フーと散歩   作:水霧

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おわり:くろいよる

「……ふう」

「ブージャー先生! お姉様はっ? お姉様は!」

「心配するな。お前たちが大量に血液を提供してくれたおかげで、奇跡的に助かった」

「よ、よかった……! う……くぅっ……」

「礼はミオス……いや、あの旅人にするんだな」

「? どういうことです?」

「やつが持っていたナイフがあまりにも切れ味が良かったから、メスで手術したように綺麗に切られていたんだ。しかも筋肉の走行にならって腹を刺したから、傷の治りも早いし痕も目立ちにくい」

「……じゃあ、あの決闘でミオスが狙っていたのは本当に……最後の最後の一撃……」

「ここまでできる人間は私の知る限り数人しかいない。……一体何者なんだ?」

「分かりません。……あたしはお姉様がご無事ならそれでいい……」

「イリスはどうするだろうな」

「きっとミオスを追いかけることはしないと思います」

「え?」

「何となく、そんな気がします……」

 

 

 夜、イリスの部屋に、

「失礼します」

 モモが入ってきた。イリスの部屋も他の部屋と同じ、乳白色の部屋だった。本棚に収まりきらずに積まれた大量の書物や、机から紙が大量にはみ出て床に落ちている。その傍らにはイリスの着ていた甲冑に折れた長剣が立て掛けられていた。

