フーと散歩   作:水霧

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第三話:かたるとこ

 夜。中途半端に欠けた月から明かりが地表を照らしている。そんな月が見下ろすは暗闇に閉ざされた森。それは大きく広大に山を覆い尽くす。見渡す限りに不気味に。やがて月が雲に隠れ、森が仄暗(ほのぐら)くなる。

 じんじんと虫が低い音を奏で、不気味な中に清涼感を加えていく。

 そんな中に、

「不気味ですね」

 女の声がした。妙齢の女で落ち着いた声だった。がさがさと物音のする方から、一人の影が現れた。月が陰ったのか森が暗いのか、姿が全体的に暗く明瞭でない。ただ、それが女の“声”の持ち主で間違いなさそうだ。

 木々の合間を歩いていた。

「そうだな」

 男の声も聞こえた。

「山の中での夜って好きだな。静かだし」

「能天気なことを言っても、遭難した言い訳にさせませんからね」

「……」

 しかし、男の声も影から出ていた。

「まさか、山で遭難するなんてな……」

 自分(?)を鼻で笑った。

「全感覚を集中してください。(くま)が来たら、即死ですよ」

「それだったら、夜も動かない方がいいよな」

「そうですね。だから先ほどから明けるまで待とうと言っているのに、どうしてそこまで無謀というか馬鹿というか気持ち悪いというか、」

「顔が気持ち悪いのは関係ないから」

「別に“顔”とは明言していません。ということは、少なからず自覚しているということですよね?」

 影は地面に向かって何かを叩きつけた。それはチカチカと赤く点滅している。

「あなたに(けが)されました。責任を取ってください」

「ぶっ壊す気持ちでやったから、それくらいは当然だろうな」

「この女たらし! とことんクズ人間です」

「お前、最近そういう小説とかドラマとか見すぎじゃないか? 思いっきり影響受けてるんだけど」

「そ、そうですかね?」

「評判下がるからやめたほうがいいぞ」

 影は発光物体を拾い、どこかにしまった。

「それより、オレが無謀に歩き回ってると思ったのか?」

「はい」

「うん知ってた。けど、この先からかすかだけど……潮の匂いがする」

「潮、ですか? ということは海ですね」

「そういうこと。そっちに行けば街か何かあるだろ」

「楽観的ですね」

 影はまた暗闇に消えていった。

 

 

 青い空に綿あめのような雲が浮かんでいる。太陽をちらちらと隠し、大地を照らしたり、影を落としたりしている。

 (なだ)らかに遠くまで(そび)え立つ山。深緑を彩っている。(せみ)が早とちりしてじわじわと鳴き始めているが、まだ肌寒い。その山の(ふもと)には街があった。白く角ばった家が建ち並び、綺麗な道路やその脇に茂る木々が白い街並みに彩りを加える。そして、その奥に砂浜と海が広がっていた。淡泊な青から濃厚な青へとグラデーションがついている。左端には岩壁が、右端には港があった。

 潮の香りが(かす)かにする。(ほほ)を撫でていく微風に乗って(ただよ)っていた。

 山奥の森と街の境目。山肌が露出し、(なら)した茶色の地面が見える。そこに男がいた。黒いインナーに黒いジャケットと黒いズボンを着て、土で汚れた白のスニーカーを履いている。背中に黒い傘が差された黒いリュックを背負っている。両腰にはそれぞれバックパックが付けられていた。肩で息をして、顔や首元は汗でびっしょりだ。

 街の中へ到達すると、リュックを白い道に下ろした。

「ようやく着いた……」

「ダメ男の言う通り、海ですね」

 “ダメ男”と呼ばれた男は安堵(あんど)した。女の“声”は、

「ようやくフーを充電できるな」

 “フー”というようだ。

「あと十パーセントです」

「しっかし、この眺めは最高だな」

 白い家がまるで迷路のように道を作りだしていて、木々や家の壁の隙間から青い海が見える。白い道は切石が埋め込まれオシャレだ。背後を見ると、家や道の終わりとともに、山肌が見える。

「宿を借りる前に水着を買おう」

「なぜです?」

「泳ぐからに決まってるだろ! 山の中でひどい目にあったからな! その鬱憤(うっぷん)を晴らすんだ!」

「さすがダメ男ですね」

 ダメ男は入り組んだ街中を駆け降りていき、

「よし、これ買うわ」

 水着を買い、

「ここに泊まるぞ!」

 宿を決めた。海沿いにある木造の宿で、(ひな)びているようだが、二階建てでしかも海の方向には邪魔するものがない。絶好の景色が見えると想像できる。

 戸を開いて中に入ると、古風で和風な木で(こしら)えた柱やカウンター、廊下が見える。右手にカウンター、正面に二階への階段、左と右に廊下が伸びている。入口の床は石畳で、高さのある上がり(かまち)を補うように細長い岩が敷いてあり、上がりやすくしていた。

