フーと散歩   作:水霧

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第一話:たすけないとこ

 森林が無く、岩石と砂しかない山岳地帯。しかもそんな山が四方にいくつも(つら)なっている。標高が高いからか、太陽からの光がより近く強く感じる。

 空は立派に晴れ渡っていた。雲一つない。でも、

「寒い……」

 寒かった。

 砂や石を()けた道が一筋あった。そこに男がいる。黒いセーターのフードを深くかぶり、ファスナーを首元まで上げ、手を(そで)に入れている。(すそ)はダークブルーのジーンズのポケットが隠れるくらいまで長い。

 男は空を(あお)いだ後、歩き出した。履きならした黒いスニーカーは砂埃(すなぼこり)を巻き上げ、虚空に消える。歩く上下運動で背中の黒いリュックがゆさゆさと揺れた。

「この山の先に、村があると言っていました」

 男以外の“声”が聞こえた。若い女の声だが、(とが)った口調で淡々としている。

「本当に?」

「ここで引き返したら、結果は見えていると思うのですがね」

「確かに。けっこうギリギリだからな」

「残量は十八パーセントです。省エネモードに切り替えますか?」

「いや、それは十パーセントになってからにしてくれ」

「分かりました」

 女の“声”の口調は変わらないものの、男は信頼を寄せている。

 そこから数時間歩き、

「見えた」

 山の頂上に着いた。見下ろすと、村が見える。

「やりましたね。早速向かいましょう」

「あぁ」

 

 

 男は村の真ん前にいる。しかし門はなく、まるで警戒心がない。

 若干廃れている小さな村だった。砂や石を固めて作ったブロックを積み上げて作った平坦で簡素な家、凸凹(でこぼこ)の道、ある程度の木々が生えている。家の脇には石や砂が堆積していて、その道を無理やり作っていた。村の真ん中が見えており、そこが広場だと分かった。離れたところからでも街並みが分かるほどに簡素な村だった。

 しかし、そこに住む人々は、

「なんだここ……」

「分かりません」

 笑顔に満ち溢れていた。

 ただし、

「なんでここの村人たちは長袖のシャツ一枚なんだ……?」

「ただ今の気温は十二度です」

 寒かった。それなのに、広場で遊んでいる人々はシャツに薄手のパンツを履いていた。

「案外、温和そうですね」

「そうだな」

「どうしますか、ダメ男?」

 “ダメ男”と呼ばれた青年は、

「突撃!」

 とりあえず村に突入した。

 中心の広場には噴水があり、それを囲むように家が建ち並んでいた。噴水はというと、両手を天に(かざ)した女天使のオブジェがいた。その両手から零れるように水が流れている。何かを欲しがるように見上げている。

 そこで子供たちがはしゃぎ回り、大人たちは談笑しているのを見かける。みんな気候のためか肌が小麦色だった。

「すごいな“フー”」

「何がですか?」

 “フー”と呼ばれた声は尋ねた。

「こんな村だけど、楽しそうだ」

「たまには羽目を外すのもいいと思います」

「そうじゃない。こんな環境下でも、笑ってるんだ」

「だから何です?」

「冷めてるなぁ。……オレだったらどうやって生活しようか悩んでるところだよ。つまり、オレの感覚は贅沢(ぜいたく)だってこと。劣悪な環境でも、人は生活することができるんだ。すごいタフネスだよ」

