フーと散歩   作:水霧

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第五話:わかいとこ

 まだ日が昇っていない時だった。そろそろ夜空に青みが出始め、星たちが影に潜もうとしている。

 寒い。白い息が出るほどに冷え込んでおり、厳冬のような雰囲気が出ていた。

 辺りは草原。背丈の低い草がびっしりと生え渡っている。この寒さからなのか水滴を含み、踏むとわしゃわしゃと若々しい音がする。

 そこに一人の旅人がいた。全身黒という怪しい男で、上はセーター、下はジーンズを履いている。登山用の太ったリュックを上下に揺らし、腰には左右それぞれにポーチを携える。リュックには黒い棒のようなものが横から突き刺さっていた。

 セーターにはもこもこフードが付いている。男が歩く度にゆさゆさと揺れる。さらにセーターの袖は掌の半分を覆い、裾はジーンズのポケットを隠してしまうほど長い。それには内ポケットが右についており、中には仕込み式のナイフを忍ばせていた。

 セーターの中は黒いシャツを着込み、そして首飾りとして水色の四角い物体をぶら下げていた。

「寒いですね」

 不意に女の“声”がした。妙齢の女で、冷静で淡白な口調だ。

「曇ってる時より晴れてる時の方が寒いっていうもんな」

 何事もないかのように受け答えする旅人。

「……一昨日のおっさんは半時ほどで着くって言ってたのに……」

「気付いてみれば約二日も経過しましたね」

「……のどかわいた……」

 履きならしたスニーカーでずりずりとすり足になる。

「歩き詰めですからね。あと二日でしょうかね」

「怖いこと言うなよ……」

「下手をすると、街自体が存在しないということも、」

「幽霊屋敷的な……?」

「違いますっ。あの旅人が嘘をついているということですっ」

「あぁ、そういうことね」

 “声”は大息を吐く。

「無尽蔵のお人好しはどこから湧いてくるのでしょうかね」

「無償の愛だよ」

「無性にムカつきます」

「無情だなぁ」

「む、む、む、ありません」

「何の言葉遊び……わっ」

 突然、明るくなった。日の出だ。

「おぉ……」

「ダメ男と話しながら一日を迎えるとは、世も末です」

 “ダメ男”と呼ばれた旅人は、

「ここに置いてずっと同じ風景を見させるぞ」

「世も末です。自ら一人旅を望み、寂しい思いをしたがる男がいるとは、異常性癖です」

「どぎつい反論なんですけど」

 思わず慌てた。

 緑の地平線から真っ赤な太陽が登ってくる。夜空に赤いコントラストを加え、虹のように彩っていく。時が経つほど赤が薄まり、橙色、黄色、白へと変色していくのだろう。それに(なら)って、空も水色や青が増していくのだろう。

 ダメ男はその変化を堪能しようと思ったが、それよりも足を動かすことを優先した。それが功を奏したのか、

「みえちぃた」

「カミカミです」

「うっさい」

 街が見えてきた。

 

 

 洋風な石造りの家がいくつかと風車、同様の大きな建物がいくつかしかない。それ以外は広大なスペースを農地にしていた。一応道というものもあるが、特に舗装することなく、草原がそのまま続いているような形だ。

