1回で完結します。
巡礼
ロンドンの短い夏は過ぎ、さらに短い秋がやってきた。
急激に気温の下がった10月の半ば、私は身をすくめながらウェストミンスター地区を歩いていた。
曇天続きのこの時期には珍しく晴れ渡った気持ちの良い日だった。
いつも観光客でごった返しているこの地区だが、今日はいつも以上に人が多かった。
目的地のほど近く、聖マーガレット通りからほんの小さな寄り道のつもりでウェストミンスター宮殿に
寄っていくことにした。
宮殿も観光客でごったがえしていた。
割合として東洋人の観光客が多かった。
私は香港で生まれ育ち、日本人の血も混ざっているため分かるが一般的にヨーロピアンが
東洋人を判別することは難しい。
確かに中国人も韓国人も日本人も見た目には大差なく見える。
しかし、私は簡単に判別する方法を知っている。
大声で喚いていて80年代風のファッションを身にまとっているのが中国人。
声が大きくて90年代風のファッションを身にまとっているのが韓国人。
そして、物静かで小奇麗な身なりをしていて、写真に映る時は必ず間抜け面を浮かべてピースサインするのが日本人だ。
私の視線の先にいるのは中国人の団体だった。
彼らは北京語でなにやらを喚きながら、宮殿に突入を試みていた。
私は広東語しか解しないので、彼らが何を言っているのかはわからなかった。
会話の内容は『英国料理は不味い』といった至極当然の物かもしれないし、『ハリー・ポッターは中国人だ』
といった不当な内容の物かもしれないがそれは私のあずかり知らない問題であった。
そのうち彼らの中の1人が悪ふざけしてウェストミンスター宮殿の近衛兵にちょっかいを出し始めた。
近衛兵は彼らの行動に対して微動だにしなかった。
その光景は私にルネ・マグリットのシュルレアリスム絵画を想起させた。
『彷徨える中国人と不動の英国近衛兵』といったタイトルでテート・モダンあたりに展示されていてもおかしくなさそうだ。
彼らの観察を続けていると、中国人の男は不動の兵をからかうのに飽きたのかその場を辞そうとして考えたようだ。
男は近衛兵に一瞥をくれると、去り際その肩に手を置こうと試み――近衛兵に大声で威嚇された。
思わぬ反撃に驚いた男は飛びのいて北京語で何か言葉を発すると団体客の海に帰って行った。
近衛兵は何事もなかったかのようにいつもどおりの姿勢でじっと立っていた。
あまり知られていないが近衛兵は身に危険が及んだ場合、相手を威嚇することが許される。
しかしながら、私もロンドンに渡ってから15年近くの在住期間でこのような光景を目にしたのは初めてだった。
気まぐれの寄り道で珍しい物を見られた事を喜ぶべきが迷いつつ、私は目的を果たすため
目的の人物を訪問するため長い回廊を行く。
私はやがて瀟洒な作りの執務室の前に辿り着いた。
私は自らの来訪を彼に知らせるためノックの音と共にこう言った。
「ウェイバー君……いや失礼、ロード・エルメロイ。君の友人、ロンドンいちハンサムな万屋の魔術使いが馳せ参じたぞ」
中からはぶっきらぼうに短い返事が返ってきた。
「開いている。勝手に入れ」
相変わらず感じの良い奴だ。
私は念のため確認の言葉を口にした。
「開けたら爆発しない?」
「しない」
「本当に?」
「本当だ」
「信じてもいい証拠は?」
「……いいからさっさと入れ」
全く、ユーモアを解しない奴だ。
私は彼の言葉に従いドアを開けた。
大量の書物と奇妙な匂いの薬品に鉱石の数々。
それらに埋もれるように時計塔の名物講師、ロード・エルメロイⅡ世は簡素な回転いすに腰掛けていた。
彼は座ったまま、体の向きだけを変えて私を迎える。
部屋に入って最初の言葉を彼が発する前に私が口を開いた。
「今日の呼び出しの目的だが……例の研究資材の調達についてかな?」
「違う。それならいつも通りに進めればいい。別の話だ」
「では僕のこの素敵なバリトンボイスを聞きたくなった?」
そこで彼が私の言葉を遮ろうと試みたのが分かったが無視して私はとっておきのエピソードを語りはじめた。
