フーと散歩   作:水霧

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第六話:はこにわのようなとこ・a

 ターコイズブルーの空に薄く広がる雲。頭上に近くなるにつれ、青みが強くなっています。太陽が赫灼(かくしゃく)と輝いていました。ぽかぽかとしたいい天気です。

 その空の下では広大な荒原に、道路が真っ直ぐ走っています。ところどころに岩石が転がっていたり一部地面が晒されていたりと、風化が(うかが)えます。道路は車二つ分ほどの広さで、不規則に舗石が詰められていました。というより亀裂が入っているかと見間違えてしまいそうです。仕切りとして、細い丸太で組まれた手すりが添えられています。

 そこを男が歩いていました。黒いジャケットを羽織り、黒いパンツと薄汚れた黒いスニーカーを履いています。荷物は登山用のリュックと両腰にあるウェストポーチ二つだけ。少し暑いためかジャケットを全開にし、風通しを良くしています。

 胸にはゆらゆらと首飾りが上下していました。謎の物体で、水色とエメラルドグリーンを混ぜたような色をしています。

「目に優しいとこだなぁ」

「そうですね。何もないところで、目移りしませんね」

 男の声とは明らかに違う女の“声”。冷静とも冷淡とも淡泊とも受け取れる口調です。

 男が歩いていくと、国が見えてきました。

「……あそこか」

 セーターのポケットから小さな紙を取り出しました。それと目標物を何度か見合わせていることから、地図ではないかと思われます。

 一旦、ボトルを出しました。

「んく……んぅ」

 ちゃぽん、と中の水が口元から顎へ流れていきます。それをぐいっと払い落としました。

 飲み終えると、地図と一緒にウェストポーチに乱暴に突っ込みます。

 道路を踏みならすように、男は国へ向かいました。

 城壁はおよそ八メートルはあろうかという高さでした。大きい岩石を茶色い砂が包み、壁として積み上げられています。入り口は分厚い木の門として構えており、まるで鍵穴のようなデザインでした。そこから左右に立ちはだかるように広がっています。遠くから見ると“角”が見えることから、この国は四角い形態になっているようです。

 その門前には一人の兵士が立っています。頭まで覆う甲冑を身に付けていました。かつては銀色だっただろうその色も、長年の使用によりくすんでしまっていました。片手に槍、左腰には剣を携えています。

 門前にて槍で止められました。

「何者だ?」

「旅人だよ」

「目的は?」

「目的っていうか、ただここに流れ着いただけなんだけど……」

 口元に手をあて、考えながら話します。

「怪しいな。紹介状はないのか?」

「紹介状? それが無いと入れないのか?」

「お前のような怪しい者にずかずか入られても困る」

「それもそうか」

 男は変に納得しています。

 兵士は怪訝(けげん)に思い、逆に尋ねました。

「お前、どこかの国の貴族か?」

「は? なんで?」

 思わず兵士を見てしまいます。

「まるで他人事のように余裕ぶっているし、(あお)られても何事もないように平然としている。そのような器を持つ者は大抵貴族が多い」

「それは経験上?」

「そうだな」

「……なら、それらしく扱ってほしいものだけどね」

「だから紹介状がほしいんだよ」

「あ、なるほど、……?」

 男の背後から何か音が聞こえてきます。重低音ですが、爽快でとても乾いた音でした。それも一つではなく、折り重なるようにして聞こえます。まるで音の津波のようでした。

 男がその方向へ目を凝らしていると、大群が見えます。

「おー」

 馬の大群でした。もちろん、人が乗っています。

 貴族っぽい服装をした男が先頭に走り、兵士を(ひき)いています。やがて、その大群は爽快音と振動と共に、こちらに到着したのです。

 貴族っぽい服装をした男は四十代後半といったところでしょうか。横長の黒い帽子に太ももまで伸びた黒いジャケット、中はアイボリー色の服、灰色の短パン、黒の革靴という服装です。白いソックスは膝上よりも長いようでちょっとお坊ちゃんっぽく見えます。全体的に金色の刺繍(ししゅう)が施されており、豪華さを(かも)し出していました。

 貴族っぽい男に付いてきていた兵士たちは門兵と同じような甲冑を付けています。

「これはリーグ様。お帰りなさいませ」

「うむ。ご苦労」

 馬上にて、貴族っぽい男“リーグ”は握手を交わしました。

「大変恐縮なのですが、皆様方の証明証を念の為に拝見したいのですが」

「……よかろう。きちんと仕事をしている証拠だな。感心する」

「勿体なきお言葉……」

 兵士は(ひざまず)きます。

 リーグを含めた全員の身元を丁寧に確認します。全員問題なかったようでした。

 リーグはちらっと男に目を配りました。

「何者だ?」

「は、何やら旅の者のようで……」

「すぐに追い返せ。今はそれどころではない」

「はっ」

 うん、と男が意を決し、

「なぁ、ちょっと頼み事があるんだけど」

「!」

 リーグに話しかけました。

「! き、貴様! リーグ様になんたる言葉遣いを、」

「よい」

 カッとなった兵士を(なだ)めます。

「……なんだ?」

「紹介状がないと入国できないんだろ? だから、今ここであんたにその紹介状を書いてほしい」

「は、はあっ?」

 驚いたのは兵士たちでした。いや、リーグ以外全員でした。

 恐ろしく厚かましい要求に、兵士たちは一斉に取り囲みます。槍を突きつけ、男を厳しく牽制(けんせい)します。

「リーグ様! この男の処理を私どもにお任せください! こいつ、ここで始末しないと!」

「まあ待て。そうカッカするな」

 すっと男に一目しました。いえ、男をじっと見るようにします。

 鼻で小さく息をつきました。

「……いいだろう」

「えっええっ?」

 リーグの言葉に更に驚愕しました。全員が無意識にリーグを見てしまいます。

「ただし、勝負して勝ったらの話だ。それで構わんな?」

「誰と?」

 リーグは兵士たちを一瞥(いちべつ)して、男に振り向きます。

「ドンロ。来い」

「! リーグ様、ドンロをご指名にっ?」

「小手調べだ」

「はっ。ドンロ兵士長、こちらへっ!」

 一頭の馬が男の前に現れました。周りの兵士たちより一回りガタイがあります。携えている剣も通常の二倍ほど太いです。

「勝ちってのは殺せばいいのか? それとも降参させればいいのか?」

「! ……」

 男のその言葉に、一瞬見開きます。が、すぐに平静を取り戻しました。

「俺が勝負ありと判断するまでだ」

「分かった。じゃあその間、オレの荷物持ってて」

 男はリーグにリュックとウェストポーチ二つを持たせました。兵士たちはあまりにも恐れ多く、直ぐ様それらを受け取りました。丁重に扱われよ、の一言に、叩きつけようとした兵士たちは、大人しくするしかありませんでした。

 ドンロと呼ばれる兵士長は馬から降りると、巨剣を引き抜きました。金属音がきらびやかで綺麗です。

 一方の男は、

「ほう……変わったものを持っているな」

 ナイフを左手に持っていました。複雑に組まれた小さな黒い鉄骨。これがナイフの柄で、隙間には透明な何かが貼り合わさっています。先端にはボタンがついており、これを押しながら振ることで、収納されていた刃は突出します。すなわち仕込み式のナイフです。

