フーと散歩   作:水霧

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第一話:あそぶとこ

 枯れ果てた雑草がぽつぽつ生えた荒野だった。大地に水気がなく、乾いた砂が風で巻き上がる。晴れているがじめじめとしていて、太陽の光が肌にベタつくようで気持ちが悪い。そこに一本の道が通っていた。車が走れる程度には舗装されているが、土埃(つちぼこり)が酷い。

 荒野を見渡すと、道の遠い先に街が見える。双眼鏡を(のぞ)くと、古びたビルやら如何(いかが)わしい建物やらが集まっているのが見えた。

「あそこだ」

 一人の男が双眼鏡を下げた。肌黒で単発頭の男だった。背後には車一台が停まっている。中には別の男が眠っていた。

 肌黒の男は車に戻り、すぐに走らせた。

「もうすぐで着くぜ」

「ありがとうございます」

 眠っている男から女の“声”が聞こえた。冷淡できつい口調だった。

「いいってことよ。俺も帰るところだったんだ。それに、旅人さんも目的があってきたんだろ?」

「目的というほどのことではありません。ただ面白い街があると聞いたものですから」

「じゃあ、なんて呼ばれてるか知ってるってわけだ」

(いわ)く“一生遊んで暮らせる楽園”ですか」

「まぁ、中に入れば理由が分かるってもんだ」

「そうですね」

「……」

 憂鬱そうに街を眺める。

 車は街の方へ向かっていく。

 

 

 薄汚れたビルが建ち並んでいる。その間は暗く影を落とし、不気味だった。他にもバーや如何わしい店、武器屋や荒れ果てたレストランなど、街として治安が悪そうだ。

 空はなぜか黄色く(よど)み、太陽の光がどことなく(ゆが)んで見える。べっとりとした肌触りと異臭で気持ち悪い。それは道に放置された“様々な”ゴミによるものだろうと推測できた。道もいたるところに補修の跡がある。

 それでも、そこに住む人々は、

「今日も張り切っていくかぁ!」

「がははははっ!」

「おい、今日はあそこに行こうぜ!」

「いいなそれっ」

「ねぇあなた、少し遊んでいかないかい?」

 異質な活気があった。

 一台の車がその中を通っている。とある建物の前で停まった。そこは役所のようで、ガラスの入口に二人の警備員がきりりと直立していた。腰には警棒と銃を収めるホルスターが装備されている。

 車から肌黒の運転手と男が降りてきた。男は全身黒かった。フードのついたセーターと黒いズボンを着て、薄汚れたスニーカーを履いている。セーターの前面についているファスナーは胸元まで上げていて、そこに四角い水色の物体を下げた首飾りが見える。(そで)は掌の半分まで、(すそ)はズボンのポケットを覆うくらいに伸びている。両腰にはそれぞれポーチが付けられていて、セーターを盛り上がらせていた。

 その男が役所の中へ入ろうとした。

「どうもこんにちは!」

 警備員が敬礼をした。男は軽く会釈して、中に入る。

 涼しい。べったりと汗ばんだ身体を逆撫でするように冷気が突き刺さる。男はセーターのファスナーを首元まで上げた。

「お待ちのお客様、こちらへどうぞ」

 男は受付の女に呼ばれ、そちらに向かい、座った。

「入国の手続きを行います。お名前と年齢、身分、年収、滞在期間をこちらの用紙に記入してください」

「年収? 一応、旅人でこちらに寄っただけなんだけど……」

「あぁ、それでしたらそこは空欄(くうらん)で結構です。身分の方に“旅人”とご記入ください」

 男はさらさらと書いていく。期間は三日にした。

「それと、よろしければ、下の欄のアンケートにご協力お願いします。簡単なものですので」

「分かった」

 アンケートには好き嫌いや性格のこと、街の印象について記されていた。

「ありがとうございました。“ダメ男”様、でよろしいですね?」

「うん」

 “ダメ男”と呼ばれた男は(うなず)いた。

「少々お待ちください」

 受付の女はどこかへ行ってしまった。

 ダメ男は周りを見渡してみる。くすんだ白い部屋、天井や床にマス目が刻まれている。そこに、デスクワークをしている従業員十人がダメ男の向かい側のスペースでまったりしている。全員が気楽そうに箱型の機械を動かしていた。ダメ男とそこを隔てるのは長いテーブル。五人ほど座れる長さで真っ白な仕切りがされていた。少し下がると、どの席も()まっているのが見える。そして背後は約五十人座れる待合席が設けられていた。半分ほど埋まり、その中に肌黒の男が待っている。天井にカッと光るけいこう、

