう。だが自分は腕を骨折しているだけで死んではいないようだし、頭も無事だ。あの時何をしたのか思い出せないメンマに、また答える声があった。

 

『………右腕で頭をかばったんだよ。岩に叩きつけられる寸前にね。それで、即死は避けられたんだけど』

 

後の言葉に続くのは、これだろう。メンマはじっと右腕を見る。見事に折れている。いや、折れているだけでなく、言葉にできない違和感を感じた。関節も傷んでいるし、余程酷い折れ方をしたようだ。痛みもひどいし、一週間やそこらでは治らないだろう。

 

(いや、しかし、あの後は……ここは何処だ。俺はあいつらから逃げられたのか)

 

『……やっぱり、地面に叩きつけられたあの後した行動を覚えてないんだ』

 

(そのようだ)

 

メンマの記憶はそこで途絶えていた。はっきりとは思い出せない。ただ、逃げなければとは思っていたのは確かだった。

 

『あの後……岩場に激突して地面に叩きつけられた後、君は斜面を転がって、崖下へと転落したんだよ』

 

(……そういえば河があったな。そういえば雨で増水していたな)

 

周囲に気を配る余裕も無かったので,気付かなかったが。確かに、あのあたりには河があった。

 

―――だが、崖下のはずだったが。

 

『……敵の方は、蓮華であたえたダメージもあったし、君はあのまま死んだと思ったんでしょ。ていうか普通、右腕で頭をかばったとしても、あの蓮華を食らった時点で即死するよ』

 

そうだろうなと思う。それほど凄い衝撃だったから。

 

『死体を確認せずに立ち去ったのは、死んだと思ったから……いや、あるいは……』

 

歯切れの悪い物言い。何か、予想していることがあるのに言いたくないみたいだと、メンマは思った。

 

『――いや、今はいいか。それより、その後は河に流されて……網の人に助けられたんだよ』

 

「それでか。その後にここに運び込まれたのか。しかし、よく溺死しなかったな」

 

『岸には自力で這い上がったんだよ。ああ、それも覚えてないのか』

 

無意識にでも生きようとしたのか。まあ二度目だというのもある。一回目は2年前のあの日、あの時、起爆札の爆発に吹き飛ばされて。

 

(……色々考えると、複雑なあれだな)

 

思い出したくもないことを思い出してしまう。

 

(それよりも、あの状況下でよく生きて帰られたもんだ)

 

正直、死んだと思った。

 

『違う。生きて“帰った”んだよ』

 

執念のたまものだとマダオが言う。珍しく深くためいきをつきながら。心配してくれたのだろうか。メンマはむず痒さを感じながらも、首を横に振った。

 

(それよりも、確かめなければならないことがある。いったいあれから何日経ったんだ。傷の回復具合と腹具合から……三日ってところか?)

 

『大体あってる。肋は何とか治ったようだね……ただ、腕はまだまだ酷い状態のまま、治っていないようだね』

 

「そうだな。今までで一番酷いといえるほどの大怪我だしな………ってちょっと待て、何日経ったと言ったよ! 三日って……まずいじゃねえか!?」

 

『まずいね。ゴロウさんもあの後どうなったか分からないし。報告書も消されただろう。だからあの人は、君が起きるのを待ってたんだけど……噂をすれば影。来たようだよ』

 

ちょうどその時、病室の入り口にある扉が開かれた。一ヶ月ぶりに見る姿だ。網の首領、地摺ザンゲツ。ザンゲツは起きているメンマを見ると、ベッドの傍まで近づいてきた。

 

「……ようやく、起きたようだな。ケガで苦しんでるとこ悪いが、鬼の国で一体何があったのか。そして、誰に襲われたのか。色々と報告してもらう」

 

「了解です」

 

詳細が分からないけど、一刻を争う事態になっているかもしれない。メンマは一応、網の組織員だ。一員として、任務に関することを優先させなければならない。

 

「実は……」

 

マダオの言うとおり、報告書はあいつらの手によって奪われたのだろう。メンマは、知っている情報の全てを、ザンゲツに話した。一仕切を話し終えると、ザンゲツはまさかと首を横に振った。何を知っているのかは知らないが、彼にとっては信じがたい話なのだろう。

 

「……馬鹿ばっかりか、鬼の国近くの小国どもは」

 

裏で五大国から手を出すなと言い含められているだろうに、と呟く。それに反応し、聞いてみた。ここまでいけば説明してもらえるだろうと思っての質問だ。余計なことを聞くなと言われる可能性もあったが、ザンゲツはメンマの問いに頷き、話を続けた。

 

「とある人物に聞いてみた。裏はとってある」

 

ただ、情報についてのソースは明かさなかった。半ば予想しているメンマは、もう少し引き出そうと、そして動いてもらおうと、カードを切った。

 

「……その事で、一つ問題が」

 

「なんだ。今の情報だけで腹いっぱいだぞ俺は」

 

ただでさえ別件のごたごたのせいで、胃が痛いのによ、とザンゲツは自分の腹をさすった。何か、精神的にくる事件でも起こったのだろうか。だがそれに構っている場合ではない。これは状況証拠にすぎないことだが、恐らくは間違っていない。たった今、絶対に告げなければならない情報があるのだ。

 

「俺は、仮面をつけた何処かの国の暗部らしき者と戦いました。そこまでは先程話した通りです」

 

手練の忍びと、一段腕が落ちる忍び。あの二人は仮面をしていた。仮面をするのは、忍者という裏の世界で更に裏の仕事を担うという、裏の裏、影の影と言われる暗部特有の習慣だ。だがあの忍びは額当てをしておらず、顔は仮面で隠されていた。見ただけならば、出自は分からなかった。だが、メンマは見たのだ。

 

「色々と腑におちない点があったのですが……俺がやりあった相手、あれのおかげで正体が分かりました」

 

「正体、だと? 小国の忍び連中じゃないのか」

 

「いいえ、違います。それならば、菊夜さんでも何とかなったはずです」

 

思えば、菊夜さんに聞かされた話も、菊夜さんが切羽詰っていたことも。どこか、違和感を感じていた。一人巫女を守り続けていたのであれば、一対多の状況でも戦えるはずだ。複数の忍犬を扱える忍びであれば、何とか逃げることだけはできる。

 

―――相手が、忍犬使いと戦ったことがない忍びであれば。あれほどまで急に、窮地へと追い詰められたその理由が分からなかった。焦っている理由が分からなかった。

答えは簡単だ。暗部は抜け忍を始末する役割も担っている。つまりは“里内部の忍びについて、熟知しておかなければならない”

 

「どういうことだ……って、お前、ちょっと待て。それはまさか」

 

さすがは網の首領といったところかと、メンマは感心した。頭の回転が速い上に、考えたくない事実まで思考を届かせることができるとは、と。

 

考えるに足る材料は揃っていた。小国ではない忍び、つまりは大国の忍び。そして忍犬使いを知っている国。証拠は他にもあった。他でもない、自分が食らった体術がそれを証明する。

