どんよりとした雲がうねりながら流れている。その下で痩せた一帯が追いかけるように広がっていた。雑草も木も水と栄養を奪われて朽ち果て、砂色の地面と一体になっている。
そんな中に廃屋があった。
一人、少年が立ち尽くしていた。茶髪を肩まで伸ばし、素顔を隠すように俯いている。
ぽつ。雨音。
少年の頭に落ち、それが段々と多くなっていく。周囲も雨粒に浸っていき、雨が連なって濡らした。少年の全身を冷たく打ち付ける。
そこに一人の侍がやって来た。和傘を差し、少年を真っ直ぐ見つめている。
「ここで何をしておる」
廃屋の中を何とか歩き、少年の所に辿り着く。
少年はただ俯いていた。侍がその方向を見ると、
「!」
夥しい数の肉片が散らばっていた。男女だけでなく、子供もいる。今も赤く垂れ流し、雨と混じって色が消えていく。血溜まりは雨と弾き合う。
少年の手には、
「誰かに殺されたのか」
何も持っていなかった。血で染まってもいなかった。
「……」
少年は何も答えない。
見かねた侍は和傘を差し出す。
「来い。ここで終わりたくはなかろう」
一向に動こうともしない。
「どうしても離れぬなら、力ずくで引っ張り出す」
言葉通り、侍は思い切り少年の腹を殴った。死体と一緒に倒れ込み、身体が血とまぐわる。
「悪く思うなよ」
どこからか、きらびやかな太い音がする。
「……!」
気が付くやいなや、すぐに起き上がる。
「どうした?」
目覚めると、そこは暗い森の中だった。月明かりはなく、代わりに煌々と焚き火が燃え上がる。
暖かい明かりに曝されている女の顔。起き上がった男に視線を移しているだけで、手に持つ本を手放さなかった。木の幹に寄りかかっている。
「まだこうたいじゃない。ねむっていろ」
眠っていた男はそそくさと自分の荷物を漁り、目当ての物を見つけた。それは刀。暗闇に染まる鞘に、白い菱形模様が刻まれた黒い柄。ぎゅっとしがみついている。
一安心して、
「では、お休みなさい」
男はパッタリと床についた。
「……」
女は体操座りになって、本を読み続ける。男をちらちらと見つつ。
どんよりとした雲がうねりながら流れている。その下で痩せた一帯が追いかけるように広がっていた。雑草も木も水と栄養を奪われて朽ち果て、砂色の地面と一体になっている。
道とない道を二人の旅人が歩いていた。一人は二十代前半の茶髪の優男。無地のシャツに下半身を覆う鎧を履いている。脇には黒い鞘の刀が提げられていた。軍隊用の大きいリュックサックを背負っている。
もう一人は二十代中頃から後半の色白の女。長い黒髪を後ろで折り曲げて束ねており、黒縁メガネをかけている。左目尻には泣き黒子が、左こめかみからアゴへ伝う傷跡があった。使い古した赤紫のジャケットに白のタンクトップに、黒いパンツの上から腰ベルトを巻いている。そこには“空の”ホルスターが一つだけあった。ショルダーバッグを肩から吊るしている。
「“ディン”」
女が呼びかける。“ディン”という男は、
「……」
ただ黙々と歩き続ける。
「ディン」
まるで意識が抜けているように、女に反応しなかった。
女がディンの腕をつかんで、
「どうした?」
「あ……いや……何かありました?」
ようやく女を見る。
「しずかなのはめずらしい」
「いやほら、天気も悪いですし、早く雨宿りできそうな所を探さないと、と思いまして。濡れるの嫌でしょう、“ナナ”さん?」
「……」
ふ、と女の“ナナ”が笑う
「みちをまちがえなければ、こんなことにはならなかったのに」
「じゃんけんで決めたのは間違いでしたねぇ……」
「おまえがよわいからだーっ!」
「まあ、そのおかげで食料をたんまり確保できましたけど」
ぽかぽか叩くナナをヨソに、思い出したように男が懐から取り出す。“つ”の字の形に拵えた小さめのショットガンで、バレルが二つあるものだった。それを女に手渡すも、もっていろ、と拒否された。
「そろそろアイスがたべたい」
「今の状況では極上のぜいたくで、……ん?」
どこからともなく綺麗な音が聞こえてきた。重厚できらびやかな金属のぶつかる音。
