フーと散歩   作:水霧

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第九話:――まで・b -root of C・b-

 森の中にひっそりと佇む宿。旅館というよりホテルに近い作りだが、二階建てまでの小さな宿だ。

 円状で木板や丸太を使って、器用に組み立てられている。全体的に焦げ茶に配色されており、窓としてガラス張りがされている。

 入り口は両開きのドア。そこを開くと、明るめの暖色系の灯りが灯っている。外と同色の木製のテーブルや椅子が並べられており、中心に円状のカウンターがついていた。ここで従業員たちが調理したり受け付けていたりしている。つまり、ここはカフェなのである。

 二階へ行くにはカフェの左右についている階段を上らなくてはならない。吹き抜けになっており、(はり)や柱などが剥き出しになっていた。

 左手の階段を上り、ドアを開けると、真っ直ぐ通路が突き抜けていた。等間隔に個室が設置されている。薄橙色のカーペットを歩くこと三つ目の部屋。

「う~ん……」

 ハイル嬢が宿泊されていた。

 入るとすぐに通路があり、抜けると真四角の部屋となっている。通路の右手に浴室とお手洗いが一緒の空間があった。

 真っ白な硬めのベッドに木製の丸椅子と丸テーブル、一番奥に窓があった。窓からは森林の風景が見えている。

 ハイル嬢はベッドにて仮眠を取られていた。私はテーブルにて、

〔まだだろうか……〕

 ずっと待っている。

 窓からふっと黒い影が。

〔来たかっ〕

 コツコツ、と窓から聞こえる。ピーコだ。ハイル嬢は飛び起きられると、急いで窓を開けられた。

「どうだった?」

〔はぁ、緊張した……〕

「ありがとピーコ」

 ハイル嬢は労いに専用の餌を与えられた。そのまま部屋の中へ招かれる。

〔あと三十分くらいでこの街に来るわ。今のうちにカフェかどこかで待ってた方がいいかも〕

「ようやくかぁ……うーん、緊張してきた」

 我々はここで二日ほど滞在していた。エリー殿の王子が来るという予感が見事に的中したわけだ。ちなみに、エリー殿は森の外れに待機させている。これもエリー殿の提案で、自分がいると国王の使いとして警戒されてしまうとのことだ。

 “王子”同士の面会。このような事は極々稀だ。というか初めてに等しい。ハイル嬢もどきどきされている。

〔段取りを説明するわ。まず、私が店の入り口で待ってて、王子たちを奥の席に行くように促すわ。そこでハイルちゃんと王子が対面して、自然に席に座る。これだけよ〕

「ふ、服はどうしよう……正装準備した方がいいかな?」

〔ハイルちゃんは普通の服装でいいわ。相手も旅の服装のままみたいだし、それは気を遣わせてしまうだけ。その服装で十分よ〕

「そ、そっか」

〔基本的に王子のペットは私が相手するわ。この店、おそらくペット禁止の店だから。クーロも王子様が気に掛けるまで出ちゃダメよ? あくまで話題作りのためにいると思ってちょうだい〕

〔話題作り?〕

〔面会初っ端で本題に移れないでしょ? 世間話の流れで、自然と本題に移った方が変に緊張しないわ。その世間話の一つとして、クーロには活躍してもらうかもしれない〕

〔ぎょ、御意〕

 このようなセッティングはピーコの得意とするところなのだ。ハイル嬢も一国のお姫様ではあるが、まだお若い。事あるごとの来賓で助けてもらっていた。

〔気張っていくわよ!〕

 ピーコの指示通り、一階カフェの一番奥、壁際の席で待機された。店員さんにコーヒーを頼み、軽く嗜まれた。

 き、緊張するね、と震えつつにっこりされる。全く表情が綻んでおられない……。

 待っていた感じを出し過ぎないのがポイント。かと言って同じタイミングでの着席は失礼である……らしい。こちらが面会を希望した立場なのだから。

 十数分待っていると、恐ろしく馬鹿でかい騒音が聞こえてきた。どこかのサーキットかと勘違いしているように、バリバリと騒音を撒き散らしている。ハイル嬢も苦い顔をされていた。

 それから数分して、ドアに付いた鈴が聞こえた。つ、遂に……?

 ハイル嬢は固唾を呑み込まれた。

「あ」

 き、きたっ。正しく! あの方がそうに違いない! ピーコの情報通りの服装と出で立ちだ!