 他にも公園のような遊具が密集した空間や池があったり、屋台のような店が密集した場所があったりと、街として機能はしているようだ。

 ダメ男はうんうんと頷く。

「ここに一週間泊まる」

「バカなことを言ってないで入りますよ」

「フーは厳しいなぁ」

 女の“声”は“フー”というらしい。

 街に入る。特に何も起こらない。かと思ったら、

「あれ、旅人さん?」

 男の子が訪ねてきた。男の子は青い制服を着ていた。

「おはよう。街に入ってもいいかな?」

「いいよ。その前に入国記録に書いてね」

「? 入“国”? ってことは入国審査があるのか?」

「もちろん。ほらあっち見て」

 示したのは木で作られた看板だった。そこに台と用紙と筆記用具が置かれている。

「ぼくが荷物とか調べるよ。いい?」

「あ、あぁ……」

 戸惑ってしまう。

 ダメ男が記入している間に、手馴れた手付きでダメ男の荷物を調べ上げていく。盗まれる心配をしていたが、

「あぁ大丈夫。ぼく盗んだりしないから」

 それを見越して、調べながら言い切った。

 複雑な気持ちで入国審査を終えた。

「こんな朝早くからやってるんだ」

「だってぼくが審査官だもん」

「……え?」

「えっと、ここは名物って立派な物はないけど、ゆっくり休んでってね」

「あ、ありがとう……」

 ようやく入国した。と言っても城下町のように城壁があるわけでもないし、関所があるわけでもない。ただ男の子に声をかけられ、用紙に記入しただけ。その間に荷物は調べられたものの。

 釈然としないダメ男は、

「これも国なのですよ、ダメ男」

 フーに諭された。

 朝を迎えたために、住人は活動を始めていた。洗濯物を干したり畑仕事に出かけたり、放牧されている家畜の世話をしたり。これ自体に違和感はない。むしろのほほんとしていて和やかだ。

 しかしダメ男の戸惑いは続いてしまう。

「……どうなってんのここ」

「どうもこうもこのザマよ」

「汚い言葉は使わないの」

「すみません。流行っているものですから」

「なんだそれ。とにかく、なんで子供ばっかなんだよ」

 そう、住人は全員子供だった。一番年上で十代後半、一番下で一桁か。老若男女で言えば“若男女”しかいなかった。

「おはよう旅人さん」

 女の子が話しかけてきた。まだ十代にもなっていないであろう体格だ。

「おっおはよう」

「よかったらうちでたべていかない? せっかくだしね」

「え、えぇぇ……うんと……」

 いろいろな理由で困るダメ男。その理由は明らかである。

「それともやなの……?」

 うるうると泣き出しそう。

「あぁいやとんでもありますん! いただきますっ」

「じゃあうちはいってっ」

 強引にとある家に引き込まれた。

「これはダメ男の異常性癖が、」

「あらぬ誤解を生むからやめれ」

「普通に見たら誘拐犯ですからね」

「ほんとどうなってんだよ……」

 そして強引に席に座らされると、とたとたとどこかへ行ってしまった。

「……どうやら一般家庭ではないようですね」

 二人分の広さのテーブルが三つほどあり、まるで食堂のようだった。入口左手の壁にポスターやらメニューやらが隙間なく貼られている。反対側には先ほどのテーブルが整列されている。一番奥にドア一つと水飲み場が設置してあった。

 ダメ男は一番手前のテーブルに座っている。

「店か」

「店ですね」

 女の子はキッチンへ向かったのだ。

「みず……」

 リュックを足元に置くと、ふらふらと吸い込まれるように水飲み場へ。

「ダメ男、まるでゾンビです」

「うおおおおっ。みずうめぇっみずうめっ」

 近くにコップがあるというのに、蛇口からダイレクトに飲んでいた。

「?」

 ごっくん、と大きく喉を鳴らす。

「どうしたのです?」

「……」

 満足気なはずが、怪訝(けげん)な表情を見せる。

「なんか……へん」

 正気を取り戻したダメ男はそそくさと席に戻った。

「それは変な人が飲めば変になりますよ」

「殴るぞ」

 それから少し待つと、奥のドアから女の子がやって来た。可愛らしいエプロン姿でトレーを健気に運んでくれた。

「おまたせしました。カレーです」

「へぇ。君が作ったの?」

「もっちろん。てんちょーですからっ」

「……あのさ、聞いていい?」

「そのまえに、たべないとさめちゃうよ?」

「あ、あぁ。そうだな」

 朝食を食べ始めた。

「この国はみんな子供なのか?」

「ちがうよ。ちょうろーはちっちゃくないよ」

「長老? その人ってどこにいる?」

「いちばんおくー」

「なるほど」

 

 

