フーと散歩   作:水霧

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おわり:みどりのだいち

 曇り空からわずかに見える青空。そこから太陽が優しく輝きます。その光を貰おうと、木々が空を覆い尽くそうとしています。わずかながらにできた隙間から日差しが溢れ、地上に降り注ぎます。緑の絨毯(じゅうたん)がびっしりと敷いてありました。

 そんな森の中から、突如、銃声が鳴り響きます。木に留まっていた鳥たちが驚いた様子で(わめ)き、一斉に飛び立ちます。

 森の中で、ちょうど太陽の光を直接受けている場所がありました。そこには半円の薄い石が二つ並んでいます。それぞれに花束が置いてあります。

 石の傍らには木が一本生えています。それに背を預けて座っている女がいます。無地のロングTシャツに青いジーンズを着合わせていて、両腕に黄緑色の腕時計をしていました。手には拳銃が握られていて、周辺には薬莢が散乱しています。銃口から白煙が立ち上り、間もなく消えました。

 女はぐったりとしていますが、何とか呼吸はしていました。お腹が動いていて、瞬きもしていました。生気が薄いです。ただ頭が垂れているだけのようです。

 きっ、と目つきが変わり、自分の額に銃口を押し付けます。ふるふると力を込めすぎて震えています。しかし、

「……くっ……」

 急に力が抜けて、銃を持つ手が下がりました。そのまま手放してしまいました。銃口は、

(あね)さん、またですか……」

 ディンに向けられていました。女から拳銃を取り上げ、自分の腰のホルスターに収納します。

「あれから、もう何ヶ月か経ちますけど……その……」

「……」

 女は左肩を(さす)りました。

「眠れない……。まるで、私に何かが取り()いているかのよう……」

「確かにクマが酷いですね。私が添い寝してあげますから、ゆっくり寝てください」

「フ……」

「どうしました?」

「誰かがいないと安心して眠れないとは……滑稽(こっけい)だな」

 女はディンの腕にしがみ着くと、すぐに寝入りました。(ほほ)を突っつかれても起きません。泥のように眠っています。

「!」

 突如、木陰(こかげ)から男がやってきました。

「誰だ?」

 だぼだぼの黒いセーターを着ていて、黒のパンツと黒いスニーカーを履いています。ファーの付いたフードを深く被っていました。荷物は持っていません。ただし、

「……」

 ナイフです。男の右手には鋭く尖ったナイフが握られていました。刃渡りは拳三つほどです。身体の一部であるかのように、手に馴染んでいるように見えます。それをチラつかせながら、じりじりとにじり寄ってきます。一歩ずつ、まるで追い詰めるように。

 一歩近づく度に、握り締める力が強くなっているようです。

 ディンは気取られないように、慎重に手を腰に持っていきます。その手は震え、嫌な手汗がじっとりと(にじ)んでいます。

 その瞬間、

「!」

 男が猛烈な勢いで迫ってきました。

 ディンはホルスターから拳銃を抜き、

「っ!」

 男がディンの喉元にナイフを突きつけると同時に、

「惜しかったですね」

 ディンが男の胸に銃口を向けました。

「……」

 男は押し黙りました。

 そのまま、膠着(こうちゃく)状態になります。ディンは男の呼吸状態や心理状態を細かく観察して、把握しようとします。しかし観察すればするほどに、まるで猛獣と対峙しているかのような重圧感がディンを襲いました。それは自分の生命が直に(おびや)かされている重圧感に変わりありませんでした。

 むしろ、

「はぁ……はぁ……」

 ディンの呼吸が荒くなってきます。脳天から伝い落ちる汗が額から頬、(あご)へ流れ、

「つっ」

 落ちていきます。その数がだんだんと多くなり、さらに肩で息をするようになります。

 ところが男は、

「はぁ」

 と、溜め息をついて、

「!」

 ナイフを喉元から下げました。

 ディンも照準を()らざるを得ませんでした。

「久しぶりだな」

「?」

「今でも忘れられない顔だ」

 男はフードを外しました。その男は、

「! あなたは!」

「復讐しに来た」

 “ダメ男”でした。

「こ、殺されたはずじゃ、」

「そんなことはどうでもいいけど、お前らを殺しに来た」

「っ!」

 ディンは再び銃に、

「!」

 しかし、音とともにホルスターに何かが当たり、遠くに飛ばされてしまいました。

「く!」

 その発生源は、

「動くなよ?」

 ダメ男の腹でした。小さく穴が空いています。

「その左腕はダミーってわけですか」

「まあな」

 右手で左腕を引き抜きました。手の部分は人の手にそっくりですが、セーターに隠れていた二の腕から上は簡素な造りでした。そして、胸元から左手を出して、下しながらセーターのファスナーを開きました。

