フーと散歩   作:水霧

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第七話:たいせつなとこ・a

 道路が伸びていた。車二台分くらいの広さで、白い中央線が点々としている。小石一つないほどに綺麗に舗装されていた。その右手には林が茂っている。間隔が広いために奥の景色も見えるが、縫い潰すように樹木が見えるだけだった。左手には平原が広がっていた。凹凸が激しく、草原が波打ち、青々としている。遠くには山が見える。どことなく田舎風な景色だった。

 空は雲が多いが晴れている。とても薄い雲で青みが強かった。日差しも貫通して降り注ぐ。肌寒い気候にはありがたかった。

 そこに二人が歩いていた。一人は二十代前半の男。茶色の長髪で爽やかな顔つきの優男だ。白いシャツに下半身を覆うサイズの鋼鉄製ブーツという格好だった。大容量の迷彩リュックを背負い、両腰にバックパックが付けられている。左腰には刀を(こしら)えている。

 もう一人は二十代前半の色白な女だった。黒い長髪を一つに束ねている。左目尻に泣き黒子、黒縁メガネをかけている。へたった赤紫のジャケットに黒シャツ、黒いパンツの服装で茶色のブーツを履いていた。凛々しく厳しい雰囲気をまとっている。

 遠くに(そび)え立つ山を背に、進んでいる。

「もうつかれちゃったぁ。ねぇ、いつつくの?」

 その見た目に反して、幼い声で訴える。

「そうですね……まぁその、歩いていればいずれは」

「そんなんじゃやだー! もうあるかないっ!」

 女は道路にへたり込んでしまう。しかし優男は、

「そのまま一人ぼっちでいてもいいなら、私は先に行ってますよ?」

「……」

 そそくさと進んでいく。その背中をじっと見つめていると、

「まってぇ! ひとりやだっ!」

 女が全力疾走で追いかけていった。

 

 

 田舎景色がだんだんと拓けていく。広がっていた林が薄まり、看板や家がぽつぽつと目立ち始める。そして平原が景色一面を占めるようになった頃、道路の先に国が見えてきた。石材を隙間なく積まれてできた城壁に囲まれており、それを伝うように川が流れている。そこで道路は遮断されていた。

「みえてきた!」

「意外に早かっ、あ、ちょっと待ってくださいよー」

 元気が出てきたのか、女はさらに駆けていく。単純になったなぁ、と男は呆れ笑いした。

 道路の縁に辿り着く。木製の門が頑なに拒んでいるように見えてしまう。

 数分すると、軋むような大きな音を立てて開門した。奥には街並みと五人の男、そして巨大で平たく分厚い板が見えた。

「ちょっと待っててくれ!」

 男たちの掛け声と共にその板を持ち上げる。じっと二人を見据えると、

「え、ええっ、ちょっとまっ、」

 目掛けて投げ飛ばした。

 何を考えているんだ、と思う暇もなく、二人は急いで逃げる。予想通り二人のいる岸に思いっきり乗っかってしまった。

「橋の意味ないでしょっ」

「そう焦るなよ。よし! 引けえい!」

 その板のお尻にはぶっといロープが縛り付けられていた。ガリガリと道路と擦れながら引かれていく。両岸に板が接地し、ようやく橋の完成だ。

 この橋、支柱がない……。優男が気付くも遅く、ドタドタと男たちがやって来た。少し(たわ)んでいるのと嫌な音が不安感を漂わせる。

「よお。お前さんたち、入国かい?」

 五人ともタンクトップに作業着のパンツと動きやすそうな格好だ。タンクトップから伸びる両腕がまるで団子のように太ましい。

「えっえぇ」

「じゃあ入国審査を受けな。ここに署名と目的を書いてくれ。ほれペンな」

 バインダーを手渡され、書き込んでいった。

「よしオッケー。お前ら、帰るぞ!」

「おす!」

 特に何かされるわけでもなく、のしのしと帰っていった。

「……さて、行きましょうか」

「うん」

 何事もなかったかのように入国した。ただし、

「う~、やっぱり怖いですね……」

「トランポリンしよっか」

「余計なことはしないっ」

 優男は涙目だった。

 門前は花壇やベンチがあったり看板があったりと、一種の広場になっていた。そこから建物がずらずらと建ち並び、まるで迷路のように道が伸びる。ここはスタート地点ということになる。

 適当に道を選んで歩き出した。

「ほぉ」

 建物は密集して建てられている。背が高くて屋根が橙色、壁がくすんだ白だ。等間隔に窓がついており、その柵は橙色の金属を電話線のようにくるくる巻いて作られている。その家を這うように伸びる道は正方形にカットされており、舗装もほぼ完璧だ。“ほぼ”というのは凹凸が若干あるためだ。

