フーと散歩   作:水霧

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第四話:たしゅたようなとこ

 とても温かい日差しが降り注いでいる。全身を柔らかく包むように、ぽかぽかとしていた。

 その日差しを余すところなく平野が受け止めている。背の低い緑がぶわっと広がり、ぽつぽつと林が乱立していた。環境が良いのか林には鳥たちが(さえず)り、大地には小さな虫や小動物たちが活発に動いている。

 道というものはないものの、代わりに緑のない細いところがあり、遠くまで伸びている。

 そこに黒い物体が歩いていた。

「歩きやすいし長閑だし。ちょっと寝っ転がろ」

 緑の絨毯に寝転がる。温かさと柔らかさが心地いい。

 その物体はもこもこしたファー付属のフードセーターをゆったり着込み、藍色のデニムをゆったり履いている。黒いスニーカーは砂で汚れ茶色がかっていた。

 背中で押し潰している黒いリュックは登山用で大容量だ。横から突き刺さっている黒い傘が押し潰されていることで、(たわ)んでいる。

 両腰にはウェストポーチがそれぞれ付いている。そのせいでセーターの裾が膨らんでいた。

 んぅ、と横になると、胸からだらりと零れ落ちた。セーターのファスナーをみぞおち辺りまでしか上げていないせいだ。“それ”は太陽の光を反射して水色として見せつけていた。謎の四角い物体だ。

「長閑なところですね。今すぐ歌い出したい気分です」

 その物体から冷静沈着な女の“声”が聞こえる。

「どこでも歌いたい気分だろう?」

「いえいえ、そんなことはありませんよ。殺意が芽生える歌でもどうです?」

「そんなの聞きたくないしっ! 雰囲気ぶち壊しだ!」

「らんららんららんっるんるんるんっう-」

「わぁ、なんて明るい曲調」

 休憩終わり、と勢い良く立ち上がり、またせっせと歩き始めた。

 ポーチからボトルを取り出し、こくこくと飲む。歩きながらで少し零し、セーターの中のシャツが染みた。

「お」

 何かが見えてきた。

「お疲れ様です」

「いえいえ」

 街だ。城壁というより背の低い石の(へい)を横へ並べており、ぽっかり空いたところには木の扉が閉められている。その左右に、

「こんにちは旅人さん」

「どうも」

 門番が立っていた。と言っても、青シャツに黒パンツ、ちょっとしたナイフを腰に付けている程度だ。

「移住をご希望ですか?」

「? 移住っていうか何日か滞在したいんだけど……」

「承知しました。念のために荷物検査をお願いしてもいいですか?」

「もちろん」

 入国手続きをしている間に別の門番が荷物を調べた。銃器や刃物といった凶器も持ち込みできるようだが、使用は控えてもらいたいとのこと。

 分かった、と了承した後、念の為に身体検査も受けた。む、と険しくなり、セーターの中を調べると、

「これは?」

「ナイフだよ。もちろん使うつもりはないから安心して」

 刃渡り三十センチはあろうかという大きいナイフだった。柄は黒い鉄を網目状に組まれた形状で、その隙間は緑の半透明の膜が貼られている。柄のお尻には黒い毛玉のストラップが、先端にはボタンが付いていた。このボタンを押しながら振ることで、中の刃が飛び出す。言わば仕込み式のナイフだ。

 検査を終え、荷物を全て返してもらった。

「それとこれを……しまった。補充するの忘れた……」

「?」

「入国された方にもれなくお配りしていたのですが、パンフレットを忘れてしまいましてね。すぐに係りの者に伝えてお渡しします」

「そりゃ助かる」

 門番たちは開門してくれた。街中の景色がゆっくりと現れていく。

「じゃ、また何日か後に」

 そこを通ると、すぐに閉門した。

「…………こちら関所。男性一人が入国。特徴は全身黒い服装をされている。ただちにパンフレットをお渡ししろ。いいか? 絶対に移住させるようにおもてなししろ」

 

 

「面白い国ですね、“ダメ男”」

「な、なんじゃこりゃ」

 “ダメ男”は自分の目を疑った。

 普通の街並みではなかった。多くの種類の家や道、人、動物がいた。例えば、土を押し固めて作ったような家があれば、何十階建てという異様なビルがあり、二階建ての一般的な家があれば、とてつもなく長い平屋があり、と。道で言えば、寸分の狂いもない正方形の石材をぴっしりと敷き詰めた道、凸凹で乱雑な道、滑り出しそうなくらいに綺麗に舗装されたコンクリートの道、と。それも一本の道に強引に詰め込まれているのだ。

 住民も同じようだった。髪を頭の少し後ろに白い布で束ねている厳つい男、肌黒で布を巻きつけた帽子を被る男、ホルスターを右腰に携えてブーツを履いた女。古臭い服装から最先端の服装まで、そしてあらゆる人種が暮らしているようだった。

 動物は猫や犬のみならず虎、ライオン、蛇、亀、羊、猿、ウーパールーパー、フェレット………………。どこの動物園かと思うくらい。植物は熱帯地域のものから寒帯地域のものまで、どこの植物園かと思うくらい。