「お待たせしました」

 と、受付の女が戻ってきた。茶封筒を持っていた。

「こちらがダメ男様の資金となります」

「? 資金?」

「はい。詳しい説明をいたします」

 受付の女は淡々と説明した。要約すると、入国した者は老若男女関係なく一律の資金、券五十枚が支給される。それを使い、この街で存分に遊ぶことができる。この街を出るときには全額返済はしなくていいが、少しでも返済するようにしてほしい。返済はこの役所で行う。ただし、強盗や窃盗、遊び以外での資金の譲渡での返金は認められず、その資金で返済した者にはペナルティが課せられる。手持ちの荷物を換金所で交換することもできるし、そこで物品を購入することもできる。茶封筒は失くしても問題はなく、遊ぶ場所やルールは特に制限はない。

 最後に受付の女はパンフレットをダメ男に手渡してくれた。

「滞在期間には厳しい規則がありますので、きっちりと期間内に街を出発できるようにお願いします。それでは、ごゆるりとお楽しみください」

 ダメ男は一礼して、肌黒の男の元に戻った。

「手続きが無事に終わってよかったよ」

「これをもらったのはいいけど、どうすればいいんだか分からないな」

「この街で遊ぶには“それ”が全てだ。いやむしろそれ以外の使用方法はない」

「? どういうことですか?」

「この街は宿やバー、レストラン、ショップ、病院、公共機関といったものも全て無料なんだ。だから遊ぶこと以外に使えないんだよ」

「まさに“楽園”ですね」

「あぁ。じゃあまずは宿でも取ろうか」

「そうだな」

 二人は車に乗り、

「あんたはどうしてオレにそこまでしてくれるんだ?」

「その理由は宿を取ってからにしよう」

「分かった」

 宿に着いた。何かの単語をピンクのイルミネーションで光らせていた。見るからに怪しい。

「ここ……なに?」

「なんだよ、知らないのか。ダメ男、年いくつだよ?」

「……」

 中に入ると、

「!」

 ダメ男の顔が真っ赤になった。

「お前も男なんだから、こういうことも知っておけよ? これも“遊び”の一つなんだからさ」

「い、いや……でも……」

 宿に入るや、左にあるカウンターに刺激的な格好をした女がいた。受付のようで、肌黒の男は驚く素振りも見せず、すらすらと名簿に記していく。

「んふ」

 ウィンク。

「!」

 ダメ男は(うつむ)いてしまった。女がニヤニヤしている。

「意外とウブなんだな。……ほれ、これが鍵だ」

 金色の鍵だった。

「……それで、あの理由を知りたい」

「あぁ。実はな、外部の人間を紹介して宿まで案内すると、紹介料がもらえるんだ」

「なるほど。納得しました」

「それじゃあ、俺の役目はここまでだ。いい経験しろよ、少年」

 肌黒の男は宿を立ち去った。

「……」

「とりあえず、部屋に入りましょうか」

「あぁ……」

 女の視線を感じながら、部屋に向かった。

「なぁフー」

「何ですか?」

 “フー”と呼ばれた“女の声”は少し怒り気味だった。

「別に下心はないからな」

「男というものは物事を下半身でしか判断できないのですね。あなたは下劣で気持ち悪くてどうしようもなくダメ人間ですね」

「頼むからそういうことは言わんでくれ。そういうわけじゃないから」

「女たらし」

「……」

 部屋に入ると、

「意外と普通ですね」

 ほっと胸を撫で下ろした。

 六畳くらいの広さにベッドとテーブルがあり、浴室とトイレが一つになっていた。窓際にテーブル、その左にベッドが設置されている。それら以外は特にない。

 ベッドに真っ黒のリュックとウェストポーチを投げ捨て、床に寝転がった。

「今何時?」

「十六時三十二分です」

「微妙だな……」

「もしヒッチハイクが成功していなければ、今もあの荒野で野宿していたでしょうね」

「何回も拾ってもらってるけどありがたいもんだな。……少し昼寝するか」

「いけません。きちんとした睡眠が取れなくなりますよ」

「……分かった。じゃあ出掛けよう」

 ベッドに放っておいたウェストポーチを腰に付けて、宿を出た。

 

 

 日が傾いているようで、夕焼けが見えていた。街並みは黄色く色づくが、ベタついているようで、どことなく気色が悪い。

 宿は丁字路(ていじろ)の交点の左下の端にあり、左右に広がって怪しい店が建ち並ぶ。どの道も街の外まで一直線に繋がっている。街に存在する大道はそれしかなく、かなり分かりやすい構造になっていた。ちなみに役所は丁字路の下へ向かうとあるが、外に出るまで恐ろしく長い。地平線彼方まで続いている。