 イリスは窓から外を眺めていた。

「お姉様、ご容態の方は……?」

「何とか大丈夫のようだ。……おめおめと生きてしまった」

 ふ、と鼻で笑う。

「ブージャー先生が頑張って手術してくれました。あたし達もお姉様がご無事とあって安心しています。どうか、そのようなことはこのモモの前だけにしてください……」

「……」

「?」

 イリスが手招きする。椅子に座らせた。

「モモよ」

「は、はい」

「ありがとう」

「……? ありがたき、お言葉……?」

 戸惑っている。

「私のために戦争へ出向き、こんなに傷ついてくれた……」

 ぺろんとシャツの裾を少し捲る。お腹周りに傷跡がぎっしりと詰まっている。

「いえ。それはあたしが不覚を取っただけです。お姉様だって戦場で戦っていたけど、傷一つついてない……」

「そうじゃない。それを自覚しているのに、率先してくれたことに感謝しているのだ」

「?」

「私より強くなって当然だ。モモもあの旅人のように、心も生命力も太く逞しくなっていたのだ」

「お姉様……」

 すっと、モモの顔を撫でる。

「真剣でやっても、私はモモに勝てぬだろう。……もう、私は最強ではない。いや、もとより最強ではなかったのだ」

「え?」

「……このイリスが命ずる。今日をもって、国の最強の騎士を……モモ、お前が引き継げ」

「!」

 そして、頭を撫でた。

「……お姉様、お姉様はわざと……あたしにまけて……」

「違う。木剣とはいえ、私は本気だった。そしてあの時決めていた。もしモモに負け、あの旅人にも負けるようなことがあれば、身を退こうと」

「……」

 イリスは微笑んだ。

「心配するな。他の騎士も、お前の実力を信頼している。おそらくは私以上にな」

「お姉様はどうされるのです?」

「私は女王陛下の助力に回らなければならぬ。無論、戦争の助太刀もするが、女王陛下もお年だ。そのためにあの旅人を私の婿に迎えようとしていたのだ」

「なるほど。気が付きませんでした」

「……倍以上の負担になるだろうが、やれるか?」

「……」

 にっ、と口角を上げる。

「お姉様の抜けた牙、あたしが引き継ぎます」

「……ふ、またも言うか、この」

「いた」

 ぴしっ、とおでこにでこピンされた。二人は笑い合った。

「もう終わったか~?」

 ガチャリと誰かが入ってきた。

「!」

 男だ。

「誰だ貴様っ!」

 モモが男に巨剣を突き立てた。イリスを背に隠すように、男の前に出る。

「どうやってこの国に侵入した!」

 ほんわかな雰囲気が一気に殺伐とする。無数の針で突き刺すような殺気に、男はいいいいたいたいたいた、と小言を漏らしている。

 苦笑い。

「こ、こんなせまい部屋でそんなもん振り回すなっ。危ねえだろっ」

「!」

 苦しい言い分だが的を射ているようで、モモは険しくなる。

「ならば外に出ろ。真っ二つに叩き潰してくれる」

「オレはケンカしに来たんじゃないって! 落ち着けっ!」

 どうどう、とモモを宥めようとする男。しかし逆に神経を逆撫でしているように覚える。

「死ね」

 太い線で円を描くように、恐ろしい速さの振り下ろし。ところが、

「!」

「な、なにっ!」

 びたっ、と止められてしまった。それも人差し指と中指で軽く挟んだだけ。のように見えるのに、

「く、ぐううっ……!」

 びくともしない。

 男は平然としている。いや、憮然としている。

「……!」

 しかし殺気や怒気は全く感じない。モモの迫力を真っ向から受けているはずなのに、余裕をさらけ出している。

「落ち着いた?」

 にっこり、と口だけの笑み。

「!」

 ぞぞぞぞ、と背中をべたりと撫でられるような悪寒。イリスの汗が急に止まらなくなっていた。呼吸も荒く、息が苦しい。真正面から対峙しているモモは、

「あ……あ……」

 へたり込んでしまう。足元が崩れ落ちるような、掌の上で握りつぶされるような。震えが止まらず、失禁してしまっていた。気高い誇りや積み上げてきた名誉がゴミのように感じている。

 男はゆっくりとモモの巨剣を取り上げる。

「重いなぁ。こんな重いのを女の子が持つなんて、君はすごいよ、うん」

 ぶん、と片手で振り下ろしている。

「そんな……も、モモですら両手なのに……」

 まるで木の棒を扱っているようだった。

「……さて、これで話ができるな」

「……え?」

 巨剣を近くの壁に立て掛けた。

「その前に、お前さんの方を何とかしなきゃ」

「え? ……あ、はい……」

 

 

 モモの後片付けを終わらせると、男の分の椅子をイリスの部屋に持ち込み、座ってもらった。

「それで、話とは……?」

 怪訝そうに尋ねる。

「ちょっと待っててくれ。女王も来るから」

「?」

 数分すると、本当に女王が入ってきた。

「お母様!」

「お待たせしたわねぇ」

「いんや」

「この男は誰なのですっ?」

 モモが声を荒げる。

「え? まだ話さなかったのぉ?」

「いや、女王が来てからって思って。自分から言うのも何かイヤじゃん」

 まるで友達のような口振りだが、咎めることは絶対にしなかった。できなかった。

「あなたの場合は大層な呼び名だからねぇ」

「? ……?」

 二人はぱちぱちと瞬きするしかなかった。

「名前よりもこっちの方が有名なのかしらねぇ、“英雄”さん」

「!」

「なんだってっ!」

 思わずモモが立ち上がる。

「あ、あなたが……“英雄”……?」

「あ、うーんと……まぁその、そんな感じで呼ばれることもあんな」

「っていうかそう呼ばざるをえないものねぇ」

 ばっ、とモモが男の前に跪いた。

「たっ大変失礼なことをしました! ど、どうかお許しを……!」

「いやいやいや、この国の風習なんだから仕方ないって! そんなかしこまられても、オレ困るわ~」

 軽いノリで男は宥めた。

 イリスも驚きの表情を隠せない。

「まさか、この国に“英雄”が来るなんて……」

「そんな恥ずかしいからやめてくれって~」

「否定はしないのねぇ」

 女王は笑っている。

「さて」

 きりりと締まる。

「まずは礼を言いたい」

「礼?」

「ちょっと前に医者と旅人が厄介になっただろ? その礼だよ」

「あぁ、ブージャー医師とミオスか」

「うん」

 子供のような返答。

「実はその旅人が無関係じゃなくってよ。風の噂で殺されかかってるって言うから、一番近かったこの国に書簡を送ったんだ。どうか救出してほしいって」

「なるほど。お母様はそれで、ミオスを助けたのですね?」

「ホントはそんな書簡、破り捨てたかったんだけどねぇ。建国の際にお世話になった立場として、断れないしぃ、それに“英雄”の血判付きの書簡なんて超希少なのよぅ」

「そ、そうなの、お姉様?」

「そこまではさすがに……」

 イリスは苦笑いした。

「それで礼代わりに、その旅人とお嬢さんの手術代はオレの方で支払わせてもらったぜ。あと手土産も一つあるんだが……ブージャーのやつ、国家予算の十分の一ふんだくったんだって?」

「あなたの派遣した医者はどういう神経してるのかしらぁ。腕は本物だけど強欲すぎるわぁ」

「まぁまぁ。で、聞きたいことがあるんだ」

「なに?」

「その旅人が助けられた当時の話を細かく聞きたい」

「どうして?」

「どうしてって……心配じゃん」

「……まあいいけれどぉ……」

 

 

