フーと散歩   作:水霧

73 / 78
第六話:ふるいとこ

 この気持ちはいつかきっと、消えてなくなるものだとばかり思ってた。だってそうでしょ? 老朽化した建物のように崩れてくれる。浜辺に書いた文字を波がさらってくれる。そんな感じで、長い時間が経てば……。

 でもそんなことはなかった。いつまでたってもぽっかり穴は埋まらない。

 なぜだろう。もう長いこと経っているのに、どうして立ち枯れているのに……。

 ただひたすらに寂しい。寂しい。

 誰かこの穴を埋めて。何でもいいから穴を埋めて……。

 

 

 三日前、一人の旅人が訪れる。サイズの大きい黒いセーターに紺色のパンツ、新品のスニーカーという服装だった。大きいリュックを背負い、ウェストポーチを左右に二つ提げている。セーターの胸元から水色の四角い首飾りを垂らしていた。

 入国した国は城壁のない村に近い国だった。住民たちは白い山と森林を背景に、湖の岬に家を並べて暮らしている。よそ者の旅人を拒まずに受け入れ、客人として持て成してくれた。辺境な地に住んでいると言う住民たちにとって、旅人の旅話はとても人気がある、とのことだ。

「こんにちは。この声は“ダメ男”の主“フー”と申します。少しの間、お世話になります」

 旅人の首飾りから発した女の“声”。名前を“フー”と言う。旅人は“ダメ男”。それを住民たちが知るやいなや、ますます気に入られてしまった。

 滞在中にすることは湖の岬の最先端での旅話。教師の授業を真剣に聞く生徒たちのように、なぜか正座で静かに聞いていた。

 二日前。フーの旅話中にある住民の男が尋ねた。

「頼みがあるんだ」

「?」

 その男は住民の代表として、と前置きして、話し始める。

「ここからずっと南の方に、変な国があるんだ」

「変な国ですか?」

「青い花が一面咲いてる国で、中に入ろうとしても柵か何かで囲われてて入れないんだ。そこを調査してほしい!」

 その国は何百年も前から存在し、毎日十センチほど移動しているのだと言う。優れた測量士が毎日計測したものなので、間違いないという。しかし、いくら調査しても中に入れそうな所はないし、人が出入りしている様子もない。かと言って強引に破壊してしまうのも(はばか)られてしまう。

「青い花だけならまだしも、少しずつウチの国に近づいてるんだよ」

「アタシも一緒に行ったことあるけど、花に囲われてるなんてますます不気味じゃないかい? 近づいたら食べられそうで怖いよ」

「まるで生きているみたいだしね……」

 住民たちが不安そうにどよめきだす。

 男が全員を宥めて、話を切り出す。

「これは正式な依頼として、ダメ男さんとフーさんに頼みたい。もし引き受けてくれるなら、ここで払った代金などは全て返却するよ」

「おねがいたびびとさん!」

 男の子がおどおどして、ダメ男にしがみついた。

「……」

 にこりと笑う。

「いいですよ。皆さんのおかげでダメ男も休めましたし、何か力になれれば幸いです」

「あ、ありがとう!」

 

 

 こうして、ダメ男とフーは青い花の国の調査を引き受けることになった。ただし、条件をいくつか提示する。

 時間は一日間だけで、それで分からなくとも不満は言わないこと。人員はダメ男とフーの二人。そして、依頼は調査だけで、問題解決に関する依頼は受け付けないこと。

 住民たちは半時ほど相談して、納得してから了承してくれた。

「ダメ男、大丈夫ですか?」

 こくりと頷くと、湿った咳を鳴らした。

 住民の言う方向へ歩くこと一日。山から平野へと景色が移ろいゆく最中、異様な光景が目に付いた。

 緑の平野が広がる中、青い壁が地平線から現れる。近づいていくと、壁だけではなかった。辺り一面がこの青色で占められ、平野を境界線としてくっきりと分けられる。濃淡様々な青色が波のようにうねって、広がっている。

