Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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引き続き『空の境界』とのクロスオーバーです。
空の境界のあの人たちが出てきます。


往訪

 早朝の東京。

 成田国際空港に降り立った私を迎えたのは真夏の東京の強烈な熱気だった。

 湿気を含んだ空気が熱気と共にねっとりと私の肌にへばりつく。

 

 亡き私の祖父母はこの東京に居を構えていた。

 香港、ロンドンと共に私にとっては第三の故郷と言える。

 もっとも、私の血縁者はもはやこの街にも国にも1人もいないが。

 

 もはや遠い記憶だったが、祖父母のことは好きだった。

 具体的な記憶はほとんど消え失せてしまったが、夏休みに東京に来るたびに

感じていたこの熱気は私にノスタルジーを感じさせた。

 

 空港の出口までたどり着くと、東京に来るたび公共交通機関の混雑ぶりに

うんざりさせられていた私はタクシーを使うことにした。

 

 タクシーの運転手は50がらみの初老の男性だった。

 この国の国民には白人を見ると急に緊張してしまうという不思議な習性があるが、

どうやら運転手は私のような「ガイジン」に馴れているらしく、

まったく物怖じすることなく日本語で行き先を聞いた。

 

 私が日本語で(祖父を亡くして以来、あまり話さなかったが、士郎と凛のおかげでかなり高水準を保っている)行き先を告げると、「はいよ」という短い一言と共に車は走り出した。

 

「お客さん、日本語上手いね」

 

 初老の運転手がフランクに話しかける。

 

「亡くなった祖父が日本人でね」

 

 私は今まで何度も日本に来るたびに聞かれてきた質問に答える。

 

「おじいさんの墓参りか何かかい?」

「そんなところだ」

 

 そこで会話は途切れた。

 

×××××

 

 目的地はすぐに分かった。

 

 そして、すぐにたどり着けたという事実は橙子がすでに不在であることを知るには十分だった。

 彼女がいた頃この廃墟ビル、伽藍の堂は強固な結界が張り巡らされていた。

 その結界は人から意識を逸らせる効果を持っていた。

 

 私は初めて蒼崎橙子に対面した時、このビルをすぐに見つけることができたが、

それは彼女に手のひらで踊らされていたからだ。

 全く持って当時の私は愚かだった。

 

 彼女がもうここにいないことはほぼ確かだったが、一応の可能性を信じ、

ビル内に向かう。

 

 そこに住んでいたのはやはり橙子ではなかった。

 

 現在の住人である瓶倉光溜という青年は、いかにも「ガイジン」風の私が突如訪ねてきたことに面喰っていた。

 彼は明らかに何も知らない。

 僅かな可能性に賭け、彼に橙子の風貌を告げたが、やはり彼は橙子のことを知らなかった。

 

 予想はしていたが落ち込む。

 彼女は何も言わずに私の前から姿を消したわけだ。

 

 このままロンドンに引き返そうかという考えがちらと私の頭を掠めたがそれではあまりにもそっけなぎる。

 親友とまで言えずとも、友人の消息だ。

 もう少しぐらい探すのが友情というものだろう。

 

 私は、何かの手掛かりになるのではないかと思い、建物の所有権を持っている人物を聞いてみた。

 瓶倉青年が恐怖に顔を青ざめさせながら出した名前は、私にとっても恐怖を想起させられる人物だった。

 

「とにかくありがとう」

 

 私はそう告げると建物を辞し、記憶を頼りの目的の場所を目指した。

 

×××××

 

「はい」

 

 

 記憶を頼りにたどり着いた巨大な日本家屋のインターフォンを鳴らすと、

低くいかつい響きの男性の声が応答した。

 

 私は恐怖で乱れた呼吸を整えると言った。

 

「突然の訪問失礼するが、

リョウギシキさんはご在宅だろうか?」

「どちら様でしょうか?」

「ご在宅なら

アンドリュー・マクナイトが来ていると伝えていただきたい」

「……お待ちください」

 

 名前を告げると、すぐに迎えが来て、私はあっさりと中に通された。

 

 迎えは長身で鋭い眼光をした30代後半と思しき男性だった。

 ――見覚えがある。確か

 

「アキタカだったね?」

「ええ、そうです。マクナイト様」

 

 それが会話の終わりだった。

 帰りたい。切にそう思った。

 

「こちらです」

 

 私は物々しいこの建物の中でも特に風格ある1室に通された。

 

 恐る恐るドアを開け、中に入る。

 

 物憂げな、そしてただならぬ気配を漂わせた黒髪の美女が、少女と戯れていた。

 

