フーと散歩   作:水霧

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第七話:まもるとこ・b

 鋼鉄の扉、狭いスペース、そして見上げる位置にある窓。そこから一筋の光が差し込む。それが唯一の明かりだった。

 まるでスポットライトのように照らされている。ダメ男はそんな陽溜りでうち伏せていた。それも一糸まとわぬ姿で。牢屋に入れられる時に衣服を()ぎ取られたようだ。

 華奢(きゃしゃ)な体付きとは裏腹に(たくま)しく、筋肉質だった。それに上半身から下半身の至るところに古傷が見られる。創傷や擦過傷、火傷、陥没痕、銃創と、筋肉とは違う凹凸があった。

 ふと、

「……くぅ……」

 痛みが走る。ダメ男が目を覚ました。

「大丈夫ですか?」

 フーの声がした。近くだ。

「口の中切れてる……いたたたた……ぺっ」

 吐いた唾に血が(にじ)む。

 重そうに身体を起こした。

「収監されるのが多いですね」

「習慣になってるのかもな」

「つまらないこと言っていないで、何があったのか教えてください」

「フーからフったくせに……」

 ダメ男は事の顛末(てんまつ)を話した。

「なるほど。完全にハメられたようですね」

「?」

「マークしていた“SS”の人間と店主は同一人物、よってあの店は“SS”が経営していたのを知っていたということになります。つまり“SS”の店を放置していたことになります」

「……!」

「もし本当にそうだとしたら、チタオ様かウッシー隊長かが忠告しているはずです。犬猿の仲ですからね。とすれば残るは一つです」

「“SS”が賄賂(わいろ)を送ったってわけか」

「そしてそのことに言及したワニヒコ様が裏で引いている可能性が高い、というわけです」

「……あの時気づいてれば……しくじった」

 ぺっ、とまた唾を吐く。

「こちらの言うことを素直に信じていれば、こんなことにならなかったのです。これで、誰かさんのせいでこの国も滅亡の一途を辿るのですね」

「……」

「本当に牢獄がお似合いの負け犬ですね」

「っ」

 ダメ男は立ち上がり、壁を(さす)り始めた。そして叩く。何の反響もしなかった。

「地下かな?」

「そのようですね」

「……!」

 ドンドン、と外から爆発音がした。直後、大歓声が聞こえてきた。

「パレードが始まったのか」

「早く脱獄しましょう、ダメ男」

「でも手立てがない。殴って壊せるようなドアじゃないしな……」

「自爆機能を使いますか?」

「オレまで巻き込むつもりか」

 すると、

「え?」

 ガチャリ、と重々しく鍵が外された。

 咄嗟(とっさ)に部屋の隅に逃げ込むダメ男。そこにフーもいたようで、素早く首にかけた。

「! あんたは……」

「ダメ男、助けに来たぞ」

 隊長の“ウッシー”だった。

「どうして……?」

「それよりこれを」

「あ、あぁ」

 ウッシーがダメ男の荷物を持ってきてくれた。そそくさと服を着込む。黒のシャツに黒のジャケットを羽織り、ダークブルーのジーンズと靴下、黒のスニーカーを履いた。ジャケットがずっしりしている。

「夜明け前、尾けられていただろう? あれは私だったのだ」

「! じゃあ告げ口したのは……ウッシー?」

「ふむ。ワニヒコ殿のご命令でな。まだ日も昇らぬというのに出掛けたから、と(おっしゃ)っていた。尾行には自信があったんだがね、感覚は動物並みだな」

「っ、やっぱあいつ……オレをハメやがったかっ」

「とにかく、一刻も早くハイル様の元へ行かないと、代役は誰なのですか?」

「ワニヒコ殿だよ」

「! おいおい、最悪な流れだなっ」

「そもそもパレードは例年ワニヒコ殿に任されているし、全体的にワニヒコ殿の指示だよ」

「待ってください。では兵士の配置や段取りも全てワニヒコ様が取り決めているのですか?」

「もちろん」

「……どうする? どうすればいい……? このままだとハイルが殺される……」

 そわそわするダメ男。

「それどころかチタオ様までも暗殺されてしまいます」

「! 待て! それはどういうことだっ?」

「ワニヒコ様は“SS”と手を組んでいるのですよ。おそらく護衛するフリをして誘拐するつもりでしょう。そうなれば後は“肉なり(なぶ)ったり”です」

「“煮るなり焼くなり”な。シャレにならないからやめれっ」

 すみません、と小さく謝った。

「“SS”がここまで巣食っていたとは思わなかった。かなり工作が進んでいる。もしかすると本当にこの国が滅ぶことも……」

「思いつかない……どうする……どうする……?」

「もはや方法は一つしかありませんね」

 フーが名乗りを上げた。

「! フー、何かあるのかっ?」

「むしろダメ男にしかできない方法です。ウッシー隊長は国王様を頼みます」

「国王はそこまで難しくはないが……姫様は?」

「こちらに任せてください」

「わかった! 国王は門の方へお連れする!」

「了解!」

「行きますよダメ男。自分のミスは自分で取り返してくださいっ」

 フーに急かされて、ダメ男は走り出した。

「なんだよ方法って!」

「とても簡単なことですよっ! “汚泥変動”ですっ」

「“汚名返上”なっ!」

 

 

 束ねた鉛筆のように大通りに人が殺到する。パレードのためにある程度の交通制限はしているものの、いつ乗り上げられてもおかしくないほどだった。低めの柵で仕切っているだけだった。

 人々に見送られながら行進するパレード。五台のフロート車がゆっくりと走っていく。金色ピカピカに輝き、ふんだんに豪快に美しい飾り付けがされていた。

 国王が一番先頭で手を振っている。人々はそれに応え、懸命に手を振る。熱狂し歓声を上げ、盛大にお祝いする。

「行くぞおぉっ! いーちっにーっさーんっ! じゃぁあぁぁぁっ!」

 まるで一体化したかのように掛け声に合わせる。これもまた大ウケだった。自分の置かれている身を把握しているのか、と疑問視してしまうほど楽しんでいる。

 一台はさんで三台目、フロート車の中でも巨大で、象三頭分くらいの高さがあった。これが通ると歓声がより大きくなり、あらゆる声援が飛びかかる。宗教じみたような熱気が立ち込めていた。

 しかし中は恐ろしく冷めていた。

「……まさか、あなたがあの旅人に漏らすとはね。よもや二年をかけた計画が崩れるところだった」

「……なんでもするから父さんを殺さないで……」

「そんなもの、チタオが死んでからでも遅くはなかろう。しかしあの阿呆は危機を感じていないのか……? まぁいい」

 薄気味悪い笑みを浮かべる。

「動物ごときに心を奪われ、后まで寝取られていても気付かぬとは、愚かな男よ」

「……! まさか……父さんのチーターを殺したのも……」

「さぁ。あなたが毒殺した、としか俺は知らないなあ」

「この外道!」

 拳を振り上げる。

「いいのですかな? この国民が見ている中で、そんなことをして……くくく……」

「っ! こ、この……!」

 渾身の力を込めた拳も、ただただ収めるしかなかった。行き場をなくした怒りが震えとなって表れる。ボロボロと悔しくて涙を抑えられなかった。

「うっ……う……」

「ふふふ……ん?」

 パレードにもかかわらず、誰かが乗ってきた。それによってさらに歓声があがった。

「あれは……ウッシー隊長? 門番をやらせていたはずだが……あのパフォーマンスはチタオの仕業だな」

 フロート車を先導するように、先頭で剣舞をお披露目していた。勇ましくキレのある剣舞は人々を魅了し、さらに熱狂させた。一頻り見せた後で先頭のフロート車に乗り、声援に応えた。