 豪華とは言えないが、建物の配置や色彩、装飾が独特だ。優男の第一印象は芸術的な街だった。

 二人が歩いているところはそういう路地で、高さのためか薄暗い。空が一層眩しく見える。

 住民は多そうだ。しかし、

「……?」

 何人もすれ違っているが、なぜか誰もが物々しい雰囲気だった。余裕がなさそうな感じだ。

 優男は警戒していた。

「とにかく広い通りに出ましょうか」

「うん」

 狭い路地、しかも迷路のように入り組んでいる。優男は女を引き寄せ、しっかりと手を繋ぐように催促する。

「べたべたできもちわるい……」

「手汗が酷いもので」

 渋々手を繋ぐ女。

「ねーねー、おさんぽはしないの?」

「ふふ。先ほどは疲れたーって泣き言言っていたのに……。まずは宿泊施設を探しましょう。街探検はその後です」

「わらうなー」

 ぽかぽかと優男を叩く。

 やがて路地を出ることができた。

「んぅ」

 洞窟を抜け出るように、明順応で眩しい。少しすると、

「おお」

 別世界が広がっていた。

 大きく綺麗な道で土地を区切られ、そこを大きい建物が埋める。家というよりは店のように見える。というのも、全体がクリーム色で装飾がとても豪華だからだ。ずらりと並べられた窓に波打つような模様が施され、灰色の三角屋根には(つるぎ)のような飾りが立てられている。道は模様や凹凸といったものがなく、真っ平らに舗装されていた。ぽつぽつと街路樹も植えられている。きっちりとした雰囲気に芸術性を加えたような街並みだ。

 そこには住民が溢れかえっていた。路地にいた時とは正反対で、とても活気がある。

 二人は、

「大都市ですかね」

「きれいだねー」

 感嘆していた。

「……あ、行きますよ」

「うん」

 はっとして、宿探しを再開する。

 目の先には左手に曲がる道と真っ直ぐの道がある。建物がまるで壁のようにびっしりと並んでいるため脇道が少ない。

 二人は真っ直ぐの道を選ぶことにした。しかし、

「ん?」

「いった」

 優男が急に立ち止まった。二人の腕がぴんと伸ばされ、少女が声をあげる。

 そこは分岐点に位置する。優男がちょうど突き当りにあたる建物に気を取られていた。

「……」

「ここなに?」

 周りの建物と比べて二回りほど小さかった。濃淡様々な茶系の煉瓦(れんが)を積んで建てられており、三角屋根は焦げ茶色だ。横長で、右端にある入り口は直角に道路へ突き出している。さらに右の屋根には鉛筆の先っぽのような塔屋があった。そこに何かの紋章を象った十字架が立てられている。他にも屋根の頂点にはいくつか十字架が立てられていた。

「ねぇねぇ、ここなぁに?」

 女が腕にしがみついて問いかける。

「ここはたぶん教会です」

「きょーかい?」

「神様を信じる方々が集うところです」

「……よくわかんない」

「ちょっと寄ってみましょう」

「えー! つまんなそーだからヤッ」

 先へ行こうとする女の(そで)を優男がつかむ。

「興味あるので……いいでしょう?」

「……しかたないなー。ちょっとだけよ?」

「どこかで聞いたことありますね。まぁ触れないでおきましょう」

 ということで、二人は教会へ入っていった。

 入り口は芸術的な金網で組まれており、一枚の絵を表現していた。それを左手にずらし、中に入る。

「うわぁ……」

「なにここ……」

 古めかしい外観とは対照的な光景だった。真っ白の壁に鏡のような床、天井付近の壁に整列する窓。これらのおかげで光を多く取り入れて増幅させている。外より明るく感じた。

 入って右手は塔屋へ続く木扉が、左手には式場がある。木で造られた長椅子が二列十行ほどあり、その奥に教団、さらに奥には何かを(まつ)っているような十字架があった。十字架の左右に木色のカーテンが仕切られ、仄かに暖色系が(にじ)んでいる。

「ここにいるだけで一日使ってしまいそうですね」

「ぜったいやだ」

「大丈夫ですよ。観光になりませんからね。……にしても、誰もいないですね」

 と言いつつ、長椅子に座る優男。

「なんですわるのっ?」

「ここで少し休みませんか? 嫌ならお先にどうぞ」

「……うぅ……」

 ムスッとして、女も隣に座った。

 

 

