それから半月。
捜査は一向に進展しなかった。
ジャスティン・マッケンジーの死は不幸な自然死として処理されていた。
どちらにしてもこの事件は法の範疇ではないが、同様の手口の事件が起こらないとは言い切れない。
私は内心、焦り始めていた。
ウェイバーからは音沙汰がなかった。
多忙な時計塔の講師だ。色々と難しいのだろう。
私は被害者の身辺調査を進めていた。エミールのホテルに戻り、収集した情報をまとめていると、私のモバイルフォンが鳴った。
「やあ、エミリー」
二コールで電話を取った。
電話の相手は首都警察の刑事、エミリー・オースティンだった。
「……そうか。わかった」
彼女からの連絡は私が懸念していた通りのものだった。
私は彼女からの電話を切ると、すぐにウェイバーの番号をプッシュした。
いつもの不機嫌以外何物でもない彼の応答を待たず、電話口の彼に簡潔に事実を述べた。
「二人目の犠牲者が出た」
二人目の犠牲者が出てしまった。
ハンク・オーウェル。死因は心不全。
四十五歳でIT企業のCEO。やはり妻は二回り年下だった。
やはり被害者自宅に一人で、訪問者の形跡は無し。
エミリーは現場で魔力の残滓を探知。
これを人は偶然とは言わない。
「夫は人から恨まれるような人ではありませんでした。社交的で人好きのする、とても優しい人でした」
私の「ご主人は誰かから恨まれていませんでしたか?」という質問にジョーン・オーウェル夫人は最上の評価を以って答えた。
職業柄故人がこういった評価を下されることは幾度となく聞いている。
統計上、殺人事件の加害者で最も多いのは被害者の親族だ。
親族からの故人の評価がどんなに高くてもそれを鵜呑みにするの危険と私は経験から学んでいる。
「社交的で人好きのする人物」ならば人との接触は多かったはずだ。
ならば恨みを買うことがあってもおかしくない。
私は型通りのやり取りをした。
同行したウェイバーはいつもの渋面で隣で話を聞いていた。
やはり夫人からは魔力の滓も感じなかった。
夫人との面談を終えると我々はエミリーの手引きで現場となったサウスケンジントンのオーウェル氏宅に向かっていた。
道中、「彼らの結婚は間違いなく純愛の結果だな」と私が感想を述べると、ウェイバーは無言で曖昧な表情を私に向けた。
私のユーモアが通じたに違いあるまい。
現場は見事なエドワード調のシックな一軒家だった。
サウスケンジントンは芸術家に好まれる閑静で瀟洒なエリアだ。
亡くなったオーウェル氏は美術品のコレクターでもあったらしい。
リビングの壁にはモンドリアンだかカンディンスキーだかの抽象画が飾られていた。
壁にかかった一枚を見てウェイバーは「その絵、上下が逆さまだ」とありがたい事実を教えてくれた。
どうやらオーウェル氏は美術品は好きでも審美眼は無かったようだ。
我々は手分けして現場を捜索した。
私が二階、ウェイバーが一階だ。
私はフーチを片手に二階を捜索したがこれと言ったものは捉えなかった。
と、なると……
「マクナイト」
下の階からウェイバーの呼ぶ声がする。
私は階段を下り、彼と合流した。
やはりと言うか。
彼の手には呪い袋が握られていた。
中身を検めるとベルグレイヴィアのマッケンジー氏宅で発見した呪い袋と酷似した作りだった。
詠唱に癖があるように道具作成にも術者の癖が出る。間違いない。二件の犯行は同一の人物が関与している。
「お前は動機を追え。私は手段を追う」
「わかった。であれば同様の事件が他にもないか並行で調べてみる。この短期間で二件だ。これですべてとは思えない。
勘だがこの一連の犯行、ケンジントン・アンド・チェルシー区の範囲内に収まる限定的なものの気がする。相当に絞れる」
「ああ、いい判断だ」
「君はどうする?」
「ミスター・オーウェルはご愁傷様としか言いようがないが、これでヒントが大幅に増えた。私は手段を考える」
〇
調べてみると同様の事件がこの二年の間にもう二件起きていた。
現場は私の勘どおり事件はケンジントン・アンド・チェルシー区のエリア内に収まり、いずれも被害者は裕福な男性だった。
発覚しなかったのはいずれも自然死と断定されていたためだ。
魔術回路を持つエミリーが今まで捜査にかかわらなかったために「魔術」という現代社会から隠れたファクターが明らかにならなかったのだ。
動機も推測がついた。
ジャスティン・マッケンジーは女癖が悪かった。