 

 

「ウッシーよ、これはどういうことだ? これは予定に入れておらんぞ」

 剣舞を終わらせたウッシーはチタオの隣に直立した。その姿は威風堂々としていてかっこいい。

 ウッシーは小声で話しかけた。

「門番をしていたところ、隣国の国王がぜひお祝いしたいと仰っております」

「なんと。それは自ら出向かわねば失礼極まりない。一緒に来てくれるな?」

「もちろんでございます、国王」

 ウッシーは近くにいた兵士に事情を話した。それは瞬く間に広がっていく。

「それでは行きましょう」

 国王は自らフロート車を下り、国民に手を振りながら道を外れていった。

 

 

「何? どこへ行く気だ? ……なんだ?」

 ワニヒコの所にも兵士が来た。

「隣国の国王が? 了解した」

 一礼して行進に加わっていった。

「……くっ、余計なことを……」

 いきり立つワニヒコはフロート車から身を出し、国民に手を振る。ワニヒコも人気があるようで、多くの国民、特に女性から声援を受けた。もちろんこれはダミーで、本当は国王とウッシーの行方を探るためだった。

「……仕方ない。二人もろとも消してやる……」

 内心で舌打ちする。

 今度は後ろ歓声があがった。いや、叫んでいるようにも聞こえる。しかし歓声や声援が大きすぎてはっきり聞き取れなかった。

 そこまで問題視しなかった。厳重な警備の中でのパレードだ。狼藉はすぐに取り押さえられる。そう思っていたからだ。

「心配するなハイル。すぐにチタオをあの世に、……」

「……」

 目が合っちゃった。

「……」

「失礼しました」

 そろそろと降りていった。

「待て貴様! ハイルをかぇっ、」

 ピュッ、と目の前に迫る黒い物をギリギリ(かわ)した。

「くっ!」

 その(すき)を突いてハイルを引っ張り出し、一目散に逃げていた。

「何をしているっ! 追え! 追え、……!」

 護衛についていたはずの兵士たちがその場に倒れていた。ワニヒコが身を乗り出していた側と正反対の位置、それも死角になる位置だった。謎の歓声はこれによるものだった。

「ダメ男め……えぇい! 俺が行くしかあるまい!」

 ワニヒコもダメ男を追いかけていった。

 交通制限している道の中、ダメ男は兵士たちを蹴り飛ばしながら進む。パレード進行と逆を走っていた。

「何を考えているっ?」

 すると急にハイルを抱きかかえ、柵を乗り越えた。人混みに(まぎ)れるつもりだ。

「そこの者を引っ捕えろっ!」

 ところが誰も邪魔をしようとしない。それどころか道を空けていた。

 それならとワニヒコも通ろうとするが、

「きゃーワニヒコさまぁっ!」

「はじめてさわったわっ!」

「こちらにも来てくださいましぃっ!」

「ぬぅ……! 貴婦人方、どうかお下がりくだされ!」

 人気者が災いしたか、ワニヒコに寄ってたかる。

「くっ!」

 

 

「フー! いくらなんでも無茶すぎだろ、この作戦!」

「これしかなかったのですっ!」

 ハイルを抱えながら全力疾走するダメ男。途中で疲れたのか、ハイルを下ろして手を引っ張った。

 裏道に逃げ込んだようだ。

「ダメ男、どうして……?」

「それよりも、門ってどっちだっ?」

「! こっち!」

 くっと道を変えた。ダメ男が付いていく形になった。

 そこに、

「とまれえぇっ! 狼藉めぇ!」

 甲冑を着た兵士が二人立ちふさがる。ヤラセかと思うくらいのタイミングだ。

「お願い! 通して!」

「姫! お下がりください! 逃げていたのでありましょうっ?」

「いやそれは……」

「あぁぁめんどくさいなぁっ!」

 ハイルを抱き寄せ、首元にナイフを突きつけた。

「あ……」

「通さないと首切るぞ!」

「な、なにぃっ?」

「! なるほどね」

 ハイルが呟く。

「いやぁぁ! 私まだ死にたくないっ! 助けてっ」

 泣き叫んだ。

「こ、この外道めぇ……!」

「外道でも何でもいいから通してくれ。ハイルのためにもな」

 道を空けざるを得ない。通り過ぎた瞬間にハイルを解放し、

「ごはっ」

「ぬぐぅ!」

 強烈な蹴りをお見舞いした。ちょうどよく壁に叩きつけられ、ほどなく意識を失った。

 急いで駆け出した。

「ナイス演技!」

 グッ、と親指を立てる。

「それほどでも!」

 しばらく走ると、

「……よし、ここら辺だな。先に行け! チタオとウッシーが待ってる!」

「で、でも、」

「尾行されてんだよ! 早く行け! ウッシーたちが待ってるはずだ!」

「うっうん!」

 ダメ男が立ち止まる。ハイルを先に行かせた。

 ようやく周りの景色を堪能できる。ここは日が当たりづらい裏道。ハイルが走っていった道は分かれることはなく一本道だ。ダメ男が立ち止まったのはちょうど最後の分かれ道だった。三ツ矢のように道が交わり、一つの空き地を作り出していた。

