「では、襲撃者全員を捕獲したと?」
「はい。怪しげな薬を投薬されたものと、一部についてはほぼ再起不能とのことで………療養地勤務の医師に詳細を確認中ですが、恐らくは………」
療養地の中央にある建物。その中でも一番広い部屋で、ザンゲツとシン、サイは先の騒動の事後処理について話し合っていた。
「酷いことをするな。音隠れの里、噂には聞いていたが……想像以上だと言わざるを得ない」
「辺境部での誘拐事件でも騒ぎになってましたもんね。それで、どうします?」
シンの瞳の中に、剣呑な輝きが含まれる。
「報復の事を言っているのか? それは必要無い。むしろ、出来ないだろうよ」
「………それは、どういった意味でしょうか」
いつものザンゲツ様らしくないと、サイが訊ねる。
「報復とは、相手が存在して、始めて成立すること。しかしてその対象は――――」
と、ザンゲツは何かをいいかける。しかし言葉を止め、静かにかぶりを振った。
「今はそれより優先すべき事があるだろう。怪我をしたという、多由也の容態はどうなっている?」
「はい。肋骨が数本折れているとのことですが、幸い臓器に損傷は無いとのことです。それに、医療忍術は受けられましたから」
大事無くて良かったです、とシンが言う。
「あの光景を見せられた時は本当、心臓が止まりかけましたからね………しばらく後、何の予兆もなく再びむくりと起き上がった時は、また心臓が止まりかけましたが」
「ホタルなんか気絶してたよな………」
「そうか………でも、怪我はしているのだろう? 療養地に駐在する医療忍者の診察は受けたと聞いたが」
網にも木の葉隠れなど大国に比べれば腕は落ちるが、医療忍者というものが存在している。その診察の結果はどうだったのか、ザンゲツは二人に問うた。
「他の業務より優先し、多由也に対して集中的な治療をするようにとの言伝はしています。それと彼女自身の笛の効力を合わせれば………およそ二週間前後で回復するでしょう
「ふむ、あの笛か」
「はい。今回捕獲した音忍の一部………その治療も兼ねて、と。眠りにつく間近彼女に聞きましたが、彼女自ら彼ら音忍の治療に当たるそうです」
「そういえば多由也は元音隠れの忍びだったな。しかし痛む身体をおして、か。………と、いうことは昔の知り合いか何かか?」
「かつての同期だったようです。それも同じ戦災孤児出身で、大蛇○に呪印とやらを刻まれるまでは、仲が良かったと聞いていますが」
「因果だな………でも良い巡り合わせだと思いたい。よし、分かった。こちらでも、もう一人医療忍者を手配しよう」
「よろしいんですか?」
医療忍術はその使い手が少なく、網内部では数人しかいない。彼らは主に、地方の工事中、医者がいない土地に、万が一の保険として派遣されるのだった。その内の二人をこの地に収集させて良いのか、シンはそう考え、ザンゲツに問うた。
「良い。あの娘には借りがある。それに、我々としても、あと一ヶ月程は大人しくしておかなければならんからな」
「一ヶ月?」
「こちらの話だ。それより、手配を頼む。あとは………薬師カブトという、大蛇丸の右腕と言われている忍びの処理だな………しかし、そいつ力量はかのはたけカカシに匹敵すると聞いていたが………」
よく倒せたものだな、とザンゲツは二人に訊ねた。
「いえ、サスケ君から聞いた話ですが………そのカブト、カカシには到底及ばないと言っていましたよ」
「しかし、それなり以上に腕が立つのは確かだろう。拘束しているといっても、油断はできん」
「ああ、それなら心配ないです」
「何?」
「えっと、ですね。その、話を聞きつけた紫苑が、その、激怒してですね」
シンは説明しながら、ザンゲツから顔を逸らす。
「………どうした?」
「えらいことになっています。これ以上は………僕の口からはとても………」
サイが視線を逸らす。沈黙が、場に満ちた。
「………まあ、どうでもいいか。逃げられなければそれでいい」
忙しいし外道に興味無しとばかりに、ザンゲツはすっぱりカブトに関することを忘れた。切り捨てた、ともいう。紫苑に任せれば間違いないという信頼もあるのだが。