「そうか、では僕と至福のお喋りの時間を過ごしたくて呼んだと仮定しよう。
君も何度が来たことがあるあの昔住んでいたフラットだが、隣にとても素敵な女性が住んでいてね。
どれぐらい素敵かというと覗きに来たピーピングトムが『ちょっと明日からカーテン閉めておいてくれないか?』
と頼みに来るくらい素敵な女性だった。彼女のライフワークは毎朝近くのゴミ捨て場から使えそうなゴミを拾ってきては
『これも使える、これも使える』と大声で喚きたてつつウチのフラットの窓に投げつけることだった。そんな彼女がある日……」
私がそこまで口にすると彼が短く言葉を挟んだ。
「その話はまだ続くのか?」
「もちろん。……ひょっとして聞きたくない?」
「聞きたくない」
「本当に」
「本当だ。
彼がそこまで言うのであれば仕方がない。
私はとっておきのエピソードを披露することを諦め、彼の言葉を待った。
「リン・トオサカと親しくしているそうだな」
意外な人物の名が彼の口から出たことに小さな驚きを覚えつつ私はこう返した。
「向こうはどう思っているか知らないが、僕は歳の離れた友人と思って接している」
「そうか」
その言葉をどう受け止めたのか、彼は顎に手を当てしばし考えるとこう言った。
「困っているようなら面倒を見てやれ。私からも頼む」
「意外だな。君は日本人嫌いだと思っていたが」
「一応、後見人なのでな。名前だけだが。それにだ――」
彼はそこで一旦言葉を切るとこう続けた。
「彼女も私も聖杯戦争の生き残りだ。聖杯戦争に参加するというのがどういう事なのか体験したものでなければわからない。
少なくとも時計塔の老人たちには一生わからんさ」
「なるほど」
彼の言葉の真意を理解した私は納得の言葉と共に自らの意思を表明しその場を去ることにした。
「僕はこれからも彼女に力を貸すつもりだ。
だが、それは君に言われてやることじゃない。彼女に好感を持っているから勝手にやることだ。
少なくとも彼女が僕を必要としなくなるまでは力になるつもりさ」
彼の執務室を出て長い回廊を行く。
現代魔術論の学部棟を出て、鉱石科の学部棟に足を踏み入れると件の人物にはち合わせた。
彼女、遠坂凛は私を認識すると驚きの表情と共にこう口にした。
「アンドリュー、どうしたの?こんなところで?」
「ここの名物講師から呼び出しを受けてね」
「ふーん」
そこに遅れて彼女の愛しのダーリン、衛宮士郎が現れた。
彼もまた驚きの表情と共に凛と同じ言葉を口にした。
「アンドリュー、あんたどうしたんだ?こんなところで?」
「なんだ、君まで。僕はここでは犯罪者扱いか?」
30分後私は彼ら2人を伴ってウェストミンスターのレストランで昼食を摂っていた。
オープンテラス席で麗らかな日差しの中での優雅な昼下がりの時間になるはずだったが1つ大きな問題があった。
それは供されたミートパイが災厄と言っても良いほどに不味かったということだ。
半分ほどを残して完食を諦めた凛が、口元を拭いながら私に抗議の言葉を告げた。
「……もうあなたと外食には行かないわ」
「いや、これは失礼。ミートパイは比較的外れが少ないんだがね」
食後、ブラックティーを啜りながら話題は時計塔の話になった。
私はロード・エルメロイⅡ世と旧友であり、時折彼の依頼を受けて実験資材の調達を請け負っているという事実を簡潔に述べた。
彼から凛についての話をされた事は伏せ、近いうちにコーンウォールに資材調達に赴くという話をした。
私の話が終わると凛と士郎は顔を寄せ合って何かを相談し始めた。
親密でキュートな光景だ。
相談を終えると彼女は私にこう尋ねた。
「コーンウォールのどこに行くの?」
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1週間後、私は依頼主が用意したランドローバー ディフェンダー 90 PUのハンドルを握っていた。