 柄のお尻に付いている黒い毛玉。ふわふわとゆらめきます。

 男は軽いステップと細かいフェイントをつけ始めました。臨戦態勢。柄の隙間に指を入れ、くるりと回転させています。

 一方の兵士はびたりと動かず、自分のリズムを作っていました。

 それらを見ている兵士たちに、あまり緊迫感はありませんでした。勝ちはどちらなのか、確信していたためです。

 衝突したのは、くるっ、とナイフを一回転させた時でした。

 兵士はいきなり突きをかまします。鉄の塊が男の左頬を逸れていきました。ナイフで受け流していたのです。男がそのまま踏み込んでくると、

「ふんっ」

 自分の巨躯(きょく)を利用した体当たり。向かい合う力のぶつかり合いでしたが、

「うぐっ」

 兵士長の方に軍配が上がりました。

 男は二、三歩と吹っ飛ばされるも、兵士長から目を外しません。まるでアメフト選手に体当たりされたかのような衝撃に、男はむせ返ってしまいました。

 その隙に、ぴっ、と振り下ろされる一閃。あまりの速さに(かわ)す暇もなく、全力で弾いて軌道を逸らすしかありませんでした。それも連撃。男は瞬く間に窮地に陥ります。

「っ」

 隙とは言えない大きめの横一文字。男はそのタイミングで躱し、距離を置きました。

 息が荒いです。

 そこで、遠くでリーグが話しかけてきました。

「ちなみに、その兵士は我が国でも指折りの兵士だぞ」

「……どうりで、けほっけほっ」

 ゆらゆらと、まるで水と同化したように兵士長はゆらめいています。

「でかいわりに力任せじゃないんだな」

「それだけでは戦では勝てぬ」

 ふぅ、と一息つきます。

 ぴゅん、と鋭い風切り音。しなやかな軌道はまるで鞭を振ったかのようでした。すっと屈むと、出遅れた髪の毛が束で斬り落ちます。

 余裕そうに見ていた兵士たち。なぜかざわざわとざわついていました。リーグも興味深そうに見ています。

 鋭く速い攻撃でしたが、男は冷静さを取り戻しつつありました。

「ひゅ」

 兵士がもう一度放ちます。速さを最重視した一撃、のはずでした。

「!」

 目の前に黒い何かが迫っていました。

 びっくりして頭を下げてしまいます。ちょうど額で衝突し、金属音が頭から首元まで響き渡りました。

 甲冑のおかげで致命傷はなかったものの、不意の出来事に思わず間を空けてしまいます。

「あっ」

 焦ったのか、兵士長は後ろに倒れるように転んでしまいました。

「……!」

 気付いた時にはもう遅かったのです。

 甲冑の左目の穴が塞がれ、右目からしか男が見えません。男は兵士長を馬乗りにし、勝ち誇っていました。よくよく見てみると、左目は塞がれたわけではなく、持っていたナイフよりもっと小さなナイフが、突きつけられているのです。

 兵士長はここで悟りました。あの黒い何かは男が放ったナイフで、(ひる)ませるためだったのだと。そして、一瞬の隙を突いて、足を引っ掛けて転倒させたのだと。

 目を潰すぞ。そう脅されているように覚え、兵士長は抵抗を止めました。

「どうした? 早くやれ。……覚悟はできている……」

「リーグとやら、もう勝負ありじゃないかな? それともこの人を、戦闘不能にするまでやらないとだめ?」

「……これ以上は時間の無駄か……」

 そう呟くと、兵士に開門させるように命令しました。

「いいのですか?」

「構わん。……紹介状を書く必要もない」

「……」

 ドンロ兵士長はリーグに申し訳ありません、と頭を下げ、兵士の群れに紛れていきました。

「さて、ここまでやってやったんだ。今度は俺の望みを聞く番だとは思わないか?」

「報酬によっては引き受けてもいい」

「き、きさま、」

「落ち着け。……とりあえず内容を聞いてからでも遅くはないだろう。ついて来い」

 街並みはとても、

「観光している暇はない。さっさと来い」

 前代未聞の観光制限。男は楽しみにしていたことを禁止され、不機嫌そうに付いて行きました。

 

 

 それが続いてこの場面へと繋がっているのでした。

「あいつ、何が“この部屋で待っててほしい”だよ。お客さんが既にいらっしゃるじゃないか……」

 男は椅子の背もたれに頭を置いて座っています。

 トントン。小さなノックが聞こえました。

「はいよ」

「失礼します」

 入ってきたのはメイド服を着た十代前半くらいの女の子でした。どことなく気品を感じる女の子で、褐色の肌に端正な顔立ち、真っ黒の長い髪を揺らしています。声は年不相応に落ち着きすぎていました。また、年不相応に魅力的な体型をしていました。

 男はふぅ、と一息つきます。

「新しく配属された方ですね?」

 椅子から立ち上がり、メイドの前に立ちました。

「あぁ」

「私は“ファル”と申します。そこのお方のメイドを務めさせていただいております。どうぞよろしくお願いします」

「すっごく丁寧。よろしくな。オレは、」

「“ダメ男”と申します」

「……」

「……」

「……」

 突然の女の“声”に、沈黙が走ります。少ししてから、

「ぷっ」

 漏らし笑いがしました。それは“ダメ男”の背後からでした。

「ふふふふ……」

 先ほどまで無視していた女の子が、突如笑い出したのでした。とても可愛らしく、爽やかな声を持っています。

「そっちかよっ。“フー”の声に驚いたわけじゃないんかいっ」

「あ、あの、今の“声”は……?」

 メイドの“ファル”に首飾りを見せました。四角い物体から、

「初めまして皆様。“フー”と申します。以後、お見知り置きを」

 “声”の持ち主“フー”が聞こえました。ファル以上に冷淡で興味なさそうな口調をしています。

 ファルはとても興味深そうにフーを見つめました。

「こいつが“フー”だよ。独りでに喋る箱……とでも言うかね」

「旅人様は珍しい物をお持ちなのですね」

「とても珍しい顔をした旅人ですから」

「てめ、どういうことだそれ」

「非常に個性的な顔面をしている、ということです」

「それ絶対貶してる方の意味だろっ」

「それはご自由にどうぞ、です」

「ふふふ……」

「お前はいつまで笑ってんだっ」

 

 

「えっ! あんた、お姫様なのっ?」

「はい。私は“ヴィク”と申します」

 お姫様“ヴィク”は緑のドレスを持ち上げて挨拶しました。透き通るような色白の肌で、きらきらとしていました。金髪のショートヘアもお淑やかさが溢れ、上品でした。ただ、幼い顔立ちで可愛らしいのですが、どことなく陰りを帯びています。

 ヴィクは今までと打って変わって明るくなっていました。とても快活で明るい女の子のようです。

 ダメ男の一件で一気に打ち解けあっていました。

「ほー。……で、なんでお姫様がこんなとこにいんの?」

「ダメ男、決まっているでしょう? ここがヴィク様のお部屋だからです」

「にしたって何か味気ないじゃん」

「……」

 確かに、お姫様の部屋にしては控えめでした。アンティークなベッドや棚、テーブルに緑の豪華な壁紙。床は赤い絨毯ですが、のっぺりとしています。装飾品や絵画や高級そうなインテリアは全くありませんでした。

 一番目についたのはベッドでした。もふもふというより少し固めで、毛布もそれなりに温かいのですが、手触りはそこそこです。何よりも、そのデザインにまるで女の子らしさを感じられません。