「あと、霧隠れの鬼灯水月とかいう、忍びは紫苑の結界の中に閉じ込めています。こちらは霧隠れの方に。捕獲した旨を伝え、引き渡すつもりです」
「そうか。ちなみにその水月を打ち破り、カブトを倒した功労者………うちはサスケの方は大丈夫なのか?」
「はい、怪我自体は少ないとのことです。ただ、チャクラをぎりぎりまで使い、全身の筋肉を酷使したため、完全に回復するには数日かかるとのことで。今は疲れのせいか、ぐっすりと寝ていますよ」
肉体的にも、精神的にも。余程疲れたのでしょう、とシンが付け加える。
「あと、足を貫かれたホタルですが、こちらも安静にしていれば問題ないそうで。2週間程で完治するとのことです。
その他、戦闘に参加した者については、僕たちを含め問題はありません」
「そうか………それで、音忍のうち、保護した者達………二人、だったか。それについては今どうしている。多由也の話を聞くに、大蛇○というゲスの犠牲者であるとのことだが」
「一名、巨漢のもの………重吾と言いましたか。彼は今、紫苑の結界の中で大人しくしています」
「ほう。抵抗する意志は無かったと報告を受けたのだが」
ザンゲツが眉を上げる。
「いえ、本人がそれを望みましたので。何でも彼、呪印とやらのオリジナル保持者とかいう話で………気を抜けば暴走、手当たり次第に破壊をまき散らしてしまうそうです。多由也の笛を聞ければ元に戻るので、彼女が眼を覚ましたら教えて欲しいと言われましたが」
「そしてもう一人、赤毛のメガネの方は………」
そこでシンは、言葉に詰まり、何やら嫌そうな顔を浮かべた。そのシンの横腹を、サイが肘でつつく。
「その、熟睡中のサスケの部屋に忍び込もうとしたため、後ろから一発いれて気絶させました。今は重吾の部屋の隣で、拘束しています」
「拘束? ――――いや、部屋を間違えただけかもしれんだろ。監禁は気が早くないか
「………ザンゲツ様」
「……何だ?」
「ぐへへと笑いながら、そしてヨダレを垂らしながら―――――美少年の部屋に忍び込もうとする輩に対し、貴方はどのような対処をすべきだと思うのですか?」
シンは彼にしては珍しく、綺麗な敬語でザンゲツに問う。そして、シンの問いに対するザンゲツ、サイの答えは実に簡潔だった。
「………ぐっじょぶ、シン」
「ぐっじょぶ、兄さん」
二人は簡潔に、シンの英断を讃えた。
――――ここに、未来ある少年の貞操は守られたのだと知った。
「………ありがとう。ていうか流石の俺でもあれは無いわ」
鼻頭を指で抑えながら、シンは沈痛な声をしぼりだした。
「そ、それはそれとして………ザンゲツ様。ナルトの件に関して、話しがあります」
「あいつか………いや、それは明日、多由也とサスケが目を覚ましてからにする」
「………承知しました」
その後、ザンゲツは二人に労いの言葉をかけて、休むように伝える。
「いえ、まだ事後処理が残っていますから」
「俺も、サイの手伝いがありますんで」
「そうか………無茶はするなよ」
ザンゲツは穏やかな笑みを浮かべながら、退室する二人を見送った。その後、部屋に一人残ったザンゲツは、窓に近寄る。
そして窓の外、うっすらと浮かぶ月を見ながら、ぽつりと呟いた。
「対象は、音隠れは―――間もなく消えて無くなる、か。空に浮かぶ月の影に呑まれて」
その声は誰にも聞かれず、夜の闇に溶けて消えた。
そして、次の日のこと。サスケは早朝、鶏が鳴くか鳴かないかという時間、医務室でむくりと起き上がった。
「眠れねえ………」
不機嫌そうに呟き、舌打ちをした。二度寝をしようとしていたが、出来なかったゆえの舌打ちだった。昨日の戦闘により全身に倦怠感を覚えていた彼は、身体を休めることで回復を早めようと眼を閉じたのだが、一向に睡魔が訪れなかった。むしろ眼を閉じていると、昨日の光景――――血の赤に包まれた多由也の姿が眼に浮かんでくるのであった。
これでは眠れるはずがないし、時間の無駄だ。そう思ったサスケは、まだ薄暗い部屋の扉を開け、薄暗い廊下に出る。
「誰もいないな………って、当たり前か」
サスケは一人呟き、歩を進める。サンダルを踏む旅にきゅっ、きゅっと妙な音がする。妙に響くその音を消そうと、サスケは慎重に歩いた。やがて、気づけばサスケは、とある一室の前に立っていた。
