後、新着活動報告があります。この作品に関わるものですので、是非見てください。
眼下の光景を見た弾は、深山町に足を向けた。
「ルーラー?」
「山を降りる。あの炎の中で、助けを待っている人がいるはずだ」
ウェイバーに声をかけられた弾は歩みを止め、静かに、それでいて己の無力への怒りを滲ませた声音で答えた。
「私は、ゴジラを倒せなかった……もはや、私にはあの地獄をどうにかする力もない。だが、あそこで助けを求めている人を救えるだけの力なら辛うじて残されている。救える力があるのなら、救えるだけ救う、いや、私は救わなければならない」
そう言うと、弾は再び歩き出そうとした。すると、呆然と地獄を見つめていた一人の男が声をあげた。
「……待ってくれ。僕もいく」
衛宮切嗣だった。その頬は涙で濡れ、瞳には後悔と悲嘆が見て取れる。目の前の光景を生み出したことへの罪悪感から救援を申し出たのは、言われずともウェイバーには分かった。しかし、それを弾は同行を拒否した。
「駄目だ。この先は普通の人間が長時間活動できる世界ではない。この高温では火傷や脱水症状は避けられないだろうし、一酸化炭素濃度が高まっているから呼吸も満足にできない場所が多々ある。そして何より、あの場所に長時間留まれば、放射線障害で動くこともできなくなる。君もほぼ確実に命を落すぞ」
「それでも構わない。僕は、あそこに行かなければならないんだ」
弾の言葉を無視して進もうとする切嗣。だが、弾は切嗣の肩を掴み、強引に止める。
「あの炎の中で、生存の見込みのあるものがどれだけいるか。そして、炎を潜り、瓦礫を掘り起こして生存の見込みのあるものを探す作業は、とても短時間じゃ終わらない。仮に生存者を見つけられたとしても、そこから安全圏まで運び出すにはさらに時間がかかる。人間では、それだけの時間あの地獄に耐えることは不可能だ」
「僕の命はどうでもいい。この手をどけてくれ」
「助けだしたとて、その後どうする?安全なところまで送り届けるのは他人任せにするのか?」
弾の反論に切嗣は答えられない。ただ、彼は目の前の光景を黙って見ていることには耐えられない。その心境を察したのか、ここで弾は助け舟を出す。
「救出作業は私はやる。しかし、私は救出作業中にも消えるかもしれない身だ。私がここまで連れてきた人の面倒を、君が見るんだ。孤児がいるかもしれない、五体満足でない人がいるかもしれない、生きる糧を全て失った人がいるかもしれない――彼らがもう一度前を向いて、顔をあげながら歩けるようにする。遠からず消える私にできないことを君がやるんだ。だから、君はここで死んではいけない」
理屈で人を救い、理屈で人を殺してきた切嗣は、セブンの説く理屈を否定するにたるものを見つけられない。元々、切嗣は理屈では納得すればどんな感情ですら押さえ込んで人の命を――己の妻子の命ですら奪える男だ。だからこそ彼はここで己の感情を優先した行動を取ることはできなかった。それが、『正しい』ことであるが故に。
切嗣が足を止めたことを確認した弾は、全力で山を駆け下り、燃え盛る街へと姿を消した。
紅い龍の身体から、白い光が立ち昇る。
光は天へ向かい、龍は地面から絶え間なく湧き出す白煙の中で、まるで炎にくべられているかのようにもがき、苦しんでいる。凶悪な形相の中に、初めて憎悪と憤怒以外の感情――苦悶が見て取れる。
龍の名はゴジラ。怪獣の王にして、核の業、戦争の業と怨念をその身に宿す邪悪の化身である。
白煙を巻き上げ、白い光の柱に飲み込まれるゴジラ。舞い上がる塵や水蒸気に反射した光は、ダイヤモンドダストのように美しい光景を演出している。ウェイバー・ベルベットもその光景を素直に美しいと思ってしまった。
しかし、この美しい光景を演出しているものは、同時に多数の人間の死を演出する死神の鎌に他ならない。光の中には凄まじい強さの放射線が潜み、舞い上がる煙や塵、水蒸気は放射性物質に汚染されている。
放射線は一瞬で人体を侵し、放射性物質に汚染された空気は見えない爆弾となって人の体内へと消えていく。放射能の測定をしていた自衛隊化学科は、目の前の計器が示す数字に目を疑い、そして呆然として呟いた。
「物凄い放射能だ……」
広島や長崎、ビキニ環礁の放射能の比ではない。チェルノブイリ原子力発電所の事故をも超える、国際原子力事象評価尺度では量りきれないレベルの原子力災害とも言えよう。死の灰は野を超え山を越え、広範囲の飛び散る。
放射能は地を侵し、海を侵す。野の草木は枯れ、蚯蚓も、螻蛄も、アメンボも生きとし生ける命を蝕む。海に流れた放射能は、海流に沿って日本海に流れる。国境を越え、広範囲に流れる放射能は幾多の魚や海の生物の身体を蝕み、それを喰らう人々の命すら侵すだろう。既に、深山町の住人には影響が現れている。辛うじて生きていた人々が次々と倒れ、息絶えていた。