惚れっぽい性格のようでところ構わず浮気を繰り返していた。
だが、あのいかにも計算高そうな夫人だ。
それだけであれば見逃していただろう。
ジャスティンは別の若い女性に入れあげており、どうも離婚を考えていたようだ。
彼が離婚の件を相談するために弁護士の元を訪れていたという情報を手に入れた私はその弁護士の元を訪問した。
本来、弁護士には守秘義務があるがそれはそれ。今起きている問題は殺人だ。
私は暗示をかけ、魔術という超法規的措置で守秘義務を破ってもらった。
結果、やはりジャスティンは本気で離婚を考えていたことがわかった。
さらにジャスティンは生命保険に加入しておりその受取人は妻だった。
これは立派な動機になり得る。
ハンク・オーウェルはとにかく金遣いが荒かった。彼は片っ端から高価な美術品を買いあさっていた。
生まれながらの金持ちは成長過程で金を浪費しずぎない方法を学ぶが、成金はそれを学ぶ暇がない。
彼は稼ぎも相当なものだったが浪費も凄まじく、預金口座は破産に向けて死の行進を行っていた。
オーウェル夫人は度々その浪費癖を窘めていたが、オーウェル氏の浪費癖はむしろ加速していた。
そして彼女は夫の生命保険の受取人だった。
これも立派な動機になり得る。
オーウェル氏の呪殺事件が起きた数日後、私は時計塔のウェイバーの講師室に赴き調べ上げた内容を共有していた。
講義を終えて講師室に戻ってきたばかりの彼は疲労困憊と言った様で、いつも以上に不機嫌そうな渋面だったが私の話はしっかり聞いていた。
「共通して加わっている社交の場があることが分かった」
彼は黙っていたが、経験から話に耳を傾けていることは分かっている。私は続けた。
「旅行に行ったり音楽会に行ったり、申し訳程度にボランティア活動をしていたり……まあ、よくあるタイプの婦人会だ。今日、会合があってあと三十分ほどで始まる。
エミリー経由でコンタクトをとった。これからお邪魔して探ってくる」
「そうか」という言うと彼は突如立ち上がった。
「少し待っていろ。残りの講義をキャンセルしてくる
――私も同行する」
〇
マクレディ夫人の邸宅はナイツブリッジの賑やかな一画だった。
この地域の地価は世界でも有数の高価さだが雰囲気はベルグレイヴィアやサウス・ケンジントンとはだいぶ異なる。
一口に金持ちと言っても趣味は様々なようだ。
我々はランプの精でも迎えに出てきそうな豪奢な門をくぐると、毎朝、ご主人様の新聞にアイロンをかけていそうな古めかしい物腰の執事(比喩ではない本物の執事だ)に案内され
マクレディ夫人がお茶会を開いているリビングに通された。
リビングでは一様に高級そうな装束を身に着けた若い婦人たちが三段重ねのティースタンドをお供にブラックティーを味わっていた。
ミセス・マッケンジーとミセス・オーウェルの姿もあった。
我々が部屋に踏み入ると、婦人たちの会話の中心にいた人物が我々の前に進み出て挨拶と共に話し始めた。
「オースティン刑事からお話は伺っています。ジャスティンとハンクのことですね。惜しい方を亡くしてしまいました」
ミセス・マクレディことメアリー・マクレディはマッケンジー夫人ともオーウェル夫人とも違う雰囲気を纏っていた。
野心が服を着ているような佇まいだったがその目には知性の光が宿っている。
彼女自身はマンチェスターの労働者階級の出身だと聞いているが、彼女の夫であるミスター・マクレディは成金ではない。
部屋の中を見渡すと調度品の一つ一つが収まるべきところに収まっているように見える。
調度品はそれぞれ決して華美ではないが、よく検めると高級品であることがわかる。
労働者階級の彼女が貴族の子息と知り合うなどよほどうまく立ち回ったのだろう。
「突然の訪問、失礼いたします。私はウェイバー・ベルベット。彼はアンドリュー・マクナイト。
私立探偵です。ある個人の要請で追加調査をしています」
私が口を開こうとすると彼が先んじて話し始めた。
彼は社交的な質ではない。話は私に任せるものと踏んでいたので面食らった。
そして違和感を覚えた。
「ある個人?」
マクレディ夫人はアンティークの銀スプーン――ホールマークが刻まれているのが微かに見える正真正銘の純銀製だ――でティーカップを攪拌しながら目を見開いた。
「ええ。警察は表向きは自然死と断定したようですが、追加調査を要請されました。
