フーと散歩   作:水霧

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第八話:たいせつなとこ・b

 チェックアウトを済ませ、宿の入り口前で、

「それじゃ」

 アカルと別れた。それを見送る二人。

「……おわなくていいの?」

「えぇ。こちらが付きまとう理由はありませんから」

 二人は反対方向へ歩き出した。

「きょうでここもおわかれだね」

「まだ早いですよ。本当なら今朝にでも出立したかったですが、先約がありますからね」

 約束の時間より十分ほど早く教会に着いた。中ではシスターが誰かと話しているのが見える。二人を見かけると、

「おはようございます。ようこそ、いらっしゃいました」

 こちらへ駆け寄ってきた。にこやかだった。

「えぇ、おはようです」

 挨拶は意外に少なかった。

「あの方が?」

「はい。それではお願いします」

 入って一番右奥の座席にいた。他の人間は一人もいない。こちらを見かけると、駆け寄ってきた

「申請しに来た方々ですね?」

「……」

 無精髭の男だった。正装……とはほど遠い、みずぼらしい格好だ。(あか)が酷くボロボロの長袖に、穴だらけのくすんだ青いパンツ、薄汚れた靴を履いている。見た目からは関係者には見えない。しかし彼の言葉遣いと顔付き、雰囲気を感じ取ると、第一印象はあっさりと崩れ去る。すぐに悟った。

「申請ってまでではないですが、シスターに紹介はされました」

「それだけで結構。して、そちらの“お嬢さん”はどうされますか? 正直、思わしくない光景を目にしますが」

「んっ」

 ディンの腕にしがみつく。にこりとした。

「分かりました。では案内します」

 男に付いて行く。教会を出て、どこかへと歩いて行く。

 相変わらず街は騒々しい。

「その格好はカムフラージュですか?」

「しっ。その話は今はよしましょう」

「?」

「ここらの連中はアンテナが鋭いのです。会話や挙動を観察しているだけで金の匂いを嗅ぎつけてくる……」

「は、はぁ……」

「まずは街案内を致しましょう。旅人さんは何かと方向音痴が多いようですから」

 急な話題転換。計略ということらしい。

 とっくに街は歩き回っているものの、現地人の案内はさすがだった。どういう所かの解説付きだからだ。特に歴史に興味が薄い二人だが、なんとなく引きこまれているような気がする。

「この国が誕生したのは今から百年前。戦争で一回滅びています。直接参加したわけでなく、主に武器や食料といった物資を備蓄する、言わば基地として成り立っていました。その火の粉を浴びて滅びたわけです。しかし、科学技術が目覚ましい国でしたから、崩壊後もその技術をさらに改良し、発展していきました」

「ここまでよく発展しましたね」

「終戦後、わずか二ヶ月で経済成長を始めましたからね」

「はぁ……」

「しかし、戦争の傷というものはとても深く鋭い。国民は愛する家族を多く失いました。無関係の人間という概念が存在しないのが戦争ですから、仕方がありません。あまりのショックに精神崩壊してしまった人も数知れず……。もはや修復不可能かとも思われた」

「それで開発されたのが死者を蘇らせる技術……ですか」

「その通りです。失ったのだから取り戻せばいい、というごく単純な考えです」

「戦争後の話はよく聞きますが、ここまで直線的な思想は耳にしないですねぇ」

「ええ。ですから、この技術は我々の血と涙と歴史で編んだ誇るべき技術なのです。常識的にはありえないと思いますがね」

「……人間蘇生法はどのくらいで完成したんです?」

「えーっと…………戦後二十二年くらい、寒い時でしたなぁ」

「? ……すごく早いですね」

 こちらです、と裏道へ入っていく。

 そこはただの民家だった。どうぞと招き入れられても、何ら変わりない光景。階段やらお風呂やらリビングやら、何の変哲も無いただの家。さらに案内されたのは、

「……トイレ?」

 トイレだった。何の変哲も無いはずの家に、唯一変わったところがあった。十人くらい入っても余裕があるくらいに広かった。トイレにしては異常な広さである。

 男は慣れた手つきでペーパーホルダーを外すと、

「!」

 上下矢印のボタンが現れた。ペーパーホルダーより小さかった。くっつけている時では陰になって見えない。

 下向きのボタンを押す。

「お」

 予想通り、急に浮遊感を覚えた。トイレはエレベーターになっていたのだ。

「ここまで仕込んでいるとは……」

目敏(めざと)いのが多いんですよ。ここはそういう街ですからね」

 色彩豊かな壁紙が上の方へ離れていき、代わりに真っ黒な壁が続く。ここまで光が届かないようで、落とし穴にゆっくり落ちていくような気分だった。

 一定速度だったのが、やがて徐行になり、止まった。到着のようだ。

「開けてくれ」

 ひゅんっと背後で音がした。開くに(なら)って光が入り、真っ黒な壁の正体を見せる。コンクリート壁だった。

 そして暖気が包み込む。空調が効いているようだ。

 振り返ると、研究所っぽい、現代的な光景が見える。マス目の敷かれた白い天井に蛍光灯がビカビカと照らす。床は暗い水色のゴム系床で、壁はやや黒みのある白だった。そこを、白衣を着た研究員があちこちから通り過ぎていく。

 ナナはずっとディンに掴まっていた。

「行きましょう。ちょっと過激なところもありますから、辛くなったらお声をかけてください。休憩所を案内しますから」

 通路は左右と真っ直ぐ。男はみずぼらしい格好のまま直進していく。

 突き当りには頑丈そうな鋼鉄扉があった。その脇には何かの機械がある。赤いランプが点灯している。

「この奥で行われています」

 話しながらカードを取り出し、機械に通す。赤かったのが緑に変わると、鈍い開錠音がした。

「どうぞ」

「!」

 異様な光景が目に飛び込んできた。

 溶液の入ったカプセルが何列も整列している。生半可な数ではない。一番端にあるカプセルが豆粒に見えるくらいに伸びており、二人分くらいの間隔で並んでいる。奥行きは見えなかった。