 全体的に一国のお姫様が過ごすような部屋とは言いづらいのでした。どちらかと言うと、

「ここは……お客さんの部屋って感じだよな」

 ダメ男の言う通りでした。

「……私は一旦失礼します。また後ほど」

「あ、あぁ」

 間が悪くなったのか、ファルはお仕事に戻っていきました。

 ヴィクも言い出しづらそうに、

「実は私……保護してもらっているんです……」

 語り出しました。

「保護? 誰から?」

「敵国からです」

「……あぁ。今、戦争中なんだっけ?」

「え? どうしてそれを?」

「あぁいや。これだけ騒々しいから、てっきりそうだと思って。で、どんな事情があるんだ?」

 あはは、と笑って誤魔化します。

 ヴィクは特に違和感を覚えず、話を続けました。

「父さんの言い付けで、部下のリーグ様に保護して頂いているんです……」

「ん? でも同じ国ならどこにいても同じじゃない?」

「ダメ男、ここは恐らくリーグ様“の”国なのですよ。戦争で戦果を上げた幹部は、国を与えられるそうです」

「ってことは、ヴィクの父ちゃんって……」

「はい。将軍なんです」

「ほー!」

 驚いているのか何なのか、よく分からない声。

「まとめると、部下であるリーグ様が将軍の娘を保護している、ということですね? 戻ってきたということは、戦争はひとまずは終わったのでしょうか?」

「まあその……いろいろといざこざがあって……」

「そらそうだろうな。戦争なんてしてんだもん。単純な事情で済むわけないし」

 ダメ男は自分の足元に置いていた荷物を、ベッドの側に置きました。

「……なんかお腹空かない?」

「……え?」

「もうとっくに昼すぎたのにもてなしもしないのかよ、あのエラソーなやつはっ」

「エラソーというか、偉いのですよ」

「なおさらエラソーに感じるよな、ああいうやつって」

「……ふふふ……」

 本人に決して届くことのない悪口に、ヴィクはまた笑います。

「あーはらへっ、」

「おい」

 部屋の外から声が聞こえました。

「リーグ様がお呼びだ。旅人と姫様にご足労願いたい」

「ほいよ」

「……はい」

 ようやくか、とダメ男は愚痴りました。二人は廊下に出ると、兵士の後に付いて行きました。

 この屋敷は三階建てで、とても大きい作りでした。石造りのお屋敷で、屋根は黒く、その他はクリーム色に塗装されています。正面から見ると左右対称で、窓が規則正しく配置されています。

 主に三つの部位があります。一つ目は中央部の玄関。ここの一階は客をもてなすフロアがありますが、二階は通路のみ、三階がリーグの部屋となっているそうです。二つ目にその左右にある客人の間。ここは客が寝泊まるための建物だそうです。三つ目はさらに左右にある従業員の間。メイドや執事、料理人たちが生活し、料理や洗濯といった仕事もここで行われています。ファルもここで生活しているそうです。

「……なんか臭いな」

「ダメ男、おならしましたか?」

「んなわけあるかっ」

「全く、下品な男です」

「だから違うってっ!」

 ダメ男たちは正面から見て、左の三階の廊下を歩いています。この辺りにヴィクの部屋が用意されています。

 ダメ男は窓から外を眺めました。

「無駄にでかい庭だな」

 綺麗に舗装された道が屋敷の門から玄関まで伸びています。その半分までは芝生が広がり、残りは煉瓦が敷き詰められています。広さはサッカーができるくらいで、屋敷外は一般の家がぎゅうぎゅう詰めになっていました。

「それに、廊下もすごいですね」

 フーは中を眺めました。誰かの肖像画がずらりと並べられており、金色を中心とした装飾が壁や天井に刻まれています。ヴィクの部屋にあったのと同じような絨毯が廊下の幅にぴったりと揃えられています。等間隔に金色の燭台(しょくだい)も設置されていました。

 それに不似合いな服装のダメ男。明らかに異国人であることを悟らせます。

 一旦二階に降りてから中央部に入り、そこから階段で上っていきます。

 高級そうなドアの前まで、案内されました。兵士が小さくノックをすると、入れ、と聞こえました。

 両手でドアノブを捻り、ゆっくりと開けてくれます。首をくいっと動かし、入れ、と催促されました。

 中は意外とこざっぱりしていました。正面の木製の大きな机に手前のテーブル、左右に凄まじい量の蔵書、一番奥の窓の脇には木製の箱が三個積まれているだけです。その隣に兵士が二人“気を付け”の姿勢で立っていました。

 絨毯も同じようにのっぺりとしており、豪華な装飾品やデザインはありませんでした。ヴィクのいる部屋が八畳ほどに対し、こちらは十二畳ほどと、そこまで広くもありませんでした。

「意外か?」

 その大きな机に座っているリーグ。ダメ男の小さな驚きぶりに、尋ねます。

「まぁな。客室とさほど変わらない、むしろかなり質素だなって」

「一人でいるのにそこまでの広さは必要ない」

 一瞬、背後にいる二人の兵士がリーグに見向きました。

 座るように促され、二人は席に着きました。長さは手を伸ばせばリーグに届くくらいで、白いテーブルクロスを何層かかけていました。椅子は簡素ですが丈夫なもので、柔らかすぎず硬すぎないクッションが置かれています。

「まずは食事をもてなそうか。おい」

 片方の兵士に、声をかけます。はっ、と返事すると、部屋から出て行ってしまいました。もう片方の兵士は、体格から判断するにドンロ兵士長だと思われます。

 じっとダメ男を見ています。二人して、そこまでは気にしていないようでした。

「久しぶりだな、ヴィク」

「は、はい。長期間保護していただき、誠に感謝いたしております」

「将軍の依頼だからな。断るわけにもいくまい」

 ヴィクは緊張しています。

「将軍は元気か?」

「あ、あの……その……」

 たじたじしています。

「それは私よりもリーグ様の方が……」

「家族にしか見せないものもあるだろう?」

「……」

 ヴィクは押し黙ってしまいました。

 ダメ男も割って入ろうかと思いましたが、面子を立てるために黙っていました。

「まあ会えぬのも無理はないな。未だに戦争し続けているのだからな」

 まるで、(あざけ)るように笑います。

「父は……父は自分の夢のために戦っています。それを馬鹿にしな、しないでください」

「夢、か。まるで雲を掴むかのような夢だな」

「……」

 何も言い返しませんでした。

 嫌味をつくような話を続けていると、料理が運び出されます。その中にファルの姿もありました。

 ささっと用意されていきます。ダメ男には見たことのない料理ばかりでした。何かの動物の丸焼きに、果物と野菜を()えたサラダ、無色透明のスープというのでしょうか。とにかく独特なものばかりです。

 そしてスープの周りに置かれた何本ものフォークとナイフ、さらに脇にスプーン。これを見る限り、後からも料理が運び出されるのが分かります。つまり丸焼きやサラダなどは前菜ということになります。

「聞いたこと無いぞ。こんな贅沢そうなの……」

 ぽつりと呟きます。

 それでは、と一言合わせてから食事を開始しました。

「いただきます」

 ダメ男だけ、両手を合わせてから食べ始めました。

「……うん。見た目以上に爽やかな味付けだな」

 食器を器用に使いこなすダメ男。それを見ていたリーグに、

「意外か?」

 と、聞き返しました。

「旅人は粗雑な者が多いと聞く。恥さらしのためにコースを用意したのだがな。俺らと変わらぬ所業ではないか」

「お褒めの言葉として受け取っとくよ」

 ナプキンで口周りを綺麗に拭くダメ男。なんだか似合いませんでした。

 お腹が空いていたようで、あっという間に平らげてしまいました。それを窺っていたメイドがダメ男に新たな料理を持ってきてくれます。薄茶色の透明感のあるスープでした。スプーンで静かに(すく)い、静かに口に含みます。

