どうぞよろしくお願いします。
翌朝、昨夜の豪勢なディナーの洗礼を受けた私は胃袋に鈍痛を覚えながら両儀家の客間に
式立ち合いの元、彼女の連れてきた私の今回の相棒との対面を果たした。
細面の20代半ばほどに見える青年。見覚えのある顔だ。
確か1年前、橙子を探しに行った時に会った、元伽藍の堂の現住民。
「ミツルだったね。確か。よろしく」
そう言って私が手を差し出すと、無言で瓶倉光溜は私の手を握り返した。
その後、私から今回の事件の簡単な説明をし早速アポが取れた『被害者』と対面に行くことにした。
ここ、両儀邸は郊外の小高い丘の上にありどこに行くにも不便だ。
私と光溜は式が用意したブルーの日産GT-Rに乗りこみ目的地を目指した。
光溜は両儀家にいる間、常にライオンの前に立たされた春の子ウサギのような表情を浮かべていたが
彼女が視界から消えるとその表情は心底安堵したものに変わった。
これほどまでに人を意識する理由は2つしかない。
恋に落ちているか、恐怖しているかだ。
どう見ても彼が恋に落ちているようには見えなかったので正解は後者だろう。
「君には心底同情するよ」
私はそういって彼の肩に手を置くと車を発進させた。
目的の家はドブネズミ色をした無個性な低層住宅が立ち並ぶ住宅街の一角にあった。
『被害者』の名前は高浜陽子と言った。
訪問から通り一遍の事情を聞くまですべて光溜が対応し、私は得体の知れない『ガイジン』として
彼の隣で話を聞いていた。
陽子の母、礼子からは特に有益な情報は得られなかった。
私は光溜の肘をつつくと彼に囁いた。
「ミツル。『被害者』の様子を見させてもらえるか聞いてくれ」
彼は分かったと言って頷くと礼子に至極丁寧な言葉遣いで丁重にお願いをした。
見た目はどことなく胡散臭い人物だが、こういった際の立ち回り方は心得ている人物のようだ。
私は今回得た相棒が悪くない物件であることに感謝した。
「こちらです」
そう言うと礼子は我々2人を少女の眠る寝室へといざなった。
彼女は文字通り死んだように眠っていた。
栄養補給がかなわないため点滴のチューブと尿取りチューブが刺さっていることを除けば
ただ眠っているだけのようにしか見えなかった。
私は少女の外見をつぶさ観察すると、体の中心部に手を当て解析を開始することにした。
怪しげなガイジンが娘の腹部に直接触れようとするのに、礼子は抗議の表情を浮かべたが
光溜が説明すると納得したのか部屋を出ていってくれた。
ありがたい。解析は私の唯一得意とする魔術だが集中できる環境を用意してもらるに越したことはない。
解析を初めてすぐに少女の身に起きている事態が把握できた。
少女の体からは霊体が抜けていた。
次に私は魔力を込めて彼女の体を霊視した。
そしてその体の腹部、臍のあたりから細いクモの糸のようなヒモがどこかに向かって伸びているのを私は発見した。
この糸を辿って行けば目的の霊体を発見できるはずだ。
「ミツル、わかったぞ」
我々2人は家人に簡単に挨拶を済ますと、近くの狭苦しい
今度は私が先導するため光溜がハンドルを握った。
しばらく事務的な会話を続けていた我々だが糸が直進方向に入ってしばらくしてから光溜が私に尋ねた。
「あんたは本物なんだな」
「本物とはなんだ?僕が本物のハンサムガイかという意味であればその通りだ」
「違う。さっきのあの霊視だ」
「なんだ。そんなことか。確かに見えるし感じるよ」
私は光溜の光を失った右目に視線をやりこう続けた。
「例えばその君の右目だが、その目は視力だけじゃなく何か他の力も持っていたんだろうなとか。
詳細は分からないが何か時間に関係する力だったんだろう?」
光溜は驚きの表情を浮かべて言った。
「どうしてわかった?」
「それなり以上の魔術師なら観察すれば誰にでもわかるさ。失ったのはいつだ?」