「さすがに一ヶ月だと、ろくに回復しないな。撃つだけで精一杯だ」

「油断しました。利き腕は左でしたね。……にしても、あなたが銃を使うなんて信じられませんね」

「……」

 ダメ男は再びナイフを突き立てました。そして、銃口は女へ向けられます。

「オレには恨みはない。むしろ、今でも殺されて当然だと思ってる。でも……、」

 服の中から、水色の物体を取り出しました。

「こいつが駄目なんだ」

「ダメ男、早くその女を殺してくださいっ!」

 “フー”です。

「あなた……」

「本当に死にかけたオレを見て、今でも荒れてるんだ。いくらオレが(さと)しても、聞く耳すら立ててくれない」

「ダメ男、早く八つ裂きにしてください! その男を殺して、女を×××して××して、」

「フー、落ち着け。レディの言葉じゃないよ」

 ダメ男はそう(なだ)めて、フーとナイフと拳銃を“きちんと”しまいました。

「だから、話を聞いてほしい。ディンだけでもさ」

「……わかりました」

 ダメ男は二人の前で座りました。

「その前に、ディンに一つ聞きたいことがある」

「何でしょう?」

「お前があの二人を、殺したんじゃないか?」

「……!」

 ディンは少し間を空けて、

「当てずっぽうもいいとこですよ、あははは」

 笑い()けました。

「思い出したよ」

「え?」

 さぁっ、と青ざめていくのが容易に分かりました。

「お前、あの時の男だろう? 盗人二人をすぐに追っかけたあの……」

「違いますよ」

「で、その二人を殺した後、オレが現れたのを(さと)ってオレに責任を押し付けたんだろう?」

「何を言っているのか分かりませんねぇ。第一、証明できないじゃないですか。双子を殺したのが私だと」

「……」

「……?」

 ダメ男はにたりと口角を上げました。

「“あの二人”としか言ってないのに、双子ってよく分かったな」

「そ、それは、その姐さんから話を聞いたんですよっ」

「だが、この女は写真も撮ってなかったのに、よくオレが“二人”を殺したって分かったな。この女とオレがどんな関係かを“話としてしか”知らないはずなのに。つまり、オレの“顔”を知っていなきゃ、ほぼ不可能な会話なんだよ」

「で、でも私は、」

「お前がオレの情報収集の役割だってんだろ? それだってオレの“顔”を知らなきゃ、尾行なんかできるわけがない。オレは常にこの女の顔を覚えてて、避けていたんだからな」

「……それは姐さんがあなたを尾行して、あなたがどんな人物なのかを生で教えてもらったんですよ」

「……あぁ、なるほど。そっちの方がしっくりくるな」

 ダメ男はわざとらしく、あっさりと持論を捨てました。悔しいというより、したり顔をしていました。

「それでもお前だという事実は免れないけどな」

「何を確信しているんです?」

「……これだよ」

 ダメ男が取り出したのは、鉄の塊でした。

「! それは……」

 それを見た途端、顔色がさらに変わります。青から紫へと。

「見覚えがあるんだな。……そう、これはあの二人に撃ち込まれた弾丸だ。当時、オレは銃を持っていなかったんだ」

「!」

「そしてオレが駆けつけた時には既に銃殺されていた。よって、オレより先に行き、そして銃を使っていて、さらに村人でない人間……もうあんたしか考えられないってわけだ」

「……どうやってそれを……!」

「殺されて間もなくだよ。きっと慌てて逃げたんだろうな。銃弾をそのまま置いてったもんで、摘出しておいたんだ」

「……」

「ちなみに証拠もある。村人がオレに銃を渡してくれてな。健気なものだよ。オレのじゃないかって返してくれたんだ。でも実際はオレのじゃなくて、誰かさんのだったりするわけだ。弾丸も同じタイプだし、後は知り合いにあんたの毛かなんか持って帰って照合すれば、いくらでも証拠は出る」

「……」

 しかしダメ男は、証拠の銃弾をディンに投げ渡しました。

「でもオレはあんたを責めたり問い詰めたりしない。もともとオレがフーを盗られなきゃよかった話だから」

「?」

「オレがしてやれるのはここまでだ。後は自分で決めろ。そいつは寝てるんだろう? 起きた後に自分で話すか、隠しておくか。オレはあえてあんたに選択肢を出したんだ。……その女に信頼されてるであろうあんたにな。これをピンチと捉えるかチャンスと思うかはあんたの自由だ」

「ど、どうしてそんなまどろっこしいことを……」

「これがオレの復讐だからだよ。……じゃあな」

 ダメ男は去り際に、なぜか銃をディンに向けながら木陰に消えていきました。その直後のことでした。

 生々しい音と悲鳴が森中をざわつかせたのは。

 

 

「きもちぃ……」

「だ、ダメ男、その、」

「気にすんな」

 二人はまだ森の中にいました。ハンモックを木に巻きつけて、ぶらぶら揺れています。ダメ男の荷物はそのハンモックの脇にきちんと置かれていました。

 すっかり晴れ間が広がったのか、ダメ男の視線の先には、きらきらと緑の空が輝いています。風で(ささや)いては、木漏れ日が優しく身体に降り注ぎます。心地好くて、

「眠い」

 眠気を誘います。

「どうしてですか?」

「なんだっていいだろ。さっきからしつこいぞ」

「あんな話を直に聞いて、気にならないわけがありません。それにまだ教えてもらっていません。なぜあなたがここにいて、いえ、その前になぜあなたが生きているのかを」

「……」

 ダメ男はごろりと寝返りしました。

「選択肢を出したフリをして、実際は違いますよね?」

「……違くない」

「本当は自分で話すのが怖かった、怖かったから彼に投げ出したのです」

「……違う」

「だから彼女が眠っている間に彼のところに訪れた、違いますか?」

「しつこい」

「真実から逃げていてはその、また同じような事が起こるのではと心配です。お願いですから、」

「……っ」

 急に、ダメ男の左肩が疼きました。筋肉の線維が千切れたような痛みが走ります。

 フーはそれ以上、言及できませんでした。それから、ダメ男の悲痛な表情をじっと見守りました。痛みによるものなのか、傷みによるものなのか、汗が薄い膜のように顔を覆います。

