Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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原作主人公、ヒロイン再登場です。


再会

 まさかこんなことになろうとは。

 

 どうせ今日は戻るまいとホテルをチェックアウトしたのは迂闊だった。

 予想以上に早くハムステッドでの仕事を終えた私は、今夜の寝床を探すべく、

ロンドン中の安ホテルに電話をかけまくっていた。

 そしてすべて空振りに終わった。

 

 私はまだ英国領だった香港で生まれ、10代でロンドンに移ったれっきとした

英国民だ。

 しかし、1年の半分を国外で過ごすため、この国に住居を持っていない。

 ホテルに空きがないということは、つまり、私にはこの街での今夜の寝床がないということだ。

 

 ロンドンにホテルがいくつあるのかわからないが、目ぼしい安ホテルが全滅とは、

まったく運がない。

 こんなことは初めてだ。

 

 とはいえ、この事態はそこまでクリティカルではない。

 どうせ明日の昼にはまた機上の人になり、翌日には国外に居る。

 店の人間には嫌がられるだろうが、24時間営業の店に居座るとしよう。

 

 さて、さしあたってはどうするか。

 ここハムステッドは静かな郊外だ。

 

 大都市の騒音に馴れきった私に、この静かさは心地悪い。

 ひとまず地下鉄のゾーン1のエリアまで移動することにした。

 24時間営業の店を探すにしてもその方が効率いいだろう。

 

×××××

 

 ハムステッドから地下鉄で20分。

 

 私はテムズの河畔に佇んでいた。

 

 眼の前ではロンドンの新名所、ロンドンアイがファンシーな輝きを放ち、

テムズを挟んだその対岸で時計塔が怪しげに光っていた。

 歴史的建造物と現代建築が同居する、この街ならではの光景だ。

 

 ――なぜここに足が向いてしまったのだろうか。

 

 ――時計塔、通称ビッグベン。

 

 観光客にとっては唯の名所の一つだが、我々魔術師にとっては特別な意味を持つ。

 

 魔術協会。

 魔術師たちによって作られた自衛・管理団体。

 

 その総本部がここにある。

 魔術を学ぶものにとっての最高学府でもあり、私もほぼ形だけではあるがここに在籍していたことがある。

 

 私は魔術を使いはするが、魔術を学術的に研究する「まっとうな」魔術師とは違う。

 碌に講義にも出ず、出ても惰眠を貪っていたのは必要な基礎を実地で学び終えていたからというのもあるが、それ以上にとにかく肌に合わなかったからだ。

 

 ロンドンはさほど広い街ではないが、いつもここに来るのは自然と避けてしまう。

 にも関わらず、何かの不思議が作用して私はここに足を向けていた。

 

「――行くか」

 

 中年に片足を突っ込みかけたいい大人が、夜風に吹かれながら黄昏ているのはあまりにも虚しすぎる。

 私は自分がここに足を向けた奇妙に眼をそむけ、ウエストミンスター駅へと歩を

進めようとした。

 

「こんばんは」

 

 幾分か幼い響きの女性の声で、しかも英語の母国であるこの国の首都にいながら

日本語で。

 突如後ろから声をかけられた。

 

 振り向くと、昼間小さな親切を施した黒髪の少女と赤毛の少年が立っていた。

 少年は両手に袋を持って少女の後ろに立ち、少女はじっと私を見ていた。

 

 この時間に魔術教会の総本部の近くに居て、

2人からは魔力―少年の方は微弱だが―を感じる。

 

 この2つの事実から、2人の身の上を推理するのはシャーロック・ホームズなら

欠伸の出る作業だろう。

 

「……君たち、時計塔の学生か」

 

 隣の少年が一瞬、デヴィッド・ベッカムのフリーキックを初めて目の当たりにした

新人ゴールキーパーのようにポカンとしていたが、やがて口を開いた。

 