「まるで地球上の生物を集約したような国ですね」

「そこまで多くはないだろうけどさ、この国どうなってるんだ?」

 このままでは雰囲気に圧倒されたまま時間を過ごしてしまう。ということで散策をお楽しみに取っておき、まずは宿を探すことにした。

 “四分の一”本の綺麗な道を歩いて行くことにした。ダメ男は歩いているだけでおかしな気分になり、笑ってしまう。

「なんか変なの」

「変な人が歩いていればそうなるでしょうね」

「じゃあお前は変な旅人の相棒ってことになるぞ、“フー”」

 “フー”と呼ばれた“声”は、

「相棒が正常なら問題無いですね」

 きっぱりと言い放った。

「今回はちょっと優しめの発言だな」

「耐性が付いている時点で終わりですよ。努力の賜物(たまもの)ですけど」

「言えてる……」

 そんな雑談を繰り返しながら探していく。

 意外と宿探しは難航した。家だけでなく施設も種類が多いため、宿かと思ったら居酒屋だったり病院だったり、見た目からでは中々判別が付きにくかった。そして期待していたパンフレットとやらはいつになっても届けてきてくれない。

 街に入って一時間弱が経過してしまった。晴れ渡っていた空の西の方から赤みが強くなっている。雲が無いために燦々と輝いていた。どことなく肌寒さを覚えている。

 ダメ男は仕方ない、と呟いた。適当な施設に入り、パンフレットを頂戴した。

 フーによると、宿らしき施設は街の西側にあるとのこと。現在位置は南東だ。

「どうしましたか?」

 そちらへ向かう途中だった。ちらりと視線を背ける仕草をよく見せるダメ男。

「尾行されているのですか?」

「いや、そこまでじゃないけど。……見られてる気がして」

「自意識過剰ですね。確かに個性豊かな顔ですが、生物学的にヒトに分類されていますから、大丈夫なはずです」

「そこまでしないと分からないのかよっ。しかも微妙に確信してないしっ」

「頑張ってくださいね。あ、そろそろですよ」

「おお、やっとか……疲れた……」

 ようやく目的地へ辿り着いた。

 外見はどこか一般料亭のようだ。古めかしい木の門に、木を格子状に拵えた木戸、両隣には提灯の優しい灯火が迎えてくれる。何か文字が書かれているが、何と呼ぶのかは分からないようだ。

 ここだけ見れば古風で落ち着いているのだが、道はプラスチックと土の半分ずつで、反対側は巨大なドームが建てられている。

 中に入ると、

「へいっ。おいでやっす」

 柱が露出した空間に、ヒップホップが好きそうなモヒカン男が和服を着て出迎えてくれた。おまけにサングラスに鼻ピアス、シルバーネックレスまでしている。かと思えば、水着姿の金髪女性が御膳を運んでいたり、スーツを決めたウェイターが土鍋を運んでいたり。

 床はコンクリートで固めた冷たい床だ。

 最奥は待合所で、高級そうなソファが映画館の席のように並べられ、客たちが見るのは何かのショー。その手前の両手側に通路があった。そこからは黒の薄いシートが敷かれている。

「もうめちゃくちゃだな」

「ですが、和風であるのは一応統一されていますね」

 受付に行く前に通路を確認した。そこからはなぜかホテルの通路のような、暖色系の灯りに等間隔に部屋があるような作りだ。

「なんでだよっ」

 想定外というより、常識外だった。

 受付で記帳し、一室を借りる。ダメ男は右手の二階、真ん中辺りの部屋を案内された。案内してくれたのはバニー姿のおじさんだった。

「こちらです」

 とてもダンディな声で、ドアを開けてくれる。

 ここも奇抜なのだろう、と高をくくっていた、

「おっおぉ」

 が、そうでもなかった。暖色系の優しい内装で柔らかそうなベッドにカーペット、ソファと普通なもの。ごくシンプルなガラステーブルと椅子、アンティークな棚と、きちんとホテルの一室のようだ。窓は小さいが、息苦しかったり居心地が悪かったりする印象はない。

