大草原が微風でうねり、真っ青な空に浮かぶ太陽から暖かい恵みをいただいている。時折、澄んだ池が見られ、生き物が食物連鎖の一部として存在する。特に暑くも寒くもない気候で、日差しによって暖かさを感じる程度の気温だ。
ちょうど、そのような生態系から離れている所に、豪華でも貧相でもない街があった。特に防壁のような物はない。石材を四角くカットして敷き詰めた道に噴水や公園、広場、店があり、緑や木々が見栄えよく生い茂っていた。洋風な感じのする街はほどほどに栄えていて、ほどほどに家が立ち並び、ほどほどに人が住んでいる。“ごく普通の街”、この一言に尽きる。
その街の西にあるカフェで、
「っま」
客はカップをかちゃりと置いた。
心地良い昼下がりの日差しの下、オープンカフェのテーブルに客がいた。テーブルは日差し除けのパラソルが開いていて、明るい中に影を作り出す。
「いかがですか?」
男のウェイターが
「ありがとうございます」
ウェイターは紳士のごとく、ダンディに言葉を返した。
「何かありましたら、お手元のベルをご利用ください」
そう告げて、店内へと戻っていった。
客はカップを
「にが」
表情を曇らせた。
「“ダメ男”」
「なに?」
「つまらないです」
“ダメ男”と呼ばれ、客だった男は広場のベンチに座り、空を仰いでいた。フードの付いただぼだぼの黒いセーターにダークブルーのジーンズ、真新しく黒光るスニーカーという格好だ。隣にまん丸に膨れた黒いリュックサックと黒いウェストポーチが二つ置いてある。リュックサックを横に貫通するように、黒い棒状の包みが挟んであった。
掌を半分くらいまで覆う袖を少し
「ふあぁ……」
大きく
「何というか、一味違う長閑さだよな」
「何が違うかをご教授していただけませんか?」
「……」
「早くしてください」
「“急いては事を仕損じる”って言うだろう? 何事も落ち着いてだな、うん……」
「確かにその通りですね」
「だろう?」
「それで、何が違うのですか?」
「……」
「分からないのですか?」
「……すんません、許してください」
「まったく、変に大人ぶらないでください」
「年齢的にはオレは……って何歳だっけ?」
「興味がありません」
「手厳しいな」
先ほどから、清涼感があって落ち着いた女の“声”がするが、それに見合う人物はダメ男の周辺にいなかった。それなのに、怖がることなく会話を続けていく。
「田舎の長閑さは静かで気が安らぐんだけど……その、ここは元気で笑顔が溢れる感じ」
セーターの
「感性の鋭さは流石ですね」
「そんなに褒めるなよ~、“フ~”」
「テンションが上がり過ぎたナルシストみたいです。吐き気がするので、とりあえず埋没してください」
“声”の“フ~”は、
「“フ~”じゃなくて“フー”です」
「手厳しい」
きりりと言及した。
広場は円状になっていて、街の中心にあり、そこから四方八方に道が連なる。道の分岐点とも言える場所で、噴水から水のアーチを八方に作っていた。
今度はそちらを見て、ぼーっとする。すると、噴水のアーチを通り過ぎるかのように、五、六人の子供の集団が走っていった。それを左から右へ見送ると、ダメ男はにこりと笑う。
その時だった。
「あっ、懐かしい曲……」
「懐かしい?」
「うん。なんか眠くなってきた……」
「確かに、眠気を誘いますね」
街中に曲が流れてきた。放送なのか、ゆったりとしたアコースティックな曲調で、歌詞のない曲だった。
「で、何の話だったっけ、“フー”?」
「え、いっいや、何でもないですよ? 思い出せなければ、はぃ」
「……そうだな」
ダメ男は荷物を持って、ぶらりと歩いていった。ニヤニヤが止まらなそうだった。
「ダメ男のばか、ん?」
目の前に女がやって来た。ツインテールで子供っぽい女だった。
「悪いんだけど、こういう人見なかった?」
