アルドノア・ゼロ ―たった一つの冴えたやりかた― 作:日々平穏
新芦原市を紫色の機体が闊歩する。
名をニロケラス。次元バリアを装備した火星カタフラクトである。
「それでトリルラン、貴殿の調査状況はどうなっている?」
そのニロケラスの遥か上空に黒い機体がホバリングしていた。
「どうやら、この新芦原に既に人が居る様子は無いのだが。貴殿は一体何をしているのだ」
「は!今回の催しの責任者らしき人物を発見したのですが逃げられてしまい、それを追っているところです」
ニロケラスのパイロット、トリルランは背中に冷たい汗が流れているのを感じた。今回の自分たちの行いが、この若造に露見してしまえば一族郎党処刑されるのは免れない。
「そうか、それで責任者とやらは何処に逃げたのだ」
「奴らは北部のトンネルに逃げ込んで行きました。ですが、ご安心を。奴らがこの新芦原北側の区画から抜け出すことは出来ません」
コックピットのなかで大きく手を広げ、リーリエに余裕を見せるトリルラン。
「いやに自信があるなトリルラン。一度逃がしたというのに」
だが、その態度にリーリエは酷く不快な気分になった。
彼としては珍しいことだが、リーリエはこの騎士に苛立っていた。
姫が眠る土地を荒らし、そして自分の責務を果たしていない。彼のなかでは叱責を受けて当然の振る舞いであった。
更に苦言を吐こうとしたリーリエの目に、小さな点が映る。点は例のトンネルから飛び出し、一直線にニロケラスに近づいていく。
「トリルラン、貴様に近づいている飛行物体は何だ?」
「は?」
これ以上、伯爵の機嫌を損ねるわけにはいかないトリルランは慌てて、鷹の目から送られてくる外部の視覚情報に目を走らせる。
目に捉えたのは子供が遊びで使うような小さな飛行機。
飛行機はニロケラスが腕を一振りすることで消滅した。
「お気にせず、リーリエ卿。どうせ小賢しい地球人の悪知恵でしょう」
自信ありげに言うトリルラン、今の行動で地球人の策略を潰した気でいるのだろう。
その一部始終を見ていたリーリエは訝しむ。相手は同じ思考する人間。ならば、この事態を打開する方法を考えているはず。
「と、考えると……」
ふむ、とリーリエは小さく頷く。
「トリルラン、私は地上で姫殿下暗殺の件の調査を行う。その間、ネズミの監視を頼むぞ」
「ち、地上に降りるのですか。危険なのでは……」
「こうしていても事態は進展すまい。今は持久戦をしている時ではないのだ」
「は。出過ぎた真似を」
「構わん、では頼むぞ」
近くの空き地にラーウェイを着陸させたリーリエは徒歩でトンネルに向かっていた。
先ほどの飛行物体、あれは間違いなく偵察をするための物だ。で、あれば敵は集めた情報から、作戦を建て尚且つソレを実行する戦力が整っているはず。
リーリエの読みでは、トンネルがどこか違う場所に繋がっていることは確定事項だった。
トンネルを早足で進む。
今の彼の姿は、黒髪黒目。どこからどう見ても日本人。服も黒いパーカーにジーンズと一般的な若者の服装である。リーリエは変装用のホログラム発生装置を使ってこの姿になっていた。
進み続けると一台の装甲車が止まっているのをリーリエは見つける。ここで乗り捨てた、ということは恐らく近くに抜け道があるはずだ。
リーリエは周りを見渡して扉を見つける。
扉を開けると、その先は通路になっていた。
「さて、行くか」
この先に居るのは地球人。火星人であることがバレた時には命は無い。装備は拳銃が一丁のみと貧弱極まりない。リーリエは危険だと判断したら即撤退、と自分に言い聞かせる。
緊張しながら共同溝を歩くこと十五分ほど、出口の扉に辿り着く。
ドアノブを掴み、ゆっくりと開く。
外に出たリーリエの視界に入ったのは大きな建物だった。窓が多く、外観も周囲の住宅とは大きく違う建築物。