 カプセルその一つ一つに研究員が取り掛かっている。バインダーに何かを記していた。

 そして、カプセルの中はというと、

「……これは……?」

 裸の人間が“多かった”。老若男女問わずにカプセルに収められている。溶液も入っており、色は様々だ。

 男が歩き出す。慌てて追いかけた。

「……なにこのまるっこいの?」

 ナナが急に止まる。男がそれに気にかけたようで、こちらに寄ってきた。

「まっまさか、受精卵から……?」

「さすが旅人さん、知識がお広い」

 丸いつぶつぶが球体の中でゆっくりと動いている。一つが二つに、二つから四つに。つまり分裂しているのだ。

「この溶液は段階によって分けられています。受精卵、胎児、そして乳幼児……。さらには年齢や性別によって微妙に変えているのです。主に成長を早めるためです」

「つまりえーっと……培養しているわけですか?」

「その通り。こうしてそっくりの人間を作り出すのです。“クローン技術”……聞いたことありませんか?」

「ちらちらとは」

 再び歩き出す。

「しかし、これには重大な欠陥があります。それは同じ個体を作り出すことはできても、亡くなった方の記憶を引き継げないことです。つまり、見た目が同じでも中身が違うわけです」

「じゃあその偽物を依頼者に託しているんですか?」

「もちろん違います。記憶もほぼ完璧に引き継いでいますよ」

「どうやって?」

「ここはあくまでも第一段階。この奥の部屋で第二段階が行われています」

 カプセルに気を取られながら歩いて行くと、壁と扉が見えてきた。同じように扉脇にあの機械がついている。

 カードを通し、解除した。

「さあ、行きましょうか」

 扉を開く、

「……うぅ……」

「ちょっといいですか?」

 前に声をかけた。

「大丈夫ですか?」

「うぅ……」

 ナナが袖を引っ張っていた。立ち(すく)んでいる。

「女性には辛い光景でしょう。……女性研究員に休憩所を案内させましょう」

「……」

 ディンは眉を(しか)める。

「大丈夫ですよ。ここで拉致(らち)監禁などしても、こちらには何のメリットもない。むしろ我々なんぞよりも、あなたの方が俄然(がぜん)強い。研究所というのは実に(もろ)い場所ですから」

「……分かりました。信用します。……お願いしたい」

 男は近くの女性研究員に話しかけ、ナナを連れてどこかへ案内しに行った。

 心配そうに見送る。

「ここで立ち去って頂いたのは都合がよかった」

「?」

「この先はもっと過激ですから」

 扉を押し開けた。

「!」

 ディンは思わず、口を手で覆ってしまう。

 さらに異様な光景だ。一直線の通路を挟むように、ガラス張りの部屋が並んでいるのだ。部屋に沿って横道もあり、そちらも同じような部屋が。

 異様なのは部屋よりもその中だ。

「す、すごいですね……」

 緑の衣服を着て、何かをしている。ある部屋では血飛沫が舞い、ある部屋では怒号が聞こえる。

「この部屋は……?」

「手術部屋ですよ」

 ちらりと見えた。頭を(のこ)で削り切っている。溢れるように血が流れ、粉末が漂っている。そして中身を……。

 びくんと身体が大きく揺れた。

「う……」

 力強く口を押さえこみ、無意識に膝が崩れた。

「大丈夫ですか?」

「……えぇ。あまり見たくないものですね……」

 チカチカと脳裏に(よぎ)る嫌な記憶。

 ディンは深呼吸を一回だけして、立ち上がった。

「で、ここでは何をしてるんです……?」

「ここでは脳に記憶装置を取り付けているのです」

「記憶装置……?」

「はい。遺族からいただいた生前の大量の記憶データを脳に入れているのです」

「?」

「簡単に言えばメモリーカードを差し込むのと同じです」

 ポケットから取り出したのは、黒く四角い物体だった。それを手渡してくれる。物が入っているのか思うくらいに軽かった。

「これが……メモリー、カードですか」

「はい。記憶装置には対象者のデータが入っています。例えば魚が好き、肉が嫌い、恋人は誰で……といった具合に。もちろん無限大には入りませんから、特徴的なデータを厳選、それを電気刺激に変換し、脳に送るのです。そうすると、成功確率は低いですが、生前とほぼ同じ状態を実現できるのです」

「……そんなことが……しかし失敗したら……」

「いえ、必ず成功します」

「え?」

 とある部屋へ案内された。隣り合わせの二部屋だが、ディンはすぐに気がついた。

「同じ人?」

「そうです。第一段階で同じ人間を大量生産すればいい。そして大量に試せばいい。そうすればいつか成功する個体が出てくるので、成功体を遺族に託せばいいのです」

「……」

「遺族からすれば一発成功と思うでしょうけど、実際は何回も試しています。ですから“必ず”成功するのです。実質、この方法で何万人もの死者を復活させました」

「……ではその代金は……」

「べらぼうに高く設定しています。しかし、儲けるためだけではありません。時間稼ぎと蘇らせたい気持ちを計っているのです。いくらお金をつぎ込んだとしても、大切な人ならば惜しくないはず。そんなことで尻込みしているようではその資格はない、と見なしています。我々は慈善事業をしているわけでないので、勘違いされる方も多いですがね」

「なるほど。地上の(すさ)み具合も納得ですねぇ」

 さらに奥へ案内される。同様に解除した。

「そしてここが最終段階です」

「最終段階?」

「今までに比べれば簡単です」

 入ると、真っ白な光景が広がっていた。輪を作るように長机が何個も設置され、椅子が付属している。左右に扉がついており、それぞれに研究員が立っていた。

 何人もの老若男女が机に向かって何かを書き込んでいた。眼前には用紙が一枚、それに集中している。

「……テスト?」

「そう。生前の状態にどのくらい近いのか、それぞれテストしています。事前に遺族の方に作成してもらい、点数で九十五点以上の者が合格となります」

「外れた人たちは?」

「殺処分……というわけにはいきません。中身は違えどちゃんとした人間ですから。整形手術を施してから、地上で自由に生活してもらいます」

「……じゃあ、地上で生き返った人間がいるとっ?」

「ええ。生活に馴染みすぎて、そんな面影すら見えないでしょう。ちなみに記憶装置をメモリーカードと表現しましたが、それは記憶を蓄積する機能もあるからです。その者たちは装置を外されるので重要なデータは残らない、つまり遺族からのデータと研究所での記憶は完全に消去された状態になります」