 二十代くらいの青年だろうか。ショートの黒髪に逞しい顔付きをされている。青のジーンズに少しタイトな緑のセーターを着ていた。腰には黒い棒のような物を携えている。

 身体も十分に鍛え込まれている。サイズが大きいセーターに“張り”が見られるのは、肉体が筋肉で膨れているためなのだろう。

 ハイル嬢がすくりと立ち上がり、お出迎えされた。

「こ、こんにちは」

「! こんにちは」

 低い声でいらっしゃる。

「君が手紙の差出人かい?」

「はい。こちらにどうぞ」

 程よい緊張だ。ここ一番の時、ハイル嬢はお強いようだ。

 先に相手を座らせてから、ハイル嬢も座られた。お供は外で待機されているらしい。ピーコの言う通り、外で話をしているようだ。

 ハイル嬢はすぐに店員を呼び付け、王子にオーダーを促された。ハイル嬢と同じコーヒーを注文される。

 ふぅ、と物凄く小さく息を吐かれる。

「初めまして、ぼくはハイルと言います」

「シズだ。よろしく」

「!」

 シズ様はごく自然にハイル嬢に手を伸ばされた。きゅっと握手を交わされる。

「……」

 その手をすっと見てから、手を戻された。まるで、何かを確認するように。

「……私と面会をしたいとあったが、どんな用事なんだい?」

 早速本題か。この場合では世間話は逆効果。ただの時間稼ぎにしかならない。

 ハイル嬢も、はい、と応えられた。

「どんな方なのかなって一目お会いしたかったんです」

「……は?」

 シズ様“も”理解されなかったようだ。

「実はここから北西にある大きな国に訪れたんです。そこであなたの話を聞きまして」

「北西だと?」

 明らかな険しい顔。やはりシズ様は良くは思っておられないようだ。

「その話は誰に聞いた?」

「……あの、その……」

 躊躇われるハイル嬢。意を決して、話された。

「その国の王様です」

「……そうか。ということは、君は国王の使いか?」

 一気に雰囲気が怪しくなる。ハイル嬢もそれを感じ取られたようで、表情に強張りが見られた。すぐにでも立ち去ってしまいそうだ。

 しかし、

「違います」

 きっぱり言い放たれた。

「ついでにお願いもされましたけど、関係なしにぼく個人の興味です」

 すっとコーヒーを一口。

「……」

 物凄く怪しそうに見られている。国王が自分を捜しに来ていると考えるのが当然だ。

 ところが、

「国王の依頼を“ついで”か……なるほど」

 ふふ、と微笑まれた。

「君にはどう見えるのかな?」

 よく考えれば、国王の時のように心が読めぬ状態ではない。それが分かったために、ハイル嬢は程よくリラックスされたのだろう。相変わらず、言葉の選択が巧いお人だ。

「……正直でもいいですか?」

 いいよ、と二つ返事だった。

「とても優しい方だと思います。見た目は冷たい雰囲気ですが、どこか人を見捨てることができない(たち)なのかなと」

「うん。……あとは?」

「……少し言いづらいことなのですけど……」

「構わない」

 何か、ハイル嬢には感じられているのだろうか。

「奥底に深い憎悪を感じます」

「!」

 ぴくっと瞼が一瞬閉じた。

「計り知れないくらいの憎しみ。何て言えばいいのか分かりませんが、今までの日常をぶち壊して、めちゃくちゃにした相手への(おぞ)ましい憎悪……と言うのでしょうか」

「分かるのかい?」

 いたずらっぽく。

「シズさんの視線と雰囲気から感じました。無数の切っ先を突きつけられているようで……“いたい”です」

 すまない、とコーヒーを口にされた。

「ここまで言われたのは初めてだ。占い師にもしてもらったことがあるんだけど、当てずっぽうで信用ならなかった。君はその方面だと有名になれそうだな」

「ふふふ」

 小さく笑い合う。

「ぼくには不思議な力があるんです」

「?」

「動物たちの気持ちが会話をするように伝わってくるんです」

「どういう意味だい?」

 興味深そうなご様子。

「例えばこうして人と言葉を介して会話するように、野生の動物たちとも会話ができるんです。……何て言うか、見たり触ったりすると……言葉がぼくに流れてくるような、そんな感じです。ヒトも例外じゃないんですよ」

「たまにそういう人がいると聞くけど、君もそうなのか。すごいな」

「あ、あのっその……照れますね、はは」

 テレテレと頭をくしくししながら俯かれた。

「そう言えば、あの“ピーコ”っていう鷹も君の(しもべ)かい?」

「! どうして名前を……?」

 ハイル嬢はピーコのことを一度も話されていない。

「連れている犬、“陸”と言うんだけど、人間語を話せるんだ」

「……えっ?」

 な、何と! 私以外にも話せる者がいるのかっ!

「も、もし良かったら見せてもらってもいいですかっ!」

「ま、まぁ……いいよ……」

 ハイル嬢は興奮気味に迫られた。

 シズ様はちょっと引いていらっしゃった……のか? 苦笑いをされている。また癖が出なければいいのだが。

 お店を出てすぐ脇に、四輪の自動車が停車していた。初めて見るので何と言う種類なのか分からぬが、ボディが骨組みしかなかった。こんなにスカスカなもので、寒くないのだろうか。

 その車の助手席に真っ白の犬がお座りしていた。微笑ましい表情をしている。つぶらで大きな瞳をしていた。この犬がシズ様のお供の“陸”様に違いない。

 シズ様が陸様を呼び寄せられた。ぴゅーっととても速く、シズ様の目の前でお座りをされた。

 ハイル嬢が近づかれて、

「こんにちは」

 と仰ると、

「こんにちは、ハイル様」

 と返事をされた。おぉっ! 本当に喋った!

