東京は世界最大級のメガシティで、アジア最大級の国際都市だが住民の人種的多様性はそれほどでもない。
ロッポンギあたりに行けば我々のような"ガイジン"は珍しくないが、ロッポンギの外国人は多くが短期滞在の"ガイジン"であり、住民の人種的多様性を広げているわけではない。
そんな東京でも多くの外国人が現地に在住し、根を張っている場所はある。
我々が降り立ったのはそういう場所だ。
ここはもともとはコリアンタウンだったが、今では東アジア、東南アジア、南アジア、西アジアの要素が加わりさながらアジア・エキシビジョンセンターといった様相を呈している。
長身で長髪で目つきの悪いガイジンと憎らしいほどハンサムなガイジンの二人組もここではさほど目立たない。
やたらと陽気なインド人の客引きや、やたらと陽気なトルコ人の客引きをBGMに、様々なスパイスの匂いが立ち込める街路を歩いていく。
住所を頼りに、生ものとスパイスの匂いが混ざり合う業務用スーパーマーケットとネパール料理店の角を曲がる。
大通りより一段静かになった路地に入ると、浅黒い肌でスリムな妙齢の女性がこちらに手を振っていた。
目的の人物が迎えに来てくれていた。
依頼人であるジェーン・ディークシャ・オサリヴァンはインド人とアイルランド人の混血でゴールウェイで生まれ育った。
魔術師の家系に生まれながら魔術の才に恵まれなかった彼女は時計塔には進めず、苦学してロンドン大学を卒業した。
その後、縁あって日本に渡った彼女は東京大学の大学院で学び、現在は東京都内の私立大学で講師をしている。
日本は頑なに選択的風別姓を法的に認めようとしないが、国際結婚だけは例外だ。
日本人の夫を持つジェーンがルーツの一つであるアイルランドの名前を名乗り続けているのはそういった事情に由来する。
比較文化学を専門とし、大学で教鞭を執る世俗に根を張った人物だが一応は魔術師でもある。
ただし、工房を作って術を行うような興味はなく、彼女の興味は学問としての魔術だ。
神話や伝承に詳しく、大学でもその方面で教鞭をとっている。
ゲームディレクターである夫と出会ったのもその学問的興味がきっかけになった。
シナリオに関するアドバイスをもらおうと世界各地の神話に詳しい彼女にコンタクトをとり、気の合った二人は友人になり恋人になり、やがて夫婦になった。
そこら中に転がっているような転がっていないような出会いだ。
また、それ以降ジェーンはゲーム業界で少しばかり名前を知られるようになり、様々なゲームメーカーが彼女にアドバイスを求めるようになった。
五十代半ばで中学生の子供がいるが、引き締まった体つき(本人曰くヨガの効果)で肌の張りもいい。
さすがに二十代には見えないが、少なくとも五十代には見えない。
苦み走って皴の寄ったウェイバーよりも彼女の方が若々しく見えるぐらいだ。
私がそう言うと、ジェーンは屈託のない笑顔で「ありがとう」と言った。
ウェイバーは苦み走った顔で「うるさい」と言った。
自宅に通された我々に香り高いマサラチャイがふるまわれた。
スパイスは自身で調合したものらしい。
インド移民の母譲りだそうだ。
ゲームディレクターの夫と中学生の子供はともに留守で、家にいるのは我々だけだった。
平日の夕方に普通の人間は大抵家に居ない。
我々が普通でないのはすでに何年も前に自覚したことだ。
彼女は数年前に人ヅテで私の存在を知り、以降、世界中で仕事をこなした私の貴重な「フィールドワーク」の経験を聞かせている。
以来、定期的にやり取りをする中になった。
今回は彼女から鑑定の依頼を受けていた。
ジェーンの父であるマーティン・オサリヴァンは中世から続くそこそこに古い家系の魔術師だった。
とりわけ、代々道具作成には定評があり、オサリヴァン製の魔道具と言えばちょっとした高級品として知られていた。
それが時代と共に衰退し、マーティンはオサリヴァン家の正当な後継者で最後のまともに道具作成ができる人物になっていた。
ジェーンは魔術回路がほぼ消滅しており、知識はあるが解析は出来ない。
どうせならば卓越した知識の持ち主でまともに魔術を扱える人に鑑定して欲しい。
加えてオサリヴァン製の魔道具となるとなかなかの価値がある。
