フーと散歩   作:水霧

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第二話:やすむとこ

 真っ白い雲が空一面を覆っている。とても分厚く、光など遮蔽しようとしているようだ。そんな空から天使の羽のように、軽くてふわふわした雪が降っていた。

 辺りはどこもかしこも真っ白だった。しばらく降っていたのか、木々や看板、柵などにもびっしりと雪がこびりついていた。

 辺り一面銀一色の景色に伸びていく二筋の線。それを作っているのは二人の旅人だった。分厚いダウンジャケットを着て、頭まですっぽりとフードで覆っている。その周りのファーがびっしょり濡れている。下も分厚そうなパンツを履き、靴は靴底がぎざぎざで厚みのあるものだった。二人とも色違いだが、ほぼ同じ服装をしている。

「寒い……ですねぇ」

 青い服装の方から男の声がした。笑いも混じる軽い口調で空を仰ぐ。はぁ……、と息を吐くと、白いもやが出てきた。ショルダーバッグを掛け直す。

 それを先導する黒い服装の方はザシュザシュとすり足で進んでいく。迷彩柄の大きなリュックを背負っている。

「遅い。早く来い」

 さらに冷徹な一言を言い放つ女の声。

「あぁ、その……ふぅ、はい……」

 男は置いて行かれまいと、女の後を付いていった。心なしか、足取りが怪しくてふらふらしている。

「もうバテたのか? そのままだと置いていくぞ。“奴”を見失う」

「……すみません……」

 さくさくさくさく、とすり足のはずなのに陸上競技でもしているかのように、突っ走っていく。一方の男は、よたよたと歩きたてのペンギンのようだった。

 男が驚くのも無理はなかった。膝丈くらいに雪が積もっているのだ。

「なんて脚力だ……うわっ!」

 ぼふん、とダイブしてしまった。

「……つめた……、……!」

 急に持ち上げられる。女がいつの間にか目の前にいた。

 男の全面は真っ白だらけである。子供を世話するかのように、女が軽く叩いた。

「まったく、情けない奴だ。これしきのことでへばるとは」

「……すみません……」

「仕方ない。お前に合わせるとするか」

「申しわけな、いっ……です……」

 ぼふん、と女により掛かる男。

「おい、ふざけてい、……!」

 はっとして何かに気付いた。

 女は急いで手袋を外し、男の顔に触れる。その後、フードを外してあげた。

「…………ふぅ」

 男の顔は真っ赤だった。霜焼けというのもあるが、表情に力がなく、瞼が半分閉じかかっている。薄っすらと見える瞳が虚ろだった。

「……馬鹿者」

 男を一旦地べたならぬ雪べたに座らせ、頑丈そうな縄を取り出した。それを男の身体に巻き付け、背負うように促す。背負った後は縄を自分の腹に巻きつけた。これで背負ったまま両手を離して行動できる。

「こんな時に体調を崩す奴がいるか。いつからだ」

「さ、さぁ……す、すみません……」

「……一()ず近くの国に行くぞ」

「……はぁ…………はぁ……」

 耳元で昨日……と聞こえた。女は瞳を伏せて、ばかもの……と呟いた。

 

 