 ダメ男は通行人をちらちらと見る。

「楽しそうだな」

「そうですね。このような街には違法な店もあるものですから、裏道に行くのは控えた方がいいです。五体満足でここを()てるか心配になります」

「怖いこと言うなよ。とりあえず、目の前の店に入ってみるか」

 道を挟んだ反対側にはキラキラと光った店があった。甲高い音楽をあたりにまき散らしている。

 中に入ると、テレビの砂嵐をスロー再生したようなどぎつい騒音が暴れていた。大人数の人々が背中を向けあって並んでいて、四角い台に対面していた。異様な熱気だった。誰もが殺気立っていて、とても遊びに来ているとは思えない雰囲気だ。

 耳にイヤホンをした店員らしき男が、

「いらっしゃいませ」

 涼しい顔で声を掛けてきた。ダメ男の表情は苦悶で(ひず)ませている。

「そのご様子だと、初めていらしたようですね。こちらの部屋で説明をいたしますが、どうしますか?」

「……じゃあ頼む」

 かしこまりました、と口角を上げて返事した。

 案内されたのは応接室のようで、ソファーとテーブル、お茶請けの入った棚のみしかない。しかし、あの爆音はすぱっとカットされていた。

 ダメ男は一礼してから腰を下ろした。

「当店では、資金をこの玉に変換し、それを使ってスロットをするゲームを提供いたしております」

 店員はポケットから綺麗な銀色の玉を取り出し、ダメ男に手渡した。サイズにしては重量を感じる。

「えっと……“すろっと”って……?」

「失礼いたしました。つまり、同じ絵柄を(そろ)えるゲームです」

「はぁ……」

「絵柄や状況によって返ってくる玉が増減するのです。ですから、運が良ければ変換していただいた玉が二倍三倍となることもございます」

「なるほど」

「当店では、その玉の個数を券として発行し、系列店にて物品と交換できます。中には希少価値の高い物品もございます」

「へぇー。それは楽しみだな」

「はい。それでは実際の操作ですが、至って簡単です。実際にやってみた方が分かりやすいでしょうから、」

 店員が立ち上がると、背後にその台が準備されていた。

「実践してみましょう。このご説明で使用する玉は無料ですのでご安心ください」

 ダメ男は台の前にある椅子に座った。手元には何かを入れるスペースと調節ネジのようなツマミがあるだけだ。台は画面やらピンやらいろいろな装飾がされている。

「こちらのスペースは二段に別れていて、上段は玉を入れるスペース、下段は玉を受け取るスペースになっています。下段には、」

 透明な箱をそこに置いた。

「この箱で直接玉を受け取ります。そしてこちらのノブは玉の投入具合を決めるノブです。当店では右回りに(ねじ)ると玉が投入されます。実際にやってみましょう」

 台の後ろに回ると、台が動き出した。耳に突き刺さるような音楽が鳴り響き、ピカピカと光りだした。同時に、画面に三つの絵が現れ、縦回転に回っていく。

 玉を投入し、ノブを捩る。多くの玉が台に投入され、かちゃかちゃと衝突しながら下降していき、下の穴へと入っていった。やがて玉が無くなった。

「もう終わりか?」

「はい。今回は何も起こりませんでしたが、二つの絵柄が揃うと、“リーチ”となります。状況によってはリーチが変化し当たりやすくなったり、玉が増減したりすることがあります」

「……分かった。ちょっとやってみるよ」

 ダメ男はすくっと立ち上がった。

「ダメ男? どうしたのですか?」

「いや。なんでもないよ」

「それでは、券をお譲りください」

 ダメ男が茶封筒から二枚の券を渡すと、別の店員が入ってきた。透明な箱二つぶん持っていた。

「それでは、存分にお楽しみください」

「ありがとう」

 ずっしりと受け取った。

 部屋から出て、早速台に座った。先ほどとは違う音楽が鳴っている。

「ダメ男? 大丈夫ですか?」

「何が?」

「一つ一つの行動に無駄がありません。いえ、目に入っていないかのようにも見えます。誰の目もくれず、ここに座ったのです」

「早くやりたいなって思っただけだよ」

「それならいいのですが」

 ダメ男は箱に入った玉を鷲掴(わしづか)みにして、投入した。じゃらじゃら、かちゃかちゃ、ばちばち、ころころと耳に浸透していく。画面には、絵柄がぐるぐると回っている。……揃わない。じゃらじゃら、じゃららら、じゃらじゃら、ごちごち、じゃらっじゃらららら、……揃わない。じゃらじゃら、じゃらじゃら、じゃらららら、じゃらじゃら、じゃらららら、じゃらららら、……揃わない。