用紙を見せられた。右上隅に写真があり、何か項目がずらりと並べられている。
「……見なかったな。お探し?」
「んまぁ……そんな感じ。見かけたら教えてよね。それじゃ」
「はいはい……」
メモを強引に渡し、女はどこかへ行ってしまった。
「なんなんだ一体……」
「さぁ」
ダメ男は夕方には宿に泊まり、そこで夕食を済ませた。その間にも昼間の曲は繰り返し流れていく。曲はダメ男が部屋に戻ったとほぼ同時に止まった。
部屋は一人で泊まるには広すぎた。正確には分からないが、十五畳はある、とダメ男は見立てている。ベッドは窓際にあり、部屋の中心には来賓用のテーブルかと思うくらいに豪華だった。しかも、壁には高価そうな装飾が施され、絵画まで展示されている。ダメ男が不安になって受付に問い合わせたくらいに豪華だった。
「……」
「まるでお姫様の居室みたいですね」
「こんな待遇、そうそうあるもんじゃないぞ」
「そうですね。一番は一国のお姫様とのお泊まりでしたからね」
ダメ男は荷物をベッドに置き、ついでにベッドの感触を確かめる。ふわふわしていて、綿に包まれているようだった。
セーターを脱いでテーブルに置き、黒いシャツになると、
「……もう思い出させるなよ……」
いつものように床で寝っ転がった。
フーはくすくすと笑っている。
「にしても、なんだこれ。数字が書いてあるようだけど」
「“29405”ですか。見た限りIDナンバーのようにも思います」
「なにそれ」
「実名の代わりです。つまり個人情報を取り扱う時、それを使用することによって実名を直接使用せずに済む、というわけです。他にも管理を行いやすくしたり、自分自身と照合したりと用途は様々です」
「何のために?」
「例えば、個人情報が漏れた時に実名でなければ、第三者から見ればただの数字ですからね」
「なるへそ~」
「反応が古いです」
ダメ男はきょとんとした。おそるおそる服の中から何かを取り出し、テーブルに置いた。
「どうしたのです?」
ネックレスにしては大きい物だった。水色と緑色を混ぜたような色をした四角い物体に、黒い紐が通してある。それから“声”が出ていた。
「フーにも確かそんな番号があったような……」
「それは“製造番号”です」
四角い物体は“フー”のようだ。
「あ、そっか」
「そうだとしても、あの女性がなぜダメ男を探していたのかが分かりませんね」
「やっぱあれ……オレだよな?」
「あんな特徴的な顔面は他にいません」
「どういう意味だか四文字以内で説明しろ」
「“厚顔無恥”」
「恥知らずってかっ!」
「“
「地味にしりとりだしっ。それに途中からオレの悪口になってるだろ」
「最初からです」
「……もういい」
いつの間にか夜を迎えていた。窓辺から入ってくる月光がベッドを照らし、何かが舞い降りてきそうなくらいに神々しい。ダメ男は電気を
立派な満月が太陽のように地上を照らしている。夜なのに明るく、街をはっきり見渡せる。影に影が差し込み、さらに暗い影を作り出していた。
ダメ男は荷物であるリュックやウェストポーチ二つから、いろんな物を出し始めた。月光が
「ダメ男」
「なんだよ、フー」
「そういえば、昼過ぎに音楽が流れていましたよね?」
「……そうだけど……」
「とすれば、ここは出番ではないでしょうか?」
「? 誰の?」
「とか言いつつ、分かっているのでしょう?」
「いや、ホントに誰の?」
ダメ男は椅子に座り、セーターからナイフを抜き取った。黒い
「わざと言っています?」
「いんや」
「私ですよ」
用意した容器から
「なんで?」
「なんで、と言われると困りますけど、歌といえば連想するでしょう?」
「全く」
「あ、そうですか」
「いきなり何言い出すかと思ったよ。充電するか?」
「いえ、結構です」
「……この空気、どうすんだよ。収拾つかないぞ」
「自己責任です。私はお先に眠ります」
「あ、せこいっ」
