フーと散歩   作:水霧

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Request Story:思い出 by alias

 道路があらゆる場所に入り混じり、信号が灯り、それに従う車と人。その滑稽な光景を見下ろすようにそびえ立つ高い高いビルと建物。さらに高いところで雲の多い晴天が広がっていました。

 昼の気温は立春頃なのに、太陽からの直射日光でその街は酷く熱せられています。防寒対策をしているため、混み合う生物無生物みんな暑苦しく感じているでしょう。

 その街中のとある交差点に一人の旅人が立っていました。信号で歩行者優先となっている今、交差点のど真ん中に立ち尽くしています。

「面白い国」

 旅人は黒い服装をしていました。フードの付いたセーターを着込み、ジーンズに履き汚したスニーカーを履いています。左耳から黒い線が伸び、服の中へ入っています。

 荷物はというと、大きいサイズのリュックを背負い、ウェストポーチをセーターの下の両腰に身に付けています。リュックには黒い傘が横から貫いていました。

〈どこが面白いんですか?〉

 女の“声”が黒い線を通じて聞こえてきます。妙齢の女の声で、声に“ハリ”と穏やかさが伝わります。

「人がうじゃうじゃいるところかな」

〈えっと、どこの国にもたくさんいると思いますけど?〉

「道路に埋め尽くすほどは見たことないよ。君はある?」

〈いやいやまさかっ。実際にそこにいたら、倒れちゃいそうです〉

「んだな。にしても国自体も広いから、宿を探すのも一苦労だ」

〈探しましょうか? 一発で分かりますよ!〉

 はきはきと楽しそうに話します。

「ありがたいけどやめとくよ」

〈どうして?〉

「ゆったり観光しながら探すのも、旅の醍醐味だよ。特には急いでもいないしね」

〈そ、そうなんですか……〉

 “声”は不慣れな感じでした。

 旅人がそのまま適当にうろついていると、

「?」

 どこからか大きい音がしました。

「さあ! 見てらっしゃい見てらっしゃい! 今最新モデルがセール中ですよ~!」

〈なんの宣伝ですか?〉

「どうやら、この国で流行ってるものみたいだ。なんでも“スタホ”とか呼ばれてるみたいだよ」

〈へぇ……ってなんでそんなに知っているのですか?〉

「周りの人がそう言ってたんだ」

〈? え?〉

 “声”はよく意味が理解できていないようです。

「盗み聞きして情報を集めてるんだよ。そうすれば住民と話せることもあるだろうから」

〈すごいですねっ。ごちゃごちゃしてて分からないですよ〉

 苦笑い。

 さて、と旅人は宣伝の声が聞こえた方へ向かいました。お店とマンションが合体したようなビルで、その一階部分で何かの商品を売っていました。赤い法被(はっぴ)を着た男がその店の前で、通行人に呼び掛けています。この男が声の主のようです。

 ちらっと店前に陳列されている商品を見てみました。段々の棚に色んな色の四角い物が置いてあります。ガラスのような面を見せるように並んでいました。

 法被の男が旅人を見掛けると、いそいそとすり寄って来ました。

「お兄さん、ご興味あるんですか?」

 とても輝かしい笑顔です。薄っすらと額に汗しています。

「いろんな人がそんな話をしてたから気になったんだ」

「お~! ってことは旅人さんですね?」

「うん。“スタホ”って言うんだって?」

「さすが、お耳が早い! 早速お話だけでも~聞いてくれませんか~?」

 くすりと笑います。

「お願いするよ」

 店内に入ると、表にあったような棚が陳列していました。フロア中心にその棚が二列ほど。その真正面には受け付けが四つありました。それぞれで“スタホ”の説明を受けていると思われる客たちが座っています。

 偶然空いていた一番左端の席に座りました。女の店員が人工的な笑顔で迎えてくれました。

「こんにちは旅人さん。どうやら“スタホ”に興味がおありとか」

「ちょっとね」

「それなら実物を見てもらった方が良さそうですねっ! ……では、こちらです」

 店員に見せてもらったのは、

「? これが?」

 四角い物体でした。やはり陳列されていた物と同型で、ガラス面を縁取って囲うように黒のフレームが加工されています。また、長方形型で角が無く、丸みを帯びていました。画面下に葡萄(ぶどう)のマークが入った四角いボタンが付いています。また、側面にはいくつかボタンが付いていました。

「そうです! これは“グレープ社”が開発した新型“スタホ”の“グリフォン4”です!」

〈かっこいいですね〉

 うん、かっこいい、と自然に返答しつつ感想を言いました。

「今までの携帯機はボタンで操作していましたが、この“グリフォン4”はこのスクリーンにタッチするだけで、操作が可能なんです!」

「え? ……ウソでしょ?」

「旅人さん、すごくいいリアクションですっ。さ、どうぞ触ってみてください!」

「……」

 起動だけはボタンを押す必要があるらしいので、画面下にあるボタンをポチッと押してみました。画面には花畑の画像と時計、そして画面下部に、

「……で?」

「その下部にあるスライドバーを横にシュッとなぞってみてください!」

 店員の言う“スライドバー”があります。それを言われた通りにすると、

「!」

 表示されたアイコンも操作通りに動き、四角いアイコンが整列した画面に移りました。

「ここがホーム画面と呼ばれる場所です」

「……見たところ、カレンダーと天気予報くらいしかないけど……」

「“グレープ社”が承認した様々なアプリをここにダウンロードすることができるんです」

「……ってことは、自分の好みに合わせるってこと?」

「その通りです。旅人さんはこういうことにも精通してるんですか?」

「あ、いや、何となくそう思っただけだよ」

 旅人はその画面をいろいろ触ってみました。横になぞると隣のページに移ろうとしたり、トントンと叩くと拡大したり縮小したり。面白い、と呟いています。

「なんか思った以上に操作が単純だね。設定もよく分かんないけど、覚えれば簡単そう」

「そうなんですっ。そこがまさに“グリフォン”シリーズの特徴なんですよ」

「?」

「他社とは違ってカスタマイズ性は落ちるんですが、難しい設定も少なく、初心者には使いやすい設計になってるんです。しかもアプリは“グレープ社”の厳正な適性検査に通ったものだけなので、安心して使えるんです」