 カウンターにはお婆さんが座っていた。

「いらっしゃい」

「どうも。ここに二日ほど泊まりたいんだけど……」

「それじゃあここに記帳してちょうだいな」

 簡素なノートにさらさらと名前を書いた。

「二階に上がって右手の部屋でお休みなされ」

「ありがとう」

 鍵を受け取り、きしきしと(きし)む階段を経て、早速向かった。

「いい部屋だなぁ……」

 六畳ほどの広さに右手に(ふすま)、左手にタンスがあった。正面には窓があり、奥には、

「見えるか? 海見えるぞ!」

「綺麗ですね」

 海が広がっていた。

 荷物を窓の脇に置いた。ずしっと重みがある。

「海を見るとなんか興奮しない?」

「あまり興奮はしないです」

「そっか。陽気で楽しい感じしないか?」

「いえ、特には感じないです。綺麗だとは思いますが」

「ん~、そういうもんか」

「そういうものですかね」

「まぁ、ずっと重たい話ばっかだったからな……。たまには気長に遊ぶか、な?」

「そうですね。ただ、」

「ただ?」

「デン池がモてば良イノですガ……」

「そういうことは先に言ってって!」

 ダメ男は服の中から水色の物体を取り出し、背面をずらすように力を込める。

「いたいです」

「痛いわけあるか」

「ダメ男の気持ち悪い顔で胃が痛いです」

「胃に穴が空くほどのストレスっ?」

「ひとまず電源を落とします。ぷつっ」

 その物体からフーの声がしていた。これが“フー”のようだ。

 かぱりとパーツが外れ、薄くて四角い部品を外した。そしてポーチからコードで(つな)がれたプラグと部品を出した。部品をフーにはめる。

「電源復旧し、以前の状態に自動で戻すまであと一分です」

 フーから取り出した部品はプラグのコードに付いてある受け皿に置く。それを窓の近くにあるコンセントに差し込むと赤いランプがついた。

「オートリカバリー完了。ダメ男の顔は完全終了」

「どういうことだおい。無駄に(いん)を踏むな」

「そんなことより、早く準備してください。いつまで待たせる気ですか? とろい男ですね」

「……なぁ」

「はい、何でしょう?」

「頼むからさ、一発だけ(なぐ)らせてくんないかな?」

「自分の顔でも殴ればいいと思いますよ」

「どんな自傷行為だよっ」

「ほら、無駄口よりも手を動かしてください」

「……オレもストレスで胃に穴が空きそうだ……」

「だから海で発散するのでしょう?」

「……何も解決してないけど、いいか……はぁ……」

 リュックから袋を出し、ウェストポーチを両腰に付けた。

「それは何ですか?」

「あれ? 見てなかったの?」

「電池が切れそうだったので、節電モードに切り替えていました」

「じゃあ、お楽しみってことで。一応、日焼け止めとかも入ってるお得セットみたいだったから、ノリで買ってみたんだ」

「一応、楽しみにはしますね」

「うん」

 

 

 見える風景の奥の奥まで続いていそうな大海。その手前にビーチが左右に伸びていた。左の岩壁から右の港まではかなりの距離がある。端っこから見たら、米粒サイズになるくらいの距離はあった。

 白っぽい砂浜。そこには遊びに来たであろう人々が密集していた。パラソルをかけ、ベンチに仰向け、日向ぼっこしていたり、サーフボードを担いでいたり、水かけっこして遊んでいたりと、様々な人たちがいた。ビーチの真ん中らへんに海の家があり、客足が途絶えないほどに並んでいる。繁盛(はんじょう)していそうだ。