「ここは、何かの拠点か?」
窓の全てがカーテンで覆われており、外から中の様子が覗けないようになっていた。
リーリエは意を決して、建物の入口から内部に侵入。昇降口から入って、廊下に顔だけ出して人の居るかどうか見る。
廊下に人影は無かったが声だけは奥のほうから少し聞こえてきた。
少し悩んで、リーリエは声の元へ近づくことを選んだ。
無人の廊下を歩いているとリーリエの耳に男女の会話が届く。どうやら女のほうが声を荒げているようだ。
「なら、どうして…!」
「あの火星人、どういうわけか僕らを狙ってムキになってる。つまりここで僕らが粘っていれば、市街や港に攻撃が及ぶことはない。幸いこのあたりの住民は避難が済んでいるしね」
「だからって…っ」
声の源は男子トイレだった。そこの前には白衣を着て眼鏡をかけた人物が壁に背を預けて立っている。
「ああ、すいません。今少々取り込んでいて。もう少ししたら終わると思うので待ってもらえませんか?」
男は小さな声でリーリエに話しかけてきた。科学者か医者のような風貌のその男は、リーリエが男子トイレに用があると勘違いしているようだった。
顎を引いて、肯定の意を示す。
その間に、中の二人の会話に決着がついたようで少年と一人の女性がトイレから出てきた。
「じゃあ、ユキ姉。これからブリーフィングするから着いてきて。一応、軍人の目から見て作戦に無理が無いか見て欲しい」
「しょうがないわね」
先ほどまでの騒々しい様子とは違って和やかに二人は会話している。
二人は見慣れぬ人物が医者の隣に立っていることに気が付いたようだった。
「あの、耶賀頼先生そちらの方は」
「トイレを使いに来たみたいですが、ユキさんが中に居たのでちょっと待ってもらったんですよ」
耶賀頼の言葉にユキと呼ばれた女性の顔が赤くなる。
さすがに見ず知らずの人間に男子トイレに入っていたことが知られるのは恥ずかしいようだった。
だが、リーリエは女性の反応を後目に少年の前に立つ。
「なあ、君はあの火星カタフラクトを撃退するつもりなのか?」
「はい、そうしないとここから逃げられませんから」
話しかけられた少年は表情を変えずに返答した。
「あのカタフラクトの性能を見たうえで、そう言っているのか?」
「ええ」
短い言葉で肯定する少年にリーリエは目を細める。
彼としても情報を集めたら直ぐに撤退するつもりだったが、気が変わった。
「君に興味が湧いた、その作戦に俺も協力する。ブリーフィングに参加させてくれないか?」
地球人が一体どんな戦術を立てるのか。リーリエの興味とは、そこだけだった。
一つの空き教室に五人の男女が集まっていた。
「で、伊奈帆。そっちの人はどちら様?」
金髪の少年の言葉に四人の視線がリーリエに向けられる。
「そういえば僕もまだ、名前を聞いてなかった」
「なんだそりゃ」
「そういえば、自己紹介がまだだったね。俺の名前は如月慶、如月とでも呼んでくれ」
リーリエは背中を壁に預けたまま笑みを浮かべて偽名を名乗った。
「今回の作戦に俺も協力したくてね、伊奈帆君に声をかけさせてもらった」
成程、と頷く金髪の少年。
「俺はカーム・クラフトマンです」
「私は、網文韻子です」
「私が貝塚ユキで、そっちが弟の伊奈帆ね。見たところ同い年ぐらいだからタメ口でいいでしょ?」
「ああ、俺もそちらのほうがやりやすい」
一通り自己紹介が済んだところで伊奈帆がブリーフィングを始める。
彼は、それまで収集した情報からニロケラスの次元バリアの特性を見破っていた。僅か数回しか次元バリアを見ていないはずだというのに。
「俺が聞く限り完全無敵に聞こえるけど。伊奈帆君、そのバリアに突破法はあるのかい?」
実際、リーリエのカタフラクトでニロケラス倒すのは骨が折れるどころではなかった。次元バリアという能力は本当に攻防一体の隙の無い力なのである。