 鷲掴みに玉を投入。じゃらじゃら、かちゃかちゃ、ぱちぱち、じゃらららら、……揃わない。じゃらじゃら、ごたごた、ばちばち、じゃらららら、……揃わない。じゃらじゃら、じゃらっじゃら、じゃりっ。

「お」

 絵柄が二つ揃った。その瞬間、七色の懐中電灯を直接目に向けたかのような光が目を襲い、単調で軽快な音楽が鳴り響く。残りの絵柄が猛烈な勢いで回り回り回り……、玉が無くなった。

「なにっ?」

 急いで玉を投入した。ほっとする。そしてまた画面を見ると、まだ回っていた。ぐるぐるぐるぐる、スーパーリーチ! の掛け声と共にさらに勢いを増して回り続ける。また玉が無くなり、箱を逆さまにして投入した。さらに安心する。そして、回っていた絵柄に勢いがなくなり、ゆっくりと……、外れた。

「くっそ! 当たらないのかよっ! あんだけ時間かけといてふざけん、」

「ダメ男!」

「なんだよフー!」

「手元を見てください」

「あ? ……!」

 ダメ男の手元には、二つの空箱があった。

「気が付かなかったのですか? ダメ男はもう使い切ってしまったのですよ?」

「え? だってまだ数分しか()ってないだろ?」

「そうです。数分しか経っていません。それに、こちらの声も無視して集中していたのですよ」

「……」

 ダメ男はすぐに店を出て行った。

 

 

 宿に帰っていた。

「ダメ男、大丈夫ですか?」

「……」

 ベッドに(うずくま)っていた。

「なんだったんだあれ……」

「あの時のダメ男はダメ男でないようでした。何かに取り()かれているように見えました」

「……頭いたい……」

「どうしますか? 街を出ますか?」

「いや、三日って書いちゃったし……まだいるよ」

「分かりました。でも無理はしないでくださいね」

「あぁ。もうあそこはダメだな。身体に悪そうだ」

 

 

 翌日は、

「……このように、このメダルを使って絵柄を揃えていただきます」

「分かった」

「大丈夫ですか?」

「あぁ。大丈夫だ」

 半日使い、

「これ面白いな」

「ですが、動体視力で揃えようとしても、揃いませんね」

「それでも、けっこう当たってるしな」

「目が回ってきました。少し休みます」

「そうだな、オレもそうしよう」

 券を八枚無駄にした。

「なんだかんだで他のゲームも面白そうですね」

「このボタン連打のやつなんか、早すぎて認識してくれなかったよ」

「ダメ男、それはボタンをきちんと押せていなかったのです。ほら、“カチッ”と音が鳴るまで押してください、と注意書きがありますし」

「うわ……ショック……」

 次は、

「……このようにして、絵柄を組み合わせて、それに資金を賭けていただきます。勝つことができれば、その組み合わせに対応した配当をお渡しします」

「分かった。これも面白そうだ」

「そうですね」

 半日使い、

「……また負けた。あんた強いな……」

「いやいや、あなたもお強いですね。こんなに負けたのはあなたが初めてです」

「じゃあもう一勝負しよう」

「ダメ男、もう十八戦四勝十四敗です。弱すぎます」

「うっさい」

「私がやってみてもいいですか?」

「へぇ。いいよ」

 券を三十五枚使った。

「フー、意外にセンスあるんだな……」

「十七戦十六勝一敗ですか。コツを掴むと楽しいですね。他のゲームも遊んで、券を使ってしまいましたけど」

「……あと五枚みたいだ」

「次はどうします?」

「遊ぶ」

 ダメ男たちの遊びが激しさを増していく。

 次は、とある賭場だった。障子に(たたみ)という和室の部屋に十人ほどの客が向かい合い、真ん中の板にプレートを乗せていた。客が見る方向、板の端っこに上半身裸の男がいる。男の背中には刺青(いれずみ)がされていて、ごつい体格をしていた。男は手にサイコロと茶色の不透明なコップを持っていた。

 客の中にダメ男がいた。ちょうど真ん中の席にいる。

「では参りやす」

 男はサイコロをコップに入れ、ころころと転がした。そして飲み口を塞ぐように、コップの飲み口を板に押し付けた。コップの中でかちかちとサイコロが暴れているのが聞こえる。