 ダメ男はその海の家の脇のちょっとしたスペースにいた。そこは木で作った簡単な仕切りとカーテンで設けた着替え室だった。横にはロッカーがある。

 お着替え中のようで、カーテンを閉じるフックに、

「まだですか?」

 フーが掛けられていた。黒い(ひも)で通してある。

「日焼け止め塗ってるから待ってれ」

「ダメ男」

「なに?」

「勘違いしていなければいいのですが、日焼け止めは隅々(すみずみ)まで塗る必要はありませんよ?」

「えっ! そうなの?」

「肌が露出しているところを中心に塗布(とふ)すればいいのです」

「なんだ。じゃあ全身に塗っても問題ないな」

「露出狂になる気ですかっ! 変態ですっ! おまわりさぁぁぁんっ!」

「冗談だよっ! ちゃんと下は()くって!」

「当然ですっ! まったく」

「ジョークが通じないなぁ……」

「ダメ男がボケをかますことはあまり無いですからね」

 もちろん、その状況をお見せすることは絶対にないのでご安心を。

 シャッ、とカーテンを開いた。

「わりと普通で良かったです」

 白一色の短パンのような水着だった。

 上半身には傷跡がいくつも付いていた。筋肉の盛り上がりとは違う凸凹(でこぼこ)が重なり合っている。

「なんかぬるぬるして気持ち悪い……」

「こちらとしてはダメ男の顔が気持ち悪いですよ」

「スイカ割りならぬ“フー”割りでもするか?」

「おそらく永遠に割れることはありませんよ」

「フーは壊れないからな」

「いえ、永遠に探し当てられないからです」

「なんで?」

「ダメ男が一人だからです」

「……」

「目隠し状態ですが、教えてくれる人がいないので、ほぼ不可能だと思いますよ」

「……いくか」

 悲しげに息をついた。

 ロッカーに荷物を入れて鍵を回す。鍵はゴムの輪っかが付いていて、ダメ男は右手にはめた。

 ビーチを適当に歩いていく。人が多く、歩くのに難儀だ。

「何列もあるけど、キレイに整列してるな」

「混雑していますから、ぶつかっても喧嘩(けんか)しないでくださいね。迷惑ですから」

「そうならないように祈るよ」

 案の定、

「あ、ごめん」

 肩がぶつかった。その相手は、

「なに? ちゃんとあやまり……あら」

 女だった。

「あぁ。ごめんなさい。ちょっと人多くて……」

「いいのよ。それより、あなた日焼けクリームぬった?」

「あぁ。塗ったよ」

「一人で?」

「まぁ……、一人で来たからな」

「それじゃあ背中ぬってあげましょうか? そこは手が届かないでしょう?」

 女は豊満な体つきをしていた、しかも(きわ)どい。

「まじでか。どこの誰かは分からないけど、それは助かる」

「ちょっと待ってて。友だちもいるからさ。おーい! ここここっ!」

 すると、同じような女がやってきた。

「わぁイケメン!」

「この子がクリームぬってほしいんですって」

「微妙に話が違うような……」

「そうなの。カラダのスミズミまで塗りこんであげるわぁ……ふふふ……」

「できれば背中だけで頼むよ」

「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのぉます……」

「ひぃっ!」

 どこからか女の声が聞こえた。どんよりと低く恐ろしい声だ。二人の女は怖くて逃げ出した。

「おいおい、何するんだよ。せっかく背中に日焼け止め塗ってもらおうと思ったのにさ。届かなくて苦労してたんだよ」

「これだから、鈍感単純明快馬鹿は駄目なのですよ」

「ただ塗ってもらうだけだろ! なんか問題あるのかよ」

「問題がありすぎて困るほどです。ダメ男が素直すぎるのです」

「それじゃあ仕方ないな。背中はあきらめるか……」

 ダメ男は盛大に遊びまくった。

 

 