 ふぅっと軽く息を漏らしました。

「もう、医療大国周辺で暮らすしかないかもな」

「そうですね。ダメ男は無理をしてきました。左肩の完治もまだまだかかりますし、精神的にも休息が必要です。万全になったら旅を再開するようにしませんか?」

「オレもだけど、フーもだよ」

「はい。彼女を目の前にしたら、あのシーンが思い起こされました。まだ怒りが抑えられません。犯人も別と分かってからなおさらです。ダメ男への復讐は完全に思い違いであったのですから」

「……本当に殺す必要があったんかな」

「全くです。あの時、ダメ男への当てつけをそのまま言い直したいです」

「そうじゃない」

「?」

 ダメ男は服の中からフーを取り出して、それを胸の上に乗せました。フーの透き通る声に、暗さが混じります。

「……人の生命を奪ったら、それ相応の代価を支払わなきゃならない。もう、オレの命一個なんかじゃ足りない……」

「つまり、復讐を(たくら)(やから)がもっと現れるということですか?」

「……うん」

 気弱そうに呟く。

「ダメ男は罪なき人を殺めましたか?」

「……人助けのために……自分が殺されないように……」

「それは既に罪がある人でしょう?」

「そんなの結局……人殺し。人助けだってただの自己満足……もう分かんない……」

「仮に迷惑をかけている人間が無罪としても、困っている人を助けたのです。救われた方々はダメ男に感謝をしているはずです。どうか、気を落とさな、」

「オレはただ、罪悪感に(さいな)まれないようにしてきただけだよ、フー……」

「ダメ男、しっかりしてください。会話になって、」

「人助けといっても所詮は人殺しだ。色んな人を殺して、また殺して、殺して……殺して、殺しまくって……! 手に残るんだよ。突き刺した時の、あの柔らかい感触が……痛みで収縮する筋肉や内蔵が、くっきりと、手で直接触ってるような感覚に襲われるんだ……。後で急に思い起こされる度に気持ち悪くなって、吐きたくなって、胸が握り潰されるように痛くて……」

「ダメ男、」

「消えないんだよ、落ちないんだよフー……! 何度も何度も、何度も何度も何度も何度も! 手を洗っても、手に付いた血の臭いと生温いのがべっとりっ! 全身にこびりついてるんじゃないかって……」

 フーは、

「ダメ男っ!」

「……!」

 声を荒げました。

「……」

 ダメ男はフーをハンモックに引っ掛け、背を向けました。身体全体が異常なほどに震えています。その後ろ姿はまるで、“薬”が切れた男のようです。頭を抱え、がたがたと、地面に何かの液体をまき散らして、震えていました。

 しかしフーはさほど驚いていませんでした。いや、虚勢(きょせい)を張っていました。先ほどの疑問よりも、ダメ男の容態が心配でした。

「落ち着いてください。ダメ男、休みましょう?」

 そこに、

「! 誰だっ!」

 誰もいませんでした。

 フーの緊張の糸は張り詰めてしまいます。それでも、ダメ男を落ち着かせようと声をかけ続けます。

「ダメ男、誰もいません」

「いや、誰かいる! いるんだろ! 出て来い!」

 ハンモックから飛び降りてナイフを構えましたが、何も起こりませんでした。

「お互いに気がおかしくなっています。確か、山を降りてすぐに、長閑(のどか)な村がありましたよね? 一先(ひとま)ずそこで休養を取りませんか? こちらの疑問なんていつだっていいです。まずは休みましょう、ね?」

「……気が進まないな」

「それでは、またここで野宿をするのですか?」

 ダメ男は再びハンモックに寝て、ぶらぶらと揺れました。

「嫌か?」

「当たり前です。どのくらいここにいると思っているのですか? もう一週間は経っているのですよ?」

「……悪いな。いつもいつも……」

「気にかけるくらいなら自分を大切にしてください。むしろ気味が悪いです」

「もうちょっと優しい言葉はかけてくれないのかよ? ズタボロに傷ついたオレを癒して、」

「早く寝てください。永遠に眠ってください」

「……そうした方がどんなに幸せなんだかね……」

「ごめんなさい」

 ダメ男は服の中から、拳銃を取り出しました。黒く怪しく存在感を主張するそれは、ダメ男にあさっての方向に投げ捨てられました。ところが、

「痛い」

 そちらから声が聞こえてきました。ダメ男は見向きもせずに、

「あぁ悪いな。それ、あんたにあげるよ」

「そうか。なら、手を上げてこちらに来い」

 頭に突きつけられました。

「……とか言って、自分から来てんじゃん」

「私がこうすることも“ここに来る前のこと”も、読み通りなんだろ?」

 ダメ男はにやりとして、

「そうでもないよ」

 笑います。ですが、ダメ男も虚勢を張っていました。じわりと汗ばんできます。

「まだ恨んでるんだろ……? また好きに殴れよ、撃てよ、……殺せよ。そうでもしない限り、あんたの恨みは消えそうにない……」

「……」

 ふっと、硬いものが離れていきました。

「何のためにあなたを生かしたと思っている……」

「え?」

 疑問の声はフーでした。

 女はすっとダメ男の視界に入ってきました。

「真実、か……」

「……」

 ダメ男が身震いしているのに気付き、女が触れようとした時、

「触らないでください」

 フーが言い放ちました。

「あなたがダメ男を許さないように、こちらも絶対に許しません」

「……分かっている。話は全て聞いていた」

「ダメ男は既にあなたと出会う前から傷ついています。それなのに、目の前であんなのを見せつけられたら、気が狂いそうなのですよ」

「殺す気はなかった。尋問だ」

「あれだけダメ男を(なぶ)り、人間の尊厳を崩壊させ、完全治癒できない身体に破壊しておきながら、ただの尋問? 外道人外の行為に他ならない! しれっとしたそのツラを、平気で(さら)せたものだ! あなたのカラダを達磨(だるま)にして××しても、」