ダメ男はナイフの手入れを終えると、刃をしまってテーブルに置く。そしてジーンズを脱いで、ベッドから毛布と枕を引きずってきた。
「その前にダメ男、お手入れしておいてくださいね」
「やったじゃん」
「ナイフだけでしょう? こちらをしていません」
「さっきひどいこと言ったからやんない」
ダメ男はまだ
「おやすみ」
「子守唄を一曲歌いますから、機嫌を直してください」
「……」
ダメ男は散乱した荷物から耳栓を取り出し、耳にはめて、
「おやすみ」
「お手入れしてくださいよ、気持ち悪いのですぶつぶつぶつぶつ」
眠りについた。
翌日の
「おはようです」
フーが起きた。ダメ男は、
「あ」
まだ眠っている。早起きしてしまったようだ。
フーは
「ダメ男、起きてます?」
声をかける。しかし、うずくまって眠っていて、起きる気配はない。うつ伏せになって、毛布を手放せまいと、ぎゅっと
「では、気付けの一曲を、ん?」
すぅっ、とダメ男の目から流れていた。
「泣いている?」
フーは少し黙ってダメ男を観察することにした。
「すぅ……ずっ……」
ダメ男の静かな寝息に混じる鼻の啜り。一粒一粒が枕に伝い落ちて、シミを作る。
フーは何となく反省した。
そのうち、
「ん……」
ぴくりと
「んぅ……」
ダメ男の眼に光と景色が入り込んだ。瞼が上がっても、景色がぼやけていて何度かまばたきする。身体をゆっくり起こして、
「うはよ」
起きた。ずっと見ていたフーは間を置いて、
「おはようです」
返した。
ダメ男はストレッチをし始めた。少し
「ん? なんだ?」
ちょっと驚いて、
「オレはウミガメかっ」
呆れて笑った。フーは何も言わず、見守る。
ストレッチを軽く済ませると、今度は服を脱いでタンクトップとトランクスになった。放置してあったナイフを持ち出した。
「ダメ男」
「なに?」
「様子が変ですよ?」
「そうか?」
「街に入ってからずっとそうです」
「多分、気が緩んでるだけだろ」
フーは
ダメ男の何かを感じ取ったのか、さらに追及する。
「眠っている間に泣いていました」
「なんだ、オレの寝顔見てたのか。カッコよかったか?」
「真剣に尋ねています。真面目に答えてください」
ダメ男は頭をしゃくしゃく
「す、すみません。寝起きでピリピリしていました」
ところが、フーはすぐに取りやめた。何だか気に障ったように感じたようだ。
ダメ男はじっとフーを見た後、訓練を開始した。目を軽く
動作を止めた瞬間、全身から滝のような汗が溢れた。一心不乱に練習していたようで、膝をつかないように手で支えるほど疲れている。そして肩で呼吸をしていた。
「ダメ男」
フーが呼びかける。ダメ男はそちらに顔を向けた。
「明らかにオーバーワークです」
「……そうだな。ちょっくらお風呂入ってくる」
「ダメ男、大丈夫ですか?」
「何が?」
ダメ男はニコッと笑った。
タオルを持って、シャワーを浴びに行った。
朝食を済ませると、ダメ男は必要最低限の荷物を持って街を歩いていた。セーターではなく、黒いジャケットを羽織り、黒いパンツに黒いスニーカーを履いている。
心地よいそよ風がダメ男の顔に触れ、穏やかな日差しが身体を温める。
「昨日の音楽は流れませんね」
「そうだな。曲が聞こえてきても歌うなよ」
「仕方ありませんね。ハミングで我慢します」
「ハミングもダメ」
「ダメ男は鬼嫁ですね」
「オレを女にすんな」
「ダメ男が女性になったら面白いと思いませんか?」
「何のフリだよ」
「やってみます?」
「やめてください。オレがなってもキモイだけだから」
「それはそうですね。
「あのさ、話の腰折るけど、そこまでひどいの? オレの顔」
「語ったら三時間ぐらいかかりますね」
「しまいには肌年齢とか細胞成分まで調べられそうだな」