 浴室とトイレは入ってすぐ左手にあり、一緒になっていた。

「どうぞごゆっくり」

 とても余裕のあるお辞儀。バニー姿のおじさんは静かにドアを閉めてくれた。

「あの人……趣味?」

「そこは個人の自由ですから、そっとしておきましょう」

 ダメ男は強く同意した。

 早速、荷物全てをベッドに放り込み、椅子に座り込んだ。ん? と目を付けたのは、テーブルに置かれたパンフレットだった。

「あ、ここでもらうものなんだ」

「そのようですね」

 そのパンフレットをベッド脇の棚に起き、リュックから袋を取り出した。ガラス製なので、ゆっくりと置く。首飾りの謎の物体であるフーも一緒に置いた。

「奇を(てら)った宿ですね」

「一体どういう国なのか分からないな」

「人や動物、建物やその中身までバラバラですからね」

「うーん……そう言えば今何時?」

「今は十七時十五分十秒を……過ぎました」

 うん、と了解した。

「ちょっと早いけど、ご飯にしようか」

「ですが、この施設には食事処はありませんでしたよ?」

「ルームサービスかな? でも電話もないし……直接聞くか」

 ダメ男は最低限の荷物を持って、受付に向かった。

「あ、あの、ちょっといいかな?」

 受付はあのバニー姿のおじさんだった。

「どうされましたか?」

 何回聞いても、まるで貴族に仕える執事のような、とても低くダンディな声。それなのにバニー姿……。過去を詮索したくなる衝動を抑え、尋ねた。

「ここって食事はどうすればいい?」

「はい、(わたくし)どもに一言お伝えいただければ、ご用意いたしますが? どうされますか?」

「じゃあ今からお願いできる?」

「可能でございます。この場でメニューをお決めになりますか?」

「うん」

 しつじ、いや受付のおじさんは奥のドアに入り、すぐにメニューボードを持ってきてくれた。

「えーっと……これとこれとこれ」

「かしこまりました。今からですと十八時頃になりますが、よろしいですか?」

「いいよ。あまり急がなくていいから」

「お気遣い誠にありがとうございます」

 ウェイターはにこりと笑むと、再び中へ入っていった。

 ダメ男は自室へ戻ることにした。

「ダメ男、何を注文したのですか?」

「適当」

「パンとご飯と麺類が一緒に来ても知りませんからね」

 夕食までの時間は、

「そう言えば、パンフレット見ようか。ちらっとしか見てなかったし」

「暇つぶしにはいいですね」

 例のパンフレットを見ることにした。

 パンフレットの表面には大まかな地図と店舗紹介が記載されている。裏面はおそらく人物紹介、そして長い文章がつらつらとあった。

 ダメ男には読めなかった。

「えっと……フー頼む」

「全文翻訳ですか? それとも大まかにまとめて翻訳しますか?」

「概要で」

「分かりました」

 フーの側面が緑色に点滅し始めた。

「まずは表面から翻訳します。…………アーユーハッピー? あーあー、オー、イエー、ダメオイズガビッジガビッジ……ホンヤクチュウデス……ホンヤク、ホンヤク……」

「なんか悪口言われた気がする」

 恐らくはその通りだと思う。

 緑の点滅は消え、点灯し続ける。

「ここは従業員三十名が経営する“タッシュホテル”というそうです。創業六十年を誇る老舗で、“常識を覆そう!” という企業理念を持っているみたいです」

「なるほどっ」

 同意せざるを得ない。

 他の店も紹介してくれたが、奇抜なお店が多かった。“芸術は爆発だ”という店もあり、ダメ男にはとても理解できないオブジェが飾られている。

 そのまま裏面へ移行した。

「裏面は………………どうやら国長の経歴を記したもののようです。そしてこの国の歴史が簡単に説明されています」

「じゃあ裏面も頼む」

「分かりました」

 文章が長いようで、フーが翻訳しきるのに数分かかった。

「では、大まかに説明します。この国長の名前はタッシュ・タタッシュ国長。三十八代目国長で、去年に国長選挙で僅差の末に就任しました。かつては王族たちが就任していましたが、歴代初の王族外での当選のようです。圧倒的な判断力と快活すぎるポジティブ思考が国民に大ウケし、二十一票の僅差で勝利、その後も国の反映のために世界各国に奔走し続けている、とあります」

「へぇ。珍しいな。王族制の国じゃ、そんなことほぼありえないのに」

 写真はタッシュ国長の写真と思われる。肌黒で少し(ふく)よかな人だった。アロハシャツを着ており、とても明るそうである。

「次に歴史です。………………今から約八百年前のお話です……」

「なんか急に昔話みたいな口調になったぞ」

「かつてこの国には文化というものがありませんでした。なぜなら、この地は原住民から奪い取ったものだからです。国作りをする中で、先人たちは悩んでいました。そこで、“今から文化を作ればいいじゃないか”と提案されました。ところが、そもそも文化とはどうやって形成していくものなのか、先人たちはさっぱりでした。それもそのはず、彼らは属国出身の逃亡者たちだったのです」

「ふんふん、なるほど」

「先人たちは長年の従属的生活で思考力が恐ろしく低下していました。そのせいか、考えても良いアイディアが浮かばなかったのです。そんな中で、ある先人がこう切り出しました。“分からないなら盗めばいいじゃないか”、と。この予想外の提案に拍手喝采が送られます。では、どこの国の文化を盗むかとなった時、先人たちの眼からして、どの文化も色鮮やかで綺麗なものに見えてなりませんでした。頭を悩ませる中、またもある先人が切り出しました。“それなら全部盗んでしまえばいい”と。結果、先人たちは世界各国に分散し、文化を吸収しながら、本国へ伝える作戦を練り上げます。その集大成が現在の国を作り上げたのでした。……以上です」