だが、放射能障害は一代で終わるものではない。辛うじて生き延びたとしても、遺伝子にも悪影響が及んでおり、放射能障害が子々孫々にまで受け継がれることですらありえる。放出された放射性物質の半減期は、数千年、いや、数万年。つまり、放射性物質が害のなくなるまでには、人類史に匹敵する、いやそれ以上の時間が必要ということになるのである。
生きとし生ける全ての命を侵す毒を己が身体から振り撒きながら、その中で悲痛な叫びをあげるゴジラ。その姿は、白い光と靄を振り払おうと必死になっているようにも見えた。
破格のサーヴァントから袋叩きになっていたときですら苦しみをあげなかったゴジラが、悲鳴をあげている。その悲鳴は、今はもう声をあげることのできない犠牲者達が、生前に伝えることが叶わなかった悲痛な叫びにも聞こえた。飢餓と病が蔓延る南洋の諸島で、焼夷弾の降り注ぐ街で死んでいった人々の無念を、怒りを、哀しみを孕んでいた。
ゴジラの背鰭は熱で真っ赤に染まり、その身体は所々溶け出していた。皮膚が蝋細工のように溶け、だらりと垂れる。皮膚が溶け墜ちただけでなくさらに肉が捲られ、一部は骨までもが顕になる。
核の力で生まれ、核の力を宿したはずの核の申し子が、広島や長崎で原子の炎に焼かれた犠牲者たちと同じような姿になって苦しんでいた。核の犠牲者と、核の申し子の末期の姿が非常に似通っていることには、運命というものを感じずにはいられない。
ゴジラは天を見上げる。聖人を迎えに来た天使の階段のような光の先を見つめたゴジラは、小さく咆哮する。いつものゴジラのような大気を震わす圧倒的な覇気に満ちた咆哮ではなく、今にも枯れそうなほどに掠れたか細い咆哮。それなのに、そのか細い叫びはこれまでのどの咆哮よりも心を震わせた。
ウェイバーには、叫びが、戦争と核という人の業によって命を不条理に奪われた人々の無念を、核という力を童子のように分別なく振るう人類への憤怒を、そして、歴史の中に消えていった自分たちを忘れた現代の人々に対する憎悪を知らしめようとするものに思えてならなかった。
最後の咆哮と同時に、ゴジラの胸が一瞬大きく膨らむ。胸が破裂し、そこからマグマや真っ赤に溶けた鉄を思わせる色をした血潮が飛び散った。その様子はまるで、活火山が噴火したようにも見えた。
咆哮の余韻も消えぬ内に、ゴジラの身体はさらに溶けていく。身体中の肉が溶けおち、身長60m体重30000tの巨体を支える巨大な骨格の姿が顕になる。
しかし、それもまた一瞬のことだった。ゴジラの骨も高温によって溶け、ゴジラの全てが光に包まれていく。
――そして、幻想的な、それでいて儚さを感じさせる光が立ち昇る。憤怒、憎悪、無念……ゴジラの内包する怨霊とその叫びも含んだゴジラの全てが、光の中に還っていった。
冬木の街に、幻想的な光景がつくりだされた。
黒煙が覆う空の下で紅く染まった大地、そして、大地から天へと昇る光の柱。
天を見れば、それはまさに天が与えた光景だった。
天に昇る柱が発する光の正体は、チェレンコフ光だ。チェレンコフ光は朝日によってオレンジに染まるはずの冬木を、真っ白な光でその上から染め上げる。地表から吹き上がる水蒸気や粉塵は白い光を反射し、ダイヤモンドダストが舞うような神秘的で美しい光景を演出していた。
地獄に蜘蛛の糸ではなく、天使の作った道が降ろされているようにも見える。芸術家ならば、いや、何も知らない一般的な感性を有する人ならば感動すら覚えたであろう、荘厳ともいえる光景だった。
地を見れば、それはまさに地獄が具現化した光景だった。
かつて、繁栄を象徴する近代的な鉄筋コンクリートでつくられたビル群が立ち並んでいた未遠川を挟んだ東側の地区、新都にはもはやかつての面影は微塵も感じられなかった。
高温によって溶けて変形したアスファルトと焼け焦げたコンクリート片が散乱した地面。所々から黒煙が噴きあがり、灰色と黒、そしてそれを照らす紅い炎が地表を完全に染め上げていた。
原型を留めている建物は数えるほどしか存在せず、かつての繁栄の残滓はほとんど残っていなかった。
一方、未遠川を挟んだ西側の地区、深山町は灰と黒、それを照らす赤の世界となった新都とは対照的に赤と紅が支配する世界となっていた。
深山町は一面が真っ赤に染まっている。いたるところに巨大な火柱が立ち昇り、火柱は気流によって渦を巻いて広範囲を焼き尽くす。まさに、地獄の底とでも言わんばかりの惨状がそこにあった。