 

「最初に、あの暗部の忍びが使った体術ですが……あれは木の葉流体術の一つ、『木の葉烈風』です」

 

上段の回し蹴りから、流れるように繰り出された下段の足払い。あれはたしか、木の葉烈風のはず。

 

「そして、俺が最後に受けた体術……あれも同じく木の葉流体術。体内門を開いて発動する奥義に位置する体術、『表・蓮華』です」

 

思い出しても震えがくると、メンマは自分の腕を震える掌で握りしめた。影舞葉の時点で気づけたのは僥倖だった。咄嗟に右腕を上げていなければ、あの鋼糸で絡め取られそのまま岩場へと叩きつけられていたからだ。

 

「………木の葉の体術を使ったからといって、相手が木の葉とは限らないだろうが」

 

一縷の望み、といった感じで言葉を紡ぐように小出しにしてくるが、その途中でザンゲツは頭を抱えた。話をしている内に気づいたのだろう。

 

「……ああ、くそ、そうか!」

 

立ち上がりながら今まで自分が座っていた椅子を蹴る。

 

「国境の忍びもか! ……あとは、忍犬使い!」

 

「気づかれましたか」

 

「……ああ。ちっ、気づけなかったぜ。一体どこまで手を、いつから……」

 

ザンゲツは頭を抱えた。メンマも頭を抱えたかった。よりにもよっての、一番対峙したくない相手だ。まさか今回の任務で敵になるとは、正直思ってもみなかった。

 

「………木の葉の暗部か」

 

「はい、よりにもよってです」

 

どう対処するか訪ねてみる。だが、ザンゲツは答えず、沈黙を保ち続けていた。

何か手はないか、色々と考えいているのだろう。網の首領ともなれば打てる手は少なくない。それなりの戦力も保持しているし、大商人と言われるもの達とも、深いパイプを持っている。組織力としては、大陸屈指のものを持っているのだ。

 

だが、今回は相手が悪い。相手は間違いなく、大陸で一ニを争うほどの規模と精強さを持つ、あの木の葉の暗部だ。いかな網とて、まともにぶつかれば跡形も残らない。

 

「……駄目だ、こちらから手は出せん。木の葉の暗部というなら……この件について、一度三代目火影に問いただしてみよう。この一連の想像、間違いなく爺さんの意志ではない。あの爺さんがそんなこと許すわけないからな」

 

「三代目火影の人柄について……よく、知っているのですか?」

 

とぼけながら聞いてみたメンマの問いに、ザンゲツは苦笑しながら答えた。

 

「ああ、商売が下手な爺さんだ……だが、忍びの中なら、他の誰よりも信用できる。それに何より、鬼の国の盟約に関しては、初代火影の時代から連綿と受け継がれ、未だ破られていないものだ。提案者の木の葉が、そしてあの爺さんが………破るわけ、ないからな」

「三代目火影……直接、会って問いただせるんですか」

 

その問いに対して、ザンゲツは問題ないと言った。

 

「ちょうど会う約束もしていた。そこでお前が持って帰ってきた情報を、起きている事、全部告げる。動くまで多少時間はかかるだろうが、それで解決するはずだ」

 

それが一番いい、とザンゲツは頷く。確かに、三代目火影ならば暗部を止められる。間違いなくとめてくれるだろう。一度火影の座を譲ったとはいえ、まだまだ里の者からの信望は厚いはずだ。

 

「色々と予定はあるが……お前は、取り敢えず休め。ほら、水だ」

 

「そうですね……」

 

コップを受け取る。一口水を飲み、生返事をしながらも、メンマの気は晴れなかった。間に合うのか、そんなことを考えてしまう。暗部が動いていること、それがどういった事態に繋がるか、うっすらと見えてくるから余計に焦ってしまうのだ。

 

「しかしな……」

 

不安な心を助長させるか如く、ザンゲツは小さく暗い声で呟いた。

 

「……暗い声ですね。何か、心配事でも?」

 

「ああ、ちっとな」

 

ザンゲツはぼりぼりと頭をかきながら眉間をしかめる。

 

「三代目の爺さん……最近、といってもここ数年だが。ちょっと、ごたごたがあってな。めっきり老け込んじまった」

 

何か嫌なことでも思い出したのだろうか、ザンゲツの顔はみるみるうちに不機嫌なものに変わっていく。しかし、老け込んだとはいったいなんなのだろうか。メンマは直接聞いてみた。

 

「んや、風の噂によるとな……と、そうだな。お前、九尾の妖魔って知ってるか」

 

「げふぉッ!?」

 

不意打ちで出た○禁ワードに驚いたメンマは、口に含んだ水を吐き出してしまった。

 

「大丈夫か!? 傷が………」

 

開いたんじゃないかと言うザンゲツに、メンマは大丈夫だと手を上げる。口元の水を折れていない方の腕で吹き、続きを促す。

 

「はい、名前だけならば。7、8年前に木の葉の里を襲った怪物ですよね」

 

「その関連でちいっとばかしへまをやらかしたらしくてな。いつもは弱気なところなんて欠片も見せない爺さんが、珍しく憔悴していた」

 

「………そうですか」

 

何で、自分に言うんだろうか。ザンゲツはそんなメンマの疑問に構わず、話を続けた。

 

「責任を追求されて権威を失墜……ってところまではいかないが、力は幾分か削がれたらしい」

 

きな臭い話だがな、とザンゲツは肩をすくめる。だから何で自分に言うのか。今のメンマは自由人を気取っていた。夢を目指して飛び出した放浪者で、木の葉とは繋がりもない。立場的に第一級の危険地帯なので、今のままでは寄り付けもしない。

 

(しかし、三代目火影か)

 

メンマは考えた。確かに、里の切り札である人柱力を失ったことは、里の者からの信用を損なわせる原因になるだろう。厳密にいえば三代目のせいではないのだろうが、責任の所在は間違いなく三代目にあるだろう。里の戦力である人柱力の管理は火影の役割だ。過失で失ったとなれば、その管理能力を疑う者が出てきてもおかしくはない。

 

だが、解任または次代へと変わったという事態に推移していないのは何故だろうか。その理由について考えてみて、思いあたったことがあった。責任を追求する者が少ないのだろう。考えてみれば分かることだった。

 

(ああ、そうだった。そういえば………そうだよな)

 

里の者は九尾を心底憎んでいるのだ。襲来からまだ10年も経っていないため、里に残っている傷跡は未だ深いのだろう。責任を追求しないのは、本心では良くやったと思っているか、別にいいと思っているかだ。

 

ああ、そうだな。あの時も、誰も助けに来な――

 

「――痛っ!!」

 

脳と腹の底、二箇所に刺すような痛みを感じ、メンマは腹を頭を抱えた。

 

「……大丈夫か」

 

「ええ」

 

暗い方向に思考がいったせいか。メンマは首を振り、考える方向を変えてみる。今、そのことを考えてもしかたがない。問題は、三代目の力が小さくなった件についてだ。いずれ来るだろう、大蛇丸のことは今はおいておくとして、まだ一つ問題点がある。