「なるほど。どうりで色んな人とか建物とかあるわけか」

「そのようです。この文化の集合体こそが、この国の文化なわけですね」

「へぇ、面白いなぁ。で、そのタッシュ国長って人が今は、」

 コンコン、とノックが聞こえた。話を中断し、そちらへ意識を向ける。

「ご夕食をお持ちいたしました」

 ダメ男は左手をセーターの中へ忍ばせながら、ドアを開けてあげた。

 ウェイターがトレー台を押して、中に入ってくる。そのままテーブルまで来てくれた。

「こちら、特製クロワッサンとお茶漬けとパスタタラコソース和えでございます」

 かたん、と大きなバケットとお茶碗とお皿を差し出す。

「……」

「他にご注文は?」

「いや、なっないよ」

「では、お会計はチェックアウトの際にお願い致します。……では、これで失礼致します」

 ウェイターは一礼して退出、

「普通のウェイターでし、……」

「……」

 した。

 でした、と言い切る前に、また見つけてしまった。前半分はウェイターなのに、後ろ半分は迷彩模様という謎の服。もはや悪ふざけの産物と言いたくなるようなものだった。

「なんなんだろうな。……とりあえず、その通りになっちゃったな」

「よっよかったですね。色んな料理を堪能できますよ」

「そうだな。……しかも美味いし」

 奇抜すぎる展開だったが、夕食はとても美味しかったらしい。

 疲れ果ててしまったダメ男は、食休みの後、寝間着に着替えて眠ってしまった。いつも通り、床に寝っ転がり、キルトに包まりながら。

 

 

 翌朝。と言っても、まだ夜明け前だ。

「……ん、……んぁ……」

 すくりと起き上がったダメ男。バスタオルと着替えを持って浴室へ向かった。十数分後、アンダーシャツに新緑色のパンツを履いて出てきた。ほかほかと湯気が立ち上っている。

「おはようございます」

 ベッド脇の棚からフーが挨拶をする。ダメ男も眠たそうに、

「んあ。おはよ……んぅ……」

 返した。目付きがゆるゆるで、朦朧としている。

「今日は早いのですね」

「うん……」

「就寝時間が早かったので、早めに起きてしまったのですね。もう二時間ほど睡眠を取られてはどうですか? まだ三時四十八分二十三秒を過ぎたところです」

「……いぃ」

 うつらうつらとしつつ、ベッド端に座る。

「ふーもねてれば……?」

「今、至福の時間ですので、起きています」

「? ……ん……」

 寝起きの悪いフーにしては珍しく上機嫌だった。

 眠い割にはしっかりとした足取りで、窓際へ。そして少しだけ窓を開けた。風は入り込まなかったが、もやもやと冷気が入り込むのを感じる。

「すぅ……ふぅ……」

 その冷気を吸い込み、身体の中から冷やしていく。

「……ん」

 きっと顔が引き締まる。眠気が少しは取れたようだ。

「ん?」

 ふと、地上の方へ目がついた。

「何だあれ」

 何人か人が集まり、まるで土下座するようにお尻を少し高くして何度も座り込んでいる。耳を澄ますと、何か唱えているように聞こえる。

 それがとても気になって、テーブルを窓際へ寄せる。昨日出しっ放しだった袋ごと持ち上げていた。しかしそれだけでは、と、脱いであるセーターから黒い何かを取り出し、途中でフーを拾って、テーブルに着いた。

「もう至福の時間は終わりなのですね」

「? なにそれ?」

「いえ、こちらの話です」

 ダメ男は袋から色んな容器を取り出し、黒い何かを手に取った。網目状に黒い鉄を組み込んでおり、その隙間を透明の膜が覆う。中には銀色に光る刃が収納されていた。ボタンを押しながら軽く振ると、その刃が表に出る。仕込み式のナイフだ。

 容器を開け、中の液体を手持ちの布に浸す。それでゆっくりと刃を拭いていった。

「フー、あれって何か分かるか?」

 ちらっと外を見る。

「はい。簡単に言うと、とある宗教での日課です。全知全能の神様を心から感謝し、賛美し、賞賛する気持ちの表れ、のようです」

 ふきふき。

「宗教についてはコメントを控えた方が良さそうだな」

「ですね」

 興味ありげに見つつ、ナイフのお手入れを進めていった。きらりと光る具合を確認してから、今度はフーにしてあげる。

 フーに(つや)が出始めた頃、日の出を迎えた。東の空が突然黄金色に染まり、頭を覗かせる。ゆっくりと全身を見せる時には空も青みを帯び、黄金色は地上にいた者たちと一緒に消えていった。

「あ、もういない」

「解散したのでしょう。日の出、正午、日の入りでは、あれはしてはいけないとされています」

「へぇ~、ってことは一日に何回かやるってこと?」

「一日に五回行うのが奨励されていますが、無理な場合は数分で済ますことも許されているみたいです」

 太陽の光にフーを照らした。多少の傷があるが、ぴかぴかで綺麗だ。

「お前、その宗教の信者なのか?」

「これくらいは常識です。ダメ男が駄目すぎるだけです」

「…………やめとこう」

「そうした方が良さそうです」

 とても複雑な事情で、発言を控えた。

 ふきふきを終えたダメ男は容器を全て片付けた。

 軽く柔軟体操をした後、ナイフを使って身体を動かす。目の前に敵が現れ、それに対処するような練習。ピタリと止まると、

「……ふぅ」

 練習を終わりにした。

 さっとシャワーを浴びて汗を流した。

「どうですか?」

「いい感じ」

「それは良かったです」

 セーターと黒色のパンツを履くと、朝食を注文しに一階の受付へ向かった。お茶漬けに焼き魚と味噌汁を注文したらしい。

 運んできてもらって、ゆっくりと味わう。

「ハマりましたか?」

「うん。質素だけど、すごく食べてる感じがする」

「宣伝ではないですよね?」

「誰に宣伝するんだよ」

「それは、色んな方々です。しかし食レポはできないのですよね。残念です」

「はは……意味が分からん」

 笑いながらもきっちり完食した。

 