 ぼーっとして小一時間した。優男は物思いに(ふけ)っているようで、前方の十字架を眺めていた。

「すぅ……すぅ……」

 女は眠っていた。優男の肩に寄りかかって。それを払いのけたり退いたりすることをしなかった。

 突如、

「あ」

 右のカーテンから木が(きし)む音がした。ふぁさっとそちらへ風が(なび)き、音を立てる。

「……あら」

 出てきたのは老婆だった。腰の曲がった太めの老婆で、専用の衣服とロザリオを身につけていた。つまり、

「これはこれはようこそ。何かお困りごとでも?」

 シスターだ。見た目以上に綺麗な声で、柔らかい口調だった。笑顔がとても素敵な人だ。

「いや。特にはありませんねぇ」

「そちらのご婦人に掛け物でも……」

「あぁ結構ですよ。私たち、そろそろ行きま、」

「おなかへった……」

「!」

 女がぽそりと呟いた。二人にもしっかり聞こえている。

「……“おじょうちゃん”、何か食べるかい?」

「じゃあ……チョコ!」

「ちょっと待っててね」

 にこりと笑いかけると右のカーテン奥へ行き、すぐに戻ってきた。銀紙に包まれたチョコを手渡してくれた。

「おばあちゃん、ありがと!」

「あはは……すみませんね、シスター」

「いえいえ」

 早速、銀紙を破って食べ始めた。ご機嫌斜めだった女は嘘のように微笑んでいる。

「……しかし、ここの教会はとても綺麗ですね。床なんか鏡みたいですし。……新しく建てられたんですか?」

「いやいや、もう五十年は経っていますよ」

「五十年っ?」

 声を張り上げた。

「改修された跡もないのに、ちょっと信じがたいですよ」

「そうでしょうか? ここの壁なんかボロボロですよ」

 近くの壁に指を引っ掛けると、ぽろぽろと塗装が剥がれ落ちる。

「“見てくれ”だけですよ。こうやって手を加えると、すぐにボロが出てしまうものです」

「……」

 綺麗な床に落ちた塗装を大雑把に手で拾う。それを奥の部屋へ持って行って捨てて、すぐに戻ってきた。

「さて旅人さん、よもやチョコレートを食べに来たわけでないでしょう?」

「んまぁそうですけど……」

「再三ですが伺いますよ? それが私の務めですから」

「……ではお言葉に甘えて。この街に宿はありますかね?」

「……宿?」

 ぽろっと(こぼ)すようだった。

「あぁ、そういうことでしたか。ここの教会を出て右手にずっと歩いていくと、突き当たりにぶつかります。そこを左手にお進みなさい。信頼できる宿がありますよ」

「ありがとうございます、シスター。……それではここでお(いとま)するとします」

 優男は立ち上がった。女はまだ食べていたが、残りを銀紙で隙間なく包み、ポケットに入れた。

「チョコ、ごちそうさまでした」

「ごっちょーさまでしたっ」

「またいらしてくださいね」

 別れの言葉を軽く捧げると、二人は教会を出て行った。

 

 

 シスターの言う通りに進んでいくと、確かに宿があった。豪華絢爛(ごうかけんらん)な内装でいかにも高級そうなのだが、

「……」

 異常だった。

「ここもですか」

 紳士淑女の(つど)う場ではない。まるで猛獣の群れに紛れた一匹の子豚のような錯覚を覚える。優男はこんなところでも、神経過敏にならざるをえなかった。

 さり気なく周りに目を配らせつつもチェックインを済ませる。

「ここって部屋で食事を取れますか?」

「申し訳ございません。当店にはそのようなサービスは現在ございません。ですが、当店自慢のレストランでお召し上がりできますので、どうぞそちらをご利用くださいませ」

「……分かりました。ありがとう」

 滞在期間は二泊三日にした。

 指定された部屋に急いで向かう。ちなみに部屋は三階で、エレベーターも設置されていたが、優男はそこを通らず、階段で昇っていった。

 部屋もやはり高級そうだった。マシュマロのようなベッドにふかふかのカーペット、アンティークなテーブルと椅子、手触りの良い壁紙と身が縮まりそうだ。

 そのテーブルに慎重に荷物を下ろし、ようやく一息つけた。

「ナナさん」

「なぁに?」

「絶対に私から離れないように。いいですね?」

「うん」

「よし」

 おちゃらけていた表情が一瞬締まり、そしてまた緩んだ。

 “ナナ”と呼ばれた女はベッドで小さく跳ね回った。久しぶりなようで機嫌はますます上々だ。

「ふう」

 窓から眺めると、日が沈みそうだった。三階と言っても周りの建物も同じくらいの高さがあるので景色は満足に拝めない。しかし、密集された街並みが夕日に照らされるのも、哀愁を感じる。

 その景色を堪能していると、

「夕食でもいただきましょうか」

 (ほころ)んだ表情で言葉にした。

「うん! アイスたべたい!」

「それは夕食では……」

 苦笑いを隠せない。

 二人は受付に教えてもらったレストランに向かった。そこは入り口脇にあり、この宿の雰囲気に合った内装だった。キラキラと輝くシャンデリアに暖色系の明かりが灯っている。二人席でも広めなテーブルには真っ白のテーブルクロス、その中央に花束が飾られている。椅子はふかふかのマットが敷かれ、背もたれは一メートルくらいと恐ろしく長い。全てが金属製で、高級感があった。

 二人は適当に席に座り、メニューボードを開くと、

「何を召し上がりましょう?」

 低い声で、男のウェイターが尋ねてきた。あれとこれとそれと、という具合で頼むと、

「かしこまりました。代金はチェックアウトの際に宿代込みでお支払いとなります」

「どうも」

 一発でオーダーを承った。

 軽くお辞儀をし、厨房の方へ行く、

「あ、ちょっといいですか?」

 前に、優男が引き止める。

「何でしょう?」

「この街はやたらと殺気立ってるような気がするんですが、何かあるんですか?」

「はて……お客様の思い過ごしかと思いますけれども」

 優男はすっと何かを差し出した。それを丁寧に受け取るウェイター。

「今、この街では話題になっていることがあるのです」

「話題? それにしては威圧感があるけど……」

「ちょっとした話題ですよ」

「……」

 また何かを差し出し、また何かを受け取る。

「あまり口外なさらないようにお願いします」

「えぇ」

「実はこの街では……」

 

 