今回の敵のことだ。

 

(どうするか………)

 

メンマは得た情報から推測できる敵と、悪化するであろう事態。それについていくらかは推測した。これからこの情報、カードどう使うか、よく考えなければならない。ひとつ間違えば、もしかしたら木の葉内部で内乱、果ては戦争になりかねないのだ。

 

いくらなんでもそれは不味い。だとしてもどうするのが一番いいのか。うんうんとメンマが悩んでいるとき、突如誰かが部屋に入ってきた。

 

「も、申し上げます!」

 

「何だ、騒々しい!」

 

「は、失礼しました! ですが急ぎの要件で……」

 

「……何だ!」

 

「……は! 木の葉の、あのうちは一族が……何者かの手により、皆殺しにされたとのこと!」

 

一瞬だけ、時が止まる。メンマとザンゲツの息も止まった。直後、ザンゲツが勢い良く立ち上がり、叫ぶ。

 

「何だとォ!?」

 

「げふぉ!?」

 

息が戻ったかと思うと、口に含んだ水を吐き出してしまった。鼻に水が入り、咳がでる。だがそんなことは今はどうでもいい。

 

(……ああくそ、よりにもよってこのタイミングでかよ!?)

 

いつか来るとは思っていた。だがここで来るのか。予期せぬタイミングすぎて、メンマはうなだれ頭を抱える。

 

『……駄目だ。事後処理があるし、混乱を収める役割がある……三代目は動けないし、しばらくは会うこともできない』

 

『……八方ふさがりじゃの』

 

知ってはいた。時期的なものはあやふやで、中忍か上忍一人程度の力量では止められるはずもないあの事件が起こる事を、知ってはいた。うちは一族の虐殺が起こることを。今の自分には関係のないことだと思っていた。関係すれば生命は無いと思ったからだ。そのとおり、直接的に関係することは無くなったはずだった。しかし、間接的に、こんな形で絡んでくるとは。

 

(紫苑……!)

 

左腕を握り締める。三代目はあてにできない。ならばどうするか。どうすればいいのか。

「……それで、一体誰にやられた」

 

未だ半信半疑なのか、ザンゲツは流れてきた情報について、報告員に改めて問いただす。

「それが、うちはイタチとかいう木の葉の忍び………滅ぼされた、うちは一族のもので……事件後、すぐ国外に逃亡したそうです」

 

「……一族の内紛か、あるいは…いや、今はいい。それで、他の里は、特に雲はどうしてる。動いたのか」

 

「いいえ、まだ情報は流れてはいないようです」

 

「まだ、か。だかいずれ知る。その情報を得た各国がどうでるかなど、火を見るより明らかだが……それも、今はいい」

 

ザンゲツは顎に手をやり、考える。今はどう動くべきか、状況を整理しながら考えているのだろう。やがて結論が出たのか、報告員のひとにザンゲツはメンマが予想だにしていなかったことを聞いた。

 

「鬼の国の国境の忍びは。あそこの木の葉の忍びはどうしている」

 

「……は? は、はい、今確認致します」

 

「急げ」

 

聞かれた意味が分からなかったのだろう。報告員は戸惑いながらも、迅速に対応しおうと動き出した。

 

「……どこもかしこもてんやわんやだな」

 

「……そうですね」

 

頷きながら、メンマは考える。あるいは、これはチャンスなのではなかろうかと。

混乱の中に好機だり。死中に活あり。光路は必ずあるはずだ。

 

『……ちょっと待って。一体何を考えてるんだ』

 

(考えることなんて一つだ。この状況で何ができるかなんて、決まりきってることだろ)

『その後に訪れる結末も、決まりきってることだね』

 

はっきりと言われたメンマは、咄嗟に言葉を返せない。あの体たらくでは仕方がない。

自覚させられてしまうと、ぐうの音も出なくなった。

 

『ほぼ万全の状態でも勝てなかった相手に、今の状態ならば勝てるって。まさか本気で思ってるわけじゃないよね』

 

(っ………片腕でもなんとかなる。一度見たし、今度は負けない)

 

強がりの言葉、だがそれはすぐに看破された。

 

『……それが武者震いだというのなら、僕も止めないけど』

 

(………それ、は)

 

見れば、自覚もないうちに左腕は震えていた。もう一度戦う、といことを想像して、負けた時の恐怖を思い出したのだ。

 

『辛いだろうけど言うよ。覚悟が定まっていない君が、あの忍びに勝つことはない。絶対にだ』

 

(っ………覚悟ってなんだよ。人を殺す覚悟か)

 

『違う。人を守るという意味での、覚悟さ』

 

謎かけのような言葉に、メンマは苛立ちと共に疑問をぶつけた。

 

(一体、何を言っている)

 

『分からないのであれば、言っても無駄だよ』

 

(なにを………っ!)

 

『約束の重さ。それを覚えているのなら、わかず筈だ』

 

言われたメンマは小指を見た。だが、理解はできなかった。

 

『……ふん、約束を果たして、その後にあの小娘の前で死ぬのか。それはまた酷なことを思いつくな』

 

(……そういう、つもりじゃなくて)

 

『お主は最初に言っていたではないか。戦いは嫌いでは無かったのか。死にたくないのではなかったのか。だから戦いの中では夢を見たくないと、そう思い行動してきたのではないのか』

 

(……ああ。ああ、そうだよ。俺は死にたくないんだ)

 

最低限、自分が死なないための最善を尽くす。自分で精一杯で、誰かを救おうなんて思っちゃいない。夢のために強くなり、生き延びてそれを叶える。それが自分の夢だと、メンマは今でも断言することができる。

 

『そうじゃ。ならば、諦める事を知れ。仕方ないのであろう。こちらも今、お主に死なれるのは………御免こうむる』

 

(……そうだよな)

 

腕の震えが止まらない。そこでメンマは死にかけた時の事を思い出した。頭から岩に落ちそうになったことを、あの光景を思い出すと、全身が震えだした。思い出したくないと目を閉じても、あの光景が脳裏に焼き付いてしまっているため、震えは止まらなかった。

 

「席をはずす。お前はよくやったよ………今はゆっくりと休め」

 

 

ザンゲツは震えているメンマに労いの言葉をかけて、部屋を出て行った。

 

 

 

「くっ……」

 

涙が溢れてくる。どうしようもない、今の状況と、自分の弱さに。

 

メンマはそれでも仕方ないと、仕方がないんだと自分に言い聞かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間後。

 

「あら、シケた面してどうしたんだい」

 

「……おばちゃん」

 

病室に、ボロ旅館のおばちゃんがやってきた。果物片手ということは、見舞いに来たようだ。

 

「……珍しい。どうしたの、いきなり」

 

「何となくさね」

 

そう答えたおばちゃんはベッドの横の椅子に座り、リンゴの皮を向き始める。手馴れたもので、あっという間に剥かれたリンゴが皿に並ぶ。

 