 少女は黒いワンピースを着て、主人と戯れる子犬のように無邪気に話しかけ、

女は和服を体の一部のように着こなし、凛とした佇まいで少女をあやしていた。

 

 朝の光が差しこむ部屋で戯れる物憂げな美女と見目麗しい童女。

 まるでモネのジャポニズム絵画のようだ。

 

 彼女の内面を知らなければ小1時間ほど見惚れていたかもしれない。

 

 彼女は私の姿を認めると少女に言った。

 

「外で遊んできなさい。未那」

「はい、お母様」

 

 少女は残念そうに彼女から離れると、私に歩み寄り言った。

 

「それでは、御機嫌よう、おじ様。

ごゆっくりどうぞ」

「ああ、御機嫌よう。お嬢さん」

 

 少女は私を部屋まで連れてきた秋隆に連れられどこかに去って行った。

 屈強な目つきの悪い大男といたいけな幼女。

 事情を知らない人間が見たらまるで誘拐犯と被害者だ。

 

 部屋で2人きりになった私と座ったまま正対し、彼女は言った。

 

「よお。アンドリュー。

お前、生きてたのか」

「ああ、この通りだ。

君は相変わらず気怠そうだな。シキ」

 

 ――両儀式。

 彼女は私がこの世で最も殴り合いのケンカをしたくない相手だ。

 

 橙子と初めて対面してから2年ほど後。

 突如、橙子から「見てほしいものがある」と連絡があった。

 

 彼女の暮らす伽藍の堂を再び訪れた私は、紫煙の立ち込める部屋に立っていた。

 

「マズそうな匂いのタバコだな」

 

 出会い頭に私が言うと彼女は答えた。

 

「台湾の職人が作ったマズいタバコだ。

お前も試してみるか?」

「遠慮する。

マズいものなど我が国の料理だけで十分だ」

 

 彼女は例の邪悪な微笑みを浮かべ、言った。

 

「やはりお前は面白いな」

「それで、僕に見てほしいものとは?」

「ついて来い」

 

 私は何の情報も与えられないまま、橙子の運転する悪趣味なカラーリングの車に乗せられていた。

 橙子は変わらず邪悪な微笑みを湛えている。

 私は嫌な予感しかしなかった。

 半ば拉致されたような気分だった。

 

「ところで、アンドリュー。

金、貸してくれないか?

今月ピンチでな」

 

 ハンドルを握りながら助手席の私に彼女が話しかける。

 

「返す保証は?」

 

 私がそう答えると彼女は言った。

 

「必ず返すさ」

 

 私は溜息交じりに答えた。

 

「それは返さない人間の決まり文句だ」

「なあ、頼むよアンドリュー」

 

 尚も懇願する彼女に私は言った。

 

「トウコ、君のような人間に金を貸すのは恵むのと一緒だ。

恵んでもらうなら、それなりの頼み方というものがあるはずだ」

「面白い。言ってみろ」

「そうだな。

『旦那さま。この生活能力のカケラほどもないブタにいくらか恵んでいただけませんでしょうか?』

というのはどうだ?」

「その旦那さまというのはお前で、ブタは私か?」

「他に誰がいる?」

「アンドリュー、お前、命は惜しくないのか?」

 

 橙子から殺気が発せられるのを感じた。

 

「……いいや。許してくれ。僕が悪かった。

僕は旦那さまではないし、君はブタではない」

「わかってるじゃないか」

「そのかわり、今度からブタを見たらトウコと呼ぶことにしよう」

 

 そうして橙子に連れられやって来たのがこの屋敷だった。

 私は、この凶暴の権化、両儀式と無情にも対面することになった。

 

 初めて会った時、式はまだ10代の少女だった。

 今と同じように体の1部のように和服を着こなし、

性格を知らなければ見惚れてしまうような凛とした存在感を漂わせていた。

 その隣には黒髪の、いかにも人畜無害そうな少年が居た。

 

「式、紹介しよう。

こいつはアンドリュー・マクナイト。

アンドリュー、彼女は両儀式だ」

 

 「はじめまして」と私は式に手を差し出し、

彼女はいかにもつまらなそうに手を出して我々は初対面の握手をした。

 

「それとこっちは黒桐幹也だ」

「よろしく」

 

 少年はいかにも感じ良さそうな笑顔で私に手を差し出した。

 「よろしく」と私も彼の手を取って答えた。

 

「それで、僕に見せたいものとは何だ、トウコ」

 

 その疑問にトウコは応えて言った。

 

「式、見せてやれ」

 

 そう言われると式は、いかにも気怠そうに縁側に出ると、

舞い落ちる緑の新緑に指を一閃した。

 

 次の瞬間は、まぶしい新緑の葉は真っ二つに切れていた。

 