「フー……やめよう」

「で、でも、」

「それはこっちも言えたことじゃない。だから誰も責めたくないんだ」

「でも、ダメ男はこの女の勘違いで復讐の的にされたのですよっ? 責める道理はあるはずですっ」

「いいんだ。さっき言ったように、オレがフーを盗まれなきゃ、あれを楽観視しなきゃ良かったんだ……」

 女は何も言えずに俯き、(たたず)んでいました。ダメ男は、

「少し日が落ちてきた。あんたも今のうちに荷物……いや、オレがそっちに行こう」

 ハンモックを片付け、荷物を入れて、あそこへと歩いてきました。女はダメ男から離れて付いていきました。

 

 

 日が暮れて、雲の隙間から夕日が見えています。その雲も夕日の橙色に染められて、離れていくほどに暗い影が迫っています。森が静かにしている代わりに、鳥の声やら虫の鳴き声やらが森に音を吹き込んでいます。

 女がいた場所は既に陰りが占めていました。しかし、そこから少し離れたところは、仄かに灯る光で周囲は照らされています。ちょうど地面が露出していて、ダメ男が焚き火を起こしていました。そこに鍋やカップが熱を受けています。

「う~ん……まだみたいだな。(ぬる)いし。あんたのもあっためる?」

「いや、私は結構だ」

「そう。めちゃめちゃ美味しいココアがあったんだけど、ざんねん、」

「いただく」

「……そうでございますか」

 女は膝下をタオルケットで(くる)み、ダメ男がくくり付けたハンモックに座っていました。

「……ほれ、できた。熱いから火傷しないでくれよ」

「ありがとう……」

 女はダメ男からカップを受け取ると、ふーふー、と中を冷まして(すす)ります。飲んだ後の吐息が熱かったようです。ダメ男はついでにフーも手渡しました。かなり(しぶ)りましたが、“熱湯風呂は嫌だ”とのことで、仕方なく承諾(しょうだく)しました。

「……ディンは、」

 夕食の支度をしながら打ち明けます。

「ずっと昔、依頼を受けて組んだ仲間の一人だ。本当に仕事だけの仲で、名前すら知らなかったんだ」

「そう、なのか……」

 何とも言えない表情で、ダメ男を見つめています。

「依頼は遠くの国に荷物を届けること。あんたの村とは全く関係無い。ただ、通りすがりに立ち寄っただけなんだ。でも、そこでオレの荷物が盗まれた……」

「私です」

 フーは女の膝上から小声で伝えます。

「その犯人があんたの弟たちだ。それは間違いないんだ」

「……」

 ダメ男はあちち、と反射的に手を離しました。そして、作業に戻ります。

「あなたの言う双子の弟さんで間違いないと思います」

「そう……。でも……あの村は生き延びるだけで精一杯なくらいに貧しい村で、その…………すまない」

 反論しかけて、途中でやめました。

「いいんだ。そこら辺はオレも(わきま)えてるつもりだし、とっ捕まえて返してもらえば良かったから」

「ダメ男はあの時、油断していたのです。依頼が簡単でしたし。何よりも盗まれることに慣れていますから、あまり気にしていなかったのです」

「……ふ」

 女は思わず笑いが漏れてしまいました。

「おい、さっきから何言ってんだよフー。ばっちり聞こえてんぞ」

「第三者の情報も(まじ)えた方がより明確になるかと思いました」

「それ、ほとんどオレの悪口じゃん」

「ダメ男は女性に対して、ダメダメになりますからね。それに対するフォローでもあります」

「だからオレの情報はいらんだろ別にっ。しかもフォローになってないし」

 先を読んだ女は、

「……えっとその、話を……」

 申し訳なさそうに(さえぎ)ります。悪い、とダメ男は小さく謝りました。

「それで、オレが取り返しに行こうとしたら、ディンが真っ先に追っかけていったんだよ」

 ダメ男は皿を二つ用意して、そこに料理を盛り付けていきます。

「ダメ男が依頼品を持っていたので、ディン様が行ったのだと思われます」

「ところが、悲鳴が聞こえてきてな。心配になって、残りの仲間と声のした方へ行ったんだ。んで、その途中にあった倉庫みたいな所に待機させてオレが行った」

「ダメ男はそこに私がいたのを確認して見張らせたんです」

「そうしたら……」

 

 

「!」

 あの砂漠の街での話です。フーを盗まれたダメ男が追い掛けた先で、既に子供が二人死んでいました。体格としてはおそらく、すれ違った子供と同じです。無情にも、額に黒い穴があり、後頭部を赤く(ひた)しています。痙攣(けいれん)しています。