「ようやっと見つけましたねぇ。行ってみますか」
「アイスがあればいいが」
「あったら奇跡ですよ」
地平線彼方から現れたのは、
「……!」
二つの
「ぼろぼろだ」
長年放置されたのだろうか、崩れた砂山のように、風化が酷い。建てられた石材にヒビが入り、砂となって朽ちている。あまりの崩れ具合に、外からでも中が丸見えだった。
ただ、人が住んでいる形跡がある。近くには物干し竿があり、洗濯物がずらりと並べられている。バサバサと風で
遠目に見えた瞬間、ディンの足が止まる。
「……ディン?」
表情が固まる。ナナが引っ張るも、足取りは軽くなかった。
鐘が鳴る。丸い鐘楼から響き渡る鐘音は太くもきらびやかだ。どこまでも届いていきそうな“うねり”が身体を震わす。
建物の入口に着き、ナナがトントンと叩く。
「はーい」
ガチャリと二十代前半の女が出てきた。白黒の衣服を身に纏っている。おでこと胸元、袖は白く、他は全て黒い。素肌も顔と手以外はしっかりと隠していた。
「どちら様ですか?」
「……」
ディンはあっけらかんとしていた。
女はディンの腰を見ると、一目散に、
「突然で申し訳ありませんが、その腰の物を見せていただけませんか?」
「……」
愕然としていて言葉が出てこなかった。
代わりにナナが刀を渡した。
全体をじっくりと眺めた後、鞘を抜く。銀炎が揺らめくような刃紋が妖しく光る。
特に盗んだり壊したりすることもなく、丁重にナナに返した。
「ここってとまれる?」
「もちろんですとも。ここで巡り会えたのも神の
「? よくわかんないけど、やったー」
女が招き入れるも、ナナが手を引っ張るも、
「どうした?」
頑なに立ち止まる。
「……ナナさんだけ入っててください。私は、その……外で見張りをしていますよ」
「なぜ? あめがふるかもしれないのに」
「ここは修道院でしょう? 何かあれば神様に怒られそうですからねぇ」
「私以外に誰もいませんし、身を守る
「……」
あまり気が進まないようだ。
「修道女さん、ここにアイスはありますか?」
「はい。ちょうど商人様からいただいたものが、」
「じゃあディン、まかせた」
すたすたと後腐れなく入っていった。
「……帰巣本能ってやつですかねぇ……」
夜。昼間も曇り空のせいで薄暗かったが、夜は暗闇の中にいるようだった。修道院も外に明かりは付けず、少し離れた所に焚き火があるだけ。周りをほんのりと火の色で灯してくれる。
ディンは集めた木々を
「……ふぅ」
気怠そうに頬杖をついている。
背後から、
「どうですか?」
修道女が声を掛ける。
「異常なしですねぇ」
「それは良かった」
そっとディンの隣に座る。
「ディンさんが中に入らないのは、私と話すためでしょう?」
「……“メアリ”さん、今の内に言いますけど、あなたに気はないですから」
“メアリ”と呼ばれた修道女はニコリと微笑む。返答はない。
「長らく、お待ちしていました」
「私を?」
「はい。あなたの師匠さんより」
「!」
じろりとメアリに目を移す。
「安心してください。彼女には内緒にします」
「なぜ知っているんですか?」
「……ご本人から直接話を伺いました。というより、頼まれました」
「頼まれた? 何を?」
「生きているかどうか」
「……」
ディンはそれ以上は追及しなかった。代わりに焚き火に焼べる。
「私は世界各国にある教会や修道院に巡礼しようと旅をしているのです。その道中で師匠さんに助けられました。やはり女身一つでは不都合な出来事が起こってしまうものです」
「それで、師匠はあなたにこの修道院で待つように依頼したんですね?」
「はい。毎日でなくていいので、気が向いた時に見回ってくれ、と。その時にディンさんの持ち物を教えてもらいました」
木の棒で風通しを調整する。
「事情は分かりました。嘘ではないようですし。明日早くにでも、私の元気っぷりを師匠に報告しに行ってください」
「一緒に行かないのですか? 師匠さんは会いがっていますよ?」