「身体中いったいねん……どうしてやねん……」

 夕日。太陽から橙色に発し、西の空や海原に色を施す。

 海の家のオープンカフェで夕食中のダメ男だが、(うな)っていた。テーブルにはサンドイッチと牛乳が置いてある。それをもくもくと食べている。

「ちゃんと塗ったがな。なんか悪いことしたかぁっ?」

「いつもの言葉遣いではありませんよ」

「なんでこんなにヒリヒリするん?」

 背中や首の後ろが赤くなっていた。苦しそうだ。

「紫外線により軽度の皮膚炎を起こし、海水によってさらに痛みが悪化したためと考えられます」

「なるほど。どうりで焼けるように痛いわけだ。いてててて……」

「今は冷やしておいた方がいいですよ」

「そうする……ん?」

 ダメ男の首裏にヒヤリとしたものを感じた。振り返ると、アロハシャツでサングラスの男が立っていた。冷たい物は保冷剤だった。

「大丈夫かい?」

「ありがとう。あんたは?」

「俺は船乗りのジェイってもんだ」

 ジェイはダメ男に相席した。

「ここらじゃ見ない顔だから、旅人だと思ってな」

「まさに。……んっと、オレは、」

「この男の名前はダメ男。今話しているこの“声”はフーと申します」

「ダメ男君にフーちゃんか。よろしくな!」

「フー……あのな……」

「いつものやり取りは面倒ですので、カットしますね」

「ん? 何のことだい?」

「こちらの話ですので、どうかお構いなく」

「まぁ……大したことじゃないならいいんだけどさ」

 不貞腐(ふてくさ)れたのか、ダメ男は閉口していた。

「それはいいとして、旅人であるダメ男に話しかけたということは、頼み事があるのだと推測しますが」

「話が早くて助かる。実はな、ちょっとした観光名所があるんだが、そこにダメ男たちを招待したい」

「観光名所ですか」

「まじか! むしろこっちからお願いしたいくらいだよ」

 “名所”という言葉でぱぁっと明るくなった。

「そうか。それは助かる。明日の昼過ぎ、そうだな……午後二時にしよう。そのくらいにあそこに見える港にいてくれ。ダメ男の格好なら一目瞭然だから大丈夫だろう」

 指差す方向はビーチの海に向かって左の方にある港だった。

「ジェイ様、ちょっと話がうますぎるようで、(うたぐ)ってしまいます」

「そうだろうよ。正直、自分でも怪しいと思う。でも、自分の食い扶持(ぶち)を失くすわけにゃいかないからな。ある程度は信じてくれ」

「分かりました。怪しいと感じたら、命はないと思っていてくださいね」

「へっ、それくらいの方が気合が入るぜ。ただし、一つだけ守ってほしいことがある」

「?」

「それは何ですか?」

「それはな……」

 

 

 月明かりもなく、すっかりと暗闇に包まれた街。だが、ロウソクの明かりのような優しい明かりがぽつぽつと(とも)っていた。白い外観の街並みは一転して仄(ほの)かな明かりの色になる。

 海辺には明かりはない。ただ、小波(さざなみ)の音が(ささ)やかに耳に入る。引いては寄せるそのリズムが眠気を誘うようで心地良い。

 ダメ男は部屋に戻っていた。上半身裸で、布団の上でうつ伏せになっていた。背中にはもらった保冷剤がタオルに(くる)めて当てられている。気持ち良さそうで、涼しい顔をしていた。

「大丈夫ですか?」

「まだヒリヒリするけど、いい感じだ」

「冷やしすぎるとかえって身体に悪いので、気を付けてくださいね」

「うん。それに夜は涼しいしな」

「海や川が近い場所は夏場でも涼しいと聞きますが、本当のようですね」

「湿気が多いと暑いもんは暑いよ」

「そうですね。でも、ここの気候がそうでなくて助かりました」

「……もういいかな、これ」

 ダメ男はむくりと起き上がった。リュックから寝巻を取り出して着替える。

「あんなに頭洗ったのに……髪がパッサパサだ……」

「もう一度入ってみてはどうです?」

「頭ハゲるからいい」

「まだ気にする年頃ではないでしょう?」

「……髪は女の命って言うけど男も命だからな。気にはしないと」

「ダメ男」

「なに? オレ変なこと言った?」

「頭を両手で(つか)んで、頭皮をずらしてみてください」

「ん? あぁ……こういうこと?」

 両手の指で頭皮を押さえ、くにゅくにゅと動かした。

「ダメ男は柔らかいのですね」

「? これで何が分かるわけ?」

「頭皮の柔らかさが分かります」

「うん……で?」

 いつになく、真剣だ。

「頭皮が柔らかい人は髪の毛が抜けにくいらしいですよ」

「へぇ~」

「ちなみに、ダメ男のお父様はどうでした?」

「親父はハゲてたな。それでオレも気にしてるんだけどさ……」

「毛髪の遺伝については様々な意見がありますが、どうやら遺伝性ではないらしいです」

「本当かっ?」

「はっきりとは言えないですが、生活様式や家庭環境が大きく関わっているみたいです」

「なるほど……いいことを聞いた……うん」

 ダメ男は窓辺に座った。

「さて、そろそろ眠りますか?」

「そうだな」

「眠ろうという気配が全然ないのですが」

「このまま寝ようかなって。風が気持ちいいから……」

「夜風は身体に(さわ)り、」

「ごめん……眠たくなってきた……おやすみ……」

「仕方ないですね。お休みなさい」

 布団を窓際に寄せて、眠りについた。

 

 

 翌日の昼過ぎ。

「“観光地そのものの特色を話すことを禁じる”ですか」

「つまり、ネタばらしをするなってことでいいのか?」

「そういうことになりますね」

「楽しみだなぁ……」

「本人からは準備に関して説明がありましたが、観光名所のPRはありませんでした。こういう場合、長所や名産などアピールした方がいいと思うのですが」

「何が出るかは分からない、そんなサプライズがウリなんじゃないか?」

「まさに“ダニが出るか()が出るか”ですね」

「地味に嫌だな、それ……」

「これだからダメ男は頭の中にダニが()いているのです」

「頭ちゃんと洗ってるからっ」

「本当に虫クラスの知能ですね」

「蜂の巣にぶち込んでやろうか?」

「むしろ面倒臭いと思いますよ」

「いえる。自分で言ってなんだけど」

 ダメ男は待っていた。黒いセーターにダークブルーのジーンズ、薄汚れた黒いスニーカーで、港で。

「にしても……魚の匂いがする……」

「それは港だからではないですか?」

「そりゃそうなんだろうけど……」

 工場のような建物の入口脇にダメ男がいた。コンクリートで人工的な海岸を作り、角ばった(みさき)が三つほどある。そこに船が五(そう)ずつ停まっていた。働いている人はあまりいなかった。