 二人はマントを着ていて、ダメ男がそれを取ると、

「こ、これは……!」

 二人が融合していました。まるで鏡に映った者同士が両肩から横腹までをくっつけたみたいです。そのせいか、腕がありませんでした。

「“シャムの双子”、……?」

 片方の子供が身につけているズボンに何か入っていました。手に取ると、四角い木箱でした。開けてみると、

「……」

 “手紙”がありました。周りを見た後、しばらくそれを黙読していきます。そして、(おもむろ)にナイフを取り出しました。

「ここで居合わせたのも何かの縁だ……。オレが手向(たむ)けてやる」

 ダメ男は二人の接合部をナイフで切り離しました。とろとろと黄色い部分が(あらわ)になり、新たに血が地面に流れ落ちていきます。

「!」

「あ、あぁ……」

 ダメ男が振り返ると、一人の女が驚いています。

「……」

 女でした。

 ダメ男はゆっくりと立ち上がり、女に目を合わせることなく、擦れ違いました。ダメ男の背後で女が崩れ落ちました。

 

 

 どうやって作ったのか、ポテトサラダを二人で食べていました。できたてで、ほこほこと湯気が立ち上っています。

「私はそこしか見てなかった……。だから、あなたが弟たちを手にかけたのだと思うしかなかった」

「その時、あんたに恨まれるのを覚悟したよ。弁明しようがないし。だけど、オレはあの時拳銃を持ち合わせていなかった。荷物検査でもすれば、オレの無実は晴らせたけど、依頼品が盗まれるのが怖かったんだ。……言い訳をすればこんな感じだ」

「……ディンは、(やつ)はどうしたんだ?」

 ダメ男は水をこくりと飲みました。

「それ以来見てない。殺されてどこかに処分されたか、ヤツ自身が“盗まれた”か……って思い込んでた。でもまさか、あんたと手を組んでたとは思わなかったな……」

「……ディンは少ししてから、弟を殺した犯人を知っていると話を私に持ちかけてきた。そこからディンの情報を頼りに、私はあなたを追い続けた」

「……」

 ダメ男はポテトサラダをおかわりしに、席を外しました。その(すき)にフーが語ります。

「実は、ダメ男は念の為に拳銃を持っていました」

「え?」

 女はびくりと驚きました。ダメ男の話に真っ向から反していたのです。

「ですが、その一件を終えた後、急に銃なる物全てを解体処分したのです。罪逃れとも思いましたが、かなりトラウマになったのだと思います。その光景にも、あなたにも」

「……」

「悪夢に(うな)されることも以前より多くなりました。そのことを本人は自覚していませんが、(はた)から見ていれば一目瞭然です」

 ダメ男がむっとして戻ってきました。

「また変なこと言ってたろう?」

「ダメ男は全てが変ですからね」

「サラダにして食ってやろうか?」

「食べられるものならどうぞお好きに。心身ともに障害が出るのは明白です」

「……うぐぐ……」

 ダメ男はやけ食いしました。そしてお約束の通り、喉を詰まらせて急いで水を飲みました。

「……ふぅ」

「……ありがとう。どうやら私は今まで勘違いをしていたようだ」

「本当に信じるのか? 嘘ついてるかもしんないぞ?」

「……あなたが嘘をつくような人間に見えない」

「正解です。ダメ男は馬鹿正直で単純馬鹿です」

「お褒めの言葉として頂戴しとくよ、フー。覚悟しとけよ」

 二人はとにかく作りすぎたポテトサラダを食べるはめになりました。

「次はオレの番だ。どうしてオレを生かした?」

「……分からない。とても複雑な精神状態にあったから、激情の渦に巻き込まれていたから、今でもはっきりと覚えてないのだ。……でも、多分……フーがいたからだと思う」

「え? フー?」

 意外でした。

「フーは私の復讐には関係ない存在だ。……今思えば、正直、友人になれると思ったくらい親近感がなぜかあった。でもそれを感じた時、もしあなたを殺したら……フーはどうなるのだろう? そう考えると……殺せなかった」

「……」

 女はフーの紐を摘みました。ゆらりと一回転します。

「実は私も同じように感じていました。あなたの垣間見る優しさに、本当は違うのではと思っていました」

「なぜだろう……」

「……」

 しらーっ、とダメ男は眺めます。

「な、なんだその目は……?」

「あぁそういうことか。納得したよ」

「? 何か分かったのですか、ダメ男?」

「むしろ二人して気づかないのかよ」

「え?」

 ダメ男は立ち上がり、食器を洗いに行きました。

 

 