部屋の表札には、こう書いてある。
“多由也”と。
「………邪魔するぞっと」
何の疑問も抱かず、サスケは多由也の病室に入る。得体の知れない不安感が、彼をつき動かしていた。扉が開いて、ゆっくりと閉まる。
部屋に入ったサスケは、部屋中央に設置されているベッドに視線を向ける。そこには、目的の存在―――多由也が、静かに眠っていた。
遠くからでも分かる、安らかな寝顔。そして彼女の身体を覆う、白いシーツ。
だがサスケは、その姿に対し言いようの無い不安を感じた。無言のまま、音を立てないようにゆっくりと歩を進め、ベッドの横に立つ。そして、眠っている多由也の唇の上に手をかざし、呟いた。
―――息をしている。
当たり前の事だ。だがサスケはそれが確認できた、ということに安堵し、静かに溜息をついた。見れば、シーツもゆっくりと上下しているのだ。
「って、そんなの当たり前だよな………」
馬鹿か、俺は。サスケは自嘲し、頭をがりがりとかきむしる。その後、眠っている多由也の顔をのぞき込んだ。
「しっかし、こいつもなあ………寝てるとなあ………綺麗なんだよなあ」
サスケは小さい声、本人の前であれば絶対に言えないであろう呟きをこぼす。背後、どこかでがたん、という音が聞こえたが、多由也の寝顔に知らず夢中になっているサスケはその物音に気づかないでいた。それもムリのないことだと言えよう。彼の目の前には、多由也の寝顔という禁術に似た破壊力を持つ光景が広がっているのだから。
右手を上げ、それを額に当てながらくーくー寝息を立てている姿は実に愛らしく、サスケをしても沈黙する以外の選択肢を選べないほどに魅力的であった。
加えいつになく緩まった頬、そして適度な紅色を誇る唇から溢れる吐息が、その魅力を助長していた。頬に張られた白い包帯が多由也らしさの一端を残しており、またそれがサスケにとっては魅力的に思えた。
だから、触れたいと思うのも自然なことで―――
「………って、やべえよ」
サスケは知らず伸びていた手をひっこめ、自分の頭を叩く。
「まずい。いやこれは不味いって。ここは早く退散しねーと………!」
サスケはいつになく焦った様子できびすを返し、退室すべく部屋の入口へと戻る。このまま此処にいれば、何をしてしまうかわからなくなったからだ。だがサスケは、そこでヘマをしてしまった。急ぎ足になったせいで、サンダルの音が鳴ってしまったのだ。
きゅっ、という甲高い音。それは静かな病室に響き―――多由也の耳へ届いた。
「う、ん………」
多由也の声。それを聞いたサスケは、いち早く部屋を脱出しなければと部屋の扉のノブを握る、だが。
「あ、開かない!? 何でだ!?」
ノブは回転する途中で、何かが引っかかったかのように動かなくなった。驚きのあまりサスケは大声を出してしまい、それに気づいた後ゆっくりと後ろに振り返る。
「………サスケか? あれ、今日は早朝訓練だったか」
多由也は目元をこすりながら、朝飯用意してなかったか、と言う。その声は緩く、いつものようなはっきりした声ではない。
サスケはその声質と様子から、多由也は連日の疲れのせいで、意識は半分夢の中――――つまりは寝ぼけているのだろうと判断する。そして彼は状況を打破すべく頭の中から色々な言葉を抽出し、それを慎重に選んで行く作業に入った。
(しくじるな、間違えるな俺よ。でなければ、死ぬぞ)
こんな窮地、死の森で大蛇○と対峙した時以来だと緊張感を高めた。唐突に訪れた激烈な死の予感を前にしたサスケは、だが諦めず、慎重に慎重を重ねた上で言葉を選び終え――――やがて、その唇を開いた。
「………いや、今日は早朝訓練じゃない。俺の勘違いだったようだ」
じゃ、と手を上げ、サスケはそのまま部屋から出ていこうとする。彼の選んだ策は、会話の流れに乗り勘違いをさせたままこの場を去り、後に聞かれた時は“夢だったんだろ”と誤魔化すというもの。一見穴が無いように見えるこの策、成功すれば8割がた生き残れるだろう良案であった。だが、ここで問題が発生する。
(なんで、ドアが、開かない!?)