「それにしても、コースにしてはけっこうバラバラじゃないか? もっと軽めの料理から出すと思ってたんだけど」

「大分空腹だと見受けられたからな。まずは軽く腹を満たしてもらうことを優先したにすぎん」

「それはどうも」

 感謝の意を二割ほど込めて言いました。

 ちらりと隣を見ると、手を付けていませんでした。

「腹減ってないのか?」

「はい、まあ……」

「どんなに美味いのでも、食欲がなかったらダメだもんなぁ」

「ダメ男よ、それは食欲があれば何でも食べる、ということか?」

「あんたには分からないだろうけど、そういうこともあるよ。オレだけが特別じゃない。旅人はみんなそうしてると思う」

「若僧のくせに、ずいぶんと(たくま)しいじゃないか」

「……いちいちトゲがあるなぁ……」

 あまり嬉しく思えませんでした。

 コース料理を一通り食べたあと、食後として温かいお茶が振る舞われました。食事中のヴィクも同様です。

「お姫様は食が進まれてないようだからな。ゆったりと召し上がっててくれ」

「……」

 好意なのか貶しているのか、リーグの言葉は尖っています。

「では、姫様の無事と旅人の出会いを祝して、乾杯しよう。二人とも酒は飲めないから、代わりに茶を出した。軽く飲んでくれ」

 リーグがカップを掲げると、二人とも同じようにしました。そして、“乾杯”の音頭を取ります。ダメ男とリーグは同じタイミングで口に運びました。

「っ」

 ヴィクは数秒してから口をつけました。

 ダメ男は味と風味をゆっくりと味わいながら、こくりと飲み、カップを置きました。

「ぅ」

 ヴィクはその味に顔を渋らせます。

「どうだ? このために、高級な茶を準備したんだ。感想を賜りたい」

「はい。……とても独特な風味で……」

 表情から察するに、渋みの強いお茶のようです。

 すまし顔のダメ男は、

「まず」

 平然と言いのけてしまいました。

「渋みが強いわりに味に深みがない。そこら辺の雑草の絞り汁を水に溶かしたような味だな」

「ふっ……二人とも若いから無理もない。大人の味というやつだ」

 クス、と嘲るように笑みを零します。

 ダメ男は特に気にしませんでした。

「?」

 異変を感じたのはヴィクを見てからでした。

「さて、……先にヴィクと話をしようか」

「は、……い……」

「……」

 とても疲れているように見えます。まるで激務をこなした日の眠る寸前のようでした。

「今、我が国では荒れ狂うように戦争が勃発し、その張本人であるお前の父の信頼は失墜しつつある。それは奴隷解放という理想を実現するため、我が(まま)を押し通すためとも言える。国民や兵士は疲弊し、もう争う必要性も薄いというのに。そんな父に対し、何か意見はないか?」

「…………ちちは……頑張って、戦っています。ただぶじ……に、帰ってきてほしい、だけです」

 話し方にも力がありませんでした。悪い意味で緊張が(ほぐ)れています。

「それだけか? 犠牲を払い続けている父に一言ないのか? 俺ならば、さっさと説得しにいくものだがな」

「……」

 ダメ男はようやく察しました。リーグは何か盛ったのだと。

 キッと(にら)みつけます。

「てめ、」

「あなた、ヴィク様に自白剤を飲ませたのですか?」

 フーが言い放ちました。ダメ男の言葉を覆い隠すように。いつも冷静なフーの口調に、怒気が混じっています。

「お前は確か……フーだったか?」

 はい、と突き放すように返事をします。ダメ男はテーブルの空いたスペースにフーを置きました。

「一国のお姫様に薬物を盛るとはどういう了見ですか? 詳しくご意見を賜りたいです」

「別に死にはしない。緊張を緩ませるための薬だ。俺やダメ男にも入れてある、一種の“隠し味”だ」

出鱈目(でたらめ)もいいところです。そんな怪しい物を、わざわざ入れる必要性もありません。それに先ほどの会話は、明らかに誘導尋問であると言えます。ヴィク様から言質を取ろうという浅ましい考えに、怒りを通り越して呆れてしまいます」

「ふ。(さと)しいな。だが、そんな本意はなかった。お前が過敏なだけだろう?」

「いい加減にしませんか? あのお茶を召し上がってから、明らかに容態が変わっています。それは体質的に合っていない程度ではありません。殺す気なのですか?」

「そういうつもりもないのだがな。……これでは水掛け論になってしまうが、まあいい」

 リーグはもう一口含みました。

「今日はここら辺でお開きにしよう。ダメ男、姫様の警護をよろしく頼むぞ」

「それより報酬は何なんだ? まだてめぇの依頼の内容をきちんと聞いてねぇぞ」

 ダメ男も少し怒っているようでした。

「ああ、そうだったな。依頼はヴィクの警護だ。期間は二週間。ちょうど重役との会食までだ」

「! ばかか? オレはそこまでこんなとこにいる気はない」

「そうか。では、“二人”に何があっても知らんぞ?」

「! ……」

 ダメ男は少し考えた後、

「分かった。で、報酬はどうする?」

 とりあえず、話を聞くことにします。

「それを考えるより、まずは任務を全うしろ。達成したならば、好きにしろ」

「……その言葉、忘れんじゃねぇぞ」

 フーを手にすると、ダッとダメ男は立ち上がり、

「もう行くぞ。ヴィクも心配だからな」

「ああ。俺からも以上だ。何かあったらここに来い。これからの事も含めて語り合いたいものだ」

「野郎と二人で語り合うことなんかねぇよ、きもちわりぃ」

 ヴィクを抱きかかえて部屋を出て行きました。

 

 

 ヴィクの容態は悪くなっていきました。まるで風邪を引いたように顔が火照り、身体が熱くなっています。おまけに息も荒く、とてもしんどそうでした。

「ダメ男様っ」

「お」

 遠くからファルが駆けつけてくれました。

「どうされたのです?」

「変な茶飲まされてから、ヴィクの容態がおかしいんだ」

「急いでお部屋にっ」

「あぁ。ヴィク、掴まってろよっ」

 二人して走り出しました。あまり振動を与えないようにしたかったのですが、ダメ男はとにかく安静にさせようという一心でした。走りながらもフーが励ましてくれます。

 部屋に着いて、一目散にヴィクをベッドに下ろしました。ゆっくりおろ、

「はひっ!」

 変な声。ダメ男から出てしまいました。反射的にヴィクから離れます。

「ど、どうしましたかっ?」

「なっなんか知らんけど、首噛まれたっ!」

「ダメ男、偶然歯が当たったのでしょう? 口で息をしていますから、仕方のないことです」

「……」

 噛まれたといってもそこまで強くはなかったようです。しかし気にするように、その部位を(さす)っていました。

 ヴィクはまだ苦しそうです。ファルが急いで水を浸したタオルと(おけ)を持ってきてくれました。それをおでこに乗せてあげます。

「ふぁる…………ふぁる……」

「これってかなり危険じゃねぇか?」

「えぇ。意識が混濁している可能性があります。あのお茶、やはり劇薬が盛られていたのですね」

「ファル、とりあえず落ち着くまで手を握っててやってくれや。安心するだろうよ」

「はい。ヴィク様はお身体が弱いものですから、少しでも……」

 椅子に座り、きゅっとヴィクの手を握ってあげます。ふるふると震えていました。

「……オレ、ちょっとあの馬鹿野郎に文句言ってくるわ」

「し、しかし、」

「一発ぶん殴ってやんないと、あぁいうのは気付かねぇよ」

 ファルの制止を吹っ切り、部屋を飛び出して行きました。

「困ったものです。ファル様に迷惑がかかるだけではないですか」

「! あれ、フー様は一緒では?」

 テーブルにフーがいました。

「相当頭にキたのでしょうね。置いていきましたよ」

「そうですか……。でも、私は全然迷惑では……」

「もう少し空気を読んでほしいものですね」

 若干呆れていました。

 しかし、とフーは心配そうに続けます。

「ヴィク様もですが、ダメ男も大丈夫ですかね?」

「え?」

「あのダメ男がここまで興奮するのはとても珍しいことです。まるで先のことを考えていないようでした。ほぼ飲んでもいないのに、あれほど興奮するとは、とても強烈な薬なのですね」

「? どういうことです?」

「ダメ男は本の数滴しか飲んでいませんよ」

「……え?」

「あれは古くからある飲んだ“フリ”というものです。一旦は口に含みますが、カップを戻しながら吐き出しているのです。こくりと喉を鳴らしたのは数滴のお茶を唾液で薄めたものです。ですから、ほとんど量が変わっていなかったのです」

「そ、そんな方法があるんですね」

 ファルの視線はずっとヴィクに向けられたままでした。

 

 