 太陽が登り始めた頃。黄金色に輝く光が眩い。暗い森を照らし出してくれた。

 全くの無風。その下の森林が全く揺れていない。時折、どこかで鳥の鳴き声と木々の揺れる音が伝わってくる。遠くの音が聞こえてくるくらい静かだった。

 またどこかで聞こえてくる。土を踏みならす音、それも一つでなく複数。その根源を辿っていくと、

「珍しいけど、変な臭い……」

 女王が木陰からひょこっと現れた。お忍びなのか、無地の灰色シャツにパンツと普通の服装をしている。その後ろを、

「女王陛下、先に()かれては困ります」

 甲冑を着たイリスがいた。剣を腰に携え、神経を尖らせている。

 その脇では、メイド服を着たモモがいた。

「ここで戦闘した跡があります。いかがなさいますか?」

 とても眠たそうな目付きだ。

「大丈夫よぉ」

 心配そうな二人に、笑顔で答える女王。

「しかし、なぜこんな所へ足をお運びに?」

「まぁその、お散歩よお散歩」

「は、はあ……」

 特にそれ以上は尋ねなかった。

 そのまま警戒しながら進んでいくと、集落らしき村へ着いた。まるで森林がその村を囲うように配置し、密集している。その隙間を入るのは子供でぎりぎりなくらいだ。三人の目の前で迎える“開き”しか入れそうになかった。よって、自然の城門とでも表現するのが合っていた。

 女王が不用心に村へ入るのを、慌てて二人が付いていった。

 木造の家が五軒ほどあるだけだが、人の気配はまるでない。というより、荒らされた跡があった。壁の一部が破損していたり、入口が蹴破られていたりと、良からぬ事があったと見受けられる。

 それをじっくりと観察する女王。のんびりとしている本人に対し、背後の二人からびりびりと緊張感が伝わる。ちらちらと二人でアイコンタクトを取り合い、周囲の警戒を怠らない。

 ぴくん、と女王が何かを察した。

「臭いは一番奥かしらねぇ」

「はい。……待機している兵はどうなさいますか? 場合によっては、」

「引き続き待機」

 ぴしりと遮断するように言い放つ。しつこい、と叱咤(しった)されたように覚え、

「……はっ」

 出しゃばるのを控えた。

 悪臭の元へ辿って行くと、比較的大きい家に着いた。

 さすがに、とイリスが先に中を調べることに。ドアを蹴破らず、ゆっくりとノブを捻り、そっと押した。

「……」

 女王の背後ではモモが後方を確認している。

 中は玄関から真っ直ぐ廊下が伸び、居間へ続いていた。途中に部屋はない。それよりも、異臭が強くなったことの方が印象深い。

 イリスが女王の方を見遣ると、きっ、と目付きを鋭くされた。ため息を吐きながら、仕方なしに頷くイリス。二人以上にぴりぴりと神経を張り詰め出している。

 靴を履いたまま廊下奥のドアに向かう。トントン、と女王がモモの肩を叩くと、モモは外の方へ向いた。彼女はここで見張りをするようだ。

 女王とイリスは目を合わせると、女王がドアノブへ手を伸ばす。そして頷いた直後、勢い良く開けた。

「ッ!」

 剣を引き抜き、瞬時に戦闘態勢へ。

「! こ、これは……」

 そこにいたのは、

「……ふぅ……ふぅ……」

 一人の男がベッドで仰向けになっていた。だが、ただ寝っ転がっているわけではない。

「! 大丈夫かっ?」

「……ふぅ……ぅ…………」

 返事はなかったが、お腹が動いていた。

 異常に気付いた女王が中に入るや、

「モモ、すぐに衛生兵を寄越しなさい! それと医者にも連絡!」

「分かりました!」

「イリスは私と応急処置を手伝いなさい!」

「はっ」

 瞬時に指示を出した。

 廊下で走り抜ける音。だんだんと遠ざかり、聞こえなくなった。

 臭いの正体は、汚物臭と生臭さと……血の臭い。尋問拷問を受けたようで、男の左肩が中の中まで露わにされ、ぐちゃぐちゃになっていた。そこからどろどろと血と脂肪、何かの液体が混ざって漏出している。ベッドはその部分の他に、男の顔の右側にも穴があり、床さえも突き抜けている。

 男の顔に生気はない。目に光はなく、意識がとぎれとぎれなのは見ていても分かる。

 応援が来るまでの間、イリスが持っていた救急道具で応急処置を速やかに済ませる。しかし、応急以前の問題で、消毒洗浄と止血でしかない。

「しっかりしろ! 死ぬな!」

「……」

 必死に気付けするイリスを見つめる女王。

 数十分して、応援が駆けつけてきた。まるでこの事を予期していたかのような対応の早さに、

「女王陛下。一体この男は誰なのです?」

「誰でもいいでしょう? 見つけちゃったんだから、助けないとねぇ」

 疑念を感じずにはいられないと同時に、改めて尊敬したイリス。

「……」

 担架に乗せられ運ばれていくのをじっと見つめていった。

 