「問い質しても知りはしないわけですか」

「はい。当然、生活能力はありますけどね」

「……なまじ嘘でもない、かもしれませんね」

「信じていただけましたか?」

「……」

「それでは本題に移りましょうか」

 

 

「うぅ……」

「大丈夫?」

 真っ白のベッドに真っ白の机と椅子。それだけのとても簡素な部屋だった。

 ナナがベッドで横になっており、研究員が連れ()っている。

「彼氏、呼んでくる?」

「いい……。これいじょう、めいわくかけちゃやだから」

「! あなた……」

 そこにディンたちがやって来る。見かけた研究員は真っ先に尋ねた。

「あの、この方……」

「少しその……病んでしまって」

「そうでしたか。……では私はこれで……」

 一礼して、部屋から立ち去った。

 ディンはナナに安否を確かめる。気分がまだ優れないようなので、上体を起こさせるだけで、ベッドに腰掛けさせた。

 ディンの肩に寄り添う。

「さて旅人さん、誰か生き返らせたい方がいらっしゃるのですか?」

 こくりと固唾(かたず)()んで、

「……彼女の弟です」

「!」

 答えた。

 ナナはゆっくりとディンの顔を見つめる。苦々しい表情だった。

「お連れの方の症状と深く関係しているのですね?」

「……はい」

「では、これからはとても重要な話になります。弟さんの記憶を形成します。なので、弟さんの人柄だけでなく、過去の話も知っている限り全てお話しください。お辛いとは思いますが……」

「……これは私が関われる話ではありません。彼女に承諾を得ないと……」

「分かりました。……お連れの方、ええと、お名前は?」

「…………………………」

 ナナはディンの背中に隠れる。目も合わせてくれない。ディンは慌てて、

「“アン”です」

 名前を告げると、

「いっだ」

 ディンの脚を蹴る。そして脇腹をぎゅっとつかむ。

「アンさん、弟さんのことについて教えていただけませんか?」

「や」

 ディンの陰から一文字だけ。それも即答。

「すみません。そういえばしっかりと相談していませんでした」

「……いいですよ。ここでお話しするといいでしょう。具合が良くなったら近くの者に声をかけてください」

「すみません」

 男は部屋から出て行った。

 静まり返ってから、

「だからここにきたの……?」

 問い(ただ)す。

「……ナナさん、よく聞いてください。……私はあなたが良くなってほしい。そのためには弟さんを蘇らせて、当時のことを話してもらうおうと考えたんです。私も許せない、自分も許せない、それなら弟さんに、」

「やだ」

「!」

「そんなのぜったいやだ」

 ナナの肩を掴む。

「自分勝手なのは分かっています。……しかし、弟さんを生き返らせる以外の方法は……“僕”が死ぬしか、」

「それもやっ!」

「……ナナさん、どうして……? ……僕はどうしたら……」

「おとうとがいきかえってもおとうとじゃないもん」

「? どういうことですか?」

「つくりものはいやっ」

「作り物じゃないんです。弟さんの身体の一部を持ってい、」

「そんなんじゃない! にんぎょうじゃないもん!」

「……しかし……」

「かってにしぬのもゆるさない。これいじょうおとうとをおぼえてるひと、へらしたくない……」

「!」

 奥の歯をぎゅっと噛み締める。今にもなき、

「どうしたら……どうしたらいいんですかっ? 生き返らせない、死なせてくれない! どうしたら許してくれるんですかっ?」

 ……迫る。一息で言い放ち、胸が苦しい。

 顔をナナに(うず)めた。

 ディンの頭をきゅっと抱き寄せる。

「ずっとゆるさないよ」

「……え?」

「ずっとゆるさないし、おとうとをにかいもころさせない。ずっとずっとナナのためになやんでてもらうんだから……」

 急に頭を上げ、

「そ、それって……ナナさん……もしかし、ん?」

 ディンの唇に、そっと人差し指が触れる。優しい笑みだった。

「ナ、ナさん……?」

「……おそらがみたい」

「…………分かりました」

 胸の部分が湿っていた。

 

 