 夕食を終えた二人が部屋に戻ってきた。ちなみに優男が食べたのは魚を煮た料理と野菜の盛り合わせと高そうなパンを三つほど。ナナは分厚い肉とコーンスープとアイスを四つだった。

 くふぅ、とナナはベッドで横になる。

「おいしかったぁ。ディンはどうだった?」

「さすがでしたね。久々に美味しかったですよ。前回の国が酷かったというのもありますがねぇ」

 “ディン”と呼ばれた優男は鋼鉄製のブーツを脱ぎ、刀と一緒にベッドの近くに置いた。藍色のパンツを履いている。

「それにしてもほんとかなぁ。とってもうそっぽい」

「同感です。ですが、あの人がデタラメ言うように見えないんですよね。おまけに手痛い出費が……」

 ため息を一つ漏らした。

「もうねむたいからねる。おやすみ~」

「ちょ、ちょっと、お風呂に入らないと!」

「めんどくさーい」

「……潔癖症だった反動ですかねぇ……」

「……すぅ……ふぅ……」

 女は本当にそのまま寝入ってしまった。メガネを掛けたままなので、そっと外し、近くの安全なところに置く。

 またため息を漏らすディン。仕方なく、お先に風呂に入ることにした。

「……人が……生き返る、か……」

 

 

 翌朝、ディンが目覚めると、

「!」

 ナナの姿がなかった。

「なっナナさ、……!」

 水の音。それが聞こえた瞬間、

「……はぁ……」

 安堵(あんど)のため息をついた。

「なんだお風呂か……」

 いつの間にか持っていた刀をベッドに立てかけた。

 外はもう白みきっていた。気持ちいい晴天が建物に遮られている。それでも地上に降り注ぐ太陽の光を感じることができた。窓を開けると、心地いい風も入り込む。

「いい……」

 ほっこりした気分で窓を閉めると、

「ねーきがえどこー?」

「!」

 背後でびしょびしょのナナが、

「ちょちょっと! なにしてるんですかっ!」

「ふふっ」

 笑っていた。

 

 

 色々と不都合な事態を何とか収拾してくださったディン。部屋の中は水浸しになり、清拭(せいしき)も大変で終始ヒヤヒヤしていたという。そしてひたすら無心に努めたという。

 その後は朝食を取り、荷物の整理整頓をした後、また街に繰り出すことになった。ディンは鋼鉄製ブーツを履かず、藍色のパンツを履く。そして上着として、黒い布地のスーツジャケットを羽織っていた。

「はっひっひー」

「とても複雑な気分ですね」

 悲しいのやら嬉しいのやら。

 とにかく、今日は観光がメインだ。二人は大通りを適当にふらつくことに、

「あ、ごめんなさい」

「いいですよ」

 した。男の子がぶつかってきた。ディンは小さく詫びて、少年を見送った。

 街中は相変わらず物々しい気配だ。こんな清々しい朝なのに地上はえらく(よど)んでいた。

「おい」

「?」

 背後から呼びかけてきたのは男二人だった。どちらも屈強な身体つきをしており、見た目や気性からも一筋縄ではいかないようだ。

 二人とも右腰にホルスターがある。

「お前の彼女かよ?」

「それに中々珍しいもんまで持ってるじゃねえか」

「あぁいや、その……あははははいだだ」

「照れんなぼけが」

 ディンの背中に強烈な痛みが走る。ナナが思い切り(つね)っていた。

「それで私らにどうしろと言うんです?」

「その女と荷物、全部置いてきな。そうすりゃ命まで取らねえよ」

 片方の男が右腰に手を据える。

 じっとそちらを見つめるのはナナだった。ディンの左腕にしがみつき、肩の後ろに隠れている。

「理由は……聞かなくてもいいでしょうね」

「そういうこった。全部売りに出して金にするのさ」

「いえいえ、そうでなくて」

「?」

「手ぶらで返ってもらうためですよ」

 片方の男が銃を引き、

「遅いですね」

 抜く前に、ディンが向けていた。話しかけていた男の眼前には黒く(いか)つい黒穴二つ。二つの短いバレルがくっついた小型のショットガン、所謂“ソウドオフ”だ。

「!」

 片方の男はまだグリップを握り、ホルスターから抜こうという段階だった。

 ディンはすっと下げ、ジャケットの中にしまう。胸にはベルトが巻かれており、そこにホルスターが二つ左右についていた。その間はショットガン・シェルがずらりと並んでいる。ショットガンは左の脇に収納される。