後部が解放荷台になっているこのピックアップトラックなアメリカ的ゲテモノ車で士郎が窓側
一番小柄な凛が真ん中の狭いシートに身を屈めて座っていた。
1週間前の最低な味のランチの際に彼らは聖杯戦争でセイバーのサーバントとしてアーサー王(驚くべきことにアーサー王は
を召喚したという事実を私に伝えセイバー巡礼の旅をしようと思っていると私に言った。
「もうグラストンベリーには行ったの。だから今度はコーンウォールかなって」
私の目的地はこの国の文字通り端、ランズエンドだ。
彼らが向かおうとしているアーサー王所縁の地、ティンタジェルに寄っていくことは可能だった。
私は途中まで彼らを乗せていくことを快諾した。
早朝に出発した我々は途中の
バーガーキングはどこで食べてもバーガーキングの味がする。
素晴らしいことだ。
「しかし、本物のアーサー王と会えたとはなんとも羨ましい限りだ」
私はラージサイズのワッパーをほおばりながらこう口にした。
凛は紙ナプキンで口元を拭って答えた。
「そう?」
彼女は士郎の口元にソースが付いているの気が付き別のナプキンを取ると彼の口元を拭った。
実に自然な仕草だった。
私がティーンエイジャーだったら思わず赤面してしまいそうな光景だ。
彼らを眺めつつ私は言った。
「ああ、アーサー王はチャーチル、ビートルズ、ハリー・ポッター、デビット・ベッカムの右足にケイティ・プライスの胸に並ぶ英国人の誇りだ。
失礼、最後のは豊胸手術だったが……とにかく羨ましい限りだ。彼……いや彼女はどんな人物だったんだ?」
凛は人さし指を口にあてるとしばし思案しこう返した。
「そうね。……でも今話すのはやめておく。ほら、そういうのって知らないほうが色々想像できて楽しいじゃない?」
A30道路を南下し分岐でA395道路に乗る。
セントクレザー、ホールワーシ―、デイビッドストウを経由してティンタジェルに到着した。
私は彼らをティンタジェルの中心部にある観光案内所で降ろすと、このヴィレッジでの移動はタクシーをつかった方がいいという忠告と
今夜はベットの上で裸でするアマチュアレスリングにたっぷり興じてくれという言葉を残し、彼らの返事を待たずに車を発進させた。
そこからA39道路からA30道路を南下しランズ・エンドまでのおよそ70マイルの道のりを私は一時間半で走破した。
ここ、ランズ・エンドもかなり観光地化が進んだがまだ荒涼としたイングランド特有の原風景は健在だ。
私は荷台からバケツを下すと崖を下り海水をたっぷり汲み上げ乗せた。
その作業が終わるとまた崖を下り、依頼人が所有する天然の採石場に向かった。
魔術で秘匿されたその場所は一般人が足を踏み入れる事はない。
私はたっぷり3時間ほどかけて質の良いコーンウォール石を掘り当てるとまた崖を上って車に戻った。
気が付くと陽が沈みかけていた。
とりあえずこれでノルマは終わりだ。
私は死体のように重たい鉱石の入った籠を荷台に乗せ今日の宿泊地である近隣のB&Bに向かった。
その夜、シャワーを浴びバス・ペールエールの瓶を口にしながら部屋のテレビでディスカバリーチャンネルの世界の戦車特集を視聴していると
私のモバイルフォンが鳴った。
電話の主は士郎だった。
「あ、アンドリューちょっとこのまま待ってくれ。今変わるから」
電話口の向こうから快活な声で「これ、このまま話せばいいの?」という言葉が聞こえてきた。
なるほど、どうやら携帯からかけてきたようだが使い方の分からない彼女のために士郎がサポートしたのか。
数秒後、私の想定通り士郎に代わって凛が電話に出た。
私がティンタジェルについての感想を尋ねると、彼女はティンタジェル城は美しかったが
カムランの丘だと言われているスローター・ブリッジは殺風景なただの石橋だったということを教えてくれた。
彼女はさらに「
ありがとう、これで1つ私もお利口になれたわけだ。
話が終わると彼女は逆に私に尋ねた。
「ねえ、いつまでそっちにはいるの?」
「もう用は済んだからね。明日あさって中にはロンドンに戻るさ。君たちはどうするんだ?」