特に観光できる場所もなく、あると言えば店やカフェくらいで、ダメ男は街中を歩いていく。石造りの民家で女が洗濯物を干していたり、庭先で子供たちがかけっこをしていたり、こんな時間帯から男たちが酒を交わしていたり。これと言って特に異常のない日常だ。そのおかげか、ダメ男とフーの雑談は尽きることがなかった。
少し歩き疲れてベンチに座った。昨日と同じ、噴水がある広場のベンチだ。
日がようやく昇り、汗ばむ程度に暖かくなっていく。ダメ男はポーチから、水の入ったボトルを取り出し、
フーとボトルを膝の上に乗せる。
「しかし、噂通りの平凡な街ですね」
「いいじゃん。骨休めにはいいよ」
「いろいろありましたからね」
「そうだな」
そこに、
「あの」
女が話しかけてきた。ブロンドで大人っぽい女だ。胸の開いたいかがわしい服装をしている。
「ん?」
「あなたが“ダメ男”さんですか?」
「いや、違うけど」
即答だった。
「そっくりさん……なの、かな……?」
女は持っていた紙とダメ男を見比べている。おどおどとしていた。
「人探し?」
「えぇ。この方なんですけど……」
女は紙を見せると、右上の隅っこにダメ男の顔があった。紛れもなくダメ男。しかし、張本人は動揺の色を全く見せず、紙一面を見ている。
「これってこの人のプロフィール?」
「はい。この方と仲良くなりたくて、探しているんです」
「へぇ~」
今度はまじまじと見た。身長体重、性格に声色まで、ダメ男に関する身体的な詳細に加え、好みの食べ物や趣味、服装など履歴書と思わせるくらいに情報が記載されていた。
「オレに似てるけど、オレじゃないな」
「そうですか。じゃあ、この方を見かけたらこの人が探しているとお伝えください。それとこれを」
「……あぁ、分かった。伝えとくよ」
女はお辞儀をして、またどこか探しに行った。
何事も無かったように身体を伸ばすダメ男。そして、
「その人が探していますよ、ダメ男」
面白そうに告げるフー。
「また数字だ」
それを無視してメモを見るダメ男。
「“3052”か。……ん、んぅ~……なんか日光浴してたら眠くなってきた」
「朝の練習のせいです」
「そうかもな。今度は森林浴しに行きたいな。もっと眠れそうだ」
大きな欠伸をした。
「それよりよかったのですか? ダメ男に求婚を申し込もうとしていたと予測します。性格もプロポーションも良い方ですし」
「どうるいのかん、はぁ……いいでゃろ、オレには……いや、そんなことにょりねむふぁあぁいんふぁろ……」
「何を言っているか分かりませんし、眠いようですね」
ダメ男はベンチに横になった。ボトルを枕代わりに頭に敷く。フーは頭の近くに置いた。
「じゃあ、オレ寝るから適当に起こしてくれ」
「では、起きてください」
「適当すぎるだろ。まだスタートラインにすら立ってないし」
「今は座っています」
「そういうことじゃなくてっ! まだ寝てないってこと!」
「ではフライングということで、地球上から退場してください」
「フライングはフーだろうっ」
「これは手厳しいですね」
「なんかイラついてきた……」
「ほら、眠気が取れてきたのではないですか?」
「いや、寝てやる、寝てみせる! おやすみ」
「子供っぽいですね、まったく」
心なしか、フーが嬉しそうだった。
「……ちゃん、……お兄ちゃん、ここでねてるとかぜひいちゃうよ?」
「はやくいこうぜ。はじまっちゃうよ」
「ぐーたら星人はムシムシ」
「でも……」
「ん? なにこれ?」
「へんなの」
「それ、こいつのだろ?」
「いいじゃん、もってっちゃおうぜ」
「これほしい……」
「ほらぁ! はやくいこう!」
「駄目です。これは置いていってください」
「うわ! しゃべった!」
「なにこれっおもしろ~い」
「置いていかないと十秒以内に爆発します」
「ほんと~! やってみてやってみて! あっちにおいてあげるから!」
「どうせうそだろ。ばくはつしたら、ぼくらしんじゃうもん」
「あぅその、爆発しますよ?」