 フーと話していると、

「お待たせ!」

 ジェイがやってきた。昨日と同じような格好だった。

「さぁ、行くぞ」

「船で行くのか?」

「そうだが、船酔いしやすいのか?」

「オレは大丈夫」

「なら問題ないな。こっちだ」

 案内したのは右端の岬の一番奥にある船だった。小型のフェリーだ。

 二人が乗り込み、船が揺らぐ。

「ゆったりした遊覧にしてやるよ。出発だ!」

 大きな音を出して、出航した。

 猛烈な勢いで飛ばされそうになるダメ男、船尾から巻き上がる飛沫(しぶき)、ぐわんぐわん揺れる船体。覚束無い足取りのダメ男は、

「馬力ありすぎじゃねっ? おかしいだろ!」

「気にするな! ロケットエンジンを積んでるだけだっ! あっはっは!」

「ゆったりできるかっ!」

「十分だろぉ?」

 操縦席の横、ジェイの隣にいた。フェリーは二階建てになっていて、一階に客席、二階は操縦席になっていた。船首には落下防止の手摺(てす)りがあり、船尾には何かの機械が積んである。

 ジェイは操縦(かん)を握っているが、しっかりとバランスを取っていた。

「なぁ」

「なんだ?」

「ジェイはどんなところに案内してくれるんだ?」

「へへっ。そいつは見てからのお楽しみよ」

「ちょっとくらい教えてくれてもいいじゃん」

「仕方ないな。これでも見るか?」

 手渡してくれたのは何かのチラシだった。そこには、

 

[ジェイのオススメ観光スポット! 綺麗な景色から美味しい料理まで、あなたに素敵な一日をおもてなし!]

 

 と書かれていた。下を見ていくと、感想文のようで、経験者がお礼を(つづ)っている。名前はハンドルネームで()せられていた。

「家に山ほどあるんだが、礼の手紙の一部抜粋だ。俺の自信はこういうところからくるのよ!」

「うーん……見る限り、ほめてたりお礼だったりだな。……あ、改善点なんてのもある」

「中身を見せない分、そういうのもオープンにしなきゃな」

「すごいな。……これなら安心しても良さそうだ」

「ありがとよ」

 二人はしばらく海の景色を眺めていた。思ったより長いようだ。

「ところで、フーちゃんはどうした?」

「あいつか? 今はお休み中だ」

「? なんでだ?」

「“オレは大丈夫”でも、フーが駄目なんだなこれが」

「こういう時に船酔いのヤツがいるってのはお決まりのパターンだが……“アレ”で酔うのか?」

「なんでだか分かんないけど、酔うらしいんだよ」

「人体の神秘ってやつなのかねぇ……」

 

 

 ダメ男たちは観光スポットに、

「さぁここだ!」

 着陸した。

「おぉ~! すごいジ、」

「おっとダメ男! それ以上はダメだぜ? もう忘れちまったのか?」

「いや、でもオレら二人とジェイ以外はいないだろ? なら、」

「ここはオレのイチオシスポットなんだ。ダメ男を信じたいのは分かるが、盗聴器の類が無いとは言い切れねえ。持ち込んでもかまいはしないが、絶対にここの情報はしゃべらないでほしい」

「で、でも……オレには一応義務が、」

「ダメ男、ジェイ様の仕事を増やすことは許されませんよ? こちらは客ですが、マナーやルールを守るのが鉄則です。よって“口外しない”というルールを守るのは客として当然ですよ」