 食器洗いをして片付けてから、眠る支度を始めました。

「あんたはテントで寝ろよ。クマひどいからな」

「……あなたは?」

「せっかくの景色だ。空を眺めながら寝るよ」

「……でも、テントなんてどこに?」

 ダメ男はリュックから黒い包みを取り出しました。中は黒い傘でした。それを手馴れた手付きで組み立てていくと、あっという間に、

「バズーカの完成です」

「違うわっ。テントだ」

「こんなものがあるんだな……」

 ばず、テントの完成です。

「中はわりと広いから眠れると思う」

「……ありがと、う……」

「んじゃお休み」

 ダメ男はそそくさとハンモックに寝っ転がり、程なく眠りにつきました。

「は、早い……」

「ダメ男はいつでもどこでも眠れますからね。でも、景色は見なくていいのでしょうかね」

「確かに」

 女もフーと一緒に中に入りました。

「あなたは、」

 フーが(りん)として問います。

「彼をどうしたのですか?」

「……」

 女は用意されていた毛布に包まります。

「黙る気ですか?」

「……今頃、熊に食われているのかもな」

「真犯人なのに、殺していないのですね」

「……」

 女は毛布を頭まで(かぶ)ります。

「一人ではろくに眠れないのでしょう?」

「……!」

「あなたが彼に信頼しきっているところを見れば、心の()り所にしているのは明白です」

 もぞもぞと動きます。

「……好きだと、告白された」

「え?」

 キョトンとします。

「私を見かけてから一目惚れしたと……」

「なるほど。最大の謎が解けました」

「?」

「どうして彼があなたに協力するのだろうと思っていましたが、なるほど、弟の復讐を協力する話を手土産に……そういうことですか」

「……」

 瞳を伏せます。

「愛憎ともに持ち合わせることになりましたね。これからはどうするのです?」

「……時間が欲しい、と」

「なるほど」

「……ごめんなさい。私が……」

「もういいですよ。もう、私はあなたを憎みません。ですから、あなたもダメ男を許してあげてください。そして自分を責めないでください」

「……!」

「自分を責め続けて苦しんでいる人を知っていますから」

「……ダメ男……」

 すく、と立ち上がりますが、

「ダメ男には近づかせません。憎んでいないとはいえ、親近感があるとはいえ、信頼度はゼロですからね」

「……」

 言葉でねじ伏せられてしまいます。

 女はしぶしぶ横になりました。

「ですから、変なことをさせないためにずっと監視しています。さっさと寝てください」

 女はがばっと飛び起きてフーを見ました。フーはテントの出入口にいます。

「勘違いしないでください。あくまでも“あなたの監視”ですから。それにこちらも全然眠っていなくて眠いのです。さっさと寝てください。さっさと、寝てください」

 女はクスリと笑いました。

「俗に言う“つんでれ”だな、あなたは」

「私は違いますが、あなたには言われたくありません。ささっと寝てください」

「では、私が彼を奪っても文句はないな?」

「な、なんでダメ男が出てくるんですか?」

「あなたの発言は全て、彼が大切だって言っているのと同じだ。何かとこじ付けてるが、本質は同じだろう?」

「ち、違いますっ。ダメ男はただのダメ人間で、」

「動揺すると、口調がすぐ崩れるのがあなたの癖のようだな……。あはははっ」

「とっとと寝てくださいっ」

 女は満足気に眠りにつきました。

 

 

 そろそろ太陽が地平線から顔を覗かせる頃でした。真っ暗だった空に青みがかってきて、世界を照らそうとしています。風が吹くことなく、鳥や虫たちも眠っているのか、まったくの無音です。テントから女が出てきました。ぐっと身体を伸ばして、軽く動かしています。その後、すたすたと歩いて行きました。その先には、ハンモックがありました。

 まだ薄暗く、ダメ男がそこにいるかははっきりと見えませんが、女はそこで立ち止まります。

「……」

 じっと見ていました。ダメ男はまだ眠っているようです。しかし、

「……ぅ」

 ダメ男は(うな)っていました。

 少し()つと、太陽が見えてきました。その瞬間、世界が輝いて、(まなこ)に景色が映されます。

「!」

 はっきりと見える状況になって、女は愕然(がくぜん)としました。

「おはよ……」

「あ、あなたっ……」

 ダメ男の目は(うさぎ)のように真っ赤に充血し、目の周りはパンダのように真っ黒な“クマ”ができていました。

 全身が汗だくになっていました。

「うっし、朝食にするか」

「あなた、寝ていないのか?」

「ん? ばっちり寝たに決まってるじゃん」

「……」

 ダメ男はハンモックから降りて、朝食の支度に取り掛かりました。なんだか足取りが怪しく、頭がフラフラしているようにも見えます。

 女は一旦テントに戻り、身支度を済ませることにしました。

「ダメ男はどうでした?」

 フーが尋ねます。

「……不眠症なのか? 本当に……」

「それもありますけど、今回は別の理由もあるようです」

「……似た者夫婦……か……」

「何か言いました?」

「いえいえ何も」

 女がそれを問い(ただ)しても、フーは答えようとしませんでした。そこにダ、

「おい、朝食できた、……」

 メ男が……、

「……」

 思い切り殴り飛ばされました。隣でフーが、流石(さすが)は変態、と冷徹なる一言を放ちました。

 二人は朝食を取ることにしました。昨日のポテトサラダとロールパンで、ジャムも用意してありました。しかし、ダメ男は血の味しかしなかったそうです。ちなみに、顔の左半分が大きく歪んでいたようで、フーは笑いが止まりませんでした。