「どうでした?」

 朝が過ぎ、これから正午へと向かう時間帯。ダメ男はしばらく散策していた。

「まぁ年齢相応の美味しさかな」

「美味しくなかったですか」

「うーん……正直言えば……」

「少女の頑張りを汚しましたね、低俗人間」

「いや、もっと作れば美味しくなるから」

「ちなみにカレーは好きですか?」

「好きだね」

「なるほど」

「?」

 散策していても、見かけるのはやはり子供ばかり。おじさんやおばさんといったお年を召した方は一人も見かけない。そんな子供たちは自分たちの仕事をしっかりこなしていた。中には友達と遊んでいる子もいたが、近くにはもう少し年をとった女の子たちが談笑していた。それでも“姉”と呼んでもおかしくない見かけだ。

「実は実年齢は大人なのかもしれませんね。いわゆる“美魔女”という方々です」

「明らかに子供だろうが。魔女どころか怪物だよっ」

 散策を終える。審査官の少年が言っていたように、観光と呼べるものは見当たらなかった。

「むしろこの光景が観光かもな」

「誘拐しちゃダメですよ」

「誘拐したがってるような言い方やめれっ!」

 ということで、まだ昼頃にもなっていないが、早めに宿を取ることにした。

 大きな石造りの建物に入ると、

「いらっしゃいませー」

 女の子が三人ほど整列していた。三人とも綺麗な着物を来て、ダメ男を迎えていた。

「……なにここ?」

 小さな国(?)なのに、まるで一流ホテルのような内装だった。暖色系の優しい灯りに赤い絨毯、広々としたフロント。なぜ着物なのかはツッコまないとして、豪華なのに落ち着きのある雰囲気だった。

「ダメ男、やはりあなたは、」

「違うからっ! だってここ宿でしょっ? ねぇそうだよねっ?」

 女の子たちに問いかける。

「もちろんです。けっしてあやしいみせじゃないです」

「そうだよー! “まっさーじ”とかあるけどさー」

「初っ端から怪しさ全開なんですけど」

「ダメ男、しばらく話しかけないでください。犯罪者」

「だから違うってっ!」

 ひとまず受付に行き、部屋を取った。

「これが部屋のかぎです。まっすぐいくとありますです」

 男の子が手渡ししてくれた。

 ダメ男は逃げるように部屋に駆け込んだのだった。

 

 

 入って通路を進むと、六畳ほどの部屋が広がる。暖色系のカーペットに少し固めのベッド、簡素なテーブルと椅子と、フロアと比べると部屋はそこまで豪華ではない。しかし、

「あー落ち着く……」

 ダメ男は脱力しきっていた。

 荷物をベッドに放り込み、床に大の字になっていた。

「いろんな意味でこの国危ないぞ……」

「変態、異常性癖、犯罪者、下劣人間、キモイ」

「ほんとに違うって……」

 ぐっと起き上がった。

「明日には出発するよ。心配するなって」

「もし三日間滞在すると言っていたら、完全に見限っていました」

「でもびっくりすぎるだろ。なんで大人がいないんだよ」

「どうせ大人は無能だとか何とか言って、追放したとかそういう理由でしょうね。あるいは見た目は子供、ずの、」

「いきなりネタばらしにかかるなっ。楽しみが減るだろっ!」

「ネタが分かったところで出発しましょうよ。ダメ男が犯罪に走りそうで怖いです」

「どんだけ心配してんだよっ」

 このままではとんでもないことになる、と心配したダメ男は早めに昼食を取り、長老のところへ向かった。ちなみに昼食は宿の食事だったが、やはり美味しくなかったという。

 外に出て“奥の方”へと向かう。

「……多分ここだよな?」

「間違いありません」

 この国の中では普通の家だった。しかし二人には判別できた。

「看板に“ちょうろうのいえ”と書かれていますから」

「オレには読めないが、子供らしい字だなぁ……」

 ノックをして、確認する。

「誰?」

 子供の声ではない。男の低い声がした。ここで二人は安堵のため息をつく。

「旅の者なんだが、長老にお会いしたい」

「いいよ。入ってくれ」

 中から出てきたのは、

「こんにちは旅人さん」

 ガタイのいい男だった。

「ささ、中へ」

 胸を撫で下ろすダメ男とフー。

 中はオシャレだった。宿の部屋の広さと変わらずも、木目調の床にインテリアに家具に、とてもリラックスできる雰囲気だ。奥は書斎スペースなのか、多くの書物や机、観葉植物なんてものもある。キッチンは入ってすぐ右手にあった。いわゆる“LDK”だ。