「はやく!」
「お願いだから置いていって、ね? これはそこのお兄さんの物だから、勝手に取るのは悪いことなの。だから、」
「おねえさんのこえかわいい」
「え? ちょ、ちょっと、やめっ」
「あははは~!」
ダメ男が起きたのは数時間後だった。ちょうどお昼ごろだ。ベンチから降りて、ぐいっと背中や脚、腕を伸ばす。こきこきと関節が鳴った。
「よく寝た……。久しぶりに熟睡できた」
枕だったボトルを手に取る。冷水を口一杯に含んだ後、ごくりと喉へ通した。
「フー、行くか!」
はい、という一言はなく、ダメ男の言葉が
「……あれ?」
首やポーチの中、ベンチ周辺の至るところを探す。しかし見つからない。自分の頬をつねったり顔を殴ったりしても見つからなった。
「おかしいな……なんでないんだよ……あっ」
ダメ男は
「さてはどっか遊びに行ったな? 一人でずるいヤツだなぁ」
まだ寝ぼけているようだった。
「仕方ないな……、お?」
突如、曲が流れてきた。昨日とは違う曲だ。ハードロックだった。
「仕方ない」
ダメ男はポーチを取り出すと、フーとは違う四角い物体を取り出した。
「こっちか、いやあっち……じゃなくて……」
ダメ男は挙動不審ながらも探しに行った。
「これから、どこに行くの?」
「ん? “ダイヒョウ”じいちゃんのところ!」
一方、子供たちに誘拐されたフーはすっかり溶けこんでいた。女の子の首にかけられている。
「“ダイヒョウ”じいちゃんとは誰なのですか?」
女の子一行は道を走り、東の方向へ進んでいた。フーがリズムよく揺れている。
「おとうさんをみつけてくれた人!」
「それは凄い人だね」
「うん! だけど、おとうさん、またたびにいっちゃったの」
「じゃあ、待ってるんだね?」
「いつかかえってくるっていってたから……。そうじゃないと、おかあさんさびしい……」
フーはそれ以上は何も言わないことにした。
「あ!」
女の子が指差す方向に老人がいた。スーツ姿でギターを抱えて、ベンチに座っている。老人というより老紳士という表現のほうが適切かもしれない。
子供たちは老紳士の前で座り込んだ。息を荒らげているが、目がキラキラと輝いていた。
「今日はどんな曲なの?」
「わたし、三日前のやつがいい~」
「もっとはげしいやつにしてくれよ」
彼らはあーだこーだ言い始めた。老紳士は笑いながら、じゃらり、と素手でで奏でた。
老紳士がギターを弾き始めた瞬間、
「!」
ハードロックな曲が消え、カントリーな曲が流れてきた。老紳士の弾く通りに街中に音が響いていく。澄んだ音で、気分がうきうきしてくる。
「昨日の曲はこの方が弾いていたということかな?」
「そうだよフーちゃん」
「おっちゃんみたいになりたいな~」
「そうだね」
「? どういうこと?」
フーには今一つ状況が飲み込めなかった。そこに、
「あ、ダメ男」
ダメ男がやって来た。手を見ながら女の子たちをちらちら見てくる。
ダメ男は話しかけてきた。
「え、えっと、誰か“フー”っていう四角くて水色の変なヤツ持ってないか?」
「気をつけてください。彼は不審者です」
「えっ!」
老紳士の目付きがダメ男に向けられる。ちくちくと刺さる眼光を、ダメ男は、
「フー、変な情報吹き込むなよ」
軽くスルーした。
「なんで起こさなかったんだよ」
「ダメ男が気持ちよさそうに眠っていたので、そのままにしました」
「この人だれ?」
女の子がフーに聞く。
「男です」
「そういうのいらないから」
すかさずツッコミが入る。
「とりあえず、返してくれないか? オレのなんだ」
「いや! わたしのだもん!」
自分から盗んでおいて、とは言えないダメ男。
女の子はいたくフーを気に入っているようだった。さすがのダメ男も困り果てるが、やんわりとした口調で説得を試みる。
「う~ん、別に君を
「わたしのほうがフーちゃんのことすきだもん!」