「撃っていれば、あなたも巻き添えをくらうところでした。そういう銃なのはご存知ですよね?」

 ディンたちはその場から離れた。

「……ちぃ」

「おいおい、待てよにいちゃん」

 しかし、またも呼び止められる。別の男三人組だった。こちらは細身だが、腰に携えた剣が存在感を放つ。

「俺らも旅人さんたちを狙おうとしてたところなんだぜ?」

「横取りかよ」

 どうやら従ったわけではなく、邪魔が入ったためにディンたちを帰そうとしていただけのようだ。

 五人に取り囲まれるディンたち。

「けっこうにいちゃんもいい顔してるじゃねえか。好き者にはたまんねえぜ?」

「あの変態おやじに売りつける気かよ。やってらんねえな」

「へっへっへ」

「っ」

 下品な笑い。しかし下手に動けない。

「一つ、聞かせてください」

「?」

「何のためにお金を稼ぐんですか?」

「へ、決まってんだろ。仲間を蘇らせるためさ」

「!」

 ぴくりと反応する。

「人間を生き返らせるということですか?」

「おうよ」

「馬鹿な。そんな話、あるわけないでしょう?」

「うるせえな。とにかくもう大人しくしてろよ」

「心配すんな。ころしはしにぇ?」

 空気が抜ける音が五発聞こえた。しかしあまりに早すぎたために音が連なって聞こえる。

「何のおとだ? ほいおい?」

「へにゃ」

 男たちは一斉に倒れこんだのだった。

 何が起こったのか分からないディン。はっとしてナナの方に振り向くが、

「どうしたの? はやくいこうよ?」

 ふるふると震えたまま、ディンの左腕にしがみついているだけ。

 ディンは考えるより先にその場を離れることに集中した。

「……」

 冷たい視線で男たちを睨む。しがみついていた腕と反対の手は握りしめられている。それをぱっと開いて、

「ふん」

 前を向いた。放たれたのは薬莢(やっきょう)五個だった。

 

 

「おや、あなたは昨日の……」

 シスターが入り口前を掃除していた。

「お時間、いいですか?」

「ええ。ささ、中へお入りください」

 掃除を取り止め、中へ案内してくれた。

 ディンたちは教会を訪れた。それも慌ただしく。

「一体どうしたのですか? 血相変えて」

「いえ、確かめたいことがありましてね」

「? そういうことでしたら、こちらへどうぞ」

 そう言って案内したのは、

「ここは……」

 木製の机と椅子のみの部屋だった。十字架の左部屋に位置しており、綺麗なフロアとは全く違う。窓や天井から光が入ってこないために薄暗く、息が詰まりそうだ。煉瓦がそのまま剥き出しになっている。

 机の奥に向かうと、ランタンを取り出して火を灯した。やんわりとした明かりはむしろ不気味にしか思えない。

 着席するように手招きされ、座った。

「さて、何を確かめられますか?」

「……この街は本当に死人を生き返らせることができるんですか?」

「ええ。できますよ」

「……」

 ディンは何を聞こうか迷っている。聞きたいことが山ほどあるためだ。ところが、それはあえなく崩れることになる。

「どうやっていきかえらせるの?」

「……!」

 ナナが先に尋ねた。

「それは企業秘密でねえ。私らにはちょっと分からないんだよ、お嬢ちゃん」

「つまり、別の施設がそういうことをしていると?」

「そうですねえ」

 シスターは立ち上がると、歩きながら、そして(あご)を撫でながら答える。

「信じられませんか?」

「と、当然ですよ。そんな絵空事、実現できるはずがない……」

「人間はそれを可能にできる唯一の動物なのです」

「!」

 ディンの背後に回り、肩に手を添えた。蜘蛛(くも)が肩に這うように。

 びくりと大きく震えた。

「空を飛びたい、海を深く潜りたい、宇宙に行きたい。そういった夢や希望、架空のものを実現してきたではありませんか。神に与えられし知能をもって、確実に進歩してきている。完成された“人間蘇生法”も、何百年何千年先で実現したであろう技術を先取りしているにすぎないのです」

「……その蘇生法とやらは科学的に実現したと?」

「その通り。だからあなたも一縷(いちる)の望みに()け、この国にやって来たのではありませんか?」

「! ……」

「……どういうこと……?」

 ナナの視線から目を逸らす。

「どうしても信じられないというのなら、私が機関に問い合わせてみましょう」

「……あなたはその機関の一員なんですか?」

「私はただのシスター。ただ、迷える子羊のためには多少のコネも必要なのです」

「なるほど。現実的なシスターですね」

「祈るための両腕は必要ない。愛する人、大切な人を抱きしめるためにあればいいのです」

「……」

 

 

 式場で待機していると、十字架の右部屋からシスターがやって来た。そして日時を伝える。ディンたちの滞在日数を考慮し、明日の朝九時、つまり三日目の朝にしてもらった。

 二人は教会を出ると、

「ナナさん、急遽探しものができました。良かったら付き合ってくれませんか?」

「え~。こんなこわいところで~?」

「お願いします」

「……」

 少しだけ真面目な雰囲気だけに、ナナも断ることが、

「やだ。もうつかれたし」

 できた。

「……ふぅ」

 小さくため息をつく。

「お買い物に付き合ってくれませんか?」

「いいよ!」

 即答だった。

 二人は長閑に楽しく街中を歩いていく。鷹が獲物を狙うような鋭い視線を全身に浴びながら。ナナが笑えば合わせ鏡のように笑う。ぐずればあやし、疲れたなら休む。とても自然な行動を取りつつ、警戒を(おこた)らない。

 買い物というのはあくまで体裁で、本当は何かを探していた。そして街の様子を観察していた。

 綱渡りのような散歩をしてから数時間、この国の五分の一ほどを制覇する。

「……なるほど」

 ディンは納得する。異様な雰囲気の実態を理解できたためだ。シスターの言う“人間蘇生法”とやらにかかる費用を稼ぐため、ディンたちのような旅人を狙っている。あるいは弱者を見抜き、