 その周りを背の高い建物が見下ろしている。

「さすがは似た者同士ですね」

「? なんのこと?」

「いえ。それよりも」

「あぁ。出てこいよ」

 ダメ男の呼び声に応え、すっと出てきた。兵士だった。

「よく分かったな」

「そういうのに嫌ってほど悩まされてたもので」

「そうかい」

 兵士が指笛を鳴らす。標的を知らせたらしい。しかし、ダメ男はそれを見過ごした。

「作戦はまだなんでな。お前を消してからの方が安全みたいだ」

「そんな悠長なことしてていいのか? お姫様はお前らの悪巧みを知ってるんだぞ?」

「大丈夫。護衛はほとんど仲間なのさ」

「だと思った」

 やがて一団が到着した。ワニヒコも一緒だった。

「やっと見つけたぞドブネズミめ。まさかハイルを誘拐するフリをして逃すとはな」

「どっちがだよ」

 一歩退く。

「まぁいい。逃げた先には“SS”がいる。兵士の格好をさせているから、誰が敵かも分からんだろう」

「そんなことどうだっていいよ」

 さらに一歩。

「?」

「蛇を殺すには頭を潰せばいいだけだからな」

 そしてさり気なくもう一歩退く。

「ほう。よくほざくネズミだな。しかしこれだけの人数……(さば)ききれるかな?」

「これは良くないことが起こりそうな予感です」

「? なにをわからんことを……かかれぃっ!」

 兵士たちがダメ男へ襲いかかる。威勢が声となって表れ、狭い空き地を振動させた。

 しかしダメ男は身構えない。それどころか笑っている。

「こういうのってずるいよなきっと……」

 ブツブツ言いながら、ダメ男は何かを取り出した。黒い物体。赤いボタンがついている。

「!」

 気付いてからでは遅かった。

「ポチッとな、です」

 フーの声につられて押すと、

「!」

 爆音がした。それもワニヒコたちの頭上から。

「なん、あぁぁぁっ?」

「くっ!」

 頭上にあった建物を爆破していた。爆発で建物の残骸がちょうどよくそこへ降り注ぐ。ダメ男はハイルが逃げていった狭い裏道に、既に避難していた。

「ぐおぉぉぉっ!」

 重い破壊音。聞き入る暇もなく、一団は残骸の雨に飲み込まれた。

「……うーん……」

 一瞬。喧騒とした中で、まるで早送りのように、そしてあっという間に事が終わる。爆発音、破壊音、叫び声、周りからの雑音、そんなものを聴くほどの時間はなかった。そして余裕はなかった。

 そんな刹那なイベントが終えた後、瓦礫の山と化した場所から砂埃が舞い上がる。古い家屋だったようで、蓄積されていた(ほこり)が舞っていた。

 ダメ男はまじまじと確認する。既に仕込み式ナイフを取り出していた。

「ぐおぉっ!」

 がこん、と残骸を放り投げる。出てきたのはワニヒコだった。しかし顔から血を流していた。ダメージはあるようだ。

「よくあれで死ななかったな。……親玉感満載だな……」

「人間というのはクッションには最適だぞ……。甲冑を着ていれば尚更良し」

 残骸から生き埋めにされたニセ兵士たちが出てきた。ほとんどは潰れているが、まだ(うごめ)いている者もいる。頑丈な甲冑のおかげか。

「兵力はこんなもんじゃないぞ。何千といるのだからなっ!」

「あんた……まだ分からないのか?」

「? 何がだ?」

「今の状況だよ。耳を澄ましてみろよ」

「?」

 聞こえてきたのは歓声だった。楽しそうで盛り上がっている。緊迫感や恐怖感といったものは一切伝わってこない。

「こんな楽しそうな喚き声や悲鳴を聞いたことがあるか? つまり、戦いは起こってないんだ」

「っ!」

「オレを追うことに必死だったんだろうな。こんな様子じゃ、開戦の合図も出してないだろうよ」

「くっ……」

 いつもの見下した雰囲気は全くない。むしろ動揺を隠せなかった。明らかな凡ミス、判断ミス。ダメ男に執着しすぎていた。

 曇る表情をかき消すように鼻で笑った。まだ余裕はあるようだ。

「……ふふふ」

 不敵な笑みを浮かべる。

「確かに開戦の合図を出していない。そしてこの場にはそれを伝えられる者はいない。死んでいるか瀕死かだ。しかし貴様が姫を誘拐したことに変わりはなかろう。ここで貴様を召し捕れば、計画は立て直せるわぁっ!」

「!」

 銀色の線が目の前を過ぎる。ダメ男は上体を逸らして躱すが、軸足を蹴られて倒されてしまった。息をする間もなく突き下ろし。今度はダメ男が足を引っ掛けて倒す。倒れかけたところにダメ男が横に切る。それを手持ちの剣で防いだ。

「っ」

 中腰の二人。己の武器に全体重と力をかける。だが、金属音を奏でるだけで優劣は変わらない。

 いつもは片手で持つダメ男も、両手で押し込もうとする。

「思ったとおり、強者よっ!」

 血だらけのクセにやたらと嬉しそうな顔だった。逆にダメ男は顔が歪む。

 ぐぐ……、とダメ男が押し負けていく。体格や力はワニヒコがかなり優勢だ。その証拠にワニヒコの身体が盛り上がっている。

「そら、手首をもらうぞ!」

 角度を下向きにし、剣がダメ男の手の方へ向かう。

「ペッ」

「!」

 (ひる)んだ一瞬を見逃さない。手首を捻り、ワニヒコの剣を上から押さえつけ、

「おらぁっ!」

 頭突きを食らわせた!

 ちょうどオデコにヒットし、ワニヒコが()()った。

 ダメ男は追撃せずに体勢を整えた。ワニヒコも素早く立ち上がる。

「いきなり来るなよ。走馬灯見えたぞっ」

 ワニヒコの左目に赤い唾がかかっていた。それを取り出したハンカチで拭う。赤く汚れた。

「俺は奇襲が得意なんだ。それにこの狭い道……本領発揮できる」

「?」

 引き抜いていたはずの剣がいつの間にか左腰に収まっている。そしてゆっくりと屈みながら、右手をかける。いわゆる“居合い”の構えだった。

「そういうの苦手……」

 本気でそう思っていた。

 一方のダメ男はナイフを左手に持って、半身にして立つ。ワニヒコに左半身だけ見せるように身体を横にし、腕や膝を少し曲げ、中途半端な位置に留める。右手はポケットに入れている。差し詰め、フェンシングのような姿勢だ。

 ワニヒコは一切動かなかった。じっとダメ男の目や手足を睨み、先制しようとする。

 ダメ男は逆だった。ナイフを少しだけ揺らし、まるで(まど)わすかのように(あざむ)くかのように動かす。それに刃を収納していた。

 大股で二歩くらいの間。じり、と爪一つ分だけ距離を詰める。ワニヒコだ。全神経を手先に集中し、行くぞ行くぞとにじり寄る。

 対するダメ男は退()かなかった。間合いを確かめつつ、惑わしを続ける。ナイフに付いている黒毛が可愛らしくゆらゆらしていた。

 二人には歓声は聞こえなかった。防音性の高い部屋で対峙しているくらいに集中している。それは僅かな散漫が即死に繋がることを意味する。

 だんっ、

「!」

 いきなり、突如、唐突に二歩ある間合いを一歩で詰めてきた。

 どこを狙う? 二人して頭によぎる。

「なにっ」

 が、ダメ男の右手に黒いものが見えた。右手を背につけて、ワニヒコに向いている“L”字の物体。ワニヒコの頭を掠めるイメージ、対処法、状況判断、形勢、対策……。

 わずかな硬直と困惑。針穴のような小さな迷いに突き通す。

「!」

 居合いのために突き出していた右腕の前腕。ちょうど骨を(かす)めるように、綺麗に刃が通過、いや、押し付けられた。刃は小指側から出ていた。つまり、ダメ男は仕込み式ナイフを逆手に持っていたのだった。