 ハイル嬢の目がキラキラと輝き出す。ま、まずい……。

「す、すごおおぉぉいっ! え? 何で? 陸ちゃんって人間の声帯が付いてるのっ? あ、でもそうすると声帯を震わせるために気道を長くして幅を広げないとダメで、でもそうするとあれがこうでこれがこうでぶつぶつぶつ……!」

 いかん。また始まってしまった……。未知のものを見つけると、ハイル嬢は興奮して周りが見えなくなってしまうのだ。この分だと私のことは打ち明けない方がいいだろう。下手をすると解剖されてしまう。

 わうっ! と陸様が威嚇された。多分怒ってる……のに、

「か、かわいいっ! しかもちゃんと吠えるんだねっ! もふもふして気持ちいいしっ!」

 全く意に介されない。

 五分くらい堪能されて、ようやく落ち着かれた。

「ご、ごめんなさい。そっその……ぼく……実は動物学者の卵でもありまして……」

「そうなんだ。学者さんから見ても、やっぱり陸は不思議なのか」

「やっぱりとはどういうことですか?」

 陸様が即座にツッコむ。

 ははっ、とシズ様は笑われた。

「あはは。解剖したいけど……他所のワンちゃんだからやめとくね」

〔!〕

 あぁぁぁ……知りたくなかった……。い、いかん。絶対に打ち明けてはならぬ……! ハイル嬢は解剖される気まんまんではないかっ……! 知りたくなかった……! 冗談だと思いたい!