「さあ偶か奇か! はったはったぁ!」

 客たちはどちらかを選びながら、プレートを板の真ん中へ差し出した。ダメ男も、

「奇数だな」

「偶数ですね」

 差し出した。ちなみに、五枚のうち一枚出していた。

「出揃いやしたね? それでは開けやす……」

 男がゆっくりとコップを開けていった。サイコロの目は、

「三五の偶!」

 合計して八だった。

 安堵のため息や悲痛な叫びで場をざわつかせた。

「外れた……」

 ダメ男は外れていた。

 部屋の四隅にいた黒服の男たちがプレートを回収していく。

「フーもやってみるか?」

「いえ。口だけ出しておきます」

「それではもう一度始めやす」

 同じようにサイコロをコップの中に入れ、板に押し付けた。

「さあ偶か奇か! はったはったぁ!」

 同じように客たちはどちらかを選びながら、プレートを板の真ん中へ差し出した。ダメ男も、

「偶数だな」

「奇数です」

 プレートを三枚差し出した。

「出揃いやしたね? それでは開けやす……」

 男がコップを開けていった。サイコロの目は、

「一四の奇!」

 合計が五だった。

「またはずれた……」

「ダメ男は本当にダメですね」

「うっさい」

 無慈悲にもプレートが回収されていく。プレートはもはや一枚のみとなった。

「大丈夫だ……ぎゃくてん、ぎゃくてんさえできれば……」

「負けフラグですね。ここで潮時かも、」

「それではもう一度行いやす!」

「え? ちょっとまってくだ、」

 サイコロをコップに入れ、ころころと回した後、

「すまんな“トウリョウ”! おいらはここで下りるぜ!」

 誰かが言い放った。男は、

「分かりやした。それじゃあやり直ししやす」

「あんちゃんもやめるんだべ?」

 ダメ男の肩に何かが触れた。それは手だった。

 その人は、ダメ男の隣の客だった。

「え? オレは、」

「はい! ここで下ります!」

 誰かは、へへへ、と下品に笑みを漏らしながら、ダメ男を外に連れ出した。客たちが一瞬注目したが、すぐに元へ集中する。

「それじゃあ始めやす!」

 遊びはまた始まった。

 

 

 二人はどこかの食堂いた。汚らしい内装で、カウンターには焼き鳥が焼かれている。そこに座っていた。

「俺のおごりだ。食え食え」

「ありがとうございます。あそこで連れ出してくれなければ、普通に負けていました」

「次はフーの言う通りにするつもりだったし」

 四十代後半の男だった。汚らしい格好をしていた。穴凹(あなぼこ)だらけの緑の上着にクリーム色のズボンを着て、汚れたシューズは(かかと)を潰して履いていた。

「あんたは?」

「俺か? 何でもない男だ。気にすんな」

 (しゃが)れた声で笑う。顔が火照(ほて)っていた。

「それにしても、お前はほんっとにセンスのカケラもないなっ」

「え? なんで? あんなの運じゃん」

「だからセンスがないんだよ。今まで全部な」

「!」

 目を丸くした。

「あ、あんた……ずっとオレをつけてたのか?」

「お前さんは幸運の女神様に見捨てられてたからな。さすがに心配になってな……」

 男はグラスの水をラッパ飲みした。どことなくきつい匂いがする。

「“遊び”のセンスがないっ。お前さんより、おじょうちゃんの方が良さそうだ」

「それほどでもないです」

謙遜(けんそん)しろっ」

 ダメ男もオレンジジュースを一気飲みした。

 出来上がった焼き鳥をもらい、がっついた。

「ほふっ、ほっ……」

「おじさん、オレに教えてくれよ。負けっぱなしは性に合わない」

「やめておけ。お前さんの気性に合わないよ」

「?」

「お前さんは素直すぎる。挙動から考え方から何から全てだ。だから簡単に見放されるんだよ」

「そうかもしれないけど……運なんだから仕方ないだろ?」

「そーんなこと言ってると、」

「!」

 ダメ男の左目に、

「取り返しがつかなくなるぞ?」

 焼き鳥の串が向けられていた。触れる寸前だった。

「……」

「行きながら話そう。おやじ! 今日も“ツケ”だ!」

「あいよ!」

 二人は店を出た。男が先に歩き出して、ダメ男が付いていった。

「玉やメダルといった遊びにゃ、確率を変化させる装置がついてると噂になっとるし、カードの遊びはカード自体やその他の環境に仕掛けがあるし、賭場にはサイコロに細工がされてる」