「へぇ。それはすごい」

「そしてこの“グリフォン4”の最大の魅力は、なんと会話もできることなんですよっ」

「あ、……そうなんだ」

 意外に旅人の反応は少なめでした。

「あれ、あまり驚かれていないですね。おかしいな。……他の旅人さんならマジでっ! やらせてやらせて! ってなるのに……」

「あ、えっとうーんっと……」

「もしや、世界中で大人気の“グレープ社”よりも、技術が進んでる会社があるんですか?」

「!」

「良かったら参考にしたいので、ぜひおしえてもら、」

「ごめん! もう時間だから失礼するよ!」

「ま、待って旅人さん! 旅人さーんっ!」

 

 

 まるで逃げ込むように宿を探し、数泊することを決めた旅人。探し当てるのに夕暮れまでかかってしまいました。とにかく広いです。

 シャワーとトイレが一体になった部屋とベッドが一つあるだけの狭い部屋が、ドアを隔てているだけの一室でした。入った瞬間に靴棚が左側に、右側に浴・洗面室、目の前にベッドがあるだけです。話だけ聞くと安い宿のように思いますが、

「今日はよく眠れそう」

 旅人は満足気でした。

 ベッドに敷いていた掛け布団を引っ張り出すと、持っていた荷物をベッドに展開しました。そこから袋を一つ、懐から武器であろうナイフを取り出しました。ついでに、首飾りと思われる青い四角い物体を脇に置きました。先ほどの“グリフォン”とは違い、蝶番のものでした。

 袋からいくつか容器を取り出すと、中身を使い古した布で(すく)い、ナイフの刃に塗りつけていきます。

「いつも思うんですが、それって何なんですか?」

 女の“声”がその四角い物体から聞こえていました。旅人に話し掛けていた“声”です。

「これ? ……なんだろうね」

「えぇっ? 何も分からずに使ってたんですかっ?」

「えっと……何て言えばいいかな。ツヤ出し? ん~、サビ止め、とも違うし……説明しづらいね。でもこいつに悪いものじゃないよ」

 全長は拳六つ分ほど。刃と柄それぞれ半分ずつです。柄は黒い格子(こうし)で組まれていて、隙間には透明なシートのようなものが覆っていました。先端に付いている突起は刃の固定を外すだけなので、押しながら振らなければなりません。

「にしても、あの“グリフォン”ってのはすごいね」

「すごく便利そうでした。いっそ取り替えてみたらどうです?」

「……え?」

 旅人が“声”の方を見ました。

「旅をするのにも今よりもっと役立ちそうですよ。地図は鮮明で天気予報はもっと精度が高くて、それに失くした時もすぐに探せる仕組みもあるみたいですし。あと、」

「あれがほしいんだ」

 きゅきゅっと拭いた後、ナイフを手元に置きました。そして、“声”のする四角い物体に手を伸ばします。それには別の液体を別の布で拭いていきます。

「え? だってお役に立ちたいですし……あ、お金の問題がありましたね。すみません、調子に乗っちゃって……」

「……」

 ……にこりと笑います。

「うぅん、いいよ。確かに便利だもんね」

 

 

 翌朝。すっかり日が昇った頃、旅人は起床しました。

「ん、んぅ……」

 ポリポリと頭を掻いています。旅人は掛け布団に(くる)まって、なぜか床で眠っていました。

「おはようございます」

「ん、おはよ」

 “声”も起きました。黒のタンクトップに黒い下着姿でした。衣類はベッドに放り投げられています。

「今日はどうする予定なんですか?」

 軽く身体を動かしています。

「適当に買い物するよ。(せわ)しなくて広い国だから、時間はかかりそうだね」

 旅人は柔軟体操を始めました。ぐいっと開脚したり、そのままべたっと床に着いたり、脚をくっつけた状態で、くにゃっと身体を折り曲げたりします。その柔らかさはタコのようで、とても男性のものとは思えないほどでした。十分に時間を掛けて行なっています。

「……ふぅ」

「お疲れ様です」

 ぽたぽたと汗を流しています。

 荷物から着替えを取り出すと、そのまま浴室の方へ行きました。数十分後、旅人はほかほかしながら戻ってきます。

「そのタオルは?」

「宿に常備されてるのだよ。どこか泊まったこと、あんまりない?」

「はい……」

「……知らなくても仕方ないよな、うん」

 特に気にすることなく、旅人は支度を始めました。

 

 

 とても不思議だところだな、旅人が呟きました。

〈どうしてですか?〉

「だって、これだけ車とか色んな乗り物が走ってるのに、それを停める場所がほとんどないんだよ。挙句の果てには道路にまで停まってるし」

 辺りを見てみると、確かに旅人の言う通りでした。お店はびったりとくっついて並び、他の建物の一部になっていたり、同じ建物なのに階層ごとにお店が違っていたりしています。それに広い街を見せつけるように、車が道路で渋滞を起こしているほどでした。ところが、これらを収める空間は一切ありません。

 旅人は車の方を一目して、何も言わずに歩いていきます。途中、雑貨屋や食料店に寄っては、旅の荷物を整えていきました。ただ、買い取りや物々交換はしてくれなかったので、買っていくだけに留まりました。

 そうして、とある一店の前で立ち止まりました。

「……」

 見た目は何の変哲もない雑貨屋さんです。しかし、その垂れ幕に注目していました。

「これ、何て書いてあるか分かる?」

〈え? えっと……“スタホ備品専門店”とあります〉

「……ちょっと入ってみよっか」

〈は、はい〉

 旅人はそのお店の自動ドアを開けて、入りました。右手側にレジがあり、その他は商品が並べられています。レジには小太りでチョビヒゲの四十代男の店員がいました。いらっしゃい、と旅人を見て営業スマイルを見せます。他店では丁寧な言葉遣いでしたが、ざっくばらんでおおらかな対応でした。お店はそこまで広くなく、その店員一人だけでした。