 反撃に出ようとも、

「ぐぅぅっ」

 筋肉が切られてしまい、激痛でロクに握れなかった。スカッ、と右腕のみの遅い居合いが過ぎるのみ。

 極度に興奮していたからなのか、ぼたぼたと血が流出していく。

 ワニヒコの額に切っ先が止まる。

「あんたの負けだ」

 激痛と敗北で脂汗が湧き出す。

「どうして銃、……!」

 右手を注視するワニヒコ。顔が青くなっていた。

 ダメ男は、銃を持っていなかった。

「門に入る前の荷物検査でオレの武器は知られてる。あんたも飛び道具を持ってないとタカをくくってたろう。だからこそ狙わせてもらったよ」

 ダメ男の右手は黒い手袋で覆われていた。

「動物というのは錯覚しやすいものです。銃を持っていないと思い込んでいるあなたに、黒手袋は有効でした。手で銃のマネをしただけでも十分です。さぞ、頭の中が混乱したでしょう」

「刀身を収納したのは……俺の右腕を……」

「そ。最初から出してたら警戒されるっしょ」

「……懇切丁寧に……どうも……」

 ちょうどよく、

「! ダメ男!」

 ウッシーと部下の兵士たちが来てくれた。本当にタイミングがいい。

「やっと来てくれた……」

「姫様から話を聞いてな。いろいろ準備をしていたら遅れた。すまないっ」

 拘束用のロープでワニヒコや生き残りを縛り付ける。

「ウッシー、貴様……こやつは姫を誘拐したのだぞ!」

「誘拐? 何のことです?」

「な、何を言っている! お前も見ただろうっ?」

「私は王を連れて、隣国の王をお出迎えしておりましたゆえ……。聞くところによれば、ダメ男は姫様をお連れしたようですな。しかし、姫はトイレに行きたかったとおっしゃっております。そのためにダメ男を呼びつけたのだと」

「ば、ばかな! そんなバカみたいな話があるかっ!」

「現に今もパレードが進行しているではありませんか」

「? ……!」

 ハッとした。

「姫様はもうフロート車に戻られ、国民の声援に応えておられます」

「……ま、まさか……一度誘拐して、また返したというのか……? そんな子供騙しに……あ、そ、そうだ! あの倒されていた兵士はどうなるっ?」

「あぁ、あれはパレードの演出の一環だったようです。なかなか粋でしょう? 国王が急に予定変更したようで、細部にまで連絡が行き届かなかったようですな」

「き、きさまら……」

「さ、ダメ男。すぐにパレードへ。姫を助けた英雄がいないとパレードは台無しだ」

「あぁ。なんか飛び入り参加みたいで悪いな」

 ダメ男はワニヒコにウィンクして、走っていった。“ざまあみろ”と。

「くそおぉぉっ! あのやろおっ! すぐにぶっころ、」

「ところでワニヒコ殿、“SS”に加担されているとの噂があるようですな」

「!」

「密会していたとか、武器屋を買収していたとか、姫様が証言されております」

「く、くそぉ……!」

 

 

「はいはーい……どもども……あはは……」

 ダメ男は照れくさそうに手を振っていた。

 演出とはいえ、設定ではハイルを助けた戦士。衣装も戦士の格好で、手を振っていた。こちらに来る間にウッシーの部下が手渡してくれた物だった。ウッシーの言っていた“準備”とはこの事だったのだ。

 演出(?)とはいえ、ハイルがダメ男に抱きついて手を振っていた。演出、そう演出なんだ、ダメ男はそう言い聞かせる。とは言いつつ、顔が真っ赤だ。

 チタオはその後ろでふんぞり返っていた。怒っているというよりも、堂々と二人を見守っている。

「こういうのを“コスプレ”というのですよね。何とも気持ち悪いです」

「そういう趣味の方々に謝れ」

「いえ、ダメ男が、です。全てにおいて気持ち悪い、あぁ鳥肌が立ちます」

「むしろ鳥肌を見せてみろ……うぅ」

 ハイルが笑っている。ダメ男同様に顔が赤い。

「ありがとうダメ男、フー。助かったよ」

 険が取れた笑顔はうっとりとしていて、破壊力バツグンだった。

 無意識に顔を背けてしまうダメ男。

「いぃいえいえお姫様。それよりもチタオの機転の良さに驚いたよ。まさか姫様誘拐を演出にするなんて……。そんなどんでん返し聞いたことないよ」

「いつかやってみたかった構想だったからな。あっはっはっはっは」

「あぁ、そうなの……」

 苦笑いのダメ男。

 やがて、ゴールの城が見えてきた。

「さて、パレードはこれにておしまい。今度は(うたげ)だ。今日は眠ることを許さんぞダメ男!」

「え?」

 帰ってくるやいなや、ダメ男はチタオに連行された。大食堂で準備ができているらしい。

「酒の飲み比べだ!」

「えぇ! いやいやいや、オレお酒飲めないんだけど……」

「我が国では十五歳で飲酒解禁だぞっ」

「そうじゃなくて体質的に、」

「そうカタイこと言うな! それともこの王の誘いを断るか?」

 ずずんとダメ男に迫る。

「最上級の脅迫ですね。よかったですねダメ男。王様直々に脅迫された旅人なんて滅多にいませんよ」

「あぁぁぁ! もうどうなっても知らん!」

 未成年への飲酒は絶対に止めましょう。またお酒に弱い人に無理矢理飲酒させるのも絶対に止めましょうね。

 

 

 軽快な音楽、揺れる炎、踊りだす影。あの広すぎる庭はあっという間に一つの村と化していた。いくつもテントを組み立て、焚き火を囲っては楽器を演奏し盛り上がる。平民も王族も家来も関係ない。騒いで楽しければそれでいい。そんな陽気で心躍る雰囲気だった。

 宴は大盛況だった。お姫様の誕生祭だが、まるで自分の誕生日のごとく盛り上がる。食べて飲んで騒いで遊んで、喜びと嬉しさで混沌としている。こそこそと男女で隠れていく者もいるが。

 ダメ男も漏れなくその渦中にいた。

「あんちゃん、もう五人抜きかよっ! やるなぁ!」

「うっぷ……」

 食堂で働いているコックさんたちと飲み比べ勝負をしていた。地べたに座って、ダメ男と対戦者の前に酒を持ってくる。量は様々、種類は色々。身体に気を使う余裕やへっぴり腰などどこにもなかった。