――ここだけの話ですが、私は個人的に他殺の可能性を疑っています」
まさかの発言に私は面食らった。
依頼元について嘘をついたばかりか「個人的に疑っている」と真犯人かもしれない相手に腹の裡を明かしたのだ。
とても聡明で思慮深い彼の行動とは思えなかった。
その後も決しておしゃべりでも社交的でもない彼が率先して話した。彼は私が提供した情報を逐一記憶していた。大した記憶力だ。
彼の行動はひどく不自然に思えたが、彼は率先して私が聞こうとしていたことをことごとく先行して聞いてくれたのでとりあえず私は無言の行を続けることにした。
私はこの会合の参加者に魔力の持ち主が居ないか探った。
探知できる魔力には閾値がある。
魔術回路が貧弱であまりに微弱だと直接触れる等して対象との接触点を増やす必要がある。
握手程度で済めばいいが、残念ながら長めの握手程度では探知は難しい。
結局、「そろそろ夫が戻りますので」とマクレディ夫人に会合を打ち切られてしまった。
「何か思い出すことがあれば」
ウェイバーは名刺を差し出すと、私を促して辞去した。
彼の名刺は連絡先はおろか、住所まで記載されていた。
タクシーを呼び、まずは彼のフラットに向かう。
私は彼のらしくない言動の真意を問いただしたが、「敵を欺くにはまず味方からだ」とはぐらかされた。
〇
数日後、私はウェイバーに呼ばれ、例のいかにも朽ち果てそうな彼のフラットに立ち寄っていた。
彼は自身の帰宅時間を私に知らせ、その刻限に来るように私を呼んでいた。
地下鉄が車両のトラブルで止まってしまい、私はタクシーを使った。
痛い出費だ。あとで警察に請求しよう。
おかげで刻限に遅れた。
私は彼の部屋のドアの前に立ち、礼儀としてノックした。
――返答無し。
ゲームをして寝落ちする彼のことだ。
気づいていないだけだろう。
そう思い、再度ノックした。
ベートーヴェンの運命交響曲式に四度のノックをしたがやはり返答がない。
胃の奥から嫌なものがこみあげてくる。
私は散歩下がって助走をつけ、貧相なドアを蹴破った。
「マクナイト!袋を探せ!」
私が部屋に入るや否や、ガラクタの山がちょっとした山脈を作っている床に胸を押さえてうずくまったウェイバーが叫んだ。
「……お前ならできるはずだ!……渦の中心を探れ!」
頭より先に、体が、魔術回路が動いた。
「
詠唱で集中力を高める。
私の魔術回路のイメージは迷宮だ。
アリアドネの糸が如く、迷路を糸を手繰って進む。
「――そこか!」
旧式のゲーム機が並ぶ一画、時代遅れとなった機械の山をはねのけ――それを引き出した。
私は呪い袋をつかみ取ると魔術で炎を起こし、葉巻が山盛りになった灰皿に押し込めた。
袋はあっさり燃え上がった。
「――これで得心がいった」
ここまで来て、私は前日の彼のらしくない行動の意図を察した。
「まともな魔術師ならば私よりも魔術師として格上なのがお前なのはわかるはずだ。だが、敵は私を狙った。
これが何を意味するか、分かるだろう?」
そう言うと彼は荒い呼吸を整えながら、私が差し出したボトルウォーターを一口飲んだ。
「自分を囮にしたんだな?呆れた奴だな。無謀に過ぎる。それで住所までご丁寧に書かれた名刺を誂えたのか」
「無謀ではない。お前がくれば確実に助かると計算したからだ。この時間に呼び出したのは、私の部屋に侵入して呪い袋を置いてもらうためだ。
時計塔の私の部屋に侵入するのは不可能。ならば私が帰宅したときに効果を発揮できるよう私の留守中に呪い袋を仕掛けると踏んだ。
ここのセキュリティは存在しないも同然だからな。それで帰宅する時間帯にお前に来るよう頼んでおけばお前が処理してくれる。
お前は魔術師としては確実に私より上だからな」
「ああ。これであの会合の参加者の中に犯人がいることがはっきりした。首謀者は――やはり彼女か?」
〇
「ミセス・マクレディ」
挨拶もノックも省略し、我々はマクレディ夫人の邸宅を訪れていた。
リビングでは前回の会合と同じ参加者たちが手を取りあい書物を片手に詠唱をしていた。
これで完全にタネが割れた。
――サバトだ。
この中に極めて微弱ではあるが魔術の素養がある人間が居る。
サバトは魔女の儀式だが、魔力を同調させる効果がある。
魔術回路が無ければ術の行使はできないが、一般人でも魔力源になることはできる。
おそらく、彼女たちは数日単位で魔力を集め、それを今この場で開放しているのだ。