 見えてきたのは真っ白な壁だった。三メートルほどの高さで、左右にすっと伸び、景色に溶け込んでいく。おそらく何かの壁に雪がびっちり付いたものだ。

 女は、

「……」

 その白い壁を右手方向に伝っていく。まるで彼女たちを遮るように、空間を二分していた。

 足跡が壁をなぞるように、直角に増えていく。

 そのまま歩くと、今度は木々が目立ち始めた。森林ほど密集してはいないが、ぽつぽつと散らばっている。

 長い。雪が積もって足取りが悪くなっていることも相まって、十数分進み続けても何も真新しいものがない。見えるのは雪に包まれた木々と白いものだけ。

「!」

 女の後頭部に熱を感じる。熱のこもった呼吸で、髪の毛が焼けるように熱かった。

「……ふぅ……ふぅ……」

「……」

 男の容態が分かってからというもの、息が一層荒く感じる女。もう一度手袋を外して顔に触れる。……火傷を起こしそうなくらい熱い。

「……一体何なんだこれは……」

 八つ当たり。苛立ちで無意識的に壁を殴った。

「!」

 金属板が擦れて弾ける音。女ははっとして、雪を払い落とす。

「……これは……」

 そこには凸凹した金属の壁が垣間見えた。

 もっと払い落としていく。

「初めて見るぞ……」

 細い金属棒を柱として金属板が貼られていた。厳密に言うと、金属板が柱に“挟まっている”。

 女は有刺鉄線や電気の通った壁でないことを念入りに確認した。そして迷彩リュックから四角い物体を、

「待ちなさい!」

 背後で男の声が聞こえてきた。思わず、それをしまい直す。

 振り返ると、彼女らと同じように、完全防備の姿をした男がいた。顔までフルフェイスマスクとゴーグルで覆っている。

「お前さんたち、ここを壊そうとしてただろ?」

「……」

 女は男を睨みつける。まるで突き刺すような鋭さに、男はたじろいでしまう。

「そ、そんなににらまなくても……」

「……」

 失せろ。女は小さく言い放った。

 しかし、

「そこを通りたいのか?」

 男は果敢にも女に問いかける。何とも言えない表情で、女は頷いた。男の目には、それはしかたなさげに映る。

「こっちに来てくれ」

 歩いて行く男に付いて行くと、壁のある地点で止まった。そこの雪を払い落とす。

「いくつか開くようになってるんだけどな」

「!」

 今まで見かけたのとは違い、ここの場所だけは蝶番と取っ手が付いていた。

 それを確かめた後、男は足元の雪を手で退()かしていく。女には、

「じっとしてろ。お連れさんに負担がかかる」

 一切手伝わせなかった。

 壁の範囲くらいに雪をかき分けた頃、日が傾き始めているのか、急に暗くなり始める。しかも、雪の粒も大きくなり、しんしんと降りだした。

「少し急ごう」

「……」

 取っ手を引く。男の手際が良かったようで、ずりずりと引きずりながらも、壁が開いた。

 二人ともそこを通り、丁寧に閉じる。

「……すまない」

「いいよ。それより、旅人さんはこれからどうするんだい? まさか、この雪の中を突っ走っていくわけじゃないだろ?」

「……」

 女は無言になった。

「あっ呆れた。この雪の中で下山しようとしたら、余裕で三日四日はかかるぞ」

「それでも野宿しながら行くしかない。元はといえば、こいつが体調を崩したのが悪い」

「……」

 少し引いている。

 はぁ、と勢い良く白い息を吐いた。

「うちに来い。この先にあるから」

「……」

 その提案を呑むしかなかった。

 特に礼を告げず、男の後を付いていく。

 とても静かな雪山の中、ぼそりと何かが聞こえた。直後、いいってことよ、と男のでかい声が響いて聞こえた。

 

 

 雪に染まった森林が目立ち始めた。その重みに耐えられず、枝が折れて雪に沈んでいく。その乾きつつも重々しい衝撃音は静かな山の中で、どこからともなく聞こえてくる。

 不安が拭えない女。男が先導してくれているものの、出会ったばかりで、とても信頼しきれるとは言えなかった。しかし従う以外に選択肢がなかった。

 進んでいくにつれ、仲間の男の容態が気になって仕方がない。

 だんだんと森林が拓けていく。まるで三人を招き入れるように。

「着いたぞ」

 歩き始めて半時もかからなかったが、その時間が恐ろしく長く感じる。

「……」

 三角の藁屋根の平屋だった。コンクリートの基礎が見え、家の床との間に空間を作っている。ガラス戸の玄関の左側に、ガラス戸で見える廊下。露出した柱の合間を古そうな木材で埋めている。まさに古風な家屋だった。