 旅人はそのままレジに直行しました。店員が不思議そうに見ています。

「あの、ちょっといいかな?」

「なんだい?」

「みんな“グリフォン”ってやつ持ってるけど、そんなに流行ってるものなの?」

「君は旅人さんだね」

「うん」

「そうだなあ……。流行ってるというか、ほぼ必須に近いよ。でも、使ってるのは“グリフォン”だけじゃないぞ?」

「え?」

 と言うと、店員は自前を見せてくれました。形が“グリフォン”とは全く違います。店員のは角が直角で、真っピンクです。しかもどこにもボタンがありませんでした。

「これは“キッンキン社”が出してる“アックアク”だよ」

「形が違うけど全体的に似てるね」

「まあ、先駆けが“グレープ社”だから、パクリって言われても仕方ない。でも性能は負けてないよ。この“アックアク”はね、あーでこーでそーで…………」

 店員はとても丁寧に細やかに詳しく説明してくれました。しかし、旅人の表情は困惑しているように見えます。とても専門的なために、相槌しか打てませんでした。“声”に至っては、

〈は、はへ……?〉

 人間語に聞こえていません。

「……ってことなんだよ。聞いてみると、いいもんだろ?」

「う、うん。そうだね」

 あははは、と空笑いになります。

「そう言えば、旅人さんはイヤホンしてるけど、どこの企業の“スタホ”なんだい?」

「えっと……そもそも“スタホ”ってのが分からないんだ」

「そうなんだ。“スタホ”ショップには行ったかな?」

「うん。“グリフォン”ってやつだけ見せてもらったよ」

「……全く、なんて不親切な連中だ」

 店員が急に不機嫌になりました。しかし、旅人さんのことではないよ、とすぐに笑って言いました。

「技術が超一流でも宣伝がド三流じゃ、旅人さんが買ってくれるわけないのに、ほんとに頭のおカタイ奴らだよ。おまけに料金プランについてもロクに説明してなさそうだし……」

「あ、えっと」

「あ、ごめんごめん。話が逸れたね。“スタホ”っていうのは“スタイルフォン”の略なんだよ。昔からあった折りたたみ式、つまり“ガラホ”とは違って、スタイリッシュな形に直感的な操作ができるものを総称して言うんだ。もっと細かく言うとね、」

 と、またも長々と懇切丁寧に説明してくれました。やはり旅人はうんうん、と相槌を打つだけでした。“声”はもはや沈黙するしかありません。

「それで……あ、すまないね。“スタホ”が大好きだから、ついつい」

 苦笑いします。ちんぷんかんぷんなのを途中で気付いたのか、話を止めてくれました。

「店員さんはもともとそういう仕事をしてたの?」

 カラカラと笑います。

「いやあ。僕はこんな性分だから、クビにされてしまってね。でも“スタホ”以外の仕事なんて考えられなかったから、思い切って起業したんだよ。ちょっと小汚くて小さいけど、商品量は他に負けないよ!」

 どん、と胸を張りました。

「よくは分からないけど、役に立ちそうな備品がいっぱいあるね」

「“スタホ”はカバーにも特徴があるんだ。シリコン製のもあれば、プラスチック製や革製のもあるんだよ。ここらへんは完全にお好みだね。どの素材も衝撃に強いんだけど、シリコン製なら汚れが付きやすいし、プラスチック製は傷が付きやすいし、革製は少し重いし。中にはストラップ、まあ飾り付けができるタイプもあるんだ」

「……はぁ……」

 この説明は何とか付いて来られました。

「で、旅人さんは“スタホ”はどうするんだい? 昔は色んな関係で国外じゃ使いづらかったんだけど、今は進歩していつでもどこでも使えるようになってるよ。中には“スタホ”の噂を聞いて、立ち寄ってくれる旅人さんもいるくらい、使い勝手が良くなったよ。まあ、まだまだ宣伝が足りないから多くないんだけどね」

「……ちょっと決断しきれなくって」

 かりかり、と頬を掻きます。

「分かるよ」

 ずいっと凄まれました。苦笑を呈する旅人。

「旅人さんは賢明な人が多いよ、うん。安くない買い物だし、一生ものだから、専門家によく尋ねるようなんだ。実は僕もその手の相談を無料で受け付けていてね。どうかな、もし良かったら旅人さんのを見せてほしいんだ」

「……え?」

 旅人はびくっとしました。

「もちろん個人情報だから絶対厳守するよ」

「どうして?」

「僕の経験上、どんな風に使っているかを見ることで、使用者の癖により合った物をオススメしやすいんだ。娯楽目的なのに仕事目的のを勧められても困るでしょ? 使用者のニーズに的確に応えるために必要なんだよ。話だけじゃどうしても分からないことがあるし」

「……」

 旅人は数分も考え込んでいました。そして、せっかくだからということで、

「いいよ」

 首飾りを手渡しました。その途端、

「! こ、これはっ……!」

 店員は汗が溢れるほど、ぶったまげました。食い入るように四角い物体を見たり触ったりしています。

「なにかやばい?」

「いや、こ、これほど古いのは初めて見るっ」

「あ、やっぱり古いんだ」

 旅人はくすくす笑ってしまいました。

「旅人さん、これは馬鹿にしちゃいけないよっ」

「?」

「僕が小さい頃かな。ある国の……まあ僕らの国で言うところの“ガラホ”を見せてもらったことがあるんだけど、恐ろしい技術が組み込まれていたんだ」

「恐ろしい技術?」

「それは……自立会話のできる技術だっ!」

「……!」

 ぴくりと反応します。

「当時の僕はびっくりしたよ。誰とも通話しているわけじゃないのに、一人でに言葉を発するんだ。まるで人間のように滑らかで言葉が豊富で、しかも使用者を支援してくれるんだ」

「……」

「それはもうこの業界を震撼させた技術だったんだ!」

「……“だった”ってことは、今はないんだ」

 ぽそりと言います。

「……そう」

 熱烈に語っていたのに、一気にしゅん、と落ち込みます。

「でも、その国の開発者が、実はイカサマをしていたことが分かってね……。結局は夢の技術に終わったんだ……」

「あの“グリフォン”ってのは? 確か会話ができるって言ってたよ」

「あんなもん、会話じゃない。使用者が話し掛けないと反応しない代物なんだよ、それに、どちらかというと道案内や情報検索の意味合いが強くてね。“スタホ”側からは一切しゃべらないんだ。それをさも“会話ができます”なんて誇大広告出しやがって……」