 

 太陽が十分に登ってから、ダメ男は本格的な買い物に出かけた。パンフレットの表面にはこの街の地図が記載されており、場所はフーが翻訳してくれる。用のある店は街中に点在しており、一日かけて買い物することにした。

 入手した必要な物を売り払い、必要のない物を買い漁っていく。そして、

「あ、あれ? ちょっと待て」

「どうしました?」

 ダメ男はふと考えた。

「なんでこんなもん買ってんだ?」

 手に持っているのはユニークな置物だった。ブタの木彫(きぼり)で、鼻先に輪っかがついている。どうやらペン立てのようだ。

「こちらに聞かれても答えかねます。てっきり何かに使うのだと思っていました」

「待て待て待て。オレは古物商じゃないんだし、ちょっと戻してくる」

「はい」

 不思議そうに了解するフー。

 改めて、必要のない物を売り払ったり交換したりし、必要な物を買い漁っていった。

「うん。これだこれ。ちょっとオレ、何してたんだ?」

「もともとポンコツな脳みそですからね。あるいは今、やっと正常に機能したのかもしれません」

「もはやそれ異常だろっ」

 それにしても、とダメ男は繋げた。

「ライオンまでいるってどうなってんだよ……」

 そちらは街中というよりサバンナ地帯のようで、背の高い薄茶色の草や木製の家屋が多かった。なのに、ど真ん中には七色の道路が貫いている。

 あの百獣の王が一風変わりすぎた街中で寝転がっている。驚くべきことに、住民や小動物たち、さらには獲物のはずの子鹿でさえも、その前をのんびり歩き去っていた。

「生態系どうなってんだよ」

「満腹状態なのかもしれませんね。たまにのんびり屋さんなライオンもいると聞いたことがあります」

 突如悲鳴が上がった。ダメ男たちが見ていたライオンが一人の女を襲い、無我夢中で食い荒らしていった。

「…………あのフーさん?」

「はい」

「あなたの発言、目の前で否定されてるんですけど」

「“たまに”と言いましたよね? 耳腐っていますか?」

「できれば腐っててほしかったな」

「それなら眼も腐っていてほしかったですね」

「だな」

「さて、買い物を続けましょうか」

「あぁ」

 ダメ男はまた歩き出し、

「ってそうじゃないだろっ」

 たが、踵を返し、急いでライオンの方へ駆け寄った。

 血を見たためなのか、ライオンは極度の興奮状態にあった。口の周りが真っ赤に染まっている。ふー、ふー、と息を荒らげていた。

 その下で散らばる遺体。首が(えぐ)れ、内臓は飛び出し、身体中の関節があらぬ方向に(ひしゃ)げている。十分に流れ出ているはずなのに、流血は衰えを見せていない。

 その死肉に狙いを付けている動物がいた。ハイエナである。犬のような見た目をしているが、何匹も群れており、とても獰猛である。ライオンの殺気を感じて、離れた場所でじっと観察している。他にもカラスだったりハゲタカだったりと、目を付けている動物たちがいた。

 ダメ男はすぐに気が付いた。

「何をしているのです、ダメ男?」

「暴れだしたら被害が増えるだろっ」

 連中は、自分を狙っているのだと。

 さすがに野生なのか、ライオンはやたらめったら襲いかかって来なかった。まるでダメ男を品定めしているかのようにぐるりと旋回する。その行為も他の動物たちは舐めるように窺っている。住民たちも危険だと物陰に隠れていた。

 ダメ男にとっては逆にありがたかった。

「相手は百獣の王ですよ?」

「静かに……」

 後悔しつつも覚悟を決めていた。

 そして、ライオンがダメ男の背後に回った瞬間、

「つうっ!」

 心臓を震わせるほどの咆哮。振り向いた瞬間、もう遅かった。

 はや……。のしかかり。もう駄目だと悟った。

 しかし、

「……え?」

 ライオンはダメ男の横を通り、そのまま前のめりに倒れこんでいった。

「……」

 つんつんしても、動かない。

「……」

「こ、これは何があったのです?」

 どっどっど、とポンプが水を押し上げるかのように、ダメ男の全身から汗が滲み出した。と同時に、一気に疲労感が襲ってきた。

 ダメ男はへたり込んでしまった。

 ちらっと周りを見ると、いつの間にか動物たちもいなくなっている。

「大丈夫かあっ!」

「!」

 ちょうどライオンの後方から、人の声がした。三人ほど駆けつけてくる。

「よし、効いてる! ……今からライオンを病院で保護するぞ! 救急隊! 来てくれ!」

 この合図で白衣を来た八人がストレッチャーを二台持ってやってきた。一つは通常サイズで、もう一つは横幅が三メートルはあろうかという特大サイズだ。

 通常サイズには遺体を乗せ、特大サイズにはライオンを乗せた。彼らはそれらを押しながら、あっという間にどこかへ行ってしまった。

「……」

 まるで嵐が通り過ぎていったような早さ。ぽかーんと口が閉じれないダメ男。

 びくっと反応した。急に肩を叩かれた。

「あんた、命知らずか勇敢なのか分かんねえなっ」

 サングラスをかけた肌黒の男だった。四十代前半くらいの少し太めの男で、笑いかけてくれた。

「は、はぁ……」

 しかし、それも第一印象に過ぎなかった。半袖のアロハシャツから伸びる腕は巨木のように太く、胸はボタンがはち切れそうなくらいに盛り上がっている。肩はバレーボールが詰まっているのではというくらいに膨らみ、拳はゴリラのように分厚かった。背丈は大きくないものの、高密度な筋肉を搭載しているのが分かる。……ただ者でないとダメ男は悟った。