 真ん中にある洋風なテーブルに着くと、紅茶を入れてくれた。林檎(りんご)の風味がする。

 ダメ男は首飾りをテーブルに置いた。水色の物体が繋がれている。

「早速聞きたいことがあるんだ」

「分かってるよ。俺の歳だろう?」

「え? ……まぁそれもそうだな」

 若干はぐらかされたような気もした。

「俺は四五歳だ」

「四十五? 四十五で長老?」

「そうだな。ここは比較的若いもんな。驚いて当然だ」

「絶対的に年齢が低いですよ」

「……? 今の声は……?」

「あ、そうだった」

 ダメ男は水色の物体を見せ、“フー”だと紹介した。

「初めまして、フーと申します」

 それから“フー”の声がした。よろしく、と挨拶を交わす。

「んで、どうして大人がいないんだ?」

「……逆に聞こう。“大人”とはなんだ?」

「え? ……聞かれると答えづらいなぁ」

 うーん、と(うな)る。

「ではこちらがお答えします。大人とは十分に成長した人のことです」

「では“十分”とはどのくらいだ?」

「それは国によって違います。二十歳や十八歳と国々の法律によって定められています」

「ということは、結局は誰も正確には分からないということだ。法律でしか決められないのだからな」

「そうですね」

 長老は立ち上がり、一冊のファイルを差し出す。

「これは?」

「この国の年齢推移表だよ」

 ささっとページを開いて、あるところを見せてくれた。

「こっちが二百年前の寿命、そしてこっちが二十年前。明らかに違うでしょ?」

「二百年前は八十歳代なのに、こちらは二十歳代ですか。恐ろしいですね」

 折れ線グラフになっているが、右肩下がりになっていた。

「方向転換したんだ」

「方向転換?」

「今までは長寿が素晴らしいものとされた。それは当然だ。歳を重ねるのは知恵を重ねること。長生きしている人は素晴らしい知恵の持ち主である、と見なされていたんだ」

「一理ありますね」

 全面的には支持しない。

「しかし、それよりも逼迫(ひっぱく)してしまうものがあった。」

「? なに?」

「ダメ男、分かりませんか? 社会保障費ですよ」

「その通りだフーちゃん」

 むむむ、と少しだけ不機嫌になるダメ男。しかしダメ男にとって、別のことが起きそうになって、それどころではない。

「んぅ……」

「長寿になるほどお金がかかる。例えば昔、“年金”という決まりがあったんだが、長寿が多いとそれだけお金を支払う対象者も増え、お金が(かさ)んでしまう。あるいは病気になりやすくなり、医療費が多くなる。それに加え、支出は増えても収入は減る一方だ」

「つまり、人口は増えていないのに、相対的に高齢者が増加したということですね?」

「そう。このままでは国が滅んでしまう。他の国に借金をするようになったら終わりだ。そこで先人の賢者たちは抜本改革をした。まずは安楽死制度の導入。辛い人生を送っている人に向けて、という主張だったが、実際は寝たきり高齢者のためだった。これによって医療費と社会保障費は大幅に削減された。次に尊厳死と自己決定権の強化。これも安楽死に絡んでだが、外部の人間より自分の意志を優先させるのが狙いだ」

「相当厳しい決断だったでしょうね。それは自分の両親を殺すことに同義ですからね」

「それは……まぁ。で、これによって八十歳以上の高齢者が激減した。しかし問題はこれからだった」

「なんです?」

「世代のバランスというやつだね。六十歳代と七十歳代がすごく多かったんだ。現役は二十歳代から五十歳代後半までとされていた。しかしそれよりも明らかに多かった。それに社会保障費を多くせびろうとする世代でね。安楽死を導入してから減っていたお金が逆に増えていった」