 汗だくである。

「宴というとどうして飲み比べなのでしょうかね。それにしてもこの男、ノリノリであります」

「そう言うなフー! 宴は楽しければいいの!」

「酒臭いですし、王様は雑魚ですし、顔は気持ち悪いですし。嘔吐(おうと)しそうです」

「完全に王様(けな)してるよな。確かにそうなんだけど……」

 チタオはそこら辺でウーウー(うめ)いていた。

「自分から持ちかけたくせに負けたもんな。呆気なく」

「次の挑戦者だぞあんちゃん!」

「!」

 次はなんと、

「おぉ! 隊長殿だぁ! これは強敵だぞぉ!」

 ウッシーだった。馬鹿でかい鎧を脱いで平民が着るような私服になっていた。しかしそれでもガタイがある。鎧で見えなかった大木のような腕が見える。

 心なしか、顔が火照(ほて)っている。

「ウッシー、どうして?」

「ふむ。私もこういうことが好きでな。威勢がいい英雄がいると聞いて飛んできたのだ」

「んなアホな」

「あっはっは。それじゃあ勝負といこうか」

 どすん、と地べたに座り込んだ。

 どすん、と地べたに座り込んだのは、ウッシーでもあった。

「? なにこれウッシー?」

「私はこっちだダメ男」

 大木のような腕に鋼のような肉体。針が通らなそうなくらいに硬かった。

「ダメ男、そういう趣味があるのですか」

「違う、ボケだからツッこんでよ」

「あらあら。ダメ男、勘違いされますよ」

「どういう意味だよ! それより、これ本当に飲むの?」

 持ち出してきたコックに言いかける。

「もちろんだとも。よーいドン!」

「まってまって! これ何リットルある、」

「うおおおお」

 まるで動物が(たけ)りを抑えられないような雄叫び。

 怒涛(どとう)の勢いで胃袋に詰め込むように飲み始めた。

「死んじゃうから! やめとけって!」

「知らないのかい? 隊長は酒豪なんだぜ?」

「強い弱い関係ないからっ! 量の問題っ! 人一人入れるよこのサイズっ!」

「うごぉぉぉぉっ!」

「なんなのこの人! 魚ですかっ? クジラですかっ?」

「人です」

「冷静なツッコミはいらんっ!」

 もちろん勝てるはずもなく、ダメ男はタルの五分の一ほどでリタイアした。一方のウッシーは、

「今日は気分がいい! もう一個持ってこい!」

 追加した。

 妊婦さんのようにお腹がぽっこりしている。もはや、呆れが通り過ぎてほっこりした。

「胃の中よりも飲んでるし……異次元空間にでも繋がってるのかよ……」

 注目を奪われたダメ男はその場を離れた。いや、その前にギブアップなのかもしれない。飲みすぎて気持ちが悪いらしい。

「完全に悪酔いですね。誰かがマネしなければいいのですが」

 典型的な悪飲みですので、絶対にやめましょうね。

「自殺行為にもほどがある……」

 ダメ男は城の中に戻っていった。

 城の中は明かりが薄くなっていた。兵士の模造が持つ燭台が(とも)っているだけ。ぽつぽつと柔らかく丸く光る。

 そこに何筋もの月明かりが差し込んでいた。赤い絨毯は暗さで青みを帯びている。

 もふもふを味わいながら自分の部屋へと戻っていく。窓から差し込む月光が等間隔に、まるでシャワーのように注がれる。

 一つだけ窓が開いていた。ひゅうっ、とそよ風が火照る身体を撫でる。ダメ男は静かに閉める。

「ん?」

 もふっと足音が。音のする方を見る。

「ハイルか」

 ハイルがいた。もふもふしていそうなボーターのパジャマを着ている。

「何か質素じゃないか? もっとすごい格好なのかと思った」

「寝るときには邪魔だよ」

「言える」

 笑いかけるハイル。

「寒いの?」

「あぁ、外で騒いできたからな。なぁフー」

「……」

 しかしフーからの返事はない。確かめてみるが、ウンともスンとも言わない。

「電池切れ、か……? でも昨日充電したのになぁ……」

「……」

 じぃっと見る。

「……あぁ、ところでハイルは外に行かないのか? 主役がこんなところにいちゃダメだろ。誕生日なんだし」

「うん」

 それで終わり。

 先ほどからずっと見られているダメ男。とても気まずそうに(うな)る。どういう意図なのか、気付いているのか。

「……話、か?」

 ゆっくり(うなず)く。

「その前に部屋に戻っていいか? こいつを充電させないと」

 また頷く。

 ダメ男はハイルを連れて部屋に戻った。ふらふらした足取りはしっかりとしていた。

「……よし。ハイル、話ってのは?」

 フーをベッドが置き、ハイルの元へ。ハイルは部屋に入ろうとはしなかった。

「……こっちにきて」

 ダメ男の手を取り、走っていった。

 部屋の中では。

「ダメ男はどうするのでしょうか。承諾するのでしょうかね。するでしょうね、きっと……きっと……押しに弱い男ですからね……」

 

 

 きっと“そういう話”なんだろうな、ダメ男は予感していた。

 連れてこられたところはハイルの部屋。山のように積まれていたぬいぐるみは一つもない。ただ広すぎる部屋にファンシーなベッドがあるだけ。あとそれと、テラスへ続く窓や視界を遮るカーテン、豪華な椅子やテーブル、壁に付けられた燭台も。

 カーテンは仕切られていた。真っ暗なはずだが、城の中にあったような優しい球の光がそこら中に点っている。壁やカーテン、天井と柔らかい橙色に染まる。影と光が溶け合っているようだった。

 ハイルはそそくさと部屋の奥へ向かった。もう一つ部屋がある。衣類を収納するタンスやクローゼットがないことから、そちらがそういう部屋なのだと思っていた。

 追えるはずもなく、広すぎる部屋に立ちすくむダメ男。しかし疲れたのか、椅子に座った。

 ひゅうっ、と冷風が髪を揺らす。窓が開いていた。

「あいつ……暑いのか?」

 ぎゅっ。

「……!」

 後ろから押されるように抱きつかれた。細い腕がダメ男の腹回りを締め付ける。

「ハイル、……! 何考えてんだ! 服着ろっ。冷えるだろ」

「姿が見えなくてもわかる?」

「っ! ばかっ!」

 しかし離そうとしない。

 仕方なく着ていたジャケットを後ろに着崩した。ちょうどハイルの肩にかかる。

「重いんだね」

「気を付けろよ。凶器があるんだから」

「だいじょうぶだよ。さむくないから。むしろあつい……」

「!」

 引き剥がそうと腕をつかむ。まるで運動直後のように腕ですら熱くなっていた。手に触れると、熱せられた石のよう。

「とりあえず離れよう、な? 風邪引くから、」

「どうしてこんな格好してるか分かる……?」

 ぎゅう、とさらに強く。そのまま服の中へ手を入れていく。

 ぞわっ、と指先が触れた。

「っ、ハイル、あのな、」

「この国だと“それなりの年齢”になる前に好きな人がいて、“それなりの年齢”になった夜に身体を重ねるんだよ。でも私はずっと心を閉ざしてたから、そんな人はいなかった」