 休憩室を出ると、ドアの近くに研究員がいた。先ほどの男を呼ぶように頼むと、ちょうど男がやって来た。

 ディンは決断ができたと休憩室に入ってもらう。いつものおちゃらけた表情だった。

「して、どうしますか?」

「……生き返らせるのはやめます」

「……そうですか。理由は聞かないでおきましょう。表情を見れば、その必要がないのが分かります」

「申し訳ない。ここまで案内してもらいながら……」

「いやいや。……さて、そこで誓約書にサインをいただきたい」

「口外許さず、ですね?」

「ええ」

 用紙をポケットから出した。折りたたまれているのを直し、内容を見る。要約すると、ここで得た情報全てを一切漏らさないこと、となっている。それにサインした。

 お互いに礼を告げると、ディンたちは来た道を外れてエレベーターへ向かう。その途中、

「……!」

 一人の子どもとすれ違った。短めの黒い髪型、小麦色の肌、それに、

「アカル……?」

 真ん丸の目付き。

 その子はこちらに振り向いた。別の研究員と一緒だった。

「旅人さん、面識があるのですか?」

「え、えぇ。そっくりな子を街で……もしかして双子?」

「きっとそうでしょう。私は把握しきれていませんが、そういう方も少なくありません」

「……では我々はこれで失礼します。ほら行くぞ」

 (うなず)きもせず、一緒に歩いていった。終始、ディンのことを睨みつけていた。

 例のエレベーターに辿り着き、

「おぉう」

 乗り込んだ。

 そろそろ地上に着こうという時、男が突如話しかけてきた。

「“ドッペルゲンガー”というのをご存知ですか?」

「え? 確か……自分と同じ人間が四人いるとかで、その人物と出会うと死んでしまう……って話ですよね?」

「そうです」

「それが何か?」

「我々は同じ人間を何度も創り出しては失敗して殺している。この意味が分かりますか?」

「いや、きついなぁとしか……」

「それも当たっています。それと、目の前でドッペルゲンガーを創り出しているんだなって思うと可笑しくってね」

「え?」

「都市伝説が本当なら、目の前で死んでもおかしくないでしょう?」

「あぁ」

「でもね、あながち間違いでもないかなとも思うんです。つい最近ね」

「どうしてです?」

「こんなことを何回も続けていたら、こちらが死にたくなるんですよね。まるでリセットボタンを何回も押しているような……そんな錯覚に陥るんです」

「……」

「神が恐れていたのはこのことかもしれませんね……」

 

 

「みなさん! よく聞いてください! 誰かが我々の“人間蘇生法”の秘密を一般人に口外してしまいました!」

「えええっ!」

「なんだってっ?」

「これからその人物の抹殺に入りますので、みなさんはくれぐれも地上に出ないように! 完了次第、すぐに連絡し、解放いたします!」

「馬鹿なやつだな……」

「現地人どころか、外部の契約者だって口を縫いつけてでも話さねえってのに……」

「一体誰なんだ……?」

 とてつもなく広大なフロア。研究室と同じような作りになっていた。そこに膨大な数の人たちが入っている。

「……」

 その中に小麦色の肌をした子供がいたが、

「……」

 ふっと人混みに消えていった。

 

 

 男とはトイレの中で別れた。何だか変な表現だが、

「それでは」

 トイレのドアを閉めて、別れとなる。別世界が地下に広がっていたのとギャップがありすぎて、思わず吹いてしまった。

 二人は民家を出た。外はまだ昼前のようだ。路地にあるために薄暗い。

 ディンはにこやかだった。

「よ」

「!」

 すぐ側にアカルがいた。

「アカル!」

「久しぶり」

 まるで待ち伏せしていたかのようだった。警戒心が一気に昇り詰める。

 ナナがディンの左腕にしがみついた。

「心配しないでよ。オイラは感想を聞きに来ただけ」

「感想?」

「うん。オイラは中に入らずに契約したからさ」

「……すみません。そのことは口にしてはいけないと契約しました」

「そうなんだ。まあ、その顔だとまんざらでもないようだけどね」

「え? けっこう顔に出ないタイプなんですがね」

「あ、やっぱ本当なんだ」

「……はめられましたか」

 二人は出国のために門の方へ向かった。今でも不気味な路地だが、こうして歩くと少しさびしい気分にもなる。

「私たちはもう出国しますよ? まだお金をせびります?」

「いんや、オイラの仲間は軒並み殺されちゃったからさ、つきまとってるだけ」

「! ……独りですか」

「うん。でも、慣れてるから平気」

「……」

 ぴたっと立ち止まった。

「お詫びに、いいことを教えてあげましょう」

「? なに?」

「あなたの妹を見かけましたよ」

「! 本当っ?」

「えぇ。帰るときに見かけました。あなたとそっくりでしたから、まず間違いないでしょうね」

「……ははっ」

 屈託のない笑顔。

「ちょっとは希望が湧きましたか?」

「へへっ。そんなもんじゃないよ」

「あなた“は”顔に出やすいタイプですねぇ」

「うっうるさいっ」

 ディンは笑みを零しながら歩いていく。それを見つめるナナはどことなく嬉しそうだった。

「あぁそう、絶対に内緒ですからね」

「もちろん」

「では、お達者で」

 二人は歩いていく。今度はアカルが、二人が見えなくなるまで見送った。

「……」

 見えなくなると、表情が一気に沈む。真ん丸の瞳から光が消えた。

 

 

「……変ですね」

 (ささや)くように呟く。

「なんかこわい……」

「大丈夫ですよ。出国してしまえばそれまでです」

 あんなに人が溢れていたというのに、今日に限って人っ子一人見当たらない。それどころか気配すら感じない。まるで消しゴムで消されてしまったようだった。

 試しに建物の中に入る。マンションだった。ドアをノックしたり呼び鈴を鳴らしたりしたが、反応は全くない。さすがにこじ開けて侵入するのは抵抗があったため、先を急ぐことにした。