「それは厄介ですね」

「うん。それに彼らの中に重要なポストが多くてね。切ろうとすれば寄ってたかって集中攻撃してくる。だから賢者たちは逆を突いた」

「逆とはどういうことですか?」

「思いっきり贅沢(ぜいたく)させたんだ。ガンガン社会保障費を掛けて裕福にさせた」

「え? それはお金が掛かりますよね?」

「一時的にね。ところが面白いことにどんどん減っていった。びっくりするぐらいにね」

「どういうことですかね。ねぇダメ男、どうしてなのでしょうね?」

「……すぅ……すぅ……」

 ダメ男はすっかり眠っていた。

「こ、この男は、まったく、すみません。後でしっかりお仕置きしますので、どうかお許しを」

「いいよ。彼には難しい話だったみたいだ」

 長老はダメ男の紅茶に蓋をしてくれた。

「減った理由は……食事だよ」

「?」

「贅沢させたのは食事だったんだ。脂肪や塩分、タンパク質を思いっきり摂取させた。それはそれはとびっきりの料理だったよ。一皿で家が買えるほどの食材も使ったよ。結果、病気になって呆気なく亡くなった」

「身体に悪い物が美味しいというわけですね」

「そうだね。これによって六十歳代から上は大幅激減。で、それがいつの間にか寿命まで落ちてしまったというわけだ。この国の歴史では“幸福改革”と呼ばれている」

「はぁ、なるほど。二百年をかけた壮大な計画だったのですね」

 フーは感慨深そうだ。

「ところが今度は別の事態が起こってしまった。……なんだと思う?」

「何でしょうかね。うーんとえっと、あ、子供が多くなったのですねっ」

「さすがだね」

「あ、いえいえそんなそんな」

 長老に褒められ、しどろもどろになるフー。

「寿命が異常に縮んだことで、子供を産むペースが三倍以上も早まってしまった。結果、子供だらけの国になってしまったんだ。それで仕方なく国を縮小し、今に至るということだ」

「何だかすごいことになってしまいましたね」

「まさか、賢者たちもこんなことになろうとは夢にも思わなかったろう。俺もだよ」

「長老様でさえ四十五歳。この国からすればご高齢の領域ですね」

「次の長老は三十歳代だよ。このままだと“多子低齢化”になってしまう。しかし周りは子供だらけ、いや“大人だらけ”なんだ。制度の制定もままならないんだ」

「最初に言っていた“大人”とはそういうことだったのですね。寿命が八十歳とし二十歳で大人とすれば、この国では単純計算して五歳で大人ですか。まさに“大人だらけ”ですね」

「うむ」

「勉学よりも生活に忙しくなって教育もままならない、かと言って他の国に教授してもらったら、それこそ襲われるでしょうし」

「そこで今、旅人歓迎制度というのを制定したんだ。了解を得て住人になってもらおうという決まりだ」

「ナイスアイディア、とは言い難いですね」

「苦肉の策だよ」

 

 

 長老の家を後にしたダメ男は、

「ガミガミうるさいなぁ……」

 こっぴどく怒られていた。

「本当にもう、せっかく貴重な時間をいただいて面会したのに、話の途中で眠ってしまうとは、なんたる無礼! 本当に恥ずかしかったですよ!」

「だって話が難しくて分からんかったもん」

「頭も子供ですねっ! ほんっとうにもう!」

 ダメ男は出る前に謝罪はしているものの、フーからの厳重注意が途切れることはなかった。

 宿に戻る前に買い物を済ませる。店員はやはり子供。それでも健気に頑張っているのを見て、多少のミスは大目に見ることにした。

 そして夜。宿から夕食をいただいたが、やはり美味しくないらしい。それでも大目に見る。ダメ男は意地でも大目に見る。

「ご、ごめんなさい……お口にあわないですたか?」

 部屋で夕食をいただいているダメ男。それを心配そうに女の子が見つめていた。赤い制服を着ている。

「いんや。もっと頑張ればもっと美味しくなるよ」

「……えへへ」

 食器を片付けてもらい、従業員は去っていった。

「ダメ男、話を聞いていますか?」

「もう説教はやめてくれよ……」

「いいえ。止めません」

「……」

 憂鬱気味に、ダメ男はベッドに寝転がった。荷物はベッドの脇に置かれている。

「……」

 じっとして何もしないダメ男。フーに背を向けて、ただ横になっていた。ちなみにフーはテーブルに置かれている。

「……」

「ダメ男、ちゃんと聞いてください」

「…………」

「ダメ男……分かりました。仕方ないですね。今日はこのくらいにしておきましょう。でも、次に何か失礼なことをしたら、本気で怒りますからねっ」

「これで本気じゃないのかよ……」

「三割くらいですね」

 気怠(けだる)そうに起き、お風呂に入っていった。そしてすぐに就寝した。

 