 ヴィクの容態が収まったのは数時間後でした。その後はとても健やかに眠りに入っています。

 ヴィクの部屋にはダメ男とファルがいました。ファルはヴィクの看護をしています。時折汗を拭いてあげたり、手を握ってあげたり。普段の仕事を無視していました。

「なんなんだあれは……というかあいつは。上司の娘に変なもの飲ませるか、ふつう……」

「何か裏があるようですね、ダメ男」

 ダメ男も興奮が収まり、いつもの調子に戻っていました。本人も自分の異変を感じ取っていたようです。

「……」

 ファルはじっとヴィクを見つめています。

「ファルさ、あれってオレらみたいな客人に出すお茶なんか?」

「それは何とも……。ただ、少なくともヴィク様とのお食事で出されたのは、今までで初めてです。この症状を見ると、本来は兵士の皆さんにお出しするお茶かもしれません」

「? もしかして、あの後ろの兵士二人に渡すものだったんじゃない?」

「ダメ男、それはありえませんよ。しっかりとお二人の前に運んできたではないですか」

「いやぁ、忙しすぎてミスっちゃったとか」

「激務は察しますが、ダメ男はどんだけのんびり屋さんなのですかっ」

 はは、と笑います。

「で、兵士に出すってどういうこと?」

「……深くは知らないんですけど、お茶を飲んだ兵士の皆さんはとても元気になるそうです。身体が熱くなって興奮するとか。戦争の前に一口飲んでから行く、という話を聞きます」

「……それだと薬じゃなくて薬茶みたいだな」

「そうですね。怪しい葉っぱを(せん)じているのでしょうか」

「どんな種類なのかはちょっと……」

 ちらりとヴィクを見()ります。汗をかいているので、ファルが再び拭いてあげました。

「ダメ男も珍しく興奮していましたね」

「なんか急に熱くなってな。すぐに治ったけど」

「ダメ男は普段薬を飲まないために、効きすぎるようです」

「そうだな」

 ふぅ、と安堵の表情を見せました。しかし、ファルの表情は沈んでいます。

「……一部の地域では、そのお茶の強壮効果をさらに高めて使用しているそうです」

「……? それをさらに高めると……熱出しすぎで死んじゃうじゃんか」

「違いますよ。人間が極度に興奮する場合を考えれば、自ずと察しがつきます」

「……好きなものを見たり聞いたり楽しんだり?」

「いえ。もっとです」

「……わからん」

「さすがは頭空っぽですね」

 ごつん、と鉄拳が下りました。いてて、とフーが泣き声で訴えます。

「つまり“媚薬”です。興奮状態にするというより、そういう“気分”にさせるという方が適切かもしれません」

「……ちょっと待てよ。ってことは、もしオレがうっかり飲んじゃってたら、ヴィクとあっは~んうっふ~んになってたってことだろっ?」

「言い方が古いですねっ」

 しかも誰も笑いませんでした。

「恐らく、ダメ男をヴィク様に襲わせたかったのかもしれません。そうすれば、狼藉から守ったという功績を得ることができますから」

「っぶねぇ……。ついでに部屋も分けるように言っといてよかった~……」

「そして、リーグ様の仰っていたことは、悔しくも本当のようですね」

 

 

 ダメ男はすぐに部屋を移すことにしました。部屋はヴィクの部屋から一つ開けた隣です。ヴィクが女の子であるという、ダメ男の気配りでした。一応はまとまって行動するようにしますが、ヴィクの要望があれば承る、というスタンスのようです。

「ん、……んぅ……」

 ヴィクが起きました。

 既に外は真っ暗になっており、部屋の燭台に火が灯っていました。温かい灯りがヴィクたちを照らしてくれています。

 いつの間にか寝間着になっていました。可愛らしい黄色の寝間着で、ふわふわもこもこした手触りです。

「あれ……ここは……私の部屋?」

「大丈夫ですか、ヴィク様?」

「うわあっ!」

 思わずベッドに(こも)ってしまいました。ごめんなさい、とフーの声が聞こえます。

 そろりと顔を出すと、テーブルにフーがいるのを確認できました。

「だ、ダメ男さんは……?」

 テーブルに着きます。

「ダメ男は隣の隣の部屋で待機しています。もし、ヴィク様に何かあれば、すぐにダメ男に連絡ができるようになっています」

「ああ、そうなんだ。ありがとう……」

 いえ、とフーはかしこまります。

 フー曰く、ファルは今夜は仕事が忙しいとのことで、フーが代わりに相手をすることになった、とのことです。また、ヴィクが良ければ、これからもお付き合いすることも伝えました。ヴィクは断るわけもなく、すぐにお願いしました。

「こちらの任務はヴィク様の警護ですから、ふふ」

 フーは何気に嬉しそうでした。

 燭台の灯りが一瞬揺らめきました。それは、ドアが開いたために風が吹き抜けたからです。

 失礼します、とファルが入室しました。

「遅めですが、ご夕食をお持ちしました」

 これも仕事の一環のようで、長居はできないみたいです。

 用意されたのはパンとスープ、てんこ盛りの野菜でした。ヴィクは野菜しか口をつけずに、残してしまいます。恐ろしく食が細いのでした。

「あらら、年頃の女の子がこんな少食では、お体に悪いですよ?」

「でも、食欲がないんだ……」

「ここずっとはそればかりでは……?」

「うん、ごめん」

 口周りについた水滴をふきふきしてあげます。ヴィクは小っ恥ずかしそうに目を逸らしました。

 ふふ、と顔が(ほころ)びます。

「ははーん、分かりましたよ」

「え?」

 異様に飛びついたのは、ファルでした。どうやら、ファル自身もヴィクの少食を気にかけていたようです。

「昼食から、どこかご遠慮なさっているような気がしていたのです。ようやく気が付きましたよ」

「な、なに?」

 ちょっとした圧迫感に、ヴィクはたじろいでいました。

「ヴィク様、あなたはダイエットをされているのですね?」

「……ダイエット?」

 はい、とフーは説明を添えました。

「ダイエットとは、自分の体型をよく思わないためにわざと食事量を減らし、強引に体重を落とす行為です」

「……」

「……」

 しらーっ、と二人してフーを見ます。異様な雰囲気にフーは力強く諭します。

「ヴィク様くらいのお年頃には、みんな体型を気にするのです」

「そ、そうなの?」

「えぇ。それはそれはもう、すごい気にしようです。まるで骨身を削るかのように、食を細めます。それによって女性の体調不良、つまり生理不順を来したり健康を著しく害したりするのです」

「……」

「……」

 堂々と、その、そういうことを言い切るフーに、若干引いていました。

「ですから、ヴィク様もきちんと召し上がらないと不健康になってしまいます。その証拠に顔色が悪いではないですか。少し下品かもしれませんが、女性にとってはとても重要なのです。まぁ、無理をしても消化不良になってしまって、それはそれで良くないのですけどね」

「ふぁ、ファルは気にしてる?」

「いえ、私はそこまでは……」

「だってファル様はもう女性の理想的な体型ではないですか。ぼんきゅっぼんの典型、それでいて褐色のお肌は妖艶さを生み出し、」

「……」

「世の男たちを魅了してしまい、ん?」

 くっ、と唇を強く閉じていました。

「私は仕事がありますのでこれで」

 ばたん、とファルは飛び出してしまいました。

 とても冷たい声色でした。

「フーさん、おじさんくさい……」

 少し、いえ、かなり引いていました。

「これが“ガールズトーク”というものですよ」

「……フーさんは色々と知ってるんだね。でも、ちょっと失礼だったかも」

「? すごく下品でしたか?」

「それもそうだけど……その……」

 

 

「う~……ここトイレどこだよ……広すぎてわかんないし……なんでトイレの案内板ないんだよここは~……うぅ……ちくしょう……あとでリーグのやつに文句言ってやるっ。だいたいなんでこんな趣味のわりぃ画なんか飾ってんだよ。これもう目が動いたりする代表的な幽霊ぱた、うひょうっ! な、なんだなんだ? ……あぁ、鳥かよ……びびらせんなっての……うぅ……こわいこわい……」

「あの」

「はひぃんっ! な、なんだよっ! ファルかよっ! びびらせんなっ!」

「ご、ごめんなさい。しかし、灯りを持たずに何をされているのかと」

「トイレ行きたいのっ! でも懐中電灯は切れちゃってたし、かと言ってフーはヴィクんとこいるから取りに行きづらいし……。蝋燭引っこ抜こうと思ったけど、あの台が固定されてて取れないし……。結局こうなったわけよ」