 朝食の片付けと荷物の片付けを早々と終わらせ、一休みしました。

「そういえば花、ありがとう」

「うん?」

「私がここに来る前から、花が供えられていた。ここの在処(ありか)を知っているのは私とディン以外にあなただけだ」

「……場所は分かってるんだ。行かないわけにはいかないだろ」

「……」

 ダメ男は左肩をずっと摩っています。

「……大丈夫か?」

「……」

 目を合わせません。ダメ男は少し震えていました。そこに、女が触れようとします。そして、触れました。

「私はな、……自害しようとしたんだ。あの後から」

「!」

 女の手にダメ男の震えが伝わります。ゆっくりと()でるように指先で摩ります。そして、(てのひら)で包み込むように撫でていきました。

「でもダメだった。怖くて引き金を引けなかった。他人には躊躇(ためら)うことなく引くというのに」

「……オレはフーがいなかったら、とっくにあの世にいると思う」

「昨日の話は……悪いかったが盗み聞きさせてもらったよ」

「……まじか。恥ずかしいなっおいっ」

「おちょくってるのか?」

 女はぐりぐりと左の顔面に指を押し付けてきました。顔の痛みも引かないようで、呆気なくダメ男は降参です。

 ダメ男の左肩をにぎにぎと柔らかく()みほぐします。

「人の生き死にをいちいち考えているようなら、もう旅をしない方がいい。あなたは感情が豊かすぎる。それはそれで正しいけど、これ以上は危険だ。精神崩壊しかねない」

「誰かに言われた気がする。でも無理だ。一生考えていくと思う」

「……人間らしい、とも言えるかもしれない」

「?」

 女の手は左肩から離れ、きゅっと自分の服を掴みました。

「人を殺しても負い目を感じないのは本当の怪物だ。その分、あなたは大丈夫」

「……あんたは?」

「私はもう手遅れだ。……怒り以外の感情が消え失せ、冷淡で(みにく)くなってしまった。殺戮(さつりく)兵器のようにな……」

「……それは、オレのせいだよな?」

「でも、もういいのだ。これからは気にしなくていいのだからな」

 女は皮肉って鼻で笑いました。

 ダメ男は何も追及しませんでした。できませんでした。その代わりに、

「あ、ちょっと、」

 ダメ男はいきなり女の手を(つか)みました。

「オレが言う資格なんてないけど……」

 ぎゅっと両手で女の手を(おお)いました。

「感情が冷めきったかもしれないけど、あんたの手はすごくあったかい」

「……!」

「オレたちは……生きてる。どんなに病んでても生きてる」

「……だから、なんだ?」

「……冷えてても生きた心地がしなくても、また元気になれるってことだ」

 ダメ男は照れくさそうに顔を伏せます。

「……あなたが、私を元気にしてくれるというのか?」

「ん、まぁそうなるのかな?」

「それならば、」

 女はダメ男を引き寄せました。

「え?」

「……」

 そして、抱きました。

 みるみるダメ男の顔が赤くなっていきます。

「な、なにしてっのっ?」

「私を……抱いてくれと言ったら抱いてくれるのか……?」

「は、はいっぃぃぃぃぃ?」

「いやか?」

 女は眉を潜めて、ダメ男の顔を触ってきました。熱くなっています。

「このシーンはカッ、とじゃなくて、大人の世界はNGなのっ! 健全な旅をしたいのっ! だから、」

「責任、どうしてくれる? 元はといえば、あなたがしっかり言ってくれれば良かったのだぞ」

「ぃ……! それはたしかにそうだけど、そのっ……」

 女はくすくすと笑みを(こぼ)しています。

 ダメ男がこの女を“異性”と初めて認識した瞬間、顔だけではなく身体全体が火照(ほて)り始めます。どきどきと心臓がペースを速め、頭が(しび)れて朦朧(もうろう)としていきます。おかしいっおかしい……、ダメ男がそう(つぶや)くと、女はただただ(うなず)きます。

 女はダメ男の顔を自分の方へ引き寄せていきます。ダメ男の眼は女の(くちびる)にしか向いていません。熱い吐息が触れ、おでこがくっ付きました。それだけで心臓が破裂しそうなくらいに興奮して、鼓動の音で何も聞こえなくなります。

 そして、口と口の、その間の距離が数ミリ……、

「ふふ」

「!」

 ふっ、と離れました。

「冗談だ」

「……」

 

 

「ダメ男」

「なんだよ」

(こく)ではありませんか?」

「何が?」

「あなたに(ゆだ)ねきっていたというのに、それを(こば)んだことです」

「なんでぬれ、じゃなくて、そういうのはナシにしたいんだよ。……第一、続いてってのは駄目だろ。それにディンがいるし」

「ダメ男も二人がデキていることに気付いていたのですか?」

「デキてるって……まぁ、堅物女が男の腕の中で眠ってるとこ見ればな……」

「あぁ、そう言えばそうですね。それはともかく、一度だけなら許しますよ」

「お前はオレの彼女かっ。しかもすごい上から目線だし」

「ダメ男はこれだから“ヘタレ”なのですよ。ムードや空気を読まないダメダメ人間なのです」

「むしろヤツは純情な男心を弄んだしっ!」

「本当に冗談だと思ったのですか? あの眼は本気でしたよ」

「えっ……? じゃなくてっ! もうやめよ、なっ! はいこの話終わり!」

「面白いのに仕方ありませんね」

「まったく……」

「……“イケメン食わぬは蜜の味”というシメでいいですか?」

「やめてください。表現がイヤラシイので」

「ナルシストもいいところです。ところでダメ男、あれは何だったのですか?」

「あれって?」

「木箱ですよ。別れ際に渡したではないですか」

「なんだったっけ? 忘れた」

「どうやら白痴(はくち)のようですね」

「それ差別用語! 本当に傷つくから使っちゃダメだぞ?」

「了解です。ところでダメ男、聞きたいことがあります」

「なんだよしつこいなぁ」

「ここはどこです?」

「企業秘密だ」

 

 

[……おねえちゃんへ

ぼくらとおねえちゃんはほんとうの“きょうだい”じゃないのに、やさしくしてくれてありがとう。おとうさんとおかあさんにすてられてないてたときに、おねえちゃんがたすけてくれたね。ぼくらのからだのことをへんなふうにおもわないで、いっぱいあそんでくれたし、ごはんもつくってくれた。そんなぼくらはおねえちゃんにめいわくばっかりかけていました。ぼくらのからだのこと、そのせいでおねえちゃんもいじめられているときいて、かなしくなりました。だから、めいわくをかけないでいられるほうほうをかんがえました。ぼくらがいなくなればいいんだね。