「なるほど。そういうことでしたか。きっとどこかから支援されていると思いますよ。でなければ、楽しそうに遊んでいられません」

「かもな。……さて、宿を借りて、探索しよう」

「ソうデスね……」

「! 電池が……! やばい!」

 ダメ男は村を駆け抜けると、奥の方に、

「フー、見つけた。頑張ってくれよ……」

 宿があった。そこも民家と同じ作りだが、二つ分大きい。

 玄関と(おぼ)しき入口に入った。

「すみません。誰かいる?」

 中は薄暗い。明かりが無いようだ。

「はい」

 背後から声が聞こえた。振り返ると、二十代後半の女がいた。

「どうしました?」

「ここって宿かな?」

「そうですよ」

「もしよかったら二泊ほど泊まれる?」

「いいですよ」

 ダメ男はその場で代金を支払って、案内してもらった。女は中が暗いのに、何の迷いもなくすたすたと歩いていく。

「ここです」

 何かに手を掛けて、きぃっと押した。

「ここにお泊りください」

「ど、どうも……」

 そして女はすたすたと暗闇に消えていった。

「……フー」

「……」

 返事がなかった。

「予備あったっけかな……?」

 部屋のドアを手探りでゆっくり閉めた。

 暗闇の中でもぞもぞと動き、

「よし、これで大丈夫だな……。明かり点けるよ」

「きゃっ! ダメ男さん、まだ明かりつけちゃいや……」

「おい、バグってるぞ。再起動しておいてくれ」

 ぼうっと灯った。携帯電灯だった。

 白色光で部屋が照らされる。広さは三(じょう)ほど。窓があるが、窓は何かの板で閉められている。もはや“穴”だ。しかも布団ではなく、(わら)を編んで作ったカーペットだ。それ以外は何も無かった。ちなみに、ドアは木製で、ベニヤ板のように薄っぺらかった。

 ダメ男は窓の板を押した。ぐいっと板が上がり、何かに引っ掛かった。これで“穴”が空いたようだ。

「光……」

 試しに電灯を消すと、窓から入る光だけで部屋が見えた。

 無言で強く頷く。

「しかし、鍵があっても意味が無いですねクズ男」

「直ったようだな」

「気持ち悪いですね。さっさと荷物を持って探索してくださいゴミ男」

「寝起きの悪さもいつも通りだ」

 ダメ男は荷物を全て持って、宿を出た。

「うーん……すごい……」

「先ほどから感動してばかりですね」

「だってこういうことなかったしな」

「確かに何かと贅沢していたことは否定できませんが、文化の違いというものがあります」

「その文化に感動してるんだ」

「ダメ男は本当に感動屋さんですね」

 ふとして、

「あ」

 子供が転んだのが見えた。急いで駆け寄った。

「大丈夫か?」

「へーき」

「でも、けっこう血が出てるぞ。処置しないとバイキンが入っちゃう」

 (ひざ)小僧が血だらけになっていた。砂利のせいで、傷が深くなってしまったようだ。

 ダメ男が触ろうとした。

「いいの!」

 しかし、走り去ってしまった。痛む足を引きずりながら。

「……」

 ぽかんと口が閉まらなかった。

「かなり無理をしていましたね」

「ちょっと様子が違うな。あんなに拒絶されたことないぞ」

「ダメ男は存在が不審者ですからね。怪しい人から逃げることを優先したのかもしれません」

「別に取って食おうとしたわけじゃないし!」

「知っていますか? 不審者には挨拶した方がいいらしいですよ。それがかえって相手を(ひる)ませるらしいです」

「どんだけ不審者なんだよ」

「気を取り直して、探索を続けましょう」

「……」

 今度は、

「え?」

「あらま」

「いやあぁぁ!」

「待てやこら!」

 女が男に襲われていた。

「温和ではなさそうですね」

「うーん……」

 女が押し倒された。

「やめて……おねがい……」

「あぁ? 知るかよ。さっさと服を、」

「ちょっといい?」

 男の背後にはダメ男がいた。肩をぽんぽんと叩く。

「なんだてめ?」

「旅の者だよ」

「かまうんじゃねーよ!」

 ダメ男の腹に肘鉄(ひじてつ)をぶちかました。どすんと鈍い音がした。

「!」

「いった! ったく、穏やかじゃないなぁ……」

 男の表情が一瞬険しくなった。それは肘に残った感触が教えてくれたからだ。分厚いゴムを殴ったような感触。むしろ男の肘がじんじんと痛む。興奮のあまり思い切りぶちかました肘鉄を何の苦にもせず、へらへらしている目の前の男。