「ぶっ!」
思わず吹いてしまった。
「ダメ男、子供が言っていることを真に受けてはいけませんよ」
「分かってるよっ。まさかの不意打ちくらっただけだ」
「フーちゃんはわたしの!」
「まいったな……お?」
老紳士がギターを演奏し終わった。
「これお嬢さんや、旅人さんの大切なものを返しておやりなさい」
「でも……」
それでも
「お嬢さんがフーさんを独り占めしたら、旅人さんは一人寂しく旅をしなくてはならなくなる。独りぼっちじゃぞ?」
「……」
女の子はむっと額にシワを寄せて、彼女なりに考えている。もう一度老紳士と目を合わせると、にこりと笑った。
「お兄ちゃんごめんね。フーちゃんとおわかれするのはさびしいけど……」
女の子はフーをダメ男に手渡した。受け取ると、きゅっと握り締める。
「フー」
「はい」
ダメ男は蝶番のようにフーを開き、ポチポチとボタンを押して操作する。それを、
「みんな、笑って。はいチーズ」
子供たちと老紳士に向けた。ダメ男も自分が入るようにフーを持つ。数秒してぱしゃりと電子音が鳴った。
ダメ男は全員にフーを見せた。そこには戸惑いながらも笑顔を見せる子供たちとそれを優しく見守る老紳士の絵が映っている。
「これでフーも忘れないよ」
「ありがとうお兄ちゃん!」
女の子は笑いながら他の子供たちと走り去っていった。
ダメ男はフーを首にかけ、服の前に出す。
「恩に着るよ。フォローがなかったら、ずっとあのままだった」
ダメ男は素直に礼を言う。
「とんでもない。むしろ私がお礼をしたいくらいですわい」
「?」
老紳士はふふっと笑みを零した。
「い、いや、オレは何もしてないんだけど……」
「ん? いやいや、そんなはずはない。私に生き甲斐をくれた恩人なのですからな。恩人や、こちらに来てください」
「え、えっと……」
「私はあなたをずっと探していたのです」
「え?」
隣に座らせた。老紳士はギターを持ち直し、奏で始めた。その曲は昨日と同じ曲だった。
キュッキュッ、という弦のスライド音と細かく
すぐにハッとする。
「この曲……」
「そう、あなたが私にこのギターを譲ってくださり、あなたの曲を教えてもらった。今では自分でも作曲したり、旅人に教えを
「……」
老紳士はニッコリと笑った。白くて綺麗な歯並びだ。
「しかし、
「……」
ダメ男は、にっ、と無理やり口角を上げた。
「多分なんだけど、その曲を教えてくれた人……親父かもしれない」
「! ほおぉ……! どうりでそっくりなわけですわい。見間違いのようでしたけど……しかし、恩人さんの息子でしたか。いや、非常に似ておられる……」
「そんなにダメ男のお父様と似ているのですか?」
「えぇそりゃあもう」
頬をカリカリと掻く。少し照れている。
会話していても、一切手元が狂わない。弦を押さえている左手は白く細く、その割にアクティブに動いている。弦を爪弾いている右手はしなやかに細かく動いている。
「因果なことですわい。親子揃って旅をなさっているとは」
「それは知らなかった。で、オレを探してたって言ってたけど……」
「あぁ、その説明をせねばなりませんな。しかしここで話すのもアレでしょうから、場所を変えましょうぞ」
「いいよ」
そして、老紳士はじゃらりと弾き終えた。この場では二人しか聞いてなかったが、気持ちいい感覚がした。良い映画を観終わった感覚と似ている。
ダメ男はせめてものお礼にと、老紳士をカフェへ招待した。ダメ男はミルクティー、老紳士はアップルティーを注文した。しかし、
「こ、これはこれは……」
紳士のように接客していたウェイターが取り乱している。彼はダメ男に尋ねた。
「お客様はこのお方のお知り合いですか?」
「ついさっき知り合ったばっかだけど……」
「失礼いたしました。先日召し上がったお食事のお代金を返却いたします」
「えぇっ? いいよそんな……」
慌てて手を振って