 その屋根には分厚い雪の塊が乗っかっている。幸い、屋根の“傘”が広いのか、玄関辺りは少ししか積もっていない。

 男は鍵で玄関を外すと、立て付けが悪そうに強引に引いた。女も中に入る。

「……寒いな」

 中はわりとさっぱりとしていた。右手に台所と思われるお(かま)と流し台があり、それらの土台はどちらも石と何かの接着剤で組み立てたものだ。真正面は大量の(まき)と掃除用具、見たことのない木製の置物が置かれている。左手は板の間に繋がり、障子と縁側で仕切られている。

「ここらへんはな。板の間の奥の和室はそこそこあったかいぞ。畳あるしな。お連れさんはそこで休ませるといい。すぐに布団を用意するから」

「……すまない」

 ゆっくりと縄を解き、連れの男を下ろして縁側に座らせた。ついでに提げていた荷物も置く。

 連れの男の防寒具を脱がせ始めた。子供っぽい顔付きだが、爽やかそうで好青年だ。肩にかかるくらいに長い茶髪は違和感がなく、しっとりと濡れていた。顔も濡れていて、もみあげがへばりついている。

 顔だけでなく、中までぐっしょりとしていた。熱くて汗をかいていたのか。

 女も自分の防寒具を脱ぐ。

「……」

 男は呆然として女を見ていた。

「なんだ?」

 とても色白で、左目尻の泣き黒子が可愛らしかった。しかし口調からも感じ取れるように、雰囲気も表情も少し凛としていた。黒い長髪は頭の天辺らへんでお団子になっていた。

「ん? ……何でもない。それより、その様子だと風呂も必要か?」

「いや、お湯さえあれば……」

「水はあまるほどある。暖も取るついでに湯も準備しとく」

「何から何まで……すまない」

 荷物から二人の着替えを取り出すと、

「……“ディン”、立てるか?」

 連れの男“ディン”に肩を貸す。ディンは(だる)そうに頷いた。ディンの頬に頬を触れさせると、ひどく熱かった。

 とりあえず、女は連れの男を休ませることにした。奥の部屋へ向かうと、男の言う通り、八畳ほどの広さの和室だった。心なしか、先程よりも寒くはない感じはする。

「少し寒いだろうが、我慢しろ」

 ディンの衣服を丁寧に全て脱がせる。

「……タオル忘れた……」

 肌の表面がうっすらと湿っているのを察し、トタトタとタオルを取りに行った。

「……」

 恐ろしく身体が冷えている。しかし顔や脇が熱い。女は丹念に身体を拭ってあげた。

「……あ、あね……さん……?」

「しゃべらなくていい。気を楽にしろ」

 器用にディンに厚めの寝巻きを着せてあげる。

「どうだい」

 すーっ、と板の間から障子を引く音。

 女は振り返らず、

「あまり良くはない。四十度近い高熱だ」

「そら大変だ」

 受け答えする。

 男はふすまから布団を一式分取り出し、ディンの横に敷いた。

「寝転がれ」

 まるで這いつくばるように布団に乗るディン。その上から温かそうな掛け布団が三枚ほど。

「……一応風邪薬あるけど、飲んどくか?」

「私も持っている」

「そ、そうか。それならあんし、……!」

 急に男の目の前で衣服を脱ごうとする女。慌てて、

「何してんのっ?」

 引き留めた。

「? 着替えているだけだが」

「あんた女だろっ。ちっとは恥じらいってもんをだな……!」

「別にそこまで珍しいものでもないし、見られたからといって恥じたりもしない」

「……」

 ふぅ、と小さく息をつく。

「とにかく、俺は準備しとくから、その間に色々と済ませといてくれ。お連れさんがいるのに何かあっちゃ俺が困る」

「……」

 すーっ、と障子が閉められた。その向こう側で、

「あんた、名前は?」

「……」

「俺は“ヤマ”ってんだ。短い間かもしれんがよろしく」

「……」

 ため息の声。足音がもの寂しそうに、そして、

「“ナナ”だ」

「!」

「世話になる、ヤマ」

 嬉しそうに一瞬止まった。

 