大きな音をたてれば多由也が覚醒してしまう恐れがあるため、サスケはゆっくりとノブを回そうとする。しかし、そんな弱い力ではノブはびくともしない。
(鍵、じゃないよな。この感覚は………向こうに誰かがいるのか!)
そこでようやくサスケは、ドア向こうの気配に気づく。そしてその正体を見極めんと、写輪眼を使用してドアの向こうを透視した。軽いめまいを覚えたサスケであったが、その甲斐あってか、向こうにいる人物の姿を認識、判別することに成功。
直後、声に出す。
「シン、か………!?」
殺気満開の声。突如、気配は霧散する。その機を逃さず、サスケはドアノブを回し、一気に蹴り破る。
「待て、シン! ………って、サイと、ザンゲツさんもかよ!?」
廊下の向こうにすたこらと立ち去っていく三つの姿。金髪の兄貴、黒髪の弟、赤髪の女性の後ろ姿を見ながら、サスケは叫ぶ。
余談だが、彼らは徹夜明けの妙なハイテンション状態。彼らは部屋に戻って寝る途中、廊下に出ていたサスケを発見した。その後サスケの行き先を知った彼らは得体の知れない衝動に駆られたまま、覗き見を敢行したのであった。
閑話休題。
その覗かれていたサスケは、失態に気づく。大声で叫んでしまったことに、気づいたのだ。耳の良い多由也の居る部屋の前で大声で叫んだという事実と結果について、悟った。
サスケは、起爆札の爆発音を幻聴した。
「あ…………」
取り返しの付かない事態になったことを悟ったサスケは、その場で硬直しながら首だけを回した。ぎぎぎぎという効果音と共に、部屋の中へと顔を向ける。
「……………サスケ?」
白い、ベッドの上。そこには、紅の修羅神がいた。普通ではないとひと目で分かった。何故ならば、いつものツリ目になっているからだ。
「あの、これには訳があってだな「黙れ」はい」
咄嗟の言い訳を口に出したサスケは、たった一言で黙らされた。紅の修羅神――――多由也は、サスケの眼を真っ直ぐに見ながら、言う。
「お前………サスケ? ここで何をしてた? ウチの何を見た?」
答えろ、さもなければ殺す。言葉だけで死を幻視させる、そんな声色で多由也はサスケに問うた。
「いや、何も、見ていないぞ?」
何故か疑問符になるサスケ。あまりにも直球な質問に、サスケの脈が跳ね上がった。
それを、多由也は見逃さない。
「――――嘘だな。これは、嘘をついている“音”だぜ?」
「くっ………」
一生の不覚。見破られたかっ、とサスケは胸中で悲鳴を上げる。だが焦ったサスケはこれで終わるまい、何とかごまかそうと、多由也の眼を真っ直ぐに見つめた。
「多由也、俺の眼を見ろ。これが、嘘を「ウチの寝顔を見たのか?」つ、いて、いる………」
途中、重ねられた、質問の声。まったくの不意打ちと、図星をつかれたサスケの鼓動が跳ね上がる。ドクン、と一発、致命的な音を奏でてしまっていた。
「ダウトだ、サスケ。一応聞いておくが―――――遺言はあるか?」
多由也の全身から、殺気が溢れ出る。乙女の寝顔を除いた罪許すまじと、死して償うべしと視線で語っていた。サスケはその殺気と視線を見つめてたら殺されると感じ、眼をそらした。だが視線の置き場もない。困ったサスケは、上下左右に視線を揺らす。
だが、とある一点で視線が止まる。いや、止まってしまったというべきだろうか。あちこち動かしたサスケの視線、それが――――多由也の顔の、少し下で止まる。