 

 翌朝。

「……んぅ」

 相変わらず床で眠るダメ男。ぱちっ、

「……あ」

 と目が覚めた。

 起きてすぐに顔を洗った。

「おはようございますダメ男」

「あぁ」

「今日は遅めですね。もう八時過ぎですよ」

「寝坊した……」

「相当疲れていたのですね」

「誰かさんのせいでな」

「自業自得です。と言うより、それを言う立場にないことをお忘れなく」

「……はいはい」

「“はい”は一回です」

「はーい」

 荷物を整理していると、従業員がやって来た。

「しつれします。ごはんれす……」

 とても眠そうだ。制服も少し乱れていた。

「あぁ、そこに置いといて」

「あっ……」

「ん?」

 ダメ男と目が合った瞬間、顔を赤くし、

「ごめんなさーいっ!」

 どたどたと走り去っていった。

「……なんだ一体……」

「ダメ男、服装です」

「……あぁ」

 ただいまのダメ男の服装は黒のタンクトップにパンツ一枚だった。

「まぁ、食事を届けてもらうことが少ないですからね。これは仕方ありません」

「……フーの基準、なんかおかしいよな?」

「そうでしょうか?」

「いや、オレもよくわかんないけどさ……」

 ちなみにいただいた食事だが、今回は美味しかったという。

 

 