 

 辺りはすっかり暗くなっている。雪のせいか、より一層荘厳で静かな気がした。雪が木から崩れ落ちる音、ちりちりと細かい雪が降り積もっていく音。寒さも際立って敏感に聞こえてくる。

 玄関には提灯(ちょうちん)が提げられ、遠くからでも仄かに見える。また、家の障子からぼんやりと温かい明かりが点いていた。そこに人影が映っている。

 女“ナナ”はディンの介抱に付きっきりだった。何とか上体を立たせて、作ってもらったお(かゆ)を食べさせている。

「食え。身体が持たないぞ」

「……」

 ディンは絶不調だった。ナナがお粥を流しこむも、ほとんど咀嚼(そしゃく)していない。時折、口から零してしまうことも。その度に、こまめに拭いていた。

「げほっ、がほっ! ……っんふっ! ……はぁ……はぁ……」

「……」

 和室の隅っこに置かれた木製の箱。そこに大量の灰が入れられ、五徳を敷いた上に丸みのある鉄瓶が乗せられている。炭火で緩やかに熱せられているためか、鉄瓶の先っぽから湯気がふわりふわりと立ち上っている。

 その反対側には、形の変わった灯りが置いてあった。六角錐の尖ったところを切り落として、逆さまに立てたような形をしている。骨組みは木製で、赤く塗装されており、面は模様の入った紙が貼られている。中は空洞で、そこに蝋燭(ろうそく)が立てられている。

「……ふむ。せっかく情緒あるものだが……もったいない」

 ナナはお粥を改めて見た。

「食べづらいのか? 急いで作ってもらって、まだ粒が残っているから……」

「……」

 頷くように、ナナに項垂れるディン。

 ったく、とナナは、

「世話のかかるやつめ……」

 お粥を口に含み、もくもくとかみかみした後、

「ん」

 そのままディンの口に重ねた。

「……んは」

 茶碗が空になるまで何回も繰り返していく。

「ん、んぅ……」

「……ふはっ……舌で拒絶するな。食わねば薬が効かないだろうが」

「……も、う……いっぱい……くっるし……」

「まだ五口しか食べてないぞ。情けない」

「や、やめっ、」

 と言いつつ、まだまだ繰り返していった。

 

 

 十分に食事を取らせたおかげなのか薬がよく効いているのか、ディンは安らかに眠っている。

「……十分に休め」

 ぴしりとおでこに白いシートを貼ってあげた。

 ナナは隣の板の間に戻ることにした。

「お疲れさん。……どうだい、ディンさんの方は?」

「今は落ち着いている」

 ナナもようやく落ち着くことができる。どたどたしていたために、しっかり見ていなかった。

 板の間の真ん中に囲炉裏(いろり)があった。天井から鎖が吊るされ、先端に引っ掛けが付いていた。そこに鉄鍋が引っ掛かっている。ぐつぐつと出来立ての汁物が湯気を上げて煮えていた。

 その出口側にヤマが座っている。ヤマと向かい合う位置に藁で手厚く編んだ座布団が置かれていた。失礼する、とナナはそこに座った。

「あれだけ手厚く看病してたんだ。効き目も早いだろうに」

「!」

 (すく)ってもらい、お椀を差し出される。ナナは気恥ずかしそうに、ヤマの視線を避けながら受け取った。

「貴様……見ていたのか?」

「あ、あの、悪気があって覗いたわけじゃないんだ。そこは障子だろ? だから明かりをつけると、見えちゃうんだよ……」

「……」

 じと、とヤマを睨む。かなり狼狽えていた。

「……都合つけてもらった身だ。仕方なく許すが、ここの構造を見直した方がいい」

 すすす、と冷めた口調で食べ始めた。全身全霊でほっとするヤマ。思わず、恥じたりしないんじゃ……、という呟きが聞こえてしまい、一瞬だけ槍で突き刺すように()め付けられた。