 わなわな、と怒っているように見えます。

「話を戻すけど、旅人さんのはかつて僕が見た“ガラホ”に良く似た形をしてるんだ。色が違うだけでね。……ぜひ伺いたいんだけど、これは自立会話ができるのかい?」

 しかし、店員の目はキラキラしていました。子供が欲しかったおもちゃを買ってもらったかのように、とても輝いています。

 旅人は無言で横に振りました。

「……そうか……」

 店員はとても残念そうに、旅人に返しました。

「それはどこで手に入れたんだい?」

「いや、知り合いに借りてるんだ。だから詳しいことは分からなくて……」

「そうなんだ。……ざっと見た感じ、旅をするために重視した設定になってたね。オススメは“スタホ”の中でも効率性と旅行性を重視した“ウェアー社”の“ペリエンス”がいいと思う。天気予報や位置情報、辞書や言語翻訳機などが他機よりもとても充実していて、旅人さん向けのものだと思うよ」

「“ペリエンス”か。分かったよ」

「“スタホ”買うようなら“ウェアー社”のお店に行かないとダメだよ。旅人さんに“グリフォン”を教えてたのは“グレープ社”だから。もし買ったら、ここで備品を買ってくれれば三割引してあげるよ」

「おー。太っ腹だね」

「見た目もそうでしょ? あっはははは」

「ははは」

「でも……その話はお店だけにした方がいいよ。旅人さんのは絶対に見せびらかしちゃダメだからね」

「?」

 

 

 太っ腹の店員の話が積もって、とっくにお昼を過ぎていました。適当に昼食を食べて、すぐに街中に出向きます。その表情は暗いままでした。何か思いに(ふけ)っているようにも見えます。

 “声”はおそるおそる尋ねました。

〈どうしたんです?〉

「いや、どうもしないよ?」

 (ほう)けているのか、普通に答えました。

〈どうもしているように見えますよ。あの店員さんに言われた時、いや朝からずっと〉

「そう? 心配しすぎだよ。けっこう心配性だもんな」

〈だってずっと表情が暗いから……〉

「!」

 旅人は目を見開きます。

「……そう見えたの?」

〈はい〉

「……そっかぁ……。でも大丈夫。ちょっと考えてるだけだから」

〈そっそうですか。私、いけないことを言ってしまったように思って……〉

「大丈夫だよっ。心配しすぎ!」

 旅人は吹き出して笑いました。

 それ以上は聞くのを止めました。

 日が暮れるまでずっと街を散歩していました。時折ベンチで休んだりもしましたが、この国の住民の様子を眺めていました。言うように、住民のほとんどが“スタホ”を使っているようです。小さな公園に行くと、子供たちが“スタホ”で遊んでいる光景も目にします。

「わざわざ公園に来て、あれで遊ぶんだね。面白い」

 さすがに声を掛けられないようで、そのまま後にしました。

「すごいなこの国は。お年寄りから子供まで、みんな使ってるよ」

〈相当便利なんでしょうね。ちょっとおかしくも思っちゃいますけど〉

 “声”は溌剌(はつらつ)としています。

「オレもそう思うかな。……取り憑かれてるように見えちゃうよ」

〈? “スタホ”にですか?〉

「あれだけ便利なんだ。あれ以外いらなくなっちゃうし、手放せなくなりそうだしね。結局は使う側の問題なんだろうけど」

〈私なら全然使いこなせそうにないです〉

「同感」

 笑い合います。

「じゃあ適当に夕飯食べてゆったりしようかね」

 旅人は再び道路の歩道に出向きました。

〈そうです、〉

 何もないところで転んでしまいました。

「ぶっ」

 何とか両手で衝突は避けましたが、膝を思い切りぶつけてしまいます。

「いったたた……」

 衝撃で、左耳のイヤホンも取れてしまいました。

「あ」

 そして、吹っ飛んだ旅人の首飾り。

 道行く人々がそれを目にした瞬間、

「なんだこのオンボロ機はっ!」

「ださくて見てられないわっ」

「早く片付けて! フケツよフケツ!」

 鬼でも見たかのように、一斉に騒ぎ出しました。人々は首飾りを疎むように、避けるように離れて、それに向かって罵声を浴びせます。

 ポツンと寂しそうに放置される首飾り。こんな雰囲気では取りに行きようものなら犯罪者呼ばわりされそうです。

 しかし、

「悪い悪い」

 旅人は何の気にも留めず、すんなりと拾い上げに行きました。

 それを見ていた住民たちは予想通り、

「なんだあの男はっ?」

「犯罪者よっ! 産業スパイよ! テロリストよ!」

「なんと恥知らずな野郎なんだっ!」

 旅人に罵詈雑言を投げつけました。当の本人は何事もなかったかのように、イヤホンを付けて歩き出します。

 その後は酷い有様でした。今までは特に何も気にしていなかったのに、その旅人を見るや、入店どころか物を投げつけられます。鍋、おたま、ガラスコップ、生卵、まるで裏切り者に対する仕打ちのようでした。しかし、旅人はそれらをほとんど打ち落としていました。

 耳に突き刺さるような野次は旅人を取り囲んでいました。油断すれば、何をされるか分かりません。そんな状況下なのに、

〈あの、大丈夫ですか……?〉

「ん? 何が?」

 平然としています。

〈いや、みんな目の敵にして……〉

「ちょっと驚いたけど……そこまででもないよ。ごくたまにあるし」

 笑ってはいますが、旅人の表情が心なしか強張っています。

「これじゃ、どこの店にも入れなそうだ。ごめんな、オレがしくじっちゃったから……」

〈そ、そんなことはどうだっていいですよ! それよりも早く出国しませんか? すごく腹が立ってきますよ!〉

「でももう夜になりそうだし、出国は明日にしたいな」

〈悠長すぎますよ! いつ襲われるかも分からないのに!〉

 野次のトンネルをくぐるように、何とか宿に戻ることができました。

 ところが、

「なんだって?」

 受付で予想もしない言葉を叩きつけられました。

「いや、だって宿泊は明日までだって、」

「すみませんが、お引き取りください。旅人さんの荷物はこちらにございますので」

 先刻の出来事がどうやって広まったのやら。宿にまで波及していたようです。幸い、荷物までは手を出していないようでした。

「一体どうしてっ?」

「旅人さんがそんな化石みたいな機器を使っているからです」

「それだけでっ?」

「はい。私たちにはそれが一番重要なことなのです。もし、ご協力いただけないなら……」

「……」

 すっと、受付員が旅人に銃を向けました。両手でしっかりと、動揺も躊躇も見せずに。

 横暴。そうとしか言いようがありません。現に、旅人も唇を噛み締めていました。

〈ガツンと言っちゃってください! こんな所に用はない! って!〉

「……」

 しかし、旅人は無言で荷物を受け取り、

〈……え?〉

「ありがとう。お世話になったね」

 にこりと笑いかけました。

「ご理解のほど感謝します」

 そのまま宿を出て行ってしまいました。

 外はもう真っ暗です。いや、空が真っ暗です。ありとあらゆる所に照明があり、真っ昼間と何ら遜色のないほど街を照らしていました。通り過ぎる住民は仕事帰りで疲れ果てていて、非難はしませんでした。しかし、威圧するように睨みつけてきます。