「……そうだな。ごめん、オレが悪かった」

「できる男はミスを繰り返さないもんだ! あんたはできる男だから大丈夫さ!」

 ダメ男とジェイは歩き出した。二人とも各々(おのおの)の荷物を背負い、足を進めていく。

「なんて言えばいいんだ……? というかどこまで言っていいのか迷うな……」

「まぁ肌身で体験してくれってこったな」

「景色自体は悪くありませんよ。むしろダメ男の好みではないでしょうか? ジェイ様、これは大丈夫ですか?」

「ギリオッケー」

「確かにそうだけど、特殊な地形だな。今まで見たことがないよ」

「そりゃそうだろうよ。自慢の場所だからな!」

「あ、これは珍しいですね。何でしょう?」

「これは、……名前を言うのもダメなのか?」

「そうだな」

「うーん……一応動物としか言えないな」

「ダメ男は知っているのですか?」

「一応な。食べると美味いんだ」

「え?」

「ジェイも知らないのか。この種は焼いて食べても美味しいんだよ」

「さすが野生児ですね」

「まぁな」

「一応希少種だからさ、食べるのはやめてくれな」

「分かってるよ。食料が尽きたときの最後の手段だよ」

「とか言いながら、この前はウサギを捕まえましたよね」

「さすがに旅人は違うなぁ……!」

「それほどでもないよ。死ぬくらいなら何でも食べるよ」

「それより、あそこは何なのですか?」

「あぁ、あそこはここの代名詞さ。あれがあるから、頻繁に来れるわけじゃないんだ」

()きているのですか?」

「活きてるよ。ほら、そこにも痕跡があるだろう?」

「ホントだ。触っても大丈夫?」

「問題ないよ。事前に調べてあるから」

「おぉ……! 初めて触った……! でも、どうしてあれがあるのにここはこうなってるんだ?」

「活きてはいるけどね、流出してないんだよ」

「なるほど。だからこうなっているのですね。しかし、これは大きいですね」

「だろ? これがあるから、トップシークレットにしてるのさ」

「これを知ってるのはジェイだけか?」

「いや、ここに来た客は全員知ってるよ。もちろん極秘だけどな」

「街の人々もご存知なのですか?」

「あぁ。知ってるよ」

「それなら、なおさらアピールすべきではないのですか?」

「悪質な(やから)がいるんだ。こういう貴重な物を盗んだり壊したりする輩が。事前に教えたら、それ狙いに来るかもしれないだろう? それを防止するためなんだ」

「なるほど……」

「もちろん、バクチ感覚で来るヤツもいる。でも、被害を最小限に抑えることが大切だからな」

「なるほど、納得です。確かにそういう被害は無くなりませんからね」

「さて、次はあっちに行こう」

「分かった」

「ダメ男、しっかりと目に焼き付けるのですよ」

「分かってる」

 

 

 夜。

「いたたたた……」

 ダメ男はお風呂に入っていた。お風呂というよりシャワーだ。

「ダメ男、また日焼けしましたね」

「首の後ろ痛い!」

「セーターを脱いだのは良いものの、長(そで)のシャツでもカバーし切れなかったようですね」

 風呂場は宿一階の左手の廊下の先にあった。人一人分の広さの脱衣室にはタオルと着替え、フーが置かれていた。奥の浴室でダメ男がシャワーを浴びている。

「赤くなってるよ……いったたた……」

「やはりダメ男の肌は紫外線に弱いようですね」

「そうなのか?」

「赤いというのは紫外線でのダメージですからね。元々、ダメ男の肌は白いですし」

「なんでだかな」

「女子からすれば(うらや)ましい限りです」

「オレだって好きでなったわけじゃないんだから、仕方ないだろ」

 ダメ男の口調が強くなる。

「怒らないでください」

「怒ってない」

「怒っています」

「怒ってないっ」

「怒っています」

「怒ってないっ!」

「怒っていません」

「怒ってるって! って、あ……」

「やはり怒っているのですね」

「……」

 風呂を上がり、身体を拭く。

「……ところでさ」

「はい」

 そして着替えた。黒い寝巻だ。

「お前の船酔いってどういう原理なの?」

「酔っていませんよ」

「酔ってたじゃん」

「酔っていません」

「酔ってた」

「酔ってませんって」

「酔ってたよ」

「酔ってませんっ」

「酔ってないよ」

「はい、その通りです」

「……」

「ダメ男と違って、引っ掛かりませんよ」

「じゃあフーに保存されてる男同士の写真はなんだろうな?」

「え? あれは消去したはずですが」

「あ、あったんだ、やっぱり」

「あ」

「引っかかってんじゃん」

「ぷちっ」

「あ! 切りやがった! ……でも、適当に言ったのが当たったってのも申し訳ないな。……後で謝ろう……」

 ダメ男は部屋に戻って、すぐに眠った。

 

 