 いな“かった”。語尾に反応する。

「……だからわたし、」

 無言で首を振る。

 ダメ男は強引にひょいとハイルを抱き上げ、ベッドに腰掛けさせる。

「だめだ。オレは旅人、ハイルはお姫様。身分も何もかも違う次元だ」

「同じならいいの?」

「! あぁいや、そういうことじゃなくて……」

 言い方を誤る。こういうことに慣れていないのが分かる。

「私にはあなたが必要なの。……ねぇ」

 きゅっ、と手を握る。

 頭がぐわんぐわんしてくる。酒酔いは冷めているが、それとは違うものに酔わされていた。

 自然に手を引かれ、ベッドに誘われ、

「あったかいね。それに汗っぽい……」

「なにしてんだ、やめろっ」

「すごいにおいだね……動物のにおいよりもつよくて……だ、だめお……」

 組み伏される。いつもなら振りほどけるが、朦朧(もうろう)としてできなかった。何か躊躇っているようにも見える。

 淡い明かりの中、ハイルの紅潮した顔が目の前にあった。おでこが熱い。吐息が熱い。ハイルも汗ばんでいた。

 (なまめ)かしく腕を這い、手を握る。ぎゅっ、と握る。

 吐息がさらに熱い。さらに荒げる。空いている片手は別のことをしていた。

「っ……う……ぁ」

 ダメ男の顔に手を添える。ぐっと引き寄せた。

「ん……んぅ、あふ……」

「っ……つぅっ……」

 音がする。粘性のある水音。

 ダメ男はかろうじて、ハイルを持ち上げて耐えている。

「あふぅ……はぁ……」

 うっすらと瞳が潤う。

 舌を這わせる。

「あなたのなまえ……おしえて……よびながら……重なりたいっ。ねぇ……」

「……ハイル……ばか、やめっ」

「……ふぅ。私、動物の気持ちが分かるの、知ってるでしょ? それってチーターとかライオンだけじゃなくて……人間もなんだよ……。だからダメ男が何をどうしてほしいのかもぜんぶわかってるんだぁ……。たとえばこういうのとか、ね」

「っ、……これ以上はいろいろと問題が出るからだめだっ」

「問題がなければいいの?」

「……」

「うそだよね? だってこんなに期待してるんだもの。……大丈夫。だれも見てないよ。だれも、ね。だめお……だめおっ」

「……う、あぁっ……は、ハイル……」

 

 

 空が白み始めるずっと前。どことなく夜空が変色してきたかと感じるくらい。初春のような肌寒さと厳格な雰囲気が(ただよ)っている。

「……」

 フーはベッドにいた。枕元で、特に何かできるわけでもなく。()いて言えば、窓から見える夜景を見るだけ。

 人工的な明かりはすっかり消え、陽気で楽しい宴は明かりとともに消えた。何事もなかったかのように平日が始まるかと思うと、なんだかそわそわしてしまう。

「ダメ男……」

 それとは真逆に、フーは別のことでそわそわしている。特に動いているわけではないが。

 水色のボディに黒い眼。そこから見ることができるのか、

「夜が明けてしまいましたね……」

 ぼそりと呟く。凛々しく冷静な美声は一転して、幼い少女のような少し怯えた声になっていた。

「……もうおわ、……!」

 急に乾いた音。ドアノブをひねる音。ドアが開き、

「……」

 ダメ男が入ってきた。どうしてか顔が晴れていない。とても憂鬱そうに、すぐに泣き出しそうな。そして足元が覚束ない。

「だめお?」

「ぽぅっ!」

 フーの声に心臓が飛び跳ねた。

「びっくりした! 驚かせんなよっ」

 フーに気付いた瞬間、あの表情が嘘のようになくなった。いつもの感じに戻る。

 フーは単刀直入に申し出た。

「初夜はいかがでした?」

「ぶっ!」

 躊躇(ちゅうちょ)なさすぎて思わず吹いてしまう。

「あのな……」

 呆れ果てるダメ男。

「それで、申し出はどうするのです?」

「申し出? 何のこと?」

(とぼ)けても無駄です。婚約ですよ」

「いやいやいや、何でもない。ただのお礼だよ。その後、宴に戻ってバタンキュー」

「お礼で朝帰りですか。昼ドラ臭満載ですね」

「ってなんだよそれ……」

 イラついているような口調。

「それで、どうしたのです?」

「……」

 ダメ男はストレッチをし始めた。無視するように。

「ダメ男、答えてください」

「だからただのお礼だって言ってるだろ」

「だめおっ!」

「っ」

 叫ぶ。ダメ男の反応を(いさ)めるように。

「まだ皆寝てるだろ。静かに、」

「だったら早く言ってください! はぐらかさないでくださいっ!」

「お前……泣いて……?」

「泣いてなんかいませんよ! バカだめお!」

 鼻声で叫ぶ。

「……申し出は受けたよ」

「! そ、そうですか……」

 鼻声が小さくなる。

「お姫様からの婚約の申し出なんて、これからもないだろう。今のうちに婚約しておけば、お互いに安泰だしな」

「そ、そうですよね。どう考えてもその通りです。いい判断です。逆玉の輿とはよく言ったものですね」

「……だ、大丈夫だよ。その代わりに旅は続けさせてくれるらしい。今度はこの国の利益になるような、貿易的な旅だけどさ」

「はい、そうですよね……はい……」

「お前を見捨てたりしないよ」

「は、はい……」

 どんどん声が小さくなる。

「……なんか……へんなことになってる……?」

「え?」

「あぁええっと……ゆっくり眠ったし、もう少ししたら出発するぞ」

「……」

「おい、フー? まだ眠たいのか?」

「い、いえっ。そんなことはありませんっ。分かっています……」

「うぅ……きもちわる……」

 

 

「父さん、入るよ」

 ハイルはチタオの部屋に入った。書類やら何やらで相変わらず散らかっている。

 チタオはデスクと向かい合っていた。

「おぉ、どうした?」

「話があるの。……いい?」

「もちろん」

 チタオの隣にちょこんと座った。

「あのね……その……」

「今まで済まなかったな」

「え?」

 先にチタオが話した。

「私は駄目な父親だ……」

「そ、そんなこと……私もその……」

 ハイルが言いかける。しかし意を決して話した。

「父さんが大切にしてたチーターを……私が殺したから……」

「……」

 ふぅ、と息をついた後、頭を撫でてあげた。

「……知ってたよ」

「え?」

 腹の底からの驚き。思わず顔を見る。

「遺体の検査したら、毒の成分が検出されたんだ。あれはお前がいつもおママゴトで使ってた草に含まれてる成分だったから、すぐに分かったよ。小さい頃から動物たちと遊んでたもんな」

「……最初から知ってて……?」

「あぁ」

 ポロポロと涙を落とす。

「ごめんなさいっ。わたし……わたし……」

「私の責任だよ。きちんと注意していれば、きちんと調べていれば、あんなことにならなかった。今回の騒動も私の責任だ。ワニヒコに弱みを握られたせいなんだからな」

「ちがう……わたしのせいだよ……!」

 ぐしぐし、とチタオにしがみつき、服を握る。

「……実はあのチーターの遺体は保存しているんだ」

「そ、そうなのっ?」

「いつか私が打ち明けることができた時、一緒に供養しようと思ってな。……今度、時間ができたら手厚く供養しよう。そして……私は学者を止める」

「えぇっ?」

「これからはこの国の王として、この国を守る。……私の意志は……ハイル、お前に託す。知識はまだ持ち合わせていないが、最高の資質を持っている。立派な学者になれるだろう」

