今回のお話は、特命係長ネタの幕間です。
ある日、師匠の私室でそこらに放り投げられている空き缶やゲームの包み紙を掃除していると、ふと一冊の本が目に入った。タイトルは、『ゴジラ検証』。
それなりの年月を経ているのだろう。その本の項は捲るまでもなく黄ばんでいることが分かり、表紙も色あせている。どうやら表紙には何か白黒の写真が印刷されていたみたいだが、色あせた今では写真の輪郭もおぼろげとなっていた。
ただ、年月を経た本というのは師匠のアパートでもさほど珍しくない。世界各地の伝説を紐解き、そこからかつて存在した巨大生物やそれを封じる封印、先人たちが如何に巨大生物を討伐したかという記録を見つけ出すことが師匠のライフワークだ。そのために、世界中からありとあらゆる巨大生物関連の記録が収められた古文書を集めているのだから。
現に、この師匠の私室も壁一面に古書が並んでおり、まるで古書店のような光景だった。
何故、この本に目が留まったのか。それは恐らく、先日師匠が講義の中でちょうどゴジラについて話していたからだろう。
『ゴジラ――記録に残る怪獣の中で、最も謎が多く、最も強い怪獣こそヤツだろう』
『ヤツには特筆すべき能力などといったモノは特にない。その巨大な体躯と水爆にも耐える強靭な防御力、そして数万トンの怪獣をも跳ね除ける凄まじい膂力。それだけでヤツは全ての怪獣の頂点に君臨する化け物だ』
『その戦闘力はアルテミット・ワンにも匹敵……いや、下手をすれば凌駕するやもしれん」
『こういう哲学的な言い方はあまり好きではないが、ヤツはまさに人類の全ての業を背負った存在だと言えよう』
師匠が講義で溢した言葉を思い出す。師匠にしては、いささか感情が篭った講義だったということもあって、先の講義のことは特に印象に残っている。
私はそのまま好奇心に惹かれるままにゴジラ検証の表紙を開き、それと同時に鼻腔に直撃した煙草の臭いに顔を顰めた。この臭いはいつも師匠が吸っている葉巻の臭いではない。おそらく、この本の前の持ち主の吸っていた煙草の臭いが染み付いているのだろう。
なるべく臭いを遮断するためにマスクをつけ、そのまま黄ばんだ項に目をやる。どうやら、この本は1954年のゴジラの東京発上陸からの半年間、新日本新聞の夕刊に連載されていたゴジラ関連の記事をまとめたもので、大部分をインタビュー記事が占めていた。
このインタビューに応じていたのは、その当時様々な形でゴジラに関わった人々であった。例えば、前代未聞の事態に頭を抱えた政府関係者だったり、首都防衛のために死力を尽くして戦い抜いた自衛隊員や幕僚であったり、ゴジラの姿が一番最初に確認された大戸島の住民といった人々だ。
様々な人間があの日、ゴジラと様々な形で好むと好まざるとに関わらずゴジラという超常の存在に触れた。彼らの体験談や感想を通じてゴジラとは一体なんだったのか、それを包括的に検証しようという企画のようだ。
まず、私が注目したのは当時政権与党であった保守党の政治家、小森という人物が寄せた手記だった。彼はゴジラ上陸時、特別対策委員長としてゴジラ対策会議の陣頭指揮を執っていたらしい。
「ゴジラは太平洋戦争で散った数知れぬ英霊達や犠牲となった無辜の民の魂の集合体ではないだろうか」
まるで太平洋戦争末期に戻ったかのごとく燃え盛る東京の街を見て、彼はそう思ったらしい。彼自身、一兵卒として南方戦線に出兵し、飢餓、病魔、連合軍兵士と死に物狂いで闘った経験があるから分かるのだという。
「あの戦争からたったの九年。それなのに今の日本は何だ。変わりゆく街の姿や昔と様変わりした人々、新聞やラジオの報道を見ていると、あの戦争を過去のものだと切り捨て、忘れようとしているように思えてならない。俺たちが命を投げ打ってまで守ろうとしたものがこれなのか。戦争を忘れて日々を能天気に過ごすお前達のために、俺たちは死ななければならなかったのか。もしそうだったとしたら決して許すことはできない。こんな国、踏み潰してやる」
怨念が結集して怨霊となり、実際に何がしかの現象を起すということは、魔術的な見地から考えるに十分ありうる話だと私は思った。小森氏は魔術師でもない一般人であろうが、その感性は中々鋭いものがあるのかもしれない。
そんなことを考えながらページを捲ろうとしたとき、師匠の私室の扉がギギギという鈍い音を発しながら開いた。
「グレイ、何を読んでいる?」
「師匠……」
長い髪から潮の香を漂わせながら入室したのは、この部屋の主にして私の師匠、ロード・エルメロイ二世だった。
「随分と早かったですね」
「ふん、最速タイムを十五秒ばかし更新しただけだ。いつもと比べて特別早いというわけではない。大方その本に熱中しすぎて時間を忘れていただけだろう。掃除も終わってないようだしな」
思わず部屋の壁に取り付けられた時計を見る。針が指し示す時刻は確かにいつも師匠が鍛錬の日に帰ってくる時間だった。慌てて掃除を再開しようとすると、師匠は手を掲げて私を制止した。
「まぁ、いい。君が時間を忘れるほど一冊の本に没頭するというのも珍しい。掃除は後日で構わん。代わりに、今日は特別講義でもしてやろう」
そう言うと師匠は葉巻を燻らせながら本皮張りのチェアにゆっくりと腰を降ろした。その様子からは、とても真冬の北海からテムズ川までスイムで遡上するという意味不明な鍛錬をしてきた帰りだとはとても思えない。
鍛錬に(強制的に)同行した弟子たちは今頃、テムズ川の畔でいつものように力尽きて救護班のお世話になっているだろうに、どうしてこの人はピンピンしているのか。ジープに追い掛け回されたり鉄製のブーメランやガンドが飛び交う中での回避訓練をしたりと、エルメロイ教室は魔術師らしからぬ特訓には事欠かない。
「『ゴジラ検証』か……最期まで読みきったか?」
「いえ。まだ四分の一ほどが残っています」
「そうか」
師匠はそう言うと、後ろの本棚から一冊の冊子を抜き出して私の前に差し出した。
「宿題だ。論題は『ゴジラとは何か』。君の思うところを正直にまとめてくれればいい。提出期限は七日後の正午。その冊子は参考資料として貸してやる」
私は教授から受け取った六十ページ弱ほどの冊子の表紙に視線を降ろす。タイトルは、『とくかえれかし』。著者は、山根恭平とある。
「山根……恭平?」
その名前には見覚えがあった。確か、先ほどまで読んでいた『ゴジラ検証』の中にも手記を寄せていた人物である。
「山根博士は初めてゴジラの存在を確認し、研究を始めた人物として知られている。ゴジラ東京上陸の翌年に病没しているが、彼の残した手記が彼の死後、在籍していた東京大学の出版部で一冊の本に纏められて、小数部出版された。それがこいつだ」
二冊の本を借り、師匠の部屋を後にした私は、その日『ゴジラ検証』と『とくかえれかし』を徹夜で読みふけった。
特命係長ネタを考えていた時に、拙作におけるウェイバー君の設定補完のために書き上げていた幕間の物語です。
後編はゴジラとは何ぞやという問に対する自分なりの答えをグレイに代弁してもらう予定でしたが、そもそも活動報告などで自分の考えはあらかた出してしまっているので、今更書かんでもええやろと考えました。
死蔵するのももったいないかと考えまして、途中放棄した文を、ちょっといじくって再構成しました。