「え?」

「つまり“イカサマ”だ。まぁただの噂だけどな。でも、遊ぶにしても勝つつもりで行かなかったら、ただ金と時間を無駄遣いしてるだけだ」

「……」

 何とも言えない顔になるダメ男。

「フーはそれに気付いて……?」

「いえ。ただ、おかしな雰囲気ではあることは感じました」

「たとえ噂が本当だとしても楽に勝てるとは思っちゃいかん。俺だってきちんと準備はするしな」

「……そうだったのか……」

「お前さんのように純粋に気楽に素直に遊ぶ人間が辿(たど)る末路はただ一つ」

 男はある小屋に付いた。街の端っこにあり、古ぼけていて、今にも崩れそうだ。

「ここだよ」

 中には地下へ潜る梯子(はしご)があった。身軽に下りていく男にダメ男は、

「まっまってくれ」

 おどおどしていた。

 真っ暗な中に一方向から明かりが放たれている。それに、音が聞こえてくる。カチーン、カチーンと、金属を叩くような甲高い音。ダメ男には想像できなかった。

 (ほの)かに見える床に降り立つ。

「見てみろ」

「……!」

 目に飛び込んできたのは、

「ほーれ、ほーれ、ほーれ……」

「うお……おーい……」

「ちゃんと働けぇい!」

「ぎゃあぁぁぁ……」

「助けてくれえぇぇ!」

「いやだああぁぁ!」

「ぐずぐずするなぁ!」

「いぎゃあぁああぁあぁ!」

 (おぞ)ましい光景だった。ある者は鉄板を何十枚と運ばされていたり、またある者は複数で大車輪を回していたり。鎖で体罰を受け、身体でモノをいわされ、凌辱(りょうじょく)の限りを尽くしている。ぼろぼろの格好の老若男女が奴隷の(ごと)く働かされていた。街一つありそうな広大な空間に工場があるようだった。煌々(こうこう)と輝くのは炎と電気の明かりによるものだった。よく見ると、壁や床には赤い跡がいくつもある。悲鳴と轟音で空間が震えていた。

 ダメ男の額には、薄らと汗の膜ができていた。それだけでなく、脇や掌からじんわりと汗が(にじ)んでいた。暑いような寒いような、胸の奥が冷たくキンキンと痛むのに、吐息に熱が込もっている。

「な、なにしてるんだ、これ……」

「金属やら紙やら、この街に必要な素材を製造してる。もっと奥には農地があるぞ。ここで街の全てが(まかな)われているんだ」

「上は天国下は地獄、ということですか」

「そうだな」

「まさか……」

「これがお前の成れの果てだ」

「……!」

 突然の悲鳴。

「っ」

 ダメ男は目を(そむ)けた。

「街のルールは“金を返すこと”。でも、返せなかった連中はここに連行されて、一生奴隷として働かされるのさ」

「一生……? なんで……?」

「お前に渡された“金”はお前の“命”に相当するものだからだ。つまり、お前の命で遊んでいたわけだ」

「ふざけるなよ!」

 ダメ男は男の胸倉を(つか)み上げた。

「ふざけていたのはお前だ。自分で自分の命を(もてあそ)んだわけだからな。言わば“自業自得”。むしろ当然の報いだろ」

「命を金で買うだと? そんなことが、」

「馬鹿かお前。“地獄の沙汰も金次第”ってこった。俺がこうしてお前さんを助けたのもそうさ。十分に儲けさせてもらったからにすぎねえ。世の中全て“金”なんだよ」

「!」

 顔、

「ぐはっ」

 胸、

「んぐっ」

 腹、

「ぎゃあぁ」

 脚、腹、横腹。

「いってぇ……」

 男がダメ男を殴り、蹴り、踏み付け、叩き付ける。完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめされる。ダメ男の意識が失くなりかけた時に、

「俺に感謝しなくていいぜ。これはお前さんの治療代だ」

 ダメ男の目に何かが覆われた。

 

 

「……っ」

 気が付くと、そこは宿屋の部屋だった。ダメ男はベッドで仰向けになっていた。

 痛い。身体中に鈍い痛みと鋭い痛みが走り回る。

「ダメ男。無事でしたか」

「……お、まえ……なんで……?」

「“馬鹿に付ける薬はない”とはよく言ったものです。ダメ男にぴったりの言葉です」

「なんだっと?」

「もし、あのままだったら、ダメ男も一生ここで遊ばれることになったのです」

「……とりあえず……応急処置だな……」

「いえ。それは済んでいます」

「……!」

 ダメ男はゆっくりと起き上がった。(ほほ)(まぶた)()れ上がり、そこに包帯や湿布が施されている。セーターを脱ぐと、殴られたと(おぼ)しき所も同じだった。しかし、身体が痛みと疲労で震えている。次いで荷物も徹底的に調べたが、特に失くなっている物はなかった。