「なるほど。私めにお伝えくだされば、ご案内いたしましたのに」

「この暗闇の中探せってのは本末転倒だろっ」

「ふふふ……それもそうですね。お手洗いをご案内します。こちらです」

「ふぅ……助かった……ありがとな」

「いえ。お役に立てて嬉しく思います」

「あと、フーには絶対内緒なっ? あいつに言うと絶対笑いの種にされるからっ! いいっ?」

「分かりました。気を付けます」

「……よし……。ん? ところで、ファルは何してたんだ?」

「私はお客様に給仕を致してから、屋敷内の見回りをしております」

「見回りって、そういうのって兵士がするもんだろうよ……」

「……ごくたまにです」

「大変だなぁ……。うし、オレも手伝っていいか?」

「え? ……ですが……ヴィク様の護衛は……?」

「あいつにはフーがいるから大丈夫。何かあったらオレに知らせがくるからさ」

「あの、フー様は一体何なのですか? 独りでに喋ったりそういうことをしてくれたり、とても不思議に思います」

「うーん……何て言えばいいんかね……。人じゃないのは分かるよな?」

「はい」

「うーん…………インコって知ってるか?」

「え? ……少しだけは……」

「あれみたいなもんよ。インコは人の言葉話せるだろ? あれとおんなじで、フーは人と会話できる“物”なんだ。どういう仕組なのか、未だに分からないんだけどな。……でも、インコともちょっと違うなぁ。……なんて言えばいいんかねぇ、うーんっと、えっと、」

「いつ、お二人は出会ったのですか?」

「ん? ……あぁ、もうとっくに忘れたよ。ずっと前ってしか」

「そうですか……。あ、こちらがお手洗いです」

「ってオレの部屋がある廊下だしっ」

「はい、お客様用のお部屋の廊下には必ず一つご用意させていただいてます」

「もっとこう、“オレはここですっ”で強調しろよっ。昼間でも気付かないって、どんだけ影薄いトイレなんだよっ」

「ふふふ……そうですね。リーグ様に相談してみます」

「じゃ、ちょっとここで待っててな。…………」

「…………とても不思議な方々ですね……」

「…………ただいま」

「は、早いですね」

「そらもう、な。んじゃ、オレの部屋まで頼む」

「もしかして、帰りが怖いから私をここに、」

「あーあーあー、なんにもきこえないよー」

「なるほど。フーさんが弄りたくなる気持ちが分かります」

「おーい」

「? 兵士か?」

「おーここにいたのか。探したぜ」

「どうしたんだ? こんな深夜に」

「旅人さんこそ、なんでファルと一緒に?」

「オレはその……あれだ、トイレどこか迷ってな。たまたま通りかかったファルに案内してもらった」

「そうか。ここ暗いから分かりづらいんだよな」

「で、どったの?」

「よかったら一緒にどうだ?」

「? なんかするのか?」

「それはもう、楽しいパーティーよ」

「うーん……いいや。もう眠いし」

「そうか……。まあ、またあったらもう一回誘うわ」

「できれば昼ごろにしてくれな。夜は眠い」

「できればな。じゃ、また明日な。ファルも後でな」

「あぁ」

「……はい」

「……………………こんな時間にパーティーとか、意外とはっちゃける性格なんかな、リーグのやつ」

「……そうですね……」

「?」

 

 

 ダメ男たちが城に滞在して、一週間が経過しました。

 リーグがどこか遠征に行くとあって、その後も大きな出来事もなく過ごしています。

 ダメ男とフーにとっては久しい長期滞在なので、非常に暇を持て余していました。ヴィクと遊んでいたり城の中を散歩したり、と、まるで缶詰状態です。以前、ダメ男たちがこっそり城の外に遊びに行ってしまい、リーグに外出を禁止されていたのです。本人曰く、“ちょっといけないことをしているみたいで楽しかった”そうです。

 このままではいたずらに時間を浪費し、ここで無駄に語ってしまうことにもなりかねません。

 床で寝転がっていたダメ男は前者を危惧し、情報収集にあたりました。

「でさぁ、ヴィクさん?」

「はい、なんでしょう?」

「何読んでんの?」

「新聞です。あとは童話だったり詩だったり」

「そういえば、ファル様とご一緒に読まれていますよね。お二人はとても偉いです。女性でありながら政治に関心があります。それに比べてこのダメ男と来たら、毎日ぐーたらぐーたら。旅人としてとても恥ずかしく思います」

「一回外に出たじゃん」

「ファル様にご迷惑をお掛けしただけですよね?」

 未だにあの失態を怒っているようです。

「それは悪かったけど……ぐーたらしてるだけじゃないぞ」

「え?」

「のーんびりもしてる」

「……ふふふふ」

 新聞を読んでいたヴィクは思わず笑みを浮かべました。

「お二人のお喋りはとても面白いですね。聞いているだけで笑ってしまいます」

「どんどん笑ってくれ。お姫様に緊張させないのも、オレらの務めってもんだ。なぁ、フー?」

「それは邪魔をするという宣言ではないですかっ」

「あ、それは考えてなかった」

 バッと勢い良く起き上がるダメ男。

「あのさ、今まであえて聞かなかったんだけどさ」

「はい」

 唐突に、おちゃらけていた口調に、真剣味が滲み出ます。

「ヴィクの父ちゃんってどういう人?」

 ぴくりと新聞が揺れました。

「……父は、自分の理想のために戦っています」

「それは知ってるんだけどさ、そのー……例えば人柄とか性格とか、父ちゃんがどういう感じの人だったかってことよ」

 じっとダメ男はヴィクを見つめました。その表情はひどく優れていません。とても困惑しているようでした。

「ちょっと失礼を言うかもしれないけど、いい?」

「はい」

「一回も父ちゃんに会ったこと無い?」

「会ったことはあります」

「?」

「つまり、物心つく前に、お会いしていたということですか?」

 フーが口を挟みます。

「……はい。そう聞いています」

「そんな昔から戦争してたんか。それでこれってのは、ちょっと厳しいよな……」

「……」

 ダメ男のその一言が、まるで(えぐ)るようで、ヴィクは何も言えなくなってしまいました。フーがダメ男を叱りつけ、ごめん、と謝罪させました。

「兵士の人に聞いたり新聞で読んだりするくらいしか、私は知り得ません。実際に現地に向かうことは許されてませんし……」

「女性ですから、行く必要もありませんよ、ヴィク様。男は女を守るために生きているのです。そう思わないと、女はやっていけませんよ」

「……ありがと」

 陰りつつも、にこりと微笑みました。

「父ちゃんの夢って、確か奴隷解放なんだよな?」

「はい」

「ふーん……そっかそっか」

「ダメ男、何を考えているのですか?」

 ダメ男は考えに(ふけ)っていきました。このフーの問いかけも耳に届いていないようです。

 フーは(いぶか)りますが、それ以上探りはしませんでした。

「以前にヴィク様からお聞きしましたが、深入りすると余計にファル様にご迷惑がかかりますよ、ダメ男」

「…………なっるほど、そういうことね……。ってことはこうすれば……うんうん……」

「駄目ですね」

「ダメ男さん、どうしたんですか?」

「何か企んでいるようですね」

「え?」

「あまりにも暇なために、一気に解決してしまおう、という(はら)なのでしょうか?」

「そ、そんな暇つぶしみたいな感覚で奴隷解放ができるわけない……。父さんが頑張ってもできないのに……」

「しかし、これもいつものことですからね」

「……え?」

 少し間抜けた声を出してしまいます。

「伊達に旅をしていない、ということです」

 ヴィクは内心で呆れ返っていました。国が総出で戦争しているのに、こんな訳もわからない旅人ごときに、根深い問題を解決できまい、と。

「……とにかく情報が足りないか。あの馬鹿からいろいろ聞きたいけど、こういう時に出かけてるしなぁ。全く、使えんやつだっ」

 あの将軍の部下を馬鹿呼ばわり。ヴィクはつくづく旅人は恐ろしいなと思いました。そしてその陰口の可笑しさに、笑ってしまうのでした。

「あのさ、今の国の情勢を教えてくんないかな」

「え?」

「分かってる限りでいいからよ」

「そ、それは構いませんが……本気ですか?」

「“ゴトはバクチ”ですよ」

「こら、女の子にそういういらん知識を教えるな。“物は試し”だ」

「?」

 良くは分かりませんでしたが、ヴィクは教えることにしました。

 将軍は今、遠くの国と戦争をしています。その国は奴隷を容認している国らしく、将軍は力づくで解放しようと躍起になっています。その戦争に協力しているのは五人の部下のうち、わずか一人でした。他の四人は自国の経済を潤させるために、戦争そっちのけで動いているようです。しかもごく最近、協力していない部下たちの間で、奴隷を容認しようという動きが見られています。それは経済を活性化させると考えた時、現状ではどうしても奴隷を使わねばならなかったからです。