「そういえば、そのポケットにあるのって……?」

 セーターのポケットから顔を出していた私に気付かれた。

「あ、ごめんなさい。クーロです。ピーコと同じペットなんです」

「へぇ。初めて見るな。触ってもいいかい?」

「どうぞ。クーロ、かじっちゃダメだからね」

 御意。

 ハイル嬢からシズ様へ移動した。掌はゴツゴツしているのだな。かなりの“まめ”ができておる。

 シズ様は優しく頭や背中を(さす)ってくださった。動物との接し方を知っておられるのか、とても落ち着いた接し方だった。……くすぐったい。

 そしてそのまま陸様の頭に載せてくださった。おお、こんなにももふもふしているのか。犬を飼いたくなる者たちの気持ち、分かるぞ……。

「かわいい」

 ハイル嬢はとてもご機嫌なご様子。

〔クーロさん〕

〔は、はいっ〕

〔君の主人は少し変わっているな〕

〔も、申し訳ありませぬ。でも、良い方なのです〕

〔分かっている。あれだけ興奮していたのに、触り方が優しかった〕

〔しかし、陸様も、まさか人間語を話せるとは思いもしませんでした〕

〔なんだ、君も話せるのか〕

〔はい。私は訳あって隠しているのです〕

〔訳?〕

〔私は国王の命により、ハイル嬢のお供をしております。なるべくトラブルを起こさないよう、人間語を禁じているのです〕

〔私も人前では言葉は謹んでいるよ〕

〔あの、ご主人様と話すというのは、どんな気分なのでしょう?〕

〔例えば君は他の動物と会話するだろう?〕

〔はい〕

〔それと同じ。話すことができる相手が増えるような感覚さ。特に不便はない〕

〔はぁ……〕

〔それにしても、いつになくシズ様は多弁でいらっしゃる〕

 ハイル嬢とシズ様は仲良さそうにお話しされている。陸様には異様に見えるのだろうか。とても微笑ましく思うのだが。

〔自分を理解してくれる方が増えて嬉しいのかもしれない。あそこまで見抜かれたのは初めてだったから〕

〔……その件なのですが、シズ様は国王に復讐しようと思われているのですか? 仲が悪いと聞きまして、憎悪を抱えていると話されていました〕

〔私にもそこまでは分からない。ハイル様なら察しておられるのではないか?〕

〔あの方は他人の深い感情を軽はずみに口外しません。それは私にも……〕

〔そうか。ところで、ハイル様は大会には出場されるのか?〕

〔いえ、ただ来賓として出席してほしいとお願いされました。しかし、出席はしないでしょう。する理由がありませぬ〕

〔それは良かった〕

〔え……?〕

 それはどういう、

 それを尋ねようとした時、シズ様がこちらにいらした。私を回収され、ハイル嬢にお送りされる。

「久しぶりに楽しかった。俺はそろそろ失礼するよ」

「こちらこそありがとうございました。あ、そうだ」

 ハイル嬢は“あれ”を出された。

「これ、ぼくには必要ないから、シズさんにと思いまして」

 キラキラと光るメダルだ。

「それは……どうしてそれを?」

「実は暴漢に襲われた時にこれを拾って……。返そうと思ったのですが、急に追手が来て、びっくりして持ち帰ってしまったんです」

「これが“ついで”の願いか。……あんなものに出たわけじゃないんだな。良かった」

 シズ様は何事も無く受け取ってくださった。

「君のような旅人には邪魔な物だね」

「……故郷の物を他人が持っているのは嫌ですか?」

「故郷なんてとっくになくなってしまったよ」

「……あの、最後に一つ、いいですか?」

「なんだい?」

 ん、と口を少し紡がれた。

「王様に復讐する気なんですか?」

「……どうだろう。しないかな」

「……」

 隠しきれないほどの悲しい面持ち。それだけでこちらも分かってしまう。軽はずみには言わずとも、顔に出てしまうのだ。

「ぼくは……ウソが分かってしまうんです」

「そうなのか。なら正直に話すしかないな」

 シズ様はハイル嬢に詰め寄られた。

「もう決めたことだ。“奴”のために引き返しはしない」

 まるで鉄の意志。強く言い切られた。

「……あなたのような人が復讐に走ってしまうのは……その……」

「愚かかい?」

 鼻で笑う。ご自身を嘲っているのだろうか。

「……すごく、悲しい……」

「え?」

 目を丸くされる。

「復讐の末路っていつも虚しいじゃないですか。色んな小説や物語でも、だいたいそうだし……」

「それはこの復讐劇でもかい?」

「はい」

「ふふ、本物の占い師みたいだ。君はきっと……いい家族に恵まれたんだろうな。羨ましいよ」

 家族。その言葉を聞いたハイル嬢は、少し目を伏せられた。きっと昔のことを思い出されているのだろう。ハイル嬢にとって家族とは何なのだろうか。少し気になるところだった。

 ありがとうです、と力の抜けたお礼を呟かれた。

「……俺からも一ついいかい?」

「なんでしょう?」

 今度はシズ様が尋ねられた。

「動物学者として、憎む肉親を殺すことは自然の摂理に背いていると思うかい?」

「……」

 いいえ、と即答されるかと思ったのだが、意外と考え込まれていた。

 少ししてから、返答される。

「全く背いてないと思います」

「……そうか」

 シズ様も特に何か感情を表にされることはなかった。ただの一つの矜持なのだろうか。

 ただ、と付け足された。

「ぼくとしては、摂理なんか無視してでも復讐してほしくないです。シズさん、今からでも遅くない、やっぱり止めませんか?」

「……君は不思議な人だ。邪魔をする者は斬り殺そうかと思っていたのに、今は全くそういう気が起きないよ」

「それはシズさんが最初から殺す気なんて全くないからですよ」

「完全に見抜かれているな。まいったよ」

「あの、王様と年に数回会われてるんですよね? 何か変わった様子はなかったですか?」

「俺は奴とは会ってないよ。顔も見たくもないのに」

「……そうですか……」

 

 

 依頼を受けてから五日ほど経っている。我々がシズ様と別れたのは二日前くらいであったが、それまでの道中に時間を費やし、予定通りに達成した。

 シズ様との別れは意外と湿っていた。去り際のシズ様の笑顔は、覚悟も含まれていた。ハイル嬢は鬱陶しいと思われても、必死で精一杯制止された。シズ様もその事だけは譲れないご様子だ。

 六日目の昼。温かさがほどよく残りそうな気候だ。天気も晴れており、雲が柔らかそうに浮いている。

 昨日の夜に国に戻ろうかと思われたが、夜中では失礼かもとのことで、今日再入国することにされた。

 国に戻ると、相変わらずあの異臭が漏れ出していた。こんなに晴れやかで温かいのに、地獄の底を渡り歩くような気分になってしまう。

 ドームの奥の屋敷へ向かい、兵士にエリー殿を返した。

〔元気でね、ハイルさん〕

「うん。さよなら……」

 とても寂しそうに別れを告げられた。おそらく殺されることはないが、ハイル嬢はそれも心配されているようである。

 例の隠し通路から兵士たちの兵舎を通り、

「お帰り旅人さん。国王陛下の任務はどうだった?」

「……うん……ごめんなさい……」

「? ずいぶん元気ないな」

「みんなにいっぱい迷惑かけたから……」

「ああ、もう気にするなよ。これからもよろしく頼むぜ」

「……ありがと」

 すっかり仲良くなった兵士に話しかけられた。ついでに、国王の部屋へ案内を頼まれた。

 さすがに大会間近とあって、牢屋のような部屋には参加者が多くいた。一人一室なようだが、傍から見れば、扱いが恐ろしく酷い。獄囚のようではないか。

 そこへ乗り物と一緒に案内される旅人を見かけた。年齢的にはハイル嬢とさほど変わらぬではないか。

「あの旅人さんも参加するの? でも少し怒ってる……?」

〔あの乗り物も武器なのでしょうか?〕

「乗り回したら強そうだね」

「あぁ、あの旅人が今んとこ最年少だったと思うよ。君と同じくらいって聞いたけど」

 ふっと兵士の方を見られる。

「兵士さんはぼくと同じくらいの年の子は、参加させたくなかったんじゃなかったの?」

「先輩の言い付けでさ。……断れないよ……」

「……そっか」

 精一杯の笑顔だった。

「この国で一番まともなのはあなたかもしれないね。兵士さんで良かったよ」

「え?」

「今までのお礼に一つ、良いこと教えてあげる」

「なんだ?」

「早くこの国を出た方がいいよ」

「え?」

「これはぼくの最後のお礼。無視してもいいから……」

「お、おい……どういうことだよ!」

 国王の部屋が見えてきた。ハイル嬢は兵士を振り切り、国王の待つ部屋へ入られた。

「どうしちまったんだ?」

 