 路地の薄暗さと相まって、さらに不気味さが増している。全身をまとわりつくような何かに、無意識に早足になっていく。

「ねー」

「はい?」

「おしえてよかったの? おやくそくだったんでしょ?」

「……私は誰にも話していない。そしてそれを聞いた人も誰もいない。こうすれば誰も知る人はいない、でしょ?」

「……よくわかんない」

「要するに知らんぷりということです」

 肩で息をしているものの、門の前までどうにか辿り着いた。振り返ると、真正面にある道の突き当りに、あの教会がある。こちらを凝視しているような気がしてしまう。

 門の脇をちらりと見ると、あの分厚い板が立て掛けられていた。あまりの無造作に、思わず白い歯を見せてしまう。

「さて、どうやって出国すればいいのでしょうかね」

「わかんない」

「……誰かに聞いてみましょうか」

 やはり、周りには誰もいなかった。

「ふむ……仕方ない。シスターに助けてもらいましょうか」

 教会に向かおうとした時、

「! アカル?」

 アカルがいた。いきなりの出現に図らずも身構えてしまう。

 ずっと(うつむ)いている。地面を見たままで、二人を見ようとしなかった。

「……びっくりさせないでください」

 アカルに対する警戒は解いた。

 方向的に教会から来たようだ。そちらの道付近にいる。

「ちょうど良かった。出国するにはどうしたらいいんでしょう? 門番はいないようですし」

「……」

「……仕方ないですねぇ。もう一枚差し上げますからそれで、」

「ちょっとまって。なんかへんだよ」

 ナナが遮った。その判断は半ば正解だった。

 地面を見ているわけではなかった。狙いすましたように、二人をじっと睨む。

「アカル……?」

「……」

 何も言葉を発しない。

「もしや……」

 ディンは閃く。

「あなた……“アカリ”ですか?」

「……え?」

「その服をどうやって手に入れたかは知りませんが、そうだとしたら、あの研究所からよく脱走できたものです」

「……」

 ぶかぶかの黒いシャツを着ている。今朝、ディンがあげた衣類だった。

 ナナは相変わらずディンの左腕にしがみつく。しかし、なぜか(おび)えていた。

 その腕をきゅっと締める。

「私に何か用ですか? できれば出国の方法を教えてほしいんですけどね」

「……こ……こ、ど……こ……?」

 抑揚のない、文字を発しただけのような口調。ディンはしっかり聞き取ると、正直に答える。

「ここはとある国です。あなたはアカルの双子の妹“アカリ”で、何年も前に死んだんですが、“人間蘇生法”という技術でもう一度生を受けたんです。アカルは何年もこの国に留まり、あなたのために外法でお金を稼いでいます」

「……? あ……かる?」

「そう。あなたのお兄ちゃんです」

「お……にぃ……ちゃん」

「!」

 奥の方から足音が複数聞こえてきた。ディンは急いでアカリを引っ張り、門の方へ向く。アカルはディンたちの前にピッタリ立たせた。

 街の中心の方からぞろぞろと足音が押し寄せ、そして止まった。ん? とディンとナナが“その場で”振り返る。黒服の男たちだった。銃火器を持っており、物騒である。

「旅人さんか。ここに女の子が来なかったか?」

「おんなのこならここにいるよ~」

「いえ、来ませんでしいだだだっ」

 脇腹を抓られる。

「それどころか誰も見かけません。一体どうなってるんです?」

「あんたが知るところじゃない」

「そうですか。……あの、出国したいんですが、どうすればいいですかねぇ?」

「……門番を呼んでくる。今、急用で出回っていてな。出国手続きなら俺がやろう。記帳すればいいだけだからな」

 一人の男が近づいてくる。

「お前らは他を当たれ」

「はっ」

 その男の指示に従い、ぞろぞろとどこかへ去っていった。

「出国手続きはサインの照合と目的達成の有無を確認するだけだ」

「分かりました」

 一冊の手帳を取り出し、

「名前は?」

「……ロバートとアンです」

「ロバートか……ロバートロバート……あったぞ」

 開いた状態でディンに手渡した。男は二人の背後に気付いていないようだ。

「何かあったんですか? 研究所が襲われたとか?」

「! ……あんた、入ったのか?」

「シスターに紹介してもらって、見学させてもらいました」

「そうか。なら話しても大丈夫だな」

「いいんですか? 住人に勘付かれてしまうのでは?」

「大丈夫だよ。今、集会中だから」

「?」

 わざと遅く書いていく。

「んっと……集会?」

「“人間蘇生法”を契約した者たちが集うのさ。今回はサンプルが一人脱走してな。その警告のために集まってる」

「なるほど。その女の子……存在を知られると、よほど都合が悪いようですねぇ」

「! ……察しがいいな」

「この国は不自然なことだらけです。戦後の復興と技術発展の尋常じゃない早さ、人間を生き返らせるという発想、そして重要な事はここが基地だったということです。これらを紡ぎ合わせると、一つの結論に至るんです」

「何だ?」

「ここで、人間兵器を作っているということですよ」

「……!」

「研究所を案内してもらった時、違和感を覚えました。どうしてこの国の根幹部分を、あんなあっさり教えてくれるのかと。誓約書は書きましたが、旅人によっては紙っペラ同然。下手をすれば私たちが他の国に情報提供してしまうかもしれないのに。その目的は一つ。話すことでもっと重要なことを隠せるからです」

「それが人間兵器だと?」

「いえ、それはあくまでも最終的なものです。この段階ではそこまで辿り着きません。この国が隠したかったこと、そして今も研究していること、それは……生存年数です」

「!」

 ディンは手帳を返した。きちんとサインが記してある。

「疑問に感じたのはクローン失敗体の処理の仕方です。もし失敗したなら、すぐにでも処理したいはず。何かの切欠でクローンだとバレた時、情報が漏れてしまう危険性があるから。しかし、あえて失敗体を処理せず、遠回しな方法で生かしておく。まさに生存年数を調べたいがための方法じゃないですか」

「……なるほど」

「おそらく完全な“人間蘇生法”をまだ確立していない。表向きではそう思わせ、裏では実験と研究を繰り返していると思うんです。死人が出ても騒ぎにさせないのは、死人を使って気兼ねなく実験できるため。荒廃している現状を修復しようともしないのも同じことです」

「……」

 男は手帳を確認し、それを上着の内ポケットに、

「私がこの国で考察したこと“ほぼ”全てです。もちろん、誓約書にサインしましたから、誰にも口外しません」

「……実に優秀な男だ。だが惜しい男だ」

 しまい、

「?」

「知りすぎることは泥沼に踏み込むのと同じなんだよ」

 拳銃を取り出した。

 不意打ち。しかし、

「おそい」

 先んじていたのはナナだった。

「! き、きさ、……!」

 (ひる)んでできた僅かな隙。ディンは腹を蹴り飛ばし、すぐにアカリを見せつけた。

「! なにっ?」

 かなり驚いていた。

「捜し者はこの子ですね?」

「くっ、やはりお前が捕まえていたか……!」

「?」

「俺の言うサンプルを“女の子”って言っていたからな」

「あ、やっぱりこの子だったんですねぇ」

「! ……ちっ」

 苦虫を噛み潰した面持ちだった。男は銃を捨てざるをえなかった。

「取引しませんか?」

「取引だと?」

「私たちは無事にこの国を出たい。あなたはこの子を無事に連れていきたい。利害は一致しているでしょう?」

「ああ」

「今から三十分以内に出国させなければ、そして私たちの邪魔をしたり抵抗したりすれば、この子の首を跳ねます」

 腰に提げていた刀を静かに抜いた。白の菱型模様が目立つ黒色の(つか)(つば)、弧を描く長い刃が銀色に(きら)めく。黒銀色の(みね)、白銀の炎が燃え上がるような模様の刃紋。(しのぎ)(峰と刃の中間)が厚い“蛤刃(はまぐりば)”という刃だった。全長は約二尺五寸(約七十五センチ)。所謂“太刀”と呼ばれる種類に属する。