「ほら、食いな」

 

「……ありがとう」

 

リンゴを手に取り、食べる。甘い味。

 

(そういえば………何時以来かな。ベッドの上で果物を食べるなんて贅沢は)

 

色々なネックがあって、大怪我をしても入院はできなかった。

 

修行、修行、修行に明け暮れた。才能があれば違ったのだろうが、現実は現実だ。例え怪我をしても、自分の素性を知る者が居ない以上は、見舞いに来る者さえ現れない。

 

メンマはふと思った。おばちゃんやザンゲツは何故現れたのか。なんかの見舞いに来たのだろうか。聞くと、頭をぽかりと叩かれた。

 

「ケガしたって聞けば心配するのは当たり前じゃないか。アンタ、アタシを何だと思ってんだい」

 

「いや……その……ごめん」

 

謝る。すると、おばちゃんは驚く。

 

「いつもの憎まれ口が出ないたあ……こりゃ余程の重症だね」

 

ああそりゃあね、とメンマはケガの状態について説明をした。

 

「そりゃ酷いね………でも、そっちじゃないよ」

 

メンマは首を傾げた。だが、何が違うのか聞いてみても答えてはくれない。メンマはしばらく寝転びながら、天井を見上続けていた。そしてふと、おばちゃんにとある事をたずねた。昔から不思議に思っていたことだ。

 

「なあ、おばちゃん。おばちゃんは何であの旅館を続けてるんだ? 正直、おばちゃん程の腕ならそこらの有名店でも十分に通用するだろうに」

 

「……ああ、そんなことかい」

 

言うと、おばちゃんは答えてくれた。

 

「そりゃああんた、あの荒くれ共に食いものを与えるためさ」

 

「与えるって……」

 

突っ込むがおばちゃんはかかかと笑うだけ。

 

「他に誰が居るんだい、あんないかにも「堅気じゃありません」な顔をしている奴らに、酒と旨いもんを振舞うっていう物好きが」

 

「……確かに。ちょっと、いないかな」

 

お断りされる店も多いとか。そういえば打ち上げや何かの時、盛大に騒げる店といえばあそこしかない。

 

「それにあいつらも旨いもん食ってりゃ暴れないだろ。男は胃袋をおさえられると弱いからねえ」

 

「ひでえ。でもまあ、確かに」

 

あの店で料理作ってるおばちゃんには、勝てる気がしない。他のヤツラもそうだろう。おばちゃんの料理は実に多彩で、中には「おふくろの味」をしたものもある。遠征工事の時には、「あの煮物が食いてえなあ」と呟くもの多数だ。

 

「それに、アタシも元は気質とはいえない身だからね。すくい上げられた恩もあるのさ。まあ、気が合うってことさね」

 

「それと……あの空間が好きだから?」

 

「まあね。むしろあいつらとアタシは同類だ。せっかく料理振舞うなら、好きなヤツら相手の方がいい。ま、腐れ縁ってのもあるけれど」

 

戦災のせいで田畑を焼かちまって、食う者に困ったもの同士の縁だ。

誇るように、懐かしむような顔をしながら、豪快に笑う。

 

「最初期に使っていたのが、あのボロ家なのさ。ああ、思い出すねえ。設立当初のクソッタレな時とか」

 

網が設立された時、人員は10人程度だったらしい。しかし誰にも料理が出きなかったとか。いざといい、名乗りあげたのがおばちゃんだった。

 

「正式な組織員が少なかったからね。実働は5人程度だったか。ま、それなりに戦い方はしっていたから、少なくとも何とかなったけど」

 

「うわ、無茶するなあ」

 

群れをなして襲ってくる山賊相手に、よくその数で戦えたものだ。生命は惜しくなかったのか、聞いてみるとまた笑われた。

 

「ハッ、無頼の輩がテメーのタマ以外に何を張るってんだい。それに、いつも後ろには人がいたからね」

 

「それは………農民か誰か?」

 

「ただのガキさ。戦災孤児ってやつさね。特に昔はひどかった。労働力にと子供を攫っていくやつらがいたのさ。今は火の国の北方あたりが怪しいらしいけど」

 

人が消える噂が流れている。十中八九大蛇丸なのだが。

 

「抗ったのは……守りたいから?」

 

「ああ。時には、人の命を奪ったりもしてね」

 

おばちゃんは再びリンゴを手に取り、皮を剥き始める。

 

「許されはしないだろう。ザンゲツのやつもそうさ。死んでいった者もいる。そんなアタシらだが、ただひとつ共通してる点がある」

 

それは、と聞くとおばちゃんは笑った。

 

「選んだ道を後悔しないことさ。死んでも殺しても、悔いはしまいと。全て背負って前に進もうと………そう、決めたのさ」

 

「助けるために?」

 

その問いに対して、おばちゃんは笑顔を返すだけ。

 

「本当に、ねえ……綺麗にに生きられたら、ねえ。それが一番だ。それ以上のモンはない。だけどそれだけじゃあ届かないものがあると気が付いた」

 

剥いたリンゴを手渡される。皮が無いので、手が汚れた。

止まらず、言葉は続いた。

 

「同じことだ。人を助けようって行為は難しい。並大抵なもんじゃない。時には汚れる覚悟がいるんさ。その覚悟無しに、綺麗事だけ並べても……誰も、救えるワケがない」

 

じっと、おばちゃんはメンマを見た。

 

「あんたが、自分の正体を隠してる理由は聞かない」

 

「………!」

 

おばちゃんの唐突な言葉に、メンマは驚く。間髪入れずに、謳うような言葉は続いた。

 

「あんたは文句を言いながらも、あの宿に泊まってくれている。料理も旨いと言う……馬鹿みたいだけど、息子のようなものだと思っている」

 

「……おばちゃん」

 

「だから、おせっかいだろうけど言っておこうか。生きるために何をしてはいけないのかっていうことを」

 

視線が真剣なそれに変わる。視線の強さが全く違う。重圧すら感じた。

 

「自分の気持に嘘をつくな、生命を惜しんで大事なものを見失うな―――その、二つだけだ」

 

「……!」

 

「それさえ守れば、あとはない。無様でもなんでもやってみな。きっと最後には笑って死ねる。そして終わりよければ全て良しさね」

 

かかか、と笑う。メンマも、いつの間にかつられて笑っていた。

 

「くく、ようやく見られる顔になったね………どうにも年寄りくさい説教になっちまったけど」

 

「――それでも。俺には必要なことだったよ。ありがとう、おばちゃん」

 

「ふん、どういたしましてさね。でも、役にたったかい?」

 

 

笑って問われた。メンマも、笑って答えた。

 

 

 

「ああ、とっても」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。メンマは全身が痛む中、取り寄せてもらった装備を確認していた。体調は未だ戻らず、万全とはとても言えない。むしろ万全の半分にも満たないだろう。

 

―――だけど。

 

「よしっと………で、そこの人?」

 

装備を確認した後、メンマは部屋の外で隠れている人物に声をかけた。

 