 この怪しい情報を、新聞では痛烈に批判しています。将軍のことを理想“狂”と蔑んでいる新聞社もありました。

 さて、将軍と遠くの国の戦争では、将軍の方が有利とされているようです。しかしそのための被害が尋常ではなく、今から自国の経済を何とかしないといけないとされています。それは被害者たちに対する補助金であったり防衛費であったりと、無尽蔵に(かさ)んでしまうからです。

 この事実に国民から非難や失望が絶えず漏れ、将軍に対する信用が急速に落ち込んでいるのでした。

「大雑把に言うと、こんな感じです」

「ま、よくある話だな。領土拡大のために戦う軍部と食糧問題をなんとかしてほしい国民、とかね。そんなに酷い状況だったんだ」

「ダメ男さんはどう思いますか?」

「え? ……はっきり言っちゃうけど、いいのか」

「……はい……」

 どことなく、(おび)えているように感じました。やはり、とダメ男は思いました。

「うーん、……ぶっちゃけちゃえば、奴隷解放は先延ばしできなくないことだと思うしなぁ。まずは地盤をしっかりしてからでも遅くない気がする」

「そうでしょうか?」

 と、反論したのはフーでした。

「かつて奴隷文化が根付いてしまった国がありました。そのせいで奴隷解放が成立しても、元奴隷の方々が虐げられているのは知っていますよね?」

「知ってる」

「それを考えた時、やはり早めに動いておかないと、長期的に苦しんでしまうと思います。ですから、将軍のこの行動も理解できなくはありません」

「でもこれ、すっごい被害だぞ? これを補填(ほてん)するってなったら、結局奴隷を使う運命になるんじゃないか? だから協力しない四人はそうなってるんだろ?」

「彼らはあくまでも私腹を肥やすことを優先しています。国民に意識を向ければ、奴隷を使うことはないと考えます」

「なるほど。ヴィクはどう思うよ?」

「え?」

 いきなり振られたので、おろおろしていました。しかし、

「わ、私は……フーさんに肩を持ちたいです。……父さんの理想は……絶対です。絶対に実現してくれる、私はそう信じています」

 強く、言い切りました。

「それはそうか。オレの意見は父ちゃん全否定だもんな。それにどれい、」

「失礼します」

 外から声が聞こえました。ファルの声です。

「リーグ様がお呼びです。ご案内いたします」

「いつの間に帰ってきてたんだ。まるっきり空気だな」

「ぷっ」

 笑ったのはフーだけでした。

 

 

「どうだ? 住み心地は?」

「やることなくて暇すぎ。これじゃ缶詰じゃんか」

「自業自得だろう。黙って外に出るやつがあるか」

 こればかりはフーは同意します。

「で、何の用? こっちは忙しいんだけど」

 フーは不意に笑ってしまいました。ごめんなさい、とくすくすしながら謝ります。

「明日の夜、客人をもてなすことになったんだ。お前も出席しないか?」

「ヴィクはどうすんだ?」

「一緒に出席しても構わないが……俺個人の客でな。ヴィクが窮屈な思いをしてしまうと思う。見張りを立てようと考えているんだ」

「……」

 思い掛けない一言に、ダメ男は驚きを隠せませんでした。

「いつから他人に気を配るようになったんだ?」

「その気配りをお前にも持ってほしいよ」

「確かに」

 またフーが同意しました。

「実は、客人の一人に話してみたら、お前に興味を湧いた、と言っていてな。えらく楽しみにしているぞ」

「オレの意志は無視かよ」

「なに、ちょっとした世間話だ。死ぬことはない」

「……いいよ」

「! ダメ男、いいのですか?」

 慌てて尋ねますが、構わない、とリーグに伝えます。

「では明日、楽しみにしてるぞ。時間になったら呼び付ける。それまでは適当に時間を潰しててくれ」

「分かった。話はそれだけ?」

「あと、ヴィクに聞きたいことがある」

「? 何でしょう」

 じろりとリーグが睨みつけます。

「今、将軍がどう揶揄(やゆ)されているか、知っているな?」

「……はい」

「理想“狂”……中々的を射ているとは思わんかね?」

「父のことを……悪く言わないでください……」

 泣き出しそうな顔で訴えます。

 ふん、とあしらいました。

「奴隷など、いくらでも湧いて出てくるというのに、どうしてあそこまで乗り気になるのか、分からんな」

「! 訂正してください。彼女らの尊厳を踏みにじっています」

「害虫に尊厳などあったか? なあ?」

 くすくすくす、と背後の兵士たちも笑っていました。

 それを目にしたヴィクが、

「笑うなっ!」

 激情に駆られました。

 おー、とダメ男はちょっぴり感心します。

「父、いえ、将軍は今、奴隷解放のために戦っていますっ。彼の部下として、協力しようとは思わないんですかっ」

「その協力の見返りは何だ?」

「……え?」

 逆にリーグは落ち着いています。

「俺は確かに部下であるし、将軍に仕えてきた。それはきちんとした“報酬”があるからであって、仁義や奉仕、果てには理想のためなんかではない」

「なっ……」

「そこら辺、将軍はきちんと理解していたぞ。だから俺を信頼し、その分報酬を渡していたのだ。もし、協力の要請があるとしたら、それなりの報酬を要求するのは当然。誰が好き好んで死にたがる? それも奴隷のためなぞに」

「……」

 勇んでいたヴィクは、“また”押し黙ってしまいました。

「いい加減に目を覚ませ、ヴィク!」

 びくっと驚いています。

「現実的に不可能な理想を追求してどうするっ? もっと現実を見ろ! お前がこうしているうちに兵士はどんどん死んでいくのだぞっ? お前は弱者だが、将軍の娘という特別な弱者だっ! その地位を利用して、何かしようとは思わないのかっ?」

「……」

 ヴィクは、答えられませんでした。

 ダメ男は黙りつつ、じっとヴィクを見つめています。ふぅ、と溜め息をつきました。

「このくらいで勘弁してやってよ。まだ親に甘えたい年頃の女の子に、“それ”を求めるのはきつい」

「お前はどうやら……理解しているようだな。ふらふら旅をしているわけではなさそうだ」

「……とにかく、用は済んだんだろ? お(いとま)するよ」

 ヴィクに立つようにそっと促します。

「そういえば新しい茶を作ってみたんだ。良かったらどうかね?」

「誰が飲むか」

 

 