 いつものように練習をしてシャワーを浴びた後、改めて荷物の確認をした。忘れ物や足りない物を細かく調べる。

「……うし、大丈夫かな」

「ダメ男の頭は大丈夫ではありませんが」

「なんだ? じゃあ今日も一泊してくか?」

「やめてください。社会的に抹殺されます」

「なら問題ない、そうだよな?」

「はい」

「よし……ははっ」

 おかしな恐喝にダメ男は笑ってしまう。

 ポーチを付けてリュックを背負い、部屋を後にした。

「あ、あの……」

 先ほどの従業員だ。

「今日はどうでした?」

「あぁ、なんか美味しくなってたよ。なにかあったのか?」

「……がんばってれんしゅうしました」

「もしかして徹夜?」

「……」

 ゆっくり小さく縦に振る。恥ずかしそうに顔を俯かせている。

「美味しかったけど……あんまり無理はするなよ。まだ子供なんだからな」

 くしくし、と優しく撫でてあげた。

「……えへへ」

 とても嬉しそうだった。

「それじゃ、行くか」

「はい」

「え? もう行っちゃうの?」

「そう言わないでくれよ。そういうのが一番応えるんだから……」

「……」

 しゅん、としょぼくれてしまった。

 ダメ男はフーを取り出し、操作し始める。そして、

「はいここ見てて、はいチーズ」

「え、え?」

 機械音とともに閃光が走った。従業員はびくっと驚く。害がないことを伝え、フーを見せた。そこにはダメ男とおろおろしている女の子の姿が写っている。

「写真というやつでね。景色を残すことができるんだ」

「……すごい……」

 初めて見るようだ。触ってみるが、ツルツルとした感触しかしない。

「これで忘れないってわけだ」

「……うん!」

 元気いっぱいに笑ってくれた。

 ダメ男は従業員とお別れし、宿を出る。そしてそのまま街を、

「待ってくれ」

 出る前に呼び止められた。振り返ると、若い長老と子供が三人いた。

「旅人さん、行っちゃうの?」

 一人は審査官の男の子だった。

「あぁ。出国にも手続きがいるのか?」

「ううん。いらないよ」

「そうか……」

「ダメ男くん、フーちゃん、この国の制度を知ってるよね? どうだろう、この国の住人にならないか?」

「長老様、申し訳ありません。根無し草なもので、他の国にも行かなければなりません」

「どうして?」

 女の子が尋ねる。その子は食堂の女の子だった。

「……オレは世界中を旅したいんだ。まだ全然旅しきれてない」

「そんなに大切なの?」

 別の女の子が()く。

 うーん、とダメ男は言葉に迷った。

「大切っていうか……うーん、なんて言うんだろうな。習慣というか何というか。そこに留まれない(たち)なんだ、きっと」

「……そうか。ダメ男くんは子供たちに好かれているし、フーちゃんはとても聡明だし、国の長としては見捨てがたい。せめてもう一日くらい泊まって考え直してみないか?」

「こ、子供をダシに使うのはずるいよ、長老……」

「だからこそ早くここを出立するのです、長老。どうかご理解ください」

「……」

 深呼吸するように大きく息を吐いた。

「分かった。……呼び止めて悪かった」

「オレもごめん。お詫びに助言……というか忠告しておくよ」

「?」

「この国の食事を見直した方がいい。徹底的にね」

「……“助言”ありがとう」

「いえいえ。では、行きましょうか」

「あぁ」

 ダメ男は国を後にした。

 

 

 澄み渡る晴天と、ギラギラと照りつく太陽。その日光が背丈の低い草原を満遍なく温めていた。

 ダメ男はくしゃくしゃと渡り歩いている。

「ダメ男、本気で留まろうと思いましたね?」

「そんなことないよ。むしろ逆、あまり長居はしたくなかったんだ」

「どうしてです?」

「歴史の話を聞いてた限り、もう三十年もかからないと思った」

「! 聞いていたのですか? ということは寝たふりをしたのですか?」

「起きてたらあれこれ言いたくなっちゃうから。そしたらますます出国しづらくなるでしょ?」

「それは助言者として抜擢(ばってき)されるからですか?」

「うん。そうなったら長居することになるし……」

「どうしてそこまで拒絶するのです?」

 ぴたりと足を止めた。

「ご飯が美味しくない国は滅ぶのが早い」

「ダメ男の好みの問題ですかっ」

「重要だろっ。だってまずいご飯を食べ続けるんだぞっ? 身体ぶっ壊れちゃうじゃん!」

「そんなに美味しくなかったのですか?」

「うん」

 力強く頷いた。

 そしてまた歩き出した。

「オレが思うに、相当塩とか砂糖とか入れてるよ。それに何だかえげつない味というか、自然な味じゃないし。変な味だった……うぅ……」

「先日話していた“幸福改革”の名残でしょうかね?」

「味覚オンチまで受け継がれてきたのかもなぁ。若いうちからあんなの食べてたら、そりゃ寿命も縮んじゃうよ」

「だからあのような助言をしたのですね?」

「うん」

「さて、あの国はこれからどうなるのでしょうかね」

「……うん……」

 ダメ男は唐突に立ち止まる。リュックを下ろしてから、セーターを脱ぎ始めた。下は半袖の黒いシャツを着ている。

「どうしたのです?」

「……なんか暑い……」

「歩いていて発熱したのではないですか?」

「うん……」

 しかしシャツがぐっしょりと濡れていた。

「これはい、三十度っ? 国を出る前は二十度もいっていなかったのに、これは一体何なのでしょう?」

「……答えはこの先にありそうだ。……行くぞ」

「はい」

 ダメ男たちは気張って歩き出した。

 

 

「ちょうろうさま、こんにちはー。きょうはどうしたの?」

「ちょっと食べたいなってね」

「じゃあすぺしゃるカレーもってくるっ」

「うん。……実に惜しい旅人だったなあ……」

「はいどぞっ」

「いつも早いね。どれ…………んぅ、うまい」

「ありがとっ」

「しかし気にかかる」

「? まずかった?」

「いや、ダメ男くんが食事を見直せ、と言っていたことだよ」

「どういうことなのー?」

「さぁ。こんなに美味しいところのどこを直せというのだろうか……」

 

 

 


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