「そう言わず、お受け取りしてくだされ」
「いや、オレは客としてここに来てる。だから相席した人が誰だろうと、そういうのは無しにしたいんだ。それでもというなら、オレは投げ捨てるけど?」
結局、ダメ男は支払った代金を受け取らず、押し通した。ウェイターは何回も頭を下げ、仕事に戻っていった。
安堵のため息をついたダメ男はもう一口飲んだ。
「あなたは旅人としてはお優しいようですな」
「ただのお人好しです」
「“情けは人のためならず”。旅人の信条なのですかな?」
「うーん、分からん。ただ変に接待を受けると気持ち悪くって」
「はっはっは。それもそうですな」
ダメ男はミルクティーを啜る。
「ところで×××さんや、あなたの旅の目的はなんですか?」
「! ご老人、できれば“ダメ男”でお願いします」
「あぁ、失礼……」
持っていたカップを静かに戻した。
「……本当にオレのこと知ってるんだな。ということは、あの写真も情報源は親父か……?」
「その通り」
老人はウェイターを呼び止める。追加注文でサンドイッチとケーキをオーダーした。
「ここは一体どのような場所なのですか?」
「ここは、人探し
「……人探し?」
「思い人を紹介したり、離れ離れになって会えなくなった大切な人を捜索したりする街なんですわい。色んな旅人や放浪者を招き入れ、できるだけ聞き込み、情報を収集する。あるいは、この街に長く滞留させて聞き出す。そうやって情報をかき集めながら依頼主が会いたい人を捜すわけです。または、数少ない出会いの機会を増やしているわけですのう」
「ということは、あの女性たちはお見合いのためだったのですね、ダメ男」
「てことは、これもそうなのか?」
取り出したのは数枚のメモ。数字が書かれている。
「それもこちらが配布したものですな。多くの依頼主がいるもので、数字にて管理してるんですわい」
「やはりそうでしたか」
「よかった。てっきり暗殺されるかと思ったよ……」
ぽそりと呟く。ダメ男はゆっくり
「あれだけ正確な情報は恐れ入った。声とか好みまで……」
「勝手ながら、プロフィールも観察して作成しとります。実は監視要員がいるんですわい。例えばあそこ」
後ろ、と小さい声で教える。そちらを見ると、ブロンドの女がウィンクした。
「あれ、あの方は確か、」
「そう。いわゆる“サクラ”がいるわけですわい」
「お見合いと見せかけた諜報員ですか。どうりでダメ男の詳細データがあるわけです。とても壮大で手が込んでいますね。正直、便利だと思います」
「全てが上手くいけばいいんですが、これを利用して悪質な行為をする
「たとえば?」
「例をあげたらキリがない。……人身売買、強姦、快楽殺人、違法物品の密輸と売買……黒い部分も存在はありますわい」
ダメ男は眉を曇らす。
「本当に出会いを果たしたい方々もいる中で、こういう事は迅速に排除しております」
「……一つ聞いていいかな?」
「何でも」
ミルクティーをまた飲んで、カップを置く。
「オレを調べてたってことは、誰かから依頼されてってことだよな? ……だれ?」
「それはお教えできませぬ。恩人であっても、これは仕事なので……」
「……確かに便利そうだな……」
注文していたケーキとサンドイッチが来た。ダメ男はサンドイッチを受け取り、もくもくと食べ始める。
「しかし恩人の息子さんに何もせぬというのは恩をアダで返す行為。性別だけはお教えしましょう」
「……どっち?」
夜。ダメ男は宿に戻っていた。特に何をするというわけでもなく、ただリラックスしていた。
「女、ねぇ……」
ため息に似た言葉。
「ダメ男を探すなんて、恐ろしく好き者ですね。まさに“毛がある男ウキウキ”ですね」
「全世界にいる髪で苦しんでる人々に土下座して詫びろ」
「す、すみません。ごめんなさい……」
ダメ男の真剣さ、冗談で済まされない雰囲気にフーは素直に謝罪した。ちなみに“