優秀でも人間性に問題のある魔術師となると騙して買い叩いていく危険性がある。
そうなるとロード・エルメロイ二世以上の適任者は居ない。
彼は超一級品の知識を持ち、少なくとも魔術に対しては誠実だ。
魔道具の価値を見誤ることはないし、魔道具に不当な安値を付けて買い叩いていく危険性も低い。
時計塔名物講師の存在は世俗的な魔術師の間でも有名で、私がロード・エルメロイ二世の旧友(彼は私のことを「知人」と主張しているが)であることを知ると、出来ればエルメロイ二世に鑑定してもらいたいと切望した。
偉大なるエルメロイ二世がゲーム好きであることを知ると、夫のコネで最新ゲームの体験版を餌にすること――提供することを提案し、解析役兼日本語通訳兼仲介役として私が同行することとなった。
「こちらへどうぞ」
マサラチャイ飲み終わり、一息ついた我々は目的に部屋に案内された。
三年前に妻に先立たれたマーティン氏はアイルランドの工房を引き払い、娘夫婦と同居していた。
魔道具の作りすぎで体がボロボロだったため、最後の数年間はほぼ魔道具製作はしていなかったという。
それでも魔術師としての本分は死ぬまで変わらず、娘のジェーンとは殆ど魔術の会話しかしなかった。
義理の息子とも孫とも会話らしい会話は禄にせず、残った時間の大半をこの部屋にこもってやはり魔術に費やしていた。
ここはいわばマーティン氏最後の工房だ。
そんな風に晩年の父のことを語るジェーンの口調は決して楽しそうではなかった。
話したくないことを話さざるを得ないので最小限の言葉で語っているという様子だった。
魔術師が普通の親子関係を築けないことなどさして珍しいことではない。
魔術刻印や技術を受け継ぐ対象であり、それ以外のものと見做せないような輩を私は少なからず見てきている。
残念ながらマーティン氏もそういう良くも悪くも魔術師らしい魔術師だったのだろう。
加えてジェーンは衰退しきった魔術回路しか持っていない。
親子関係以前に、娘に興味すら持っていなかったかもしれない。
先導するジェーンが部屋のドアをゆっくりと開ける。
扉自体が空間に魔術的な蓋をする役目を果たしてきたのだろう。
開けた途端、入り口に向かって濃厚な魔力が漏れ出してきた。
「これは……宝の山だな」
ウェイバーが隣で呟いた。
ベッドと机以外、生活用品らしきものが見当たらない部屋。
その部屋を雑然と様々な魔道具が占めていた。
私は魔道具に特別詳しいわけではない。
しかし、それらは私でも直感的に価値の高さがわかるほど強烈な魔力を放っていた。
あふれだす魔力に気おされる私を尻目に、偉大なる時計塔の講師は意気軒昂だった。
「マクナイト、鑑定を手伝え。大仕事になるぞ」
彼は生き生きとした様子で屈みこみ、品々を検め始めた。
〇
その翌々日。
我々は二日半かけて鑑定を終えかけていた。
ほぼすべての魔道具が用途と鑑定額で分類された表に収まっていった。
管理者であるジェーンの希望は「適当な方法での処分」だったが、これほど多くの価値ある品が一か所に渡ってしまうと何かしらの問題になりかねない。
時計塔の法政科か、名家の当主で腹芸の特異なライネスか、金とコネのあるメルヴィンか、そのあたりに対処の方法を相談することになるだろう。
訪日三日目にして有能な我々は仕事を終えていたが、ただ、一つだけ用途が判然としないものがあった。
ケルティック・ノットとガンダーラ美術を思わせる模様があしらわれたスープボールのような陶器だ。
このような魔道具を私は見たことが無いし、ウェイバーも覚えがなかった。
ただ、ウェイバーはわからないなりに見当がついたようだ。
「これはミセス・オサリヴァンに見せるべきものだ」
そのような意味ありげなことを言った。
〇
訪日三日目。
我々は鑑定がほぼ終わったことを報告し、ジェーンと報酬や魔道具の処分方法など事務的なやり取りをした。
ロード・エルメロイ二世の説明にジェーンは大いに納得し、「適当な方法で処分してほしい」と改めて依頼した。
さらに「やはり無理にでも貴方にお願いして正解でした」とも付け加えた。
「マダム。ところで……ですが」
そろそろ辞去の挨拶をしようかという雰囲気になったところでウェイバーが切り出した。
「お父上は貴方に特別何かを残したいという話はしていませんでしたか?」