「父さん……」

「さて、今度はハイルの話を聞かせてくれないか? 何かあるだろう?」

「うん。……私……私……旅がしたいのっ」

「……え?」

 今度はチタオが見入る。

「ダメ男の話聞いてたら、私も旅人になりたくなったのっ」

「でも、そう簡単にできるものじゃないぞ? ダメ男は楽しそうだが、いつも死と隣り合わせだ。ちょっとした油断が命取りになる。野生のカバと生活するようなものだ」

「そ、それは厳しいね……」

「そんな生活だ。それでもなりたいのか?」

「……世界中の動物を見てみたい!」

「ふむ……弱ったな。動物学者としてはとても嬉しいんだけど、親としては絶対に行かせたくないんだよなぁ……」

「大丈夫! クーロもいるから! ねっクーロ!」

 ピーピーと可愛らしい鳴き声。

「……分かった。考えておこう。プロの旅人を招聘(しょうへい)しなくてはな。それと、早速トレーニングだ。ウッシーに事情を説明しておくよ。血反吐を吐くほどに過酷になるから、覚悟しておきなさい」

「は、はーい……」

 それでもハイルは嬉しそうに駆け出していった。

 ぼとっ、とクーロが落ちた。

「クーロ」

 クーロを手に載せる。

「はい、ご主人様」

「あの子はああ言いだしたら止められない子だ。せめて旅のサポートができるように、お前も旅に備えておくれ」

「御意」

「それと、なるべく会話はしちゃダメだぞ。見世物にされてトラブルの元にならないからな」

「御意」

 

 

「うわ……なんかぞわぞわした」

 相変わらずギラつく太陽と曇りない晴天が続く。黒いセーターを着ているダメ男には温かい日差しとなっているだろう。

「風邪ひいたかな……?」

「それは危ないですね……」

「どうしたフー。すごく元気がないぞ」

「分からないのですか? 鈍いんだか鋭いんだか分かりませんね」

「そこがオレのいいところだろ?」

「もう話したくもありません……」

「?」

 ダメ男の足が止まった。

「もう疲れました。少し休ませてください……」

「出発してから三十分も経ってないよ?」

「……電源を落とします……ぷちっ」

「お、おいっ」

 その後、いくら呼びかけても返事してくれなかった。

「仕方ない。今日は一人で行くか。んぅ……でも今日はのんびりだなぁ。以前みたいな殺伐(さつばつ)としたのがない……ん?」

 ガサガサ、と背後に物音が!

「つっ!」

 急いで振り返ると、

「……!」

 チーターだった。しかし、以前と様子が違う。

「こいつ……寄ってきてる」

 ダメ男が手を差し出すと、掌にアゴを乗せてきた。わしわしと撫でると、気持ちよさそうに擦り寄ってくる。

 喉のあたりを見ると、傷が出来ていた。

「最初に会ったチーターだ。よしよーし」

 くしくし、と鼻も撫でた。

「フーが休憩中だから、お前が一緒に来るか? 来てくれるとすっごくありがたいんだけど」

 すりすりと擦り寄る。

「じゃあ行くか」

 ダメ男が歩き出すと、チーターも付いてきてくれる。

「なんだかカワイイやつだな……」

 ふぅ、とため息ついた。

「一人旅は危険だ。いつトラブルに見舞われるか分からないし、二週間も人と会わない時だってざらにあるし。そこで相棒を作ることになるが、一番重要なのは信頼だ。お互いに信頼し合ってないと、いつか絶対に裏切られる。そしてお互いを知り尽くした仲でないと信頼関係は作りにくい。……フー、聞いてるか? 今回、オレはお前を信じられなかった。そして今、お前もオレを信じていない。……これ、一緒にいる意味あるか?」

「……ありません」

「同感だ。じゃあ次な。これからどうする? どうしたい?」

「……」

 フーからの答えはなかった。言い出しづらいのかもしれない。

「……ダメ男はどうしたいのですか?」

 逆に聞いた。

「オレか? オレは……旅がしたい。このまま旅を続けたい」

「勝手にどうぞ。せいぜい嫁のために頑張ってくださいね」

「あぁ。だから勝手にするぞ」

 ダメ男は痛烈な悪態を無視し、また歩き出した。チーターも置いてけぼりを食らわないようについてくる。

「それで、これで何の解決があるのですか?」

「……オレがどうして旅をしてるのか……もう忘れたのか?」

「……あ……」

「……」

 ボリボリと頭を掻く。どことなく照れているようにも見えた。

「第一よ……本当に受けると思ってたのかよ……。そりゃ究極の逆玉の輿だけどさ……」

「だ、だっていつも間抜け面なのに珍しく真面目だったものですから……。それにあんなに疲れて……てっきり……」

「あのさ、昨日の今日で元気バリバリになってると思ってるの? いつもなら三日のところを前倒しで出発しちゃったんだ。二日酔いで気持ち悪いしな」

「ほんっとに紛らわしいですねっ。罰として腕立て伏せで次の街まで向かってください」

「どんなトレーニングだよっ。そもそもフーが悪いんだろっ」

「どうしてですかっ? 何かしましたかっ?」

「……」

「あれ? 本当に何かしましたっけ?」

「……ワニヒコに……くどかれて……ぶつぶつぶつ……」

「! ダメ男、もしかしてやき、」

「あーあーあー、何も聞こえないよーあーあーあー」

「ふふふふっ。なるほどそういうことでしたか。なるほどなるほど。これは面白いことを発見しましたねぇ。意外な一面を垣間見ましたねぇ」

「急に気分良くなりやがって……なんかムカつく! やっぱ帰る! 婿(むこ)になって、あぁでもやっぱいいや」

「? 何があったのです? そういえば、朝帰りの件も解決していませんし、どうやって断ったのです?」

「あぁ、旅の話してたら諦めてくれたよ」

「ずばり言い当てましょう。“オレの生きがいを奪わないでくれ”とか言ったのでしょう?」

「……あ、いやっちがう、違うんだ。そんなことは言ってないぞうん」

「単純馬鹿で馬鹿正直でお人好しは便利ですね。見事に判明します」

「違うんだよっ。えぇっとだな、旅の話をしてたら諦めてくれたよ」

「同じことを言っていますよ。動揺しすぎです」

「……お前エスパーかよ……あ、そういえば“SS”ってどうなったんだ? 宴があったから全然知らないよ」

「どうでもいいでしょう? あぁでも、ワニヒコ様はカッコよかったですね」

「なんだ? またオレの反応見て楽しもうとしてるだろ?」

「さてどうでしょう。しかし誰もが憧れる理想の男性、これに当てはまりますね」

「もういい加減やめろって……」

「これで“おあいこ”ですよ。いいですね?」

「はいはい……」

「それでですね、聞いた話によると、国外追放で済んだみたいですよ」

「へぇ。娘と自分の命を狙ったにしては軽いよな。即刻……かと思ったのに」

「ダメ男、馴染みすぎて忘れていませんか? ここはどこです?」

「……あ」

 

 

「……」

 檻に閉じ込められたワニヒコや元后その他。しかし一切の会話もなかった。というよりそんな場合ではなかった。

「チタオのやろう……こんなところに……」

 そこは沖だった。といっても周りは川。いや泥沼と言ったほうがいいのか。土色の河が流れていた。

 檻の横にはトカゲのような生物がキーキー鳴いている。小さくて可愛らしい。その周りにもいくつか卵があった。

 しかし、そこはとんでもない場所だった。

「!」

 河が波打つ。顔が現れ、やがて全身を露わにした。緑に近いグレーの体色、ゴツゴツした分厚い皮膚、細長いくせに肉厚で、鈍重なくせに意外と素早い。おまけにでかい口を持ち、鋭い牙と恐ろしいアゴを持つ動物。……そう、ワニだ。