「とにかく、被害が最小限で助かった。感謝する」

「あぁ……うん」

 状況を上手く飲み込めない。

 先に気づいたのはフーだった。

「あれ? この方、どこかで見たような」

「ん? どこから声がするな……誰だ?」

 笑いながら辺りを見回す。ダメ男は自己紹介と共に、フーを見せた。

「珍しいもん持ってんだな」

「! 思い出しました! ダメ男、パンフレットですっ」

「え? …………あぁっ!」

 裏面に記載されている写真とその男を合わせると、ぴったりだった。

「ってことは、あんたが国長っ?」

「お、よく知ってんなあ。いかにも、俺がタッシュ・タタッシュ国長だ。よろしく……ねっ」

 “特有”のポーズで決める。

「ふ、ふるい……」

 知っているダメ男もダメ男だった。

 

 

 国のトラブルを解消してくれたお礼として、国長との面談が特別に許された。というより、

「早く来いって! そんなに遠慮するなよ。旅人なんだから、こういうのも何回も経験してんだろ?」

 タッシュ国長が強引に呼び寄せた。

 招待してくれた場所は、意外にもごく普通の一軒家だった。それも八畳しか広さのない、家というよりも小屋だ。そこは木製のテーブルと椅子と本棚しかなく、殺風景だった。タッシュ国長によると、ここは隠れ家的な家だそうで、本拠地を探られないためなのだとか。

 そこに大量の料理と酒が振る舞われた。ダメ男は酒は遠慮した。

「タッシュ国長、ものすごく明るい方なのですね」

「いんや~、こうでなきゃ務まんねーっしょ? 今までみんな鉛でも入れてんのかってくらい重くて暗いツラしてっからさ。たまにはこういうのもアリだろ? なあ?」

「ま、まぁ……たまには……」

 ポジティブというか、とても人懐っこい人だな、とフーは思った。

「でも、ちょうど良かった。聞きたいことわんさかあるし」

「おうおう、何でも聞いてくれ。国長として応えてやんよっ。なーっはっはっはっは!」

 とてもバイタリティのある人だな、とダメ男は思った。

「では、パンフレットを拝見したのですが、この国の歴史についてお尋ねいたします」

「フーちゃん、かたっ苦しすぎっ。もっとラフでいいぜ」

「ごめん、多分フーにとってはこれが一番ラフな口調だと思う」

「ん? それはそれでいい性格だなっ。あっはっはっは!」

 ねじ曲がって聞こえなくもないが、国長の性格上、素直に受け取った。

「まず、どうして他国の文化を取り入れようと考えたのですか?」

「知らん」

「では、それを組み合わせることは当時はとても画期的だったのでしょうか?」

「知らんっ」

「じ、じゃあ、今でも文化を取り入れようとされているのでしょうか?」

「知らん!」

「……」

 にこにこと明るく答えていた。罪悪感の欠片もないがゆえに、あまり責める気も起きなかった。

「いんや~すまない! 実は歴史はさっぱりでなっ。いつもテストで三十点以上取ったことがないんだ。あっはっはは!」

 この人本当に国長なのか? と誰でも疑ってしまいそうだ。

「オレからいいかな?」

 ダメ男が尋ねることにした。おう、と元気がいい。

「この国は色んな人と動物が一緒に暮らしてるけど、これってタッシュ国長の考えなのか?」

「そうだなっ」

「どうして、このような国にしようと思われたのですか?」

 視線を外し、(あご)に手を添えた。

「ん~、何て言えばいいんかな? 色んな考えを持ってる人を迎え入れるのって大切なことじゃん? 自分の知らないことを知ってるわけだし、とても面白いわけよ。俺は別にあんまり深くは考えてないんだけど、仲間が増えてく感じがいいんだな。ダメ男たちはどうよ?」

「……」

「……」

 予想外のまともな意見に、二人して言葉を失っていた。

 あ、あぁ、とダメ男が反応した。

「今、何歳だっけ?」

「俺は今……五十二かな」

「えぇぇっ? うそだろっ! 明らかに三十五歳くらいだろっ」

「嘘じゃねえよ。ほれ」

 ダメ男は名刺をもらった。フーに翻訳してもらい、誕生日が記されていることが分かった。この国は今2014年だそうで、計算すると確かに五十二・三だった。

「若々しい考えだな、って思った。年を取ってくにつれて、考えが偏ってきたりするから、感覚が新しいって思うよ」

「同感です。経験則に頼りきらない思考や判断が、この国を栄えさせているのでしょうね。とても斬新な街並みですし」

「そんなにホメんなよっ。照れんだろうが!」

 にやにやが止まらない。一升瓶を片手にごくりと大きく口に含んだ。

「でも、動物も一緒というのは危険ではありませんか? 実際、被害も少なくなさそうですし」

「それは……あるな。でもよ、普通に考えたら、それって普通のことじゃね?」

「? どういうことでしょう?」

 国長は立ち上がり、ファイルを持ってきた。パッと開いて、ダメ男たちに見せる。

「こういう時は人の話より、客観的なデータが頼りになんだよな。こっちの棒グラフが動物事故で、こっちが人間事故だ。見てみ?」

 全体的な件数としては年間三十件、うち動物事故が十七件、人間事故は十三件と記されている。これは昨年のもので、それ以前も動物事故が多かったり少なかったりと、案外まちまちだった。