 

 国王は笑いながら食事をもてなしてくれた。どれも高級食材で見るだけでも美味しそうだった。ロブスターに蟹にフカヒレに牛肉に……あらゆる国の料理が揃えられていた。見るだけでも空腹が満たされそうだ。

 ハイル嬢は控えめに召し上がっていた。というより、これだけの量を食べ切るのは不可能に近い。可能な者がいたら、ぜひ会ってみたいものだ。

「そうか、奴にメダルを渡したか。これで任務達成というわけだ。なっはっは」

「……」

 一方の国王はとても豪快に召し上がっている。

「あの、王様」

「? どうした? あまり食が進んでおられないようだが?」

 部屋には相変わらず二人しかいらっしゃらない。

「もう一度、お伺いしてもいいですか?」

「もちろん。一度と言わず、何でも聞いてくれ」

「お言葉に甘えて……」

 すすっと紅茶を啜られた。

「王様はどうしてこんな国にしようと思ったんですか?」

「?」

 首を傾げられた。国王は意味を理解できなかったご様子だ。

「エリーから聞きました。前の王様の時はここまで栄えてなかったけど、真面目で平和な国だと。でも、それをぶち壊しにして、こんな怖い国にしたのはどうしてなのか、と」

「……理由、か」

 口周りを綺麗にされる。

「厳律な国など、どこにも楽しみがないとは思わないか? 人間らしく、動物らしく本能のままに生きなきゃな」

「その動物も……いつかは死ぬんですね」

「なに?」

 国王はハイル嬢に見向きされた。

「ぼくはこれまで自分なりに一連の出来事を振り返ってみたんです。疑問がいくつも浮かんでいたのですが、最大の疑問は、なぜぼくにメダルを渡させたのか、ということでした」

「……」

 国王はご自身なりに考えておられている。ほかほかのコーヒーをごくっと飲まれた。

「その理由は……シズさんに自分を殺させるため、だと思いました」

「ふふ……なぜ私が自分で死にたがる?」

 笑いを堪えようと、冷笑される。

「違うんです。死にたがっているなら、毒薬を飲めばいいだけ。でもあえて、シズさんに殺されるのに、理由があったんです」

「それは何だね?」

「順を追って話します。ぼくがまず変だなと思ったのは、シズさんを名前で呼ばないことでした」

「!」

「兵士さんたちの間でも息子はいるけど名前は知らない、くらいの認識でした。でも、馬たちはきちんと名前を知っていたんです。エリーはきちんと“シズ様”と言っていました。まるで、王様が意図的に隠しているように思います」

「ほう」

「そして次にシズさんが王様と何回か会っていることです」

「私はシズなどに会っておらんよ」

「それもエリーたちに聞きました。まるで潜入するかのように、国に帰っていたと言っています。シズさんにも聞きましたが、ウソをついてました。ぼくには同様に隠しているように思えます」

 ハイル嬢は、すすっともう一口。

「だから、なんだね?」

「シズさんはずっと家出しているのだと思っていました。でも、これらを別の視点から見てみると、ある事が浮かんできます。それは、シズさんは家出したのではなく、“旅”をしていたんです」

「……!」

「シズさんは自分の意志で家出したはずです。しかし実際は王様がそう仕向けたんです。自ら狂気を演じることによって、シズさんに嫌悪感を抱かせることに成功させました」

「ふっ、それでは余計に面会する理由がないではないか」

「違います。逆なんです」

「?」

「王様、シズさんにこう迫ったんじゃないですか? “こんな国が嫌いなら、お前がやってみろ”と」

「!」

「そう、王様は政権交代をさせるために、シズさんに嫌われたんです。そして自分は愚かな王様として殺され、国を荒らした罪をかぶる……」

「……」

「きっとシズさんは政権交代に応じるでしょう。シズさんの大好きな、おじいさんの時代を取り戻したいと思うから。兵士たちに王様には息子がいる、程度の認識にさせたのもこのためです」

「なるほど……一応つじつまは合うようだな」

 もぐっと一気に餃子を頬張られた。

「しかしそれ以前の問題があるだろう? なぜ私が政権交代をさせたかったのか? 私は死ぬまで誰にも譲る気はないぞ」

「……王様」

「なんだ?」

「その餃子、熱くないのですか?」

「?」

「厚めの皮で閉じたこの餃子……ちょっとやそっとじゃ中まで冷えません。なのに、王様は何事もなかったかのように召し上がった」

「……!」

「コーヒーもです。ぼくだって啜りながら飲んでいるのに、王様は水を飲んでいるかのようです」

「……」

 ハイル嬢は見せつけるように、コーヒーを一口含まれた。啜りながら。

「王様は何か、大病を患っているのではないですか? 特に頭……脳に異常を抱えられている。それもかなり進行しているのでは?」

「……」

「何よりもぼくが“シズさん”と呼ぶまで、王様は“奴”としか呼んでいなかったことも……」

「!」

 全てが図星のようだ。

「そのご病気は通常は昔の記憶は覚えているものです。しかし息子の名前を忘れ、味覚や温度覚にまで異常が出ているということは、おそらく末期なのでしょう。今でも生存できる事自体が奇跡なくらいに……」