「……ばれてたか」

 

廊下の方、部屋の入口の横に隠れていたのはザンゲツだったようだ。観念して部屋の中へと入ってくる。まさかとは思ったがと前置いて、訊ねてくる。

 

「……本当に、行くのか」

 

「行きます。戻りますよ、あの場所に」

 

当たり前のように。ザンゲツはそこで初めて、言葉に詰まった。

 

「そうか……国境の忍び、今は一人だけだ。だが網としては手は貸せんぞ。増援も無いと思え」

 

メンマはそれを聞いて察した。今木の葉の暗部と正面切って事を構える気はない。そういうことかと。

 

「もとより承知の上ですよ。それよりも一つだけ、確認というか聞きたいことがあるんですが」

 

何だ、と言うザンゲツに、俺は聞いてみた。

 

「今回の木の葉の行動……あなたは正しいと思いますか」

 

「正しいだろうな」

 

迷う素振りも見せず、ザンゲツは即答する。

 

「巫女の血はこの上なく貴重な血継限界となるだろうな。ならば求められることは必然だ。木の葉の暗部が自国を守るため、その力を求めるって行為はどうしようもなく正しい」

 

「その結果、世界を滅ぼす化物が蘇っても?」

 

「過程の話だ。ここ数百年は現れたことがない。そんな事件も起きてない。忍びは現実主義だ。世界を滅ぼす化物とか、そんな非現実的な空想かもしれないことを信じるやつはいないだろうよ」

 

「……しかし、自国を守るため、ですか」

 

「そうだ。自分の国の人間を守るため、忍者は最善を尽くす。自国で流れる血を防ぐため、他国に血を流すことを強いる。それは決して、おかしい考えなんかじゃないぜ。守るべきものを守るためには、力が必要だ……いったい何処の誰が自分の大切なものより見知らぬ相手を気遣うんだ?」

 

「……それが正しいと?」

 

「どうだろうな。だが決して間違いってわけでも、ない。俺は色々な国に行ったことがあるが……どこも同じだ。誰も彼もが自分の正義のために戦っている。信じるべき自国の民の平穏……それこそ、お前が鬼の国で見た、子供達の日常、あの光景を保つために戦ってるんだ」

 

それを覆すために動き、死んでいった奴らも居るが。吐き捨てるように、ザンゲツは続けた。

 

「それでも必要だと言われれば否定できない。他国に侵されないため強くなりたいという想いを誰が否定できるのか………何処の誰が悪いからって話じゃあ、ないんだ」

 

守るために己を汚す覚悟。戦いの渦に落ちて行くという覚悟。殺し殺されに参加するという覚悟。ザンゲツはただ、と付け加えて言葉を続ける。

 

「……でも、その揉め事や戦に巻き込まれる、力のないモンはたまったものじゃないよなあ」

 

渦は当事者だけでなく、周囲のものを巻き込むものだ。ザンゲツは顔をしかめながらそう言った。

 

「巻き込まれて不幸になる誰かを、そうならないように……それが、アンタが網を立ち上げた理由か?」

 

「あん? ああ、よくある、立ち上げた確固たる理由ってやつか? ……そんなもんはねえよ」

 

ザンゲツは言う。ただ俺はあいつと一緒に復讐したかったんだと呟く。

 

「誰に?」

 

「一匹しかいねえだろう。空の上か地の獄に居る神様ってやつさ」

 

カカカ、とザンゲツは笑った。

 

「無責任なバカに復讐してえのさ。くそったれの神様に。あんたが助けなかったやつらを、俺が助けたぜって、『アンタはほんと無能だな』、って見下してやりたいんだ」

 

小さい男だろ、とザンゲツは自嘲した。メンマはそれを見て思う。それだけが理由というわけでもないだろうが、そういう思いも含まれているのだろうか、と。

 

若干照れている様子を見るに、他にも何か、色々と理由があるはずだ。仲間のためとか、正義のためとか。そういう、シラフでは話せない理由が。

 

「……それはまた」

 

「変か?」

 

「変だが……そういうの、嫌いじゃない」

 

色々な意味で変人だと思う。とんだ意地っ張りだとも思う。だが、その反骨心と歪みは、正直嫌いじゃない。

 

「結局、俺には何もかもを覆す力を持つ所までには至れなかった。そういう力を持っていた相棒も、それをやるつもりはないとよ。だが、ただの人間でもやれる事はある。何も出きないって訳でもねえんだ」

 

メンマはその言葉に頷き、否定しなかった。手を出せない状況を作り上げ、助けられる者を助けているザンゲツの姿を知っているからだ。

 

「一度振り上げられた力は、力でしか止められない。それが事実だ。だから、そうさせないように、そもそもそんなことが起きないように環境を――土壌を変える必要がある」

 

「だから自分の命を張って?」

 

戦災孤児を、戦災で苦しむ人達をまとめ、居場所を作るのか。そう聞くと、ザンゲツは笑って頷いた。

 

「それが見出した道だ。でも、賭ける価値はある。道がつながれば、交流は増える。互いに互いを知れば、争いは避けられる」

 

古来より、戦争が起こる原因のひとつとして上げられるのは、相互の不理解だ。それを無くすために、道をつなげて、誰かが誰かと接する機会を増やすのだ。

 

敵も多い。賊の脅威も忍びの脅威も、未だ消え去ってはいない。

 

「権力も何も持って無いんなら。張れるのはただひとつだけだぜ。そいつを惜しんじゃあ、場は動かせねえ」

 

――場に出せるカードはひとつ。自らの生命だけか。

 

「……そうなんでしょうね」

 

メンマは思う。自分は臆病だったと。殺す覚悟もなく。死ぬ覚悟も無く。ただ漫然と、力を得るために戦場にでようとしていた。

 

(今、気づけて良かった)

 

知らないままであれば、いずれは殺されていたかもしれない。

 

(何かをしたいのであればそれを理由に言い訳をしちゃいけないんだ)

 

自分の身を守るだけならば、その覚悟も要らないのかも知れない。だが、観客ではなく、自ら舞台に出ようとするならば。一度許せないものがあって、それを許さないと叫び止めるには。守りたい何かができたのならば、身体を張って血に汚れる覚悟を持たなければならない。

 

メンマは用意した封筒をザンゲツに渡した。

 

「何だ?」

 

「辞表です」

 

脱退申請の紙だ。網を巻き込む訳にはいかない。

 

「……却下だ。俺達には何もできねえが、知らんフリをするってのもねえ」

 

「しかし」

 

「揉め事になっても、何、どうにかしようじゃねえか」

 

「迷惑がかかると思いますが」

 

「……そうだな。ならひとつだけ、頼みごとがある」

 

「なんでしょう」

 

「生きて帰れたのなら、ひとつだけ。俺の頼みごとを聞いてくれや」

 

「あとが怖いですが、とりあえず了解」

 

「よし。で、だ。純粋な好奇心なんだが、お前がそこまでして巫女の娘を助けに行く理由は、いったい何だ?」

 