「ちょっと一緒に来てもらっていいかな?」

「……」

 人気のない所まで連れて行き、強奪する。芸術的で美しい外観とは裏腹に、陰で行われているのはえげつない行為だ。ディンたちが当初感じていた“活気”とはむしろこちらだったらしい。

 二人は昼食を取った。すぐに逃げられるようにオープンレストランの外席で。

「……ごちそうさま」

「えぇ。さて、もう少し散歩しましょうか」

「え~! かいものはぁっ?」

「だってお気に召す店がないでしょう?」

「……そうだけど……」

 ディンはウェイターを呼び、食事の精算を、

「えっと……あれ?」

「どうしたの?」

「えーっと、たしかここに……え?」

「いかがなさいましたか、お客様?」

「サイフがない……」

「……」

 中断し、手荷物を全て調べた。しかし、

「……ない……」

 見つからなかった。

「おかしい……どうして……?」

「代金はどう支払われますか?」

 ずいっと怖い表情が詰め寄る。ディンは苦笑い以外できなかった。

「仕方ないですね。これなんかどうです?」

 漁った荷物から何かを取り出し、ウェイターに握らせた。

「ではこれで」

 平然と立ち上がり、ナナを連れだしていった。

「いったいなに、……! こっこれはっ……!」

 金貨だった。太陽の光を受けて輝いている。

 

 

 二人は午後の時間を街探索と買い物に使った。必要な物を売り払い、同時に必要な物を買っていく。結局、手元に残ったお金が少なかったので、全てがウィンドウショッピングになってしまった。ナナの機嫌はものすごく悪くなった。

 夕方を過ぎ、完全に日が沈む前に、探索を終えて宿に戻る。宿、店、役所、博物館、教会、警察署、消防署、図書館といった建物を見つけることができた。これで探索はほぼ完了した。

 国は特別なエリアというようなものはない。全てが道路と建物で支配され、立入禁止区域がない。区や町という区別もなく、一個全体が街というような(てい)をなしていた。

「つまんなかった。サイフも見つからないし、どうなってんのっ」

「私に言われても……ごめんなさいとしか……」

 憂さ晴らしにディンを(はた)く。しかし全然力が入っていないので、適当にあしらっていた。

 特別変わったことは住民の異様な気配だけだが、ディンはしっかりと何かを把握できていた。

「アイスたべたい」

「もう夕食ですか。今日はさすがに歩き疲れましたねぇ。ですが、満足に召し上がれないかと」

「あ、そっか。じゃなくて! これからどうするのっ?」

「うーん。ここの人たちみたく盗みでも働きますか」

「さんせーい! みんなもやってるし、いいよね!」

「って、そこは拒否するところでしょう? 加勢してどうするんですか」

「もとはといえば、サイフおとすからいけないんでしょっ!」

「感情豊かになったのはいいですが、少し静かにしてくださいね」

「またこどもあつかいしてっ」

「見た目は大人、頭脳は……まぁ、とりあえず予備は少しありますから、それで何かいただ、」

 ドアの方からノック音がした。

「?」

 ドアの覗き穴から見ると、

「ごめんくださーい」

 ボロボロの格好をした子供がぽつんと立っていた。黒いショートヘアに小麦色の肌、真ん丸の目付きの少年だった。黒と橙色のボーダーシャツは服というよりも布かけに近いくらい破れているし、深緑色のパンツも下着が見えてしまいそうなくらいに短い。(すそ)から糸くずが見えることから、何回も裁断したのだろう。

 何かを持っている。

「ちょっと待ってくださいね」

 ディンはドアから少し離れ、少し考える。もう夜が更けそうだというのに……。

「あの、これってあなたのですか……?」

「えっと」

 その声に反応して覗き穴をみ、

「!」

 ガラス片と一緒に、黒色一閃の何かが眼に突っ込んできた。しかし、間一髪、上体を反らして(かわ)していた。

 次は銃声。乾いた連続音が鳴り響き、ドアは一瞬で蜂の巣になる。貫通する銃弾に、ディンは身を伏せてやり過ごすしかなかった。

 止んだ。

 この数瞬でディンは部屋奥まで駆け抜けた。

「ナナさんっ、大丈夫ですかっ?」

 ベッドの脇に身を隠していた。

「う、うん。でもどうなってるのっ?」

「とにかく私が敵を殲滅(せんめつ)してきます。あなたはお風呂の方へ」

「わかったっ」

 屈みながらお風呂の方へ走っていった。

 ベッドに立てかけていた鋼鉄製ブーツを履き、ジャケットの中からショットガンともう一丁の自動式拳銃を取り出す。弾倉を確認する。

「! 弾が五発、ないっ」

 ディンが使用している自動式拳銃の装填数は六発と一発(薬室に装填される分)だが、マガジンの中には一発しか入っていなかった。銃をスライドすると、薬室に装填されていた一発が排莢(はいきょう)される。

 急いで装填し直すが、

「!」

 鈍い衝撃音。誰かがドアを蹴破ってきた。

 ディンは仕方なく、ドアへ通じる通路にショットガンを向ける。

「!」

 敵が入ってきた。と同時に肉片が飛び散っていった。

 敵の脚が見えた瞬間に引き金を引いていたディン。トマトが砕け散ったように、背後の壁に血飛沫と肉片と散弾が植えつけられる。

 その一発で一気に静まり返った。今のうちに残りの弾を装填していく。

「……」

 敵は通路に隠れている三人と死体が一つ。全員特殊部隊というより、そこら辺のチンピラという感じで、単純に銃撃してきただけだ。しかし意思疎通はやり慣れており、アイコンタクトやジェスチャーは伝わっている。

 おい、こんなの聞いてねえよ!