「……」

「事の真相は、王様が末期を迎えた病気のために、息子に政権交代をさせたかった。そのために壮大な下準備をしていた、ということです」

「……違うな」

「え?」

 ハイル嬢は驚かれた。

「私はただ、“奴”にメダルを渡させたかっただけよ……」

「そうですか……。じゃあもう一ついいですか?」

「なんだ?」

「ぼくの名前は何でしたか?」

「! …………」

 国王は黙りこくってしまった。そして立ち上がる。

「王様、正直にシズさんに話した方がいいです。これじゃ、何の得にもなりません。息子“だろう”人に殺されるなんて、悲しすぎる。ぼくも必死にシズさんを止めたけど、王様を殺しに来ますよっ。もしかしたら、今回の大会に出るかも……」

「……ふ……」

 にこりと笑う。

「気にするな。私は私の思うがままにやる。誰にも王座は渡さんよ」

「! ……」

 会話が少しおかしい。もしかすると、今までのハイル嬢の仰っていたことすら……。数日前はここまでではなかったのに、あまりに進行が……。

「さて、用は以上かな? そろそろお別れとしよう」

「待って!」

 国王の手を握られた。

「ぼくがシズさんに事情を話すよっ。居場所も分かる! だから、死んじゃダメだ! もう自分を演じるのはやめてっ!」

「何事だ!」

 異変に気付いた兵士たちが中に入ってきた。ハイル嬢は兵士たちに(すが)りつかれる。

「兵士さん、王様を殺させちゃダメだよ! ぜったいっ! こんなのだめだよっ! 間違ってるよっ!」

「……」

 兵士たちは唖然としていた。

 ハイル嬢を何とか立たせた。

「何言ってんだよ旅人さん。国王陛下がそんなことされるはずないだろ? なあ」

「そうだぜ。国王陛下はこのトーナメントが楽しみでやってるんだ。誰が死にたがるってんだ」

「違うっ! ちがうちがうっ! みんなウソつくなぁっ! “私”にはわかってるんだっ!」

〔! は、ハイル嬢!〕

 あまりに興奮されている! いくらなんでもそれ以上は危険だ!

 しかし、それを咎めもせず、兵士はふ、と笑みを零す。

「いいかい旅人さん」

「?」

「旅人さんが嘘だと言ってても、俺らが嘘じゃないって言えば、それは嘘じゃないんだ。国王陛下は戦っている人間の死ぬザマを楽しみにしていらっしゃる。だからそれを放棄するようなマネはしないのさ。そうでしょう、国王陛下?」

「その通りだとも、優秀な兵士よ」

「前の夫婦なんてサイコーだったじゃないですか。旦那がぶっ殺されたやつ、覚えているでしょう?」

「忘れもしないわ。恐怖と憎悪にまみれたあの表情は、思い出すだけで興奮して眠れなくなる。あの血肉が飛び散っていく様を見るのが楽しみでなあ。苦しむ顔が面白くて仕方がない」

「なら、私の名前を言ってよっ! 言ってることがデタラメなら、名前を言ってみてよっ!」

 ほろっ、と大粒の涙が伝い、涙の線が垂れていく。ハイル嬢は頑張って堪えるも、抑えきれず。

「……」

 国王は一呼吸置く。

「要件は以上かな?」

「……え……?」

「さらばだ、優秀な……“旅人”よ」

「う……うぇ……うえぇぇぇん! あああぁぁぁっ! うわああぁぁあぁん!」

 

 

 そこは森の中。暗闇の包む森の中はとても鬱蒼としていた。昼間の温もりが全てどこかに吸収され、肌寒さだけ立ち込めている。

 空は闇に包まれた木々が覆い、夜空以上に暗みが強かった。その奥で紺青色の夜空が隙間を縫っている。

「……」

 そこをハイル嬢が進んでおられる。

 ハイル嬢は結局、大会を観覧しなかった。飛び出るように出国され、走れる限り走った。まるで、何も見たくないから、怖いから逃げるように見えた。

 とても落ち込んでいらっしゃった。シズ様も国王も止められなかった自分を責めている。しかし、まさかあの国王がご病気だったとは……。

 全てを曝け出してシズ様のご意志にお任せするか、国王の“遺言”を忠実に守るか。ハイル嬢は後者をお選びになった。沈黙は本当に金だったのだろうか……。

「……私……分かってたのに……」

〔え?〕

 分かっていた……?