「……ああ、防寒具は台所の近くで乾かしてるよ。あそこは火の気が多いから、わりと乾きやすいと思ってな」

「すまない。……何か礼を……」

「いやいいよ。……ほんとは下心があったんだけど、二人の関係があんなに熱烈だと、気が引けてな」

「!」

 瞬く間に、ヤマの眼前に、

「調子に乗るな。その頭の中を直接覗いてもいいんだぞ?」

 真っ黒の穴が二つ。“ソウドオフ・ショットガン”と呼ばれる銃身をかなり切り詰めた小型のものだ。しかし、まじまじと見ているのはなぜかショットガンの方だった。

「じょ、冗談だって! じょうだん! あぶないからそんなもんこっちに向けんなっ!」

「……」

 懐にショットガンをしまい、再び食べ始める。お腹が空いたようで、おかわりもいただいていた。

「これは不思議な味だ」

「口に合わなかった?」

「いや……美味い」

「味噌って聞いたことないか?」

「初めて聞く。この地帯の郷土料理か?」

「そう、なんかな? 家ごとにかなり味が違うんだよ。味噌って言っても何百種類もあって、好みの味噌を使うんだ。しかも具も違う。うちはだいたい大根と油揚げ、ネギを使うけど、家によっては卵だったりワカメだったり……」

「なに? そんなバラバラなものが料理のわけがないだろう」

「そう言われてもな……そうとしか言えないし……」

「……」

 いちゃもんをつけるわりに、

「もう一杯、もらえるか?」

「いいよ。いくらでも食べんさい」

 止まらなかった。

「お礼かあ。……そうだなあ……」

 ヤマもしゃくしゃくと食べている。

「旅人なら、面白い話とかいい話とかあるだろ? それを話してくれよ」

「! ……」

 止まってしまった。

「……?」

 物惜しげもなく、お椀を側に置く。

 ヤマはその意味が分からなかった。

「もしかして、旅を始めたばっかりとか、誰かに追われてるとか?」

「……」

 改めて、おそるおそる尋ねる。

「あまり……いいことがなかったのか」

「……」

 軽く息をつく。

「私は観光目的で旅をしているわけではない。……ある男を殺すために生きているのだ」

「ある男?」

「私の弟の(かたき)だ」

「つまり……復讐?」

「そうだ。ディンはその男と一緒にとある依頼を受けていた。証人として連れているから死なれては困る。……それだけに過ぎない」

 淡々と、しかし目付きがだんだんと鋭くなっていく。

 ヤマはそれを感じ取り、

「もう一杯、食うか?」

 手を差し伸べた。

「いや、もうよしておく。ごちそうさま」

 軽く手を上げて、拒む。

「……そうかあ……弟さんの仇討ちかあ……」

「?」

 ヤマはどこか感慨深そうだった。

「……止めたりしないのか?」

「どうして? 止めてほしいのか?」

「あ、いや……この話をすると、誰もがみな必死で(さと)してくるからな。てっきり……」

「……その役目は俺じゃない、だろ?」

「……」

 ナナが俯く。

「……ああ、そういえばあの白い壁、気にならなかったか?」

「……そうだな」

 思い出したかのような急な話題転換。ヤマはこれ以上掘り下げることを躊躇った。

「あれは“防雪柵”って言ってな。吹雪(ふぶ)いた時の防御壁みたいなもんだ。この休憩所を守るためさ」

「? ここはヤマの家ではないのか?」

「ああ、ちょっと間違ってたな。正確には、俺たちが管理してる休憩所なんだ」

「ますます意図が分からない」

 ごめんごめん、と笑い流す。

「最初から話すか。……俺はこの山の捜索隊の一人なんだ」

「捜索隊?」

「ここの地帯は天候が不安定でな。遭難する人が多いのさ。そこで、地元の連中と相談して、こんな感じの休憩所をいくつか作ったんだ。遭難しても、何とか生き延びれるように」