「当たり前ですよ。今この女性を襲おうとしているのですから」

 腕っ節に自信があったのか、男は女から離れ、ダメ男に対峙(たいじ)した。白のタンクトップに半ズボン、無精髭を生やし、体毛が濃かった。まさに悪人面をしている。

「ほら、今のうちに逃げて」

 ダメ男がそっと声をかけた。女はぺこりと頭を下げて、脱兎の(ごと)く駆け出していった。

「ち、運のいいやつだぜ。こいつが来なきゃよかったものを……」

「そうはいくか。とんでもないこと仕出かそうとしてるやつがいるのに」

「俺はついてないぜ」

「さっきから何言ってんだよ?」

「なんだ、知らずにのこのこやって来たのか? かぁ~! まぁそうだよな。知ってたらほっとくし……」

 ますますついてないぜ、と言いたげに頭を抱えて溜め息をつく。

「この村が何だっていうんだ?」

「この村はな、たとえ誰が襲われようが盗まれようが、助けない村なんだよ!」

「……助けない?」

「そうさ! だから俺があの小娘を×××しようとしても、誰も助けなかったろ? 見て見ぬフリしかできない弱っちい村なのさ!」

「……」

 ダメ男はゆっくりとセーターの中に手を忍ばせた。

「弱いからって何してもいいのか?」

「当然! 弱肉強食はどの世も常だろ?」

「……そう」

 諦めの呟きには、憤りが織り込まれる。

 取り出したのはナイフだった。(つか)は網目の黒いフレームに透明な膜が貼ってある。中に刃が収納されていて、先端のボタンを押すと、刃が飛び出してカチリと固定された。お尻の部分には黒い毛玉が鎖で繋がれていた。

「おいおい、そんな物騒なもので俺を殺そうってのかよ?」

 男は“それ”を見た途端、後退(あとずさ)りを始めていた。しかし、それを意に介さないダメ男。ずんずんと詰め寄っていく。

「お前も旅人だろ? なにマヌケなこと言ってんだ」

「ここからはダメ男の時間ですね」

 ダメ男は走った。ナイフを握り締めて。

「やめてくだされ!」

「!」

 しかし老人がダメ男にタックルしてきた。倒されはしなかったが、勢いを止められた。

「あんた誰だ!」

「やめてくだされ! 争いはやめてくだされ!」

「誰だか知らんけど、……!」

 ふと気付くと、前には逃げていく男の背後があった。あっという間に見えなくなった。

「ここは助けない村じゃないのか? なんであの男を助けたんだよ!」

「いいのです。それより、あなた様の血が流れる方が見るに耐えんのです! どうか、ご理解をっ」

「……わかった」

 ダメ男はナイフをセーターにしまった。キッ、と逃げていった方を(にら)み付けると、老人に会釈して立ち去った。

 

 

 夜。半分より少し欠けた月から明かりが降り注ぐ。そのおかげか、

「少し暗いけどいいか」

 部屋はぼんやりと見えた。

 ダメ男は宿に戻って夕食を済ませていた。夕食は野菜をぶった切りにして作ったスープだった。

「なんか嫌な村だよな。あの女の子助けないで、あのヤローをかばうなんて……」

「前の村とは少し違いますね」

「でも、“あれ”がなきゃここも平和なんだよな」

「そうですね。少し貧しいですが、平和だと言えます。もしかすると、無血的な解決法を探っているのかもしれません」

「なんか複雑だなぁ。……オレだったらほっとけないよ」

「そうでしょうね。ダメ男がこの村に住むことになったら、おそらく数十分で追放されるでしょう」

 リュックから袋を取り出し、中身を出した。丸い容器が何個かと汚れた布だった。それから、服の中からナイフと何かを出した。それは四角い蝶番(ちょうつがい)で、暗い水色をしていた。部屋が暗いせいだ。