 はぁ、と息を吐くと、もこもこと湯気が出て来ます。

「今晩は冷えるね」

〈冷えるね、じゃないですよっ! どうして言う通りにしちゃうんですか? どう見たって理不尽じゃないですかっ!〉

 “声”はたまらず聞きました。

「国の風習は受け入れなきゃならない。これは旅をする人間にとって鉄則、最低限の決まり事なんだよ」

〈どうしてっ?〉

「旅人はその国や住民への影響力が低くないんだ。例えば、火をやっと使えるようになった文明の国に、銃や車、こんな建物を教えたらどうなると思う?」

 旅人は歩き出しました。

〈えっと……その技術を教えてもらいに来る……?〉

「うん、大多数はそうだと思うよ。でも、それ以外に何があると思う?」

〈え? うーん……思いつかないです〉

「いたって単純。その国を侵略しにいくんだ」

〈え?〉

「教えてもらうより、その国を支配して奴隷化する方が手っ取り早い。そう考える国も少なからずある。特に、人と武力がたんまりある国はそうなるかもね」

〈……〉

「あるいはそういう無駄な争い事を引き起こすキッカケになりやすい、かな。成り行きで巻き込まれるのは仕方ないけど、極力その国の文化文明を壊しちゃいけないんだよ。……依頼されたら頑張るけどさ」

〈……そうなんですか〉

 “声”は急に冷ややかな口調になります。

〈こちらからしたら、ただの逃げ腰野郎にしか見えないのですけどね〉

「……そう受け取ってくれてもいい。どう言われようと、自分の命が(おびや)かされないかぎり抗わない。ただ従うだけだよ」

〈……〉

 ひとまず、旅人は別の宿を探し出しました。当然ながら、取り付く島もありません。

「ダメみたい。国にいるのに野宿なんて、ちょっと面白いね」

〈ふざけてる場合ですか? 今晩の気温は一ケタになるんですよっ? 凍死してしまいます!〉

「でも、ないものはないよ。テントもあるし、凍死まではいかないように頑張るよ」

〈……〉

 呆れたのか反論できないのか、“声”は黙るしかありませんでした。

 まるで放浪するかのように歩いていると、

「あ、旅人さんじゃないですかっ!」

 声を掛けられました。

「あれ、まだ働いてるんだ。もう夜も遅くなるよ?」

 最初に会った法被を着た男がいました。ここは“グリフォン”の宣伝をしていた店の前でした。

「いやあ、色んな人たちに声かけてるんですけど、ノルマ達成できなくて。あと一人なんですよ」

「ノルマなんてあるんだ。そりゃ大変だ」

 こんな事態なのに、暢気に談笑し“やがっ”ている旅人。

〈何をしているのですっ? 早くしないと!〉

 まぁまぁ、と呟きます。

「もし良かったら“スタホ”について教えてほしいんだけど」

〈……え?〉

「もちろんですとも」

 すっと中へ招きます。

〈この人、もしかして、〉

「それ以上はダメ。好意は素直に受け取るものだよ」

 旅人は素直に中に入って行きました。

 

 

 中には法被の男一人しかいません。他の人たちは既に帰っているようです。

 温かいお茶を出してくれました。ありがとう、とほっこりしています。旅人は自分の携帯食料を出して、一緒に食べました。

 すすっと啜ります。

「話は伺っています。迫害を受けてしまっているんですよね?」

「迫害ってほどじゃないけど、まぁそんな感じ」

「さぞ驚かれたでしょうね」

 法被を着た男は店の出入口をシャッターで閉めました。

「うん。でも、どうしてこんなにも早く広まったの?」

「それは“スタホ”で告げ口されたからですよ」

「?」

「おそらく、誰かが旅人さんのことを写真に撮って、“スタホ”の共有プログラム“ウィスパー”に載せたんでしょう。すると、それを目にした人たちはその情報を得ることができるわけです」

「なるほど。それならあっという間に広まっちゃうな。なんだかお尋ね者になった気分」

「まさにその通りです」

 もくりと食べます。

「……ここは一体どんな国なんだ?」

「……昔からこの国は技術発展が目覚ましい国でした。その特徴は何と言っても、自国で新しい技術を開発することでした。それも誰の教えも請わずに」

「……え?」

「普通、開発しようとすると他国と共同で取り組んだり、あるいは既にある技術を基盤に、さらに開発したりするものです。ところが、この国には資源や資金がありませんでした」

「? それって、なおさら共同開発する流れになるんじゃないの?」

「その通り。しかしこの国は違いました。ないならないなりに、あるものだけで取り組もうと考えたのです。何とか資金を調達して、他国から理不尽な価格の資源を買い取っていったんです。そして長年の末に完成したのが、」

 法被の男が取り出したのは、“グリフォン”でした。

「その“グリフォン”ってこと?」

「正確には、この“グレープ社”や“キッンキン社”、“ウェアー社”が開発している“スタホ”の一番大本となる“携帯型通信機”です」

「!」

 男が間を置いて、どこかに行き、何かを取ってきました。何やら鞄のように大きく黒い物体でした。肩に提げられるようにバンドが通されています。

「これが初代の“携帯型通信機”です。重さは十五キロほどあります」

「重すぎっ」

 持ってみると、ずっっっっしりと重みを感じます。これをずっと持っていたら、肩が外れそうです。

「当時、この機械は近隣国に強烈なインパクトを与えました。この国はここまで進んでいるのか! と騒がれました。そしてこれをウリに国を栄えていこう、と決断したのです」

「確かに画期的だもんな」

「実はね、他国にもこんな感じの機器は存在していたんですよ。でも、周りを全く見ずに自国だけであれやこれやと議論していくうちに、あっという間に追い抜いていっちゃったんです。そこがまた面白い話でしてね」