「……何のためにそんなことをする?」

「何のためって……遭難者を助けるためだよ」

「なぜ助ける必要がある? ヤマには何の得もないだろう」

「人を助けるのに損得勘定しないと駄目なのか?」

「そうしないと自分の命が危ぶまれるかもしれないだろう?」

「なんだ、あんたは恩を仇で返すタイプなのか」

「時と場合によっては殺すこともあるだろう。善意を払う人間には裏があるものだ。お前も私を×したくてここに連れて来たのだろう?」

「あんたホントに冗談通じないなっ! っていうか、旅人ってみんなそんなもんなのかよ!」

「さぁな。興味もない。目的を果たせればどうだっていい」

「……」

「…………」

 言い争い。両者ともに(いき)り立っていた。

 はっとして、

「ごめん。ちょっと熱くなった」

 ヤマが謝った。一方のナナは、無言を貫いている。

「……俺もな、この山で遭難したことがあるんだ」

「……え?」

 目を丸くした。

「まだガキの……今頃かな。この山で遊んでたら、崖から落ちたんだ。雪で崖が分からなくって。気付いたら洞窟の中でさ。もう死ぬかと思った」

「?」

「でも、一人のおっさんがなぜかいたんだ。多分、俺のことを助けに来てくれた人なんだって思った。……まあその……なんだ……、色々あって結局はおっさんは俺をかばって死んじまった」

「……」

 当時のことを思い出しているのだろう。快活な面持ちに重みが混じっている。

 ナナはその経緯を端折ったことに、追及しなかった。壮絶な出来事だったろうから。

「後で分かったんだけど、おっさんには家族がいて、俺と同じくらいの息子がいたんだ。当然、俺は責められる覚悟でいったよ。俺がいなきゃ、おっさんは助かったんだしな」

「……!」

 しかし、ヤマの表情は一変して、なぜか綻んでいる。

「でも、びっくりした。おっさんの家族に、なんでか“ありがとう”って言われたんだ」

「え?」

「嫌味なのか皮肉なのか、最初はそう思ったんだけど……泣いてたんだ」

「……」

 くしくし、と目を擦る。

「何も聞かなかったけど、おっさんがおっさんのままでいさせてくれて“ありがとう”って意味だって勝手におも……ごめん、勝手に話して勝手に泣きそうになってよ……」

「いい。続けてくれ」

「……」

 急に立ち上がり、タオルを取りに行って来た。

「そっからかな。俺もおっさんみたいになりたいって思ったのは。自分を犠牲にして助けてくれたおっさんみたいに、誰かを助けたいってな」

「……」

「それで、おっさんの息子さん……まあ今は俺の親友なんだけど、そいつと一緒に、捜索隊を組むことにしたんだ。こいつがけっこう重宝してくれててな」

「……私も、助けられたってことか」

「そういうこった。他のやつらは知らんけど、少なくとも俺は死なせたくないから助ける、ただそれだけだ。俺は馬鹿だから、損得勘定できないだけだけどな。はっははは!」

「……」

 ナナは一つ、切り出した。

「ヤマから見て、私をどう思う?」

「……どうって?」

「そのままだ」

「難しい質問だな。うーん……」

 まじまじとナナを見つめる。その視線がこそばゆいのか、手で遮る。

「迷ってるように見える」

「……え?」

 思わず、目を見張った。

「どうしてそう見える?」

「見えるっていうか、こういう話をする時点でそうだと思った。本当にそう決めたなら、吹っ切れて別の話題にしてる。そうしないのは、答えを見つけようとしてる気がするんだ。つまり……相談してるってこと」

「!」

「悪く言うと、かまってちゃんかなとも思う。誰かに構ってほしいから、変な駆け引きだったり引っ掛けたりするし」

「……」

 ふ、とナナの“氷”情が少し解けた。

「!」

「良い話をありがとう」

 ナナは立ち上がると、

「私はもう休む。……世話になった」

 和室の方へ入っていった。

 