「―――そうですね」

 

メンマは自分の小指を見つめる。小さく、柔らかく、白い―――女の子の指。その感触が、心に刻まれている。

 

そしてもうひとつ。

 

 

 

「約束、ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、少年は駆け出した。腕を吊ったまま、痛みに顔をしかめたまま、それでも全速力で。

 

残されたザンゲツはひとり、夜空を見上げながら先程の少年の言葉を思い出し、笑った。

 

 

「生きて帰れよ――――うずまきナルト」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬼の国の地下にある牢。そこで、菊夜と紫苑は入れられていた。手足は“根”特製の捕縛用の鋼糸で縛られ、菊夜が抜けだそうといくらもがいても、びくともしない。

 

その横で、紫苑は自分の身体を抱きしめ、うつむいていた。捕まったあの日から、もう4日が経過している。約束の3日は過ぎたのだ。密かに、戻ってくるかもしれないと期待していた紫苑。だが約束の期日を過ぎても、未だ現れないイワオ。あの忍びの告げたことは正しかったのだと、そう思い込んでしまっていた。

 

「紫苑様………」

 

「………もう、よい」

 

お主だけでも逃げよ、と紫苑はいう。

 

「そんなこと、出来ません。それに………」

 

「妾のことは心配するな」

 

あの薬もある、と紫苑は懐を叩いた。これは、幾代か前の巫女が作り出した、自らの力を誰かに悪用されないためのもの。薬により体内の経絡系をこじあげ、その力を以て何もかもを消し去る、いわば最後の手段だ。

 

「しかし、母上が死んで、2年か………」

 

長かったのか短かったのか、と紫苑はおよそ少女には似つかわしくない顔で嘲る。あの日、あの夜に起きたことは当時5歳だった紫苑の脳裏に鮮烈に刻まれている。正体不明の黒い怪物。化物としか言いようの無い何かが封印の祠より飛び出したのだ。

 

母はそれの流出を防ぐため、生命を賭けて立ち向かった。最後、決死の封印術は成功したが、母の傷は深く、紫苑に「ごめんね」とだけ告げて、あの世へ旅立ってしまった。

 

「それにしても、あれはいったいなんだったのでしょうか」

 

「口伝でしか伝えられていない、忌むべき存在。妾も、その正体については知らされておらなんだ」

 

あまりに急な復活。その化物について、母は知っていたようだったが、伝えられる前に死んでしまった。

 

「『終にして始まりを司るモノ』。母上はそういっておったが……今は考えておる場合ではないな」

 

「………はい。ですが、あいつらは!」

 

母が死んだ後、その報を裏で知った周辺の小国の忍び達は、巫女を確保しようとした。それを防ぐため、菊夜も護衛を強化した。だが数が多く、一年が経過した後には、事態は深刻なものとなっていた。

 

「初めは木の葉の忍びということで安心したのですが………」

 

三代目火影の人柄は、表向きでも広く知れ渡っている。だから、力を貸してくれるという提案に、国主と菊夜は頷いた。忍びの攻勢による人的被害はひどく、国主は特に一も二もなくその提案を受けた。

 

「………ですが、まさか代わりに巫女さまの能力を求めてくるとは」

 

「国主殿も、ようも頷いたもんじゃ」

 

取引は簡単なもの。

 

『これから先も、木の葉による鬼の国への戦力提供は続ける。だが代わりに、巫女の能力が欲しい』。

 

自国の戦力に乏しい鬼の国、他国への干渉も禁じられている鬼の国には、これ以上ない提案に思えたのだろう。ただでさえ、外の国の情報が入りにくい。そんな中、随一と言われる木の葉の援助を受けられるのであれば、断る理由があろうはずがない。現在の国主は臆病で、他国に伝え聞いた戦災のひどさに、いつ自分の国がそうなるかもしれないと怯えていた。確かに、盟約はある。だが約束など、戦況次第で容易く破られるもの。

 

今までは戦略的優位性もないため、鬼の国は放置されていたが、もしもう一度忍界大戦が起きれば。そして戦争が激化すれば、その限りではない。

 

問題は、協力者が木の葉暗部というだけではなく“根”と呼ばれる集団だったこと。“根”の悪評は、菊夜にしても伝え聞く程だ。他国の血継限界を集め、時にはつぶしもしているという。

 

「秘密裏に、この力を利用されるとも限らん。その時は……」

 

懐にある薬、これを何とかして飲まなければならない。だが、確実に死んでしまうだろう。紫苑は死ぬという事実に、全身を震わせた。

 

「紫苑様……」

 

「……死ぬのは、確かに怖い。だが、今まで守り通してきた巫女の理念……妾がそれを破るわけにもいかない」

 

 

「それは困るな」

 

 

「っ、何者!?」

 

 

いつの間にか牢の入り口にいた影に対し、菊夜が叫ぶ。

 

「……聞かずともわかってるんじゃないか? まさかそんなモノがあるとはな」

 

聞けて良かったよ、と嘲るように影は言う。その声を聞き、手練の方ではないと、菊夜は悟る。威圧感が全然違うからだ。

 

「それに、今更そんな事を言い出すなんて、ね」

 

「………何が、じゃ?」

 

「いや、巫女の理念とやら。君はもう、破っただろうに」

 

イワオを巻き込んだのは一体誰だったかねえ、と影は肩をすくめる。

 

「っつ、それは………!」

 

「薬を飲む機会なんて、いくらでもあった筈だ。だが、君は飲まなかった」

 

「………っ」

 

紫苑は何も言えず黙り込んだ。

 

「随分と思いつめていたと聞くから、何か企んでいるとは思ったけど」

 

「くっ!」

 

悔しげに紫苑は歯噛みする。実はといえば、紫苑はイワオと出会ったあの日、このもの達を道連れに死ぬ気だった。囲まれる状況に誘導し、そこで薬を使い、自らの生命を以て忍び達を葬るつもりだった。

 

だが、出会った。出会ってしまった。

 

「死にたくないと思ったんだろう? ひょっとしたらと考えたのか。ま、結果はこんな風になったけど……いや、そうか」

 

そこで影は肩をすくめた。

 

「巫女の本当の能力は……ああ、そうだ! 巫女を守りたいと思うものに、巫女の死の運命を押し付けることだったね! 成程成程、そうかそうか」

 

「っ、違う!」

 

「いや、隠さなくていいよ。そうだね、巫女といっても人間だ。そう考えることも無理はないね……ま、イワオは災難だったろうけど、あの世で満足してるんじゃないか?」

 

何しろ守りたい者の代わりとして死ねたんだもの、とわらう。

 

「……違う、違う、違う!」

 

紫苑が叫ぶ。違うと叫ぶ。事実、紫苑にはまだそこまでの力は無い。まだ未熟で、巫女としての力は顕現していない。だが、イワオは死んでしまった。自らの代わりに。発動したことの無い能力、母に聞いた力。大昔、自らの力を利用しようと侵入してきた者たちを、尽く撃退したという巫女の力。有り得ない被害に、人はこういった。