だから、いっぱいひとのものとっておこらせた。でも、ぼくらのからだをみて“ばけもの”っていったりして、はしっていったりするからだめだった。でも、ぼくらをころしたひとをおこったりしないでね。おねがいします。

ぼくらをころしたひとへ

ぼくらのからだをはんぶんこしてください。いつかふたりになって、おいかけっこしたかったのでおねがいします。ぼくらはおこったりかなしんだりしません。それとおはかはちかくにあるもりに……]

「男ってなんでこうも一人で抱え込んじゃうのかなぁ……? でも私、間違えてたみたい。待っててね。私もそっちに、……?」

 ふと箱が目につきました。箱の厚さに比べ、底が浅いように見えます。女は箱を逆様に持って、とんとんと叩きました。すると、

「!」

 ぱかりと底が抜け、ぽとりと何かが落ちました。それは小型ナイフでした。

「これは……×××の……」

 それを手に取って調べてみると、刃に文字が彫ってありました。ミミズが走ったような字です。

「……“生きろ、ナナ”……」

 それを少し眺めていました。そして、立ち上がります。

「偉そうに……人のこと言える立場じゃないだろう……」

 くすりと笑いました。

「突き返さないとな。でもその前に……」

 “ナナ”という名の女は、

「あ、姐さん……」

 それを見えるところに置きました。

 目の前にはディンがもぞもぞしています。

「全てを話せ。お前が知っていることを」

「……寝たふりをしていたわけですか……」

 ディンは縄でグルグル巻にされています。傍らには巨大な熊がいました。しかし全く動きません。

「……今まで騙していたのだ。本来なら熊ではなく、お前が死んでいた。だが、事が事だ。包み隠さず正直に話せ」

「……私が言うことを信じてくれなきゃ意味がないですよっ」

「それを判断するのは私だ。いいから話せ」

「……分かりました」

 こく、と唾を呑みます。

「結論から言います。私は殺していません」

「! なにを戯言を! じゃあ誰が弟を殺したのだ!」

「……自分です」

「……! まっ、まさか、」

「自殺です……」

「……嘘をつくなぁっ!」

 ディンの額に穴二つをくっ付けました。

「私はあなたの弟を容易に捕らえることができました……」

 

 

「待つんだっ」

「っあっ!」

「これは私の仲間の物だ。かえし、……! な、なんだその身体は……!」

「……」

「どういう、え……? いや、そういう病気なのか……?」

「……うん」

「そうだよ」

「……とにかく、盗んだ物を返しなさい。どんな人でも盗みはいけないんだ」

「!」

「おにいちゃんは……ぼくらを人として見てくれるの……?」

「……!」

「いまだっ」

「! な、なにをするんだっ! それは危ないから返しなさい!」

「ありがとうおにいちゃん。こんなぼくらを人として見てくれて……」

「! ま、まさか……やめろ! やめるんだ!」

「さよなら」

 

 

「……これが私の見たままの光景です」

「……お前の作り話だ……! 絶対にしんじない……しんじないぞ……!」

 ぼろぼろと泣いています。ショットガンががたがたと震えています。

「ダメ男さんのミスでも姐さんのせいでもない。私のミスなんです。……本当は殺されるのは私のはずだった。罰を受けるのは私……」

「……」

「だからお願いします。この件は私を殺して終わりにしてください。それで全てが片付くんです」

「! ……」

 ナナは酷く困惑していました。ディンのせいでもないダメ男のせいでもない。誰のせいでもない。逆にそれがナナの収まりきれぬ感情の嵐が行方知らずにさせていたのです。どこにも誰にもぶつけられない衝動がナナの中で暴れるだけです。怒りや憎しみ、迷いや不安、怖さと恐れ、穴という穴から抜け出しそうな感覚でした。

 ナナは混乱していました。ディンの話の正誤はどうでもいいとさえ感じてしまうほど。目の前の男が罪逃れのためなのか真実なのか、その判断を放り出してしまうほど。

 尋常でない冷や汗と失禁してしまいそうなほどの脱力感に見舞われ、全力で握っていたモノを落としてしまいます。暴発はしませんでしたが、全てのものから裏切られたような気分がしました。

「あぁ……あぁ……」

 ナナは崩れてしまいました。信じたい信じたくない、信じられない信じられる、その判断が波のように襲ってきました。

「あぁ……あぁっぁあっ!」

 嘔吐していまいます。気持ち悪い浮遊感、内臓が持ち上げられる感覚、脳みそをぐにゃぐにゃに揉まれる感触。

 ディンはそれを黙って見ていました。どうすればいいのか、分からなかったのです。

 ナナは再びそれを手に取りました。そして引き金を引き、

「姐さん!」

 損ねました。冷静でおちゃらけているディンが見せる初めての怒号。それにびくりとしたためです。

「それは……私に向けてください」

 芋虫のようにナナの所に寄り、額で銃口を自分へ押し流します。

「……」

 目を見開きます。すると、

「ごめんね」

 拘束していた縄を解いてくれました。

「ごめんね。おねえちゃんがいたいいたいしちゃった。もっとべつのことしてあそぼうね」

「! あっね……さん……」

 あどけない笑顔を見せます。厳格で凛々しい女が見せるものとは思えませでした。

「なにしてあそぼっか。ねぇねぇ」

「っ……」

 ぐっと抱き寄せます。

「? どうしたの? くるしいよぉ」

「……少し、このままでいさせてください……」

「よしよし、なかないで。いいこいいこ……」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ナナの肩にどんどん染みが広がっていきました……。

 

 

 


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