「こちらがまだ会う段階になっていません。その機会はもっとさ、」
「ご自身を呪っているのですね」
一瞬、目が見開いた。
メアリはゆったりとした面持ちで火を眺めている。
「今までの不幸をご自分の呪いのせいだと責めている」
「……あの人は意外とお喋りだったんですねぇ。寡黙な雰囲気しかなかったのに」
「私は一応修道女ですので、“
「……なるほど」
木の棒をそのまま焚き火の中へ挿し込んだ。風の通りが良くなって、炎に勢いが付く。ぱちっぱちっ、と木が燃え朽ちる音が耳に残る。
「師匠さんの依頼はディンさんの呪いを解くこと。度重なる不幸は偶然ではなく、呪いによって引き起こされています。一宿一飯の恩義をくれた一家が強盗に惨殺され、命だけは奪わなかった敵が、死ぬほどの苦痛を浴び、惚れた女性は精神を壊す。屈強な侍は事故のために右目を落とす……」
平静を保てず、膝を深く抱え込む。ぎゅうっと両肩に力が入ってしまう。
「ですが、気は持ちようです。呪いとこじつけてしまえば、いくらでもできます。なので……」
メアリは懐から一粒の錠剤を手渡した。
「これは?」
「口にお含みなさい。身体中の神経が剥き出しになるくらいに、感覚が鋭敏になります」
「……」
無論、そんな怪しい物を飲むのは躊躇した。しかし、
「これ以上あなたのせいで犠牲者を増やしたくないのでしょう? もしかすれば、私もあなたの呪いで死かそれ以上の
自分の手に乗っていた一個の重さが、ずしんと重く感じる。その重さを口の中へ……。
飲んでしまったと後悔するのも束の間、
「うっ」
鐘が鳴り響く。
「くっ……頭が、いたい……」
神経を殴りつけるような痛み。その波が段々と激しくなっていく。全身の血流に沿って、痛みが走るような、細かい激痛。
抑制が利かない。痛みに悶える呻き声が叫び声に変わり、獣の断末魔に変わり果てた。
既に意識は失っていた。
「……!」
気が付くやいなや、すぐに起き上がる。
「どうした?」
目覚めると、そこは暗い闇の中だった。月明かりはなく、代わりに煌々と焚き火が燃え上がっている。
暖かい明かりに曝されているナナの顔。起き上がったディンに視線を移しているだけで、手に持つ本を手放さなかった。
下半身に毛布が掛けられていた。起き上がった時にずれ落ちたようだ。
「な、ナナ、さん……?」
「大分疲れていたようだな。ここに辿り着いた途端、泥のように眠っていたぞ」
「ここは……外ですか?」
「当たり前だ。まだ寝惚けてるのか?」
太く艶やかな鐘の音が鳴り響く。
パタリと本を閉じ、眼鏡をその上に置く。
まとめ上げていた髪留めを解くと、長い髪が闇に溶けて放たれた。のしのしと豹のように近づき、ディンの顔に触れる。
「ナナさん?」
焚き火の明かりに照らされて、顔が暖かい色になっている。
「だからここには私たち二人しかいない」
「んっ!」
口でディンを押し付けると、そのまま押し倒した。
「んは……きゅ、急にどうしたんです? それにあの傷が、ない……」
上に
「私はお前に壊された」
「!」
「弟が自殺した真実を隠され、敵と思っていた男の仲間だったことを言わず、私と懐柔しようと嘘をついて……私は狂った」
懐から取り出したのはショットガン。銃身を短く切り詰めた小さいショットガンだった。
銃口をお腹に押し付けて、つつっと上へ這わせた。へそ、鳩尾《みぞおち》、胸、鎖骨、喉仏。そこでゆっくり止まった。
ディンは落ち着いた様子で見ている。
「殺してくれるんですか?」
「……なぜお前は死にたがる?」
「ナナさんには死んでも足らないくらいに、迷惑を掛けましたからね。気が変わって殺すことになっても、僕は受け入れます」
銃口が口元で浮く。
「嘘だな」
炸裂した。ディンの顔がドロドロと赤く汚される。
「……う、うわああああああああああああぁっ!」
べちゃ。頭のない死体がディンに抱きつく。愛していた女の頭が消し飛んでいた。
重くのしかかる死体はディンを拘束し、一切身動きを取らせてくれない。
「ああ、あっ! う、ぐえぇっ! ナナ、あああああぁっ!」