 まずは容器を開けて布を浸し、ナイフをお手入れしていく。

「どうしますか?」

「何が?」

「すぐに出発しますか?」

「そうだな……。何日かお世話になろうと思ったけど、むしろ迷惑になりそうだ」

「ダメ男は何気に喧嘩っ早いですからね。煽られるとすぐにカッとなります」

「悪かったな。これでも抑えてる方なんだけど」

「中二病発言ですね」

「うっさいわっ」

「ほらまた怒ります」

「……」

 ダメ男は蝶番にデコピンをくらわした。

「いたっ」

 痛がった。どうやら蝶番は“フー”のようだ。

「お手入れしてやんない」

「えっ! それは困ります。ダメ男の汗がベタベタで気持ちが悪いのです」

「どうしよっかなー」

「うぅ、ひどいです」

「……」

 ナイフを置くと、フーを手に取った。

「ほら、今度フー」

「ありがとうです」

「オレは綺麗好きだからな。ただそれだけだ」

「そういうことにしておきます」

「うっせ」

「はい」

 もくもくとふきふきしていく。

「ところでさ、思ったことがあるんだけど」

「何でしょう?」

「あのおっさんさ、タンクトップで半ズボンだったよな?」

「そうでしたね」

「……寒くないんかな?」

「そういえばそうですね。辛いものを食べていたとか、新陳代謝が良いとかではありませんか?」

「うーん、人間って不思議だな」

「そうですね」

 

 

 翌日の朝。

「ん? ふあぁ……んん……」

 ダメ男は起きた。いつも通り日の出前に起きる。

 標高が高いためか、より一層寒く感じる。まるで真冬の夜空の下にいるかのようだった。

 軽く身体を動かしつつ、

「おはようございます」

「おはよう」

 フーに挨拶した。

「よく眠れました?」

「びみょ……」

「少し眠そうですね」

「うん。でも大丈夫だろ……」

 ダメ男はセーターを脱いでナイフを手に取った。

「寒中水泳じゃないけど……おっわさっむっ! 目さめたわ!」

「現地の人でない限り、ロングシャツ一枚では厳しいですよ」

「身体を動かせば、あったまるだろ」

 いつもの練習をした。敵を想定したシャドーボクシングのようで、敵の急所を的確に切り裂いていく。その動きは踊っているようだった。一頻(ひとしき)り終えたところで、水を(ひた)したタオルで汗を(ぬぐ)う。

「お風呂はさすがになかったですからね。せめてお湯があればいいのですが」

「“心頭を滅却すれば”ってやつだ」

「あぁ、“ダメ人間になる”ですね」

「いや、滅却ってそういう意味じゃないから」

「これは少し強引でしたね」

 ダメ男はリュックから着替えを出した。黒いジャケットに黒いショートシャツ、黒いパンツだった。

「さて、ダメ男の気持ち悪い顔面を堪能したことですし、出発しましょうか」

「まだ着替え終わってないから」

「早くしてください、ヘンタイ」

「言われなくても」

 荷物を整理して、忘れ物をチェックする。

 そして宿を出た。

 

 

 天気は相変わらずの快晴。だが、朝早いのか身体を(つんざ)くような寒さだった。

 ダメ男は凸凹の道を歩きながら、もそもそと何かを食べていた。どこかで買ったクロワッサンのようだ。両腰にあるウェストポーチの片方に、袋で包まれたクロワッサンが大量に入っている。ぎゅうぎゅうで潰れていそうだ。