 重量があるのも当然で、両手持ちでも重みを感じる。

 男は初めて見るのだろう。こくんと息を呑み込む。変な汗をかいていた。

「私たちはこの国の秘密を一切口外せず、今後関わらない。……それでどうです?」

「まて」

「!」

 ナナが口を挟む。

「それだけじゃよわい」

「し、しかし、大丈夫なのですか? それにどうして急に……?」

「そのはなしはあとだ。……さて、わたしの言うことをきかねば、この子のくびをもちさり、ほかの国にじょうほうていきょうする」

「なっなんだとっ!」

 平然としていた男が声を荒らげた。

「まずはしゅっこくのじゅんびをさせろ。十五分いないだ」

「……くっ」

 それ以上言わなかった。明らかに男は焦り出していた。

 約十分後、門番たちが到着し、架橋させた。ついで、

「シスターのお出ましですか」

 シスターが駆けつけてきた。驚愕している。

 ディンは刀を鞘に収めた。鞘は黒く、下緒(さげお)(鞘についている紐)は緑色で、鋼鉄製ブーツの一端に締められている。

「た、旅人さん! 一体何を!」

「ちょっとしたいざこざで、こうなってしまったんですよ」

 男から話を伺うと、柔らかかった表情が一変する。

「……」

「!」

 目付きがきつくなり眉は尖り、口角が下がる。まるで鬼のような様相だ。化けの皮が剥がれたのだ。

 ディンはその変化に表情がさらに険しくなる。一方のナナは冷静な顔色だった。

「極秘事項を……? なるほど、頭の切れる旅人でしたか」

「……そんな顔じゃ誰も導けませんよ」

「心配いりません」

「?」

 シスターが取り出したのは、何かのボタンだった。

「地獄へ導けますから」

 ぐっと押し込む。

「……」

「……」

 少ししても、特に何も起こらなかった、

「!」

 と思った瞬間、

「グッ!」

 ディンが吹っ飛ばされた。車に跳ねられたかのようで、引きずられながら、二回転半してようやく止まった。

 ナナはそちらを見やる暇がない。

 目まぐるしく目の前で動き回っている。ふっと顔面に何かが飛び込んでくるのを、

「ちぃっ」

 左腕で払いのけて、カウンターを狙う。

 しかし右拳は空を切った。

「え?」

 間違いなく当たる、と思い込んでいただけに動揺を隠せなかった。

 完全に見失ってしまい、無意識に距離を空けた。後ろに飛び続けていく。

「うおおおおおおっ!」

「……!」

 今度は上からだった。建物から飛び降りてきた。

 巨大な棍棒が迫ってくる。落下速度と棍棒の振り落としで破壊力が上乗せされている。ナナはそう考えずとも、すぐさま横に飛んで躱した。ナナがいた場所から轟音が響き渡る。

 受け身を取りつつ、そちらを見る。さすがにクレーターを作ることはなかったが、コンクリート片が散らばり、穿(うが)っていた。防ごうとしたら、間違いなく潰れていただろう。

 門から大分遠ざけられていた。門を見て十メートルほど右手の方だ。

 ナナの背後に、

「だいじょうぶかっ」

 ディンがいた。というより、そうなるようにナナが動いていた。

 ディンはまだ立てずにいた。朦朧状態で、目の焦点がずれている。

「い、いったい……なにが……?」

 脳震盪(のうしんとう)を起こしている。顎の右部分が赤みを帯びていた。

「よくやりましたね“アカル”」

「!」

 “アカル”と門番たちはいつの間にかシスターのところに戻っていた。

 ズキリと左目の端、こめかみの辺りに痛みが走る。触ってみると、血が滲んでいた。くっぱりと裂けていた。

 頬から顎へ伝い、首筋から服の方へ滴っていった。

「! きさま、アカルなのかっ!」

 シスターたちを睨む。

「なにをした!」

「人間兵器のところまで推測できたなら簡単でしょう? 脳に埋め込んだ記憶装置はただのメモリーカードではありません。理性を司る部位に極度の電気刺激を送り、破壊させるのですよ」