「でも、こういう街も必要かもしれないな。役に立つよ」
「そうですね。親子の感動の再会のような、ああいうのが増えるのですからね」
「そういうの弱いっけ?」
「涙に絶えませんね」
「……明日、早めに出よっか。しんみりしちゃうし」
「ダメ男はそういうことに弱いのですか?」
「自分のはいやだ」
ベッドにあった毛布をごっそり持ち出し、床に敷いた。
「ダメ男の父親のこともありましたけど、あまり仲は良くないのですか?」
「何十年も会ってないし、既に他人だろうな」
「これからはダメ男の父親編ですね」
「勝手に作るなっ」
ダメ男は毛布に
翌朝。まだ日も昇らぬうちに、
「ダメ男、早すぎませんか?」
出立の準備をして、たった今完了した。
「いつもこのくらいだろう? それとも寝坊助さんか?」
「いえ、ダメ男は眠くないのかと思いまして」
「バッチリよ。って、自分から言っておいて寝坊したらダサいでしょ?」
「それもそうですね」
宿を出て、出発した。
ようやく日の出なのか、空が白み始めた。青から薄い黄緑、橙色と空にコントラストが描かれている。橙色の方から太陽が顔を出してきた。眩しい光とともに、温かみを帯びて。
「うん。今日もいい感じだ。行くぞ」
「はい」
そのまま街を出ていこうとした。しかし、
「すみません」
また女が訪ねてきた。黒い長髪の女だった。
「あなたがダメ男さんですよね?」
手にはあの用紙が握られている。
「違うよ。そっくりさんじゃないか?」
「いえ、そんなはずはありません」
「どうして?」
「“ダメ男”という“名前”を認識していましたから」
「!」
ダメ男は素早く一歩退いた。何かをされるような気がして。
「普通の利用客じゃないな? ……誰だ?」
「嫌ですねえ。ここは出会いの街でしょう? 魅力ある男性とお話したいだけですよ」
「……こんな朝っぱらから?」
「ええ。何か疑問でも?」
近づいてくる女。ドライな口調でも、じっとりと距離を詰めてくる。まるで猛獣が獲物を追い詰めるように。
その分、ダメ男もじりじりと後ずさりしていた。
「自分の将来を賭けているんですもの。多少の無理はしますわ」
「いっいや……それでも、ちょっと……あ、もう街を出るんだ」
思い出したように口にする。
「それでしたら、その前にお話しません?」
「急用なんだ。だから朝早く出立しようとしたんだよ」
「……そうやって逃げるおつもりですね?」
「は、はぁ?」
「いっつもそう。私が声をかけるとみんな逃げていく。私がなにか悪いことしたっ?」
口調が荒くなっていく。
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ……何というか、その……」
ダメ男も言い出しにくい。
「別に殺そうとか、既成事実作ろうとかそういうわけじゃないのに、どうして逃げようとするのっ? ねえ? なんでよっ?」
ずかずか。強引に詰め寄る。
ふぅ、と小さく息をつくと、
「行くぞ……」
フーに小さく声をかけ、
「あっ!」
一目散に逃げていった。
女も全速力で追いかけてくるが、ダメ男が速すぎて追いつけそうにない。結局、街の入口で女は打ちひしがれることになった。嗚咽を漏らしながら、呻きながら、
「申し訳ない。滞在が三日と聞いていたもので、引き留められんかったよ」
「大丈夫です。足取りは掴めましたから」
「……終わったか?」
「いえ。……えっと、これがお代金です」
「ありがたく頂戴しますぞ。今後もまたご
「いや、もう世話にはならない。目的を完遂するからだ」
「……とのことでして。あぁ、私はお世話になるかと思います」
「そうですか。その時には情報を蓄えて待っとります」
「どうも、お世話様でした」
「……行くぞ」
「ほいさ。……しかし、もうちょっと愛想よくしてもいいんじゃないですか?」
「関係ない」
「……そうですか」