「食べ歩きは素行がよろしくありませんよ」

「あそこのパン屋、めっさ美味いからさ」

「いや、別に関係ないですし」

「うーん、分かった。ちょっと待ってて」

 クロワッサンを無理やり口の中に詰め込んだ。それも四つほど。

「ほへへいふぃはろ?」

「そうですね。あなたは本当にお馬鹿さんだということが分かりました」

「はんはほ? はっへフーは、」

「分かりましたから、きちんと食べてから話してください。汚いし気持ち悪いです」

 ダメ男はもぐもぐと食べていった。別のポーチからボトルを取り出し、こくりと一口飲んだ。

「ふぅ! おいしかった」

「よかったですね」

「フーも食べたかった?」

「いいえ。もう何日も前のものですからね。腐っているのではないかと思います」

「腐りかけがちょうどいいのよ」

「それが言えるのは野蛮人であるダメ男だけですから、絶対にマネしては駄目ですよ」

「ぎりぎり腐ってないって!」

「ダメ男は腐りきっていてどうしようもありませんけどね」

「ぶん投げてやろうか?」

「ここに戻ってくるのはしんどいでしょうね。まぁ、ダイエットの一環だと思えばいいでしょうけど」

「く……おさえろ、オレの怒りよ……ここで踏み外してはだめだ……」

「もう一回踏み外しましたけどね」

 そうやって談笑していると、広場に着いた。そこには大勢の村人がいた。何やら歓声を上げている。

「なんだなんだ? 祭りか? 人多すぎて見えないぞ」

「なら、先に確認させてください」

「うん」

 ダメ男は首飾りにしていたフーを持ち上げた。

「なんか見えるか?」

「昨日の男が見えます」

「へぇ~ってどういう状況だし!」

「死んでいます」

「……え?」

 ふざけていたダメ男だが、表情が一変した。

「天使の銅像の腕が男の腹を貫通しています。掲げている手から水が流れていますが、男の血と混ざって噴水が赤くなっていますね」

「……」

 つまり、誰かが男を殺し、村人が歓喜していたということだった。

「どうしました? 腹()せは済んだでしょう?」

 怒っているとも悲しんでいるとも見える表情。とても複雑そうだった。

 ダメ男はその広場を避けるように、村を抜けようとした。あと数歩で村を抜けるというところで、

「お待ちくだされ」

 昨日の老人が声をかけた。

「なに?」

「昨日はありがとうございました。私の娘を助けていただいて」

「じいさんの娘さんだったのか。まぁ、よかったな」

 立ち去ろうとするダメ男をフーが呼び止める。ムッとするが、フーに従うことにした。フーには尋ねたいことがあった。

「ご老人、もしよければこの村のことについて教えていただけませんか? いろいろと不可解なことがあって納得がいっていないようなのです」

「分かりました。立ちながらではなんですし、私の家に、」

「いやいい。ここでいいよ」

 ダメ男はリュックを地べたに下ろした。

「そうですか……。この村はあの男が言うように助けない村です。昨日のことを思い出してくだされば分かるはず」

「うん」

「でも、あれは稀なことなのです」

「? どういうこと?」

「昔は、犯罪に絶えない村でした。他の村から金品を奪い、人を殺していたのです。その結果、他の村が滅んでしまいました。それで当時の村長は考えたそうです。このままでは村の中で殺し合いや奪い合いが起こるのではないかと」

「それまでは全くなかったのですか?」

「ないわけではないですが、次第に増えていったようです。それを防ぐために考案したのが、誰も“助けない”という決まりなのです」

「少し分かりかねます。誰も助けないということは、犯罪し放題ではないのですか?」

「もちろん、最初はそうでした。しかし、それはやったらやり返すというのもありなのです。なので、奪ったら奪い返す、殺したら別の人間が殺し返すのが村の中で繰り返されていきます。そうやって何年も続いたのです」

 老人の目に、薄っすらと涙が。くっ、と指で払い落とした。

「なるほど」

「それで効果はあったのですか?」

「今では一件もありません」

「一件も?」

「はい。一件も」

 老人は断言した。

「そうなったのは三十数年後です。疲れ果て困り果て、(むな)しくなったのでしょうか、犯罪が止みました。助けないことが逆に平和を取り戻したのです。それ以降、助けないことがエスカレートし、昨日のような出来事になるまでに……」