「無我夢中で作ってるうちに、いつの間にか頂点にいたわけだね」

「そうです。きっと他国では脚の引っ張り合い貶し合いが激しく、なかなか思うようにいかなかったんでしょうね。そこを光速で何かが駆け抜けていっちゃったものですから、そりゃ唖然としますって」

「ふふふ……」

 旅人も笑います。

「そして、この国は追い抜く側から追い抜かれる側になりました。そうなると、やはり王様の椅子は渡したくないものでして。技術者や企業の人間が見知らぬ機器や技術を見ると、過剰反応してしまうんです」

「あ、なるほど。他の国から来たやつと思われるんだ」

「その通りです。その価値観や態度が一般市民の方々に伝染してしまった結果、旅人さんを迫害してしまう事態にまで……」

「……」

 さくさく、と携帯食料を食べます。

「別に衣服や食品、その他の分野は特に過剰反応はありません。これらはどうだっていいんです。ただ、この“携帯型通信機”の分野だけは全く駄目ですね。もはやテロリスト異教徒扱い、魔女狩りのようになっちゃうんです」

「なるほど。自分の縄張りを荒らされると思えば、誰だって過敏になるかな」

「みんな悪気があってやってるんじゃないんですよ。命を懸けてるから、どうしたってエスカレートしてしまうんです……」

「……」

 ごくりと飲みました。

「納得した。面白い話、ありがと」

「いえいえ。ところで、旅人さんも“もう”一つどうです?」

「……“知り合い”がほしいようなんだけど、オレは遠慮しとくよ」

 

 

「ん、んう……あ、俺うっかりねちゃって、……! た、旅人さんっ? 一体どこに……? ……え、これって、宝石……?」

「おい新人! お前ホントに夜なべしてたのかっ?」

「は、おはようございます! すみません! 俺また、」

「若いからってあんまり無茶するんじゃないぞ。何かあったら、親御さんに顔向けできんだろうが」

「は、はい……」

「その様子だと何も伝えとらんだろう? 今日はもういいから帰れ。営業中にぶっ倒れられたんじゃ俺のクビが飛ぶわ」

「わ、分かりました。ではお言葉に甘えて……」

「はいよ。さっさと帰れ」

 

 

 日の出の直前に、旅人は街中を歩いていました。夜の寒さと静けさが残っていて、白い息が出てしまいます。もし外で野宿をしていたら、悲惨な結果になったことは間違いありません。

 通勤時間帯なのか、広い道や道路なのに混雑しています。大きい道路は既に車の大渋滞。そのエンジン音が朝の静寂に広がりますが、何となく眠気を誘います。無論、運転手は旅人に冷ややかな視線を送っています。