予想外の発言だったのだろう。
ジェーンは面食らいながら言った。
「……いいえ。父とは最後まであまり個人的な話はしなかったので」
ウェイバー抱えていた物を差し出した。
「では、これをご覧になったことは?」
マーティンの工房で見つけたスープボールのような陶器だった。
彼女は差し出されたものを検めた。
「いいえ。初めて見ます。スープボールのように見えますね。この模様はガンダーラ美術とケルティック・ノットの混合でしょうか?面白い意匠ですね」
彼女のあくまでも学術的な見解を述べた。
そこに個人的な感情のようなものは見えなかった。
ウェイバーはスープボールのような陶器をそっとジェーンに渡した。
そして断固とした口調で言った。
「これは貴女が持っているべきです」
彼女の頭は多くのクエスチョンマークで占められていたに違いない。
だが、とにかく彼女はその陶器を手に取った。
その時、何らかの魔術が発動したのが分かった。
我々二人――言い換えると魔術師二人がその陶器に触れても何も起きなかった。
ということは、ジェーンが触れた時にだけ動作するような魔術的仕組みが組み込まれていたのだろう。
魔術の発動に続いて感じたのは匂いだった。
その匂いは素朴で、夕方に住宅街から漂ってくるような懐かしい匂いだった。
匂いの元は件のスープボールのような陶器だった。
陶器の中を見ると、黒っぽいスープのような液体に満たされていた。
ジェーンはボールの中身を見て驚愕の表情を浮かべていた。
「……ギネスシチューです」
陶器から暖かい湯気が立ち上っている。
「父は生活上必要な事を殆ど何もしない、本当に魔術師らしい人でした。
でも、『料理をすると考えがまとまるから』と、たまにキッチンに立つことがあって。その時、決まって作るのがギネスシチューでした」
彼女は吸い寄せられるようにボールに口をつけ、中身の液体を一口すすった。
そして心の底から絞り出すように言った。
「父はギネスよりビーミッシュの方が好きで、ギネスシチューにもビーミッシュを使ってました。レシピを真似したけど同じようにならくて……でも、これは父の味です」
私は何と言うべきかわからなかった。
ウェイバーは述べるべき見解を述べた。
「見ての通り、このスープボールのような陶器にはケルトと南アジア双方の特徴が見られます。食材が湧いてくる不思議な容器の伝承は世界各地にありますが、これはケルト神話のダグザの巨釜とインド神話のドラウパディーの壺を習合させたものを魔道具として人工的に再現したのでしょう。ケルトとインドが融合した存在が意味するもの……つまり貴女です。マダム」
そして締めくくった。
「これは形見のつもりだったのでしょう。マーティン氏はとことん魔術師だったため、言葉ではっきり残すものを伝えられなかった。それで魔術に残すべき思いを込めた。何にせよ貴女のお父上は評判にたがわぬ優秀な魔術師だったようだ」
ジェーンの目には涙が光っていた。
〇
辞去の挨拶を述べた後、我々は雑然としたネパール料理店で中々イケるダルバートとモモを口にしていた。
ウェイバーはいつもの渋面で「辛い」と文句を言ったが、「不味い」とは言わなかった。
素直じゃない奴だ。
店は我々のようなガイジンが多かった。
日本人用にローカライズされた店ではないのだろう。
それが私には心地よかった。
「魔術師も人の親なのだな」
食事を終え、なかなかイケるチャイを飲みながら私は言った。
「マーティン氏の行動は少々ねじれてはいるが、僕には娘に対する愛情表現に見えた。ジェーンの話ではマーティン氏は典型的な魔術師だったが、本当に典型的な魔術師ならそもそも元々の工房を捨てて遠い異国の娘のところに身を寄せるなんて同意しないだろう。愛情表現の仕方がわからなかっただけなのだろうな」
偉大なる時計塔講師は言った。
「ミセス・オサリヴァンはマーティン氏が親子の愛情を持っていたこと自体に面食らっていたようだがな」
私はそれに対して友人得意の一般論を口にした。
「馴染みが無いものだから奇妙に見えるということだろう。一般論だがな」
久しぶり更新です。以前の感想で書いてくださった方がいたので、今回は意識してSCP風にしてみました。
次回、久しぶりオマケを更新します。