 青色の正体は花だった。一種類だけでなく、様々な花が青く咲き誇っている。壁にも咲き渡っており、防護壁のようにがっちりと密になっていた。人二人分くらいの高さがあった。

 ダメ男は壁に触れる。

「!」

 壁はものすごく柔らかい。柵や石壁を伝っているのかと想像したが、植物の茎や(つる)が重なり絡み合っているだけだ。地面を見ると、成長しているかのように伸びていた。

 ひとまず、入口を探すためにそれに沿って歩き出す。ただの地面を歩くように、躊躇いなく踏みつけて進む。

「今回の依頼は時間がかかりそうですね」

 うん、と小さい声で返した。

「こちらの判断で依頼を受けてしまいましたが、良かったですか?」

 にこりと笑う。

「あなたのことですから、二つ返事だと思いました。すごく気になる内容だし、しかも、あ、看板ですね」

 歩いていると、古ぼけた看板を見つけた。

「“ここは滅んでいます。どうか入らないようにお願いします。入れば、この世のあらゆる災厄や不幸が隙間から漏れ出してしまいます。我々が滅んでまでも、それを封じ込めたかったのです。どうか、入らないように”、と書かれていますね。あの国と同じ言語のようです」

 ダメ男はその看板を念入りに調べる。特に変わった様子はないように見えた。

 それからも探すが、入れそうな所もなく、ただ青い壁があるだけ。

「こちらの探知でも生体反応は見られませんね」

 ダメ男は胸ポケットから仕込み式ナイフを取り出した。鉄格子状の柄に刃が収納されるもので、透明な膜が貼り合わさっている。柄の先端のボタンを押しながら振り、刃を出した。

「やりますか?」

 硬い表情で、目の前の青い壁を見る。

「さて、どんな災厄が飛び出すことやら、覚悟はいいですか?」

 

 

 痛い。痛い、痛い痛い!

 誰?

 私の身体を傷つけるのは?

 あれは誰?

 どうして私を傷つけるの?

 あの黒いのは何? ばい菌? ウィルス? 病原菌?

 私、何か悪いことした?

 何もしてないのに、どうして私を傷つけるの?

 私を……殺すの?

 違う。きっと私に会いに来てくれたんだ。

 でなきゃ、私を傷つけたり斬りつけたりしないよね?

 やっと来てくれた。この穴を埋めてくれるもの……。

 

 

「……」

 依然として、表情は強張っている。

 地面には緑色の茎や蔓、隙間から青い花が壁までびっしりと覆っている。それに胎動のような、鼓動のような鈍いリズムで振動している。

 青い壁で囲まれて領域の中心には女の子がいた。裸身で緑色の肌をして、髪の毛は青、瞳は赤い。どう見ても人外の者、と想像に難くない。

 トコトコとダメ男へ歩み寄ってくる。

「私、悪いことした?」

 ごく普通の女の子の声。

 ダメ男は答えられないので、フーが返した。

「話を聞かないことには判断はできません」

「あれ? その見た目で女の子?」

「いえ、訳あってこの旅人の首飾りが話しています」

「ふうん……まあいいや」

 特に追及することなく、女の子は座った。ちょいちょい、とダメ男も促されて座る。

「ここの近くにある国から、ここを調査するように依頼されました。おそらく過去にも同様の事はあったと思いますが、それと同じです」

「? いつから?」

「具体的に話は聞いていません。何百年も前から存在していることを知っていたので、近い頃から調査していたのではと考えられます。それで、あなたは一体何者ですか? 人のようには見えませんが」