 ひとまずそれらをはがし、お風呂に入ることにした。ここに泊まってから一度も入っていないらしい。

「こちらも持っていってください」

「……」

 フーに言われて手に取ったのは四角い水色の物体だった。テーブルに置かれていて、そこからフーの声が聞こえている。風呂場の脱衣所に置いておいた。浴室に入り、汗を流す。

「いった」

 ずきずきと痛む。内出血や腫れが酷い。身体中にできている。

「それが今回の授業料らしいですよ」

「要するに、遊びすぎると痛い目にあうってか?」

「はい。金輪際、関わらないようにと徹底的に(しご)いたようです」

「……あのさ」

「あそこの奴隷たちを解放しようと思っているのですか? 本当にダメ男のお人好しには、」

「ちがうよ」

「では、何ですか?」

「……ごめん」

「こちらこそごめんなさい。気軽に遊んでしまいました」

 ダメ男は風呂を上がり、タオルで拭った後に、怪我の手当てをした。

「楽しかったですか?」

「あぁ、楽しかったよ。でも後味は最悪だな」

「そうでしょうね。そうでないと困ります。遊びは依存性が強いらしいです。ダメ男も依存症になりかけたのかもしれません」

「……怖いな」

 綺麗に包帯を巻いた。

 ダメ男は黒のインナーに黒いジャケットを羽織り、ダークブルーのジーンズを履いた。一つ一つの動作に痛みが伴う。

「……今日で最終日か」

「はい」

「もう出よう」

「はい」

 ダメ男は宿を出た。

 

 

 役所に一人で入ると、受付の女が呼び寄せた。

「ダメ男様、こんにちは」

「どうも」

「今日でお約束の三日目ですが、出発いたしますか?」

「あぁ」

「そうですか。それでは、資金の方を回収いたしますので、封筒をこちらに提出してください」

 ダメ男はくしゃくしゃになった封筒を手渡した。中身を確認して、手元に置いた。

「おめでとうございます。これでダメ男様はこの街から出る権利を取得できました」

「? なんだって?」

「ダメ男様はこの街から出る権利を取得できました、と申しました」

 にこやかに言う。

「どういうこと?」

「ご説明します。この街は遊ぶために資金が必要ですが、実は街を出る権利も資金が必要です。その設定金額は人格です。我が街で独自に作り上げたスケールで人格を評価し、金額を設定します。たとえばダメ男様の場合、これだけで街を出る権利が取得できるということです」

 受付の女は券一枚をぺらぺらと(あお)ぐ。

「オレの命は紙切れ一枚分のクズってわけか……」

「いえ、全くの逆です」

「?」

「ダメ男様ほどの人格者はこの街にいるべきではないということで、設定金額が下げられたのです。つまり、人格が破綻している者ほど金額が高いのです」

「それって……なんのために?」

「我が街では悪質なギャンブルや勝負によって悪党が弱き者を支配し、弱肉強食のルールを作ってしまいました。それは我が街の警察隊に匹敵する力を持っていたのです。もし、これが世界中に広がってしまったら、この世の終わりの切欠(きっかけ)になりかねません。それほどに凶悪で劣悪な人間が、人格破綻している人間が(つど)うのです。そこで、街の長が考えました。逆にこれを利用して、人格者と悪党を選別すればいいのではないか、と。それで、作り直されたのがこの街なのです。本来の役目を悪党を拘留するための、言わば刑務所にシフトしたのです」

「そういうことだったのか……」

「それが、外部の者にねじ曲がって伝わり、“一生遊んで暮らせる楽園”となってしまったのです」

 強いため息をつく。

「ですから、ダメ男様は急いでこの街を出てください。あなたほどの人間がここに留まるのは時間の無駄としか言えません」

「あんたはどうなるんだ?」

「一部の施設や役所は警察隊によって完璧に守られています。そうでなければ、とっくに殺されているでしょう」

「……ありがとう」

「いえ、どういたしまして」

「ちなみにお伺いしたいことがあります」

 フーが尋ねる。

「何でしょう?」

「人格者を選別するのに、“紹介料”という制度があるのですか?」

「それは……分かりかねます。というより、そのような制度は現在にも過去にも未来にもありません」

「なるほど。それではもう一つだけですが、地下で奴隷として働かされているのはどのような方々ですか?」

「もちろん極悪犯やサイコパスといった方々ですが、中には人格者になりかけた方もいます。しかしいくら人格者であっても、この街の規則を守れないのであれば従っていただきます。いえ、むしろ真の人格者ならば守れて当然のはずです。ですから、地下に収容された方々は規則を守れなかった老若男女ということになります」