 

“あの国には鬼が棲んでいる”と。

 

「……ちが、う」

 

叫びながらも、紫苑の声は小さくなっていく。本当に“発動していないのか”と聞かれ、発動していないと返すに足る証拠がどこにもなかったのだ。

 

「逃げられたらそれでよかったのに。でも、捕まってしまった。これ以上ない犬死だ」

 

滑稽すぎて涙が出てくると、影は嗤い続けた。

巫女の心を折るために。反抗心を削ぐために。

 

「まあ、死んで当然だったんじゃない? 所詮あいつは……ぐっ!?」

 

最後の言葉を告げようとした影。その横から、何かが襲いかかった。だが影も素人ではない。直撃する寸前に攻撃を防御し、そのまま横に飛ぶ

 

「――何の真似だ、お前ら」

 

先程までの軽さは微塵もない。忍びの殺意を以て、暴挙に出た者へと言葉を叩きつけた。

「答えろ、サイ、シン!」

 

「……外の者であるお前に、呼び捨てにされる筋合いはないぜ」

 

「はっ、一応俺は“根”の協力者だぜ? それに巫女の自殺を防いだんだ。こんなことをされる謂れわないと思うが」

 

「……お前と話す言葉は、ない!」

 

叫びながら、サイは術を発動させた。超獣偽画。サイが持つ、特殊な忍術である。

 

―――だが。

 

「くっ!」

 

まだ身体も未熟で、術も未熟な二人の攻撃は、中忍レベルである影に対しては通じない。全て避けられ、やがて二人は追いつめられていった。

 

「―――くそっ」

 

サイは煙玉を投げ、牢屋前の狭い廊下を煙で充満させる。

 

「………くっ、味な真似を!」

 

視界が防がれた影は、攻撃を警戒し天井へ飛び上がる。

 

そしてチャクラで吸着し、逆さになる。

 

「何処だ………?」

 

影は超獣偽画を警戒していた。あの術は攻撃の際の気配を読みにくく、万が一ということもあり得るからだ。

 

 

(仕掛けてこないな………っ、しまった!)

 

 

気づいた影が、牢屋の方を見る。

 

 

そこに、巫女と護衛の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちだ!」

 

シンを戦闘に、サイ、紫苑、菊夜は城の中を駆ける。

 

「お主達……」

 

「ほら早く、逃げるよ!」

 

気づかれれば確実に殺されるだろう。その前に、逃げなければならない。

 

「お主達、どうして………」

 

「………」

 

紫苑の問い答えず、兄弟は無言のまま紫苑達を誘導する。菊夜は紫苑を抱えながら、その後に続く。やがて、4人は城から抜け出すことに成功した。

 

全速で森の中に駆け込み、姿を隠す。やがて岩陰で4人は休み、一息ついた。

 

「待て。真蔵、才蔵……」

 

「………何も言わないで欲しい。いや、こっちから言わなきゃね」

 

そうすると、二人は頭を下げた。

 

「ごめん、君たちを騙していて」

 

「………仕方がなかった、なんて言えないけど」

 

イワオのことを言っているのだろうと紫苑は察した。瞬間、怒りがこみ上げる。だが悪いのはこの二人ではない。

 

「あいつが死んだのは、妾のせいだ。お主らが言うような事では……」

 

「………でも! 俺達のせいで、あいつは死んだ! もっと前に、勇気を出して言っていれば、あいつも………!」

 

「兄さん」

 

「っ、くそ!“根”は、木の葉は……そんな組織じゃないって、信じていたのに!」

 

人々を救うため。ダンゾウ様の手と足になる。そう聞かされていた。だが、やっていることはなんなのか。こんな少女をさらって、本当に正しいのか。シンとサイは迷っていた

 

そこで、聞いたのだ。部隊長と牢屋にいた影が交わしている話を。

 

「あいつら、紫苑のことをなんとも思っちゃいない……道具みたいに使って、術だけ引き出して……殺す気だ」

 

「やはり、そうなのですか……」

 

特殊な力はそれが希少であるほど望ましい。多ければ研究され、対抗策を練られる。

だからこそ、自らの組織だけで術の秘伝を独占するつもりなのだ。

 

「だが、見つかればお主達も殺されるぞ」

 

「それでもあのまま見過ごすなんてできないよ!」

 

シンが悲痛な叫び声を上げる。サイも、頷いた。

 

「このまま逃げよう。国境を越えて、網とかいう組織の本部へ行けば……!」

 

 

きっと、なんとかなる。

 

―――そう、続けようとした時だった。

 

 

「―――行かせると思うのか?」

 

 

冷たい、声が鳴り響く。そこから先は、刹那。

僅か数秒で、状況は一転した。

 

「ぐっ!?」

 

「うあっ!?」

 

背後から忍び寄って、一撃。それだけで、二人は戦力を削がれた。

骨の折れる音が夜の森に響く。

 

「……っ、あっ」

 

「い、ギ、ぁ……」

 

「考えなしもここに極まれりだな。お前達程度の力でどうにかなると思ったのか?」

 

影は冷たく言い放つ。

 

「やれやれ、監視に加え、互いの絆を深めようと、一緒に連れてきたのは失敗だったか

 

「……なに、が……?」

 

絆を深める。その意味がわからない、と兄弟は苦しみながらも疑問に思った。

 

「―――まさか、お前たちが我らを裏切るとはな………最終試験を早めなければならんか」

判断は間違えてなかった、と呟く。最終試験。そう言われた二人は、言葉の意味が分からずに、しかし恐怖に震えた。

 

今まで、色々な敵と戦わされた二人。口寄せで呼び寄せられた化物、他国の下忍、色々な敵と戦わされた。その最後、最終試験とはいったいなんのだろうか。

 

どうも反抗心を削ぐために、何かをするようだ。誰かを殺させるようだ。しかし、いったい誰を、と考えた時、影の声が紫苑達に向けて飛ぶ。

 

「――そっちも、動くなよ。動けば殺す」

 

「くっ!」

 

「それとも、薬とやらを飲んで薙ぎ払ってみるか? こいつら諸共に」

 

兄弟を見下ろし、影は言う。そのまま殺気を全身に巡らせ、威嚇する。

 

「あの力のコントロールを可能とする術……それに対して、“ツテ”も出来たようだしな。反抗するとうのならば、殺す。お前と一緒に遊んでいた、あのガキ共も、一人残らず殺してやる」

 

影は何の感情も含めず、言う。

 

「なっ」

 

紫苑は意味を理解し、息を飲んだ。

 

――これは脅しだ。そんなことは、できやしない。だが、もし本当にそうならば? 