「遠い昔だ」
――失った理由はと尋ねようとして1つの推論が私の頭をよぎった。
あの目の光、眼球を傷つけられたのではなく瞳のもつ能力を断たれた――そのように私には見える。
そしてそんな異常な真似ができる人物は私が知る限りただ1人。
「なるほど、それが君がシキを恐れる理由か」
光溜はまたしても驚きの表情を浮かべて言った。
「どうしてわかった?」
「簡単だ。僕もシキが怖いからね。君と同じように」
糸の先が続いていたのは埋立地にある空き地だった。
開発途中の地区らしく、空き地と高層集合住宅しかない殺風景な景色が広がっていた。
糸はその空き地の中心部あたりでぷっつりと切れていた。
正確に言えばそこに伸びている糸たちが。
伸びている糸は1本だけではなかった。
私が見る限り同じ空き地の中心部に向かって5本の糸が伸びていた。
私は注意深くその場所を観察したが中心に何があるのか仕掛けがわからないままでいた。
外周を何度か周り、地面の様子を観察していると突如として背後に強烈な悪寒を感じた。
そこには長身の東洋人が立っていた。
落ち窪んだ目、苦悩の刻まれた顔、筋骨隆々とした体――そして嘔吐感に似た重圧を感じさせるその存在。
信じがたいことに我々魔術師にとって一般的にはサマセット・クロウリーと同じく都市伝説とされている人物が立っていた。
「……アラヤソウレン」
瞬きすると次の瞬間その影は消えていた。
そして続いて体の中心を何かに引っ張られるような感覚が私を襲った。
まずい、ここは結界だったのか。
「ミツル!すぐにここを出るぞ!」
私は身体強化を全開にすると足しになればと、懐のフラスコから聖水を四方にまき散らしミツルの体を抱えて全力で車まで戻った。
車に乗り込み急発進させる。
走り始めて数分が立ち、体の中心に重さはあったがまだ霊体は私の体を離れていなかった。
しばらくして光溜が私に尋ねた。
「何だったんだ、あの男は?それにこの体の重みと手の甲のこれはなんだ?」
「手の甲だと?」
私は慌てて自分の手の甲を確認した。
すると左の甲に梵字と思しき魔術のタトゥーが刻まれている事に気が付いた。
「ミツル、一度
そう言うと私はアクセルを踏み込み目的地に車を走らせた。
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両儀家に戻った私と光溜は今日のあらましを式に説明した。
式はいつもの通りアンニュイな表情を浮かべて我々の話を聞いていたが、私の口から荒耶宗蓮の名前が出ると表情に変化が現れた。
「……アラヤ。あいつまだ……」
「違う、あれは残留思念のようなものだ。少なくとも本体ではない」
「……場所は何処だ?」
「ミツル、あの場所の住所がわかるか?」
「正確には分からないが、茅見浜の埋め立て地区だ。何かの跡地のようだったな」
「……茅見浜?」
式の鋭い目が光溜を捕える。
光溜は5歳児が『ホーンテッドマンション』の一番怖い場面を見たときのように体を硬直させると
無言で頷いた。
式は明らかに何か知っている様子だ。
私は式に2つの提案をした。
「シキ2つ頼みがある。まず、何か今回の件に心当たりがあるなら教えてくれ。
次に、アラヤソウレンは東洋の術者だ。そして僕はあまりその方面に明るくない。誰か詳しい人物を知っていたら紹介してくれ」
式はいつもの表情を取り戻し、気だるそうな表情でしばし考えるとこう言った。
「ひとつめ、これからあそこで何があったか教えてやるよ。それを聞いた上でどうするかはお前たちで考えろ。
ふたつめ、オレの遠縁に心当たりがある。関西だから遠いけどな、カゼノミヤって言うんだけど」
私は思いもよらない人物の口から、思いもよらない人物の名前が出た事に驚き言った。
「カゼノミヤだと!?」
次回投稿は少々お待ちください。