焔の海の中には、煙に巻かれ一酸化炭素中毒によって命を落としたものもいれば、火災によって直接焼き尽くされて黒炭と化したものもいる。そして、致死量の放射線を浴びて何が起こったのかもわからずに死んでいくものも少なくない。
生き残ったもの――正確には辛うじて生きながらえているものもいないこともない。しかし、彼らもまた、命を落としたものたちとは紙一重の状態だった。
あるものは、身体中に酷い火傷を負い、熱傷によって剥がれた皮膚を垂らし、皮膚の下の赤々とした肉を顕にしながら歩いている。またあるものは、全身血だらけになり、こぼれ落ちた臓器や千切れた腕を大切そうに抱えながら当てもなく救いの手を捜し続けている。亡者のような恐ろしい姿を晒して人々が歩き続ける様は、この世こそ地獄であると証明しているようだった。
一見、五体満足に見える人々も、その身体の中には既に見えざる死神の手――放射線が忍び寄っていた。身体中の穴という穴から血が噴出したり、髪が抜け出したり、気持ち悪さから嘔吐したりと、確実に放射線障害は彼らを蝕んでいた。
「
そう呟いた言峰綺礼の目には、目の前の光景が極上の景色にしか見えなかった。ゴジラの発する熱線によって焼かれた大地。かつては住宅地だったはずの深山町は紅蓮の炎に包まれ、命を焼く音に支配されている。
一方、綺礼の父親である言峰璃正の目には、目の前の光景が最後の審判のようにも見えた。光の道が善き人を天国へと誘い、残された者は、地に広がる地獄で苦役のみを与えられているようだ。
同じ神を信じる道をゆく親子でありながら、目の前の光景に抱いた印象は完全に相反している。
璃正は最初に主の導きを見て、綺礼は最初に人の業を見た。そして、その光景の下に現れた悲劇に視線を移した璃正は哀しみ、地獄の上につくられた天国への階段を見た綺礼は喜んだ。笑みを隠せない綺礼と、涙を隠せない璃正。
だが、幸か不幸か、二人は互いに相手がどんな顔をしているのか、何を想っているのかなどは考えず、ただ目の前の光景を見つめていた。璃正は、息子の吐き気を催すような本性の発露を、見逃してしまった。
そして、致命的なすれ違いを顕にした親子の隣で、ウェイバー・ベルベットはポツリと呟いた。
「これが、僕たちの償いなのか……」
「償い……」
ウェイバーの隣で己を責め、無力さに絶望していた衛宮切嗣が反応した。
「魔術を、英霊を弄んだ、僕たち魔術師の……」
ウェイバーの頭に浮かんだのは、
――『生命は定められた時の中にこそあるべし』
この石版に彫られた文の意味をモルに聞くと、彼女はこう答えた。
『死者の魂に、人間が手を触れてはいけない。サーヴァントは皆、死者です。私達、過去の存在は時の流れの中に葬られなければなりません。マスター、貴方も二度とサーヴァントを召喚しないでください。人間が、死者の魂を戦いの道具とすることは、大いなる過ちに他ならないのです』
話を聞いた時のウェイバーには、モルの言葉の重みがまったく分からなかった。だが、こうして死者がつくりだした地獄を見た今ならば分かる。死者の眠りを妨げることがどれほどに愚かな行為であるのか。
ある意味、ゴジラも永遠の眠りを妨げられた被害者だ。死者の眠りを冒涜する自分たち、魔術師という存在に対して怒りを覚えていたのかもしれない。
しかし、ゴジラは、己の怒り、哀しみ、無念を破壊というかたちでしか訴える術を持たなかった。自分の想いを伝える最後の機会において、己の死を愚弄した魔術師に、そしてゴジラを生み出した人類の記憶に、自分の全てを刻み付けるほどの破壊を望むことはゴジラからしてみれば当然のことだったのかもしれないとウェイバーは思う。
「ふざけるな……」
己に対する怒りに、どうしようもない絶望に、この地獄を作り出した罪人としての罪悪感に切嗣は震える。
これは、魔術師の――自分たちの過ちだ。万能の願望器などという甘言に釣られた愚か者が世界を滅ぼす力を持った怪獣王をこの世に呼び戻し、この世に地獄をつくりだした。これを罪とせず何を罪とするのか。
しかし、その罪は自分たちが被るべきものであり、自分たちが償うべきものだ。この街に居合わせたという理由だけで多くの人々の命が奪われていいはずがない。死ぬのは、自分たち魔術師だけで十分なはずだ。
「ふざけるな!!……馬鹿野郎!!」
切嗣は、この光景を作り出した魔術師という人種、罰を関係のない人々に下すことを『償い』とする真理、そして奇跡を信じてパンドラの箱を開けた愚かな自分を罵倒せずにはいられなかった。
死の街となった冬木市をその両目に焼付けながら、誰に謝ることもできず切嗣は慟哭した。
――199×年、ゴジラ死す。
ゴジラは死んだけど、もうちっとだけ続くんじゃよ。
多分、後2話で完結します。
繰り返しになりますが、新着活動報告是非見てください。