 

「ふ~ん、そっか。左肩以外にも怪我してたんだ」

「で、これで何が分かるのかしらぁ」

「どうして生かしたんだろうな」

「?」

「旅人の肩以外にも穴があったってことは、もう一発あった。つまり、殺すことができたんだ」

「……そのまま放っておいても死ぬからでは?」

「それもある。あと、殺す場所があそこだったっていうのも不自然極まりない。憎む相手を殺すなら、あんな場所じゃやりたくない。今回みたいに助けられるかもしれないからな」

「つまり、あの場所が私の隠れ家であったことを知っていたって言うのぉ?」

「……それは本人に聞いてみるしかないな。オレじゃ分からん。ただ、どういう心境の変化だったんかなってな」

「その言葉ようですと、誰がミオスを殺そうとしたかも知っているのですか?」

「うん。もちろん」

「……どうして分かるんですか?」

「情報っていうのはな、集まる所に集まるものなのよ、お嬢さん。ちなみにお嬢さんのスリーサイズも知ってるんだぜ?」

「!」

「上からろくじ、ぶっごっ!」

「……」

「“英雄”を殴るなんて、やるじゃないのぉ」

「あ、いや……スミマセンっ!」

「今のはセクハラだから不問ねぇ。これだから男ってやつは……」

「いたたた……まぁ、そういうことなのよ」

「……一ついいですか?」

「なに?」

「ミオスが女王陛下と同じ戦術を使っていました。ミオスと女王陛下は師弟関係にあったのですか?」

「! ……」

「それは、“英雄”殿の頼みか何かですか?」

「……彼とは初対面よ。第一、そうだとしたらあなたたちと知り合いのはずでしょ?」

「まあ、確かに……」

「んー、オレもその話は初耳だな。オレの知らないところだ。どっちにしてもそこまで重要な話でもないだろうし。そんなことより、オレのお手製の手土産が気にならないか?」

「……手土産?」

「……ずばり言う。女王からの依頼で、お嬢さん方の姉の居場所を突き止めた」

「!」

「お、お姉ちゃんがっ?」

「……」

「……どこにいるのですか……?」

「……オレが助け出したんだが……亡くなっていた」

「……そんな……」

「本当に姉なのですか?」

「その女は××と名乗っていたそうだが、どうだ」

「……」

「……姉の名前です」

「うそだ……おねえちゃんが……」

「泣くなモモ。……なくんじゃない……」

「長年、×××にされていて、記憶はほとんどなかった。ただ、自分の名前だけは忘れていなかったそうだ。……そのせいで不治の病にかかり、亡くなった」

「……うぅ……くっ……」

「……男なんてきらいだ……クズ共め……」

「……二人共……」

「いいよ女王さん。そっとしとこう。……他にも聞きたいことがあったら聞いてくれ。オレらは外にいるからよ」

「……はい。ありがとうございます、“英雄”殿……うっ……」

 

 

「……これで良かったのか?」

「……えぇ。嘘は言ってないんでしょ?」

「あぁ。……それと、彼女の遺体はこっちで丁重に弔わせてもらった。姉妹に見せるにはあまりにも酷だろうと思ってな」

「そうね……。もう骨と皮しかなかったものね……」

「悪かった……。オレがもっと早く捜し出せれば……。へっ、誰が“英雄”なんて大層なアダ名つけたか知らんが、助けたいやつを助けられなくて何が“英雄”だってな。笑っちまうな……」

「あなたは悪くないわ。むしろ、こんなことのために何年も時間を割いてくれたことに感謝しかない。他の事でも忙しいのに」

「この国を作らせてもらった(よしみ)だ。お安いご用さ。……さて、そろそろ行くか」

「イリスたちの質問はどうするの?」

「そんときゃ、オレ宛に手紙でも出しといてくれ。……これ、仮住所。手紙を入れるためだけの家だけど、たまに帰ることもあるから気長に待っててくれ。あと、その状況も細かく書いといた。大体の疑問はこれで分かると思う」

「準備がいいのね」

「うん。歩きながら書いたからちょっとヘタクソだけど勘弁してくれ」

「一応読めるから大丈夫」

「そっか。……じゃ」

「……時間が空いたら来てちょうだい。自慢のお酒用意しとくわ」

「オレは下戸なんだ。お茶にしといてくれ」

「……分かった。楽しみにしてて」

「ん」

 

 

 


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