「もっと南の方にも寄って行こうと思っているの。だから時間あるなら一緒にどうかなって」
「ふむ」
私はしばし思案し彼らに候補としてセント・マイケルズ・マウントの名前を挙げた。
翌日私は彼らをペンザンス駅まで迎えにいった。
セント・マイケルズ・マウントは英国のモン・サン=ミシェルと呼ばれている風光明媚な観光地だ。
モン・サン=ミシェルほど観光客が多くない点も素晴らしい。
私は彼らを伴い干潮で出来た道を通って修道院のある小島へと渡った。
10月の太陽は弱々しく、辿り着いた時には陽がくれ始めていた。
小島の丘の上にある修道院に入ると島全体を見渡す事ができる。
そこに広がっているのは私が昨日ランズエンドで目にしていたのと同じ
コーンウォール地方特有の荒涼とした海岸線と美しい海だった。
凛と士郎は肩を寄せ合い海をじっと眺めていた。
少し離れて彼らの様子を観察していた私に凛が尋ねた。
「ねえ、ここもアーサー王伝説所縁の場所なんでしょ?」
「そうだ。円卓の騎士トリスタンの伝説が伝わっているが……それだけではなくここがアヴァロンなのではないかとも言われている」
「ウソ! グラストンベリーじゃないの?」
「グラストンベリーが最も有力と言われているがね」
彼女はしばらく私の言葉を咀嚼するとこう言った。
「すごく負けず嫌いだったわ」
「何?」
私は彼女が何の話をしているのか分からなかったが、士郎には分かったらしい。
彼は彼女の言葉に補足するように言った。
「それに食い意地が張ってたな」
「そうそう。いつも自分の分を食べ終わったら士郎の分を物欲しそうに見てたっけ」
そこまで聞いて私にも合点がいった。
彼らは"セイバー"の話をしているのだと。
"彼女"の話を続ける凛の瞳に小さく光るものが見えた。
聖杯戦争ではマスターが召喚したサーバントの裏切りにあう事も珍しくないと聞く。
2人の様子を見る限りきっと彼らと"彼女"はよほど良い関係を築けたのだろう。
「なんか話してたら懐かしくなっちゃったな。またどこかで会えたりしないかな、セイバーに」
「アーサー王はアヴァロンで眠りにつき国難の際には目覚めるとも伝えられている。案外ここから叫んだら彼女に聞こえるかもしれないな」
私はそう心にも無い事を言うと、「先に戻る」と告げ修道院を辞した。
私の背中越しに彼らの思いのたけを込めた言葉が聞こえてきた。
自分で焚きつけたとは言えとても見ていられない。
海に向かって叫ぶことができるのはティーンエイジャーの特権だ。
私は彼らを待つ間、荒涼とした海を眺める事にした。
海岸線に夕陽が沈んでいく。
タバコに火を点けその光景を眺める。
美しい光景だが、かのアーサー王にとって海とは外敵の押し寄せる象徴であったに違いない。
今の平和な英国において同じ風景を見たら彼女はどのような感想を抱くのであろうか。
そのような思索に耽っていると私はいつの間にか自分の目の前に見知らぬ少女が立っていることに気が付いた。
身長およそ5フィート強の小柄な少女は時代がかった青いドレスを身に纏っていた。
金砂を散らしたような髪、頭には強い癖っ毛が1本立っている。
青磁のような肌、翡翠の瞳、小さな唇のパーツで構成された顔はこの世のものとは思えないほど美しく神秘的だった。
どれほどの時間が経ったか。
彼女は短い言葉を発した。
英語にドイツ語を混ぜたような固い響きの独特の言葉。
恐らく古英語だ。
古英語は失われた言語であり聞いたところで意味など分かるはずがない。
しかし不思議と私には彼女がなんと言ったのか理解できた。
"あなたに神のご加護があらんことを"
彼女はきっとそう言ったのだ。
気が付くと彼女は消えていた。
私は彼女の残像を目に焼き付け、その存在が立っていた空間に向かって言った。
「ええ、あなたにも。アーサー王」
そこにはただ、オレンジ色に照らされる海と荒涼とした海岸線が広がるばかりだった。
最後までお付き合いありがとうございます。