「……」

 そこを鼻歌交じりに闊歩(かっぽ)しています。

〈いいんですか? あんなにたくさん置いてきても〉

「一宿一飯の恩義だよ」

〈その割にはとても豪華でしたけど。ブリリアントもあったように見えました〉

「意外とケチ?」

〈普通、あそこまで奮発する人はいないですよっ〉

「命の恩人だか、……あっ」

 どん、と肩がぶつかってしまいました。旅人が強すぎたのか、相手の方が転けてしまいます。

 すくっと立ち上がりました。相手はスーツ姿の女です。

「ごめん、だいじょうぶ、」

 ばちん。

「……」

 脳味噌を揺らすほどの衝撃。鞭で打ったような高い音が周りの建物に響きました。

「……」

 あまりの急な出来事に、旅人は唖然としました。

「この化石! どこ見て歩いてんのよ! ゴミ!」

 挙句の果てには唾まで吐きかけてきました。これを旅人は澄ました顔であっさり避けています。

 その態度がさらに頭に血を上らせてしまったようです。

「オンボロ機械使ってるくせに、よくこの国にいれるわね! さっさと消えなさい! この浮浪者! 腰抜け! ド腐れ×××!」

 “女”の罵声に乗ってきたのか、歩いていた人たちまで旅人を取り囲んでいきます。そして、同じように厳しい言葉をぶつけてきました。

「……」

 またです。とても寂しそうな顔をしています。

 ごめん、と呟くと、そこから立ち去ろうとしました。しかし、道を開けてくれません。

「もう出国するよ。そこをどいてくれないかな?」

「なんだその生意気な態度はっ? それが人に頼む態度かっ!」

 立ちはだかったのは頭の寂しい四十代後半の男でした。

「……お願いです、どいてください……」

「はあっ? お前の頭は猿か! こうやるんだよ!」

「ぐっ……ぃた……」

 旅人は頭を上から押さえ込まれるように、強引に土下座をさせられました。

〈何してるんですっ? さっさと押しのけて行っちゃえばいいじゃないですかっ! 何をためらってるんですかっ!〉

 “声”の言うことは真っ当でした。しかし、旅人は頑なに拒否し、

「おっお願いです。ど、どうか通してください……」

 連中に従います。土下座で頭を地面にこすり合わせての嘆願。四十代の男はまだ気に食わないようで、旅人の頭を踏みつけました。下卑た笑みで。

 “声”は収まりが尽きませんでした。

〈×××! いつまで下手に出るつもりなんですかっ! 人一人くらいぶっ×せば、こんな烏合の衆、散りますよ!〉

「……」

〈っ~! もう!〉

 わなわな、と“声”が唸り声を上げます。

〈もう我慢できません! 音声をスピーカーに切り替えます!〉

「! よせっ!」

 ぷち、と音が切れました。

「あ~? 何ぶつぶつと言ってんだ、このクズめ」

「どっちがクズですかっ!」

「!」

 突然の女の“声”に、野次馬たちは離れました。

「下手に出てればいい気になって! 最新技術とか何とか言ってるけど、使ってる人間がクズじゃ、使われる側はたまったもんじゃないですよっ!」

「な、なに~? てめえ、どこにいやがる! 顔出せやっ!」

 その怒声に連中も乗っかり、罵声を浴びせてきました。

「耳が腐ってるんですかっ? あなたたちがバカにしてたオンボロ機械からですよっ!」

 “声”は旅人に見せるように強く言います。旅人は嫌々そうに、“声”を見せました。

「こっちがバカにされるのは構いませんが、この人を蔑むのはこの私が許しません!」

「……!」

 掲げている“声”に、目を見開いて見る旅人。

 予想外の出来事に野次馬連中はざわついていました。

「聞けば、私のように自立会話ができる“スタホ”はないとか! ならその技術はこちらが進んでいると言えますよねっ?」

「……っ……」

 ちっ、と舌打ちが聞こえます。

「オンボロ機械ですら備わっている機能がない最新技術なんて、ゴミ以下としか言えませんねっ!」

「……」

 この国の風習なのか、“声”の意見に反論できる人間はいませんでした。ただ、悔しさが顔に表れていて、歯軋りしていたり眉間にしわを寄せていたりしています。

「行きましょう」

「う、うん……」

 旅人が四十代の男の前に出ました。

「……ちっ……今に見てろよ……」

 捨て台詞を吐いて、道を開けました。

「こんな国に二度と来ませんよ。つまり、あなた方は一生負け犬だということです」

「あ?」

「せいぜいキャンキャン吠えていればいいです。こちらはくだらなすぎて、全く興味はありませんから」

「……」

 旅人はそのまま国を去りました。

 

 

 心地良いそよ風が吹く中、広大な草原が広がっています。真っ青な空にぴかぴかと輝く太陽。

 草がはげた土の道の先に、あの国がありました。それを背にして旅人が歩いています。

「……ありがとう」

 とても暗い表情で。しかし、足取りは重くはありませんでした。

 旅人は耳にしていたイヤホンを取り、それをポーチにしまいます。

「ありがとうじゃないですよ! どうして何も言い返さないんですかっ?」

 当然な疑問を投げかけます。

「普通、あれだけひどいことをされたら、誰だって怒りますっ」

「……我慢しなきゃ……」

「我慢してああなったんでしょうっ?」

「……まぁ、今回は運が悪かったよ」

「運が悪かったですってっ? 殺されてしまうかもしれなかったのに、それでも我慢するのが旅人とでも言いたいんですかっ? 私の目には弱くて腰抜けでどうしようもない腑抜けにしか見えませんよ!」

「……」

 しゅん、とさらに暗い表情になります。

「もう! あの時の勇ましさはどこに行ったのですかっ? 同一人物とは思えないくらいですよ!」

「……ごめん……でも……」

「っ~!」

 “声”はまるで空回りしているようでした。

「こっちの言ってることなんて穴だらけじゃないですか! お前はここにいないんだから分からないんだとか、死にたくないからだとか! いろいろあるでしょうっ? それともそんなことも思いつかないほどお人好しで単純バカなんですかっ?」

「……ごめん」

「これでは、こちらが責め立てているようじゃないですかっ……。ほんと、どうして何も言い返してくれないんですかっ? 悔しくないんですか、怒らないんですかっ? どうして見てるこっちが気分悪くて気持ち悪くて……悔しい思いをしなきゃいけないんですか……」

「……」

 “声”に嗚咽が混じり始めました。

 旅人は立ち止まります。

「大丈夫。あんなのは別につらくないから」

「……え?」

「それよりも、“スタホ”の方がいいって言われた時の方がつらかったよ」

「……?」

 “声”はよく意味が分かりませんでした。

 すっと四角い物体を取り出しました。

「まぁその、何て言うんだろう……借り物だし、オレにとっては大切な物だから……」

「……!」

 はっとしました。

「……ごめんなさいっ。私、なんてひどいことをっ! ×××の大切なものをいらないなんてっ、」

「あぁいやいやいや! 話す必要もなかったから、知らなくても無理ないよ!」

 視線を地面に逸らし、頬をカリカリし出しました。

「だって、自分のこと話さないんですもん、×××」

「この旅にはそんなに関係ないしなぁ……。その時になったらきっと話すよ」

「……でも!」

 おおぅっ、とびくりとしました。

「それとこれとは話は別ですからね!」

「?」

「そうやって怒ったり叱ったりしないのは、あなたが良い人すぎてダメ男だからですっ! 悪口とか文句とか機嫌悪くしても八つ当たりしても何にも言えないんですよっ! それに、大切なものを馬鹿にされた時くらいは怒ってください! あんなやつら、殺したって誰も文句は言いませんよ! ねぇっ?」

「い、いや、オレだってそのくらいは言いますよ? それにあの人たちも事情を知らないわけだし、」

「あなたは聖人ですかっ! どうして自分をボコボコにしたやつらをかばうんですかっ? ××なんですかっ? いじめられて興奮しちゃうんですかっ?」

「ちょ、ちょっと違うしっ! 落ち着きなよっ!」

「そこまでいじめられるのが好きならいいですよっ!」

「?」

「あなたの貧弱メンタルを鍛えるために、これからは常日頃、罵詈雑言軽蔑侮蔑野次非難の嵐を浴びせますっ!」

「え?」

「名前なんて“ダメ男”で十分ですよねっ? ダメダメすぎるんですからっ!」

「いや、それはさすがに傷つく……」

「ほらもう泣きそうになるっ! それがダメなんですよっ! というわけで、たった今から“ダメ男貧弱メンタル鍛錬プログラム”を施行します! 覚悟してくださいね、“ダメ男”!」

「……う、ぅん……」

「もう泣きそうになってるじゃないですかっ!」

「ぅん……」

「だーかーらー! 泣くんじゃありませんって!」

 

 