 私は驚きと共に言った。

 

「……直死の魔眼か」

「ご名答だ、アンドリュー」

「それで、僕にこれを見せてどうする?」

 

 私の疑問に橙子は、例の邪悪な微笑みを浮かべて答えた。

 

「いや、私はいい友人を持った。

魔術と武術、両方の心得がある人間なんて他にアテがなくてな」

 

 30分後。

 私は胴着を着せられ、両儀家の道場で両儀式と対面していた。

 嫌な予感は大当たりだった。

 私は、式の持つ異能の体の良い実験台として呼ばれたわけだ。

 

「式、手加減はしてやれよ。

こいつは殺すには惜しい男だ」

 

 式はまたしてもいかにもつまらなそうに言った。

 

「……努力はする」

 

 そう言うと彼女はゆっくりと立ち上がり、真剣を無形の位に構えた。

 

 その瞬間、私は死を覚悟した。

 

 

「お前、殺したことがあるのか?」

 

 ほんの10分、彼女と打ち合っただけで、心身とも疲れ果てた私は

道場の冷たい床に大の字になって寝そべっていた。

 私を見下ろし、静かにそう言う彼女に息も絶え絶えに私は答えた。

 

「……何度か。止む無くね」

「何を感じた?」

「銃の反動」

 

 彼女はようやくほんの少しだけ興味を交えた口調で言った。

 

「お前、面白いな」

 

 こうして、なぜか私は彼女に気に入られた。

 そして時折、便りを送りあう仲になった。

 

「……さて、先ほどの少女だが―」

 

 今や大人の女性となった彼女に私は言った。

 

「彼女は両儀家が新たに始めた誘拐ビジネスの被害者か?」

 

 彼女は少しも面白くなさそうに、眉ひとつ動かさずに言った。

 

「……面白い。続けてみろ」

「……待てよ、以前、君にもらった便りだが、あれはエイプリルフールのジョークではなかったのか?」

「……それで?」

 

 私はこんな稼業をしている。

 驚くような出来事に遭遇することは少なくない。

 だが、私が今までに他の何よりも驚いたのは、凶暴の権化である彼女、両儀式と

人畜無害もいいところの黒桐幹也が結婚し、あろうことか子供まで設けていたという

便りが届いたことだ。

(私は住所不定だが、郵便物は私書箱に届くようになっている)

 

 私は写真の同封された便りを見て、思わず1人ごちた。

 

「良くできた合成写真だ」

 

 しかし、その写真はどう見ても合成ではなく、

 便りの筆跡は明らかに両儀式のものだった。

 彼女はジョークを言うような側面などただの1つも持ち合わせていない。

 ということは、式と幹也は結婚して子供をもうけたのは事実ということになる。

 式と幹也が惹かれあったことは今もって、私にとってはバミューダトライアングル級の謎だ。

 

「お前のその命知らずのユーモア、オレは結構好きだぜ。

言ってみろよ?」

「いや、君とミキヤの間にあの少女が生まれたということは、

その、君とミキヤは子作り、つまりナニをしたわけだよな?」

 

 彼女は微笑みを浮かべたまま何も言わずに私を見ていた。

 恐ろしい。だが、私の軽口はとまらない。

 

「女性の中には暴力的な性癖を持つものがいると聞くが、

凶暴の権化のような君のことだ。

例えば、カマキリみたいに交尾した後に男性を食べてしまうのではないかと思っていたが、どうやらミキヤはまだ存命中らしい。

という事は君はミキヤを食べていない?」

 

 彼女は微笑みを湛えたまま言った。

 

「……食べてない」

「本当に?」

「本当だ」

「人間以外のオスも食べない?」

「……削ぐぞ?」

「分かった分かった。

あの子は誘拐してきたわけでも、木の股から生まれてきたわけでもない。

君とミキヤの子だ」

「お前に出した便りにそう書いたはずだけど?」

「……そうだな。

では、ここまでの話をまとめよう。

君はミキヤを食べていない?

合ってる?」

「……ああ」

「そして、先ほどの少女は君とミキヤの子だ。

合ってる?」

「……最初からそう言ってるだろ」

 

 彼女は明らかに苛立ち始めている。

 だが、私は口から生まれたような人間だ。

 どうしても止まらない。

 

「了解だ。

――だが、念のため、あの子と君のDNAテストによる親子鑑定を……」

「冴えない遺言だったな」

 

 そこで、両儀家の召使いだか家政婦だかが現れ、

 グリーンティーと茶菓子を置いて去って行った。

 命拾いした。

 人をからかうのは私の習性だが、彼女はからかうだけで命がけだ。




最後までお読みいただきありがとうございます。
次回で東京編、完結です。

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