 リーグの言う通り、ダメ男は時間を潰すことにしました。特にすることもなかったので、

「すぅ……すぅ……」

 お昼寝をしていました。

「まったく、ダメ男は空気を読みませんねっ。それもヴィク様の部屋で眠るとは、普通なら処刑に値します」

 それも床に寝転がって。

「いいよ。でも、ダメ男さんは変わってるなあ。私たちじゃ考えられないよ」

「まぁ、いろいろあってベッドでは寝ないことにしているのです」

「へえ……。でも、大丈夫かな……」

 ヴィクは相変わらず本を読んでいました。

「それは何という本ですか?」

「これは童謡だね。“赤ずきん”って本なんだけど」

「とても有名な童謡ですね。かつて最強だった兵士があらぬ罪で追われる身となり、政府や仲間から命を狙われるのですよね」

「あ、あれ?」

「その兵士は真犯人を捜しながら、身を守るために仲間を手にかけてしまうとい、」

「うん。それもとても気になるけど、そんなに迫力のある内容ではなかったよ」

「そうでしたか。ちなみに赤ずきんの由来は返り血で被っていた頭巾が染まってしまった、というものです」

「おぞましすぎるよっ」

 ビシッとツッコみます。なかなか、とフーは感心していました。

「とにかく、心配なさらないでください。それよりもこちらとしてはヴィク様の方が心配です。本当にフーがいなくとも大丈夫なのですか?」

「うん。今までもそうだったし」

 にっ、と微笑みます。

「いつからこちらにいらっしゃるのですか?」

「もう一ヶ月は経つよ」

「そんなにですかっ。戦争はまだ続きそうなのですね」

「うん……」

 二人は他愛のない話をして過ごしていきました。

 夕方。曇っている空に夕焼けが広がります。太陽側の雲は橙色に染まり、反対側は雨雲以上に真っ暗になります。太陽が隠れていくほど赤みがさらに強くなっていき、反対の空では暗闇が追いかけてきます。そして、完全にいなくなると、暗闇が空を支配してしまいました。

 温かさが残った室内では、

「すぅ……すぅ……」

 ダメ男がまだ眠っていました。

「そろそろ、起こしましょうかね。ダメ男っ」

「……んぅ……」

 ひょいっと上体を起こし、目を覚ましました。

「どうしたの?」

「もう夜になっています」

「え? ……あぁ、そうだな」

 寝ぼけた様子で、窓から外を眺めました。

「風呂入ってくる……」

 ダメ男はそろそろとヴィクの部屋を退出する、

「ダメ男さん」

 のを、引き止めます。なに? と聞き返しました。

「その、ありがとうです」

「……」

 何とも言えない表情を見せますが、すぐに笑ってみせました。それが返答でした。

「お風呂ならフーさんも連れてあげてください。私は一人で大丈夫です」

「え? でも、一応警護ってことだからさ、ヴィクに何かあったら、」

「ダメ男」

 フーが遮るように言い張りました。

 はっ、と気付くダメ男。頭を掻きながら、フーを拾い上げました。

「何かあったら叫んだりオレの部屋に駆け込んだりしろよ。一応、寝る前にヴィクの部屋に寄るからな」

「はい。お休みなさい」

「あぁ」

 バタン、とダメ男は今度こそ退出しました。

 フーをポチポチと操作し、ライトを点けます。それを懐中電灯の代わりに、自分の部屋へ戻りました。そして着替えを取り出し、廊下へと戻ります。

 お風呂は共用ですが、この屋敷に何ヶ所もあるために待つことは多くありませんでした。場所も事前にファルから教えてもらっています。

 ダメ男は一旦、廊下から中央部へと入り、一階へ向かいます。客人の間の一階がお風呂のある場所です。

「ん?」

 どこからか声が聞こえます。

「どこからか分かる?」

「では、集音します……………………」

 フーはそのまま黙り、

「……………音の発信源は外からです」

 突き止めました。

 そーっと、一階の玄関へ移動します。フーの言う通り、確かに声が聞こえてくるようになりました。

 玄関を開けずに、耳をあててみます。

「……この声って…………誰だ?」

「声紋鑑定の結果、ファル様であることが分かっています」

「! なるほどね」

 耳に入ってくるのは、明確な拒絶でした。何かを強要されているのを、必死に抵抗しています。それも時折、高い音、平手打ちされた時のような音がします。

 ふぅ、と溜め息を漏らします。

 何の躊躇(ちゅうちょ)もせず、玄関を開けました。

「!」

 左手側、つまりダメ男たちのいた客人の間の反対側の屋敷にライトを照らすと、

「っ……だ、だれ……?」

 ファルがいました。ちょうど出っ張りの角に追い込まれる形で、兵士たちに座らされています。

 三人は逆光で目を開けていられませんでした。それを知ったダメ男はずっとあて続けます。

「よ」

「!」

 その一文字で誰なのかを三人とも判別できました。

「二人して何やってんだ?」

「あぁ、いや……その……」

 片方の兵士はオタオタとジジジ、と何かを締めました。もう一人は、

「こいつが泣いてるからどうしたのかなって思ったのさ」

 笑って答えます。

 言っておきますが、とフーが言い出します。

「あなた方が何をしていたのか、既に分かっているのですよ? こんな女の子に寄って(たか)って、俗悪なことをしたのでしょう?」

「…………」

 ふん、と鼻を鳴らします。

「だからなんだよ」

「?」

 不機嫌な表情で開き直ってしまいます。

「こいつは奴隷なんだよ。別に何をしようが勝手じゃねえか。死んだって代わりはきくんだ。むしろ、雇ってもらえて人間様と同じ生活をできてることに感謝してもらいたいね」

「なっ……」

 フーは言葉を失いかけました。怒りが爆発して(わめ)き叫ぼうとしたところを、

「これが、あんたの言うパーティーか?」

 ダメ男が静かに尋ねました。フーには何を言っているのか、そしてどうしてそんな悠長なのか、とても呑み込めませんでした。

 フーの疑問を尻目に、話が続きます。

「ちょっとしたパーティーだよ。明日はこんなもんじゃないらしいがな」

「……そっか」

 あまり驚く素振りを見せず、すっと言い切りました。

「今回は見てないことにするから、早く失せろ」

「!」

 兵士二人はたまげました。

 ただ、と付け足して、

「罰は免れないよな」

 二人の左目に、刃を付け足してあげました。

「ぎゃああああっ!」

「うごあああっ! ああああ!」

 いつ飛んできたのか分かりませんでした。ただ、急に掌サイズのナイフが二人の左目に食らい付いただけです。

 眼球から血液の混じる液体をどろどろと流し続けています。抜こうとしても激痛が走り、二人は激痛で走り回り、もうどうにもならない状態でした。しかし、あまりの激痛だったのか、叫び声が急に止まりました。息の音が止まったわけではなく、意識が飛んでいってしまっただけです。止まった直後、重い物が倒れる音が二回遠くで聞こえました。

 ダメ男は着ていたセーターをファルに掛けてあげました。

「大丈夫?」

 頭の上の方からライトをあて、ダメ男を見るように言いました。異臭と共に、“汚れ”が酷いです。顔だけでなく、衣服や髪にまで。

 フーは、

「あのゴミクズ野郎ども、最低です」

 恐ろしく低く、静かに、でも沸々とした感情を抑えこんでいるようでした。

「ダメ男、やはり片目だけでは代償が安すぎます。両目と×、」

「フー、それよりもファルをお風呂に連れてくぞ」

 それ以上言わせないように、ダメ男が割り込みました。

「一緒にお風呂に行きませんか?」

「……いえ、私のような奴隷が……お客様と一緒に入るなんて……」

 消え入りそうな声。声は普通でも、涙を流していました。

「勘違いすんなよ」

「え?」

 目をぱちくりさせました。

「なんで一緒に風呂に入らなきゃなんないんだよっ。浴槽大きくないんだから一人で入れよっ」

「そういうことじゃないですよ、ダメ男っ」

「オレはゆっくり一人で入りたい派なんだっ。くつろぎタイムを邪魔すんなっ」

「恐ろしく勘違いをしていますねっ」

「……」

 あまりの自分勝手さに、言葉にできませんでした。

「ほれ、行くぞ」

「え、ええ?」

 ぎゅっとファルの手を握ります。

「一緒には入りたくないけど、先にファル入れよ。オレは待ってるから」

「そ、それなら他にも浴室が、」

「他は壊れてて使えなかった。そうだったよな、フー?」

「はい。お湯が出ていませんでした」

「……」

 

 

 


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