「え?あんた魔術師なのか?遠坂、お前、気づいてたのか?」

 

 少女は「仕方ない」と「呆れた」がないまぜになったなんとも曰く難き表情を

していたが、やがて気を取り直したらしく口を開いた。

 

「昼間はありがとう。助かったわ」

「感心だね。素直に礼を言える。

僕の10歳の姪っ子にも見習わせたいよ。

僕に姪っ子はいないがね」

 

 私の渾身のジョークは2人の心を素通りしたらしい。

 まるで何の反応も帰ってこなかった。

 

 私はまるで何もなかったかのように澄ました表情で続けた。

 

「ロンドンの治安はそう悪くはないが、あまり遅い時間に外出するのは感心しないな。

用があって外出するなら昼間にした方が良い。

日本ほど治安の良い国はないと一歩国外に出るとわかるものだぞ」

「そういうあなたはこの夜遅くに何をしてるのかしら?」

 

 黒髪の少女が言った。

 

 私がロンドンに住居を持っていないこと、今夜の寝床を見つけ損ねたことを

正直に話した。

 

「とはいえ、明日の昼には機上の人になる身だ。まあ、なんとかなるさ」

 

 私はそう言うと、踵を返した。

 

 すると赤毛の少年が、誰もがお互いに無関心なこの欧州随一のメガシティでは

決してありえないと思われることを言った。

 

「あんたさえよかったら家にこないか?」

 

 ちょっと、シロウ――少年の名前だろうか――と少女が少年を小突いた。

 当たり前の反応だ。

 小さな親切の恩ぐらいはあるだろうが、出会ったばかりの他人を泊めるなど無警戒にもほどがある。

 私は大人として少年を諭すことにした。

 

「僕は見知らぬ他人で、魔術師だ。無警戒すぎる。

僕が見かけに寄らぬ極悪人で君たちを害しようとしたらどうするんだ、君は?」

「その通りね。じゃあ、決まり」

 

 黒髪の少女はそう言った。

 物わかりのいい子だ。

 

「少年、彼女は聡明だな。君も今後は気をつけろよ」

 

 そう言って立ち去ろうとする私の背に、思いがけぬ言葉がかけられた。

 

「一晩、あなたを招待するわ」

 

 私はハイドンの94番の交響曲を初めて聞いた聴衆のごとく驚いて振り向いた。

 

 少女は大きな眼で私を見据えている。

 明らかに人をかつごうとか、からかおうという人間の眼ではない。

 彼女は本気だ。

 

「もう1度言うが、僕は見知らぬ他人で魔術師だ。

大人として改めて忠告する。やめた方がいい」

「そういうことを言う人が悪い人だと思えないわ。どう?」

 

 私を見据える少女の眼は実に聡明そうだった。

 

「まったくだ。君は聡明だな。わかったご相伴にあずかろう」

 

「じゃあ、行きましょう」と言って少女が歩き出す。

 

 日用品だろうか、袋を両手に持った少年もごく自然に少女に寄り添って歩き出した。

 微笑ましい光景だ。

 このままこの光景を額縁に収めれば、ナショナルギャラリーかテートブリテン

に並べられる日が来るかもしれない。

 タイトルは『恋人たち』というところだろうか。

 

「なあ、あんた夕飯は済ませたのか?」

 

少年が歩きながらこちらを振り返って言った。

 

「いや。ケバブでもかじって済ませようかと思っていたところだ」

「俺たち、夕飯まだなんだ。あんたもどうだ?」

「ありがとう。いただくよ。一宿の恩が一宿一飯の恩になるな」

 

今度は少女が振り返って言った。

 

「――ところで

私は遠坂凛、こっちは衛宮士郎。

あなたの好きに呼んでいいわ。

あなたは?」

「僕はアンドリュー・マクナイト。

君たちの好きに呼んでくれていい。

よろしく。リン、シロウ」




今回はここまで。
あと2,3回この話が続きます。

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