「これはうちの国だけかもしんないんだけど、動物が人間を殺すのも、人間が人間を殺すのも大差ないんよ。だから放し飼いにしても問題ないし、動物たちもむやみやたらと畑を荒らしたりしないし。必要な分だけ食べて、必要な分だけ歩いてる。うちら人間が過剰に反応してるだけなんよ」

「し、しかし、先ほどのライオンもそうですが、あのような動物が暴れた時は、被害が出過ぎてしまいませんか?」

「何事もバランスよ」

「え?」

「この国の生態系っちゅーのはごく自然に近いもんだと思う。生態系のピラミッドっで知っちょるか?」

「あぁ、強い動物ほど頂点にいて、数はそれほど多くない……みたいなのだっけ?」

 水をこくりと飲む。

「そんな感じだったよーな。あっはっはっはっ」

 覚えてないんかいっ、とツッコみたくなるダメ男。

「それに当てはめれば、ライオンは頂点に君臨し、数も少ないから被害もそこまで大きくならない、ということですか?」

「そうやな。まあライオンの餌なんて人間だけじゃないしな。だからそこまで被害は大きくはならんよ」

 ダメ男は少し考える。

「うーん……あのさ、人間が動物を殺すってのはないのか?」

 タッシュ国長は手をブンブン横に振った。

「あー、ないない。あってもほんの数件よ。やっぱ色んな考えがあるからなあ。この動物の存在が許せないっ、とかあるわけさあ」

「裁判所できちんと裁くのでしょうか?」

「そんなもん必要ない」

「……え?」

 酒をもう一口、口いっぱいに含む。

「んくっ。……誰が裁くん? 裁くっちゅーこっちゃ、上下関係があるってこっちゃろ?」

「でも、客観的な判断ができる司法がなければ、秩序が保たれないのではないですか?」

「旅人さんはちょっと考えが人間寄りだから、仕方ないんやろなあ」

 ささっと料理に(はし)をつける。

「俺のポリシーは生物平等! 喧嘩上等や! 誰が裁かなくとも、勝手に収まるもんよ。やられたもんの傷はいつかは癒えるし、やったもんはかっならず報いが来る。それはここの住民はみんな知っとるんよ。それはもちろん人間動物関係ない。……知っとるか? 動物も謝るんよ? (こうべ)を垂れて、擦り付けてくるんよ。その気配を感じ取れれば、収まるってもんよ」

「……」

 フーには全く理解ができなかった。

「……いい国だな、フー」

「え? えぇ、そうですね」

 一方のダメ男は感慨深そうだった。

 

 

 その後、今度はダメ男が旅の話を聞かせて差し上げた。国長にとってはとても興味深い内容だったらしく、夕食のお誘いをした。また、この国の移住についても提案した。しかし、ダメ男はこれらを丁重にお断りした。タッシュ国長はとても寂しそうにダメ男を見送られた。

 ダメ男の話に盛り上がり、すっかり夜になっていた。ぽつぽつと輝く星を眺めながら、落ち着いた足取りで宿に戻る。この時間帯では動物は誰もいなかった。

 部屋に入るやいなや。床に寝転がった。

「はぁ……」

「どうしたのです」

「まるで子供みたいに語ってたな」

「はい。ダメ男も語っていました」

「え? うそ?」

「ほんとです」

 顔を両手で覆う。ちょっぴり恥ずかしかったらしい。

「はぁ……なんかあれだなうん」

「“あれ”とは何ですか?」

「うーんと、何て言うかな……あれなんだよ」

「だから、“あれ”とは何ですか?」

 その言葉が思い出せない。

 しばらく思い出そうとした結果、

「やっぱいいや」

 思い出すのを止めた。

「思い出せないということは、ダメ男と同価値のことでしょう。さして問題はありませんね」

「もし、オレの人生を揺るがすほどのことだったらどうするよ?」

「ダメ男と同価値のことですから、何とも言えません」

「ずいぶんと哲学的だなぁ」

「要するに“あれ思うクセに忘れる”です」

「“我思う故に我あり”な。真っ先にオレを貶しに来たなっ」

「貶すほどの価値があるかどうかすら疑問ですね」

「うわ、もうおかずはありませんよ的な絶望感だな」

「“言い得て妙”ですね」

 

 