「…………」
多由也は昨日、血糊がついた服を脱いで、病人服へと着替えていたのだ。病人服は緩く、軽い。加え寝起きということもあり、多由也の服は僅かに乱れていた。裾には、シーツに隠れているため問題はない。しかしシーツが無い部分、つまりは胸元は違う。少しだけはだけている。そしてあろうことか、谷間の一部が見えていて、白い肌を顕にしていた。
「…………なっ!? く、くそやろーが、どこを見てる!?」
視線に気づいた多由也は焦り、ばっと胸元を両腕で隠した。その顔は、羞恥のあまりリンゴのように赤く染まっている。しかしその直後、多由也の顔が歪む。
「つっ………!」
勢い良く動いたせいで、折れた肋に響いてしまったのだ。多由也は激痛に苦悶の声を上げたそれを察したサスケが、多由也の元に駆け寄る。うずくまる多由也の肩を持ち、大丈夫かと言った。だが先程の光景を脳裏に焼き付けてしまったサスケは、その顔を真っ赤に染めている。痛みのせいで涙目になった多由也は顔を上げ、サスケを睨みつける。
「っくそ、離せ………いったい誰のせいだと……………?」
サスケに対して怒りの言葉を向ける多由也。その言葉の最後に、疑問符が浮かんだ。原因は二人ではなく、別のものによる。言葉の途中、入り口の方から物音がしたからだった
開けられた病室の入り口。そこには、顔を真っ赤にしているホタルの姿があった。
―――何故真っ赤なのだろうか。
ホタルの様子に疑問に抱いた多由也が、今の状況を整理する。
(二人とも顔が真っ赤で、ウチは涙目になっているし、服は乱れているし………それで、サスケがウチの両肩を持っている、いや服に手をかけている………?)
そこまで並べた時、多由也の耳に声が聞こえた。
――――どう見ても“行為”一歩手前です。本当にありがとうございました。
ちなみにその天啓というべきか悩む声は、メンマに似ていたという。
硬直すること10秒。静寂は、幼女の声によって破られた。
「た、多由也さん、サスケさん………?」
「ち、違う。ホタル、これは誤解――――」
「あ、あの、お邪魔しましたっ!」
顔を真っ赤にしたホタルは勢い良く頭を下げた後、開いていたドアを思いっきり閉めた。
バタン、という音が鳴る。
「…………」
「…………」
再び、部屋の中に静寂が満ちる。サスケは沈黙のまま立ち上がり、両腕を後ろ手に組む。そして足をわずかに広げ、休めの体勢になり、歯をくいしばった。
――――諦めたということなかれ。彼は逃げるのではなく、決断することを選んだのだそう、代え難いものを、素晴らしいものを見れたという事実。その巡り合わせに感謝し、そしてその対価を払うべく、最後の覚悟を決めたのであった。
その潔さは敬服に値した。同性が見れば、敬礼をしていたことだろう、だが。
「この、くそ馬鹿ッ! 時と場合を考えろ――――――!」
そんなの関係ねえとばかりに、多由也の平手が唸りを上げ。
断末魔が、病室に響き渡る。
その病室の外――――ドアの前、部屋の前の天井。そこには一人、昨夜から今朝にかけて、多由也の護衛の任に当たっている忍びが無言のまま佇んていた。
護衛の忍びの名は、うちはイタチといった。
「…………」
兄は部屋の中から聞こえた弟の断末魔を聞きながら、一滴の涙を流したという。