ウェイバーは魔術師としては三流だ。
相手が一般人に毛が生えた程度の相手とはいえ、ウェイバーの魔力抵抗も強くはない。
だからこそ彼は自身を囮にしたのだ。
「警告だ。これ以上はよせ。あなたたちは自分が何を扱っているのかわかっていないのだろう?」
ウェイバーの口調は静かに――しかし微かに怒りを含ませていた。
「ミスター・ベルベット。私たちはオカルト本の朗読会をしていただけです。ここは自由の国ですよ。変人扱いされるのは仕方ありませんが、『止めろ』などと言われる覚えはありません」
現場を押さえられたにも関わらずミセス・マクレディは凛として居た。
大した胆力だ。
相当な労苦をしてこの地位に就いたのだろう。
「ここに踏み込む前に結界を張った。呪いの力はここから出ることができない。放っておくと君たちに跳ね返るぞ。解呪するから儀式をやめてくれ」
もちろん、踏み込む前に我々は策を整えていた。
ハッタリではない。私の口から出たのは嘘偽らざる真実だ。
私の真剣さは伝わったに違いない。
微かにだが、彼女がたじろぐのを感じた。
だが……
「ミスター・マクナイト。ご冗談は程々に。私たちは読書会の続きに戻ります。さあ、お帰り下さい。次回はアポイントを取っていらしてくださいね」
それが夫人の最期の言葉だった。
〇
嫌な後味を残す幕引きの後。
私はエミリーを呼び出し、短く報告を済ませると後処理を頼んだ。
犯人を法で裁くことはできないが、あの場にいた誰一人、二度とサバトを行おうなどとは考えないだろう。
メアリー・マクレディの死は不幸な自然死として処理され――魔女たちの心のしこりとなって残り続けることだろう。
現場に到着したエミリーと話を済ませると我々は警官にウェイバーのフラットまで送ってもらった。
フラットにつくとウェイバーは私にブラックティーを勧め、これまでの推理の経緯を話し始めた。
「最初の現場で呪い袋を発見した時、これは素人が偶然魔術を成功させた結果だと直感した。
だが確信がなかったので私は……」
「君は?」
「――ネットで検索した」
これは科学技術を忌避する古典的な魔術師では決して辿り着かない発想だ。
まったく大した人物だと、改めて私はウェイバー・ベルベットという存在に感嘆した。
「その結果、ネット上で現場で発見したものと酷似した呪い袋の作り方を見つけた。サバトで少ない魔力を補う方法もネットで見つけた。
それでその婦人会に踏み込むのが最善と確信した。魔術協会の資料を調べたところ、ミセス・マクレディの家系は大昔は魔術師だったそうだ。
すでに魔術回路は無いが、魔術回路の痕跡ぐらいは残っていたのだろう。
たまたま黒魔術と波長が合い、術は成功した。」
そこまで言うと彼は一度言葉を切り、深く息を吸った。
締めくくりに入ろうとしているのだろう。
「最初はほんの悪戯程度の気持ちだったのだろう。憂さ晴らしになればいい程度の気持ちだったのかもしれない。だが、呪いは成功してしまった」
そこまで話すとウェイバーはブラックティーを一服含み、いつもの渋面で嚥下した。
「お前の方はどうだ?もはや動機の解明など実際的意味は無いが、お前も何か得るものはあったのだろう?」
そう言ってはいるが興味はあるのだろう。私は自分の見解を述べた。
「あの会合は似たもの同士の集まりだ。きっと放って置けなかったのだろう。婦人会の参加者を調べてみたが全員が裕福とは言えない家系の出身だった。
もちろん、ミセス・マクレディを含めて」
彼は私が話し終えると目を閉じた。
きっとこの数日に起きたことを彼なりに咀嚼しているのだろう。
次に彼が口を開いたとき――私が予想していなかった言葉が飛び出した。
「お前は魔術の本流に戻る気はないのか?私の見立てではお前は研鑽を積めばそれなりの地位につけるはずだ。
例えばだが――私の元で学び直す気はないか?」
意外な誘いだった。私は面食らった。
名誉に感じた。だが答えは決まっている。
「僕は君と違い、魔術自体には価値を感じていない。君の元で学ぶのは楽しそうだが、そのうちお互いに嫌になるぞ?
マッケンジー夫妻やオーウェル夫妻みたいにな」
彼は口の端で小さく笑って言った。
「想定通りの答えだ」
少し長くなりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回更新はいつになるかわかりませんが、また会いましょう。