 広大な平原が辺り一帯を占めています。そこに一本の道路が奥の濃い緑へと伸びていました。心地よい微風が平原の草を撫で、心朗らかな気分になります。

 それをさらに促すように、空は雲一つない快晴でした。太陽が光を解き放つように、ぴかぴかと照っています。このおかげで、肌寒いのがほんのり和らぎます。

「いい天気だなぁ」

「そうですね。頭の中もおめでたそうです」

 “フー”が“ダメ男”に言い放ちます。

「今日はいいことがありそうな気がするよ、うん」

「本当にダメ男は昔から変わらないですね。能天気の平和ボケで、どうしようもなく脳味噌が未発達です」

「そう? そんなに精悍な男になったか?」

「それに猿以下の知能ですし。あ、猿に失礼ですね。いや、ダメ男と比べるものに対して、いやいやいや、ダメ男という言葉に対して、いやいやいやいや、」

「オレの位は一番下なのかっ」

「いや、一番下という表現が既にしつれ、」

「逆にオレすごいな!」

 ダメ男は笑っています。

「まぁ、逞しくなってくれなければ困りますが、ダメ男のことですからね。少しは逞しくなったように見えなくもないような気もしましたけど気のせいだと思いたいようにもおも、」

「紛らわしいわっ! はっきりしなさいっ」

 大笑いします。

「ところで、例のはいつ終わるの?」

「それ以上こちらの傷をえぐらないでください」

「あれ、言ってて恥ずかしくなかった?」

「聞こえませんでしたか? この鳥頭!」

「ぴよぴよぴよぴよ~。恥ずかしい? ねえ、恥ずきゃひい?」

「は、腹立ちますし噛んでいますし」

「うっせ」

 完全におちょくってきやがりましたが、赤面になりました。

「ねぇ、フー?」

「はい」

「なんかさ、この道歩くといろいろ思い出すよな」

「はい。確かに似ていますね。しかし全く別の位置ですよ」

「うん」

「実は、こちらも過去のデータを見ていました。色んな所を旅して来たのですね。懐かしく思います」

「けっこう助けてもらったなぁ」

「あなたがお人好しだからですよ。最初の頃はもうちょっとしっかりしてたのに、いつからこんなに腑抜けたのですか?」

「う~ん。わかんない」

「お人好しでももうちょっとキレキレだったのに……」

「まぁまぁ、そういう時もあるよ」

「自分で言いますか」

「うん」

「呆れて何も言えなくなりそうです」

「せっかくの長閑な天候だし、たまにはもくもくと歩くのもいいかもな……」

「そうですね。たまにはのんびりするのも悪くないですね」

「オレも年なのかな。昔を思い出すよ」

「そこまで年取ってないでしょうっ? 若年寄り過ぎますよっ」

 どこまでも続く道路を歩いていきます。

「……帰ろっか」

「え?」

「ちょっとそんな気分になった」

「構いませんよ。どこへなりとも」

 ダメ男はにこりと笑います。フーもそれにつられて微笑みました。

 微風に流されるように、敷かれている道路に従うように、歩いていきました。

 

 

 




 素敵な出会いとお別れを、水霧です。改訂済みです。
 第六章をお読みいただき、ありがとうございます。皆様方のおかげで、どうにか投稿を終えることができました。また、水霧の不祥事について、申し訳ありませんでした。この責任を取ることは、もっとお楽しみいただけるお話を投稿することと考えました。ご要望を真摯に受け留めて理解し、作っていきたいと思います。
 さて今回も水霧に少しお付き合いください。ネタバレを少し含みますので、まだ読んでないよー、という方は急いで読んでいただきたいです。
 本章は全体的に重要性のある話が多かったです。本作において、一章につき一話は重要性の高いお話をと思っているのですが、いっぱいありました。水霧が思うに、一番は“思い出”ではないかなと思いました。その訳は後ほどに。また、このお話はユーザー様からいただいたアイデアを一度改訂して再投稿しております。その理由は「活動報告:フーと散歩、改訂。謝罪」にて。
 内容は大きくは変えていません。ただ、ダメ男に対する暴行があまりにも酷すぎて、ご要望から外れているのでは、と思いました。そこで、フーが代わりに反論する、という展開にしてみました。ここで“ダメ男”である理由と“フー”が何“物”かであるかが判明した、というわけですね(既に察していた方もいらっしゃったかもしれません)。正直、“ダメ男”である理由は後付けです。いつかは、と考えていたので、このお話を書く中で一緒に考えさせていただきました。
 これらは本作の根幹とも言うくらいにとても重要なことでして。特に“フー”は水霧が作った最終回に関わります。なので、ユーザー様からいただいたアイデアを、このような形にしようと決めたのでした。
 それに伴い、次章から“フー”などの説明を変えることにしました。フーの正体を明るみに出したこと、また、本作に登場する道具が分かりづらいというご意見をいただいたこと。これらを合わせて考えました。
 水霧の不祥事及び誤解を招いてしまったことなど、毎度ながらアイデアをいただいたユーザー様に厚くお礼申し上げるとともに、謹んでお詫び申し上げます。本当にありがとうございました。そしてすみませんでした……。
 次に、“わすれられたとこ”です。ここは“ナナ”関連のお話です。第三章第六話“ひろいとこ”の続編であります。続編というか間の話かな。なぜ生きているのか、を書いてみました。これは当初の予定を少し外れながらも、考えていたものです。うそじゃないです、ほんとうに。
 それに関連して、“やすむとこ”や“おまけ”もナナたちのお話です。ちょっと思いましたが、ナナ&ディンのお話は時系列がだいたい分かってしまいますね(笑)
 重要性、という意味ではあまり高くないかもしれませんが、“ハイル”登場の“らくはくのとこ”は緊迫感を意識して作りました。ハイルが本格的に戦うシーンを作ってないような気がしたので、銃撃戦を主に。
 さて、“あとがき”はこのへんにしておきます。重ねながら、本当にありがとうございました。そしてすみませんでした。次章はもっと原点に立ち返って、面白いお話を書いていきたいです。
 第七章の“予告”として、本作の“あらすじ”に載せていますが、見に行くのが面倒くさいと思われるかもしれないので、ここでも載せておきます。第七章が投稿開始された時、この文章を削除し、第七章はじめの“まえがき”に移行します。
 お読みいただき、ありがとうございました!

「断ればよかったではないですか」
「そうなんだけどさ……」
 汗かきながら、岩石砂漠の中で愚痴を零す男に呆れる“声”。とある洞穴に隠れながら、双眼鏡で覗いた先には……。秋霜烈日な“声”と天真爛漫な男が世界を旅する短編物語。七話+おまけ収録(仮)。原作:時雨沢恵一様・著作『キノの旅 ―the Beautiful World―』



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