「王様の気持ちが分からなかったのは心を閉ざしてたからじゃないんだ。病気で意識が混濁してたから、読みようがなかったんだ……」

 ハイル嬢は相変わらず迷子になられていた。まるで進むことを拒むように。

「国を滅ぼしちゃったのかな……?」

〔滅亡するとは決まっていません。もしかすれば、シズ様もご存知だった可能性もあります。国王を殺害してしまったとしても、シズ様が受け継ぐかもしれません〕

「シズさんには何も見えてなかったよ。……見えてるなら父親のこと、“奴”なんて呼んだりしない。根は優しい人だもの」

〔ハイル嬢、どうか元気を出してくだされ……〕

 私には、こうする他なかった。

 ふとして拓けたところに来た。暗くてよくは分からないが、そこは湖が広がっている。住んでいる者がいるのだろう。水や魚が跳ねる音や、急旋回して水がかき混ぜられる音がする。

「今日はここで野宿しよっか」

〔御意〕

 そこに荷物を下ろされると、携帯電灯を点けられた。周辺にある枝木を集め、一箇所に配置される。事前に雑草を避けておき、火を放たれた。

「……」

 とても温かみのある揺れと音。その周囲は橙色に照らされ、暗闇の中に一つの光を教えてくれる。湖も火を映しだし、時折、波紋で火が揺れ出す。

 その火を食い入るように見つめられている。

「……ん?」

 何かに気付かれた。湖の付近に向かわれる。

「この痕……もしかして……」

 草にめり込んだタイヤの痕だ。それが一定の間隔を空けて、暗闇へと伸びている。

〔ハイルちゃん〕

 空からピーコが降り立ってきた。

〔シズさん、この痕を辿ると北の方に向かって走ってるわ。追いつけないでしょうけど、何かの拍子に止まるかも〕

「いや、シズさんは……そっとしといた方がいいと思う。それでピーコ、あの国はどうなってた?」

〔! そ、それは……その……〕

 ピーコは口にしなかった。私としてもあまり想像したくないことなのだが……。

「シズさんは暗殺にも成功して、国も捨てたってことかな。……仕方ない、か」

 鼻で笑われた。

 さく、と背後で足音が聞こえた。ピーコはすぐに飛び立っていった。

「あなた、あの時会った……」

「え?」

 ずっと前に鉢合わせした女が、背後にいた。

 長いブロンドを四方に揺らし、軍用のシャツの上にベストを羽織り、迷彩パンツを履いている。大容量の迷彩リュックを背負い込み、太腿には細長いポーチが付いている。少しきつめの顔付きだが、背が高く美人であった。

 うわ……また嫌なものを……。

「どうしたの? そんな暗い顔してさ。せっかくの可愛い顔がもったいないわ」

 女はハイル嬢の隣に座り込んだ。ん? と相槌を打つ女の催促に、ハイル嬢は素っ気なく、何もないよ、と返答された。

 ハイル嬢が焚き火の前に座られると、女もこそこそと隣に座り直す。

「……お姉さんは大会に出場したの?」

「え?」

 どうして? と聞きたげな表情をする。

「お姉さんの歩き方、変なんだ。右腕が少しも動いてない。ケガか何かしたのかなって」

「……」

 ふぅ、と女は笑みを浮かべる。

「まあ、結果は惨敗だったけどね。おまけに命まで助けられて、あたしのプライドズッタボロ……」

 石ころ一つ放った。ぽちょん、とくぐもった音に出遅れて、湖に波紋が広がっていく。中心から湖の端へと小波が寄せられていった。

「あなたは、出てないの?」

「……出てないよ。どうして知ってるの」

 ハイル嬢はふっと女の顔を見てしまった。しかし、ゆっくりと湖に目を移された。

「たまたま場内の宿舎から見かけたのよ。兵士二人に連れられていったでしょ? 処刑されるんじゃないかって心配したのよ?」

 女の話によると、あの戦いに不参加したり逃亡したりした者は、例外なく死罪がくだされるらしい。我々はそもそも参加していなかったために、規則など全く知らなかった。

「落し物を返しただけだよ」

「あ、じゃああのメダル、あなたのじゃなかったの?」

「う、うん。あの男の人が……あぁ……」

 また思い出されたようだ。

「ああ、あいつのだったんだ。バカだったからさ、代わりに謝るわ」

「うぅん。……そういえば、その人一緒じゃないの?」

「フッたわ。こんな男の子を襲う奴なんて、最低よ」

「あはははは……」

 ということは、あの男は生きていたということか。さすが武術の達人だ。

「というより、あなたの方が美味しそうだから、さ」

「ぼく、そういう趣味はないんで……」

 つつ、と間を空けられた。

「そこまで邪険にしなくてもいいんじゃなくて?」

 しかしその間を女が詰め寄ってくる。

「あの、あの国はどうなったんです?」

 は、ハイル嬢、それは聞かぬ方がいいのでは……? 無論、そんなことも言えず、聞くことしかできない。

「今はどうなのか知らないけど、びっくりしちゃったわ」

「え?」

 一体何があったというのだ?

「決勝戦、旅人二人が戦ったんだけどね、ちょうど国賓席にいた国王に流れ弾が直撃したのよ」

「……え?」

 な、流れ弾が……?