「そっちこそ何者? 私を見て平然としてるなんて、人じゃないみたい」

「この声はフー、この男は旅人のダメ男です」

「私は“エルル”。……化け物よ」

 じっとダメ男が見る。

「単刀直入に聞きます。あなたは人を襲いますか?」

「……」

 化け物の“エルル”は口を閉ざしてしまう。

「つまり、過去の調査員たちを殺してきたのですね?」

「……うん」

 ぽつりと零した。

「私はフーの言う何百年も前から……ずっと一人ぼっちだった」

「え?」

「もっと昔はみんな仲良くしてくれたのに……争いごととかが増えていくうちに、ただの兵器としてしか見なさなくなって……」

「軍事利用されたわけですか」

「唯一味方になってくれた“ナル”は私をかばって、人に撃ち殺された。それがこの姿」

「!」

「私、何か悪いことした……?」

 泣いているように見えるが、涙が溢れていなかった。

 ダメ男がエルルの肩を軽く触れる。

「?」

 ただ親指を上げて一言、任せろ。

 

 

「まさか、風邪を引くとは思いもしませんでしたね」

「あーあー、……やっと治ってきた」

 少し(しゃが)れているが、元の声に治りつつある。

「あのガラガラ声では、話しづらいし聞きづらいでしょうからね」

「ありがとな、フー。急に調子良くなって助かった」

 一日かけて、依頼された国に戻っていた。

 国の入口で、住民たちに取り囲まれている。代表の男がダメ男と面していた。無色な顔色を全く変えずに。

 まずは無事であることを祝福され、感謝の意を受け取った。他愛のない話を少しして、話を切り出す。

「さて、調査結果を報告します。あの青いバリケードの中には十二、三歳と見られる植物の少女がいました。過去に人を襲った経験がありますが、今後一切人に危害を加えないと誓いました」

 住民たちがざわつき出す。

「これがその証です」

「そ、それは一体……?」

 ダメ男の手には、手の形をした茎や蔓の集合体があった。

「誓いの証」

 水を掬うように両手を出させて、ぼとりと落とした。うねうねとドジョウのように(うごめ)く証を、

「……ありがとう」

 落ち着いた表情で眺める男。何の抵抗もなく、それを受け取った。

「さて、こちらができることは以上です。報酬は代金の返還ということでしたが、いりません。代わりに隠していることを全て話してください」

「……いいでしょう」

 握手を求めた肌色の男の手が、

「!」

 うねうねと緑色に変わっていた。

 ダメ男はすぐに間を取るが、

「……」

 住民たち全員が同じ状態になっていた。見た目がエルルと全く同じだった。

「旅人さんは我々の同士になる資格を得たんですよ」

「どういうことです?」

「あの化け物は人を喰って、姿を人に変えた。なら我々も化け物の一部を喰うことで一部の力を得ることができるのではないか。命懸けで試した先人の偉大な功績です。我々はかれこれ、三百年近くは生きていますかねえ」

「……」

「さあ旅人さん、あなたも同士になりましょう。素晴らしいですよ。こんなにも理解し合えることがあるなんて!」

 しゅるしゅる、とダメ男の足元に蔓が絡まっていく。そこから膝、太ももへと……。

「なぜ、エルルをのけ者にしているのですか?」

「我々は人ですからね。あれは化け物。人と区別しなくてはならない。だから先人たちは早々に追い出した。あの小娘の死すらも全部仕組まれたものとも知らずに……くくく……」

「……」

 無表情。ダメ男が戻ってきてから、表情は無い。

「ダメ男さんも何か話してくれませんか? フーさんも魅力的ですが、あなたがどういう人間か知りたいのですよ」

「もう、報酬はいただきました。新たに旅を続けなくてはなりません。ダメ男を解放してください」

「駄目です。顔だけは残してあげますから、これを食べてください。我々と一緒に、永遠に暮らしましょう!」

 目の前に誓いの証が差し出された。視線がそちらに動くが、すぐに男へ戻る。

「……いいよな」

 少し嗄れた声で、ぼそりと呟く。

「?」

「帰る所があってさ」

「……?」

 男は意味が分からずに、しかし蔓の動きが止まる。

「オレにはない。化け物だろうと怪物だろうと、待っていてくれる人がいる場所がないんだ。だから、羨ましい」

「何が言いたいんです?」

「旅を続けてるとさ、そういう人がいるってだけで中々死ねないんだ。連絡手段や情報がないと、死亡か行方不明かなんて分からないから。死んでるかも分からない人を待つなんて、どれだけ不安で辛いことか……オレはよく知ってる……」