止めどなく顔に流れる。水責めならぬ血責め。
「本当に、それが、理由か?」
ディンが瞬きした直後、頭が元通りになっていた。
嬉しいとか夢とかの感情より、気が動転してしまっている。
「やはり私が死ぬ方が効果があるな。もう一度聞こう。気狂いしてないできちんと聞け。これ以上私に隠し事をする気か? あの時、隠し事はしないと誓ったのに……」
銃口を自分の右こめかみに向ける。
「ずばり言う。お前は自分の呪いの事を憂い、せめて愛した女に殺されようと思った。違うか?」
「ち、ちがう! ちがうから! 死なないでナナさん!」
「……お前の心はとても頑丈そうだな。……今度はゆっくりと死んでやる。たんと味わえ」
銃口を少し離し、躊躇いなく撃つ。
銃口から放たれた無数の散弾が頭左側から激突する。まるでスイカを押しつぶすように、顔に亀裂が走り、隙間から漏れて、弾丸が中へめり込んでいく。逆側から弾丸が突き抜けて、中で暴れた弾丸が頭を爆発させた。残骸は射撃方向へ流れるように、血と
ナナの顔の破片がなぜか全てディンを睨みつけている。誰かがそう動かしたように。
振り切れるように、気絶した。
「よほど、私に、死なれたく、ないようだな。……口を割るまで繰り返すしかあるまい」
「……は!」
全身血塗れで目覚めた。
気が狂いすぎて、全身の血が頭に溜まっているようで、気持ちが悪い。
相変わらず鐘が鳴り響く。ぎりぎりと歯軋りが聞こえ、怒り声を上げて床を殴った。それでようやく気付く。
ここは修道院の中だった。信者たちが座るための長椅子がずらっと並び、最前には祭壇とロープで仕切られていた。そこにあるものに視点が定まってしまう。
まるでサバイバル生活から生還したように、よたよたと歩く。恐怖と逃れた安心感から小刻みに震えていた。
ディンは祭壇に上がり、“それ”を前にした。
盾と杖を持つ老人の銅像。髭を蓄え、マントを背負い、法衣を下半身にまとっていて半裸に近い。しかし老人とは思えない鍛え抜かれた身体。肌身は岩のように厚みと硬さを見せつけ、刻まれた無数の傷跡は強靭さを想像させた。
鐘が鳴り響くも、不思議と頭痛がしない。
銅像を見つめていると、脇から、
「……!」
子供が過ぎ去った。少年だった。
「小童よ」
びくりと入り口を見ると、侍が立っていた。低く
「久々に帰ってきたからといってはしゃぐでない」
「だって僕らのお家なんだし、いいじゃんかー」
「今は人がいないだけ。誰かに使われるまで、寝床にできるのだ」
「ちぇー」
少年はディンの傍らで銅像に
「前から気になっていたが、どうしてそのような事を続けているのだ?」
「……少しでも祈れば、僕の周りで死ぬ人が減るのかなって」
「して、効果は?」
「このお爺さんの像はテキメンだね。おじさん、生きてるし……」
少年は目をこしこしする。
「儂は世間軟弱どもとは鍛えが違う。眉唾もので死するわけはあるまい」
侍は少年に手を差し伸べる。しっかりとその手を握る。
「呪いとやらはどうやって儂を殺すか、試してやろう」
「頼もしいね!」
二人で修道院から出て行く。
死なないでね……。か弱い呟きに、力強く頭を撫でた。約束しよう、と。
ディンは二人を見えなくなるまで見送った。そして、銅像に振り返る。
「……僕はばかだ……」
頭を銅像に預けながら、俯く。
そんな腕、もぎ取ってやりたい……。
「……」
ゆっくりと目が開いた。床から起き上がる。
「だいじょうぶか?」
目覚めると、そこは暖炉のある部屋だった。まるで焚き火のような暖かい明かりが部屋をほのかに照らす。
揺り椅子から心配そうに見つめているナナ。しかしアイスをペロペロするのは止めない。
「な、ナナ、さん……?」
荷物からタオルを持ち出し、ディンの顔を拭ってあげる。
「きゅうにたおれたから、なにごとかとしんぱいしたぞ」
ぐいぐいと押される感触。ぺたぺたと触れてくる手。
「あのぼ、私は一体……」
「ここの“かね”のねをきいたとたん、ぱたりとたおれて、それからナナがひとりでここまでひっぱって……」