 三日目の朝。つまり出発の朝を迎えた。ダメ男は日の出前に早めに起きて、荷物の確認をした。

「おはようございます」

「おはよう」

「あらら、今日はきちんと覚醒していますね」

「ばっちり快眠よ」

「残念ですね」

「?」

 ダメ男には知る(よし)もない。

 置き忘れや買い忘れはない。念のためベッドの下や棚の中、浴室も確認したが、問題はなかった。

 黒いセーターを羽織り、チェックアウトをした。

 早かったのか、外は冷えており、白い息が出ている。そんな中でもあの光景が見ることができた。

「お」

 多くの人たちが下に布をしき、土下座するように祈りを捧げていた。とても真剣な眼差しで、とても集中していた。邪魔するのも失礼なので、そのまま素通りしていくことに、

「そこの者」

「な、なに?」

 したが、誰かが話しかけてきた。お祈りをしていた男だった。肌白で六十代後半の男だ。

「一緒にお祈りをしていかんか?」

「……申し訳ないんだけど、急ぎの用があってね。先を急ぎたい」

 にこりと笑いかけた。

「そうか。無理強いはいかんよな。信仰は心からしなければならないと仰せられている」

「へぇ。……そういえば、このお祈りをしてる人たちってどのくらいいるの?」

「この国ではほぼ全員がタッシー様へお祈りをしているよ」

「……」

 (まばた)きを何回かしてから、

「そ、そうなんだ。オレはもう行くよ。お祈りの邪魔して悪かった」

「こちらこそ失礼した。旅人さんにこれからも(さち)訪れるように、タッシー様に祈りを捧げよう」

「ありがとう。じゃ」

 ダメ男はささっと出国していった。

 

 

 太陽が昇り、肌寒かった地上は温もりに包まれた。空では柔らかそうな雲がたなびいている。

 微風が吹いており、独立している林と一緒に緑の絨毯も靡く。さわさわと気持ちのいい音が耳に入ってくる。

 緑のはげた道に、ダメ男はいた。

「ダメ男、正直なことを言っていいですか?」

「なに?」

 フーが切り出した。

「ついさっき、笑いそうになっていましたよね?」

「どうして?」

「タッシュ国長のお話に面白味を感じたからです」

「……え?」

 少し笑っている。

「もし、色んな価値観が存在しているのだとすれば、人間が動物を殺す件数もその他と同じ程度でなくてはなりません。しかし、実際ではその件数が明らかに少なかったのです。“生物平等”と謳っているのに、どうしてなのか分かりますか?」

「ただ単に殺したくないからじゃないのか?」

「その通りです。しかし、気持ちの問題だけではありません。とてつもない強制力が存在していなければ、あれほど差は出てきません」

「うーん……法律で禁止してるとか?」

「あの国には裁判所は存在していません。つまり法律はありません」

「えーっと…………分からん」

 ふふ、と上機嫌なフー。

「先ほどお祈りをしていた方々が関係しています。あの方々が信仰している宗教は、実は動物への残虐行為を一切禁止しているのですよ。地方によっては違いますが」

「そうなの?」

「はい」

「……で、何が面白いんだ?」

「分かりませんか? タッシュ国長は、価値観は全て違っていた方がよく、それを尊重したいと仰っていました。しかし、住民はその宗教を信仰している方が圧倒的に多いのですよ。これって矛盾していませんか? もし、仰っていた通りでしたら、色んな宗教を信仰している住民、あるいは無宗教の住民がバランスよくいらしてもいいではないですか」

「あぁ。言われてみれば」

 一応理解できたが、いまいちピンとこないダメ男。

「それに動物を殺している件数のデータをきちんと取っていないことと、タッシュ国長が動物を殺すことはほぼないと断言していること。この発言からしても、タッシュ国長はその宗教を少なからず信仰していることが分かります」

「うん」

「そしてさっき、信仰されている方がこの国では国民ほぼ全員がお祈りをしている、と聞いた時、“なんだ、その宗教を優先させてるじゃん”と、思ったのではないですか?」

「……ふふ」

 ダメ男もようやく笑う。

「それもちょっと面白い話かもな。でも、フーは相変わらずだよな。何て言うか、フーの笑いのツボって頭が良い人に近いんだよな」

「? では、ダメ男はどこに面白味を覚えたのですか?」

「オレはごく単純だよ」

 一旦足を止める。ウェストポーチからボトルを取り出し、一口飲んだ。

 ふぅ、と一息ついてから、また歩き出す。

「あの人、すごく若いなって思ってたんだけど、よく考えたらおっさんなんだよ。ネタも古かったし」

「?」

「分からないか?」

「えっと………………分かりませんね」

「珍しいな」

「え? え? 何でしょう。とても気になります」

「ヒント、ほしいか?」

「お願いします」

「珍しく素直だな。それほど気になるってことか」

「はい」

「あは、かわいいやつ。……ヒントは“フーの得意技”ってとこかな。総合的に考えれば分かるよ」

「え? ……………………ほんとに分かりませんね。教えてくれませんか?」

 大きく笑い出した。

「じゃあ次の国に着いたら教えてやるよ」

「うわ~、では早く行きましょうよ。というより、今から戻ればいいですよね?」

「あ、せっこ! そういうことはすぐ思い付くんだからっ」

「いくら考えても答えが分からないのですよ! 戻るのが嫌でしたら、ここから北東に二十三時間歩いたところにも小さな村があります」

「うわ、普段の三倍くらい作業が早い……。どんだけ教えてほしいんだよ」

「あ~気になる気になる気になる~あ! 気になるの歌、完成しました!」

「どうでもよすぎ!」

 

 

 


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