そう考えてしまい、紫苑と菊夜は硬直する。その殺意と、無機質な悪意に気圧される。

 

「密約も、無しだ。ああ、そうそう、もしかしたら周辺の小国に、この国の情報が流れるかもしれんな」

 

脅しに脅しを重ねる影。

 

「お前のせいで、大勢の人間が死ぬことになる。あの小僧のようにな。それで、どうするのだ? さっさと選べ。こちらとしてはどうでもいい話でな」

 

「っ………選ばない。代わりに、頼みがある」

 

「何だ?」

 

「この二人を、許してやってくれ」

 

「―――ああ、分かった」

 

嘘だ。菊夜は答える男、その言葉の裏に隠された悪意を感じた。それに裏切り者を放置すれは示しがつかない。こいつが、そんな約束を守るわけがないと、菊夜は考える。

 

だが、どうしようもない。自分の忍犬の能力と特性は護衛の任務を共同で行った時に話してしまった。今では迂闊に過ぎたと思わざるをえない。自分がこんなに無力だとは、こんなに愚かだとは、と菊夜は己の無力と情けなさに涙を浮かべ、下唇を噛んだ。

 

「駄目、だっ……!」

 

「紫苑………!」

 

痛みを顔をしかめながら、悔し涙を浮かべ兄弟は叫んだ。手を伸ばすが、届かない。

面をつけた根の部隊長、影の手が紫苑へと伸びる。

 

(―――すまん)

 

紫苑はその手を見つめながら、詫びる。自らを守るために、裏切らざるを得なかった……イワオを見捨てて逃げ出すという決断をさせてしまった、菊夜に。菊夜とて、非道の輩ではない。母上との約束のため、苦渋の決断をせざるをえなかったのだろう。あの後、随分とせめてしまったが、原因は妾にあるのだ。どうして責められようか。

 

骨を折られ、痛みに顔をしかめ、助けられないと悔やみ涙を見せる、真蔵と才蔵に。願わくば、彼らの未来に光あれと祈る。巻き込んでしまった。あの日、妾が死んでいれば、それで全てが丸く収まっていたのだ。すまないことをした、と心の中で詫びる。

 

―――そして。自らの弱さのせいで、死なせてしまった、大好きだった少年。

馬鹿で、それでも明るくて。ださくて、それでも格好良くて。

よく分からない、でも一緒にいて幸せに思えた、あの少年に。最後に、思い出をつくるきっかけをくれた、あの少年。

 

(イワオ……)

 

あの世にいったら、謝るから、許してくれ。

そう思いながら、紫苑は両の目から涙を流した。

 

(また、一緒に遊ぼうな)

 

そして、影の腕が、終わりの手が、紫苑に触れる。

 

 

―――その、寸前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紫苑の耳に、何処かで聞いた、誰かの声が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イワ、オ?」

 

「待たせたな、紫苑」

 

約束を果たしに来た、と笑いながらメンマは笑う。

 

「――――馬鹿な」

 

手練の男は驚いていた。あれだけのケガを受けて生きていたのもそうだし、死は免れたとしても、大怪我をしていることは間違いない。

 

その男が、何故この場に現れるのか。適わないことも分かっている筈なのに。

取り合わず、メンマは答えた。

 

「恥を、濯ぎに来た。お前なんかに負けた恥を」

 

メンマは男を指さした。男は、嘲笑で答える。

 

「何を言うかと思えば、くだらぬ………笑わせるな。たった三日程で、何かが変わったとでも言い張るつもりか?」

 

影は見下し、こき下ろす。対するメンマは、揺るがずに答えた。

 

「男子だからな。三日あれば、世界を揺がすには十分」

 

それは誰かの言葉。自分ではない誰かから借りた自分のものではない言葉。それでも、そうであろうと信じるのならば、はたしてそれは何になるのか。

 

男には響かない。変わらない態度で、メンマの蛮勇を鼻で笑った。

 

「そうか。その戯言を武器にしたとしよう。で、聞くが………貴様程度の雑魚が我らに勝てると、本気で思っているのか」

 

周囲には増援の影もある。全員で5人と、1人。皆がそれなりの力を持っている、暗部の集団だ。一対一でも適わないのに、何故この場に出てくるのだろうか。隠れていればいいものを。

 

再び、影が嘲笑を浴びせ。

 

メンマは、笑いながら答えた。

 

「勝てるかどうかは知らない」

 

ただ、と言う。

 

「俺は約束したんだ。絶対に死なないと、帰ってくると約束した」

 

小指の感触は鮮やかに残り、背後には涙を流す女の子。果たすべきものは全てここにあった。その全てを嘲り、暗部は冷然と言い放った。

 

「理屈に合わないな。そのような約束、守れるとでも思っているのか」

 

理に則って行動する暗部には、理解ができないのだろう。たった一人で、勝てるわけがない。死なないわけがないと思っているのだ。

 

メンマも、そんなことは知っていた。戦力差など百も承知だ。

だが、そんなことは問題ではなかった。

 

「不利だろう。厳しいだろう。死ぬかもしれないが、それがなんだ?」

 

「強がるな。戦場を忘れ、ただ己の望むままに挑む者を愚者と呼ぶのだ。戦術も己の力量も、相手の恐ろしさえも見誤るとは………本当に愚かだな、貴様は」

 

断定の言葉。断罪の言葉。断裂の言葉。

 

虚飾ではない殺意。

 

 

メンマはその一切合切を無視した。

 

 

「ああ、わかってる。百も承知だと―――――だがな」

 

 

一人で勇気を絞り出すのは無理だった。だから言葉は借り物で、それでも強く在りたいと、憧れる気持ちは変わらずに。変わらずに、と誇れることはある。。自分の命を賭けることに代わりはない。代わるもののないモノを守るため。己の出しうる全力で己の無力を嘆かずに、無力である己を変える。喉から口に、声にして何度も誓う。

 

メンマは思う。痛感していた。柄じゃないし、適任でもない。誰かの言葉を借りなければ立ち上がれないなんて無様すぎる。それでも、そんな事より大切なものがあった。

 

そして他に代わりがいないのであれば、この場に現れないのであれば。

 

メンマは最後の、覚悟の言葉を叫んだ。

 

 

「男子が約束を守るということは、理屈とは関係ない!」

 

 

言葉は、剣のようだった。

 

 

「果たすと言った! 俺が誓った! 正義の味方は現れず、法の守りも存在しない! ならば俺が、代役を演じよう。間違った世を否と叫ぶ誰かの代わりに!」

 

憧れを体現するため、約束をまもるため、力無き者を蹂躙しようとするこの敵を。そうしてメンマは、恐ろしき力の(くびき)を外した。今まで使ったことのない。九尾のチャクラ。未熟な状態で使いこなせるかどうか、分からない力を。

 

迷いなく外し、痛み、怒り、叫んだ。

 

 

「御託は要らねえ――――そこをどけ悪党ども! その子達は泣いている、困っている! 血に塗れた汚い手で、触るんじゃねえ!」

 

 

内なる叫びも、全身に走るチャクラと激痛にかき消された。

 

腕と肋に激痛が走る。だが、止めない。止まるはずもなかった。

 

 

 

 

そうして、鬼の国での最後の戦いが始まった。!

 

 

 

 


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