「……あぁ、どうりで背中がヒリヒリしますね」
そっとタオルを拭く手を握り、行為を止めさせた。
「おまえ、あくまかなにかか?」
「悪魔? どうしてです?」
「あくまはきょうかいのかねをきらう、ときいたことがあるから」
「……」
きょとんとした後、思い切り、
「ぷ」
吹き出した。
「あっははははははっ!」
「わらうなぁっ!」
べちんと両手でディンの両頬を叩いた。それでも笑いが止められない。
「あーっはは……そうですか、悪魔ですか……ひひっ」
「それいじょうわらうとすねるぞ」
ぐりぐりと頬をこねくり回す。
あまりにも笑いすぎて涙も止められなくなってしまった。
「あーはっは……はぁ……まったく、あなたは飽きない人ですねぇ、えぇ……」
笑い終えて、でも、
「悪魔、ですか……」
止められない。
「!」
それが別物だとすぐに勘付き、ナナが慌てふためく。
「あ、いや、べつにばかにしたわけじゃない。えっと、わっわらわそうとして……」
くすりと笑みもこぼし、ナナの頭を撫でた。
「こうなってしまったのも、悪魔のせいですかね?」
「……あくまのせいじゃない。ナナがかってになっただけだ」
「……約束してくれませんか?」
ナナの手を握り、小指と小指を絡めた。
「なにを?」
「もう、死なないでくださいね。あれを見るのはもうごめんです」
「? とうぜんだ。おまえがしぬまで、ナナはしなない。だからおまえもやくそくしろ」
ぎゅっと小指に力が入る。
「ナナがしぬまで、おまえもしのうとするな。ナナはまだしにたくない」
握り返した。
「……はい」
まだ夜が明けない頃、二人は祭壇に出た。
「メアリさんはどこへ?」
「きのうのよる、どっかいった。ナナはそれいじょうのことはしらない。ヤキモチもやいてない」
「そうですか」
ディンが夢で見ていた老人の銅像が祭られている。
「まちがいないんだな。かつて、おまえとししょうなるおとこが、ここにすんでいた、と」
「えぇ。覚えています」
そこは寂れた修道院の中。ボロボロになった修道院の中で、唯一色
ふとして、ディンが気付く。
「これ……」
手を伸ばしたのは老人の持つ杖。他と違って、どことなく後付けされているような感じがした。
揺らすと、カタカタとわずかに動く。それを捻るように引っ張ると、
「あ」
取れた。
調べてみると、銅像の部分は周りだけで何かに
「これは?」
中を取り出した。
「これは……刀? いやでも短い……脇差しのようですね」
一尺五寸(約四十五センチ)の脇差しだった。全体的に黒いが、柄の模様が白い菱形になっている。鞘を抜くと、刃には細かいギザギザの刃紋があった。
「どうしてつえのなかにあった?」
「……」
見つめていた。ナナに肩を叩かれて、ようやく気付いた。
「あ」
「ディン?」
「すみません。ちょっとぼーっとしてしまって」
わずかに口角が上がっている。
「これは師匠のものです。小さい頃に私が借りていた脇差しなんです」
ディンは愛しそうに、ナナに手渡した。
「私が持つべきものじゃない。ナナさんに譲ります」
「うけとれない。そんなたいせつなもの」
「だからこそ、です。それにもう一本欲しかったところでしたし、女性のナナさんには使いやすいと思います」
「……」
付けて、とナナに返され、左腰に提げられるように付けてあげた。紫色の下げ緒がどことなく可愛い。
「うれしそうだな」
「え? そう見えます?」
「なんとなく。ふっきれたようにもみえる」
「何だか初心に返ることができたようでして」
「ナナいじょうのかまってちゃんなのはわかった」
「いやいやいやいや、それはない、あ、そうそう。刀のメンテナンスは私がやりますけど、ショットガンや麻酔銃はいい加減にやってくださいね」
「えー、やだ。めんどくさい」
「前は丹念にやってくれたのになぁ……」
「それは……だか……」
「でも……で……」
二人の立ち去る姿を老人の銅像が見送る。ぽっかりと空いた右手は、さも天を指差しているようで、晴天の光を浴びていた。