「なら、この国を故郷としましょう! 旅は許可しますから同士になるのです! いえ、あなたの働きでさらに同士が増えると思うと、期待せざるを得ません!」

「その前に頼みがある。“ナル”って娘の住んでた所を見せてほしい。それから同士になるか決めるよ」

「だ、ダメ男?」

 フーが動揺して、思わず声が漏れる。

「分かりました。案内しましょう」

 

 

 案内されたのは、青い花がびっしりと詰まった一軒家だった。国の外れ、湖の近くにあり、人気が全くない。

 代表の男と他五人が家の周りを包囲し、監視。ダメ男は逃げも隠れもせず、堂々と家へ入る。

 中は真っ暗で、リュックから携帯電灯で取り出して点けた。

 古ぼけた木製のテーブル、棚、本。人が住んでいた形跡がある。棚にはぎっしりと本が詰められ、棚も壁一面にあった。どれもがボロボロだ。写真立てもあったが、中身が分からないほどに朽ちている。内壁は木だった。外壁のように花に覆われていない。

「特に何もありませんね。しかしダメ男、ここを調べる必要があるのですか?」

「どういう気持ちで、エルルを守ったのかなって。それが分かれば良かったんだけど、本も写真も見れる状態じゃないね。……残念だ」

 そっと本に触れるだけでさらさらと崩れる。その指をささっと払う。

「そう言えば、湖ってこっち側にあったよな?」

「はい」

 本棚の方向を指差す。

「さらに言えば、こっちの方角にはエルルがいるよな?」

「そうですね」

「山は?」

「少し外れていますね」

「……そっか。何となく分かった気がする」

 なぜか、優しい微笑を見せる。

 フーが尋ねようとした時、

「……出発しよう」

 意を決した。

「しかし、どうやって切り抜ける気ですか? 断っても、拘束されて強引に、」

「大丈夫だよ、フー。すぐに片が付く」

 ダメ男が外に出た。予定通り、代表の男たちが迫る。

「ダメ男さん、フーさん、覚悟はできましたか?」

「拒否権はないのですか?」

「拷問をしてでも、うんと言わせてあげますよ」

「……」

 ダメ男の爪先に蔓が触れた瞬間、叫んだ。

「人に危害を加えたら、誓いに反するぞっ!」

「……!」

 ピタリと止まった。

 凍りついている男たちを尻目に、

「それじゃ。あと、オレのことは待ってくれなくていいよ。あの看板に書いてあった“災厄”は多分オレらのことだから……」

 嘘ついてごめん。ダメ男は寂しそうにその国を去った。

 

 

 ついに。ついにやった。

 どれくらいの時間が経ったろう。

 私の心に空いてたぽっかり穴は今、完全に塞がった。

 全く気付いて無かったんだね。

 私の力を腹の底まで理解してるはずなのに、どうしてそういう発想に至らないんだろう?

 調査員を、私の分身とすり替えていたことに。そして私の分身があの国を侵食していたことに。

 看板を立てさせたかいがあった。誰も立ち入らないようにした価値があった。

 何よりも、殻を破って入って来てくれた二人のおかげだ。だから二人には危害を加えない。それが私の立てた誓い。

 私は殻から出て、あの国へ向かった。

 湖を貪っていると、緑色の“古き”同士たちが私を出迎えてくれた。その中に、“ナル”の姿があった。思わず泣きそうになるも、涙を流す機能がない。

「お帰りなさいませ、エルル様!」

 かつての故郷が今、ここに蘇った。

 でもどうして? もう、寂しくはないはずなのに、ないはずなのに、ぽっかり穴は塞がったはずなのに、痛い。痛い、痛い!

 きっとこれは、あの旅人のせいだ。乱雑に切り裂いたから、痛みが強いんだ。

 だからこの痛みも一時だ。傷が塞がるから消えてなくなる。時間が経てばまた消えてなくなるはず。消えてなくなるはず……。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。