 しかもここの地域のワニは格段に大きい。五メートルは当たり前、その二回り大きいのもいた。ここは、ワニの住処なのだ。さらにさらに恐ろしいことに、ここは一頭だけではない。何頭も巨大なワニが生息していたのだった。

 可愛らしいトカゲはワニの子供。その隣にワニヒコたちのいる檻が放置されている。

 一体どうやって運び出したのかはさておき、“絶体絶命”という言葉が可愛らしく聞こえるくらいに大ピンチだった。もはや生きた心地がしない。

 檻をよく見ると、かなり傷が付いていた。攻撃されていたらしい。

「!」

 一頭のワニが“餌”に目がいった。猛烈な勢いで檻に突進した。

「うあぁぁ」

 何十人も“餌”が入っているおかげか、ひっくり返りはしなかった。しかし、恐怖を煽るには十分だった。

「もうやだぁぁっ! 死にたくねぇ! たすけてくれぇっ」

「静かにしろ! 一週間耐え切れたら助けが来るんだぞっ? あと数時間だろうがっ」

「ぎゃあぁぁっ!」

「!」

 ワニヒコたちではないどこかで悲鳴が聞こえた。その後、次々と悲鳴が上がり、あっという間に消えた。聞こえるのは水面を叩く音と生き物が興奮する声。

「俺たちは生き残るんだ……いいか?」

「お、おす……」

 その端くれなのか、ワニヒコは落ち着いていた。もっとも、それも風前の灯。理性をギリギリ保っているだけに過ぎない。

 すると、

「! チタオおぉっ!」

 沖から離れた陸地にチタオの姿が見えた。他に護衛が十人ほどと、ハイルがいる。

「あと数時間だな、ワニヒコ!」

「て、てめぇ! 約束は守れよ! いいなっ!」

「どの口がほざく。その檻を狙撃して壊してもいいんだぞ」

「あぁいや……国王陛下……どうか……どうかお約束を……ぐぐぐ……」

「ふん。哀れだな」

 チタオはハイルを抱き寄せた。

 河からワニが出てきた。

「あ、サンダーだ」

 ハイルは近づいた。しかも開いた口に手を突っ込む!

「姫!」

「心配はいらぬウッシー」

 ところが、口が閉じない。

 ワニは口の中に触れられると反射的に口を閉じる。しかしハイルには決して噛むことはないという。それどころか、

「なめないでよーくすぐったいーあははは」

 口の中で(たわむ)れていた。ペタペタ触ったり歯をニギニギしたりしていた。

 それを見た兵士たちとワニヒコたちは愕然とする。同時に悪寒が走った。もしあの剛強な口が閉じたら……と思うと敵味方関係なしに背筋がぞっとする。危険度は最大級なはずなのに、ハイルは曇りなき笑顔で戯れている。その悍ましい光景に、

「う、うげぇっ」

 吐いてしまう者もいた。

「とても不思議な子だ。ライオンが猫と、ワニがトカゲと、ハイエナが従順なドーベルマンと化してしまう。私には絶対に無理だ。いや、どんな人間ですら不可能だ。それをこの子はいとも容易くこなせてしまう。……親として、元動物学者としてこんなに誇らしい子はいない。……その人類の宝とも言うべくこの子を……貴様らは抹殺しようというのかっ!」

 怒りの矛先が罪人へと向かう。

「私が殺されることなぞ何の価値もないっ。しかしこの子は動物と分かり合うことができる、素晴らしい子だ! ……ワニヒコ! 私の妻を寝取ったばかりかこの子にまで毒牙をかけようとしたな? 挙句、妻まで反乱組織に仕立て上げるとは、とても許されぬっ!」

「ひ、ひぃぃ! ど、どうかおゆるしを……」

 とてつもなく怒っている。コメカミのあたりに血管が浮き出てしまっている。

 ふぅ、と一息つくと、ハイルの頭を撫でた。

「好きにおやり。ハイルに任せよう」

 こくりとハイルは頷く。

「……」

 とても悲しげな表情になるハイル。するとワニ、“サンダー”は何かを感じたのか、素早く方向転換し、檻に向いた。

「……好きにお食べ、サンダー」

 獰猛な雄叫びとともに猛突撃してきた。先ほどと同じように揺れはするもののひっくり返されはしない。ところが、嫌な音がする。

「! やめろ! やめてくれぇぇっ」

「いやだぁぁっ! いやぁぁぁぁ!」

 檻がメキメキと折れてきているのだ。止めには檻に噛み付くと、そのまま得意の猛烈スピンをかました。頑丈な鉄の棒を簡単にねじ切り、一つの入口をこじ開けた。他のワニたちがそれを見るや、あっちこっちで噛み付きスピンをぶちかましてきた。

「いやぁぁぁ!」

「もうやめてくれえぇぇっ!」

「たすけてぇぇっ!」

 そして、通るに必要な入口ができた。

「く、くるなぁっくるなぁぁっ!」

「ぎゃあぁぁぁぁ!」

「あぁぁっ! あああああああああああああああああああっ!」

「おぶっ」

「げあぁぁっ」

「おおおおおおおおおおおっ」

「おあおあおあああっあっあっぁぁ!」

 顔を噛み砕かれ、河に引きずり込まれた。

 腕を噛まれ、スピンされてねじ切られた。

 腹を噛まれ、中身ごと噛み潰された。

 巨体にのしかかられ、全身がプレスされた。

 手足を同時に噛まれ、引きちぎれられた。

 足を噛まれ、そのまま丸呑みされた。

 突進され、身体が二つ折にされた。

 尾で叩きつけられ、両脚があらぬ方向に曲がってしまった。

 食物連鎖のピラミッドに君臨する者は誰だっけ? と再認識されるほどに、(もろ)く、(はかな)く、無惨(むざん)に、呆気なく(ほふ)られていく。中には武器を持って反撃する者もいるが、その僅かな希望を(むし)り取られると、自慢の腕は一瞬で噛みちぎられた。

 半時かからずに食事は完遂した。

「……」

 ハイルは特に表情を変えずに見つめていた。そこに、サンダーが帰ってくる。お腹は膨れ、とても満足そうだ。よしよし、と撫でると嬉しそうにスピンした。

「服が濡れちゃうよー」

 うんうん、と頷いている。

「……へぇ、三人も食べたの? ……母さんも? へぇー。美味しかったんだ? ……うんうん。最近は鳥しか食べてなかったもんね。人間は栄養満点で腹持ちもいいから、しばらくは大丈夫だね」

 ハイルも笑っていた。屈託(くったく)もなく、晴れやかに。

「人間なんて所詮は“餌”だもんね」

 チタオ一団は帰ることにした。

「また来るねサンダー。元気でね」

 帰ろうとするハイルに、ワニたちは雄叫びを上げた。まるで勇気づけるように、激励するように。

 その場には何も残っていなかった。無残に破壊された檻と、(おびただ)しい血以外は。

 

 

 


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