 朝、ダメ男はいつもの練習をして、お風呂に入った。日焼けで肌が黒くなっていた。

「少し痛みが治まってきた……」

 そして部屋に戻り、出発の支度をする。

「おはようございます」

「おはよう!」

「気分が良いのですね」

「昨日は楽しかったからな。美味かったし、景色は最高! 昼寝も快適だったな」

「ただ、あれを他の方々に語れないのが残念ですね」

「撮影は一切禁止だったしな。いやぁ~言葉じゃ伝えきれないものがあったなぁ……」

 軽くストレッチをする。

「ん?」

「どうしました?」

「なんか聞こえない?」

「えっと、確かに聞こえます。人の声のようですね」

「いっちょ行ってみますか!」

「はい。朝食を取ってからですね」

「よく分かってるな」

「それほどでもありません」

 ダメ男は宿をチェックアウトして、海の家のオープンカフェで朝食を取る。

 朝の海は(さわ)やかだ。さらさらと軽快に踊るようなリズム、心地良い波音。ダメ男の食が進む。

「前日の三倍を注文しましたね?」

「だってここのサンドイッチ美味しいんだもん」

「今時“だもん”と語尾を付ける人はそうはいませんよ。気持ち悪いです」

「あぁ……サンドイッチ美味しいのに……ここともお別れかぁ……」

「無視ですか。随分と名残惜しそうですね。それなら、早めに出発しましょう」

「美味い料理と絶景がある街は旅人にとって魅力的すぎる。あと一週間、」

「ダメ男、どこぞの小柄で貧乏性な大食らいではないのですから、けじめをつけてください」

「うぅ……分かってるよ……」

 最後の一杯のコーヒーを、

「はぁ……おいし……」

 ゆったりと堪能(たんのう)する。

「爽やかなモーニングコーヒーですね」

「うん」

 ダメ男は飲み干し、やっと重い腰を上げた。

「あぁさらば我が愛しの第三十二の故郷……」

「故郷増やしすぎです。減らしてください」

「冷たいツッコミだなぁ……」

「それよりダメ男」

「分かってるって。あれでしょ?」

 ダメ男が何かに目をつけた。そこは港の方で、人集(ひとだか)りができていた。フーの聞き取った“人の声”もそちらからだった。フーに断わりを入れて、見に行ってみると、

「うるさっ!」

 まるでマシンガンが何十機も炸裂するかのような怒号が沸き起こっていた。もちろん、人集りが何かに向かって言っている。

 ダメ男は隙間を()うように押し退けて入った。

「え?」

「はなせってんだよ! くそが!」

 なんと、ジェイが男数人に取り押さえられていた。

 ダメ男は隣にいた女に、

「あの」

「は、はいっ、なんでしょう……?」

 聞いてみた。女はなぜか赤面している。

「あの人たちは一体何なんだ?」

「あっあぁ、彼らはここの軍よ。あそこに捕まってる男の人が何か犯罪をしたようで……」

「犯罪?」

「あの人、詐欺師みたいなのよ」

「詐欺師?」

「自分の商売の感想を、あたかも他人がしたかのように、捏造(ねつぞう)してたの。いわゆる自作自演ね。しかも、しょうもないところを観光として紹介してたってんだからたまったもんじゃないわ」

 ジェイは(わめ)きながら、警察隊に呆気なく連行されていった。

「……」

 ダメ男はそれを見送った。

 囲んでいた野次馬の前に一人の男が現れた。

「お客様、この度の我が社の不祥事、お詫び申し上げます。そのお詫びとして、被害に遭われた方々に特別に豪華客船での船旅を招待したいと思います!」

 おぉっ、と声があがった。

「警察隊の方から既に被害者の名簿をお借りしたので、どうぞご参加ください!」

 直後、ぞろぞろと男の後ろについていく人々。横から、

「ダメ男様にフー様でよろしいでしょうか?」

 スーツを着た男が声をかけて来た。

「先ほどご紹介に預かった者の部下です。旅人であると伺い、早めにお声をかけさせていただきました」

「もしかして、さっきの社長さん?」

「はい。それでお時間がよろしければ、ぜひご参加いただきたいと存じ上げます」

「つまり、あの船で盛大な(もよお)しがあるということですか?」

 そこには巨大な船があった。遊園地じゃないかと思うくらいに馬鹿でかい。

「はい。ぜひとも!」

「どうしますか?」

「それより、ジェイが捕まった理由が知りたい」

「彼ですか? 彼は自分の広告に嘘の内容を書き込んだり、誇大表現してお客様に過剰に金銭を騙し取ったりしたのです。それだけではありません。機密性の高い観光方法だったために、あらゆる犯罪に加担しているとの疑いもあります」

「そうだったのか。それじゃあ仕方ないな」

()に落ちません」

「何が?」

「街の方々はジェイ様の観光を知っていると言っていました。なのにジェイ様の犯罪がずっと露見されなかったのです。誰かしらは異変に気付くはずです。むしろ警察隊が気付かない方があまりに不自然です」