「分かりました。ありがとうございます」

 ダメ男は役所から出た。

 

 

 殺伐(さつばつ)とした荒野に一本の道が続いていた。枯れ果てた植物が所々で項垂(うなだ)れている。

 空は雨雲が占拠していた。既に、荒野にぽつぽつと雨粒が落ちていた。やがて、

「あ」

 雨が降り出した。(ぬく)い雨。荒野に降り注ぎ、老いた大地に染み渡る。雨音で無音がさらさらと打ち破られた。

 道の脇を伝って歩いていたダメ男は、道の上を歩き始めた。脇は泥となり泥濘(ぬかるみ)となり、水溜りを形成していく。

「雨だ」

「雨合羽はありますよね?」

「あるよ」

「でも、着ないということですか?」

「着るのがめんどくさいだけ」

「そうですね。“馬鹿は風邪を引かない”と言いますから、体調には響かないでしょう」

「オレは風邪を引いたからバカじゃないっと」

「ダメ男はバカな上にアホでドジで間抜けでクズでゴミでカスで女たらしで人格破綻の性格破綻者でノロマでジャンキーでギャンブル依存症でどうしようもないほどのヘタレ最低変態人間ですからね」

「オレに新たな称号が加わったな。全く嬉しくないし、誤解も(はなは)だしいし」

「もっとありますよ。教えてあげましょうか、カス人間さん?」

「遠慮しとく。途中で地面に叩きつけることになると思うから」

「そうですね。一人寂しく旅をすることになりますからね」

「……くそ、こいつに勝ちたい……」

 ダメ男はリュックから透明な合羽を取り出し、着込んだ。フードからジーンズの裾までカバーできるほど長かった。それと、ビニール袋を取り出し、リュックを包んだ。

「そういえば“紹介料”ってどういうことだったんだろうな」

「簡単ですよ」

「?」

「ダメ男の資金が“紹介料”ということです」

「あぁ、まるっきりカモだったわけか」

「ネギと鍋と牛肉としらたきと豆腐を持ったカモです」

「すごく家庭的で献身的なカモだな」

「ツッコむところが違います。鴨と牛の肉を同時に使うところですよ」

「混ぜるな危険ってこと?」

「三点」

 急いで息を整える。一瞬、投げ飛ばしそうな気配がした。

 昇りかける血を鎮めながら、ぐっしょぐっしょと歩いていると、

「さて、次はどちらに行きますか?」

 目の前に分かれ道があった。どちらも同じように遠くまで伸びている。

「うーん……じゃあ勝負して勝った方が行き先を決めるってのはどうだ?」

「いいですね。それでは、コインをお持ちですよね?」

「あぁ。あるよ」

 ダメ男はポーチからコインを取り出す。

「この建物の絵がある方を表でダメ男の勝利、そうでない方をこちらの勝利とします」

「なるほど、そういうことか。……いいよ。完全に運勝負だしな」

 ダメ男は弾く準備をした。親指にコインを乗せる。

「いけっ」

 コインを弾いた。くるくると高速回転して、あっという間にどこかにいってしまった。

「ちょっと飛ばしすぎた」

 それでも軌道を捉えていたようで、間もなく見つけた。

「……」

 コインは“側面”だった。

「奇跡だろ……。いくら雨で地面がぐちゃぐちゃになってても、地面に刺さって側面出すとか……」

「コインにまで、ダメ男の軟弱さが移ったようですね」

「ひとまず、殴っていい?」

「対象は自分の醜い顔面ですか?」

「誰がそんなイカれたことすんだよ」

「ダメ男はいつ、自分が正常であると思い込んでいたのですか?」

「フーをだよっ!」

「殴っても構いませんが、困るのはダメ男ですよ?」

「ぬぅ~!」

「さぁ、左に進みましょうか」

 フーが意気込む。

「え? だって“側面”じゃん」

「“表が出たらダメ男の勝利、そうでない方はこちらの勝利”と言いました。つまり、“表”に該当した時のみがダメ男の勝利ということです。“側面”は“表”ではないそれ以外、つまり“そうでない方”となります」

「なんか……屁理屈っぽい」

「ですが、勝ちは勝ちです」

「そうだけど……」

「これで、運も実力も無い男だということが証明されてしまいましたね、ダメ男」

「うっさい! あっでも、気付けなかったのは悔しいな、地味に……」

「では、ゆるりと行きましょうかね」

「あそこで気づいてればなぁ……あぁ! 悔しいですっ!」

「“ダメ男の遠吠(とおぼ)え”」

 ダメ男は道を歩いていく。じゃぶじゃぶと水溜りを跳ねながら。

 

 

 


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