 どう攻める?

 爆弾はダメだ。金目の物が吹っ飛んじまう。

 無駄弾散らしながら飛び出るか?

 落ち着け! 相手は手練れだぞ! 裸で放り込まれるのと同じだ!

 要は一瞬のスキを作ればいい。

 その内の一人が死体をずるずると引き寄せてきた。頭が完全に無くなっており、断面の荒れた首から流血を残していくのみ。その荷物から剥がし取ったのは、

「!」

 手榴弾だった。

 何考えてんだ!

 いいから黙ってろ!

 すると、何もせずにリビングの方へ投げた。

「っ!」

 向こうから足音がする。慌ただしくこちらへ近づいてくる。発生源が間近になったところで、三人はそちらに銃を構えた。

「……」

「……」

「!」

 にゅるっと何かがでてきた。それを理解できた時は、

「びゃっ」

「ご」

「ぐああああああぁぁぁ」

 遅かった。

 三人のうち比較的近かった二人は爆裂した。頭は無事なものの当たり所が悪く、あっけなく死んだ。残る一人は運良く生き延びる。もっとも、無意識にかばった右腕は穴だらけだが。

「ぐぎいいぃ……いでぇよお……」

 痛みで(うずくま)っていたところに、大きい足音が聞こえた。

「ひ」

「運がいいですねぇ」

 鼻先に押し付けられる銃口。激痛で滲んでいた脂汗が、今度は全身に広がっていた。穴という穴から様々なものが漏れだしていた。異臭が漂い始めている。

「た、たしゅけて」

「では、質問に答えてくれれば助けてあげましょう」

「はっはひっ」

「あなたも金目当てですか? その目的は?」

「お、親を……生き返らせたくて……」

「次に、あの少年は誰ですか?」

 外で男を見下ろしている少年。転がっている石を見るように、興味なさげだった。

「あ、あかるってんだ、あのガキ……は、はひっ」

「アカル? ……」

 呼吸が荒くなる。それを無視し、ディンはじっと見つめる。くすりと笑った。

「あなた、私にぶつかってきた男の子ですね?」

「うん」

「なるほど、手癖が悪いようです」

 男の呼吸がさらに荒くなってきた。

「最後に、あなたは人が蘇ると信じてるのですか?」

「あ、当たり前だ! おっれは見たんだっ。つツレのあねがもど、もどってきたとこをなっ」

「! なにっ」

 ショットガンをしまい、ディンは男を抱き上げた。

「それは気になりますねっ。まだ死なないでくださいよ!」

「はひっはひっひっひっ…………ひ…………………………」

 抱えていた腕に急に重みがかかる。

「……」

 男を下ろすと、何も反応を示さなかった。

 男の死に様を確認する。

「……しんだの?」

 ぴくっと人差し指が反応した。まだ引き金に引っ掛かっている。

「! ナナさんですか。驚かさないでください。それと、勝手に出てきてはダメですよ」

「ごめんなさい。でも、しずかになったから……」

「えぇ。終わりました」

「あの子はだれ?」

 ナナが指差す。

「“アカル”というそうです。それより、ここを出ましょう。ナナさん、荷物を持ってきて準備をお願いします。私は後片付けを。アカルは部屋の中へ」

「うん」

 ディンは死体を力任せに引きずり、風呂場の浴槽に放り込む。死んでいるために余計に重く感じた。

 その後、外へ出て周りを見渡した。あんなに物音を立てていたのに、変に静まり返っている。不気味でしょうがなかった。

 準備が整った。ディンは迷彩リュックを背負い、ショルダーバッグを肩に掛けた。

「先に私が出ます。背後に注意しながら出てきてください」

「わかったぁ」

 ショットガンに弾を装填する。かちりと音を立て、ホルスターにしまいこんだ。

 すっと部屋を出る。彼は銃を持ってはいないが、人の姿が一瞬でも見えた時に、照準を合わせるイメージを作っている。

 通路に人はいない。ナナたちに合図を送り、外に出させる。

 階段まで三十数メートルは離れている。その間、部屋数は十室ほどで、ここにぶつかる通路は二つ。反対側も同じくらいある。ひとまず、ディンたちは右手の方へ向かった。徒歩の半分くらいの速さで。

 物音がない。まるで無人の廃墟にいるかのようだ。しかし照明も付いているし空調も効いている。いくら就寝時刻に近いとはいえ、何も騒ぎがないのは不自然だった。ディンは進みながらそう考えていた。