「王様はどうなったのっ?」

 女に詰め寄るハイル嬢。くっと人差し指でハイル嬢の顎を持ち上げた。貴様……。

「これ以上聞きたいなら、お姉さんといいことしない? 交換条件よ」

「……わかったよ」

 は、ハイルじょおおおおっ! い、いいんですかっ! ちょっとだめに、

「……」

 ハイル嬢が真っ直ぐ私を睨んでおられる。黙ってろ、と一喝されたような気分だった。うぅ……なんということを……。

「お姉さんから教えて」

「いいわ。……流れ弾は国王の顔に直撃して、即死したわ」

「! そ、即死……?」

「ええ、即死よ」

 素っ気なく“即死”を繰り返した。

〔ハイル嬢……〕

 涙を堪えられているが、やるせなさが顔に描かれている。そんなことはありませぬ。復讐ではなく、事故死ならハイル嬢のお心はまだ救われるはずだ。当の本人はどんな心境なのかは伺う術もないが。

 それを察した女がさらにハイル嬢に擦り寄ってきた。貴様、それ以上寄ってみろ。このクーロの秘術を食らうことになるぞ……。

「どうしたの? 王様と面識あるのかしら? あんまり良い王様じゃないみたいけど、自業自得じゃないかしら」

「っ」

 パシンッ、と森の中に響いた。乾いた打音は森にいた鳥たちをばたつかせていく。

「……」

 叩かれた女はきょとんとしていた。ひりひりとする右頬を擦りながら。ハイル嬢がお怒りになったのだ。ざまあ、

「あの人はそんな人じゃないっ!」

 やはり、涙を抑えられなかった。ぼろぼろと涙の滝を作り、どんどん地面へ落としていく。ぐしぐしと腕で涙を払われる。

「……」

 早く逆ギレして去れっ。ハイル嬢は貴様のような女に構っている暇はないのだ。さっさと消え失せるがいい。

「ごめんなさい」

 え?

 すり、とハイル嬢の腕に、き、きさま……ふしだらな女め……! あと数ミリでも近づいてみろ……! 死力を尽くす覚悟で、貴様を風穴だらけにしようぞ……!

 そんなに泣かないで、と、ちらりとハイル嬢の様子を窺った。って、かっ顔が近すぎるではないかっ! なっなんたる無礼ッ! 泣き落としにかかったかこの女めっ!

「王様はとってもいい人だったんだっ。でも、でも……うぅ……」

 口が紡ぐんでしまわれる。それを思い出され、さらに涙の量が増えてしまう。

 女はその涙をすっと(すく)った。触るなああぁぁっぁあっ!

「そんな泣き顔は似合わないわ。ほら、慰めてあげる」

 きゅっとだきよせて、はいるじょぉおおおおおおおぉぉっ! も、もうだめだ! これ以上は許されぬ! 申し訳ないチタオ国王! クーロめは“あれ”をする他は、

「ん? この感触……あれ? ……え?」

「……」

 ん? 一体どうしたというのだ?

 女がハイル嬢から少し離れると、

「……すぅ……すぅ……」

 ハイル嬢が眠られていた。も、もしや、あまりの号泣に泣き疲れ……?

 それはそれでまずいではないかっ! この女、何かしたらただでは、

「んー、異性に趣味はあっても、同性にはないしなあ……しょうがないか」

〔え?〕

 女は丁寧にハイル嬢を横にすると、ハイル嬢のリュックを物色する。そこから愛用されていたキルトを、ハイル嬢にかけてくれた。

 その隙に、私はポケットから這いずり出た。

「それに寝込みを襲うほど、私は落ちぶれちゃいないわ」

 女は焚き火を消してくれた。

「ただ……」

 ただ?

 女がハイル嬢の顔にせっき、

「かわいいから交換条件はきっちりもらってくわよ」

 ん、とくちびいいぃぃぃいいぃっ! な、な、なんだとおおぉぉっ! き、きさまああぁぁっ! ハイル嬢の純血をふみにじりおってえええええぇぇぇぇっ! もう許さん! 今すぐにジェノサイドフォースを要請し、この女に非情で剛強なる鉄槌を下さねばならん!

「じゃあね、お嬢さん」

 みなのもの! 今すぐに来るのだっ! あの女を惨殺すべく、ありとあらゆる手段をもって処刑することを認めよう! そして、ハイル嬢をお守りすべく出動するのだ! いでよ! 我らの最強惨殺集団! じぇの、

「……あ、あれ?」

 き、気が付くと女はどこにもいなくなっていた。あの女、一体どこへ、

「……すき……すぅ……すぅ……」

「……」

 一体どんな夢を見られてるのか分からぬが、にこやかに就寝されている。

 我らの最強集団を召集しては、あまりの騒音で安眠妨害してしまうやもしれぬ。それに女の交換条件を無視していたのは、こちらの責。むしろ泣き疲れのおかげで最小限に収められた。仕方あるまい。いつもなら死をもって償ってもらうのだが、今回だけは不問としようではないか。

 何よりも、ハイル嬢のこの笑顔は何人たりとも、たとえ我らでも侵害してはならぬ。

「すぅ……すぅ……」

 ハイル嬢はとても心地良さそうに眠ってらっしゃる。起床された時には、以前よりも逞しく強くあられることを祈ろう。そして、我々もより一層忠誠を誓わなくてはならない。

 暗闇の森に静けさが戻った。鳥の鳴き声も許さぬほどにとても静かで、少し肌寒くて。でも、ある一帯だけは少し温もっていた。ハイル嬢はそこで安眠されている。

 

 

 


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