 

「おーい、ヤーマー」

「ん、んう……」

「おはよう」

「お、おう、……って! あれ? お前なんでここに?」

「なんでって……ひでえやつだな。今日は二人で捜索する日だろ?」

「それは分かってる。どうしてここにいるって分かったんだよ」

「ああ、それなら、ここに来る途中で旅人さんに出会ってな。ちょっと話してるうちに、お前がここの休憩所にいるって教えてくれたんだ」

「そうか……、…………! って旅人っ?」

「お、おい、どこいく、」

「……! ……いない……」

「え?」

「サト、その旅人ってのは男女二人か?」

「ああ、そうだったよ」

「……密かに出て行ったのか。……だからあの時、世話になったって……」

「あっ、そうそう! お前に伝言があるぞ」

「?」

「 “ひとしきり終わったら食べに来る”だと」

「あの人、ここを定食屋か何かと勘違いしてるだろ」

「実際、お前の手料理は最高だからな。お前には黙ってたが、実は手料理食いたさにわざと遭難するやつもいるそうだぞ」

「それじゃあ、いつになっても遭難者が減らねえじゃねえか!」

「だからよ、この山のふもとで小料理屋を開くってのはどうだ? 遭難者は減るし、ちょっとした名物店になりそうだぞ。そのくらいの勢いだ」

「……不本意だけど、どんな形でも、遭難者が減ればいいか」

 

 

 天候に恵まれた。空一面真っ青とまではいかないものの、三割ほど晴れ間が見えている。その青さが快晴よりも晴れやかに見えた。

 下山路。森林というよりも木々が散在しているという方が適切だった。ある程度陽の光が当たっていたのか、滴っていたところに氷柱ができている。細かい枝のところは氷樹となっていた。

 その合間を二本の筋が縫って伸びていた。しかし、片方は伸び悩んでいる。

「あ、姐さん……まだ病み上がりなので、もうちょっとゆっくり……」

「元はといえば、貴様が熱を上げたのが悪い。それに昨日よりもマシだろう。黙ってついて来い」

「は、はい~……」

 二人とも、前日と同じ服装だが、晴れているのでフードは外していた。

 ナナは黒縁メガネをかけている。

「そういえば、お団子は久しぶりですねぇ。新鮮でいい感じですよ」

「……」

「な、なんで早くなるんですかっ?」

 ずささささ、と滑り落ちるような早さだ。

「口を動かすより脚を動かせ」

「おっしゃる通りで……。でも、少し休みません?」

「誰かさんのせいで、大分遅れを取っている。“奴”が目的地での用事が終わってしまう」

「はいはい……」

 ナナも飛ばし過ぎたようで、少し遅くした。それを見て、何とか気合でナナに追いつこうとするディン。

「あの人と何か話でもしたんですか?」

「気になるのか?」

「そりゃあ、“また食べに来る”なんて、どんな料理だったのか気になりますよ」

「……気になるなら、さっさと追い付くぞ」

「食べ物で釣るなんて、私は子供ですか」

「子供だったろうが」

 すみません、とただただ謝るしかなかった。しかし、ディンは笑顔のままだ。

「姐さんにお礼とお詫びをしなきゃいけないですね」

「どちらもいらん。……“奴”を殺す準備は?」

「できてます。その“テ”の傭兵を募ったら、一部隊がそのままそっくり応募してきました。“報酬”を聞いて飛びついたみたいです。……下衆な連中ですねぇ」

「朗報だな。それを礼として、今回の不祥事には目を(つむ)る」

 ディンは知っていた。

「実はお詫びが残ってまして」

「なんだ?」

「…………実は……う~ん……」

「はっきり言え。のんびり聞いていられん」

「…………大げさに甘えました」

「…………」

 ため息をつきながら、口角を上げる癖も、

「 “含めて” 不祥事だ」

 お世話焼きなのも。

 

 

 


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