「無いです」
伊奈帆の断言に場が静寂に包まれる。
「じゃ、じゃあ伊奈帆はどうやってアイツをやっつけるつもりなの?」
「そうだぜ、今の話を聞く限りはお手上げじゃないか」
伊奈帆はクラフトマンの言葉に首を横に振る。
「うん、バリアを破る方法は無い。でもアイツを倒すことは出来る」
手元の端末を伊奈帆が操作することでスライドが変わる。
「アイツのバリアは完璧すぎるが故に、外の情報すら完全に遮断してしまうんだ。僕の考えではあのバリアの裏側は真っ暗に見えるはず」
「でも、だったどうしてアイツの攻撃は当たるの?」
「確かに。こっちを見てねーんならどうやって狙いをつけてんだ?」
「あいつは逃げる僕達をビルの向こう側から正確に攻撃してきた。でもあれだけしつこく追ってきたくせに…。僕らがトンネルに入った途端、あっさり諦めた」
リーリエは頭を抱えたくなった。あの騎士はどれだけ多くの情報を敵に与えているのだ、と。
「きっとバリアの外側を見ていたのはアイツじゃない。アイツは視界を確保するために、おそらく…上空に別のカメラを用意しているんだと思う」
スライドが新芦原を上空から撮影したものに変わる。
「こんな感じ」
全部正解だった。バリアの特性を見切って、そこから弱点を把握している。リーリエは伊奈帆に感嘆した。同時に、敵に回したくないとも思った。
「そこまで分かってるなら、作戦もあるんだろう伊奈帆君?」
作戦の説明を聞いたリーリエは伊奈帆、網文、クラフトマンと一緒に格納庫に来ていた。
「ねえ、伊奈帆」
「カットで出るのが俺たち三人、囮トラックに二人は必要だろ?誰に頼む?」
リーリエから見て、学生の三人は仲が普段から仲が良いことが伝わってくるような距離感で話していた。日常的に一緒にいることが多かったのだろう。
一歩引いたところで見守っていたリーリエに伊奈帆は目を合わせる。
「如月さんはカットとトラックの操縦は大丈夫ですか?」
「うーん、カットのほうは駄目かな。あまり学生時代成績は良くなかったんだ」
「そうですか、では囮トラックの運転をお願いします」
リーリエがカット、カタフラクトの操縦に自信が無いのは嘘ではない。
当然のことであるが、火星人であるリーリエは地球製のカタフラクトは一度も操縦したことが無い。彼としても、操縦桿の形どころかモニターの形式すら違う機体に命を懸けた戦場で乗るわけにはいかなかった。
「如月さんにトラックを運転してもらうとしても、あと二人ぐらいは欲しいな。誰に頼む?」
トラックの運転に一人、煙幕を張るのに一人、予備役が一人欲しいというのが彼らの実情だ。
クラフトマンの言葉が終わるときに、二人の少女が姿を現した。
ピンク色のポンチョに白いマフラーを着た北欧系の十代の少女。
――そして、クルーテオ城で紅茶の準備をしていた黒いワンピースを着た少女。
「私に、お手伝いさせてください!」
「姫さ…」
少女が、何かを口にしようとしたエデルリッゾを黙らせる。
「北欧美人……」
「この窮地、この試練。私には引き受ける務めがあると感じます」
クラフトマンが何かを小さく口にして網文に肘で打たれている。何か下らないことを言ったのだろう。その会話はリーリエの耳には届いているが情報として脳が認識しなかった。ただ目の前の二人の少女に、彼の視線は釘づけにされていた。
リーリエの様子に気づかず、さらに別のところから赤毛の少女が近づいてくる。
「アイツは私の父を殺した、私にも協力させて」
「こっちも命がけだぜ」
「わかってる、任せて」
赤毛の少女の言葉にクラフトマンと伊奈帆は顔を見合わせて頷く。
「決行は明朝、日の出とともに出発しよう。あの火星カタフラクトを撃退する」
少年達の間で話が進んでいくなか、リーリエは呆然と北欧系の少女を見ていた。