「すごいな」

「逆転の発想ですね」

 ダメ男は先ほどの機嫌が嘘のように直っていた。素直に感心していた。

「人は誰かを助けると、同等の助けを多くの人に配らなければなりません。しかし、それは究極的に難しい……。どうしても差が出てしまい、その差が争いの火種となる。ならば逆に助けなければどうかと考えたのが私の祖父でした。祖父も志半ばで殺されてしまいましたが」

「でも、あの男は助けたよな?」

「いえ、実はあの直後に村の者に拘束させました」

「え?」

 びくりと老人の方を見てしまった。

「旅人さんが翌日、つまり今日出発すると聞いて、早めに処刑したのです。この村はしっかりと生きていけるということを示したかった……。それに、旅人さんに余計なことをさせてはいけないと。ずいぶんと疲れていらしたようだったので」

「ってことは、オレらの会話を聞いてたの?」

「いえ、ここに来る旅人さんはだいたいそう思うようですから」

「……」

「奇跡の村ですね」

 ダメ男はリュックを持ち上げた。

「オレ、勘違いしてた。もっと別の方法があったんじゃないかって思うんだけど、そういう経緯があったなんて。……謝るよ、ごめん」

 ダメ男は老人に頭を下げた。しかし、老人はダメ男の両肩を掴み、頭を上げさせる。それは違います、とゆっくりと頭を横に振っていた。

「……あなたは素直でお優しい。だからこそ村のことを気にかけ、私の娘を助けてくれたのです。むしろ礼を言うのはこちらです。ありがとうございます」

 老人はダメ男の手をぎゅっと握ってくれた。骨と皮しかなく、がさがさとしている。それなのに、ほんのり温かくて力強かった。

「じゃあ……すごい話も聞けたことだし、行くか」

「はい」

「お気をつけて!」

 老人はダメ男を見送った。見えなくなるまで。

 

 

「あまり栄えた村じゃないけど、哲学的だったな」

「そうですね。むしろ栄えすぎていないおかげで、あのような村になれたのかなと思います」

 快晴の下、山を下っていた。見渡すと、歩く方に森林が見え始めている。

「やっと見えた」

「そうですね、ん?」

「どうした?」

「このまま下った先です。何か聞こえませんか?」

「んー……」

 下っていくと、崖のように山が切れ、その下から山が続いていた。つまり、そこには横に広い洞窟(どうくつ)がある、と考えた。

 何か泣き声が聞こえる。

「子どもの泣き声だな」

 ダメ男はゆっくりと下りて、洞窟の中を見る。浅い洞窟の中には二十代の女と赤子がいた。女は長い布を身体に(まと)ったような格好で、赤子を服の中で抱えていた。

 ダメ男たちを見るや、背中を向けた。震えている。

「おびえてるな」

「そのようです」

 ずんずん近づいた。

「お願いします! この子だけは、この子だけは……!」

「何か勘違いしてるようだけど、オレは旅人だ。あんたを襲おうなんてしないよ」

「た、旅人……?」

「はい。心配ないですよ」

「……よ、よかった……」

 女はダメ男に抱きついた。相当怖かったらしく、赤子と一緒に泣いてしまった。

 照れくさそうに、一旦引き()がす。

「もう少し登れば村がある。これも何かの縁だし、そこまで案内するよ」

「本当ですか! ありがとうございます! ……ありがとう……うぅ……」

「いい村だよ。誰も助けてくれないからな」

「……? それは……いいことなんでしょうか……?」

 女は涙目で不審がっている。

「ごめんごめん、傍から聞くと変なこと言ってるな。でも心配しないでくれ。いい村なのも保証する」

「そ、それなら……信じます」

 ありがと、とダメ男は笑いかけた。

 ダメ男は女を連れてゆっくりと山を登り直していった。ちなみに、赤子を抱かせてもらったらそのまま眠ってしまったので、ダメ男が抱えていくことに。

 女はぱぁっと明るくなっていた。

「やっぱオレは数十分で追放だな、フー」

「そうですね」

 ちょっぴり可笑しくて、笑みを隠せなかった。

 

 

 


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