「警察隊の方々もかなり苦労したみたいです。私共には分かりかねる部分もございますので、どうかご容赦を……」

「申し訳ありませんでした。先ほどの話ですが、時間がないので丁重にお断りいたします」

「そうですか。それは残念です……。でしたら、永久予約という形でいかがでしょうか?」

「え? いいよそんな……。予約もしなくていいよ」

「し、しかし、我が社としましては、お詫びをしなけれ、」

「こちらにとってのお詫びはこちらの意志を尊重していただくことです。怒ってはいませんので、大丈夫ですよ」

「あの人は犯罪をしたけど、オレらには実質的な被害はないしな」

「そ、それならば。……誠に申し訳ありませんでした!」

「いいって。それじゃあ頑張ってな」

 ダメ男はそそくさと立ち去った。

 

 

「あの島は良かったな~。ジャングルみたいで、自然の宝庫だったな」

「そうですね。夕焼けも素敵でした」

「サバイバルクッキングしたら、ジェイのやつ驚いてたよな」

「蛇や(かえる)(さば)いた時は、さすがにこちらもヒキましたよ」

「今度作ってやるよ」

「固く遠慮します」

「しっかし、なんか残念だな。あんな結果になるなんて。拍子抜けというか何というか」

「ジェイ様は犯罪者の顔付きではありませんからね」

「オレ、悪いことしたかな?」

「いえ。むしろあの方々が怪しいです」

「フーが言ってたけど、あれ何が言いたかったんだ?」

「あくまで予想ですが、二つ考えられます。一つは街がジェイ様を騙したのではないかと思います」

「? どういうこと?」

「ジェイ様が秘密にしていた場所が、実は“そういう場所”で、ジェイ様になすり付けたということです」

「なるほど。で、もう一つは?」

「こちらの方がしっくり来るのですが、あの街自体が詐欺集団だった、ということです」

「え?」

「もし本当に犯罪をしているとしたら、観光地に案内する時、異常な行動を見せるはずなのです。それを旅人ならいいですが、現地の方々が見過ごすはずはないでしょう。少しくらいは分かるはずです」

「そうだけど……そうかなぁ……」

「そうしたら考えられることはただ一つ、街人は“それ”も知っていた、つまり黙認していたということです」

「うーん……強引な気がするなぁ」

「しかも、あの豪華客船の旅の手回しの早さは異常です。(あらかじ)め用意されていたかのようでした」

「それでもなぁ…………オレにとっちゃ、わりと楽しかったし、純粋には憎めないよ」

「相変わらずお人好しですね」

「それほどでも」

「ダメ男は騙されていることに気付かずに満喫(まんきつ)してしまうタイプですからね。つまらない、または曰く付きの評判のものでも楽しめてしまう、それがダメ男の気質の一つですね」

「素直に喜べないなおい」

「いえ、一番得をする性格だということです」

「そういうものかねぇ」

「ところでダメ男、伺いたいことがあります」

「なに?」

「また遭難したのですか?」

 空は緑に覆い尽くされていた。ただ、木漏れ日が差し込んでいるので、晴れではあるようだ。

 目の前にはばらばらに生えた木々があった。まるでダメ男を足止めするかのように、似たような景色を作り出している。

 ダメ男は一旦立ち止まった。きょろきょろと辺りを見回す。

「まぁ、これは……ウォーキングだよ、うん」

「困惑しながらのウォーキングとは、さすがですね」

「大丈夫だよ。オレが何も考えてないと思ったのか?」

「はい」

「うん知ってた」

「はい」

「じゃあ戻るかっ!」

「戻りたいだけですよね」

「はい。……だってあそこの、」

「つべこべ言わずに、歩いてください」

「はぁ……」

 ダメ男は歩き出した。

「迷っていても進まなければ何も始まりませんしね」

「確かに。猛進あるのみだなっ!」

「同じところをぐるぐる回っていなければいいのですけど」

 

 

「……ちっ。今回はダメだったか……」

「相手が悪すぎたわね」

「でもうまくいったんだがな……」

「わざとらしかったんだよ」

「でも、今回儲けたのは宿屋のババアと海の家のダンナか」

「いいよな。がっぽり(もう)けただろうに……」

「一割くらいくれないかな」

「何が儲けだよ! めちゃめちゃ損したわ!」

「全くだぜ!」

「二人ともどうしたんだ?」

「完全なカモだったろ?」

「代金で指輪をもらったのさ。それもレア物らしい」

「いいじゃないか!」

「でも、ついさっき調べてもらったらパチモンだったんだ! とんだ大損だよ!」

「俺もサンドイッチの代金で宝石をもらったんだが、全部石っころだ!」

「マジかよ!」

「ジェイのやつも金塊をもらったらしいが、調べたらレンガに金箔貼ってただけだって言ってたし……」

「あのヤロー、とんだ詐欺師だぜ!」

「悪びれた様子もなく、よくもこんな物を差し出したもんだ!」

「詐欺師を騙すなんて、よっぽどの悪人なんだろうな、そいつ……」

 

 

 


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