「なにっ?」

「するとどうなるか分かりますか? ある種の催眠効果が生まれるのですよ。つまり洗脳できるわけです」

「それが“へいき”ってことか」

「痛みも恐怖もない操り人形、名づけて“クローン兵器”……最高でしょう?」

「だっさ……」

 誰にも聞こえないように誰かが呟いた。

「しんせつていねいに教えてくれるということは、ただでは帰さんというわけか」

「ええ」

 シスターたちの背後からぞろぞろと蠢く者。それはクローン兵器たちだった。尋常じゃない人数だ。辺りが人で埋め尽くされてしまいそうだ。

 血混じりの汗が落ちる。ぴちっと音を立てた。

 ちらりとディンを見やる。虚ろだった表情に力が入っている。目の焦点も合ってきていた。

「アカリのすがたがないな。なぜだ?」

「彼女はまだ研究対象なのです。かれこれ百年近くは生きているでしょうかねえ」

「そう、いうことでしたか……」

 ぐっと立ち上がるディン。ナナの引き伸ばしのおかげか、多少は回復したようだ。

「アカルもあなた方もクローンでしたか」

「……!」

 びくりとアカルが震えた。

「っ! 余計なことを……! さっさと殺せ!」

 水牛の如く押し寄せてくる。足音が地響きとなって、雄叫びが空気を轟かせ、全身をビリつかせた。

「!」

 何かを外したような金属音。気付いているのはナナだけだ。

 その音がする方を見ると、ディンがいた。まだ足が震えている。

「ナナさん、目をつぶってください」

 ディンは何かを二つ投げ飛ばした。一つは上空へ、もう一つは人混みの中へ消える。誰も気に留めなかった。

「まずい」

 気付いても遅い。突然、爆発した。ディンが投げたのは手榴弾だった。

 そこまで大きな爆発ではないが、穴が空いたように空間ができる。飛散した肉片と血が周りの者に浴びせられ、一瞬で真っ赤になる。あるいは手榴弾の破片が無数に突き刺さり、流血しながら絶命していく。

 爆発音と衝撃で誰もがそちらに目がいく。

「行きますよ」

 目をつぶったままのナナに小さく話しかけ、走り出す。と同時に、

「!」

 強烈な閃光。上空に投げた閃光弾がちょうど爆発地点に落ちてきたのだった。場にいる者のほとんどがモロに食らってしまい、視界を奪われてしまう。

「こしゃくな! 門を囲め! 誰にも入れさせるな!」

 しかし、突然の爆発と閃光で場は混乱状態になっていた。近くにいた者たちが何とか封鎖しても、

「ぎゃあ!」

「ぱっ」

「ああっ!」

 ディンに斬りつけられ、ナナに気圧(けお)される。結局、誰も二人を止めることができず、いとも簡単に門の方へ向かうことができた。

 橋はまだ無事だ。しかし、

「……っ……」

 ディンが渡れない。

「こんなものにびびってどうするっ! ばか、くそ!」

 閃光を食らわなかった敵一人がナナに殴りかかってきた。ギリギリで避け、勢いをつけさせつつ横へ蹴り押す。あえなく川へ落ちていった。今度は三人だ。それぞれ金属の棒を持っていた。三人同時にナナへ振り下ろす。それを素早く一歩退いて避け、

「早くいけ!」

 ディンを押すようにぶつかる。よたよたと危なげな足取りでゆっくりと渡って、

「おらあっ!」

 金属の衝撃音。鈍い振動音を響かせる。ぴちち、と血が垂れる。

 ナナの左こめかみの傷に直撃していた。つぅっと勢い良く流血し、頬から顎を赤く染める。

 傷を確かめる隙はない。その流れる血を(すく)い、襲ってくる三人に、

「っ!」

 飛ばした。眼に当たらずとも、一瞬だけたじろぐ。その隙を突いた

 まず左の敵の首を渾身の力で殴って武器を奪うと、それを真ん中の、

「くっ……」

 さらに加勢がきた。閃光弾の効力が切れ始め、目が慣れてきたのだ。

 一方、ディンの方は二つの意味で足が震えていた。ようやく橋の真ん中を過ぎたのに、そこで立ち止まってしまう。橋が大きく撓み、そして揺らぐのに足が竦んでいるようだ。

「なさけない……!」

 ナナがディンへ駆け寄る。胸ベルトを外して、素早く自分の腰に付けた。そして、

「うしろはしんぱいするなっ! ゆっくりいけ!」

 ショットガンを引き抜く。

「ぎゃあああっ!」

「ぷっ」

「べ」

「ぽぅっ」

 押し寄せてくる敵にショットガンを乱射する。右手でショットガンを操り、弾切れになれば左手に持っているシェルを装填する。恐ろしく早く、流れるように撃ちこんでいった。

 門の方は阿鼻叫喚(あびきょうかん)と化していた。無残に散っていく肉片と宙を舞う中身。門の周りの城壁には弾痕と血痕と肉片が叩きつけられてへばり付き、滴っていく。下を流れている川を赤く染め上げていった。

 敵たちはそれを意に介せず、肉片を踏み潰しながらナナたちへ押し寄せていた。

「くっ、弾切れかっ」

「!」

 ディンが、

「え? ちょっとま、」

 ナナを抱き上げ、一気に走った。

「逃がすな!」

 微かに聞こえるシスターの声。それに呼応するように橋へ詰めかけた。ところが、

「あ」

 想像通りの事態となった。

 橋が大きく歪み、笹くれが露出するように折れていき、

「うわあああああああ!」

 あっという間に真っ二つ!

 悲鳴と轟音と叫び声が川の方へ流れていった。被害はそれだけに留まらず、勢いを付け過ぎた敵たちが川へどんどん落ちていく。後ろから随時押されるために、そう簡単に止まらなかった。

 橋があったところは人が積み重なり、特製の橋が完成した。

 その間に、

「いくぞ!」

 二人は全力で駆け抜けていった。

 

 

 二人に逃げられてしまった後だった。

「くそ……旅人風情に逃げられたわ……」

「どうします、シスター?」

「こうなってしまっては追っても無駄よ」

「今ならまだ間に合います! 殺しに、」

「馬鹿だねえ。相手はこの手の戦いに慣れている。だからこの軍勢を見ても少しもビビらなかった。……深追いすれば被害が拡大するだけよ」

「……では、引き続き“アカリ”の捜索を……」

「やりなさい」

「はっ」

 男が仲間に捜索命令を出した。……ところが、

「? どうした! 早く行けえ!」

 誰も動こうとしなかった。それどころか、黒服とシスターたちににじり寄ってくる。

「これはいったい……?」

「残念だったね、シスター」

「!」

 言葉を発したのは、アカルだった。

「お、お前……なぜ正気に……?」

「シスターは三つ誤算があるよ」

「……誤算?」

「一つ、記憶装置のおかげで、洗脳された人間でも記憶を刻むことができたということ」

「!」

 ぞろぞろとシスターたちの周りに集まってくる。

「二つ、ショックが大きいほど洗脳は消えること。だって生き返ったと思ったら、あんたらの操り人形に生まれ変わってたって、一番ショックなことじゃん。特にオイラなんか、クローンだったなんて聞いたら死にたくなるよ」