 ナナたちもそれを()ぎ取っていたようで、静かについていく。

 表情が硬い。

 階段まで何も起こらなかった。考え過ぎかと思われたが、気を入れ直して降りていく。

 階段にもマットが敷かれているために足音を殺すことができた。それが幸いしたか、一階フロアまでも異変は起きなかった。

 フロントの奥に出口、そして脇に例のレストランがある。そこまでは二十メートルもないだろう。それに受付人やレストランに客が何人かいた。気が緩むが、嫌な気が抜けない。

 とにかくフロントに移動する。

「こんばんは。どうなさいましたか?」

「あぁいや……その、チェックアウトしたいんです」

 ルームキーを差し出す。

「明日の午前中まででしたら泊まることができますが、よろしいでしょうか?」

「はい。ちょっと急用ができてしまって……」

「急用というのは死体処理のことでしょうか?」

「!」

 抜く手がぼやけるほどに早かった。

「……」

 ショットガンを顔の中心に合わせている。ところが受付人は、

「どうか落ち着いてくださいませ」

 全く動揺していなかった。

「死体処理でしたらサービス内にありますので、どうかご心配なさらないでください」

「な、なに?」

 顔が歪む。

「ご存知でしょう? この国は死人が蘇る国なのです。ですからそんなに慌てなくとも大丈夫ですわ。今、スタッフがお部屋の清掃を行なっております。同じ部屋では厳しいのであれば、別の部屋をご案内致しますが、いかがいたしますか?」

「……」

 営業スマイル。

 物品破損の対応をするかのような態度に、ディンは茫然(ぼうぜん)とするだけだった。

 

 

 結局、受付人の言葉に甘えさせてもらうことになった。“アカル”という少年とナナをベッドで休ませ、ディンは椅子に座って一夜を過ごす。部屋の作りは全く同じだったので、その戸惑いはなかった。

 ぐるぐると疑問と悩みが頭の中で回り、それが静まろうとした頃、朝を迎える。昨日のこともあってか、気持ちいい晴天でも気分が優れない。ディンは身体の節々に痛みを覚えながらの起床となった。

「……気持ち悪いですねぇ」

 気分転換に朝風呂に入る。と、

「ああ、ごめんよ。オイラが先に入ってるから」

 アカルが先に入っていた。ボロボロのシャツとパンツがゴミのように脱ぎ捨てられている。

 浴室扉のぼかしガラスを隔てて話す。水飛沫がかかっている。

「いえ、けっこうですよ。あなたの姿がなかったから、出て行ったのかと思いましたよ」

「そう。あっあと、金は返しといたから」

「それだけで済むと思っているんですか? 舐め腐った子供ですねぇ」

「オイラも生きるためには手段を選べないんだ」

「……あなた、いくつですか?」

「うーん……わかんない」

 少年特有の幼い声に低い背丈、丸顔と、多く見積もっても十代中頃だ。下手をすればまだ十代にもなっていない。

「あなたも家族か誰かのためですか?」

「うん。……妹がいるんだ。双子の……“アカリ”って言うんだけどさ」

「……両親は?」

「故郷にいる……と思う」

「思う、とは?」

「長い間、故郷に帰ってないし。だから今でもそこにいるかどうか……」

「長い間って……。いつからこの国に住み着くようになったんです?」

「……はっきりとは覚えてないんだ」

「記憶喪失、とは違うみたいですねぇ……」

 不自然だらけで半ば混乱していた。ディンは少し黙り、

「…………ふむ……」

 考えてから、

「少し確認してもいいですか?」

 アカルに尋ねた。いいよ、と二つ返事。

「この国では死人が生き返る“人間蘇生法”という技術を持っていて、人が死んでも騒ぐような事態ではない。そして、ここにいる人間の大半が誰かを生き返らせたくて、犯罪的にお金を稼いでいる……。ここまではいいですか?」

「だいたい合ってる」

「で、ここで疑問なんですが、人間蘇生法というのはどこで頼むものなんです?」

「いろんなところだよ」

「? 色んなところ? どういう意味です?」

「つまり、オイラ“も”知ってるってこと」

「……? あ」

 よく意味を理解できなかったが、別のことを思い出す。

「……そういえば、今日は別の用事がありましたか……」

「別のって?」

「あぁいえ、こちらの話ですよ。あなたも一緒に来ます?」

「オイラはいいよ。大事なことだろ? 旅人さんも誰かを生き返らせたくて、ここに来たんだろうし」

「……」

 言い返しはしなかった。

「って、お風呂はまだですか?」

「オイラも久々だからさ。あと五時間いいかな?」

「とっくにチェックアウトしてますよっ」

 ディンも起きたナナも風呂に入り、出立の準備に取り掛かる。と言っても、昨日でほぼ完了しているので、忘れ物の再度確認くらいだった。

 例の時間まで余裕はある。アカルのことも考え、ディンはギリギリまで部屋にいることにした。

「いいのかい?」

「えぇ。あなたも大変でしょうから、身なりくらいはきちんとさせますよ。情報料として受け取ってください」

 ディンはサイズの合わない衣類と携帯食料、ちょっとした小金を渡した。そして、

「追加で聞きたいことがあります」

 金貨を一枚手渡した。

「……これだけ奮発してくれたんだ。何だって教えるよ」

「では気兼ねなく。……死者が生き返ると本当に信じますか?」

「もちろん」

 

 

 


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