「敵は私ではない! ただちにアカリを、」

「三つ、これが一番の大誤算」

 ぎりぎりと歯軋りが聞こえる。

「理性を破壊してしまったこと」

「ころしてやる……」

「ぐぐぐぐぐ……」

「グヒヒ……」

 人のうねりがシスターたちを包み込み、飲み込み、そして悲鳴をも埋め尽くしていった。今までの恨みを晴らすかのように。

 

 

 まるで戦争のようだった。機関が精鋭する兵士と、クローン兵器、そしてその戦禍に巻き込まれる住民たち。どちらも理性を失った同士、加減を失った同士。常人ならぬ力がぶつかり合い、死んだものまで道具として扱われる。猛獣が縄張りを奪い合うように、戦いは苛烈を極めていった。街は跡形もなく破壊し尽くされ、瓦礫に埋まり、芸術的な街並みはその陰もなく滅びていった。

 一方、ディンたちは不眠で歩き続けていた。これでも足りないという勢いで、足を進めていく。ナナが不調でダウンすれば、ディンが抱きかかえて歩き、足を休めることをしなかった。

 そして、国を出て初めて止まったのは、とある森の縁に辿り着いた時だった。

「ふぅ……ふぅ……」

 鬼気迫る表情。その表情に伝う大量の汗。灼熱のように汗が熱い。もう半日以上も走りっぱなしだったのだ。

 抱えていたナナを木の幹に下ろし、持たれかける。顔の左半分が血だらけだった。すぐに応急処置を施していく。

「まったく……あぁいうのがにがてというのも、こまりものだな……」

「すみません、ね……ふぅっ……ふっ……」

 荷物も全て下ろし、リュックから綺麗なタオルと止血剤、包帯を取り出す。

「すまない。……ぐ……」

「思った以上に傷が深いですねぇ。下手をすると……」

「気にするな。こんなきず……気にすることでもない……」

「痕が残るのが、……ふぅ、心配です」

「……おんなであるのがうらめしいよ」

「とても言いづらいのでやめておきますね」

「そうだな……はぁ……」

 ふっと目を閉じる。もちろん死にはしないが、急に疲労感を覚えたようだ。

 出血を弱め、絆創膏の上に包帯をぐるっと巻いた。滲んではこないが、動きが激しいとすぐにぶり返す。ディンはそう釘を差した。

「時にナナさん、治ったのですか?」

「……なおったようにみえるか?」

「調子は少し戻ったように見えます。精神年齢が五年ほど進んだ感じです」

「ぬかせ。まだおねえちゃんだ」

「はは」

 安心した途端に、膝が震えてきた。

「ふぅ……疲れましたねぇ」

 そして周りの景色が目につくようになる。既に夜になっていた。半月よりすこし膨らんだ形の月が浮かんでいる。薄く流れている雲がその月を覆い、月光が薄く広がる。

 冷えた微風が心地いい。火照った身体をちょうどよく冷ましてくれた。

「聞いていいですか?」

「なんだ?」

「チンピラ五人に絡まれた時、気絶させたのはナナさんですね?」

「……」

「とぼけてもダメですよ。“あなた”のハンドガンから五発分、弾が消費されていました。あの時、僕の左腕にしがみついてたでしょう? 全員が“僕に”気が向いていたのを確認して、右脇に収納されてるハンドガンを密かに抜き取ったわけですか」

「……ほんとうはころそうと思ったんだがな。ふくがよごれそうだからやめたのだ」

「えぇ。このハンドガンは殺傷能力は低いですからねぇ。なんてったって麻酔銃ですから」

 俯いている。笑いを隠すために。

 

 

 それから半月ほど経った。例の国は見るも無残なものになっていた。芸術的な街並みが残骸と化し、地面には亀裂が走り、そして散らばっている血痕。不思議なことにその持ち主がいなかった。

 そして、シスターがいた教会は周りの残骸と比べ、まだ建物として呈していた。美しかった内装がボロクズのように剥がれ落ち、天井に穴が空き、長椅子はへし折られ、塔屋への木扉は外へ繋がる新しい穴と化していた。

 その奥の部屋、ディンたちが相談をした暗い部屋の床、ちょうど隅っこにあたる床に穴がぽっかりと空いていた。そこに入り、暗闇のまま進むと光が見える。その光をこじ開けると、地下室に出た。ぱちぱちと切れたような音を立てて光が点滅する。……ここは研究所の一室だった。

 その部屋を出る。通路の左右に個室が並んでいる。どこかで見たような光景だが、そこを舐めるように見ながら歩いて行く。突き当りのドアを開くと、あのカプセルが保存されている部屋に出た。カプセルは全て割られ、溶液が浸されている。薬の臭いと鉄の臭い、そして生々しい臭いに満たされている。

 その部屋の奥、手術室が並ぶ部屋に入り、さらに奥へ入る。ここはテストをしていた部屋。左右にドアが付いており、その左のドアに進む。……通路だ。それも何もない。ドアだったり装飾だったり芸術品だったり、何の飾りもない。ただ一枚のドアしか見えなかった。

 ドアを開くと、カプセルがあった。前の部屋と同じように割れ、水溜まりを広げていた。

 唯一違うのは、

「……」

 少女がその前に立っていることだけだった。少女は全身ずぶ濡れで、衣服を身に纏っていない。

 まるで青空を眺めるように割れたカプセルを見つめている。何か言葉を発することなく、しかし呆然としているわけでもない。魅入っているという表現が一番近いのかもしれない。

「……」

 何かの液体が少女の頭から肢体へ流れ、床をさらに浸らせていく。

 少女は踵を返し、液体の足跡を残しながら部屋を出て行く。カプセルに溜まった液体が足音に響き、やがて止まった。

 

 

 


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